一年前の6月にもアジサイの写真を載せました
その写真ではアジサイの花びらにまだ緑色が残っていましたが
今年のは全面アジサイ色です たぶんアジサイのプライムの時期です
その一年前のアジサイの時も書きましたが これは福井県の小浜出身です
海岸沿いの丘の上に海を一望して咲いていたアジサイの枝を持ち帰って育てた株です
この小高い丘にはもう一つの思い出もあります
普通はくず饅頭と呼びますが 我が家では水饅頭と言うことが多いです
この丘の麓に水饅頭を売っている和菓子屋さんがありました
お店に入ると畳一枚くらいの長方形で高さが20cm程度の水槽が置いてありました
お祭りのときによく見る金魚掬いの水槽とそっくりですが
中には金魚ではなくて水饅頭が入っていたのです
そこで4個((配偶者+私)×2個)の水饅頭を買うとビニール袋に水饅頭と水を入れてくれます
金魚の代わりに水饅頭が泳いでいると言う感じです
それを持って大急ぎで車で丘の上に行って
『ゴクリ!ゴクリ』と水饅頭を食べると言うか飲み込むと言うかします
一瞬の幸せ×2回です
この水饅頭は水がおいしい小浜ならではの和菓子です
持ち運びが困難なため地元に行かないと食べられません
この水饅頭と こりこりのネタの寿司屋さんのためによく小浜に行きました
40歳代から50歳代のかけて日本国中を車で走ったのですが
おかげで地元でないと味わえない料理をいろいろいただけました
ちょっと思い出すだけ
日本海の海岸沿いでいただいた岩ガキや松葉ガニ
高知の鰹たたき
網走のタラバガニの内子
松前の塩水バケツのうに
大分空港の関サバと城下ガレイ
その他にもいろいろあります
イヤー!みんなうまかったな〜!
これらの料理は地元以外で出会うことがありますが すべて地元のものとは違いました
いまから50年ほど前にアメリカに行って食べた日本料理と同じです
似ていない非なるものです
しかし地元のものと違っていてもそれなりにオイシイこともあります.
水揚げしたばかりの鰹がある高知と周りに海がない京都では素材である鰹が違います
新鮮な鰹の柵をぶつ切りしただけでオイシイ高知と
幾日か経った鰹をおいしく食べる工夫をする京都では食べ方が違うのは当然です
車の運転も旅行もしたくなくなった我々としては京都の食べ方でOKです
とは言え最近スーパーで買った鰹たたきはちょっと古くて食べれませんでした
庭に雨 目には紫陽花 古鰹
でした 残念
写真No.155:6/22:芝生広場
写真は植物園にある芝生広場です
実は始めはキノコの予定でした
宝ヶ池公園で なかなかチャーミングなキノコがいっぱい咲いて?いたのです
クローズアップも遠景も撮って クローズアップのをひとつ選びました
その後家に帰ってgoogleレンズで名前を調べ googleでどんなキノコが調べました
それは毒キノコでした 笑って死ねる天国極楽キノコだったのです
そこで写真を作成して以上のような内容を紹介した文章を書いたのですが
いざウエブサーバーにアップロードしようとするとその文章がありません
消えてしまったのです
パソコンではときどきそうゆうことも起こりますよね
そこで,現在大急ぎで この文章を作成しているわけです
ちなみに一昨日の留守中に我が家で停電が起こりました
帰宅するといろんな電気製品が止まっていましたので
片っ端から電源を入れたり時間をあわせたりしました
ウエブサーバーも止まっていました
公開用のファイルが置いてあるパソコンも停電でいったん切れ その後直ぐに再起動したのですが
突然の電源切れを感知したパソコンが起動を途中で止め点検メッセージを出して起動を止めたのです
その間はウエブサーバー自体が起動できずこのサイトも見ることができない状態でした
このエッセーサイトは見るのは本人たちと親戚だけなんですが
サイトの本体である『庭の花写真集』はアクセスがかなりあります(累計180万以上)ので
ちょっとご迷惑をおかけしたかもしれません
まあ素人が暇つぶしにやっているサイトですからご容赦ください.
では そろそろエッセー用の写真の『芝生広場』に注目しましょう
以前冬で寒くて誰も居ない芝生広場の写真を載せたと思いますが
今回は夏で熱くて誰もいない芝生広場の写真です.違いは芝生の色と周りの状況です.
冬は誰もいませんが 夏は芝生広場の周りの日陰には人がいるのです.
写真の左下をよく見れば2人連れが2組座っています
しかし広い芝生広場には誰も居ませんので見ていると開放感があって気分爽快です
ちょっと前まではこの芝生が海であれば最高なのにとか言っていました
京都に住んで車を手放したのですから海は遠いです
最後に海をみたのは4月に鹿児島に行ったときでした.
琵琶湖なら家から地下鉄とJRで1時間で到着するのですが海の色は湖とは違います
特に波が違います 海の波は息づかいを感じますが湖の波はポチャポチャ波です
無いものねだりはしないで 空でも見てください.鳶が一匹飛んでいますよ
暑いけど 解放されるよ 芝生地に 空には鳶 手にアイスココア
毎週一枚の写真用意して なんてろかんてろのエッセイ?先行ご苦労様です。
わたしは一周遅れでああだこうだのエッセイ?続けているのですが
選ばれた写真一週間眺め続ける・・・面白いものです。
この風景 この場所はもう何十年も眺め続けた風景 通い続けた場所です。
若き日 休日 お弁当持参 散歩通りすがり 人かき分け 走り回り
毎日が日曜日 コロナ時代 車無しで行ける場所 ベンチ休憩場所巡り
集う人眺める場所 観察する場所 発見する場所
最近はそうですね ひたすら 広がる空間に浸る場所 かな。
だんだんキョロキョロ度が少なくなってきたようです。
家族の休日ピクニック 園長先生もそろっての幼稚園児たちの大はしゃぎ
若者の芝生ゲーム遊び新作披露 季節ごとの写生大会
入園無料の老人達、赤ちゃん付きママ達の集い
特権?ガードナーさんたちの車付きご活躍 ボランティアさん達のおおわらわ
フォトウエディングカップルの観賞 インバウンドさん出自国推測
今の時代の他人様のお弁当事情チェック 興味のポイント尽きません
植物園です 花も木ももちろん楽しんできましたよ。
京都府立植物園 百年 すごいのかな?
我々のおつきあい五十年以上続いています。すごいのかな?
隅々まで知っているのかも 変化・改革?おつきあいしてきたのかも
まあそんじょそこらの植物園職員さん達より先輩なんだぞお!
意味もなく勝手に威張っています。
何も知らない職員さん達からは 仲良しおじいちゃんおばあちゃんが
ま・た・来・た・! 思われてる様子です。優しくしていただいています。
週二回 地下鉄乗ってやってまいります。
生活の中心 健康のあかし 永遠に!続けるつもりであります。
この風景に入りびたり あらまほし なのであります。
写真No.154:6/15:ホタルブクロ
ホタルブクロです.
蛍が花の中に入って蜜を吸うのにぴったりの形状です.
蛍と言えば近くの川 岩倉川で大量の蛍を見たことがあります
もう十数年前のことだと思いますが
数百匹かもしかしたら数千匹の蛍が岩倉川の上流100メートル程度の区間で飛んでいたのです
夢かうつつかと思われるほどに美しい夜景でした
あまりのことに次年度の夜もそのスポットに行きましたが数匹がパラパラと飛んでいるだけでした
その次の年も行きましたが2,3匹かろうじて見つけただけです
その次の年にはもう行きませんでした
やっぱり夢かうつつかでした 残念
まあ しかし 長生きしていればときどきこんないい目にも会います
まだ人生を振り返るほど年を取っているとは思っていないのですが
思い起こせばいろいろ信じられないほどラッキーな目に会ってきました
ラッキーアス! Lucky us!
たぶん日頃の行いが良いためため神様?に配慮していただけたのではないかと思います
と調子の良いこと書きましたが 話題は蛍です
蛍が光るのは勿論子孫繁栄が目的でしょう
当然明るい蛍ほど見つけてもらいやすいですから自然の摂理?で明るい蛍の子孫が生き残ります
もしこれが正しいなら年月の経過と共に蛍はより明るくなって行くはずですが
そんな話は聞いたことがありません
自然の摂理理論を 人で応用すれば より強く より格好良く より賢い人が生き残りますので
年月の経過と共に人間は より強くより格好良くより賢く なるはずでした
世界の歴史を見るとより強くとより格好良くはちょっとは実現できているようですが
より賢くにはいろいろ問題がありそうです
で 遠からず人類は その愚かさ故に滅びるかも...。知らんけど!
ほたるぶくろ 小ぎれいに着物姿
そんな方にふさわしいすっきり和風の庭先に そんな方の部屋の隅・花かごに
ほたるぶくろのイメージ変わることありません。
見たこともないくせにその印象の安定感 少し驚かされています。
それはともかく
最初に驚かされたのは 山道ドライブ 崖から外へ身を乗り出して咲いていました。
こんな豪華な花 何でこんな山道に・・・どんな事情が・・・
海を見晴らすアジサイの丘 その奥のほうに白いホタルブクロの花姿再発見
ほの暗い木々の間・・・なんでこんな・・・どんな事情が・・・
それでいいらしいのです。 山や里 野生に生きる花らしいのです。
そんな知識入ってきてもやっぱり驚かされます
園芸観賞用に改良されての完成形と思えるのですがねえ
我が庭咲き続けてくれています。
大切にしてるのですが 問題あり?の性質?
地下茎みっしり一面に張り巡らしたがる 小さな芽みっちり芽生えさせたがる
ナイス! ところが・・・花茎伸ばすのはその一部だけでそれに至る時期に
まわりの植物に迫られたり覆われたりすると勝負に負けるようなのです。
君は強い子なのか? 弱い子なのか?
限りある空間 日陰の庭 懸命の贔屓にもかかわらずじり貧です。
さあここはあなただけのコーナーですよっとなると
もうびっくりの豪華なコーナーとなるのは知っているのですがね
ホタルブクロ、野菊、ホトトギスしのぎを削って生存競争中です。
お庭番必死のえこひいき 苦戦中。苦戦中。
駐車場跡 日向の庭 壁際に持ち込んだら大成功
生命力強い芝生、エリゲロン(弁慶小菊)、ヒメツルソバ
みんな蹴散らして? 大喜びの大繁殖?
ホタルブクロ堪能の梅雨の庭となりました。 満足・ため息
これからは 芝生への侵入防ぐのに大わらわの日が続くのでしょう。
えらいことですよ びっしりのみっちりの地下茎ですからねえ
御庭番の心も知らず 愉快・快活・はしゃいで咲いています。
あれっ 和風の慎まし気な花は? どういうこと??
写真No.153:6/8:バイカウツギ
バイカウツギです.
居間から見ると北側の掃き出し窓と東側の出窓から見えます
数年前まではちらほら咲いているような地味な感じでしたが
最近は白い花がいっぱいいっぱい咲いてます
朝起きて掃き出し窓の雨戸を開けたり出窓のブラインドを上げたりすると
バイカウツギが白く豪華絢爛に一面に広がって圧倒されます
私はガードニング歴50年以上ですがいまだに初心者ですので
永遠の初心者らしく地味な花達にはその存在さえ気がつかないことが多いのです
配偶者殿には ここにこんな花 あそのにあんな花が咲いていると
頻繁に指摘していただいています その度に
「あれ!ほんとや!こんなキレイな花があったとは!」と驚いています
人は物理的に視野に入っていても認識しないことが多々あります
視野に写っている様々なもののうち自分に興味感心のあるもののみを見ます
写真を撮るときでも焦点の合ってない部分(たとえば背景)はぼけています
これは新聞を読むときに似ています
新聞は1面から20面?くらいまであって各ページに様々なことが書いてありますが
そのうち読むのは自分に興味がある数カ所だけです.
この数カ所の読む記事の見出しを聞くだけでその人がどんな人かがおおよそ推測できます
複雑そうでも遺伝的資質と育ってきた環境(経験)でほぼどんな人間かが決定されます
地図ナビで言えば 出発点と経路がわかれば現在地が決まるようなものです
幸か不幸か遺伝的資質を決めるDNAは複雑な構造らしいし人の経験も千差万別ですから
人間はそれぞれ独特な存在となります
この文章を書き始めたのは4日前でしたが そのうち2日は出かけていました
帰宅するとあんなに咲き誇っていたバイカウツギの花が元気がなく しおれたり
枯れて茶色っぽくなったりしてます
その代わりにその横にあったアジサイが咲き始めています
ぼんやりしている間に時は移り主人公の花も入れ替わってゆくのですね〜
前線が 雨を降らせて アジサイは 緑色から 水色に
こんなところでも鴨長明さんが頑張っているのです
バイカウツギの季節となりました
狭い塀沿いのスペース 必然的に家に窓に迫って咲くことになります。
室内から眺めると もう花に包まれて過ごす生活
どおだ!いいでしょう? やい!うらやましいでしょう?
バイカウツギは五月に咲く花木欲しくて外構工事の方にお願いした木なのです。
一本お願いしたつもりが… 七、八本狭い空間に植えこまれていました。
自分でなにもかも企画・実践していく そんな生き方
運命的に?わたしには向いてないのかもですね。
企画努力はした。 今 目の前にある今で がんばりましょう。
おなじように植木屋さんとの意思疎通すれ違いからやってきたユスラウメ
そしてこのバイカウツギ 幸せいっぱい感謝いっぱいの花木達です。
花を植えて楽しもう…の庭の予定
なんとユスラウメ、バイカウツギ、コニファー、金木犀
木々の足元、隙間で花咲かせる庭となってしまったのでした。
制約の中での花の庭 制約からこぼれでる花の庭
力いっぱい 楽しい庭遊びでした。
またやってきたこの季節 喜びの季節です。
ユスラウメの実を食べに バイカウツギの花の蜜を吸いに
あんなに嬉しそうに楽しそうに美味しそうに・・・鳥たち
〔窓のすぐ向こう バードウォッチング特等席〕
この数年姿見せなくなってしまいました。
砂利の庭になってしまったとか まわりで新築工事続いたとか
コロナとか(まあこれは関係ないか)御庭番の愛が足りなかったとか
とか とか とか
とにかく寂しい限りです…蝶もアマガエルもダンゴムシも…寂しい
みんな come back please!!! 待っているのですよ
COME BACK!!!
写真No.152:6/1:ユスラウメ
ユスラウメの実です.真っ赤に輝いています
我が家の庭でこんなに元気に実るのは久しぶりです.
しかも前庭の土手の上から飛び出ているので目立っています。Very Good!
この家に引っ越ししてきた頃は周辺は田圃や野原ばっかりだったのです
家の前の道をイタチが走り渡ったり
庭の花壇にお猿さんが来て植えたばかりの花をむしり取ったり
夜中に裏の下水道で狸親子が騒いだり
前庭で草むしりしているとキバタキが虫が食べたいと催促鳴きしたり
大いに自然が楽しめましたが
現在は周辺は新築の家で埋め尽くされました
日本の人口は減り続けているらしいのに
あっちこっちで一戸建てやマンションが増えているのはちょっと変かも...。
どっかで無住の家やがらがらのマンションが増えているに違いありません
家を建て直すのはまだ何とかなるかもしれませんが
マンションを建て直すのはたぶん無理でしょう
古いマンションの住人の多くは高齢者ですから立て直す資金を出せません
と言うことは そのうち 廃マンションだらけになってしまうでしょう
困りましたね〜
でも日本の高齢者比率はどんどん高くなるし高齢者の投票率は高いので
マンションの建て直し費用も税金で補助してくるかもしれません
高齢者のみなさん!
日本は『ちょろい』国やし なんとかなるかもしれません
なんの話をしているんでしょうね
たしかユスラウメでした
花と実で2度楽しめるgoodな木です.
初夏の庭 赤い実食べる 小鳥たち 青空進む 白い線
この色はフランスの国旗です
認知症テスト?今日は何年何月ですか?今の季節は?
そんな感じの問いがあると聞いたことがあります。
そしてあんたはどうなんだ?・・・は置いとくとして
子供時代 今 を生きることの専門家だったような
新学期 夏休み 運動会 お正月くらいはおさえてるんだけど
年・月・日・曜日 季節すらそれらの隙間埋めくらいの認識?
集中してるぶん 今は 永遠に近かったような
敷地続きの伯父さんの家にはおばあちゃんの部屋がありました。
くるり垣根にかこまれた小さな庭の向こうの部屋
今に生きる子供のふらふら歩き?垣根の間に白い花みつけました。
ちいさな みたことのない 不思議・きれい・可愛い!
自分がひとりで見つけた そこに嬉しさや意味もあったのでしょうかね
おばあちゃんの部屋の垣根見るたびに思い出すのです(ふだんは忘れてる)
季節を知らない子供 あの花咲いてないなあ きれいだったなあ
花にであうことなく がっかり?さみしさ?ものたりなさ?
あるとき みたこともない ちいさな赤い実を発見
他の実と全然ちがう こんな可愛いきれいな色の実みたことない
あの白い花とぴったりお似合いの赤い実 あの花とこの実おなじものなんだ!
ひとつだけ 赤い実そおっと食べてみました
花と実 ぴったりの そおっとの美味しさ
一度っきり 子供時代の感動の時
庭木・花のためのスペースありのこの家にやってきたとき
あの垣根の花植えるのだ! 植物図鑑・庭の花木図鑑 探しましたよ
見つけましたよ ゆすらうめ 花の写真実の写真 ぴったり
造園にも強いとの外構工事の方に植えて欲しい…頼みました。
あまりに熱心な頼み方しちゃったのでしょうか
一本のつもりが 狭いスペースに七、八本のゆすらうめ
はい ゆすらうめに囲まれた庭に住むおじいちゃんおばあちゃん決定です。
あはは 年・月・日・曜日もうどうでもいいお年ごろ
季節だけは大丈夫 ゆすらうめと一緒に過ごしているのですからね
今 2025年6月 ゆすらうめ 赤い実 そっと食べてます
今 永遠であれよかし(あって欲しいなあ)
写真No.151:5/25:アイスランドポピー
アイスランドポピーです.
細い茎でちょっと背が高いので風で良く揺れます
初夏の風 すべての花が はかなげに 右にゆらゆら 左にゆらゆら
花の色が多種多様ですが どの色も薄いです それがまた風情があります
アイスランドは国としては最北の位置にあって雪と氷に囲まれているらしい
Game of Thrones というドラマの主要な撮影地となったので
ドラマの野外風景からアイスランドの自然の雰囲気が感じられました
その他にもアイスランドの刑事TVドラマも見たことがありますが
隣の家に行くのも大変で 冬の吹雪のこわさがよく分かりました
こんなところによく人が住むな〜と思いましたが
もっと自然が厳しいシベリアとかアラスカにも人は住んでいます(頑張ってください)
アイスランドの凄いところは
そんなに厳しい自然環境にもかかわらず豊な国らしいことです
ググると一人当たり所得が8万ドルとか
ウッソー!と言いたくなります 日本は3万ドル程度です
でも たぶん物価も超高いです
従業員の年収が8万ドルということは月100万円ですから時給5000円程度です.
これではコストも日本の数倍ですから製品価格も数倍高くせねばなりません
ラーメン一杯数千円とかの世界です
しかし自然が厳しく狭い島国のアイスランドにいったいどんな産業があるのでしょう?
不思議ですね 思いつくのは観光と金融でしょうか?
それにアイスランドで年収1200万円あったとしてなにを買うのでしょうね?
人口30万人程度ですからいろいろ品揃えするわけにもゆきません
私にとっては不思議の国アイスランドです
それでも短い夏にはあっちこっちにポピーが咲いて揺れているのでしょうか?
広大な野原一面にポピーが揺れていたら凄いでしょうね
(これは見てみたい!が寒いところは嫌いです)
平和の谷 自由の無人島
どこにあるのかな・あって欲しいのか・夢想よりどころなのか・なんなのか
子供のころからこだわっていたようです。こだわり続けたかったようです。
こだわるあまり 地理のお勉強・世界のお勉強そっと避けて来たようです。
そんなまんまで後期高齢生存者
あんまりですよね。みっともなさもこのくらいにしなくては
ということで 数年前まなじりきりり一年間地理の勉強がんばったのでした。
というわけで
ブルキナファソ、サントメプリンシペ 舌かまずに言えるぞ アフリカの国です。
恐竜を滅亡させた彗星はユカタン半島に落ちたんだそうです。
仏領ギニア こんなところにフランスの領地 宇宙センターあるようですよ。
チチカカ湖 可愛い名前ですね。 標高最高にある湖なんだとか。
グリーンランド ほとんどが真水の氷の上?にある国
人住めそうにも・・・発見者は考えた 商売人根性ですよ
開拓者おびき寄せるためにつけられたネーミングなんだそうですよ。
あっトランプさん 声かけ手を挙げるのちょっと遅すぎた?のでは?あはは
こんなの あんなの・・・
かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。
てなわけで
アイスランド 何処にあるのか知っています。
氷・雪の世界 火山もあったような まわり豊かな漁場に恵まれてたような
アジアからヨーロッパの国々へ入っていく中間地点・最適の位置にあるのだとか。
中国さんが ひそかに?手をのばしたがってる? とかとかとか
かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。
平和の谷 自由の無人島 ありませんでしたね。
幼きこだわりから解放の時
雪解けの谷 アイスランドの谷
一面に広がるアイスランドポピー
ゆらゆらゆらゆら ゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらり
写真No.150:5/18:弁慶小菊 font size=5>
グーグルレンズで調べるとヒメジョンと出てきましたので
そのつもりでこの文章を書いていると写真を見た我が配偶者殿が
『それは弁慶小菊』であると主張なさいました
さてどちらを信用すべきでしょうか 天下のグーグルか我が家のガードナーか?
そこで弁慶小菊でグーグル画像検索してみるとこの写真と同じようなものが出てきました
結論として グーグル自慢の画像認識技術なんて頭から信じてはいけない
我が配偶者殿は常に正しい
でした グーグル信者でしたので ちょっとビックリしました
さて以上は前置きで これからが本当のエッセー部分です
弁慶さんはルーザー(負け犬)である義経さんに最後まで忠誠を尽くします
詳しいことは覚えていませんが
元々は京都の橋の上で喧嘩して負けたので家来になったと言うようなことであったと思います
喧嘩に負けた人に忠誠を尽くして死んじゃうなんて今時の日本人にはマネできません
義経さんもズーッと以前に家来を解放して一人で逃げればよかったのに...。
もっとも その後義経さんは海を渡ってチンギス・ハンになったと言う話も聞きました
それなら立派です 尊敬します 弁慶さんも満足でしょう
youtubeで日本の離島・山岳集落巡りを見ていると義経さんが逃げてきたとか
平家の落人が来て集落を作ったとか言う話があっちこっちにあるようです
絶海の孤島とか標高2000メートル以上の山頂とかに逃げて行くとか これは凄い!
何が凄いって追いかける人の執念が凄い 新幹線とか飛行機とかが無い時代ですよ
生かしておいたら立ち上がってきてひっくり返されるかもしれないと心配だったんでしょぅね
昔の日本人は凄いです
最近の日本人には弁慶さんのような強烈な人は居ないような気がします
世界が相対的に平和だった時代はそれで良かったのですが
これからの世界ではちょっと心配です
まあ それが必要になれば そのような人材が日本にも顕れると思いますが...
べんけい小菊
イングリッシュガーデンかぶれ・西洋かぶれとしては エリゲロン
意味わからないぶん?カタカナのほうがよりしっくり…かな?
ほぼ年中可愛い花が楽しめる どんな環境でもOK 宿根草よく増える
こんなうたい文句とともにわが庭にやってきました。その通りです。ご活躍です。
(春に輝き・秋はおとなしめに・あとはポチポチ咲きです)
庭のあっちとこっち塊りとして咲かせると 春の花が疲れ見せたり終わりだす五月
パッと輝いてくれて新鮮な存在 階段石の隙間からでもしっかりですよ
あれもこれもの植木鉢の隅っこに紛れ込ませてみるとエリゲロンの世界出現です。
庭全体 地面近いところで咲き ひとつの季節まとまりを演じてくれる…
ほめすぎかな? けっして派手ではないのだけど実力者なのだと思います。
一度庭に入れたらもう絶えることはないと思いまよ。増えづづけるエリゲロン
さああなたはどう使いますか? 楽しいですよお
あのお 冬姿はあんまし…あれなので
大群生は(花期はすごいので一度はお試しの価値)ちょっと…かもですよ
早春の庭にハナニラ 春なんだけど次の季節入り込んでくる頃の庭にエリゲロン
わが庭の基調となる 大切な花です。
主人公として当然として華と輝く花
主人公ばっかしでは話進みませんよね
主人公ささえる・ひきたてる・まもりぬく・みをささげつくす
そんな存在って必要なのかもですね
でもでもでも
弁慶さんの頑張りも生き方も
義経さんと同等くらいの熱量で語られること多いですよね
間奏曲なのかもしれません 幕間劇なのかもしれません
庭という舞台
どんな花もあなたが一番!として輝く時 そんな時があるような…
そんな庭であってほしなあ
写真No.149:5/11:
西洋オダマキと言う優雅で上品な花です
何故か 植物園ではあんまり見ませんが
我が家の庭の定番で 毎年あっちこっちで咲きます
丈夫で長持ちする優秀な花です
ただし 背が高いので風には弱いかもしれません
詳しいことは我が配偶者さんまで...。
この花はだいたいは集団で咲きますので個々の花には注意が行き届きませんが
実は一個一個がとてもキレイなんです
集団と言えば最近集団スポーツのサッカーをyoutubeで見るようになりました
きっかけはパリオリンピックの間に女子サッカーを見たことです
youtubeにある膨大な映像から現在の自分が見たいものを探し出すのは大変です
youtubeは過去の私どもの映像履歴から『次はこんなのを見たいはずだ』と判断して
トップ画面に並べるのですがどう言うわけか女子サッカーがyoutubeに出てきたのです
まったく見たこともないサッカーの試合を見たところ面白かったのです
オリンピックではあっさり負けてyoutubeからもしばらくの間消えていたのですが
最近復活して日本代表からイギリスチームの試合のハイライトが出てくるようになり
2時間近いフル動画も出てくるようになりました
日本人選手が活躍しているマンチェスターシティと言うチームの試合が中心です
ヨーロッパで活躍している選手の名前を言ってもほとんどの人は知らないと思います
知る人ぞ知るの世界です.米大リーグの大谷選手なんかは別世界です
我が家でも大谷選手がホームランを打てば大騒ぎして喜びます
まあ給料もぜんぜん違うみたいです
外国の女子サッカーリーグで活躍している選手の平均給料は数百万円といことです
日本のタクシー運転手さんの給料並です なんか理不尽な気もしますが
女子サッカーと言うのはマイナーなスポーツなのでしかたないんですね
youtubeさんの推薦で我が家ではメジャーなスポーツとなりましたが
これは我が家のTVが60インチと大きい画面であることも貢献しています
自分の部屋の30インチの画面でサッカーを見ても球が見えにくくて
20人程の人間が右往左往しているだけでした
やはりサッカーのような集団スポーツは大画面が必須です
大画面万歳!
