最近の写真とエッセーのペイジ『チンチロリン』です。
興味が湧いたらご覧ください。

写真No.156:6/29:アジサイ
 一年前の6月にもアジサイの写真を載せました
その写真ではアジサイの花びらにまだ緑色が残っていましたが
今年のは全面アジサイ色です たぶんアジサイのプライムの時期です
その一年前のアジサイの時も書きましたが これは福井県の小浜出身です
海岸沿いの丘の上に海を一望して咲いていたアジサイの枝を持ち帰って育てた株です
この小高い丘にはもう一つの思い出もあります 
普通はくず饅頭と呼びますが 我が家では水饅頭と言うことが多いです
この丘の麓に水饅頭を売っている和菓子屋さんがありました
お店に入ると畳一枚くらいの長方形で高さが20cm程度の水槽が置いてありました
お祭りのときによく見る金魚掬いの水槽とそっくりですが
中には金魚ではなくて水饅頭が入っていたのです
そこで4個((配偶者+私)×2個)の水饅頭を買うとビニール袋に水饅頭と水を入れてくれます
金魚の代わりに水饅頭が泳いでいると言う感じです
それを持って大急ぎで車で丘の上に行って
『ゴクリ!ゴクリ』と水饅頭を食べると言うか飲み込むと言うかします
一瞬の幸せ×2回です
この水饅頭は水がおいしい小浜ならではの和菓子です
持ち運びが困難なため地元に行かないと食べられません
この水饅頭と こりこりのネタの寿司屋さんのためによく小浜に行きました

40歳代から50歳代のかけて日本国中を車で走ったのですが
おかげで地元でないと味わえない料理をいろいろいただけました
ちょっと思い出すだけ
日本海の海岸沿いでいただいた岩ガキや松葉ガニ
高知の鰹たたき
網走のタラバガニの内子
松前の塩水バケツのうに
大分空港の関サバと城下ガレイ
その他にもいろいろあります
イヤー!みんなうまかったな〜!
これらの料理は地元以外で出会うことがありますが すべて地元のものとは違いました
いまから50年ほど前にアメリカに行って食べた日本料理と同じです
似ていない非なるものです
しかし地元のものと違っていてもそれなりにオイシイこともあります.
水揚げしたばかりの鰹がある高知と周りに海がない京都では素材である鰹が違います
新鮮な鰹の柵をぶつ切りしただけでオイシイ高知と
幾日か経った鰹をおいしく食べる工夫をする京都では食べ方が違うのは当然です
車の運転も旅行もしたくなくなった我々としては京都の食べ方でOKです
とは言え最近スーパーで買った鰹たたきはちょっと古くて食べれませんでした 
庭に雨 目には紫陽花 古鰹
でした 残念





写真No.155:6/22:芝生広場
 写真は植物園にある芝生広場です
実は始めはキノコの予定でした 
宝ヶ池公園で なかなかチャーミングなキノコがいっぱい咲いて?いたのです
クローズアップも遠景も撮って クローズアップのをひとつ選びました
その後家に帰ってgoogleレンズで名前を調べ googleでどんなキノコが調べました
それは毒キノコでした 笑って死ねる天国極楽キノコだったのです
そこで写真を作成して以上のような内容を紹介した文章を書いたのですが
いざウエブサーバーにアップロードしようとするとその文章がありません
消えてしまったのです
パソコンではときどきそうゆうことも起こりますよね
そこで,現在大急ぎで この文章を作成しているわけです
ちなみに一昨日の留守中に我が家で停電が起こりました
帰宅するといろんな電気製品が止まっていましたので
片っ端から電源を入れたり時間をあわせたりしました
ウエブサーバーも止まっていました 
公開用のファイルが置いてあるパソコンも停電でいったん切れ その後直ぐに再起動したのですが
突然の電源切れを感知したパソコンが起動を途中で止め点検メッセージを出して起動を止めたのです
その間はウエブサーバー自体が起動できずこのサイトも見ることができない状態でした
このエッセーサイトは見るのは本人たちと親戚だけなんですが
サイトの本体である『庭の花写真集』はアクセスがかなりあります(累計180万以上)ので
ちょっとご迷惑をおかけしたかもしれません
まあ素人が暇つぶしにやっているサイトですからご容赦ください.