資本主義万歳!
この庭のため最初に種から育てた花 西洋オダマキです
近くの農協スーパー野菜の種と並んでいました。
種まいてから花咲くまで二年!かかったのです!
日陰気味の庭を明るい色・形で優しく上品に華やかに引き立ててくれます。
もう長いお付き合い
宿根草・こぼれ種・こぼし種 絶やさないようにしています。
不思議な存在
私の持つ花のイメージ:生まれ育って生きてきた過程で出来たんでしょうよね
そのイメージとなにか違う花なのです。違ったバックグラウンドを持つ花
優美・デリケートな雰囲気・華麗・深窓の令嬢風・クラシックバレエの世界風
なのに
わが庭で咲いています 嬉しそうです ありのままらしいのです。
用意した庭の場所はよくないらしい(まわりの花株の勢いに負ける?のかも)
静かに消えていくようです。
そして庭からこぼれ落ちての通路 砂利撒かれてしまった通路
敷石のはじっこ 植木鉢のはじっこ 咲き始めるのです。
穏やかに・華やぎの雰囲気イキイキと 不思議・ふしぎ・不思議ちゃんの花
自分の花イメージと共通項少ないかも…の花 猛烈に惹かれるではありませんか
童話にもありますよね
深窓の令嬢クララさん と お山のハイジ 仲良くなれるのですよね
ともに抱く 意外性の魅力 発見 新しい世界への紹介 道しるべ
ちょっと息をのむ存在 確かな存在 西洋オダマキ
この庭のある限り 一緒にいたい いてもらいたい存在
毎年 祈るような気持ちで たくさん採れる種を確認
懸命にこぼれ種チェック あっちにもこっちにもへのこぼし種
古い株の花に胸なでおろして喜び 育ってきた株の花に目を細め
ちっこい芽心配げに見ている わたくしこと 自称御庭番。
写真No.148:5/4:マンサク
マンサクと言う名前の木です
この木は植物園の北口から直ぐそばの大通りが交差する場所に植わっているのですが
この写真を撮った日まで その存在に気がつきませんでした
写真で表現できているか心配ですが 華やかに咲き誇っています
目を奪われるほどにキレイなのに
今まで気がつかなかったとはどう言うことかなと不思議に思うようになりました
これまで何百回も横を歩いていたのですから満開のときも何回も見てきたはずです
これはこのマンサクが木としてのプライム/絶頂期に入ったためではないかと思われます
去年までは横を通っても何とも思わなかったのが今年は思わず見てしまうほど輝いているのです
木のプライムの時期は数年続きますので これからしばらくは輝くことでしょう
来年も楽しみです
人間の場合でも学生時代には凡庸な若者だったのに社会にでてから輝くことがあります
学生時代にさまざまな愚かなことをしていたのを知っている身としては
『大丈夫かいな?』と思ったりしますが これが大丈夫なんです
地位が人を作ると言いますが その通りです
人間の潜在能力はとても高いもので ほぼすべての人はそのごく一部しか発揮できていません
地位か高くなって周りから要求されるレベルが高くなれば潜在能力が発揮されるようになるのです
私の経験でも『わー!こんなこと出来るかな〜?』と思われる状況でなっても
実際には簡単にクリアしてきたことが何度もあります
例えば,中学校入試で5段跳び箱があったのです かって一度も飛べたことがなかったのですが
入試では難なく飛び越せました
マンサクの場合にはプライム時代はたぶん数年程度でしょうが
人間の場合には20代から50代くらいまでがプライムになる可能性がありますよね 長いですね
私どもの場合はそれも過ぎてしまいましたが
それでも今がプライムではないかと思えるほどに楽しい毎日です
よかった よかった
人生のプライムって何なのかな
お寿司3,4人前大満足で食べてました。
10日続く旅行 毎日何万歩(多分)歩き回っての全身痛・疲労困憊
疲れすぎて眠れない。朝ケロッとナビゲーターしながら楽しい旅続行。
夕食後にさあテニスを・・・さあ休日です山越えて琵琶湖まで歩こうぞ!
あれもこれも そうですね 20代から50代だったようです。
ああ我らが人生黄金の時だったっと思い出語りしています。
プライム期の黄金の経験 何一つ今出来ることありませんねえ。
視点を変えましょう
子供のころから世の中での人生は諦めるべし、避けるべし、逃げるべしの方針
どうしたら許してもらえて・見逃してもらって生きていけるのだろうか
今をそっと真面目にこなしていったら何とかなるのだろうか
いつも何かに集中していることが必要だったようです。
仕事真面目に楽しく頑張りましたよ。そして疲れるようになりましたね。
これだけではつらいかな…これだけにエネルギー使い切ってしまう毎日…つらいかな
エネルギーの残存量・貯蓄案・回復案意識するようになりました。
なにかにはまるのが とっても有効なんだなあ
ひとつのレコードに ひとつのジャンルの読書に 一度にひとつずつ
テレビフランス語会話・ドイツ語会話 同時進行でやろうとして当然即あごだしちゃった。
でも右のポケットにフランス語単語カード 左のポケットにドイツ語単語カード
なんだか嬉しかったな。
まんがみたいな走り描きの絵 喜んでくれる人がいました。嬉しかったのです。
調子に乗って絵本つるぞ(押し入れのどこか手製絵本いくつか存在中)
新しいアイデアもいくつか貯まった頃 あごだしたのではなく
最初の無邪気な動機ではなく あざとさからくるアイデアだなと気づきました。
恥ずかしくなって・・・
庭が持てました。夢中の庭遊び ホームページまで作って写真撮りまくって幸せの絶頂。
あるとき ふっ あざとさに気づいてしまいました。
好きなのに花も手入れも好きなのに いつの間にかホームページに載せるための
花の選択・庭づくり・写真に映えるコーナーづくり・うそつきの庭
悲しくなって…恥ずかしくなって・・・
童謡・唱歌丸暗記 世界地理 日本歴史 あははなんと哲学の歴史
いつも楽しく始め 少しの集中の時
そして ああここまでなんだよな…さびしい途中下車の認識
なにも集中することがない時 毎日みじめでうなだれてしまいます。
虚ろ・ちと鬱っぽく? はた迷惑なことです。
リピートするプライムの時 移り変わっていくプライムの内容
そして恥ずかしいみっともなさに終わるプライムの時
それでもね 何か始まるときの純粋な?ひたむきな?ひととき
思い出すだけでも嬉しさいっぱいなのです。
プライムへの入口?は何処にでも? どこにあるのかな?
あなたの 我々の プライムタイムに 乾杯!
今のこのプライム感覚 永久につづけーーーー!
写真No.147:4/27:レンゲ草
我が家の前庭の芝生地一面に咲いているレンゲ草です
レンゲ草と言えば子供の頃はあっちこっちの野原と言うか畑で咲いていましたが
最近はほとんど見かけなくなりました
過去数十年でいろんな変化が起こりましたがレンゲ畑の減少消滅もその一つです
なにせ子供の頃には道に馬糞が落ちていたのです
電気冷蔵庫は存在せず氷屋さんに毎朝氷を配達してもらっていたのです
洗濯は洗濯板を使って手でごしごしでしたが冬は水が冷たかったやろうな〜
その後3種の神器としてTV、電気洗濯機、電気冷蔵庫が広がったのです
ちなみにフロは五右衛門風呂で薪を使って沸かしていました
この五右衛門風呂は鉄の部分が熱いので触らないよう入るのがコツでした
こんな時代を思い起こせば現代はSFの世界です
と書いたものの実は昔のことは具体的にはほぼ何も覚えていません
幼稚園・小学校・中学校・高等学校の間の出来事はほぼ記憶にありません
幼稚園で覚えているのは建物の絵を描いていたことぐらいです
小学校で覚えているのはノートに同じ文字をいっぱい書いたことぐらいです
まだ?新しいことを記憶することはできるのですが忘れるのが早いようです
忘却曲線と言うのがあって始めは少しずつ忘れますが
ある点(crirical point=臨界点)に達するとガバッと忘れるらしいのですが
このcritiacal pointが来るのが早いらしいのです
と言うわけで昔のことは覚えていないのですが
歳を取ると昔のことを思い出して懐かしむのが人生らしいので残念ではあります
でも物忘れには良いこともあります
その第1は うっとうしい出来事もさっさと忘れるので明るく生きられる
第2は 昔のことではなく新しい出来事を求めるのでいつまでも若々しい
両方とも良いですよね おかげで明るく若々しく生きられるのですから
要するにレンゲ草を見ていると明るく若々しい気分になると言うことらしいです
よかった
海の子です
海と聞かば 海を見れば 海に行けば
我が物顔です。駆け寄り・手を足を浸し・波蹴散らします
海に遠慮はありません だって わたし海の子なんだもん
小川 あぜ道 田圃 それは憧憬の風景・世界
身近にあったのですよ。中学校は田圃の中 小川の道歩いて通ったのですよ。
いつも新鮮で晴れがましい・なんでなのかなあ・お客様みたいに遠慮がちになってしまうのです。
わあわたし今川岸歩いてる! わあ少しだけなら田圃あぜ道歩いてもいいのだろうか!
春の小川はサラサラ行くよ 岸のスミレやれんげの花に
姿優しく色美しく 咲いているねとささやきながら
わが胸の幼心 今も歌い続けています。
人生最後の気合?芝生の庭あちこち穴掘ってレンゲソウの苗植えてみました。
雑草みたいにもしゃもしゃと…芝生を愛する婿殿よ…我慢して!見逃して!
四月の庭:芝生の庭は何処?レンゲソウ一面に広がってしまって肝冷やしました。
・・・開花・満開・蓮華畑の出現・・・
もう嬉しいのなんの 花の中座り込んで過ごしましたよ。
ミツバチもやってきましたよ。
蓮華畑のむこうには チューリップが水仙がムラサキハナナが忘れな草が
すべて大成功 夢のかなった四月の春の庭なのでした。
苦あれば楽あり そして 楽あれば苦あり
蓮華畑は四月の庭限定としていたのです。
大ナタ振るう時が来ました。歯食いしばり・うなだれて過ごしました。
五月は芝生が芽吹き始める季節です。救い出さねばなりません。
根っこ明るい婿殿 芝生には目をつぶり蓮華畑喜んでくれましたよ。
すこし傷んだけど 根っこ強い芝生です よね!
思ったより大丈夫そうな芝生たちも頑張ってくれそうです。
さっそく栄養撒いてくれました。
一年かけて見守りましょう。芝生さん今度はあなたの季節ですよ。
がんばろうね!
写真No.146:4/20:花ニラ
花ニラとムスカリの共演です
この2つの花はたぶん友達ですよ
形状はまったく異なりますが 色がともに紫色です
どちらかが
「君は紫色だね」
と言えば もう一方が
「君も紫色だね」と答えて それで友達になれます
これが白い花ニラなら親近感がなくて ともに無視し合うことでしょう
じつは地面の下では根が競争相手なんです
白い花ニラとムスカリだったら地面の取り合いが起こって
勝ったほうが付近を制覇して 花ニラだらけかムスカリだらけになることでしょう
紫の花ニラとムスカリなら友達になって譲り合って共存共栄します たぶん
些細なことでも共通の部分があれば仲良くなりやすいのです
勿論共通の部分が多いほど仲良くなりやすいです
仲の良い夫婦の多くは容姿や雰囲気が似ているように思えます
自分とそっくりの人に出会えれば直ぐに仲良くなれます
これは容姿だけではなくて性格と言うか価値観でも当てはまります
例えば,同じ大学の同じクラブに入っていれば
価値観とかが似た感じの人が見つかりやすく友達も見つかります
これと対照的なのが幼なじみです 小さい頃に近所に同い年の子が住んでいれば
学校にも一緒に通うことになるし自然と友達になってしまいます
幼なじみの良いところはバラエティに富んでいることです
どんな子が近所に来るかは神様が決めることですから
最近読んだ雑誌記事によれば
日本人は20歳代以降は会社の同僚や家族と一緒に居る時間が多く
友達とはほとんど合わなくなるらしいです
そう言えばコロナ以降は誰とも会わなくなってしまったようです
配偶者さんとは毎日顔を合わせていますが...。
今日のお昼にもイカスミ・トマトソースパスタを作ってくれるらしいです
楽しみです
春の庭開幕寸前
ハナニラ 日向の庭・芝生の庭で我が物顔して輝いてました。
野に咲くタイプのスミレとハナニラ 自由奔放 咲きたい三昧
お気に入りの季節の庭
ラッパ水仙、チューリップ、ムラサキハナナ 存在感増してきました。
つぼみは色を見せ始め さて華やかな春の庭の開幕のお時間です。
ハナニラはそのすべてのコーナー、スペースで、
花株・その足元で庭としての調和を・一体感を演出してくれています。
春の庭は地面から少しずつ空へ向かって広がっていくのですよね。
…ハナニラ 徐々に春の花たちの影にのみこまれて…
日向の春の庭に白からブルーきれいなグラデーションの塊を発見
覗いてみたら ムスカリの塊りとハナニラの塊りの一体化!
わーおっ!
ムスカリもハナニラも素朴な雰囲気があるような
それが寄り添いあうとなんともなごみのスポット出来上がるようです。
日陰の庭でもハナニラの華のある花たちを浮かび上がらせる演出ぶりは健在です。
覗き込んでみたらハナニラとムスカリが寄り添ってる。それだけで
ただ一輪ずつだけでも ため息と深呼吸同時に起こる世界があるのでした。
好き 好き 好き
ムスカリとハナニラの写真 選んでくれたこと とても嬉しいのです。
写真のハナニラは少し変わった種類で花弁は丸くしっかりのブルーですね。
普通の?ハナニラは純白から淡いブルー、淡いピンク、淡い紫
細めすらりの花弁 淡いピンクの縞があったり 紫がかった縞があったり
いろいろあってこれまたひとつひとつチャーミングです。
球根と種で繁殖力大 2,3年楽しんでたらもう庭から除くのは無理かな
雑草扱いされたりして好まない人もいるらしいのです。
庭に入れちゃあいかん花だあ!とかね。
ほっといてくれっと申し上げたい。
咲ける場所で咲きたいだけ咲けばいい!
私の庭はハナニラの庭です。
ハナニラから始まる庭です。
ハナニラから春は始まるのです。
写真No.145:4/13:百舌鳥
百舌鳥と書いて『もず』と読みます
この鳥は一匹オオカミのようです 雀のように群がっているのは見たことがありません
一匹オオカミですから当然縄張りを持っているはずです
この縄張りを守るためには侵入者を追い払ったり脅したりせねばなりません
まあ 簡単に言えば もず は気が強いんでしょうね
体格は雀とあまり変わりませんので 実際の戦闘力が格段に高いというわけではなさそうです
それでも縄張りを守れるのは『絶対守る』と言うdeterminationがあるからです
雀はグループ行動をするようですが どう見ても弱々しいですし しかたがないでしょう
グループの一員であれば安心安全ですからボーッとしていられますしストレスも少ないでしょう
一匹オオカミであれば縄張りを常に監視せねばなりませんし
誰かが侵入するたびに緊急出動し追い払わねばなりません
戦闘も起こります ストレスいっぱいです.
しかしグループには序列が存在する可能性があります
この序列の直属上司との関係が良くないといじめられてストレスいっぱいになるかもしれません
家の前の電線に止まっているのはストレスでイライラしている雀かもしれません
やっぱり鳥の一生も 一匹オオカミでも グループでもラクチンとはかぎらないようです
私どもは自由をこよなく愛するため可能な限りグループには所属いたしません
雀と言うよりは百舌鳥タイプです が 争いにはメチャ弱いのです
縄張りに侵入者が来たらどうするかって? 逃げます ただただ逃げます
それから誰も来そうにないところに新しく狭くなった縄張りを作ります
もっとも若い頃には無鉄砲なところもありましたので争っていたような記憶もあります
いやいや懐かしいな〜
私も気が強かった時代がありましたよ
たぶん 配偶者さんもハラハラしていたことでしょう
でも冒険的精神がないと人生は退屈ですからね
今は昔です 人は変わります
現在の定義では退屈イコール安心安全です
ちょっとみっともないですが 歳には勝てません
庭遊び一日一時間と決めています。
顎出したら最後・日向の庭遊び禁止令:人口芝生貼られてしまうらしいのです。
んんんーん 人生最後に?手に入れた日向の庭
そーっと楽しみたい 少しでも長く・・・
一日一時間 今のところ上手くいっています。
秋に頑張って植えた花たち咲きだしました。プランもくろみそっちのけですねえ。
でもでもそれでいいのです。あざといプランなんかより もろ自然!
これがこの庭にやって来た春ですよと輝いています。
座り込んでぼんやり…ムラサキハナナ ちゅーりっぷ らっぱ水仙 忘れな草
ハナニラ そしして気合を入れて育てたレンゲソウ 今盛りと咲いています。
嬉しすぎてぼんやり。。。
そんな庭を覗き込むように 百舌鳥(モズ) 動かない
そっと携帯取りに行っても戻って写真撮っても 動かない
感激・可愛い・嬉しい
次の日 またぼんやりしてたら イソヒヨドリ 全く同じ枝に
気づく前に乱暴に動いたらお隣の車庫へ・・・しまった残念なり
なんのすぐにひょこひょこ覗きに来て また頭の上同じ枝に戻ってきたのです。
感激・可愛い・嬉しい
以前ジョウビタキが同じ事してたなあ
ジョウビタキ モズ イソヒヨドリ
縄張りつくったり 狩りをする鳥たちなのかな 同じ枝ご愛用です。
芝生、花、草、日向、日陰、虫、蝶、カエル、クモ、ハチ、バッタ もろもろ
庭があると集まってくるのでしょうね。
おまけの私・邪魔者ではないんだぞ あなた達の遊び場・狩場お世話係なんだぞ
みんな またおいでね。
***おまけ***
レンゲソウ花畑 真ん中に座って 夢見てた夢の実現
きっと ミツバチやって来るに違いない… やってきました。
ブーンブーン羽音耳傾けて過ごします。
ねっ レンゲソウ ミツバチ と言えば 蜂蜜ですよね
そっと花香り確かめたり そっと花なめてみたり かじってみたり
みなさん! 蜜の香りも 甘さも 皆無ですぞ
どういうこと!?!? どういうこと!!!???
写真No.144:4/6:チューリップ
赤いチューリップです
今シーズンのチューリップの球根も私が選択したのですが
またまたオーソドックスな形状の赤色です
このサイトにあるさまざまな花を咲かせた配偶者さんほどのベテランになれば
チューリップを選んでも形状も色もいろいろとなるでしょうが
ことガーデニングに関しては永遠の初心者である私にはチューリップは赤です
実はガーデニングは二十代に始めました
新婚時代に住んでいたアパートの通路に10畳ほどの庭がありまして
これを耕して花壇にしたのであります この花壇ではいろいろ花を植えました
初心者が扱うような花はほとんどすべて咲かせたと思います
今思い出すだけでもホウセンカ、百日草、金魚草、桜草、ラッセルルピナス、etc.
3年ほど続けましたがこの庭が駐車場となったので止めてしまいました
この経験でガーデニングは ベテランの初心者 程度になりましたが
そのまま進歩がとまって現在に至っています ベテランの初心者程度です
未だにバラとダリヤを間違えたりして 配偶者さんに笑われたりしています
たぶん相性が合わないのだと思います
まあ私も おの子 ですから花さん達と相性が合わなくてもしかたありません
実は英語とも相性が合わなかったようです
何を隠そう!私は4年もアメリカで暮らしていましたし
家のTVで外国の映画やドラマを視聴するときにはほとんど英語を聴いてきました
ですから総計すると うん十年 に渡って英語と接してきたのですが
いまだに 何を言うてはんのか さっぱり分からんことがしょっちゅうです
これは明らかに相性の問題で 私の頭が悪いとか言う問題ではないと思います
先日も駅付近でインバウンドさんにトイレの場所を聴かれたときに
逆上してほとんど何もしゃべれず アワワ となってしまいました
まあ相性には勝てないと言うことです
インバウンドさん ご了承ください from Kyoto with a red tulip!
インバウンドさん 役立たず ほんとゴメンナサイ なのでした。
うろたえたのが恥ずかしくて?夜・夢うなされちゃった!
アメリカ 外国人として過ごしたことがあります。
アメリカ 自由の国 個人主義の国 思ってたのかなあ
なんと アメリカには自由がないのでした。
どんな自由? 迷子になる自由!
町に着いて さてっと思った瞬間 地図覗き込む暇もなく
Can I help you? 声かかってくるのです。
感激もしましたが おかしくもありました。
なんとこの国では 迷子にはならないのかもしれないけど
外国人としては 少し迷子になるのも地図広げて自力で進むのも
楽しみのひとつ 醍醐味のひとつ なんだけどねえ。。。なんてね
暮らし始めても みなさん優しいのです。 善意にあふれているのです。
すれ違う人のにっこりのあいさつ。 大きな帽子かぶってたら ナイスハット
何所で買ったの? 地下鉄アイスクリーム舐めてる人と目があったら
Do you want a bite? おい!どろり舐め終わりそうなアイスクリームじゃあないか。
田舎のバス乗り込んだら 幼稚園生くらいのリトルボーイすっくと立ちあがり
席ゆずってくれましたよ。 レイディ・ファースト ここまで!
昔話なんですけどね。
まあね 外国人暮らし 毛が500本抜け落ちるような 1000本一挙に失うような
強烈な経験もあったのだけど・・・・
暖かい思い出 感謝の思い出 いっぱい抱えています。
インバウンドさん 迷ってらしたら声かけしよう 思っていたはずなのに
英語は遠く遠く 元気そうな問題なしのインバウンドさんばかり。
もう英語・声出すなんて忘れちゃってました・・・
ちょっと面目なく ちょっと残念で
あのお…ごめんなさいねの出合いでした。
***
不思議に思うこと:人類 ひとつでしょ。 ひとつから広がり
繁殖・散らばっていっただけでしょ。 この地球あちこちに。
一種類の人類 ちょっと広がっただけなのに 言葉が違う!
海で隔離されてなくても 山脈で隔離されてなくても ほんのお隣さんなのに
言葉が違う! これはなんなの?
それに誰もひとつにまとめようとは思はないらしいんですよね。
数の力で 権力の力で 利便性の力で なんらかの力で
人類 ひとつの言葉 まとまることあるのでしょうか。
もちろん全員 そんなの嫌だよ! 言うのだと思います。
ごもっともなんだけど 一時期SF小説に凝ってた私としては そんなことでは
人類が遠い未来宇宙に飛び立つ日なんて来ないのではあるまいか・・・
なあんて思いは暴走気味
今日のおもいつき妄想タイムでありました。 とさ。
写真No.143:3/30:桜
桜!桜!桜!
とうとう桜が咲きました ここは満開です
普段は温厚そうに見える日本人が桜の季節には狂います
何を隠そうかく言う私どもも『桜!桜!』とかなり狂います
どうも外国にも桜があるらしいですが これは許せません
すべて斧かなんかで無様にカットダウンすべきです
桜は日本の文化で日本でのみ咲き誇るべきです
ね!言いましたでしょう。
桜を見ると私どももかなり狂うと!
そろそろ落ち着きましょう 温厚な日本人になりましょう
それにしても きれいな桜ですね〜
桜は咲く時期もいいですよね
早く咲いて3月末ならば卒業シーズンです.
桜の花びらが散るように友と別れ学校を去って行きます
はてはて 別れた友はなにをしていることやら!
多幸を祈っています(手遅れか)
4月末に咲けば入学式や入社式を飾ります
華やかな桜の花に見守られながら新しい門出を祝います
はてはて どんな人生が待っていることやら!
多幸を祈りましょう
桜は3月に咲いても4月に咲いても大きいイベントが待っています
春の初めに咲いて皆に愛されてラッキーな花なんですが
花期が余り長くありません 三日見ぬ間の桜かな です
儚(はかな)いのです
しかし いつまでも咲き続けると飽きられますから
惜しまれながら さっさと散って行くのが 一番良いのでしょう
ちなみに私は『いや』ですよ
いつまでも散らないで太い枝にしがみついていたいです
春スタート 花探しの章
梅:いかにも可愛い蕾発見。咲くぞ咲くぞのじらし作戦
それもそれで可愛かったよ。開花見届けたところでやれやれの疲労感
満開の梅林 そうだろうね…の横目通過 まあね
杏(あんず)の花: 梅に続く春の花 にっこり笑顔で出会う花
今年の植物園 充実してきた若木
最後の力と頑張りを見せて花咲かせてる老木と並んで
全身この世の春っと輝いていました。
春の暖かさ春の素直な喜び 何時も感じさせてくれる杏の花
共感いっぱい。
さくら 桜 っと続く・・・
割って入ってきたのが 桃の花:
今日の今日まで桃の花は桜の後に咲きだすのだと思い込んでいました。
意外にお付き合いの薄かった桃の花 出会いがしら・圧倒されました。
なんと華のある 可愛いを超えているではありませんか
モモの節句あでやかさを取り仕切る華・花 むむ ごもっとも
桃の花 お雛様の時期と・・・はてな? むむ 謎の花
さあさあさあ 日本の皆さん
うち揃って たが外しての お待ちかねの 桜のシーズンですよ。
皆さん 目つき変ってますね 身体の動きも異常です
大声の感嘆符大丈夫ですか
うふふのふ 桜観るのも良いんだけれど
日本人観察 実り多い時期だとも思いますよ。
朱に交われば赤くなる 群れに入れば群れに倣う とかなんとか
ここは我ら日本人であるぞー! 揺さぶられる心根 素直に発揮
さて 桜満開 満喫に レッツゴー!