では そろそろエッセー用の写真の『芝生広場』に注目しましょう
以前冬で寒くて誰も居ない芝生広場の写真を載せたと思いますが 
今回は夏で熱くて誰もいない芝生広場の写真です.違いは芝生の色と周りの状況です.
冬は誰もいませんが 夏は芝生広場の周りの日陰には人がいるのです.
写真の左下をよく見れば2人連れが2組座っています
しかし広い芝生広場には誰も居ませんので見ていると開放感があって気分爽快です
ちょっと前まではこの芝生が海であれば最高なのにとか言っていました
京都に住んで車を手放したのですから海は遠いです
最後に海をみたのは4月に鹿児島に行ったときでした.
琵琶湖なら家から地下鉄とJRで1時間で到着するのですが海の色は湖とは違います
特に波が違います 海の波は息づかいを感じますが湖の波はポチャポチャ波です
無いものねだりはしないで 空でも見てください.鳶が一匹飛んでいますよ
暑いけど 解放されるよ 芝生地に 空には鳶 手にアイスココア





毎週一枚の写真用意して なんてろかんてろのエッセイ?先行ご苦労様です。 わたしは一周遅れでああだこうだのエッセイ?続けているのですが 選ばれた写真一週間眺め続ける・・・面白いものです。 この風景 この場所はもう何十年も眺め続けた風景 通い続けた場所です。 若き日 休日 お弁当持参 散歩通りすがり 人かき分け 走り回り 毎日が日曜日 コロナ時代 車無しで行ける場所 ベンチ休憩場所巡り 集う人眺める場所 観察する場所 発見する場所 最近はそうですね ひたすら 広がる空間に浸る場所 かな。 だんだんキョロキョロ度が少なくなってきたようです。 家族の休日ピクニック 園長先生もそろっての幼稚園児たちの大はしゃぎ 若者の芝生ゲーム遊び新作披露 季節ごとの写生大会  入園無料の老人達、赤ちゃん付きママ達の集い 特権?ガードナーさんたちの車付きご活躍 ボランティアさん達のおおわらわ フォトウエディングカップルの観賞 インバウンドさん出自国推測 今の時代の他人様のお弁当事情チェック 興味のポイント尽きません 植物園です 花も木ももちろん楽しんできましたよ。 京都府立植物園 百年 すごいのかな? 我々のおつきあい五十年以上続いています。すごいのかな? 隅々まで知っているのかも 変化・改革?おつきあいしてきたのかも まあそんじょそこらの植物園職員さん達より先輩なんだぞお! 意味もなく勝手に威張っています。 何も知らない職員さん達からは 仲良しおじいちゃんおばあちゃんが ま・た・来・た・! 思われてる様子です。優しくしていただいています。 週二回 地下鉄乗ってやってまいります。 生活の中心 健康のあかし 永遠に!続けるつもりであります。 この風景に入りびたり あらまほし なのであります。 

写真No.154:6/15:ホタルブクロ
 ホタルブクロです.
蛍が花の中に入って蜜を吸うのにぴったりの形状です.
蛍と言えば近くの川 岩倉川で大量の蛍を見たことがあります
もう十数年前のことだと思いますが 
数百匹かもしかしたら数千匹の蛍が岩倉川の上流100メートル程度の区間で飛んでいたのです
夢かうつつかと思われるほどに美しい夜景でした
あまりのことに次年度の夜もそのスポットに行きましたが数匹がパラパラと飛んでいるだけでした
その次の年も行きましたが2,3匹かろうじて見つけただけです
その次の年にはもう行きませんでした
やっぱり夢かうつつかでした 残念
まあ しかし 長生きしていればときどきこんないい目にも会います
まだ人生を振り返るほど年を取っているとは思っていないのですが
思い起こせばいろいろ信じられないほどラッキーな目に会ってきました
ラッキーアス! Lucky us!
たぶん日頃の行いが良いためため神様?に配慮していただけたのではないかと思います
と調子の良いこと書きましたが 話題は蛍です
蛍が光るのは勿論子孫繁栄が目的でしょう
当然明るい蛍ほど見つけてもらいやすいですから自然の摂理?で明るい蛍の子孫が生き残ります
もしこれが正しいなら年月の経過と共に蛍はより明るくなって行くはずですが 
そんな話は聞いたことがありません
自然の摂理理論を 人で応用すれば より強く より格好良く より賢い人が生き残りますので
年月の経過と共に人間は より強くより格好良くより賢く なるはずでした
世界の歴史を見るとより強くとより格好良くはちょっとは実現できているようですが
より賢くにはいろいろ問題がありそうです
で 遠からず人類は その愚かさ故に滅びるかも...。知らんけど!





ほたるぶくろ 小ぎれいに着物姿  そんな方にふさわしいすっきり和風の庭先に そんな方の部屋の隅・花かごに ほたるぶくろのイメージ変わることありません。 見たこともないくせにその印象の安定感 少し驚かされています。 それはともかく 最初に驚かされたのは 山道ドライブ 崖から外へ身を乗り出して咲いていました。  こんな豪華な花 何でこんな山道に・・・どんな事情が・・・ 海を見晴らすアジサイの丘 その奥のほうに白いホタルブクロの花姿再発見  ほの暗い木々の間・・・なんでこんな・・・どんな事情が・・・ それでいいらしいのです。 山や里 野生に生きる花らしいのです。 そんな知識入ってきてもやっぱり驚かされます 園芸観賞用に改良されての完成形と思えるのですがねえ 我が庭咲き続けてくれています。 大切にしてるのですが 問題あり?の性質? 地下茎みっしり一面に張り巡らしたがる 小さな芽みっちり芽生えさせたがる  ナイス! ところが・・・花茎伸ばすのはその一部だけでそれに至る時期に まわりの植物に迫られたり覆われたりすると勝負に負けるようなのです。 君は強い子なのか? 弱い子なのか? 限りある空間 日陰の庭 懸命の贔屓にもかかわらずじり貧です。 さあここはあなただけのコーナーですよっとなると もうびっくりの豪華なコーナーとなるのは知っているのですがね ホタルブクロ、野菊、ホトトギスしのぎを削って生存競争中です。  お庭番必死のえこひいき 苦戦中。苦戦中。 駐車場跡 日向の庭 壁際に持ち込んだら大成功 生命力強い芝生、エリゲロン(弁慶小菊)、ヒメツルソバ みんな蹴散らして? 大喜びの大繁殖? ホタルブクロ堪能の梅雨の庭となりました。 満足・ため息 これからは 芝生への侵入防ぐのに大わらわの日が続くのでしょう。  えらいことですよ びっしりのみっちりの地下茎ですからねえ 御庭番の心も知らず 愉快・快活・はしゃいで咲いています。 あれっ 和風の慎まし気な花は? どういうこと??

写真No.153:6/8:バイカウツギ
 バイカウツギです.
居間から見ると北側の掃き出し窓と東側の出窓から見えます
数年前まではちらほら咲いているような地味な感じでしたが
最近は白い花がいっぱいいっぱい咲いてます
朝起きて掃き出し窓の雨戸を開けたり出窓のブラインドを上げたりすると
バイカウツギが白く豪華絢爛に一面に広がって圧倒されます
私はガードニング歴50年以上ですがいまだに初心者ですので
永遠の初心者らしく地味な花達にはその存在さえ気がつかないことが多いのです
配偶者殿には ここにこんな花 あそのにあんな花が咲いていると
頻繁に指摘していただいています その度に
「あれ!ほんとや!こんなキレイな花があったとは!」と驚いています
人は物理的に視野に入っていても認識しないことが多々あります
視野に写っている様々なもののうち自分に興味感心のあるもののみを見ます
写真を撮るときでも焦点の合ってない部分(たとえば背景)はぼけています
これは新聞を読むときに似ています
新聞は1面から20面?くらいまであって各ページに様々なことが書いてありますが
そのうち読むのは自分に興味がある数カ所だけです.
この数カ所の読む記事の見出しを聞くだけでその人がどんな人かがおおよそ推測できます
複雑そうでも遺伝的資質と育ってきた環境(経験)でほぼどんな人間かが決定されます
地図ナビで言えば 出発点と経路がわかれば現在地が決まるようなものです
幸か不幸か遺伝的資質を決めるDNAは複雑な構造らしいし人の経験も千差万別ですから
人間はそれぞれ独特な存在となります