少し嘘です。 エネルギー不足です。
いつもの散歩道 川向うに二本の寄り添う桜木 優し気な佇まい
去年見つけました。 会いに行けたらわたしのこの春の桜見物
ハッピーエンド 完結終了なのだと思います。
写真No.139:3/2:クリスマスローズ
これを書いているのは3月19日の朝です
予定では週末の3月21日から書き始めるはずでした
何故こんなに早い時期に書いているかを説明します
まず今週の写真はクリスマスローズと決めていました と言うのも
居間のソファに座って横を見ると庭にクリスマスローズが見えて満開だったからです
余りに可憐に咲いているので同居人さんにお願いしてこの写真を撮っていただきました
ところが、本日(二日後)朝起きるとまもなく牡丹雪が降り始めたのです
2時間経った今も降り続いていますので だいぶ積もってきました
2階の掃き出し窓から見ると辺り一面真っ白です
そして白いクリスマスローズは雪と交じっていてその存在が分かりません
3時間にわたって3月の雪が降りましたが ようやく雪から雨に変わりました
そして白いクリスマスローズが再びその姿を現しました
家でパスタのお昼を頂いて さあ!散歩と家から外に出ましたが まだ雨です.
うーん!困った!今日は散歩なしの一日か!と血中ドーパミン濃度をさげています
しかし考えてみればこの時期は卒業式シーズンなので振り袖の卒業生とかは大変です
それにしてもどうして最近の学生達は卒業式とかに出席するのでしょうね?
我々のころは出ないのも結構いたように思います
特に雨や雪が降ったら出ないで家で貴重な時間を使ったと思います
貴重になにをしていたかって?
それは今と同じで本を読んでいました
変わったのは
昔は 人生について 考えるために本を読みました
例えば人生を なぜ どのように 生きるべきか考えていました
今は人生を楽しむためにkindleを喜んで読んでいます
それが若き頃に数年間一生懸命考えて得た結論でもあるからです
クリスマスローズも居間の横で毎日見てもらえて嬉しかろう!
花の一生もかくあるのが望ましい
人の一生もかくあるのが望ましい
冬の庭 花を求めてジタバタするのはもう止めました。
常緑で過ごす者たちが仲間 枯れ葉枯れ枝処理したりするのみ
庭もわたしも休憩タイムとしています。
3月にはそれでもいろいろ芽吹きはじめ・・・ふむふむ思っていたら
クリスマスローズの咲く季節となっていました。
日陰気味の庭 ほんとにクリスマスローズ植えておいてよかったなあ
毎年驚きと感謝。 明るい色 大きな花 広がり気味の花株姿
クリスマスローズあちこち咲いてるだけでしっかり庭が出来上がってる!
クリスマスローズ 和風ではないような
ガーデニングブームと西洋かぶれ 勢いで人気となり出回るようになったような
わたしも そのかぶれの一人です。
貴方の庭が日陰気味の庭ならば お薦めしたい花ですよ。
貴方の庭が十年、二十年見つめる庭ならば こぼれだねでじわじわじっくり増えますよ。
貴方の庭 細長いとかあっちとこっちの庭ならば あっちでもこっちででも活躍ですよ。
貴方の庭 日向の庭ならば・狭い庭ならば クリスマスローズはあきらめて
一年草でがんがんいくのが とっかえひっかえ季節ごと年ごとのチャレンジが似合うのでは?
ガーデニングブーム・西洋かぶれ(ごめんね)の名残のように
狭い日向の庭に植えこまれてしまったクリスマスローズ 少し違和感おぼえてしまうようです。
クリスマスローズは植木鉢に咲かせて目立たせるタイミングはかり
貴重な庭スペースはもっと自由のスペースに出来るのになああ
日向の庭 狭い庭にクリスマスローズはいらないかもよ
日陰気味の庭の特権
クリスマスローズとニオイスミレに始まって イカリソウ、スノーフレーク、ハナニラの季節へ
斑入りナルコユリ イングリッシュブルーベル しらゆきげし ゆきのした・・・
季節は続いていくのでしょう・・・楽しみです。
生きてるっていいことですねえ
思えば 宿根草ばかりですね いつのまにかそうなっていったようです。
思えば 日陰気味の庭を一年草でつくるプラン・・・面白そうですねえ
私にはもう時間がない!誰かチャレンジしてみて!!見せて!!!
見たい!!!!!
写真No.141:3/16:菜の花
この写真のような包装紙を見たことがあります
緑の背景に一面に咲く黄色い花の図柄です
欧米のチョコレート屋さんだったか それとも服飾雑貨だったか...。
目立ったので覚えているくらいですからデザインとしては成功と言えるかもしれません
ブランド名は忘れましたが どちらしろ有名な高級品を売っているはずです
私どもは見栄を張るためにお金を使うのは嫌いですが
有名ブランドの製品は高品質であることが多いようです
例えば,数十年前に結婚祝いのお返しにブランドものの湯上がりタオルを頂いたのですが
このタオルを最近まで使っていました 使われていた糸が高品質だったのでしょう
スーパーで購入した1000円タオルであれば1年でつかえなくなるのではないかと思います
とは言え問題は価格でしょう 1000円の品質のタオルは1000円で買えますが
品質やコストが3倍3000円の高級ブランドタオルは例えば2万円するのです
その差17000円はどこに?
これはブランド料金でこのブランド会社社長さんのドンペリ代やフェラーリ購入資金となります
スーパーの1000円タオルと2万円のブランドタオルしか売ってなかったら選択に悩むかもしれません
1000円タオルを20年間毎年買い続けるのと2万円タオルを20年使うのは支出的にはほぼ同じですからね
現実はよくしたものでそんな選択をしなくても2000円の品質のものが5000円で売られたりしています
自動車の価格も似たような感じです
見栄っ張りのリッチな人はベンツとかBMWとかアウディとか購入されると思いますが
アメリカの雑誌などによれば購入に値する車のランキングでは日本の車が常に上位にあります
値段はベンツなどの半分以下か1/3以下です
なぜ高価なベンツなどを購入する人がいるのでしょう やはり見栄代に数百万円支払うのでしょうか
と書いたものの 超リッチな人は他にお金を使う方法がないのかもしれません
せっかく稼いだ大量のお金を何かに使わないと意味がありませんからね
何を隠そう私どももチョコレートは明治ではなくてゴディバを購入することがあります
特にゴディバのチョコレートアイスクリームは止められません おいしいです
ハー○ゲン△ッツなんて目じゃありません ハハハ!
田舎のごちそう研究所 所長さんの面白げな名刺届きました
故郷の海は遠浅の浜辺
貝類の棲息に合っていたらしく たくさんの種類・貝殻集めの宝庫
桜貝 めちゃがい 真珠貝 カラス貝 ツメタガイ マテ貝 まんじゅがい
その他大勢 わっさわっさ そして バカ貝
そうなんです 姉に確認しても ああバカ貝だよね…となりました。
ネーミング 気の毒に
バカみたいにありふれた貝殻:背が立つか立たないかの深さの海底
足にがさついた塊の感触 両足でひょいと挟んで簡単に採れるのです。
バカみたいにころがってるだけ バカみたいに簡単に捕まっちゃてる
馬鹿なんだよね っとこんな感じ。
貝殻としては一番普通・親しまれ愛されてる貝殻でもあるのですけどね。
桶いっぱいのバカ貝いただいたことがありました。
バカ貝食べるのか? こんなにたくさんどうしたものか
夕食 バカ貝のてんぷら食べ放題
もう度肝抜かれる美味しさ
貝のもつ旨味 貝らしい食感 歯ごたえの確かさ
てんぷらはバカ貝にかぎるバカ貝はてんぷらに限る
一度食べただけなのに姉と私の一致した確信事項なのです。
大人になってお寿司屋さんに出入りするようになりました。
お寿司ネタケースにおなじみのバカ貝発見 んんん
壁の値段表示 時価という恐ろし気なところに赤貝
町に来るとバカ貝は赤貝となるのか
高価なお寿司のネタになるのか・・・絶句!
もっと大人になってお寿司屋さん赤貝食べるようになりました。
とっても美味しい でもでもこんな値段で食べるものなのか?
天ぷらかき揚げ風食べ放題
なんと豪華・豪快な食べ方だったんだなあ
赤貝は天ぷらに限るよねえ・・・姉と確認し合ったことでした。
これこそ田舎ならではの 田舎のごちそうなのでは
ねえ 研究所所長さん?
生産地千円のタオルが都会で一万円になったの話のつもり
・・・ガガーン!!!・・・
何気なくグーグルでチェックしたら。 私たちのバカ貝は別の名前があって
お寿司屋さんの赤貝とは似て違うものであった。
んんんんんん 知るは喜び 知るは力
知るは。。。。ほっといてくれ!
姉には黙っておこう
故郷の赤貝 故郷のバカ貝 故郷のごちそう 永遠なり
以上 Case Closed
写真No.140:3/9:セキレイ
写真はセキレイと思われます セキレイにしては白い部分が多いですが。
セキレイは鳩や雀に比べれると人になれないようです
宝ヶ池公園でちょいちょい鯉や鳥たちにパンくずをあげるのですが
近寄ってくる鳥は鴨、鳩、鳶、青鷺とカラスくらいです
昨年までは鳶と青鷺は来ていませんでした
だいたい鳶も青鷺も水面に浮くことはできませんので
飛んだまま水面に浮かんだパンくずをすくい取るのですが
鳶は足で青鷺はクチバシで器用に小さいパン(1cm四方程度)を取ります
見ていてまことにご苦労さんなことです
その点鳩は目前の手すりの上に乗ってあわよくば袋から直接食べようとします
カラスは投げ終わって誰も居なくなったころにおこぼれを求めてやってきます
それぞれの生き方に応じて食べるわけです
この写真のセキレイはまだ産毛が残っている幼鳥ではないかと思われます
幼鳥ゆえにまだ人間をそれほど怖がっていません
なにせ我々が陣取っているテーブルの横のテーブルでこの姿でじっとしていました
もしからしたら巣にいるときの恰好をしているのかも...。
捕まえられそうな感じで小鳥にしては極めて不用心でありました
鳥でも猫でも犬でも人でも幼い頃 誰とでも友達になれる時期があるような気がします
昔よく行ったスーパーへの通路にある一軒の家が子犬を飼い始めたのですが
子犬のときに友達?になったので成犬になっても友達として遇してくれました
買い物で前の道路を通る度にシッポを振るなどして大喜びしてくれたのです
最近では毎日散歩で通る道に面しても犬がいるのですが
始めて合ったときから成犬であったため友達認定はしてもらえず
毎日冷たい目で眺められるか無視されるかです まあ吠えられはしませんが...。
毎日一応手を振っているのでそのうち「怪しい人認定」されるかもしれません
週一のお楽しみ スタバ・カプチーノタイム
何故なのかなあ 外のテラス席使う人って少数派なのですよね。
少しの暑いのも嫌!少しの寒いのも嫌!雨風湿気嫌!ってことなのかな
ホットコーヒー アイスコーヒー より美味しいと思うのですがね
まあおかげさまで 空席ゆったりまわりの空間占有 贅沢なひととき
行きかう人 遊ぶ子供たち 空を芝生を光を楽しめるのです。
この自由感 解放感 はんぱなし!
今日はなんとセキレイ となりのテーブルでくつろぎのポーズ
ねえ 人間でない生命体がすぐそばにいてくれる
あたりまえの雰囲気でくつろいでくれる
素敵なことだとおもえるのですが
おなじみさんでもない 顔見知りでもない
今があるだけなのに
猫も犬も鹿も亀もミツバチもアマガエルも
そんなひととき一緒に過ごしたことあるような気がします。
人間でない生命体 それでもなんだかお互い感じ合う存在感?
まあ言わば仲間なんだよねえ みんな生きてるんだよねえ
今 このひとときの 共有感 (多分)
今日は鳥 セキレイさんでした。
ああ可愛かった嬉しかった 生きていてよかったなあ
果報者感 はんぱなし!
写真No.139:3/2:ラナンキュラス
写真はラナンキュラスです
『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』とか言いますが
この精神で言えばラナンキュラスの花に該当するのは何かな〜と考えました
その結果 帽子をかぶった西洋の貴婦人の立ち姿 と思えてきました
西洋の貴婦人と言えば最近BBC制作のTVドラマを見ました
これは19世紀の小さい町の高齢〜中年の貴婦人達が主人公でした
この町に汽車が伸びてくることになってこの貴婦人達が反対するわけです
汽車が伸びて駅ができれば町は発展しいろんな変化が起こるでしょう
社会の変化は若者には進歩発展ですが 高齢者には変化は苦痛です
自分の周りに変化が起これば それに対応して新しいことを習得せねばなりません
高齢になると新しいことを習得するのが難しいのです
なんの変化もなく毎日同じことを繰り返すのが高齢者の理想です
しかし現代社会は猛烈に進歩して日々変化しています
例えばコンピュータとかインターネットとかスマホです
ファミレスに行って注文しようとしてもタブレットが置いてあります
食べ終わって勘定を払おうとしてもレジに人がいません 支払い機が置いてあります
ガストに至っては配膳ロボットが料理を運んでくるので
お店に入って食べて出てしまうまで一言も口をきくこともありません
これでは高齢者は尻込みしてこなくなるでしょう
買い物はパソコンで注文すると配達してくれるらしい
スマホを持ってコンビニに行けば現金が引き出せるらしい
支払いは現金でなくてもできるらしい
タクシーはスマホで呼べるらしい
ただしどうすればよいのはわかりません
説明を聞いても耳が遠いのでわかりません
こうなったらなにも分からないふりしてやろう
なにもわからないけれど...。
ロンドン身分不相応な高級ホテル、エレベーター降りたら
ロビーにあふれる・・・ロイヤル主催のアフタヌーンパーティーか?
石油王国一族、マハラジャ御一行、上流貴族様・・・外国映画シーンさながら
百合、芍薬、牡丹、薔薇 りゅうとした燕がひらりひらり
ひっくるめた世界 豪華な世界 すっとんで逃げたのだけど
今にして思えばしっかり見て鑑賞しておけばよかったなああ。
我が国プリンスホテル これは怖くない。
散歩途中お手洗い借りて紅茶ケーキセットで楽しみましょう。
時は卒業式 謝恩会らしいのです。
会場へ向かう振り袖姿のみなさん その美しいこと 感動。
全身の感覚揺さぶられてしまいました。
日本の美 日本の芸術 伝統の迫力
百合、芍薬、牡丹、薔薇 ひっくるめた世界
もっと上を行く豪華な世界だったなああ。 堪能。
私は 日本人なのでした。
さてラナンキュラスさん 負けてないですよね。
どこぞのホテルではなく 庭でその華やぎ楽しませてください。
いやいや苦戦しました。
私の庭、あなたの庭、小さな庭ですよね。
華やかすぎて周りの春の花たちと調和がとれないのでした。
ならばと花株まとめて派手に思い切り輝け!
トホホ なんだかけばけばしいことになってしまいました。
ここはキャバレーショーの舞台ではないのですよ。
恥じて ラナンキュラスさん救出作戦 あっちへ移しこっちに移し…
春も終わる頃 徒長気味の忘れな草にかこまれて
やっと華やかな愛らしいラナンキュラス 楽しそうに笑ってくれたのでした。
ホッ
あなたの庭のラナンキュラス お元気ですか?
チューリップ、パンジー、アネモネ、マーガレット、デージー その他もろもろ
合わない似合わない・・・思いませんか
これぞ成功!そんな庭姿 どうぞ見せてくださいませませ。
写真No.138:2/23:若梅
梅のつぼみが今にも開きそうになっています
京都は寒い日が続きますので梅も咲きそうで なかなか咲きません
北野天満宮の梅祭りは18日頃でした だいぶ昔にその時期に訪れたことがあります
梅林を見るためには入場料が必要でしたが迷ったあげく入ってみると
梅はちらほらと咲いている程度でした が 床机に座っていると
キレイな着物を着た舞妓さんみたいな人がお茶(薄茶)をだしてくれました
今だったらインバウンドで混雑して うっとうしさの限りでしょうが
その当時はさすがの入場料の効果で人はまばらで まあ良かったです
この今にも咲きそうな梅の写真は一週間前に撮ったものです.
そして実は2日前にもこの梅の木の写真を撮りました
この5日間でどうなったと思いますか?
答えは以下の3候補から選んでください.
@ちょっと膨らんだだけでほとんど変わらなかった
A梅の木のあっちこっちでちらほら開花していた
B満開で梅の木全体が輝いていた
この梅の木は花が八重だったんです
八重の梅はあんまり見たことがなかったので その優雅さにちょっと圧倒されました
梅の花は「私は寒さに耐えている」と言っているような簡素な姿と思っていましたが
こんな華麗な種類もあるのですね
上の質問の答えは下の写真ようにBです
たったの5日で満開になっていました
こんなに早い時期で満開はおかしいと思われた「あなた!」
あなたの感覚は正しいです.
この梅の木は温室の中にあったのです.
車無しの生活は良いのですが、後期高齢生存者といたしましては
行動半径が狭く・固まってきたようです。
決まってしまったいくつかのパターン。
それを楽しくきっちりとやり遂げる毎日の充実感。
良いのだと思います。これこそが大切なことなのだとも思っています。
ふっ 春の予感
このままでいいのかな 何かやれること 何かしたいこと 何かあるのかな
気持ちと身体を連れて行ってくれる何かあるのかな あるのだろうか
何かあるのかな・・・
春 始まりを感じさせる季節の存在 良いものですね。
生活のパターン変らないとしても、きっとフレッシュな風が吹いて
新たに見つけるニュアンスの数々・・・楽しめそうですよね。
寒空の下 つぼみ膨らませ・花弁のぞかせたまま
咲くぞ咲くぞと見せつけ続けること一か月。
梅林のつぼみさん
さあ あなたの春がやって来たようですよ。
それっ 咲けー!
春 嬉しくもありがたい 春
春 かならずやってくる 春
写真No.137:2/16:種殻
百合の種殻(たねがら)です.
知らない方もおられると思いますが これはかって種が入っていた袋のようなものです.
中にあった種は風とともにいずこかに行ってしまいましたが袋である殻はまだ残っています
枯れ木も山の賑わいと言いますから種殻にも風情があると思う人が居ても不思議ではありません
私も風景的には種殻も悪くないと思うのですが 世間的には問題は役に立つかでしょう
空になった種殻はもうなんの役にも立たないと思われますがこれは身につまされます
自然界は残酷ですから この種殻もまもなく風に吹かれて
どこかに飛んでいって地面に落ちて誰かの靴に踏まれて粉々になると思われます
子孫を残しに遡上して来たサーモンは筋子をばらまいた後は
抵抗力がなくなってしまって体中カビだらけになってしまうと聞きました
言っときますが そんなのはイヤですよ
若い頃にカミュさんなどが主張した実存主義について考えたことがあります
いろんな人がいろんなことを言っていると思いますが
私の思っている実存主義は
神様の助けはいらない
人生に目的がある必要はない
各個人が日々を充実してドーパミンと共に生きれば良い
と言っているようでした
この解釈が正しければ実は最近の私どもの生き方こそ
実存主義を体現しているのではないかと思わないでもありません
そうか 最近の散歩ばかりしている人生は実存主義的なのか?
なんちゅうわけのわからん恐れ多いことを言っているのでしょうか
反省しなさいと配偶者さんに怒られそうですが
種が飛んでいって空になってしまった種殻は不条理な存在ですから
やっぱり実存主義的ですな〜
そう思って機嫌良く暮らしましょう
なんとこの散歩と居眠り三昧の生活が 実存主義的な生き方どすて!
まあすべてものは言いようですしね。 気に入りました。
胸張ってああなんと実存主義的であることよの感嘆符と共に過ごそうと思います。
行くぞお散歩 やり抜くぞ居眠り三昧。
そうですか 種殻は不条理なのですか。
私は根っからの不条理愛好家・収集家です。
断捨離迫られるお年ごろ
一番つらく難航するのが 集めてしまった不条理の数々
種殻、木の実、枯れ枝、鳥の巣、鳥の羽、貝殻、ガラス片、石、流木
捨てられない・・・庭にばらまいたら
ああ捨てがたしと再採集する羽目に。
これはウバユリの種殻です。
きれいだなあ 好きだなあ
びっしり詰まってた小さな薄い種 一枚残らず飛ばしてしまって
お役目完了 お見事
花眺めるのももちろん好きだけど花は移ろいゆく途中・儚い一瞬
なぜか心落ち着かず、見定めることができません。
目と心がぶれて集中力欠けてしまうようです。
嬉しさに浮かれて夢心地とか言い訳しながら
何時もすこうし疲れるの感
何かの名残り達なのかな
しっかりの存在・確かな手触りで見ることを許してくれるのです。
眺め眺め・さすりさすり
勝手に思いを馳せることを許してくれるのです。
不条理たちは会話続けることのできる友達みたいな感じかなあ。
不条理の名残りを愛で 実存主義的に生きる日々
若き日の我らが見たら
アハハハハ 高笑いしてくれるのでしょうか!?!?
写真No.136:2/9:寒梅つぼみ
寒梅のつぼみです 今まさに咲かんとしています
この写真を撮ったのが4日前ですので現在は咲いていると思われます.
植物園に飛んで行きたいところですが 今日は家の周りは雪が積もっています
今シーズン2回目の積雪です 数センチですが...
というわけで 写真はまさに寒梅のつぼみなのです.
ちょっと前までは雪が積もればメチャ喜んで
それ散歩だ!ドライブだ!と騒いでいたものですが
今は車はありませんし散歩は滑って転倒する恐れがあります
と言うわけで昔と違って雪が積もると外に出るかどうかを迷うようになってしまいました
家の周り北側と東側には幅2m〜3mほどの庭があってキンモクセイなどが植わっています
そこに雪が積もって居間からでもちょっとした雪景色が楽しめます
家の南側には5m×4mほどの庭があって真ん中にケヤキが植わっています
この小さい庭は 秘密の花園 みたいで雪景色もなかなか良いのです.
自宅のあっちこっちの窓からも雪は楽しめるのすでが
午後からは近くの神社まで散歩に出かけることにいたします
というのも2階の掃き出し窓から外を眺めると犬散歩の人たちが数名おられましたので
これなら外出しても大丈夫と思われるからです.
年とともに次第に用心深くなってしまって安全第一の精神がはびこる我が家ですが
今日は頑張ります
さて神社への散歩から帰宅いたしました。
日は照っているし風はないしとても快適でした
神社は徒歩で往復20分程度ですが境内に座るところがあり休憩しますので30分程度の散歩です.
境内の雪の深さは10cmほどありましたのでちょっと雪合戦をいたしました
家から神社の間の道路では雪達磨が一つもないのに驚きました
雪合戦はあっちこっちで子供たちがやっていましたが...。
雪とけて村いっぱいのこどもかな
一茶さんらしなあ 雪国なのでしょうね
子供たちのはしゃぎ聞こえてきませんか。
雪降って村いっぱいのこどもかな
わが故郷は降ってもせいぜいあられ…の地方
雪降ろうものなら数センチでも積もろうものなら
村いっぱいの子供かなっとなったものです。
雪とけても 雪降っても
子供たちはいつも楽しいんだね。
思い出の中 雪の世界 子供たちはいつもはしゃいでる
さてさてご町内 子供の姿見ること少なくなってきました。
集団登校(可哀そうに!) お友達誘い合い(わあ懐かしい)
幼い友情離れがたしの立ち話(だよねだよね)
なんだかふいっと全てが消えてしまった感じ。
希少・貴重な情景:家の前でいつも幼い兄弟遊んでた。
お兄ちゃんは学校へ 弟ひとり遊びが寂しそうだな…そして弟も小学一年生
もう誰もいない道 静かな道
なんだかさみしい
もう雪でもガンガン降っていただいて・どんどこ降っていただいて
どこぞにすっこんでしまった子供たち引きずり出していただきたいものです。
雪が降って 雪が積もって 雪が溶けて
もうみんな大人の顔をしてる・・・してるんでしょうね
まっ 人生 仕方ないのかな
セ・ラ・ヴィ セ・ラ・ヴィ
雪景色はいつも晴やかそして静かな佇まい
好きです
写真No.135:2/2:宝ヶ池公園
毎週出かける宝ヶ池公園の北西のコーナーから撮った写真です.
なかなか良いでしょう。
小さい池と四阿(あずまや)があってメタセコイヤがあって遠景に山があって 言うことなしです.
1年ほど前には ここで池の周りを一周できないようなことを書きましたが
ちょっと心配しすぎでした。余裕?で一周しています。
しかしあまり歩きすぎると帰宅してからコックリしてしまって時間が無駄になってしまいます
この公園は我が家からは歩くと小一時間かかりますのでタクシーかバスで行き帰りします.
タクシーはインフル感染を避けるためもありますが散歩時にドーパミンを出すためでもあります
なんと言ってもタクシー代は高いですので乗るだけで逆上気味で興奮しドーパミンが出ますので
公園に到着して散歩を始めるときには意気軒昂でドーパミンがあっちこっちから溢れ出るほど
元気になっています。それで池も一周できるのです.
「タクシー代使ったんだ!一周するぞ〜」の精神です
公園に行く前に駅の近くで昼食を取ることもありますが そのときにはカプチーノを頂きますので
散歩時にはカフェインとドーパミンの相乗効果もあって2人とも明るく元気に大声でしゃべります
まあ 普段は物静か?なので たまには良いのではないでしょうか
ちなみに帰りは高揚した気分を普通に戻すためにもバスを利用しています
帰るのは真っ昼間なので このバスはだいたいはガラガラです.
以前は行くときもバスでしたが 午前中のバスはげき混みで通路も人で塞がっていました
2人とも膝腰のために杖を2本使ってますので満員バスを降りるのはかなり大変です
バスがこんなに混むようになったのはどうもバス運転手さんが足りなくて便数が減ったためらしい
その後新しい運転手さんが入社されたようで このごろのバスは運転が乱暴でハラハラします.
便数は減ったままですが...。
今日は土曜日ですので散歩は家から始めます。八幡神社か運動公園までのどちらかの予定です.
その前にボンゴレロッソとコーヒーを頂きます。
パスタと頂くコーヒーが最近の我が家の楽しみのひとつです.おいしいですよ.