この文章を書き始めたのは4日前でしたが そのうち2日は出かけていました
帰宅するとあんなに咲き誇っていたバイカウツギの花が元気がなく しおれたり
枯れて茶色っぽくなったりしてます 
その代わりにその横にあったアジサイが咲き始めています
ぼんやりしている間に時は移り主人公の花も入れ替わってゆくのですね〜
前線が 雨を降らせて アジサイは 緑色から 水色に
こんなところでも鴨長明さんが頑張っているのです





バイカウツギの季節となりました 狭い塀沿いのスペース 必然的に家に窓に迫って咲くことになります。 室内から眺めると もう花に包まれて過ごす生活 どおだ!いいでしょう? やい!うらやましいでしょう? バイカウツギは五月に咲く花木欲しくて外構工事の方にお願いした木なのです。 一本お願いしたつもりが… 七、八本狭い空間に植えこまれていました。 自分でなにもかも企画・実践していく そんな生き方 運命的に?わたしには向いてないのかもですね。 企画努力はした。 今  目の前にある今で がんばりましょう。 おなじように植木屋さんとの意思疎通すれ違いからやってきたユスラウメ そしてこのバイカウツギ 幸せいっぱい感謝いっぱいの花木達です。 花を植えて楽しもう…の庭の予定  なんとユスラウメ、バイカウツギ、コニファー、金木犀 木々の足元、隙間で花咲かせる庭となってしまったのでした。 制約の中での花の庭 制約からこぼれでる花の庭  力いっぱい 楽しい庭遊びでした。 またやってきたこの季節 喜びの季節です。  ユスラウメの実を食べに バイカウツギの花の蜜を吸いに  あんなに嬉しそうに楽しそうに美味しそうに・・・鳥たち 〔窓のすぐ向こう  バードウォッチング特等席〕 この数年姿見せなくなってしまいました。 砂利の庭になってしまったとか まわりで新築工事続いたとか コロナとか(まあこれは関係ないか)御庭番の愛が足りなかったとか とか とか とか とにかく寂しい限りです…蝶もアマガエルもダンゴムシも…寂しい みんな come back please!!!  待っているのですよ COME BACK!!! 

写真No.152:6/1:ユスラウメ
ユスラウメの実です.真っ赤に輝いています
我が家の庭でこんなに元気に実るのは久しぶりです.
しかも前庭の土手の上から飛び出ているので目立っています。Very Good!
この家に引っ越ししてきた頃は周辺は田圃や野原ばっかりだったのです
家の前の道をイタチが走り渡ったり
庭の花壇にお猿さんが来て植えたばかりの花をむしり取ったり
夜中に裏の下水道で狸親子が騒いだり
前庭で草むしりしているとキバタキが虫が食べたいと催促鳴きしたり
大いに自然が楽しめましたが
現在は周辺は新築の家で埋め尽くされました
日本の人口は減り続けているらしいのに
あっちこっちで一戸建てやマンションが増えているのはちょっと変かも...。
どっかで無住の家やがらがらのマンションが増えているに違いありません
家を建て直すのはまだ何とかなるかもしれませんが
マンションを建て直すのはたぶん無理でしょう
古いマンションの住人の多くは高齢者ですから立て直す資金を出せません
と言うことは そのうち 廃マンションだらけになってしまうでしょう
困りましたね〜
でも日本の高齢者比率はどんどん高くなるし高齢者の投票率は高いので
マンションの建て直し費用も税金で補助してくるかもしれません
高齢者のみなさん!
日本は『ちょろい』国やし なんとかなるかもしれません

なんの話をしているんでしょうね
たしかユスラウメでした 
花と実で2度楽しめるgoodな木です.
初夏の庭 赤い実食べる 小鳥たち 青空進む 白い線
この色はフランスの国旗です