ここは散歩の最終スポット やれやれどっこいしょベンチ座り込む場所
最後のカフェイン・ドーパミン使い切って?のバカ話だけでなく
目を閉じ 深呼吸 心が開くスポットなのです。
三方を低い山・丘に囲まれた突き当り
何時も日陰となるメタセコイアの下のベンチで日を浴びた正面の山眺めます。
山を背にメタセコイアを眺めるベンチ そして今日は池を眺めるベンチ
前にも少し書いたようにも思うのですが
不思議なスポットなのです。
今日の写真に またまた思い知らされています。
ここにやってくると 今の時間が消える?ようなのです。
メタセコイアのせい?太古の時にいるような
陽だまりの木々の揺れ 時間が揺れて迷い込んでいるような
池の景色には旧い古い絵画 コローという方の描かれた風景画の中に入り込んだような
全身で浸る懐かしさ
いつかいたことがある いつかこの一部分であった という感覚・鑑賞・感傷
未来ではありません いつか・過去 なのです。
あまりに遠いいつか は 語ることでもなく ささいなエピソードすら関係なく
ありのままのいつか 静かな存在のようです。
この平穏感 不思議です。
ハイ Time is up. 2025年2月でーす。
手摺りにしがみついてよじ登る階段クリアして
家路までのエネルギー分配計算しつつバス停へ
居間にもどって行くことのかけがいのない嬉しさよ
御茶タイム そして 居眠りタイム(わたしの場合)
良い一日なのでした。
写真No.134:01/26:カンタブリクス
ちょっと長い名前の花です.
なんと真冬に咲きます。京都であれば1月中咲きます
水仙のようですが もっと小さくて愛らしいです
だいぶ昔 冬の越前によく車で行ったのですが
海岸沿いの丘に水仙がいっぱい咲いていました
とは言え1月に行っても手遅れで咲いた後の水仙しか見れませんでした
早咲きの水仙なんですね。詳しいことは配偶者さんからお聞きください.
京都植物園では いまだ水仙は見れません
と言うか このカンタブリスク以外には ほとんど花は咲いていません
パンジーとかが植えてあって咲いていますが 寒さに凍えて縮かんでいます
2月になれば「早春の草花」とか言う名の温室でいろんな花が展示されますが
それまではカンタブリスクが女王的存在です.
一方で葉を付けていない巨木も見物です.
春から夏秋の間は緑の葉っぱで隠れていますが冬には巨木の真の姿?を表します
幹と枝だけですが これがなかなか迫力があります
寒いですが近くの公園でよいですから 裸の落葉樹を見に行ってください
ただし巨木の全体像を見れるようにある程度離れてください.
たぶん感心していただけると思います
ああ でもそんな広い公園は家の近くにはありませんよね
残念でした
でも 冬の楽しみは他にもいろいろあります
暖かい炬燵に寝っ転がってミカンを食べ昼寝でもしてください
考えただけで良さそうです
残念ながら我が家には炬燵がありません
長椅子で寝そべって紅茶でチョコレートでもいただきます
あれれ バトン渡されてるようですね
一月に咲く花: スノーフレーク、和風水仙、蝋梅(ロウバイ)、カンタブリクス
そして我が愛してやまぬイオノプシディウム。 山茶花もまだ咲いてますね。
真冬に花の欲しい方 間違いなく喜んでくださるのではないでしょうか。
アッそれに高砂百合もこっそり・・・なんとわが庭二年続けて2月にも咲くようですよ!
地方にもよるでしょうし 年間季節の異常?も関係してくるのでしょうが
12月、1月、2月 冬だあ嫌だああの隙間
冬こそ我が時なのだとの喜びを知らしめてくれる花達ではないでしょうか。
皆に心して見つめてもらえる・愛される花達 その有資格者の花たちなのでは?
なんとこの1−2月・冬の季節 もしかして一番好きなのかもしれません。
花よ蝶よから解放されている季節
山々の 公園の 落葉樹 枯れ木も山の賑わいのたたずまい
夢中で好きです。
なにもないので すべてがある。 お終いの姿は 始まりの姿。 寒さのなかの温かさ。
とりあえず すべてが静かに佇んでいる。
過酷な季節?いえいえ途方もなく平和の季節 自由の季節
深呼吸の季節です。
あはは ちべたいのは嫌ですよね
温かい部屋で(電気代が!)だらけきって お茶に三幸製菓のぱりんこ(塩味おせんべいです)
紅茶に不二家のチョコだらけ(パイなんだそうです)
くだらない・つらい・おもしろい youtube 堪能した後で
アニメ 葬送のフリーレンを見て 心すがすがしくリフレッシュ
われらの冬の楽しい一日は終わっていくようです・・・めでたし
写真No.133:01/19:カイドウ
木にぶら下がっていた名札によればカイドウの一種の実と言うことになるのですが
ググると春に咲くと書いてありましたので 初冬に実が残っているはずがありません
今は定かではありませんがそのうちあるいは春になって花が咲けば分かるでしょう
花としてのカイドウには連想できるものが何もありません
まあ どんな花かも知らないのですから当然です
植物園では桜林に隣接して植えてありますので 桜の一種と思ったかもしれません
南側の桜と北側の杏(あんず)はどちらも華やかで その狭間で咲くはずです
この狭間では初春にはたんぽぽが いっぱい いっぱい 咲きますが
たんぽぽをわざわざ見に来る人もいませんので いつも閑散とした地域なのです.
数年前には この地域にテーブル1個と椅子が数脚置いてありましたので
お昼時には 数名のグループが良く来ていました
私どもも椅子に釣られて良く来ました
ちょっと椅子を移動すると小さいですが池を見ることができました
何故か人は池や湖や海といった水の景色を見るのを好むようです
人類は海水中から生まれたらしいので故郷が懐かしいのではないかと思っています
海から陸に上がることで著しい進歩をとげたのですが
その代償として海中時代のような安全を失ったので
水がたまったところの近くに居ると安心出来るのかもしれません
なにを隠そう私どもも池や湖や海を眺めるのが大好きであります
ちょっと前?には若狭湾にある河野海岸をよく訪れました
海はいいですね
岩に腰掛けて繰り返しやって来る大波小波を飽きもせずに見ていたものです
当時の私どもにとっては京都から若狭湾にいたる道は海にいたる道であった訳です.
赤い実をつけたカイドウ見つけました。名札によるとミカイドウ。
カイドウ、街道、若狭街道、そして河野海岸へ、海へと…辿ったのですね。
若狭、河野海岸の海は北に広がる海です。
太陽を背に北に水平線を見つめる海。思っただけで私の思いは故郷の海へ
懐かしい家路へ・・・跳ぶでした。
子供部屋の前,縁側のすぐ横に小学生の丈未満、小ぶりの木があったのです。
おかあさんの語ったこと:
これは花海棠と言って春に綺麗な花が咲く木なんだけどねえ
全然咲かなくなっちゃったなあ
十九でなんにも知らない子供のまんまで結婚、東京の空思って涙ぐんでたんだけど
そのときこの花が咲いていて まあこんなところにこんな綺麗な花が咲いている
びっくりしたんだけど・・・咲かなくなっちゃったなあ
そうなんです: 花咲いたことなかったような? それでも感じ良い小ぶりの木
花海棠
遊びまくり走りまくった縁側の思い出にぴったり寄り添っている木なのです。
今の家に引っ越してきた時 木を植える場所ありました。
庭の花、庭の木 好きに選んで良いのでした。
花海棠 ずいぶん迷い悩みました。取り入れなかったのです。
花海棠 見たことありません。見たい、咲かせたい
こんな綺麗な花だったんだねえ…おかあさんとの会話の続き…思い馳せたかったようです。
採用しないことにしました。
なんだか 花海棠 おかあさんの大切な花のまま・・・にしておきたかったようです。
今日植物園で見つけたのは ミカイドウ、ノカイドウ 花海棠ではありませんね。
春 どんな花咲かせるのでしょうか。
子供部屋の前 遊び回り走り回った縁側に座って 母と子
どんな会話続くのでしょうかね。
老化現象そのものですね。 思い出話。 感傷話。 メロメロですね。
まあ自然現象ということで まあ嬉しがっているので
ご容赦のほどよろしくお願いいたします。
写真No.132:01/12:金魚草
まだ20歳代の頃に住んでいたアパートの通路を花壇にしたことがあります
いろんな花を植えましたがその一つが黄色い金魚草でした
初春に植えたのですが これが晩秋まで10ヶ月ほど咲き続けました
春には「キレイな花だなー!」と思って見てましたが
秋には「まだ咲いている!」と変化しました.
美しいものでも 見飽きる と言うことです
タワーマンションの最上階の景色も同じで三日も見れば感激しなくなります
美男美女も同じで1年も一緒に暮らせば見慣れて何とも思わなくなります
金魚草の場合には秋になっても咲いているので 次の花の場所が空かず
「いいかげんにしてくれ」と思ったほどです
要するに人を楽しませ続けるには景色でも花壇でも変化が必要なようです
多くの場合に人はいろんな場所に行っていろんな景色を楽しむのを喜ぶし
花壇には季節毎にいろいろな花を咲かせます
まあ配偶者については取っ替え引っ替えする訳にはゆきませんので
我慢していただくか経年変化を楽しんでいただくことになりますが...。
どう間違っても駅近タワーマンションの最上階を買ったりしてはいけません
ダウンタウンの景色にあこがれて入居しても直ぐに飽きてしまいます
国内のさまざまな景勝地に行きましたが ほとんどのところは
一度目に感激しても二度目には「なんで感激したんかいな?」と思ってしまいます.
住居となれば毎日見るのですから たいていの眺めは直ぐに飽きてしまい
「なんでこんな所に引っ越ししたんかいな?」となってしまいます
それでも高い所からの眺望は魅力的に思えますよね。
その場合には高層ホテルに行って高層階スイートに泊まってください.
一泊だったらスバラシイ眺望に飽きる前に部屋から出てしまいますので
いつまでも よかった!よかった! と思うことができます
・・・という訳で金魚草わが庭では敬遠されてるのかな。
気の毒に 良い花なのですよ。
種類も豊富、品種改良もあって 可憐な低性タイプ
広がり花壇のメインカラー受け持つタイプ 背が高く豪華に主人公タイプ
四季を通して金魚草だけでの庭可能だと思います。
まあ お腹いっぱい・・・なるかもですが。
金魚、金魚鉢 旧い懐かしい時代を演出するのにぴったり
皆の、たぶん人生後半期に入っている方の記憶のアルバムの何処かに潜んでる
フランスでも
パン屋のおやじさんに愛され 皆に 国中の人に愛された金魚さんがいたようですよ。
王子さまのように大切にされ 元気にはねて ごきげん如何のご挨拶
愛されて 愛されて
今は天国で しっぽの生えた天使なのだそうですよ!
フランスの民謡、童謡・・・探してみてください。
わたし歌えるんだぞ。 下宿隣部屋の信ちゃんに教えてもらいました。
極楽とんぼが ツイー ツイー 良いなあと思っていたけれど
極楽きんぎょが フリフリ の フルーリー
むむ 捨てがたし
***おまけ***
金魚草見つけたら 花のつけねの部分
指で挟んで軽く押してみてください。
金魚 お口パックン開けて・・・・可愛いですよ!
写真No.131:1/5:比叡山
新年です.今年最初のイメージは比叡山です.
植物園が年末から1週間休園しますので昨年撮った写真の中から選びました
京都市内の北の方面に住んでいるとほぼどこからでも比叡山が見えます
これは宝ヶ池公園の東南にある駐車場横の休憩所から撮った写真です.
この写真では比叡山はかっこよい立派な山に見えますが
2kmほど北に行って見ると地面がちょっふくらんだ裏山か低い丘に見えます
ところが車で東に向かい比叡山を超えて大津に行って見ると
コブが二つ並んだラクダの背中のように見えて京都から見る山とはまったく違って見えます
京都から見える山の後ろにもう一つ山(奥比叡)があるのですが京都からは見えないのです.
同じ一つの山でも見る場所によってまったく違って見えるわけです.
これは比叡山の場合でたぶん富士山はどこから見てもあのかっこよい姿だと思います.
たぶんと書いたのは富士山を見たのは
南西の静岡、南の伊豆、東の東京、北西の車山高原
だからです.北から見たこともあるような気がしますが 今は思い出せません
と言うわけで 富士山は北以外からは 見ましたが
どこから見てもほぼ同じ富士山の形でした.
同じ山でも 比叡山のように見る場所で形が異なるタイプと
富士山のようにどこから見てもほぼ同じ形のタイプがあるようです
たぶん人に当てはめても同じようなことが言えるかもしれませんが
人の場合には 見る人が知人友人か家族か同僚か上司かによって評価が異なるのが普通でしょう
例えば,誰からも好かれる好人物と言われる人が居たとしましょう
知人友人・家族・同僚・上司の全員が「あいつはいいやつだ!」と言うのです.
私の長い(長いのです!)人生経験は「それは実にアヤシイ」と私に訴えるでしょう
その長い人生経験は私に 人間には良い面もあれば悪い面もある と教えてくれます
100%良い人もいないし100%悪い人もいないのです.
また、なにが良くてなにが悪いかの判断は人によって異なります
ある人から見ると良い性格も他の人から見ると悪い性格になるのです.
積極的に行動する人は厚かましい人
おとなしい人は消極的な人
となります
というわけで周りのすべての人に好まれようとするのは虚しい努力です
自分らしく生きるのが一番良いと思います
あれれ!今日は説教調になりました ご容赦ください
京都は盆地 なだらかな低い山に囲まれている地形
そこにただひとつツンと澄まして主人公張ってるのが比叡山です。
どこからでも見え、自分の立ち位置確認できる山
季節に日々の生活に並走者みたいな存在です。
京都・比叡山 ひとつの山と共に生きていくというのも
なかなか味のあるよいものだなあと思っています。
富士の山と共に…これまたまた特別感あって良さそうだなあ。
この人生期間では叶わなかったけど
鹿児島・桜島と共に生きるのも良いだろうなあ。
海から生まれてきたような、海と一つになっての山姿・桜島
なんと煙まで吐いての舐めたらいかんの貫禄付き
鹿児島の方たち 日々桜島眺め・感じて暮らしてらっしゃるのでしょうね。
羨ましいというのではないのですが・・・んんん良いなああ
比叡山と共に生きた人
富士山と共に生きた人
桜島と共に生きた人
どうなんだろう 山によってそこに住む人の個性?心情?変える力?
あったりなんかして・・・
何処ぞにあると聞く阿多多羅山
その山の上に広がる空 それが自分の空なのだと恋焦がれ
駄々をこねた方がいたようです。
智恵子さん 阿多多羅山と共に生きた方なのでしょうね。
エール送りたい気持ちです。
写真No.130:12/29:もみじ落ち葉道
紅葉したもみじの落ち葉でいっぱいの細い道です.
もみじは木にあるときも 落ちてからも人の目を楽しませてくれます
春、5月には新しい葉っぱがニョキニョキと成長してきます
新緑のもみじ林は明るい感じで気分も明るくなります
5月の晴れた日に真如堂の裏の階段を上ってゆくと 新緑のもみじ林が見れます
思わずドーパミンが奔出するほどの明るい緑です.
もみじは6月から10月まで半年の間 炭酸同化作用で酸素を生み出してくれます
秋になって寒くなってくると もみじの葉っぱは赤茶色に変化します
もみじですから真っ赤になることもあります
今度は紅葉で人の目を楽しませてくれるわけです
運良く深紅のもみじに囲まれるような状況になれば最高です.ドーパミンものです.
そして最後は写真のように落ち葉となって道にあふれます
落ち葉でいっぱいの道をシャワシャワと歩くのも晩秋の風物詩の一つです.
ビューティフル・ガールズと言う映画でまだ子供のナタリーポートマンが
積もった雪の上をジャンプして「快感!」と言うシーンがあるのですが
あれも雪がシャワシャワと音をたてるのが嬉しかったのではないかと思います.
映画ではシャワシャワを喜ぶのは子供っぽいと思わせたたかったのでしょうが
そしてその通りだと思うのですが
それでも私どもは 秋の落ち葉シャワシャワの快感は止められないのです.
健康のため歩き回らねばなりません どうせ歩くのなら楽しく歩くのが良いです.
落ち葉シャワシャワがドーパミンを出してくれるなら万々歳です.
もみじは各季節で 私どもを楽しませてくれるのです.
道 歩いてきた道 歩かなかった道 分かれ道
そこに選択の瞬間 あったのでしょうか あったのでしょうね。
あの時その時の自分 思い起こす時
胸いっぱいの恥ずかしさ愚かしさ穴があったら...
でもね不思議なんです
その続きにある今 現実に何の不満もないのです。 何故なんだろう。
現実肯定主義者なのかなあ まあ 今に満足 今がハッピーなのだから
今に続いているはずのあの時その時があってこその今なのだから
理屈では んんんすべて正解であったのであろう・・・なんちゃって。
ああ この理屈で言えば いつか今・この時を思い起こす時
胸いっぱいの恥・・・・っと穴探すのでしょうよね。
重ね重ねて歩く道 いいものです。
ここは紅葉の季節にやってくる道です。 まだかまだか
頭上をながめ 周りをながめ 足元・道をながめます。秋の小径です。
ここだけで 秋 満足 しあわせの小径です。
両手に杖の後期高齢生存者 いつも下を見ながら歩くことになります。
秋 落ち葉 時期少しずつずらしながら 色模様つくっていくのです。
こんな形 こんな色 楽しい発見。 今は紅葉が圧倒して全てを覆っています。
お調子にのってはいけません。 石を窪みを小枝を隠した紅葉・落ち葉なのです。
デーン ひっくり返った・・・ わたくしめ なのでありました。
みなさん 老いも若きもですよ お気を付けくださいませ。
写真No.129:12/22:フー
フーの木です.
数年前の台風で壊滅的な影響を受けたのですが ようやくほぼ回復しました.
この威厳がありそうに見える大木が紅葉する風景は珍しいのでちょっと嬉しいです
だいぶ昔ですがニューイングランドに住んでいたとき秋にアーモストに行ったことがあります
アーモストは町中が楓と思われる大木に囲まれていてそれが紅葉していて圧倒されました
ニューイングランドやカナダの圧巻の紅葉や黄葉はyoutubeでも見れます
フーと言えばだいたいの人は英語のwhoを思い浮かべるのではないかと思います.
英語でフーと言えば「誰?」ですが 我が家ではよく「ユーフー」と言います.
英語でyou who?です.これは訳せば 「あんただーれ?」 となると思います.
ユーフーと言うのは 何を隠そうMary Tylor Moore Showで始めて聞いて
その後 不定期な「ご挨拶」のことばとして 我が家で活用されているものです.
元気がない時とかに「ユーフー」と言うと元気な声で「ユーフー」と返ってきます
これは悪くないですよ まあ だまされたと思ってやってみてください
簡単ですが日々をhappyに暮らすための知恵の一つです.
Mary Tylor Moore Showは昔アメリカですごく人気があったコメディー番組です.
日本では放映されませんでしたが これもyoutubeで見ることができます
主人公は30歳くらいでおとなしいですがとてもチャーミングな女性Maryです
第1シーズンでとてもういういしかったMaryも第7シーズンでは
オトナのキャリアウーマンとなっておられました
youtubeでは英語ですが 会話が分からなくても 感じのよい主人公や
ドラマの明るい雰囲気を楽しめますので よかったら見てください
お勧めは第1シーズンの第14話です.
クリスマスイブの夜に宿直当番となって心細がるMaryのところに
上司や同僚がやってきてビックリさせると言うようなお話です.
アメリカのドラマではサプライズパーティがよくあるようですが
日本人としてはそんなサプライズは是非止めて欲しいです
台風でダメッジを受けたフーが元気になったのもサプライズですが
これは嬉しいサプライズです.
サプライズ 好みません
毎日の生活の中サプライズ ノーサンキュー
例外として ドラマ・ストーリーのサプライズは まあ許してあげましょうかね。
それも どうぞ ほどほどに。。。お願いしたく思います。
エイプリルフール? 許してください 心臓に悪い 思っただけで心不全
という とんでもないほどわれわれは憶病者です。
世にサプライズはついてくるものですよね。
脅かしあい 面白いのかもしれませんよね。 必要悪なのかも。
そこで 我が家では ショックを避けるべく 穏やかにその必要悪解消させるべく
エイプリルフールにちなんで 月初め限定で嘘・脅し 堂々と言うことにしています。
。。。 なんだか おなかがいたい。。。
後期高齢生存者が言ったら 相棒としてはギョッとなりませんか? なるのです。
必要悪の解消・消費が目的ですから ショックを与えるのが目的ではありませんから
言い方に気をつけたり 月末からの予告編あったりします。
なんだか明日おなかが痛くなりそうな気がするの
というわけで?
お正月元旦 特別の月一のお腹痛いの日 さぞさぞ 痛いことでありましょう。
えっ ほんとにお腹痛くなったらどうするの?
お答えいたします。
なりません! お腹痛くなったりいたしません! お腹痛いって何?
健康オタクは刻一刻を頑張るのであります。
来年も頑張るぞ!!!!!
写真No.128:12/15:銀杏
銀杏(いちょう)です.
銀杏としては巨木です ほぼまっ黄色に「こうよう」しています
紅葉と書くのに抵抗があったのでググると「黄葉」と書くようです.
いちょうと言えばすぐに胃腸を思い浮かべます
大学生の時代には神経が細くて直ぐに「おなかをこわして」いました。
例えば神戸まで運転するとその後で下痢をしていました
運転中はらはらし通しだったためでした
ヨーロッパはベルギーで変わったものを食べて胃炎かなんかになっていました
アメリカで生牡蠣を食べると必ず下痢をしました.滅菌処理をしていなかったのです.
若き頃は胃腸が弱かったのだと思います.
その後の身体的変化と言うか経年良化で簡単には下痢を含め病気とかしなくなりました
我が配偶者さんにも若い頃に比べて丈夫になったと褒めて?もらっていました
たぶん神経の繊細さがなくなっただけだと思いますが...。
それでもこの経年良化のおかげでいろんなことを経験できました.
例えば京都から11日かけて車で東北を旅行しました(勇気がありました)
一日平均約300kmで全走行距離3500kmです(体力がありました)
泊まったのは上越、秋田、青森、久慈、気仙沼、山形、郡山、喜多方、小諸、高山などです.
下北半島の北端にも行きました 津軽半島の龍飛崎では足を滑らせてひっくり返りました
このときの車は初代の赤いRAV4でした 当時のSUVとしては珍しい100馬力を超えた車でした
が アクセルを目一杯踏み続けても130km程度しか出ませんでした
この最高速度の実験を高速でしていると横にパトカーが来て
「スピードメータを見て運転してください」と言われてしまいました
RAV4は2代目にも乗っていたのですが 去年暮れまで乗っていた車も実はRAV4でした
このRAV4はハイブリッドでしたが200馬力を超えていました
初代に比べると2倍近くパワーアップしていたわけです
始めて運転したのはパブリカと言う車で空冷エンジンでした
なんと60年昔のことです.
自動ブレーキとかデジタルミラーとか車も随分進歩しました.
生活環境もとても便利になりました
冬でも今は部屋全体が暖かく快適です 子供の頃は火鉢の炭火に手をかざす程度でした
日本も随分変わったのです 経年良化です
直近の20年、30年を見てもインターネットとかスマホとか 経年良化は凄いです.
写真の銀杏は巨木で100年以上たっていると思われますので
炭火の火鉢の時代からインターネット・スマホの時代まで見てきたのですが
これからの100年も見守ることが出来るでしょうか?
人間はパワフルにおろかなので100年後も元気かどうかはちょっと...。
金色のちひさき鳥の形して銀杏ちるなり夕日の岡に
与謝野晶子さんです
素直な懐かしい情景…のように思えるのですがいかがですか。
秋と言えば紅葉黄葉 豪華なひととき
晩秋落葉枯れ葉といえば哀愁のひととき
うかれるにせよ情に溺れるにせよ ひとつの季節
大切に過ごしたくなる季節ですね。
タクシーの運転手さん 紅葉の道走りながら
木の葉が紅葉していく過程話してくれるのでした。
葉緑素 栄養 葉緑素退出 葉が赤や黄色に そして落葉
新しく知った神秘の事実・・・知るは喜びの語り口
なんと私も知ったばかりの知識でしたので おお 同志よ
ニコニコしちゃいました。
みなさん 秋に紅葉していく木々のドラマご存じですか
おもしろいですよ 凄いですよ ぜひぜひ調べてみてください。
運転手さんの語らなかったこと
秋の紅葉の神秘プロセスの最終章は残酷風味です。
役割終わった葉 枝との境にコルク層というものができて
木本体からの繋がり断絶 水分断たれてしまうのです。 兵糧攻め最終章
赤・黄の色素は 葉にわずかに残った栄養・水分で健気に頑張るのです。
力尽き・・・枯れ葉落下落ち葉朽ち葉
秋の紅葉とは木々の葉の最後断末魔・あえぎの輝きとも言えるのです。
これはつらい語り口ですね。
一枚の葉落ちるとき その跡にはもうしっかりと新しい芽用意されているのです。
葉は 落ちるべき時を知っているのかもしれませんね。
風に吹き寄せられた落ち葉
シャカシャカ音たてて蹴とばして歩くのは無上の喜びです。
シャカシャカ シャカシャカ
秋の最後の楽しみタイムです。
シャカシャカ シャカシャカ シャカシャカシャカ
写真No.127:12/8:紅葉と池
旬の紅葉が池に映った写真です.
それほどキレイに写っているわけではありませんが珍しいので挙げておきます
気候的にはいつの間にか晩秋という雰囲気で寒いようような寒くないような毎日です.
車を手放して1年たちましたが寒い日にはまだ車がイイナーとなります。
車無し生活で起こった変化の一つがモスバーガーです.
駐車場がないので車があったときには行けなかったのです.
最近はモスバーガーでパンを残すようにしています ダイエットではありません
翌週の宝ヶ池公園の散歩の途中でカモさんや鯉さんに投げてあげるためです.
このパン投げは最近では我が家のメジャーイベントとなっています。
と言うのも パンは漫然と投るのではなく
どのカモさん どの鯉さんにあげるかを決め そこに投げるからです.
誰がパンを得るかの基準は
意地悪なやつには食べさせない
遠慮して群れから離れているのに投げる
となっています
投げ損ねて遠慮鴨を目指したパンが意地悪鴨の前に行くこともありますが
だいたいは この基準が実行されます
すると我らは世の不正(この場合にはイジメ)を正した神様のような気分になって
その後は気分良く散歩できるのです.
あ〜。なんたる小物。
しかし 神様モードは気分が良いのですから 止められません。
このパンやりは昔は植物園の池の四阿でも行えたのですが数年前に禁止されました。
全部アオサギが悪いのです.
池の近くの枝に止まってパンを待つために枝が枯れてしまったのす。
ちょっと残念なのです。
おかげで池の鯉たちは人から餌をもらえなくなってたぶん困っていると思います
昔を忘れられないのか 四阿に人が行くと 鯉さんたちもまだ集まってきます
鯉さん!頑張って自然の餌を見つけてください.
何を食べるのか 知らんけど。
鯉にパン投げるようになったのいつ頃からかなあ
コロナで振り回された時期
ヨーロッパのどこぞの国でたくさんの野鳥たち死んでいったそうです。
鳥たちにパン与えていた老人たちが家に閉じこもってしまった。
食べ物不足・・・だからなのだそうですよ。
すごい! 侮ることなかれの老人パワー! 地球温暖化叫ぶより
なんだか凄い話だとわたしには思われるのですが。
私たちの場合は そのコロナ期に始めたように思います。
人の集まらないところへ散歩するしかないではありませんか。
人気のない公園へ何度も何度も リピーター
ゆったりと池覗き込む・・・鯉きれいだな なんたる大口であることよ
物欲しそうだな パン投げていた人たち見かけないよね
ならば天下の暇人 我々の出番・・・そんなとこかな
これが楽しい。 鯉も色模様個体識別でのおなじみさん
とろい亀も果敢に参戦 鴨の季節は大合戦 すずめ・鳩の飛び入り参加
贔屓してもらえない恨めし気なカラスも隠密参加
暴力狼藉者のトンビに袋ごともってかれたああ。
いやはやもう大変なのです。
いそいそとモスバーガーに通うのであります。
我々の寵愛一身に集めたのは 亀さんです。むちゃくちゃ可愛い
むちゃくちゃどんくさい むちゃくちゃ律儀 もう無茶苦茶!
神は正義平等博愛そっちのけ 死に物狂いでのえこひいきに大ハッスル
肩・背中・全身筋肉痛
高齢者向き なるほど
ヨーロッパのどこぞの国の高齢者のみなさん
今はもう復帰してらっしゃることでしょう。
鳥たちも健やかに・・・めでたしめでたしなのだと思います。
さあ モスバーガーへ いざ行かん!
ものごとには順序がありますからね。
写真No.126:12/1:南京ハゼ
南京ハゼの紅葉がなかなか良いです。日本人好みの微妙な色合いです.
気がつくと我が家の庭の片隅にこんな宝物のようなものが育っていたとは...。
我家の裏は田圃ですがその向こうはバス通りなのです。
このバス通りには片側に歩道があってそれに沿って街路樹が植わっています。
そこで我家の居間から裏側を見ると格好良い並木道が見えるのです。
居間から見えるのは数本程度ですが、 この木たちが南京ハゼなのであります。
何故裏の並木道の木と我が家の前庭で紅葉している幼木が同じ種類なのか?
そうです。我が配偶者殿の仕業であります。
並木道に落ちていた種を前庭の植木鉢などに蒔いたと申しておりました。
裏のバス通りの木の種を庭に蒔いて育てて紅葉させるなど
ガードニングの喜びの 極み ではありませんか
さぞかし鼻が高くなっていることでしょう!
ちなみに この写真 一条の光が流星のように差し込んでいて
なんか良いことが起こる しるし なのでしょうか?
と書いたところで 私どもにとって なんか良いこと とはいったいなになんでしょう?
最近の我らの望みは
毎日つつがなく散歩できる とか
散歩中に石を踏んで捻挫したりしないように とかの程度で
その他の大それた野望はないのです。困りましたね。
せっかく一条の光の流星が流れて幸運の到来を予兆しているのに もったいないなー。
せめて この南京ハゼ並木道を通るバスの便数が増えるように 期待することにします
!
なお現在の便数は1年に1本です!!!
何気なく放り込んでみたナンキンハゼの実 発芽率すごい
5,6本も元気な芽 困ってしまいました。
御庭番なんて言ってるけど 花苗メチャクチャにかき集めいい気になって遊んだだけ。
木は見てるだけ それでいいのよね 木は立派な大人 私が出る幕では無いのだから。
二十年たち衰え顕著なユスラウメ 寂しく見ていたら一斉に庭あちこちに芽を出してきたのです。
鳥が風が運んできたのでしょうかモミジの芽、山椒の芽 ばらまいちゃったナンキンハゼの芽
手をだすべきではないのです。 今の季節だけ、まぐれでまたの季節あればもうけものとして
少しの花を楽しむだけにしましょうね。
花じまい庭じまい そんなお年頃
頭と心 そうそう一緒にコントロールは出来ないようです。
片付けと称して余った植木鉢をながめ 車のなくなった日光いっぱいの庭最適地をながめ
足腰ビクビク者のくせに 苗屋さんは遠く両手に杖でどうして苗運べるというのでしょう。
否 否 否
気づいたら手元に残してた種ばら撒くは
日向で最後に咲かせてやりたいと日陰から宿根草植え替えるは
リュックで球根なら運べるなあとか
苦し紛れの考え
植木鉢の空いてる場所ふさぎに幼い苗木 根元周りに花咲かせるのどうだろう。
運命が許せばユスラウメの花咲くかも モミジ、ナンキンハゼの季節の葉色楽しめるかも。
だめでも いっときの・一年草扱いとしてのお付き合いと割り切って考えれば・・・
ナンキンハゼ 街路樹にも採用される大木になる木です。
一年であっという間に発芽から紅葉姿の苗になりました。
足元にはハナニラ、エリゲロン 通年楽しめる予定でのスタート。
いやあ木が大きくなりすぎて小ぶりの植木鉢バランス取れてません。
さてさてさて
身体はいざ知らず 頭はボケてられないぞ
嬉しがって鼻高くしたり鼻ヒコヒコさせたりしてる場合ではないのであります。
どうしたものかのお。。。一条の光は。。。何処!?
写真No.125:11/25:柳
今日は風に枝をなびかせている柳です。
細い枝が風になびいて斜めになっていてちょっと良い構図です.
以前に比べると葉っぱがだいぶ減ってスケスケなので斜め感がハッキリしています
柳も秋の深化と共に落葉しているようです
秋の深化と書きましたが今年は晩夏から冬に一気に飛んでしまいそうな感じです.
京都の秋は紅葉で輝くはずですが私どもがうろつく範囲では紅葉はまだまだです.
数年前までは紅葉は11月中旬が真盛りでしたが
昨年とかは12月初旬〜中旬に移りました もしかすると
今年は秋はほぼ消滅して紅葉もほとんど見られないのではないかと心配しています
紅葉が見られない京都の秋なんてイヤですよね
ずーと昔は多くの神社仏閣では紅葉シーズンでも人も多くなく無料で見れたのですが
人出が増えるとともに周りを囲んで入場料を取るようになってしまいました
今は紅葉のきれいなところは人でいっぱいのようです.
ゆたかになるにつれて働く時間が減って暇な人が増えたのでしょう。
静かな雰囲気を好む私どもには災難ですが.
暇になった皆さんはそれでhappyなのでしょうから寿いであげることにしましょう
あんなに多くの人に囲まれ列をなして紅葉を楽しめるのかいな とは思いますが
だいぶ昔ですが モネ美術館にほぼ一日居たことがあるのです
ほとんどの時間帯で誰もいなくて睡蓮の絵をゆっくり堪能できました
が ときどき 嵐のように団体の群衆がやってきてみんなで忙しく見て回って
あっという間に消えてゆきました その当時は マジに見てるのかいな と思いましたが
パパッといろいろ見るのも 時間のない人生の一つの過ごし方なのでしょう
私どもはたまたま自由時間がいっぱいある人生でラッキーでした
だがしかし最近の京都のように嵐的群衆が途切れることなくやってくるようになると
やっぱりかなわんな〜
いつも風の中にいる
柳 まだ小寒い風の中に煙る春色柳色
どこまでも垂れてサラサラカーテンは柳色
葉色落としながら流れに放たれるように…枝だけとなっても
寒風受け流し揺れ続けるのですね。
風がお似合いです。どの季節の風とも良いお付き合い。
何時も揺れているのですね。
早春の風 夕涼みの風 細葉ひらり旅立ちの風
冬の風にはちょっぴり寂しげ、恨めしげ。。。かな?
まあそれも良い風情ですよ。
誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を震わせながら 風は通り過ぎていく。。。
こんな童謡歌ってました
見てきましたよ 柳を見てきました 風を見てきました
柳 いつも風の中にいる
なに 無風ですと・・・!!!
そこのぼーっと立ってる方 だれ?
・
ここは最近撮った写真などを公開するペイジです。
興味が湧いたらご覧ください。
写真No.124:11/17:ダリヤ
ダリヤも華麗な花です.
あまり華麗で我が家には似合わないと 神様が思うのか
我が家の庭ではうまく育たなかったような気がするのです
この写真も植物園です.
キレイな花の割に散歩街であまり見ないのは やはり気難しいからかもしれません
花にもいろいろあるようで ほっといても育って立派な花を咲かせるのもあれば
栄養をやり水をやっても だんだん元気がなくなるのもあります。
気難しいのは花だけではありません。人間にも気難しい人がいます。
人間で気難しいのは自分の価値観がしっかりしていて妥協しないタイプです.
植物でも人間でも気難しいのは適応力が乏しくて花を咲かせるのは難しいのです.
最近このサイトで写真を載せた日々草やワレモコウもダリヤ同様に気難しいですが
どれもうまく咲いてくれたときの花の魅力でそれなりに人気があり続けています
また気難しい花でも土質と気候がばっちり合えばちゃんと咲いてくれます
気難しい人でも社会と言うか周りの人々と価値観が合えば活躍してくれます
ある人を気難しいと思うのは その人と価値観が異なるに過ぎないのかもしれません
花ではパンジーとかビオラとかチューリップなんかは気難しくないように思います.
どんな環境でも頑張ってキレイに咲いてくれます。初心者向きです.
人間はどんな人でも価値観と言うか好き嫌いはあると思いますので
ほぼすべての人は気難しくなる可能性はありますが
恵まれた境遇の人は他人に寛大になったり親切になったりできますのでいい人と思われます
恵まれない境遇の人は他人に厳しかったり攻撃的になったりして気難しい人と思われます
たぶん人が「気難しい」のは「私はhappyではない」と言うメッセージなのでしょう。
自分が気難しいタイプかどうかを心配する必要はないと思います.
誰でもドーパミンが不足すれば機嫌が悪くなって気難しくなりますが
ドーパミンがいっぱいになれば機嫌が良くなって明るくてイイ人になります
要するに公園でも散歩するか庭いじりでもしてドーパミンを出せばよいだけです.
そう言えば明朝は5℃になるとか。青年の木を家に取り入れねば!
小学生 庭にダリアのかたまり 無造作に選び新聞紙に包んで教室へ
教壇や柱の花筒飾ったものでした。
綺麗な元気な花が…品種改良…こんな豪華・華麗な花になったのですね。
植物園です。皆をあっと言わせる花必要ですよね。 大成功のダリアです。
みまわすとどの花も品種改良:より大きく華やかに 色七変化 多花性に花期長く
楽しさ驚きの発見 この花もあの花もここにもそこにもあそこにも
植物園ならではの醍醐味がいっぱい。
感激いっぱいは良いのだけれど
自分の庭 あなたの庭 多分小さな庭
華やかすぎませんか? 他の花たちと両立できますか?
花期長すぎて続く季節の花 地団太踏んで待たせてるのですか?
品種改良 夢の実現
そうなのに確かにそうなのに 最近困っているのです。
夢の改良種咲かせたいのか 懐かしい花もう一度咲かせて
思い出・記憶の優しい確認をしたいのか。
もう後のないかもしれないひとつひとつの季節
私にまだチャレンジ精神あるのだろうか。
とりあえずなさそうなんだけど…野心も捨てがたしなんだけど
来春用にと密かに用意したのは レンゲソウ、ヤグルマソウの苗
あははのは 物欲しそうな懐古調丸出しですね。
いつかどこかで出会ったかもしれない風景に恋焦がれているらしい。
自己分析すると こうなるなあ。
まあそこは温故知新とかいうことにしておこうっと。
写真No.123:11/10:コスモス
コスモスはバラやダリアに比較すると一個一個の花は小さくて豪華さに欠けるかもしれませんが
写真のように群生させることが多いので華やかさでも負けてはイマセン
ところで、我が家の住人はみんな(2人だけですが...)群がるのは嫌いのようで
人が多くいるところはなるべく行かないようにしています。
その代わりyoutubeで東京やロンドン、ストックホルムなどの人でいっぱいの
繁華街を散歩する動画を見ています
なぜ こんなに群がるのを嫌がるようになったかと考えると車の存在があったように思われます
どこに行くのも車でしたのでバスや地下鉄を使いませんでしたし人が多い駅にも行きませんでした
その上コロナのせいで いっそう人混みには行かなくなりました
でも車の存在は隔離する方法であって隔離する理由ではありません
たぶん2人とも とても臆病で自分のテリトリーに他人が侵入してくると不安になるからでしょう
ところが、人間はドーパミンを出して幸せと感じたがる性行があります
一人で読書したりyoutubeを見ていてもドーパミンはなかなかでませんが
散歩したりガードニングしたりして外で体を動かすとドーパミンがどばーっと出るのです
最も簡単なドーパミン対策は友人と一緒に運動することでしょう
みんなとサッカーやバレーや野球などをしたりするわけです
年を取るとどんな運動も体力的に問題がありますので口の運動することになります
群がっておしゃべりするのです.しゃべることでドーパミンがでますので
年寄群では皆がいっせいにしゃべる傾向があります
そうすると聞く人が足りないのですが どうせたいしたお話ではありませんので
誰も気にすることなく おしゃべりに華が咲きーパミンがいっぱい出て
みんなが幸せになります。よかった!メデタイ!
ただし,既述のように我が家ではこれはやりません
テリトリーを守って安心しながら 散歩とガードニングでドーパミンを追求します.
今秋の我が家の庭にはコスモスはありませんが
ちょっと群生している日々草とジニアが未だに花盛りで捨てたものではありません
が そろそろ球根を植えねば...。
そろそろ球根を植えねば...
これはまあいいのです。春に咲く球根:球根の内にしっかり花を咲かせる運命・さだめ
用意されていますからね(多分)。 12月の植え込みでも大丈夫。
もんだいは今を盛りと咲いている日日草、ジニア
おおい いつまで咲くつもりですかあ?
あのお その場所そろそろ開けていただければ…いただかなくては…春の準備が…
お庭番はおろおろウロウロ
秋のガードニングはいつも苦しい。
秋の花・盛りのままでの引導渡し。 片付け作戦。 春への仕込み作戦。
行き場、遊び場、食事場を奪われる 蝶、昆虫、カエル、鳥。
加齢とともに加速度的に気弱に・・・ごめん!すまん!
目と心閉ざしてがむしゃらに進むしかないのです。 悪魔になった気分。
日日草12月まで咲くでしょう。
ジニアは満開のままドライフラワーとなって霜・雪の庭美しいコーナーとなるでしょう。
見届けてあげられぬこと許してください。
一番良いスポットで咲きましたね。その場所新しい花に譲ってもらうことになるようです。
種から育ってきたちいさな芽 植え込まなければならない時期迫ってきたようです。
秋の日差しにお庭番 何を眺めるお庭番 何思うかお庭番
蛮勇のボタン未だ起動せず。
写真No.122:11/3:シュウメイギク
この写真を見た人は夢中でシュウメイギクの蜜を吸っている蜂?に気がついたと思います.
蜂にしては小さすぎるかもしれませんが 私にはチュウチュウと吸っていてhappyそうに見えます
虫と花は持ちつ持たれつの関係で 虫も花も嬉しいのでしょうね give and takeの関係です.
花は 蜜をあげるから受粉に協力してね
虫は 受粉に協力するから蜜を吸わせてね
果物でも同じです。家の近くに柿の木があるのですが 何年か前に
この柿の木の実を食べに熊さんが表れたらしいです.
果物と熊さんの関係もgive and takeです.熊さんは甘い柿を食べるし
柿の木からすると種をあっちこっちにばらまいてもらって子孫を増やせるわけです.
これらの共生関係は自然(と言うか神様)が作ったものですが
自然では違った形態もあります
蚊は人間にチクッとして後は叩かれて潰される前に飛んで逃げるという関係です.
take and runかtake and fly です.
猫と人の関係もややこしいです.
我が家の猫は住み始めた頃はgive(食事) and take(愛想)の関係が存在して
配偶者にも私にも愛想を振りまいてくれて膝に乗ったり抱っこされたりしていましたが
猫的に「もう大丈夫。たらし込んだ」と思ったころからは
愛想してくれるのは空腹時のみとなりました
そのうち空腹になると上を向いてミャーミャーと鳴いて
「腹が減ったのに何をしているのだ!」と要求するようになりました。
これはもうtake and takeと言うかgive and giveと言う関係でありました。
まあ社会と言うものはいろいろ複雑な関係から成り立っているようです.
現在は猫も犬も飼っていませんので 夕散歩中に猫や犬を探して見つかったときには
手を振ったりして一生懸命愛想を振りまきます。猫も犬も
「なにをしているの?」
と言うような顔で見るだけで反応はありませんが一応見てもらえるのです.
それだけで十分にhappyになります
「なにをしているの?」
と書いてある顔は猫でも犬でも そして人でも とてもカワイイからです.
散歩小径の前方 藪の中からひょいと現れた鹿
お互いの存在に立ちすくみ・目を合わせたまま動けない・時間の停止
ひょいと藪からこぼれるように小鹿現れて・・・どおしたの?
しばらく見つめあった後 静かに鹿親子道横切って行ったのでした。
雪の原 大きなクルミの木見上げていたら 真っ逆さまに降りてきて
なにをしているの? 覗きに来たリスがいました。
尾膨らませてタントン揺らせたのはご挨拶?
ポケットにクルミ、どんぐり入れて、ご挨拶に通うことになりました。
急ぎ足で通る道。横の水無しの溝を急ぎ足ですれ違った者がいました。
ふっと立ち止まり振り返ったら 同じように振り返っていたイタチ。
そんなに急いで何処行くの? 仕事です。郵便局へ行くのです。
何処行くの? 子供に何か食べ物を、ネズミなんか探します。
会話のあった出合いでした。
鹿に餌与えないでください。
リス?あんなのネズミと一緒よお!
あの イタチ野郎め!
野良猫に餌をやるのは 京都府?京都市?条例違反です。
みなさん この地球はね
人間様の天下なのですよ。お気をつけください。
ご用心、賢く、注意深く、愛らしく、したたかに生きてくださいね。
どおちたの? なあに?
どこいくの? なにをちているの?
赤ずきんちゃん気を付けて!!!
写真No.121:10/27:ワレモコウ
ワレモコウの花です.この写真を見ると
目立ちそうに思われる方もおられるかもしれませんが地味な花なのです.
が 我が家では ワレモコウは昔から偏愛されていています
花は小さいうえに数も多くなく 色も地味で赤暗いため
遠くから見ると枯れた葉っぱに見えてしまったりしますが
見つけると喜んで「ワレモコウ!」「ワレモコウ!」と叫びます
それでも やはり地味でオトナシそうで目立ちませんので
誰かが「将来はワレモコウのようになりたい」と言うとちょっとびびります
そこで「ワレモコウと俳句」でググってみると良い俳句がありました
高浜虚子『五百五十句』にある
「吾も亦紅なりとつひと出て」(われもまた くれないなりと ついとでて)
ワレモコウさんは 無視されたときにはツツッと前に出て「私が!」と言うのです.
この オトナしいけれども負けず嫌い という矛盾した性向を有する人は
外から見ていると面白いというか魅力的に見えると思いますが
本人は自己矛盾に悩んでいるかもしれませんね
温和しいので じっとしていたいけれども
負けず嫌いなので 前に出て「私が!」と言いたい
が心の中で争うのです。
ここから自意識というか自我というか が発達するはずです.
ワレモコウさんはたぶん自意識過剰な人なのです.
心当たりのある人いますか?
ちなみに私は違います。
私は 「吾も亦紅なりと横を向き」 のタイプです.
今年の夏 もうがむしゃらに突破してきました。
ここにきてやっと 空気に触れて空気の中歩いて・ああそれだけで心地よい
秋がやってきたらしいのです。 すこしポカーンとして過ごしています。
植物園 それにふさわしい場所に吾亦紅(われもこう)見つけたのでした。
吾木香(われもこう)すすきかるかや秋の草 さびしききはみ君におくらむ
若山牧水さんの歌です。牧水さんらしい感傷的叙情的な歌だなあ。
でもでも本日は ほっといてくれ!と申し上げたい。
愛らしいわれもこう 秋のひざしの中あどけない紅色で笑っていました。
見つけて嬉しい! 会えて嬉しい! われもこう!
地味な花 目立たない花 そうなのかもしれません。
個性的な花なのかな。そう自意識過剰なのかも。咲く場所・自分の場所選ぶ花なのです。
そんな世界でしか輝きたくない花なんじゃあないかなあ。わがままな花なのかも。
庭中満艦飾に花咲かせていた頃 われもこうの苗見つけ小躍りして咲かせたことがあります。
もう笑っちゃうほどちんぷんかん・ちぐはぐ 花の庭と調和・協調してくれないのでした。
われもこう庭に咲かせるのなら [われもこうの庭]にするしかないのだなあ。
しかたありません 周りの花・庭・無視してわれもこうだけを見る!ことにしました。
あざみもそうでしたが われもこうも 野に置け 野に咲けよの花なのだと思いました。
最近の我々ならば[われもこうの庭]仕様で良くなったのかもしれません。
あっ でもないな
日日草 チューリップ チロリアンデージー … … …
むむ捨てがたし!
写真No.120:10/20:パンパスグラス
パンパスグラスと青空の写真です.
この3日ほど秋晴れが続いて青空が凄かったのです。
「天高く馬肥ゆる秋」
とか言いますが秋になっても天というか宇宙は高くはなりません。
秋は空気がきれいなので遠く高くまで見えると言う意味でしょう。
秋には食欲も出て食べ過ぎて体重が増えるのが普通らしいですが
我が家では体重は厳しくコントロールされていて上限を超えたりすると
食べる量が減ってしまいます。
昔は歳を取っても体重は20代と同じが良いと言ってましたが
最近ではちょっと太めの方が良いと言われるようになってきました。
どうすれば健康に良いのかの基準もどんどん変化します
どれが本当に健康に良いのかを判断するのは難しいですが
最近の傾向としは
@良い食事 A適度な運動 B適度のストレス
の3っつが主流のようです。
その内容ですが これもいろいろあって意見の乱れるところですが
@ではお魚 Aでは8000歩がよく推薦されます.問題はBです.
ここでは社会的繋がりを持つ が良いとされることが多いですが これにはリスクがあります
例えばテニススクールに参加してもコーチが早口で何を言っているのか分からなくて
やむなく無視しているとコーチはますますキンキン声でワーワー言うようになると
これは過度のストレスです.
植物園にボロンティアで草むしりに参加しても
同じグループに一日中 聞いているだけで不快になるテーマで 大声でしゃべり続ける
人が良さそうなメンバーがいると(いそうでしょう?)超過度のストレスです.
要するに社会的繋がりでストレスレヴェルをコントロールするのは難しいのです.
ストレスがイヤで会社を早期退職した人には社会的繋がりナシでストレスなしが
最適だと思われます。問題はストレスなしが続くと人間はだんだん元気がなくなります。
ストレスの原因と戦うために元気だった人は それがなくなると元気もなくなってゆくのです.
では どうすれば良いか?
これは難しい問題で場所も取りそうですので 別の機会に書きたいと思います
ご期待ください.
と うまく逃げたのです.
ひと昔 ふた昔。。。健康ちこっと躓きました。
目から心からウロコがとれた瞬間。 不思議な解放感包まれた瞬間。
失ったもの多いのでしょうが、いらないもの去っていったとも言えるのです。
心地よい仕切り直し
思ってもいなかった健康オタクの誕生・登場となりました。
なになに 魚が良いんだと、そうか肉もうやめたあ。
なになに 一日8000歩だと、やろうじゃあないか。
なになに 適宜なストレス好ましいだと、週一のチンチロリン
写真撮らねば、さて頭の中ひっくり返して話くっつけなくては…
他に何があるのかな
サプリ飲んでるぞ。これはどんな効用あるんだったっけ
草むしり好きな人 長生きなんだそうだぞ!
素人筋トレは害もありそうだからストレッチでいこう。
ココア、トマト、納豆,ヨーグルト 飲むぞ・食べるぞ。
冷酷・過酷なドラマは途中放棄、穏やかな楽しいアニメでいきましょう。
えっと えっと それから それから あれも これも
この十年 二十年 不思議なまでに元気です。
ギリギリしのいでいるのかもですが。 嬉しや楽しやの毎日です。
あっ 歯・目・足腰・耳 衰え度盛大なり。 とほほではあるのです。
なあ何事も・・・まあこんなところで・・・まあ上出来 としています。
パンパスグラス、広がる秋の空 良い一日でした。
手をたたいて 感謝 パンパンパン
写真No.119:10/13:サンパラソル
現在京都植物園で一番目だっている花です.
名前が分からないのでグーグルの映像検索で調べました。
名前から言えば太陽の光を遮る大きな花をイメージしてしまいますがそれは違います。
つる性の茎にちょっと小さめ花がたくさん咲きますので
名前からイメージするものとは差があります。
この花は夏から秋まで咲くようで花期も長いです
花の名前ですがサンパラソルだそうです
何でそんな変な名前になったのかと考えて思いついたのが 夏の西日避け です.
写真からも分かるようにつる性で背が高く横にも広がるので
西日の当たる窓の外に植えれば夏には西日避けなると思われます
きれいな花は咲くし西日避けにはなるし花期は長いし言うこと無しです.
この花を作った人はサンパラソルと言う名前を付けてブームを起こして
一儲けしようと思ったのかな?
西日と言えば住居を探している方に重要かつ余計なアドバイスです.
西日の当たる住居は止めた方がいいです。
中学生のときに西日の当たる家に住んでいましたが 夏は暑くて大変でした
特に小さな家とか一部屋のアパートでは逃げ場がありませんので西日地獄です.