認知症テスト?今日は何年何月ですか?今の季節は? そんな感じの問いがあると聞いたことがあります。 そしてあんたはどうなんだ?・・・は置いとくとして 子供時代 今 を生きることの専門家だったような 新学期 夏休み 運動会 お正月くらいはおさえてるんだけど 年・月・日・曜日 季節すらそれらの隙間埋めくらいの認識? 集中してるぶん 今は 永遠に近かったような 敷地続きの伯父さんの家にはおばあちゃんの部屋がありました。 くるり垣根にかこまれた小さな庭の向こうの部屋 今に生きる子供のふらふら歩き?垣根の間に白い花みつけました。 ちいさな みたことのない 不思議・きれい・可愛い! 自分がひとりで見つけた そこに嬉しさや意味もあったのでしょうかね おばあちゃんの部屋の垣根見るたびに思い出すのです(ふだんは忘れてる) 季節を知らない子供 あの花咲いてないなあ きれいだったなあ 花にであうことなく がっかり?さみしさ?ものたりなさ? あるとき みたこともない ちいさな赤い実を発見 他の実と全然ちがう こんな可愛いきれいな色の実みたことない あの白い花とぴったりお似合いの赤い実 あの花とこの実おなじものなんだ!  ひとつだけ 赤い実そおっと食べてみました   花と実 ぴったりの そおっとの美味しさ 一度っきり 子供時代の感動の時 庭木・花のためのスペースありのこの家にやってきたとき あの垣根の花植えるのだ! 植物図鑑・庭の花木図鑑 探しましたよ  見つけましたよ ゆすらうめ 花の写真実の写真 ぴったり 造園にも強いとの外構工事の方に植えて欲しい…頼みました。 あまりに熱心な頼み方しちゃったのでしょうか  一本のつもりが 狭いスペースに七、八本のゆすらうめ はい ゆすらうめに囲まれた庭に住むおじいちゃんおばあちゃん決定です。 あはは 年・月・日・曜日もうどうでもいいお年ごろ 季節だけは大丈夫 ゆすらうめと一緒に過ごしているのですからね 今 2025年6月 ゆすらうめ 赤い実 そっと食べてます 今 永遠であれよかし(あって欲しいなあ)

写真No.151:5/25:アイスランドポピー
アイスランドポピーです.
細い茎でちょっと背が高いので風で良く揺れます
初夏の風 すべての花が はかなげに 右にゆらゆら 左にゆらゆら
花の色が多種多様ですが どの色も薄いです それがまた風情があります
アイスランドは国としては最北の位置にあって雪と氷に囲まれているらしい
Game of Thrones というドラマの主要な撮影地となったので
ドラマの野外風景からアイスランドの自然の雰囲気が感じられました
その他にもアイスランドの刑事TVドラマも見たことがありますが
隣の家に行くのも大変で 冬の吹雪のこわさがよく分かりました
こんなところによく人が住むな〜と思いましたが
もっと自然が厳しいシベリアとかアラスカにも人は住んでいます(頑張ってください)
アイスランドの凄いところは
そんなに厳しい自然環境にもかかわらず豊な国らしいことです
ググると一人当たり所得が8万ドルとか
ウッソー!と言いたくなります 日本は3万ドル程度です
でも たぶん物価も超高いです
従業員の年収が8万ドルということは月100万円ですから時給5000円程度です.
これではコストも日本の数倍ですから製品価格も数倍高くせねばなりません
ラーメン一杯数千円とかの世界です
しかし自然が厳しく狭い島国のアイスランドにいったいどんな産業があるのでしょう?
不思議ですね 思いつくのは観光と金融でしょうか?
それにアイスランドで年収1200万円あったとしてなにを買うのでしょうね?
人口30万人程度ですからいろいろ品揃えするわけにもゆきません
私にとっては不思議の国アイスランドです
それでも短い夏にはあっちこっちにポピーが咲いて揺れているのでしょうか?
広大な野原一面にポピーが揺れていたら凄いでしょうね
(これは見てみたい!が寒いところは嫌いです)





平和の谷 自由の無人島 どこにあるのかな・あって欲しいのか・夢想よりどころなのか・なんなのか 子供のころからこだわっていたようです。こだわり続けたかったようです。 こだわるあまり 地理のお勉強・世界のお勉強そっと避けて来たようです。 そんなまんまで後期高齢生存者  あんまりですよね。みっともなさもこのくらいにしなくては ということで 数年前まなじりきりり一年間地理の勉強がんばったのでした。 というわけで ブルキナファソ、サントメプリンシペ 舌かまずに言えるぞ アフリカの国です。 恐竜を滅亡させた彗星はユカタン半島に落ちたんだそうです。 仏領ギニア こんなところにフランスの領地 宇宙センターあるようですよ。 チチカカ湖 可愛い名前ですね。 標高最高にある湖なんだとか。 グリーンランド ほとんどが真水の氷の上?にある国  人住めそうにも・・・発見者は考えた 商売人根性ですよ 開拓者おびき寄せるためにつけられたネーミングなんだそうですよ。  あっトランプさん 声かけ手を挙げるのちょっと遅すぎた?のでは?あはは こんなの あんなの・・・  かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。 てなわけで アイスランド 何処にあるのか知っています。  氷・雪の世界 火山もあったような まわり豊かな漁場に恵まれてたような アジアからヨーロッパの国々へ入っていく中間地点・最適の位置にあるのだとか。 中国さんが ひそかに?手をのばしたがってる? とかとかとか かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。 平和の谷 自由の無人島 ありませんでしたね。 幼きこだわりから解放の時 雪解けの谷 アイスランドの谷 一面に広がるアイスランドポピー ゆらゆらゆらゆら ゆらゆらゆらゆら  ゆらゆらり

写真No.150:5/18:弁慶小菊 font size=5>
グーグルレンズで調べるとヒメジョンと出てきましたので
そのつもりでこの文章を書いていると写真を見た我が配偶者殿が
『それは弁慶小菊』であると主張なさいました
さてどちらを信用すべきでしょうか 天下のグーグルか我が家のガードナーか?
そこで弁慶小菊でグーグル画像検索してみるとこの写真と同じようなものが出てきました
結論として グーグル自慢の画像認識技術なんて頭から信じてはいけない
我が配偶者殿は常に正しい
でした グーグル信者でしたので ちょっとビックリしました
さて以上は前置きで これからが本当のエッセー部分です
弁慶さんはルーザー(負け犬)である義経さんに最後まで忠誠を尽くします
詳しいことは覚えていませんが 
元々は京都の橋の上で喧嘩して負けたので家来になったと言うようなことであったと思います
喧嘩に負けた人に忠誠を尽くして死んじゃうなんて今時の日本人にはマネできません
義経さんもズーッと以前に家来を解放して一人で逃げればよかったのに...。
もっとも その後義経さんは海を渡ってチンギス・ハンになったと言う話も聞きました
それなら立派です 尊敬します 弁慶さんも満足でしょう
youtubeで日本の離島・山岳集落巡りを見ていると義経さんが逃げてきたとか
平家の落人が来て集落を作ったとか言う話があっちこっちにあるようです
絶海の孤島とか標高2000メートル以上の山頂とかに逃げて行くとか これは凄い!
何が凄いって追いかける人の執念が凄い 新幹線とか飛行機とかが無い時代ですよ
生かしておいたら立ち上がってきてひっくり返されるかもしれないと心配だったんでしょぅね
昔の日本人は凄いです 
最近の日本人には弁慶さんのような強烈な人は居ないような気がします
世界が相対的に平和だった時代はそれで良かったのですが
これからの世界ではちょっと心配です
まあ それが必要になれば そのような人材が日本にも顕れると思いますが...