西日はダメ!ダメ!
西日地獄の家では暑いので夕方から夜の間は誰も家には寄りつかなくなります
つまり子供は遅くまで外で遊んで不良になり大人は繁華街で無駄遣いして貧乏になります
西日地獄の家を英語で表せば doomed! です.
このアドバイスは経験を積んで得た人生の知恵です.
すでに西日地獄の家に住んでいる方はどうすれば?
大丈夫です.ご安心ください.
西日の当たる窓の外にサンパラソルを2,3本植えて毎日水をやってください.
これで子供は家で宿題をするようになって成績は上がるし
大人は外出で無駄遣いをしなくなってお金持ちになるでしょう
万々歳です.
サンパラソル…パラソル…そして
テロリストのパラソル:藤原伊織さんの小説へ
懐かしく思い起こすことあって そこへ話もっていこうかな。
とりあえずと読み返してみたら あれっこんな話だったとは
語るには私には荷が重すぎました。
時を経て読み返す いろいろありますねえ。
ひとつ 私は本読むの超早いです。 ほとんどの本一日で読了。
面白ければ面白いほどウワーっと超加速。 直ちに二度読み三度読み。
勝手に妄想絡めて読むので何度読んでも読後感変わらず 理解せず。
ウワーウワーで終わってしまうようです。
人と本について語ると 赤っ恥間違いないことは経験済みです。
ひとつ 読書の楽しみ ウワーウワーにつきるのです。
自分の中にウワーを起こさせる何かがこの本にあるのだなあなどと
言い訳のしほうだい。
テロリストのパラソル 今回もウワー状態で読み返したのですが
懐かしいウワーと少し違ったような・・・硬い 堅い かたい。
まあハードボイルド小説と言われてはいるのですがね。
懐かしいウワー どう処理いたしましょうか 少し気がかりです。
彼のほかの作品少し読み返してみようかな。
サンパラソルのくるくるまわし 遊んでみようかな
読書の秋 なんちゃって
あっ 最期のひとつ 正直にここで告白しておきます。
いつもですがウワーの正体そのものは 知りたくないらしいのです。
これは一体どういうことなのでありましょうか。
写真No.118:10/06:ジニア
写真のジニアは現在我が家の前庭に咲いています。何とも言いがたい落ち着いた花です.
見ていると心も落ち着いてきます。
ジニアと言えばシニアと連想してしまいましたので 今回はシニアがテーマです..
会社で「シニアなんとか」と言えば「偉い」と言う意味になるようですが
世間一般では高齢と言う意味になるようです。
世間一般の意味では我々はシニアのようです。
「です」ではなく「のようです」と書いたのは勿論ごまかすためです。
どこかのおっちょこちょいが「シニアではないのかもしれない」と思うことを期待しているわけです。
さてシニアと言えば心身ともにオトナのはずですが、これがそうでもないのです。
身の方は年々順調に経年劣化を進めているようですが
心の方は年々順調に経年進歩を進めてはいないようです。
ハイター様(「葬送のフリーレン」より)と同じで心は子供のままではないかと思われます
実は 我が配偶者殿も心は子供のままではないかと疑われますので
我が家にはオトナといえるようなしっかりした人物は存在しない可能性が高いのです
そこで、何か変化が起こると 2人とも どうしていいのか分からなくなって
我が家では「心配!心配!心配!」が連発されるのです。
その良い例が 猫 の無断外泊です.
昔ですが猫を飼っていたのですが その猫が無断外泊したのです。
猫というものは ときどき出奔する動物のようですが 我が家の猫にかぎってそれはない!
ということは なにかのトラブルに巻き込まれたに違いないと心配して
一日中「心配!心配!心配!」と言いながら 家の周辺を探して回ったわけです。
猫は 夕方になると空腹になって帰ってきました
落ち着いた顔で夕食を要求していましたので 猫ちゃんだけは オトナだったのかも?
我らもそのうち(あまり時間はありませんが)大人の落ち着きが身につきますように!
今週はこれでいこう・・・ジニアが選ばれました。
私はびっくりやら・おかしいやら
よくあることなのです。
夏中咲いていたのですよ 輝いていたのですよ
今日の今日まで気づきも見もしなかったのでしょう。
日日草のかたまり ジニアのかたまり 並んで咲いていたのです。
好きな花 日日草さえあればそれだけに愛と興味の集中豪雨現象
あとは見えない…ほんとに見てない という現象
おちょくることも出来るのですが
ひとつのことに集中 そこから引き出してなにかを作り出す?力
畏敬の念感じてしまう特性をお持ちの我が配偶者さんなのですからねえ。
とりあえずジニアさん気づいてもらえて よかった よかった。
ジニアを見て落ち着いた花 見てると心が落ち着く…
あっと驚きました。 新鮮!!!
派手な百日草の仲間*ホソバヒャクニチソウ(ジニア)思い込んでました。
気づかされました。思っていたより地味なジニアなのですね。心落ち着く花なのですね。
そして気づきました。
日日草は可愛いとのみ思っていたけど驚くほど派手な花でもあるのだなあ。
思い込むのはそれなりの歴史・理由付けあるのでしょうね。
時々ひっくり返すことがあるとまた何か思うことが…繰り返し…繰り返し…今があるのだな。
十月の庭 日日草とジニア 右と左並んで元気 楽し気に咲き続けています。
めでたし めでたし
写真No.116:9/29:日々草
久しぶりの日々草です.まだまだ元気にいっぱい花を咲かせています。
7月にも載せましたから花期がとても長いです.しかもずっと花をいっぱい咲かせています。
これまでの日々草ではありえないことです.
以前にもほのめかしましたがこれは品種改良されていますね。
日本のどっかで誰かが
どんな土地・気候でもたくさんの花をいつまでも咲かし続ける日々草!
を作り出したに違いありません。
技術進歩というものは凄いです。おかげで世の中すっかり変わりました。
世の中すっかり変ったと言えば
子供の頃の日本は未舗装の道に馬糞が落ちていたものです。
テレビも自家用車もスマホやパソコンもなかったのです。
TVも見ずドライブもせずインターネットもせず
いったい皆さんなにをして時間をつぶしていたのでしょう?
それはたぶん掃除と洗濯と仕事です.
電気掃除機も電気洗濯機もなかったので掃除洗濯には時間が掛かりました。
パソコンやインターネットがなかったので仕事も時間がかかりました。
今では主婦はすることがないのでパートとか言って働いています。
会社員は在宅勤務でのんびりしています
まあ こう言うのが 日本的な ゆたか になったあかしなのでしょう
技術進歩で人生が楽ちんになったわけです。
とは言うものの これでHappyになったかは あやしいです.
と言うのも 多くの人は何もすることがない時間をunhappyと感じるからです.
いったい どうしたいんですか?
難儀なことです.
昭和の時代に生まれました。
昭和の子供 昭和の少女 昭和の青春。。。生きてきましたよ。
子供の頃道に馬糞、牛糞落ちていました。
すみやかに処分されていました。庭、野菜畑の大切な肥料だったのです。
畑の横、あぜ道の横には 肥えたんご と呼ばれるすごいものがあったのですよ。
先日 泊まり先の家でのバスタオルの有り様に人間の生活としてあり得ん!!
と憤慨してる方の投書を読みました。洗濯機が登場するまでバスタオルあり得ませんでした。
絞り機能付きの洗濯機登場してからの贅沢品。全自動乾燥洗濯機登場してから当たり前の
快楽アイテムになったのかな。
昭和の方ではないのでしょうね。実際に昭和の時代を生きていない方ならば
バスタオルは快楽ですらない必需品、備品なのかもしれませんね。
タオル一枚からバスタオルへ。
利用価値のあった馬糞からマナーとしてのお持ち帰りの愛犬の糞へ。
変わってきたということです。
昭和の時代を生きる。とても良い時代でしたよ。
明日を信じることから出来あがってきた時代。ひとつずつ手に入れてきた時代。
現状の問題は明日きっと解決されるのだという常識感共有してきた時代。
個々の挫折も全体としては乗り越える勢いがあった時代と言えるような。
今 夢のような快楽に包まれています。ここまでやってきたということです。
もうこれ以上の快楽受け入れるエネルギーありません。少し怖くもあります。
失っていくこと・・・後戻りしていくこと
昭和の時代には戻りたくないということなのでしょうね。
昭和の次のそしてまた次の時代に生まれて生きている人達
自分たちの時代を知り思い起こす日・・・それぞれ得てきたもの失ってきたもの
優しく思いめぐらす時 きっとやって来るのでしょうね。
まったくもって今日は真面目なりすぎて恥ずかしい限り
日日草さん にっこりアハハ・ムードへの巻き戻し よろしく ちょんちょん
**********
三人姉妹 昭和の時代にスタートを切ってそれぞれの道歩いてきたようです。
何時も先導、トーチを掲げてくれていた姉の
二冊目の雑感文集: 大空にあこがれて が届きました。
彼女の掲げる 掲げ続けてきたトーチがそこにありました。
今回のチンチロリン 真面目風にならざるを得ないではありませんか
姉よ!!!!
写真No.116:9/22:柳
柳です.ちょっと経年劣化しているかもしれませんが
この写真を撮っている人もだいぶ経年劣化していますのでお似合いでしょう。
ちなみに若々しい柳を見たい人は桶で有名な料理屋さんがある岡崎の疎水の端にあるのを見てください.
私が見たときには まだ枝が長くて疎水まで垂れていました。
この柳を見るたびに 柳とはかっこいい木だなー と感心したものです.
と書いていると 階段の下から 大谷さんが51号を打ったと 声がかかりました。
今日だけで3本のホームランを打ったようです。しかも6打数6安打です.これは赤飯ものです.
興奮してちょっと脱線しました。テーマは柳でした。
京都で柳と言えば 出町柳 という街を思い浮かべます。
実際に柳もあるのですが それよりも鴨川と高野川の合流地点として有名です.
ここは桜もキレイですし夏には禁止されているはずですが花火も上がります。
ズーと昔ですが ここで夏に飲み会をしていると花火が上がり始め
いろんなグループが次々と現れては花火を打ち上げるのです。
端から見ていてもやり過ぎではないかと思いましたが
直ぐ横にある交番からもおまわりさんは現れず
その代わり消防車が来て近くの橋の上でズーと見守っていました。
現在の日本は安心安全と口うるさくなったのでたぶんおまわりさんがきて
あんな狭い箇所での即席花火大会は直ぐにやめさせると思います.
安心安全で周囲をかためてある現在の社会は 子供や高齢者には住みやすいですが
みなさんは ちょっと危ない昔風と安心安全な今風とどっちが お好みですか?
舞妓さんと柳と東山
経年劣化嫌だあ 頭の劣化遅らせるのに効果ありと聞いた歌詞丸暗記法
律儀にお風呂タイム捧げた時期がありました。
月は朧に東山 霞む夜ごとのかがり火に 夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に 祇園恋しやだらりの帯よ
祇園小唄です。
舞妓さん 今は観光客見世物みたいでお気の毒ですが 以前は東山界隈に溶け込んだ
何かしら美しい文化の具現化・・・そっと受け入れられていたと思うのですよ。
舞妓さん だらりの帯揺れながら歩いていきます。
わたしには 柳が揺れるイメージと重なっています。
舞妓さんの文化は芸者さんの文化とつながっています。
独特すぎてきっとすたれていく文化なのかなあ
日本舞踊・日本音楽の担い手でもあるのだと思うのですけどね。
以前職場で外国からの大切なお客様 その接待費請求書が回ってきたことがありました。
お料理よりもお飲み物よりも大きな数字の〔お花代〕 私は大感激。
なんて素敵な 思い切っておしゃれなおもてなし もうお部屋中花で飾って
歓迎の気持ち表されたのだなあ。 喜ばれただろうなあ。
まわり大爆笑・・・お花代・・・学びました。
皆さま 特に地方出身者の皆様 京都東山界隈でのお座敷遊び
夢お考えなさいませんように!
京都東山界隈 どこもかしこも美しい京都だああの魅力詰まっています。
よそ者感 京都下宿人感 暮らしてる身としては 散策楽しいエリアです。
柳、流れに沿って歩いてみたら…舞妓さんの住む町・したたかに京都
見えてくるようでしたよ。もう今は昔・夢のような散歩思い出の巻ですけどね。
鴨の河原の水やせて むせぶ瀬音に鐘の声 枯れた柳に吹く風が
泣くよ今宵も夜もすがら 祇園恋しや だらりの帯よ
祇園小唄続いていくのですよ。 なんとなく ため息
写真No.115:9/15:緑蔭の小径
この小径は大文字送り火の一文字『法』のある山に繋がっています。
法の字のある場所の裏側と言えます。この小径には毎週のようにやって来ます。
法の山頂はちょっと?無理なので 九合目まで登ります。凄いでしょう?
とは言え一合目を九合目と言い換えていますのでほんとは1合目までなのです。
何故言い換えるか?勿論 気分を盛り上げるためです.
一合目ではドーパミンも出てきませんが
九合目到着!九合目到着!と2人で騒げばドーパミンもだまされて出てくるのです。
ちょっとした人生のテクニックです.ご参考までに。
この短い小径にも途中で分かれ道が2カ所あります.
1個目の分かれ道は登山行程の始めの方にある橋で これをたどると桜の園に出ます。
桜の園と名前はりっぱですが桜の木が数本あるだけでのであまり期待しないほうが良いです。
何度も桜の木を植えて増やそうとしているようですが 土が合わないのか
低い山に囲まれた気候風土が合わないのか それとも鹿ちゃんが食べちゃうのか
いっこうに育たないようです。
2個目の分かれ道は行程終了間際のコンクリートの道です.
これがどこに通じるか知りません。と言うか 忘れたと言うべきか。
昔は この法の山にもよく登りました。
山と言いましても麓から歩いて20分もかかりませんので どっちかと言えば丘です
.
峰を端から端まで歩いたのですが それも20分もかかりませんでした。
今は地下鉄の階段を登る5分が限界です.それも手すりにかじり付いて登ってます。
やっぱり
出来るときに出来ることをするのが人生を楽しむ秘訣のようです.
そう思って毎日を楽しんでいます。
たくさんのたくさんの思い出の道・路・径 全てが喜びの源
どうもわが胸のど真ん中近くに詰め込まれているらしい。
道はどこかに続いているのですよね 思い出の道は一部分・切り取られた部分ですからね。
今回不用意にあれこれ楽しく思い出の道辿ろうとしたら とてもやばかった。
それぞれの道 胸のど真ん中近くにあるものだから辿ればすぐに我が胸の中心へ
行ってはならない 見てはならない 考えてもいけない パンドラの箱へ
すっとんで引き返してまいりました。
ともあれ
この道は思い出入りではない現役の道です。
この道歩くために生きてる(オーバーな!)ようなものです。
大変ですのよ 決死のまなざしで(オーバーな!)やってまいります。
九合目到着 喜びの深呼吸
一日も長く元気にこの道歩きづづけられますように
その為にはなんだってするぞ なんだって
かくして健康オタクの出来上がりです。
この道 ながーーーーいおつきあいの道です。
これからもながーーーーいおつきあいよろしくの道なのです。
素敵な道でしょ? ちょっと自慢たらたらの散歩道なのです。
では明日の小径散歩のため・・・お昼寝タイムです。
写真No.114:9/8:ひまわり群
またまたひまわりですが、今回は一列に並んだひまわりです.
一輪一輪でも迫力がありますが、横一列に並ぶのも豪華で目を引きますね。
家の前を散歩している人たちも思わず立ち止まって見てくれるほどです.
人間でも複数の人が群がって行動すれば迫力が出ることがあります。
歌やダンダンスのパーフォーマンスでもそうですし、政治目的のデモ行進でもそうです。
ちなみに私どもは名代のへそ曲がり?でしたので群がるのは好きではありませんでした。
へそ曲がりであったということは自己主張が強く角が立ったといことなんですが
これは単に好き嫌いがはっきりしていたということでもあったと思います.
数人集まれば必ず人生観か感性が合わない人物がいるもので これが我慢できないわけです.
例えば思っていることと反対の主張をされると不快な気分になって集団にいたくなくなるのです
これは誰でもそうなんですが ここで集団から出る人と我慢する人に別れます
へそ曲がりは 集団の縁にいますので簡単に外に出て行くことになります
一人では何もできませんので 群がらないへそ曲がり は何もしない人となってしまいます..。
上の「へそ曲がり」の文章が過去形になっているのに気がついていただけましたでしょうか?
そうです。過去形です.若かったのです。
そう言えば 最近は 荒井由実さんの いちご白書をもう一度 をよく歌っています。
歌うのは精神衛生上良い(酔い?)と言うことですので
ときどき大声で歌ってるのですが やっぱり大学時代は特別ですね
思いっきり へそ曲がり を実行しても 別になんの問題も生じませんでしたからね
社会にでればそうは行きません。
へそ曲がり を実行すると 人生が生きにくくなります。
それもあって 人は年とともにまるくなって 行くのでしょう。
我らもだいぶ丸くなっちゃったかな?
いちご白書をもう一度:学生たちが社会の真ん中で何かを求めて頑張ってしまった。
ゲバ棒かざし機動隊と相まみえる結果にしかならなかった…のかな?…ひとつの時代
荒井由実さんは歌っています。
世の中あちきには関わりのないことでございます。そんな私なのに意外にも
その時代の流れのすぐそばにいたようです。新聞にぎわせていた時計台立てこもり
機動隊との攻防 道一つ隔てたキャンパスに職場があったのでした。
教室親しく出入りしていた学生バリケードの後ろに。教員、研究者暗い血走った目で
それぞれの会合へ。研究しか似合わないと見受けられる教授が学部長に、連日連夜
学生達との談合。学生が何を言いたいのか知りたかった。学生も一生懸命説明してくれた。
まったくわからんかった。わからんものはわからんと言うしかないしなあ。
徹夜の談合それはかまわんのだがね。
女子学生さんがひとりいて ばーか ばーか お経のように言い続けてねえ
それが始まるともう何も考えられなくなってひたすら苦しくてねえ
発狂しそうなの耐えるだけになってねえ。。。速やかに胃潰瘍入院手術。
我ら職員は仕事もなくお給料付きの自由時間たっぷり
仕事仲間 こんな事情でできた時間 ならば普通では出来ないなにかに使おうか。
彼女は彼女の私は私のプラン 不思議な充実したハッピーな時過ごしたのでした。
ある日 キャンパスでバリケードの向こうへ行ったとの学生に呼び止められました。
隔月に開かれていた研究会 まとめの冊子最近のでいいので揃えてもらえないだろうか。
なんという喜び いっぺんに理解しました。
なにあれ ああ 学生は勉強を、研究者は実験を、教員は授業を、職員は仕事を
それがやりたいことなのだよなあ・・・難しいこんがらがったこと溶けていくのを感じました。
きっと大丈夫 今はきっと明日の何か良いことへとつながっていくのだろう。。。
あっ 授業前演説させろとやってきた学生に
今からは自分の時間、自分の講義を聴きに来た学生さん達の時間なのだからダメ
そうですね では授業十五分早く切り上げてあげましょう。その頃に来なさい。
学生もそろっているしあなたの話を聞きたい人がいれば残って聞いてくれるでしょう。
。。。と言って ぶん殴られて鼓膜破られた講師さんがいました。
わが配偶者さんです。
意気揚々と帰ってきて 殴られるとわかったから高価なメガネ壊されたらかなわんと
外して机に置いた。 見よ我が冷静な判断を! だそうでした。
われわれ いちご白書をもう一度 歌って良いと思うのですよ。。。ねっ?
写真No.113:9/1:飛行機雲
ここは花・草・庭に関連するサイトですのでアップする写真もその関連のはずなのですが
今回は飛行機雲です.
見上げるとちょうど飛行機雲が伸びているところでしたので撮ってしまいました。
北に向かって伸びていましたので東京行きか札幌行きか それとも北米行きでしょうか?
昔はよく飛行機にも乗っていましたよ。
飛行機で降り立った都会で思い浮かぶのは
サンフランシスコ、デトロイト、LA、ボストン、ロンドン、ベルリン、ブリュッセル、NY、パリ、
ローマ、モントリオール、シドニー、ホノルル.
昔は行動的だったのであっちこっち動いたのです。
海外でも だいたいのところは英語が通じたので言語は不自由しませんでした(たぶん?)
最初に海外で住んだのはデトロイトの近くのAnn Arborと言う田舎町(ミシガン大学有)でした
40〜50年前はまだグローバリゼーションが進んでいませんでしたので
この街で日本人に会うことは滅多にありませんでしたし、
スーパーにある日本食はキーコーマンの醤油程度でした。
Ann Arborではアパート近くの韓国食品店で沢庵を売っていましたので毎週のようにいただきました。
海外で暮らした最後の年はもう20年ほど前になりますがパロスペルデスに住みました。
パロスペルデスはLAから車で1時間ほど南にある丘の上にある街です
しかもパロスペルデスの東端は太平洋の海岸沿いにありました。
我らが選んだアパートも太平洋を一望できる丘の上に建っていました。
毎日太平洋の水平線を見ながらエンジェルヘア(超細い)スパゲッティを食べていました。
アパートの近くには whale-watching spot があり毎日のように行ったものでした。
この年は車を持っていましたが、車種はなんと あのカローラでした。
アメリカまできてカローラかい?
と思われるかもしれませんが やっぱり故障がいやでしたので。
このカローラでフリーウエーをがんがん飛ばしたものでした。
ちょっとカッコよかったですね。若かったということです。
飛行機雲は夢を広げてくれます。
見ていると遠くに飛んで行きたくなるような。
今日はちょっと 近くて遠い昔に行ってみました。
荒井由実さん
あの子の命はひこうき雲。。。歌っています。
死にゆくあの子は空を見つめ空に憧れ、思いっきりよく舞い上がり
ひこうき雲となって飛行機雲を残して・・・
飛行機雲は残せなくても空に向かって死んで行けたら
多くの人の心にある想いでは?
歌を聞くたびに私はアンデルセンの童話へ帰っていきます。
窓の向こう空を見つめている病床の少年がいます。少年は死ぬことを知っています。
それは 大きな楽しみ・待ち望む喜び。 それは 迎えに来てくださる天使さまに抱かれて
天にいらっしゃる、僕を待ってくださってる優しい神様のところへ行くことなのだから。
少年は天使に抱かれ懐かしく親しい町を、楽しく遊んだ野原を巡ります。
神様への贈り物にと野原で一番美しい花々を摘み花束にすると ハイもうこれていいです。
天使さま 天にいらっしゃる神様のところへさあつれてってください。
小学生
神様を信じることができたら
ああ 死ぬことはなんにも怖いことではないのだなと学びました。
自分を待っててくださる神様の存在を信じることができるのだろうか
信じるかどうかより真っ先に 悪に染まった悪のかたまり…の哀しい自覚。
うなだれました。神様がいらっしゃるにせよなんにせよ
自分はアンデルセンの少年の道 永遠に辿ることはないのだな。
どうしよう
小学生 つらき心の旅路の始まり始まり…続く…続く・・・のでありました。
ひこうき雲 生きる人の心の想い乗せて
一直線 空へ
写真No.112:8/25:ひまわり
この写真を見ても このひまわりの大きさは分かりませんよね。
30cmの大きいひまわりかもしれませんし10cmほどのかわいいひまわりかもしれませんね
しかし推測することはできますよ
第一に花びらの相対的な大きさに特徴があります。
この写真では中心の種ができる丸い部分に比較して 花びらがとても大きいです.
これは このひまわりが全体として小さいことを示しています。たぶん10cm程度に。
第二に季節です.ひまわりの季節はもう終わりです.
7月初旬から8月の始め頃が「ひまわりの季節」ですので 8月末のひまわりは大きく
なれません。
ただし「ひまわりの季節」でももともとが小さいひまわりもありますので季節だけでは
推測困難です.
第三に写真の角度が問題です.この写真ではアップでほぼ正面から撮っていますが
花が大きいひまわりは背も高く2メートルはありますのでアップの写真は撮れません。
以上の分析から この写真のひまわりの花はカワイイことが推測できます。
閑話休題
「ひまわりの季節!」とは暑い季節です.熱中症の季節です.
TVは見ませんが たぶん この季節には外出するなと言っていると思います
ところが、他の番組では 毎日8000歩程度は歩けとも言っています。
狭い家の中で一日8000歩は歩けませんので 外出するほかないのですが
よく行く宝ヶ池公園でも植物園でも ほとんど人は見かけません。特に高齢者は。
外は暑いですもんね。
でも ずーっと家に閉じこもってTVばかり見ているとアホ鬱になりますよ。
私どもは夏でも歩きますが それには日陰をおおいに活用しています
宝ヶ池公園でも植物園でも茂った木がいっぱいありますので日陰もいっぱいです
バスや地下鉄でわざわざ出かけますが 歩き始めるときには痛かった膝や腰が
帰りのバスの中ではほとんど感じなくなっていることが多いです。
緑陰散歩はドーパミンをいっぱい出してくれるためだと思っています
このドーパミンのおかげか帰宅したときには気分も明るくなっていて いいですよ
アホ鬱を キレイに払う ドーパミン!
「ひまわりの季節」はもう終わりです
いっしょに猛暑も連れて行って!と願う日々であります
九月の庭 密かに狙い定めていたのです。
何気なく思いついた初夏の庭 ムシトリナデシコ種バラまいただけの庭
ひとりうぬぼれ大満足 ひとりうれし涙の三歩手前。
もう大がかりな庭づくり出来ません。夏の庭は日日草に頑張ってもらいました。
九月ねらいに中高性、矮性のひまわり、鶏頭、トレニア 種ばらまいてみました。
高さにひまわり、つなぎに鶏頭、矮性ヒマワリ、続いて株元にトレニア。
順調なり 順調なり・・・おっとっ とっ とっ あれええ
トレニア順調すぎて日日草襲わんばかり、矮性ひまわり飲み込まれちっちっちっ
鶏頭はひまわりと同じくらいの高さ いいんだけど倒れ咲き開始
主人公のひまわりさんなんとか蕾までこぎつけた…開花とともに倒れてきた
支柱つきたてる腕力無し。どうか さっさと咲いてね!