べんけい小菊  イングリッシュガーデンかぶれ・西洋かぶれとしては エリゲロン 意味わからないぶん?カタカナのほうがよりしっくり…かな? ほぼ年中可愛い花が楽しめる どんな環境でもOK 宿根草よく増える こんなうたい文句とともにわが庭にやってきました。その通りです。ご活躍です。 (春に輝き・秋はおとなしめに・あとはポチポチ咲きです) 庭のあっちとこっち塊りとして咲かせると 春の花が疲れ見せたり終わりだす五月 パッと輝いてくれて新鮮な存在 階段石の隙間からでもしっかりですよ あれもこれもの植木鉢の隅っこに紛れ込ませてみるとエリゲロンの世界出現です。 庭全体 地面近いところで咲き ひとつの季節まとまりを演じてくれる… ほめすぎかな? けっして派手ではないのだけど実力者なのだと思います。 一度庭に入れたらもう絶えることはないと思いまよ。増えづづけるエリゲロン さああなたはどう使いますか? 楽しいですよお あのお 冬姿はあんまし…あれなので  大群生は(花期はすごいので一度はお試しの価値)ちょっと…かもですよ 早春の庭にハナニラ 春なんだけど次の季節入り込んでくる頃の庭にエリゲロン わが庭の基調となる 大切な花です。 主人公として当然として華と輝く花 主人公ばっかしでは話進みませんよね 主人公ささえる・ひきたてる・まもりぬく・みをささげつくす そんな存在って必要なのかもですね でもでもでも 弁慶さんの頑張りも生き方も  義経さんと同等くらいの熱量で語られること多いですよね  間奏曲なのかもしれません  幕間劇なのかもしれません 庭という舞台 どんな花もあなたが一番!として輝く時 そんな時があるような… そんな庭であってほしなあ 

写真No.149:5/11:
西洋オダマキと言う優雅で上品な花です
何故か 植物園ではあんまり見ませんが 
我が家の庭の定番で 毎年あっちこっちで咲きます 
丈夫で長持ちする優秀な花です
ただし 背が高いので風には弱いかもしれません
詳しいことは我が配偶者さんまで...。
この花はだいたいは集団で咲きますので個々の花には注意が行き届きませんが
実は一個一個がとてもキレイなんです
集団と言えば最近集団スポーツのサッカーをyoutubeで見るようになりました
きっかけはパリオリンピックの間に女子サッカーを見たことです
youtubeにある膨大な映像から現在の自分が見たいものを探し出すのは大変です
youtubeは過去の私どもの映像履歴から『次はこんなのを見たいはずだ』と判断して
トップ画面に並べるのですがどう言うわけか女子サッカーがyoutubeに出てきたのです
まったく見たこともないサッカーの試合を見たところ面白かったのです
オリンピックではあっさり負けてyoutubeからもしばらくの間消えていたのですが
最近復活して日本代表からイギリスチームの試合のハイライトが出てくるようになり
2時間近いフル動画も出てくるようになりました
日本人選手が活躍しているマンチェスターシティと言うチームの試合が中心です
ヨーロッパで活躍している選手の名前を言ってもほとんどの人は知らないと思います
知る人ぞ知るの世界です.米大リーグの大谷選手なんかは別世界です 
我が家でも大谷選手がホームランを打てば大騒ぎして喜びます
まあ給料もぜんぜん違うみたいです
外国の女子サッカーリーグで活躍している選手の平均給料は数百万円といことです
日本のタクシー運転手さんの給料並です なんか理不尽な気もしますが 
女子サッカーと言うのはマイナーなスポーツなのでしかたないんですね
youtubeさんの推薦で我が家ではメジャーなスポーツとなりましたが
これは我が家のTVが60インチと大きい画面であることも貢献しています
自分の部屋の30インチの画面でサッカーを見ても球が見えにくくて
20人程の人間が右往左往しているだけでした
やはりサッカーのような集団スポーツは大画面が必須です
大画面万歳!
資本主義万歳!





この庭のため最初に種から育てた花 西洋オダマキです 近くの農協スーパー野菜の種と並んでいました。 種まいてから花咲くまで二年!かかったのです! 日陰気味の庭を明るい色・形で優しく上品に華やかに引き立ててくれます。 もう長いお付き合い  宿根草・こぼれ種・こぼし種 絶やさないようにしています。 不思議な存在 私の持つ花のイメージ:生まれ育って生きてきた過程で出来たんでしょうよね そのイメージとなにか違う花なのです。違ったバックグラウンドを持つ花 優美・デリケートな雰囲気・華麗・深窓の令嬢風・クラシックバレエの世界風 なのに  わが庭で咲いています 嬉しそうです ありのままらしいのです。 用意した庭の場所はよくないらしい(まわりの花株の勢いに負ける?のかも) 静かに消えていくようです。  そして庭からこぼれ落ちての通路 砂利撒かれてしまった通路  敷石のはじっこ 植木鉢のはじっこ 咲き始めるのです。 穏やかに・華やぎの雰囲気イキイキと 不思議・ふしぎ・不思議ちゃんの花 自分の花イメージと共通項少ないかも…の花 猛烈に惹かれるではありませんか 童話にもありますよね 深窓の令嬢クララさん と お山のハイジ 仲良くなれるのですよね ともに抱く 意外性の魅力 発見 新しい世界への紹介 道しるべ ちょっと息をのむ存在 確かな存在 西洋オダマキ この庭のある限り 一緒にいたい いてもらいたい存在  毎年 祈るような気持ちで たくさん採れる種を確認  懸命にこぼれ種チェック あっちにもこっちにもへのこぼし種 古い株の花に胸なでおろして喜び 育ってきた株の花に目を細め  ちっこい芽心配げに見ている  わたくしこと 自称御庭番。