うまくいけば うまくいけば・・・輝け ああ我が九月の庭よ。
あのおお 台風が・・・ あああ・・・ わたし見てるだけ
九月の庭 もう狙ったりしません。あるがまま 皆のがんばり見届けることにします。
それにね 庭の花が倒れ伏し一斉に花もたげて咲いてる姿けっこう好きなのです。
それも庭の姿 花の姿 共感してくださる方いるのかなあ
九月の庭 さあスタートです。
季節ごとの庭 あなたのプランはどんなんかな? 楽しいプランでしょうね。
今年の九月の庭は 夏の庭と秋の庭いっしょくたに楽しみたい それが目論みでした。
わたしには秋の庭はもうありません。 九月の庭楽しみつつ極力体力温存につとめ
十月十一月、庭の片づけへのエネルギー消費にあてねばなりませんからね。
そして 来春のプランへ。これで精一杯。顎が出ないようにせねばなりませんからね。
本来の秋の庭はよそ様、植物園様の庭のぞかせていただくだけ・・・それで精一杯
あなたの秋の庭 じーっ覗き込んでる後期高齢生存者いたら・・・わたし達かもよ。
やさしく 許されたし!
写真No.112:8/18:
2週間前と4週間前にも載せましたが だんだんと凄くなるので またまた日々草です.
ここまで豪華に咲き誇れば これは爛熟と言えるのでないかと思います。
人間の年齢で言えば30歳代から40歳代でしょうか?体力も精神力もある時代です.
私?何をしていた? テニスです.
30代の後半にロスアンジェルスはWest Woodにあるアパートに住んでいたのですが
それに隣接して公園があり その中に公共の無料テニスコートがあったのです。
そこで,暇さえ有ればテニスをしていました。相手は勿論我が配偶者さんです.
その当時のテニス界のスターと言えばビヨンボルグさんで彼はトップスピンで有名でした。
と言うか テニス界にトップスピンを持ち込んだのがボルグさんだったと思います.
ボルグさんは卓球からトップスピンに入ったそうですが
我々も卓球はやったことがありましたので トップスピンでラリーを楽しみました。
約10年間テニスを楽しみましたが40歳代半ばで 2人とも体力と上達の限界になりました。
テニスの試合であればポンポコテニスでもできたのですが
私どもは勝ち負けを争うのは好きではありませんでしたのでキッパリやめたのです。
テニスを止めるとほどなく車であっちこっちを走るようになりました。
何事に付け目標を立てて それに向かって努力するタイプですので
なんとニッポン国中、沖縄から北海道北端までを車で走るという目標を立ててしまったのです。
それから10年間暇さえあれば車で走っていました。
ニッポン国中ドライブの詳しいことについてはまたの機会にいたします。
お散歩お散歩嬉しいな もう馬鹿みたいに暇さえあれば歩いて来ました。
・・・いつも同じことすると思ったら大間違い・・・
バッティングセンター、公園ピン球野球、卓球、テニス,もぐら叩き
テニスは十年近く没頭してたようです。
こう書くとスポーツマンみたいですね。 れっきとした嘘です。
まったくの自分勝手な楽しみ方、その追求あるのみ それが楽しかったのです。
もう絵に描いたような不器用者、非力特に腕力絶望的。
ただね 忍耐の塊となって待ってくれる人がいるとなると
そうですねえ 努力の人の可能性、独自の成果たどり着く可能性は持っているのかも
最初から最期まで忍耐つつみこんだ楽しげな熱血指導 待っててくれました。
応えなくてはなりませんからね。 人生の華 テニスライフでしたよ。
卓球もラリー少しは…思っていました。テニスライフ終了後 卓球しょうと思ったら
なんとラケットに球あたりません。全くあたりません。かすりもしないのです。
あきれてしまいました。
テニスボールとラケット必死で合わせることに成功。 その引き換えに
ピン球とラケット合わせる能力失ったということのようです。
もちろん 球とバットもあっちとこっち スカー スカー。
きっともぐらさんもあっかんべーして笑うのだとおもいます。
我が不器用さ思い知らされて頭抱えて恥じ入った。。。もうむかし話です。
全ての時楽しかった。バラ色に輝き続けた日々 スポーツの巻でした。
まだ最後の砦 お散歩お散歩嬉しいな
両手に杖 頑張っています。
もう大変アハハ状態 炎天下今日も出かけるのですよ。
後は 居眠り・うたた寝・昼寝三昧 膝が…腰が… いざ生きめやも
日日草さん 笑いながら見ててくれてます。。。よね?
写真No.111:8/11:百合の実
これは野の百合の実と言うか 花が咲いた後に出来る種の入った丸いものです.
果物や野菜で言えば メロンやアボカドやシシトウのようなものです.
何を隠そう この写真を撮るまで 百合にこんな実が出来るとは知りませんでした。
この実は直径1.5cmで長さが10cm程度です.
これは野生の百合、つまり雑草の一種なので 植物園でなければ 一個取って
分解して どんな種があるのか見たかったのですが できませんでした
草花に詳しい我が配偶者さんによれば 細かい種がいっぱい 入っているらしいです。
百合は花としてはとても華やかですが それにもかかわらず たくましいようです。
家の周りを散歩していると あっちこっちの ちょっとした隙間から芽をだして
元気に育って根性の花を咲かせています。
このちょっとした隙間というのは
道路の端のアスファルトと側溝の間の1cm程度の隙間とか
階段の段と段の間の5mm程度の隙間とかです.
ほとんど根を張れないのに元気に育つと言うことは水分が余りなくてもOKと言うこと
でしょう。
逆境に強いのですね。
言っときますが 私どもは 逆境には弱いです。
そこで,逆境にならないように 細心の注意を払って生きてきたわけですが
人間の注意には限界がありますので逆境のような状況が避けられないこともあります
そんなときはどうするか?
「神様!仏様!」と言いながら強運を頼りに乗り切ります。
これまでのところ 神様か仏様が応援してくれたのか なんとかなってます
happyにきる秘訣はラッキーであることに尽きるようです。
地上にもっこり大きな葉のかたまり
そこから花茎真っ直ぐに立ち上げること訳160cm
大きな蕾その充実感 異様感ありあり
一体あなたは何者だ?
植物園人の来なさそうな小道 人の目線に入って来なさそうなアングル
見つけてしまったのです。
蕾は花の形を見せ始めどうも百合らしく開花の気配…次回きれいに満開だな
楽しみにやって来たら・・・こんなことになってました。
姥百合らしい 山林に咲く野生の百合らしいのです。
初めて知った今日知った明日の晩まで覚えとこ…ではなくお付き合いしたいものです。
冬の種姿確かめ、来年にどう出現するのか キョロキョロするつもり。
花姿もしっかり確認したい。
なにげない出合い 知りたい 確認したい
次は自分から探し見つけたい
うばゆりさん 待っててね。
暑さの中意識朦朧の日々に新鮮な出会い。知るは喜び
来年の目標までできたりして 知るは力
お互い生き延びましょうねの 姥百合さんでした(多分)
写真No.110:8/4:日々草
2週間前にも この我家の前庭の日々草の写真を載せました。
再掲したのは日々草の成長を見て欲しかったからです.
花の数が増えて随分と華やかになりました。日々草さんも嬉しいことでしょう。
人間の子供の場合には成長すると口答えしたり親を疎ましがったりするようです
あっ!猫も成長と言うか慣れてくると飼い主を軽んじていやがるようになるようです
昔のことですが同居していた猫は夕方には押し入れにはいって身を潜めました
飼い主から隠れるためで かまわれたり触られたりするのがイヤだったりようです
毎日夕方になると姿が見えなくなるので 探すと押し入れにいて 見つかると
いかにも嫌そうに 顔を横向けて小さい声でミイヤーと鳴くのであります。
人間でも猫でも若い時代の変化を成長と呼ぶようですが これは誤りです。
うちの猫ちゃんを観察すると 猫にとって成長とは
最小の努力で(可愛い頭づ付きや猫なで声での鳴き声を2回か3回)
最大のオイシイ食べ物(猫さん用のさまざまな缶詰など)を
飼い主に提供させるノウハウを向上させること
と定義できます。
しかし これは飼い主である われわれ からすると成長とは言えません
もっと べたべたとくっついて いつでも撫でさせてくれるように変化することが
飼い主的には猫の成長と言えます。
このように猫でも成長の定義は人や立場によって異なります。いわんや人間をや!です.
毎日暑いので このエッセー主たちはへばり気味ですが
日々草はわれらの「愛と夏の光」をいっぱいあびて元気に成長しています。
もしかすると値段の高い上等な苗を買ったためではないかと疑ってはいます。
お金さえ有れば資本主義も悪くないかもしれません
バスの中で聞こえてきた会話
お嬢ちゃんなんだか美人さんじゃないの 良いなあ女の子は
いやあもう可愛くないって 自分一人で生きてるみたいないい気な態度
親なんて見向きもしない もう憎たらしいったら そのくせ
何かして欲しい、何か買って欲しい時だけ甘い声出してすり寄ってくるんだから
もお腹立つよお あああ あんなに素直で可愛かったのに
【わあ子供大きくなるとそんなひどいことになるのかあ 親も大変だなあ
甘やかしだな そんなのぶっとばせばいいのに 押し入れにほおりこめばいいのに】
迷い猫ちゃん我が家にやってきました。可憐 一途に我らの胸に顔を埋めすがり
緑の瞳外さずのアイコンタクト 出されたものは残りご飯でもおそうめんでも
おしとやかに いただきまあす。
なんと猫ってこんな動物だったとは 優雅 上品 ひたむき 無邪気
なんていい子 もう全身魅力のかたまり ああ黄金の手触り感よ
メロメロ
こんなもの食べれるとお思いですか。あっそれ以上触らないでね。
出かけますドア開いていませんよ。 あれ自分らばっかりでお散歩ですか
ひとり残されるとは ああなんて可哀そうな我が猫生よ。。。フミャーン
アッしっぽタンタン床叩いてるのは会話ではありませんよ
猫なで声で話しかけるのお黙りなさいの合図なのいつになったり理解するのですか。
もうミャオちゃんひどい しばくぞ 押し入れ放り込むぞ
なんと
あんたら顔もみたくない 押し入れ入ってあんたら寝に行くの待つわ
なんと なんと いつだって いつだって 完敗
今はリビングルーム横クリスマスローズの下で眠っています。
ほんと性格の悪い猫だったねえ ほんと可愛い猫だったねえ
あんな可愛い猫ちょっといないだろうねえ
ああミャオちゃん 恋しやのミャオちゃん
思い出せばバスの中で話してた方
絵にかいたようなお母さんそのものタイプ お声も嬉しさにあふれてたぞ
娘も猫も あはは そうゆうことなのですね。
長年わたしを悩ませ続けた日日草さん とびっきり元気
まだまだ気は抜けないけれど 可愛い日日草さん
You make us happy ですよ
写真No.108:7/28:猛暑
植物園のほぼ真中にある大芝生地の写真です.人っ子一人居ません。
これでも春や秋のお昼時にはお弁当を食べる大小の団体で賑やかになるのです
京都の真夏は35度を余裕で超えますし
天気予報士さんは熱中症!熱中症!とさけびますので
植物園はがらがらなのです。
以前にも書きましたが これは我らの好む状況です.
静かな緑陰に囲まれて冷たいココアを楽しむのはなかなか良いのです.
夏の暑さと言えば これまでの経験で一番暑かったのは岐阜かもしれません。
あれは7月の末でした。
有名な長良川の花火大会を見るために行ったときのことです。
まだ寿司ならなんでも食べたがる年頃でしたので やるきのありそうな寿司屋があれば
たとえ海からはなれていてもチャレンジしたものでした
そのお店から出て歩いていたときの街がスーパー暑かったのです.
今から思えばガッカリショックの性だったかもしれません
食べた寿司がメチャ美味しかったらドーパミンが出て暑さも感じなかったのでしょう
暑さや寒さといえども気分しだいなのは間違いありません.
しかし その後で見た花火は凄かったです.おおいに興奮しました.
あまりの感激にその翌年も翌々年も見に行きました。
さすがに3回見ると堪能しましたが.
それにしても花火というものは人間を興奮させますね
なぜなんでしょうね?
そう言えば犬も花火の音で興奮し
ウォーン!ウォーン!
と遠吠えしますから 人間も胸騒ぎがしてじっとしていられないのでしょう
夏は美しい 光が空が雲が 空気が澄んでいるんですね。
夏が好きと言えるのは 木陰・冷房の部屋に居ることが必要条件
思い知らされています。
車生活終了となって八か月過ぎました。冬・春・初夏 楽勝、ノープロブレム
夏になって突如失速もがいています。強情張って外出・散歩パターン維持するのですが
もう…もう…汗ぐっしょりのよれよれの・・・家にたどり着くことの喜びよ
乾いたシャツの心地よさ 倒れんばかりの昼寝三昧の心地よさ 今日もやれたぞの達成感
良いことなんですけどね その他に向けるエネルギーが残らないのが困りもの
慣れてくればなあとか あれやこれやの工夫がが必要だなとか考え始めました。
二人そろって強情者 外出・散歩パターン守り切らねばなりませんからね。
読売新聞に見つけた記事によると
米国では 人種差別、性差別と同様に年齢差別も排されるのだそうです。
年齢による特別な不利な扱いは許されない・・・とのこと
個々の能力が重視されるということなのでしょうか。
我が国の年功序列制、定年制なんて異質の思考でしょうね。
そんな思考馴染んてしまってるからでしょうか 実例、統計数字まて掲げて
老人の運転はあぶない 運転するな・運転免許証返納しろ そんな圧力もうそこかしこ
個人の問題として考え始める前にもう染まっていませんかね。
老人運転は危ないものですからね 老人の皆さん早く運転やめましょうね。
他人のためです あなたのためです 世のためです。
そんなことなのですからね さあ さあ さあ
米国 日本 基本発想 理由付けの違い 私も日本流はまっていたらしく
発想の視点の違い 新鮮な 虚を突かれるの思い 面白い!
視力衰えたり 動態認知反応力衰えたり
我が家の場合まっとうな理由・・・車生活さよならとなりました。
生活は人生は続きます 適者生存の法則 負けまいぞ
老人と呼ばれたあなた 少し抵抗 すこし頑張って粘ってみるのいかがでしょうか
行き方生活のパターンあなたの思いをしなしてこそ 我が人生と実感できるのかも
なんちゃって いざ生きめやも
写真No.108:7/21:日々草
日々草は私の最も好む花のひとつです.それも白地に赤い中心色があるのがとっってもいいです。
なぜか私には 可憐でけなげ に見えるのです。気候とか土地が気に入れば夏の間通して咲いてくれます。
我が家の庭とは気候風土が合わないのか 植えてもしだいに弱ってしまうのですが
初夏にガーデン屋さんに行くと 必ず買ってしまいます。
日々草と言う名前も良いです。名前から言えば毎日咲きそうですが
私の観察では一つ一つの花が咲く期間がかなり長いので株全体としての花期は長いと思います.
気候風土が合えば夏中咲くかも。
私も日々草のように「日々」元気でhappyに暮らしています
日々のメイン行事は散歩と読書です.
大学生時代は今よりももっと読書の時間が多かったです
いわゆる自分探しの読書です.
自分の価値観というか社会に対する立ち位置を知るための読書でした。
4年間で数百冊の本を読みました。こんな本好きでしたが
本の読み過ぎかパソコン画面の見過ぎで 目が悪くなり小さい文字が読めなくなりました
10年ほど読書出来なかったのですが時代が進歩し電子書籍が登場しまた読めるようになりました
Kindleで1頁数行しか表示できないほどの大きい文字で読んでいます。
現在は自分探しはしていませんので 読むのは 三文小説と雑誌記事(含む評論)です.
TVをみませんので現在の社会に関する情報は主として雑誌記事から得ています。
散歩は家の付近と宝ヶ池公園、植物園が中心ですが
最近は賞味期限が過ぎた災害用ビスケットを持って
宝ヶ池公園の鯉たちにおやつを与えるのが楽しみです
亀さんもいるのですがボーっとしていますのでほとんど食べることはありません
そうなるとますます亀さんに向けて投げるのですが
鯉たちがスピードとパワーで横取りし 二人を悔しがらせています
要するに 日々 のどかに暮らしてます。
バラは赤ですよ チューリップは赤がいい
どうしてひまわり咲かせないの スイトピーは赤に決まってる
ダリア庭にないんじゃない 夏はやっぱり日日草だな。。。
わかってますよ わかってますよってば
ぜんぶ咲かせました 咲かせようとしました
赤いバラ満開を目前にカミキリムシにやられて突然死
大輪のひまわり咲かせる場所探し困難・狭い庭かさばって花後庭とともに立往生
ダリアあっというまにうどん粉病・隠しちゃいたいショボい立ち姿
スイトピーは混色にしたら 赤じゃないんだ。。。
そして 日日草 なぜか立ち枯れる・しなびてくる・腐ってくる もう発狂しちゃいそう
つくづく残念な自称御庭番もどき
あっ チューリップだけは赤を中心に球根選び参加してもらえてご満足の結果
責任回避 やれやれ
今年ひさしぶりの日日草
毎日必死の思いで覗き込んでいます。 元気です。 このまま頑張って欲しい
可愛い日日草さんと平常心で呼べる日来るのでしょうか
こんにちは 日日草さん わたしが ママよ。。。
歌える日・・・来るのかな
ええい、 ままよ!
腕組んで待つことにいたしましょう
夏の庭 夏のドラマ展開中
写真No.107:7/14:ハイビスカス
ハイビスカスと言えばやはり沖縄とか石垣島とか喜界島です。
喜界島?
ご存じないかもしれませんね。この島は新婚旅行に行ったところです.
こじんまりしていてなかなかよかったです.車で一周しましたが アッと言うまでした。
島の中央に小高い山がありましたので そこに行って一周すると島中が見れました。
群青色の海もきれいでした。
我が家の居間には日本地図が飾ってあるのですが
これを見ると台湾と鹿児島の間は約1200kmで その間に大小の島々が点在しています
日本の最西端にある与那国島は鹿児島からは1000km以上ありますが 台湾からは約100kmです.
ということは昔の日本人は たぶん行動力があったうえに争いに強かったんでしょうね。
私の想像では ずーっと昔に鹿児島と台湾の間の島々の所属について競争があったはずです
力が均衡していれば鹿児島と台湾の中間ぐらいに国境が決まったかもしれませんが
実際には台湾の直ぐそばまで日本領になったのですから現在の日本を見ていると信じがたいです
平和的というか争いごとが嫌いと言うか何事にもビクビクです(含:私ども)
誰かは「腰抜け民族」と言ってました
しかし台湾の直ぐそばの島まで日本が取ったという歴史的事実を見ると
ほんとう?の日本人は 行動的で強いのではないかと思われます
せっかく腰抜け民族となって毎日平和で安全で 安心して暮らしているのに
なにかのきっかけで元に戻ってしまわないかと心配になります
ユーチューバーさんとやら最近あれやこれやでご活躍ですね
身近に出没されたら 即嫌だ!っと言うくせに 映像楽しんでいます。
最近のお気に入りは世界の都市をただただ歩いて見せてくれる映像 イスタンブール、
ロンドン、スウェーデン、ニューヨーク、中国、インド、バンコク、フィリピン
そこもあそこも もちろん東京もね。街を、建物を、食べ物を、交通機関、そして人々を
毎日毎日眺めてるともろ見えてきますねえ
どんな国なのか 文化なのか 政治・経済事情もちらり
なんて堂々たる体格…こんな人達の国とは戦争しちゃあいかんぞ
うわあ誇り高そうだなあ…歴史から来てるんだろうなあ
わあめちゃくちゃ…これでやっていけてるのかあ
生真面目な国民性かとみせかけて…わあなんて皆揃って遊び好きなんだなあ
見事な街づくり…落ち着いた生き方なのだろうなあ
あれ男性はどこだ? わあ女性はなにしてるんだろう
子供の姿少なすぎる 街に出てこないのはいかなる理由からなのだろうか
わあ子供ばっかし 多すぎる 良いのだろうか
まとめ
ほんと どの国の人も幸せそう 懸命に働いていそう しっかり食べていそう
歴史だとか 政治・社会・経済問題だとか 天災だとか
ニュース情報中心に国々を世界を人類を見てしまいがちだったのだなあ
現実に街行く人々はもっと健康的で負けてないぞ
今の自分の生活楽しく維持し続ける意欲ありだぞ
どの国のどの街も明日を疑ってないぞ
人間人類当分大丈夫なのではありますまいか
わたしの好みはタイ・バンコク 誠実信頼努力がすこやかに生きているの雰囲気
道行く人に心地よい懐かしさ感じるのです。
ぷぷぷ 東京ひとめでわかります。
日本人みんな同じようなおとなしげなきれいな服装
疑いを知らぬような夢心地のような顔してる ほんわか歩いてる
かっての戦闘意欲に満ちた歴史とやら 今何処
身びいきが入るのでちょこっと心配
少しで良い ハイビスカスの元気な花模様 ブラウス シャツ 帽子飾り 日傘
何処かに見せてくれる方いないかな
ハイビスカスさま ひとこと どうぞ
喝!!!!!!
写真No.106:7/7:蓮
植物園の蓮のつぼみです.
雨上がりでしたので咲いた花は下向いていましたが
つぼみは元気に上向いていましたので 今回はつぼみです.
蓮といえば琵琶湖の水生植物園の付近にあった とても広い蓮の群生地を思いだしますが
数年前に突然消えてしまいました。
植物はきむつかしいし弱いんだなーとビックリでした。
今は夕散歩の途中にある元農家の庭の壺で咲いているのが見れます。
この壺は当然ですが水を貯めてあります。その水の中にはメダカもいます。
実はメダカを飼っていたことがあります。水生植物用の容れ物の水にボウフラが湧かないように
メダカをアマゾンで購入したのですが その結果ハマってしまいました。
なかなかカワイイのです。
メダカなんか小さくて皆同じと思っているかもしれませんがそれは違います。
それぞれに個性がありました。そして自分と性格が似てる個体をかわいがったりしたものです.
ちょっと脱線しました.蓮の花がテーマでした。
蓮と言えばお釈迦様、仏教を思い浮かべます。
日本の仏教は外国のイスラム教やキリスト教に比べれば存在感がないように思えるかもしれません
仏教はイスラム教やキリスト教のように自己主張が強くありませんので
宗教を広めるために世界中に人を送り込んだり
人に乗り移って戦争させたり
日々の行動パターンにいちゃもんを付けたり
と言うようなことはしてこなかったようです
なんかの儀式のときしか表にあらわれないので存在感が弱いと感じるのでしょう
しかし しかし 仏教は1000年以上も昔に渡来し日本社会に存在していましたので
日本人の在り方に大きい影響を与えてきたに違いありません
たぶん仏教の世界観は日本人の無意識の世界で存在しているのでしょう
例えば 多くの日本人が「諸行無常の精神」を心底に抱くのも
「わび」とか「さび」とか言われるネガティブ系の美に心を動かされるのも
1000年以上も仏教にさらされてきたからかもしれません
私は「諸行無常の精神」も 「わび」とか「さび」も好んでいますので
日本が仏教の国でよかったです.
琵琶湖へ突き出た烏丸半島 琵琶湖らしさを眺望を満喫 お薦め度高しの公園です。
その一部の水生植物公園みずの森によく通いました。
素直に湖畔利用した庭造りナイス 温室睡蓮の池はもう年中うっとり
初夏湖畔一面をピンクに染めて蓮の花が咲くのですよ 壮観ですよ
広がる葉の下覗くと食用ガエルの卵が 大きなオタマジャクシが きっとジャンボなカエルも
美しい 面白い 生物学習の場 エトセトラ あっ小魚も 色んな昆虫も 蛇も泳いでたな
さすがその名のとおり 水生植物公園! 感銘・尊敬してたものです。
睡蓮と肩を並べて主人公をはっていた蓮の花
なんと この蓮は公園のために持ち込まれたのではなく 自然・自生の蓮の群生地なのでした。
観光の目玉ともなっていたのですが 自生群生地ということで認定?されてるため
手を入れることが出来ない 船の通行に不便でも処分できない レンコン採取できない
なんにもしてはいけない みてるだけ アンタッチャブルの蓮の群生地
栄枯盛衰がここにも
群生密度高すぎ 蓮の生存に不都合な環境になってしまい
みてるだけ・・・全滅・・・みてるだけ
もうむかし話になるのかもしれませんが
アメリカ合衆国イエローストーン公園大火災 かなりの領域延焼したことがありました。
その時 ここは自然のままを謳った公園 火災も自然現象 それを含めての自然なのだと。
燃えてしまいました 動物・植物 燃えてしまいました 環境変わってしまいました。
それが自然 人は手を出さず みてるだけ
もちろん そして多分 その後の観察・研究がしっかりなされたのだとは思います。
もちろん そして多分 見事な美しく興味深い復活のドラマへと続いたのだとは思います。
なにが言いたいのか なにがポイントなのか わからないのですが
わが心が みてるだけ みてるだけ つぶやき続けるのです。
みてるだけのあいだに うつろいゆくものたち
変化なのか 絶滅 なのか 復活 なのか 原因なのか 結果なのか なんなのか
なんでもかんでも みてるだけ
まあ わたしの得意の分野 というか 怠惰・無気力・無責任の極意なんですけどね。
みてるだけ なんと 生きる喜びの源でもあるんだよなあ
昨日も今日も明日もみてるだけ なんだかごめんなさいの人生です。
なんだかなあ ためいき
写真No.105:6/30:白百合
毎年、我が家の前庭で咲く華麗な白百合です.
百合と言えば まずは「歩く姿は百合の花」を思い出します。
とは言え 繁華街に出てもyoutubeで東京・ロンドン・ニューヨークなどの街角を見ても
歩く姿が百合の花に見えるような人はまったくいませんね〜。
まあ Tシャツにジーパン上下併せて2000円では華麗な百合の花には見えませんよね。
いったい どこで百合は咲いているのかと 思いをはせると
日本ならやっぱり絞りの振り袖を着ているときでしょうか
それとも真っ白な花嫁衣装を着て静かに歩いているときでしょうか
それで思い出しました
だいぶ昔ですが平安神宮の正面拝殿で白無垢の花嫁さんを見たことがあります。
つやつやとした白さの正絹と思われる白無垢を見たのは人生で初めてで
あんまりキレイなのでちょっとビックリしました。
馬子にも衣装とも言いますが確かに衣装が異なれば違った人に見えます
これは衣装のせいというよりは衣装で中身が異なるためでしょう。
昔 背広をきてネクタイをつけるとアドレナリンが出て違う人になったような気がしました
退職した今も出かけるときは上下併せて2000円以上の服に着替えるようにしています。
これも他人に見せるためと言うよりは 外出モードに切り替えて
自分の気分を高めるのがポイントではないかと思います。ドーパミンも出ます。
繁華街やyoutubeに出てくる普通の人でも
白無垢の花嫁衣装を着て平安神宮の拝殿に上がれば白百合の花に見えるかもしれません
そう言えば最近見た「コノスバ」のララティーナさんは花嫁衣装を着ていましたので
鎧で武装しているときとは別人のように可憐な様子でした。もしかすると白百合の花だったかも
角を曲がってやって来た百合
散歩道 山裾の神社からだらりの坂道ひょいと角曲がった細い道
山からの水の流れと塀の隙間に見つけました。
夕方散歩のお定まりのコース ため池からの水路ひょいと角曲がった細い道
流れと崖の隙間に見つけました。
同じ百合です 日照少なく土もなさそうな狭い場所
同じようにアスファルトの隙間から咲きだしているのです。
驚き 感動 半端なし
路傍に見事な白百合の花
細い葉モシャッと茂らせて・しっかりの花茎立ちあげて・蕾は一つか二つかな
冬にはタネいっぱい詰め込んだ花殻の造形美 季節通しての楽しいお付き合い
球根ではないのか? 一年草なのか?
どうも同じ場所ではないぞ 水路に沿って少しずつ移動してる?
あれだけたくさんの種だもの風が運ぶのでしょうか。
我が家近くの水路横のアスファルト 百合かたまり見せて咲きました
一年だけ・・・ 残念だなあ
なんとそこからひょいと角曲がった我が家の駐車場
壁に沿って百合咲きだしたのです。
ようこそようこそ 好きなだけ咲いてね 増えて欲しい!
種まき散らし待つことにしました。ふふふん 二年続けて花姿みせてくれました。
三年目株数ヶ所で元気に成長中
わたしの百合 白百合さん お名前は高砂ゆり なのだと思います。
道に向かって咲く庭です。華やか元気が良いですよね。
花苗屋さんからの豪華な白百合も咲きました。
道行く人楽しんでくれるかな
迷い込んできたあなたは私の白百合です 演出なし
好きなように好きな場所で咲いてね
ふいっ 角を曲がっての出立の日
その日がやってくるまでは・・・
白百合のような人。。。理解しました。
豪華さと素朴さ つつましさの内の華やぎ
高砂ゆりのような人のことなんだなあ
写真No.104:6/23:菖蒲
京都市植物園で撮った菖蒲の写真です
去年はほとんど全滅でさびしかったのですが今年はいろんな色できれいに咲きました。
じつは宝ヶ池公園にも菖蒲園と言うかコーナーがあるのですが
ほとんと花を咲かせません。数年前に2,3輪黄色く咲いたことがある程度です.
この公園には、菖蒲園の他に桜の園、梅林園、野鳥の森と言うコーナーがあります。
どれもパッとしません。
例えば,梅林園には非常に多くの たぶん数百本の梅が植えられているようですが
花はほぼ咲きません。我らも 梅の季節になっても見に行かないくらいです。
桜の園には毎年のように幼木が植えられますがほとんど育たないようです。
まあ土が合わないのか 愛が足りないのか その両方か です.
愛?と不思議がる人がいるかもしれませんが 草花には愛が必要です.
いっぱい愛されている花は
"私は愛されている"オーラ
をいっぱい出しながら咲きますし 忘れさられている花は
"私は雑草に違いない"オーラ
を放ってすさみます。
草花でも持ち主の心の在り方が反映すると言うことです。
その差は一目見れば分かるほどです.
もっと言えば庭を見れば その持ち主の人が分かります。
庭は人の顔のようなものですからね。
みなさん! 気を付けましょう。
とは言うものの顔が"私は誰にも愛されていない"オーラを放っている場合には
顔から直す必要があります。
が、人間の顔は生き方の集大成ですから簡単には直らないでしょう。
いずれアヤメか かきつばたか 花しょうぶか なんなのか
だらりの帯の舞妓さん 屏風絵 花扇 舞踊 和の文化
遥か彼方 わが身とは異質な世界へのいざない 惹かれます。
花株は350円まで!頑張ってた頃 花菖蒲の株350円見つけました。
気合入れて育てました 育ちました 一本の花茎・蕾 さあ開花です!
そんなタイミングでの旅行プラン うめいてしまいました。
三日後 花終わってました うめいてしまいました。
どんな花だったのかも知りません。
2年3年4年株元気に増えました 花茎たちあがりません 花咲きません
かっとなって処分しました。
それから10年くらい経ったのかな 庭持てた時ジャーマンアイリス株入手
気合入れて育てました 育ちました 花咲きません
2年3年4年葉は元気です 花茎たちあがりません 花咲きません
かっとなって処分しました。
京都宝ヶ池 育てども花咲きません 諦め顔の菖蒲池
植物園 大半の株に異変発生・ガードナーさんおおわらわ 一年後復活の菖蒲池
愛がない・・・身が縮みます
菖蒲の花覗き込むとき 身と心少し閉じて見ています
それでも 聞きたくないささやき 気づいています
。。。今 咲こうと思ってたのに。。。
愛がない・・・身が縮みます
夢の庭の 花菖蒲 ジャーマンアイリス
。。。どんな花咲かせているのでしょうかねえ。。。
。。。夢うつつ見せてくれない花姿。。。
写真No.103:6/16:アジサイ
我が家の横の庭でひっそりと咲くアジサイです.相変わらず きよらかな雰囲気です.
これまでにいろんなところでアジサイを見ましたが
若狭湾を見下ろす丘の上でひっそり咲いていたアジサイは
今まで見た中でも最も奇麗な種類でした。これで挿し芽をした記憶がありますので
この我が家のアジサイは若狭湾のアジサイの子孫かもしれません。
若狭湾と言えば小浜を思い浮かべますが、昔はよく行きました。
一時はほぼ毎週です.海岸沿いにあったお寿司屋さんが目標でした。
お寿司屋さんは田舎の寿司屋とは一線を画した良いお店でしたが
今から思えば げそ がすごかった。
寿司ご飯の上に巨大な烏賊の足がそのまま乗っているのを大格闘して食べると言うか
飲み込むと言うか とにかく 胃に入れてしまうのです.
取れたてで新鮮な魚貝類を食べたいと言う欲求を完全に満たしてくれました。
ネタが大きいので たぶん10貫程度しか食べませんでしたが
小食になった今なら2,3貫しか食べれないと思います.
と言うより新鮮なネタが固すぎて一個も食べれないかもしれません。
ああ!なつかしい!
この寿司屋さんに通うために 京都から鯖街道を車で90分駆け抜けたわけですが
当時は鯖街道が車の道として整備されていなかったため 舗装はされていましたが
道幅が狭い箇所が多くて 対向車が来るとちょっと大変だったのです。
世の中良くしたもので狭い道で対向車が来て困ったことは ほぼありませんでした。
だいたいの人は狭い道は避けるんですよね。
そういう行動を考えると私はちょっとrisk-taker的な傾向があるようです。
おかげさまで私達の人生だいぶ楽しかったような気がします.
手堅く何もしないよりは ちょっと危ないことをするほうが楽しいですからね。
ただし,risk-taking で失敗すると それどころではありませんので
人生的に重要な局面ではラッキーであることが大切です.
狭い道で前から車がきたりしたら大変ですからね。
ラッキーに危なく生きる!これが人生の秘訣のようです。
海辺の町 新鮮な魚・甘辛な味で育ってきました。
京都にやって来て即京都の味馴染みました。
学生食堂のおうどんの味にイチコロ
お出しが美味しい うすあげの優しい甘さよ
京都の人は優しくお揚げさんと呼ぶのですよ。
朝夕食事ありの下宿生活 京都のおばんざいにイチコロ
感激したのが鯖の料理 短冊切りの大根と塩気のある小さな鯖の切り身のお吸い物
ひたすらさっぱり・透明感の内に大根の味とサバの塩味 うなるしかありませんでした。
またお祭りの日なのでしょうか年に2回ほど頂き物あったからと鯖寿司二切れ
紅ショウガ添えて小さなお盆に御茶とともに部屋に持ってきてくださるのです。
これはもう芸術品だと思いました。 心いつもでんぐり返り
懐かしい大切な思い出なのです。
京都の料理に足向けて寝るわけにはいかない…思っています えへへ
何が言いたいのか
この鯖 鯖街道 京都府の日本海側若狭湾小浜から京の都へ 京の味へ
広く知られている事なのだと知ったのはずっと後のこと
海を見たい病お寿司食べたい病から小浜へと通い続けたドライブコース
ずばりその鯖街道だったと知った時の驚き
小浜市 港町であり城下町であり…わが故郷との共通のかおりそこかしこ
もし我々の運命都落ちとなるのなら…ここがいいここなら幸せに生きていける
そうおもわせてくれた町なのです。
そんな小浜の海に向かう丘に見つけた紫陽花 これこそ我々の紫陽花だあ
花泥棒 一枝小さく切り分けての挿し木 わが庭の紫陽花の出自です。
庭のあちこち咲かせたのですが皆ピンク系紫に変わってしまい
もとの色守っているのは一株だけになってしまいました。
風吹きゃ桶屋が儲かる
なんだこっちゃのあんまりのグダグダ語り すみません
単に この紫陽花への愛を語りたかっただけなのでありました。
写真No.102:6/9:ひまわり
まだ季節的には早いのですが 去年のこぼれ種から勝手に育って咲きました。
なんとも言えない adorable なひまわりです.小さくてかわいい。
普通のひまわりの10分の1もありません。
ひまわりと言えば 私がまだ院生で 配偶者さんが働いていたころ
アパートの前の庭を耕して ひまわりを植えたのを覚えています。
配偶者さんは忙しかったので この頃は かく言う私がガードニング担当でした。
ところが ひまわり が私の背くらいに高くなり つぼみも付けたころになって
沖縄に3日も出かけることになってしまいました。
心残りながら出かけましたが 初めての沖縄旅行ですので
現地ではとうぜん ひまわり のことは忘れはてて楽しくすごしました。
無事旅行からアパートに戻ってくると なんと ひまわり がまだありました
私よりも1メートルも背が高くなって そのてっぺんには巨大なひまわりの花!
が咲いていたのです。椅子を持ってきて
その上に立って見ましたが ひまわりの花は頭より高いところにありました。
思わずこの光景を写真を撮りました。今もどこかに残っているはずです。
このときのガードニングではだいたいはキレイな花が咲いてくれました
これは beginner's luck だと思っていましたが 今になって考えれば
アパートのまえの庭は 以前は畑だったのかもしれません。
もと畑の土地なら栄養はたっぷりで草花にも最高な場所だったのでしょう。
beginner's luckなのか モトハタのためなのか 真実は分かりませんが
まもなく引っ越ししたこともあって
私の短かったガードニング体験はhappyなうちに終わりました。
だいぶ昔の物語です。
主人公を失った駐車スペース
ムシトリナデシコの種ばらまいたらことのほか大成功
密かにねらった田舎風自然な花庭のコーナーとなりました。
種採取の時紛れ込んだらしいヒマワリ グリコのおまけか!の嬉しさです。
断捨離のお年頃です。植木鉢処理 手間のかかるもの・はびこびすぎるもの処理
日陰の庭で慎ましくそれぞれの季節に楽しみ与えてくれるものを残し。。。
わが家の庭変えてきたのです。 静かに穏やかに庭と共に過ごしましょう。
ここにきて。。。南向き日光たっぷりですよ スペースたっぷりですよ
道行く人楽しんでくれるでしょうよね
ガードナーうれし涙の条件満たすスペースが我が物に。。。ここにきて
朝に夕にたたずむのです。流れ行くであろう季節を思い
何がしたいのか 何ができるのか 何が一番大切なのか
花を花苗をと意気込む協力者さんの熱き思い ひしひし
来週には花苗屋さんへ行く予定。
それでもなお佇んでいます。
どんな庭に向かうのか どんな生き方に向かうのか
分岐点
見えないところで賽は投げられているのでしょうね
何かを信じて進んで行くことにいたしましょう。
ムシトリナデシコ花畑に住み込んじゃってるモンシロチョウさん
あなたのいる間は手を付けませんからね。
あなたはね ある意味今の私の守り神 なのかも。。。
写真No.101:6/2:バイカウツギ
このバイカウツギは我が家の裏で咲いています。
何を隠そう!(何も隠すことはありませんが...)
これはこの家を買ったときの外構工事で植えるように依頼したものです。
裏庭で20年以上咲き続けた愛されている花なのです.
視点を変えると現在の家には20年以上住んでいるわけですが.
たぶん変化を好む性格のためか かなり頻繁に引っ越ししています。
始まりは京都は一乗寺で、松ヶ崎、下鴨と動いて、
この後はアメリカで まずはミシガン、次いでLAに行って、
勇躍下鴨に戻ってきましたが、4年も立たないでマサチューセッツ。
1年後に西ドイツはベルリンで過ごした後、再び下鴨に戻って、
その後現在の家に移りました。
現在の家は とても気に入りましたのでズーと居座っていますが、
その間にアメリカはLAの南パロスペルデスに1年住んでいます。
勘定してみると全部で10回引っ越ししています。
今から思っても どの引っ越しも楽しかったです.
引っ越しにはスリルとかサスペンスが付きまといますが
若いときには スリルとかサスペンスが 楽しめました。
言っときますが 今はイヤです。スリルとかサスペンスはイリマセン。
いっさいの変化がない安逸な生活をむさぼりたいです。
とか言いながら 最近も次の住処としてマンションの情報を集めています。
京都のマンションはメッチャ高いので ちょっと無理っぽいですが
まあ お金は天下の回りものですからね.
生来の憶病者 変化好まず
自分の隅っこ守ってすくぼっていたいはず・・・の確信犯・・・のはず
なんと結構多くの生活の場の変化経験してきてたとは
全て楽しかった 全て成功だった なんでだろう はてな
ひとつ 若かった
ひとつ 有無を言わさずの勢いの流れがあった
ひとつ 選択の余地 改善の余地があった
ひとつ 思いのほかの負けず嫌いの発見
ひとつ 思いのほか新しもの好きの発見
ひとつ 運が良かった
そして 一人ではなかった もちろん 一人ではなかった
若かったことがあった(完全過去完了形)
今はもう。。。
嫌です・・・この隅っこがいいです・・・すこしの変化も嫌です。
引っ越しには嫌な負の思い出をチャラにする要素がありますね。
浄化させ喜ばしい思い出ばかりにしてくれる要素
忘却のありがたさ 思い出はいつだって甘美の風味あり。
思い出はもう十二分に間に合っています。
膝さすりさすりの今日この一日があれば満足です。
これでいいのです。これが良いのです。
二十年来のお付き合い バイカウツギさん
お互いおだやかな日々重ねてきましたね
Are you happy? H A P P Y !!!!
写真No.100:5/26:・メタセコイヤ
宝ヶ池公園の三本並びメタセコイヤです.
新緑が過ぎて深い緑色になってきています。深緑です.
ますます良い季候になってきまして植物園は人でいっぱいです.
芝生公園には幼稚園か小学校の遠足のような集団が元気に走り回っていますし
これを避けても どのコーナーでも
きょろきょろのアマチュア写真家か虚ろなインバウンドとかに出会ってしまいます。
我らは人影もまばらな雰囲気を好みますので
この時期は(訂正 いつも かも)ほぼ閑散としている宝ヶ池公園によく出かけます。
とはいえ 車を手放したので 公園に到着するまでに いっぱい歩きますので
せっかくの池ですが一周するほどは歩けず ほぼ半周するだけです。
話題は変わりますが このエッセーを書き始めて 今回が100回目です.
毎週書いていますので約2年の間 書き続けたことになります。
自分で言うのもなんですが 他の人が読んで
興味深いとか
面白いとか
ためになったとか
はぜんぜんありません
読むのは主として配偶者で 言ってみれば
互いに手紙(ラブレター?)を書いているようなものです.
書くたびに誉めてもらえるので また,喜び いさんで 書くわけです.
それにしては アクセス数が多い?
それは 親戚の皆さんの 力だと思います.
特に 義姉さん!
これからもアクセス数増加にご協力よろしくお願いします.
やれやれ よっこいしょ
休憩ベンチは大きな樹の下 メタセコイアの足元
通年日陰 通年閑散 通年風の通る道 自然に深呼吸できる場所
大きな樹のその下で。。。 静かに時は流れます。
本当でありウソでもあります。
たどり着くとき お疲れさんだし、エスプレッソハイだし
頭軽薄 身体脱力感 口だけ達者のヘラヘラ馬鹿話 バカ笑い
さて バスの時刻表逆算しての分単位での行動開始。よっこいしょ。
不思議です。
そんな短いベンチタイムなのに ゆったりの時間の流れ 静かさの実感
自由感への解放感 満たされるようなのです。
メタセコイアなのです。
見上げると下から見えない梢まで重なり合わないように注意深く広がっている枝々
堂々たる大木のイメージに合わないかもの細く小さく柔らかそうな葉茂らせて
植物性樹木性生命体・・・大きななりをした無邪気な生命体
実まで小さくあどけないの知っています。
メタセコイアなのです。全てを包み込み広がっています。揺れています。
きょうは小さな菖蒲池越しのベンチからメタセコイアながめています。
これこそ皆の知る ザ・メタセコイア
歴史を生き抜いてきた勇者 我に続けよと大枝揺るがせ道しるべ示してる?
わが身の小ささを知ることの心地よさ
圧倒されることの心地よさ 受け入れることの心地よさ
外から見るメタセコイア
内から見るメタセコイア
花の下にて春死なむ
詠まれた方がいるそうです。
メタセコイアの下にて。。。かそけき願い。。。かも
というよりも ここ訪れる度に不思議な蘇生感
不思議 不思議
メタセコイア 大きな樹のその下で・・・
ベンチタイム流れていきます。
写真No.99:5/19:アザミ
アザミは茎にも花にも トゲらしきものがあって ちょっと痛そうです.
写真では 蜂さんが蜜を吸いに来ています。
このとげとげしい武装も蜂さんたちを遠ざける効果はないようです。
いったい誰から身を守っているのでしょうか?と思っていましたが
わりと最近 鹿が背伸びしてサザンカの花を食べているのを見ましたので
トゲとかは花食動物を近づけないためのものかもしれません。
「花ならアザミ」と言うようなタイトルの本を読んだことがあります。
シミタツ(志水辰夫さん)が書いたの本の一つです.
我が家では一時期シミタツが流行って 手に入る本はすべて読んだものでした。
物語のヒロインはだいたいは勝ち気でそれなりにチャーミングなのでしょうが
男性主人公の多くは陰気で 自己破滅型で 救いがたいタイプです。
歳を取ってしまった今となっては読むのは ちょっとつらいかもしれません。
Netfilxなどの番組でもそうなんですが
主人公が ちょっとでもつらい目にあうと 見るのがイヤになるようなところが
強くなってきたようです。こんな風ですから 最近は ヤング用のアニメとか
非現実的なまでにhappyで強い人たちが登場するものを好むようです.
例えば「葬送のフリーレン」がいいです。
このアニメは我が家だけでなく世間一般にも好まれているらしいので
世の中が全般に気が弱くなっているのかもしれません。
アザミ
畑の端っこ 田圃のあぜ道 ちょっと町から離れた路傍 アザミの輝くスポット
緑の季節 にぎにぎしい庭の花たちと一線を画しての存在感
そのきっぱり感が好きです。
敬意をこめて庭最良部に取り入れたことがあります。
痛い 痛い 痛ーい あっという間の負け戦
野に生きよのアザミかな つぶやいたのでした。
花ならアザミ
志水辰夫さんの世界 はまりました。
まあ主人公の意固地なことときたら・・・
まあそんなことになった経験、いきさつ、もろもろの結果なのでしょうね。
ただね その生き方 受け入れて 筋を通しての生き方が 心地良いまでの魅力、
納得感与えてくれるのです。 誠実ともいえる生き方に感動させられるのかな。
良いんですよお
あはは そこは冒険小説? 意固地の権化 身を張っての大活躍・・・さて結末は
エンディングのつけ方 らしいなの納得感 好みです。
はまる愛読者いるのもごもっとも。。。
花ならアザミ 小説のタイトルなのです。ストーリーは・・・れれれ 覚えてない。
花ならアザミ 野に生きよのアザミ そんな主人公たち
うらやましさ感じたのは 若かったからなのだとは思うのですがね
今は つくづく思います
どんな生き方もあるのだな
写真No.98:5/12:白いバラ
白いバラがうるわしく咲き誇っています。一本一本がスゴイのに
それが群れをなして咲きますので まことに壮観です。
白色だけではありません。赤色、ピンク、黄色、橙色など まさに色とりどりです.
ルノアールさんのバラの絵を思い浮かべるほどの豪華さです.
ルノアールさんと言えば印象派です。
私どもはヨーロッパに1年暮らしていたことがありまして
その期間にフランスはパリにも行ったことがありました。
その当時の私どもはアートに興味があって しかも一点集中型性格でしたので
美術館巡りもしました。特に モネの美術館には一日中居座り
「ほとんど同じスイレンの大作」を飽きもせずに眺めたのでした。
よかったな〜。
人はいっぱいやってきましたが 波があって 来るときはドッと来ますが
その後 しばらくは ほぼ誰もいない時間帯があって 静かに楽しめました。
美術館とか展覧会で 人並みにもまれ頭と頭の間から有名な絵画をチラッと
見るようなのは好きではないのです。
静かな環境で平静な心持で 時間をかけて鑑賞しなくては 心には残りません。
とは言えモネのスイレンを見たのは30年前ですので
今となっては なにも心に残ってません。
やっぱり時間には勝てません。貴重なはずの体験といえども風化して行きます。
よどみに浮かぶ うたかた です.
せめて長い命で あぶくのような毎日でも 楽しみたいものです.
無意識の内側 自分は絵が好きなはず
疑いもせず年重ねて来たと思います。
まだ壁の中にあった頃のベルリン生活
言葉わからず 車無く 人との付き合いなく
不自由の内側にある完璧な自由
毎日行くところは動物園 美術館 音楽会
なんと美術館は入館無料!絵は好きなはず。連日通いました。
一つの絵 次 一つの絵 なんの思いも浮かばぬまま順番に
必ず頭痛 激痛 屈みこんで苦しむ結果に
それでも口への字に曲げて通いました。
なにやら有名な画家さんたち 印象派の部屋
目まで痛くなって座り込んだベンチ
間接的に明るさを取り入れるためなのでしょうね
地下へ掘り下げられた部屋の横の空間
雲間から陽が差したのでしょうかぱっと明るくなりました。
一瞬にして世界変わったのでした。
目の前のルノワールの少女の額に木漏れ日が揺れて
蒸れるほどの陽光にルノワールの野の小径が揺れて
モネの夫人は丘の上でケシの花と共に揺れて
それからはもう美術館すべての絵 輝きまくり
描かれている全てが素晴らしい
こんな風に描きたかったんだな してやったりの心意気だな
こう描かずにはいられなかったんだな
喜び 誇り 苦しみ 悲惨 遊び 面白がり 実験 自慢 挑戦
全てがわかる!っと思いました。
全てに敬意 敬服 あるのみでした。
絵と私たち 黄金の時
人に聞くべきではない
人として答えるべきではない問いかけ
あなたは絵がわかるのですか?
あの頃の私は 一度目を閉じた後 はい わかります。
答えたのだとおもいます。
今? 今はもう何もかも夢の中 思い出の中 眠っています。
戻りたいとか 絵の前にまた立ちたいとか一切思わないですね。
モネの睡蓮よりも
車のなくなった駐車場跡 種ばらまいておいた満開近しのムシトリナデシコ
胸おどらせる今日この頃なのです。
写真No.97:5/5:イングリッシュブルーベル
なんと言う きよらかさ でしょう。
もしかして私にも こころがこんなに きよらかな時期があったのでしょうか?
いや なかったです。As far as I remenber!!
しかし 若いころの自分の写真を見ると 無邪気そうでhappyそうで
とても物事を深く考えているようには見えません。
きよらかではありませんが邪気がなくて 我ながら無害そうです。
どうも いろいろ経験し知識を増やして ものごとを深く考えるようになるとともに
この「きよらかさ」や「無害さ」が失われてゆくように思われます。
と言うことは このイングリッシュブルーベルは まだ 若いんでしょうね。
時間が経てば これも経験を増やし しなびてきてしまうことでしょう。
人間の場合には いつまでも きよらかで 思慮にとぼしいよりも
ちょっと しなびて きむつかしそうで思慮深い賢い人の方が良いかもしれません。
思慮に欠く人はきよらかでもはた迷惑ですからね。
と ちょっと自己肯定して 満足します.
どんな長所でも 見方を変えれば 短所になるのはよく知られていますよね。
たとえば,
きよらか であることは おろかであること の裏返しで
思慮深いは 気難しいの 裏返し
というような具合です.というわけで 結論は
どんな人にも 良いところもあれば悪いところもある
あとは あなた が その人と気が合うかどうかです.
たぶん きよらかな人は きよらかな人を好み
思慮深い人思慮深い人を好むと思いますが...。
イングリッシュブルーベルの仲間 シラーカンパニュラータの仲間です。
青い花ブルーベルはイギリス人の心の花?泣き所に咲いている花?なのかなあ
そんな感じで小説・映像に出てくるような気がしています。
しっかりした顔立ちのブルーベルとは別に、この可憐な白いタイプ、ピンクタイプ
我が日陰の庭でよれよれ気味に それ故により愛されている花なのです。
強い花たちに押しまくられてそれでも消えず タネでも飛ばすのでしょうか
へんてこな片隅 見つけてくれるの待ってるみたい。。。。
ほろり 胸こたえるではありませんか。
応えなければなりません。
やっきになって陽の当たる場所 主人公スポットへ移したことがあるのです。
咲きましたよ 花数もしっかりと。
似合わないのです・・・明るい陽気な庭に沈黙のスポット
おしゃべりな花達の後ろに隠れこみそっと息をついてるの雰囲気
ごめんね 悪かったね
日陰の庭にかえすことになりました。
以来 やっぱりの風前の灯の おおい生きているのかーいのベルの花
そっとため息つきながらのお付き合い
今年も会うことができました。
めでたし。。。なのでしょうか。。。我知らず