写真No.148:5/4:マンサク
マンサクと言う名前の木です
この木は植物園の北口から直ぐそばの大通りが交差する場所に植わっているのですが
この写真を撮った日まで その存在に気がつきませんでした
写真で表現できているか心配ですが 華やかに咲き誇っています
目を奪われるほどにキレイなのに
今まで気がつかなかったとはどう言うことかなと不思議に思うようになりました
これまで何百回も横を歩いていたのですから満開のときも何回も見てきたはずです
これはこのマンサクが木としてのプライム/絶頂期に入ったためではないかと思われます
去年までは横を通っても何とも思わなかったのが今年は思わず見てしまうほど輝いているのです
木のプライムの時期は数年続きますので これからしばらくは輝くことでしょう
来年も楽しみです
人間の場合でも学生時代には凡庸な若者だったのに社会にでてから輝くことがあります
学生時代にさまざまな愚かなことをしていたのを知っている身としては
『大丈夫かいな?』と思ったりしますが これが大丈夫なんです
地位が人を作ると言いますが その通りです
人間の潜在能力はとても高いもので ほぼすべての人はそのごく一部しか発揮できていません
地位か高くなって周りから要求されるレベルが高くなれば潜在能力が発揮されるようになるのです
私の経験でも『わー!こんなこと出来るかな〜?』と思われる状況でなっても
実際には簡単にクリアしてきたことが何度もあります
例えば,中学校入試で5段跳び箱があったのです かって一度も飛べたことがなかったのですが
入試では難なく飛び越せました
マンサクの場合にはプライム時代はたぶん数年程度でしょうが 
人間の場合には20代から50代くらいまでがプライムになる可能性がありますよね 長いですね
私どもの場合はそれも過ぎてしまいましたが 
それでも今がプライムではないかと思えるほどに楽しい毎日です
よかった よかった





人生のプライムって何なのかな お寿司3,4人前大満足で食べてました。 10日続く旅行 毎日何万歩(多分)歩き回っての全身痛・疲労困憊  疲れすぎて眠れない。朝ケロッとナビゲーターしながら楽しい旅続行。 夕食後にさあテニスを・・・さあ休日です山越えて琵琶湖まで歩こうぞ! あれもこれも そうですね 20代から50代だったようです。 ああ我らが人生黄金の時だったっと思い出語りしています。 プライム期の黄金の経験 何一つ今出来ることありませんねえ。 視点を変えましょう 子供のころから世の中での人生は諦めるべし、避けるべし、逃げるべしの方針 どうしたら許してもらえて・見逃してもらって生きていけるのだろうか 今をそっと真面目にこなしていったら何とかなるのだろうか いつも何かに集中していることが必要だったようです。 仕事真面目に楽しく頑張りましたよ。そして疲れるようになりましたね。 これだけではつらいかな…これだけにエネルギー使い切ってしまう毎日…つらいかな エネルギーの残存量・貯蓄案・回復案意識するようになりました。 なにかにはまるのが とっても有効なんだなあ ひとつのレコードに ひとつのジャンルの読書に 一度にひとつずつ テレビフランス語会話・ドイツ語会話 同時進行でやろうとして当然即あごだしちゃった。 でも右のポケットにフランス語単語カード 左のポケットにドイツ語単語カード なんだか嬉しかったな。 まんがみたいな走り描きの絵 喜んでくれる人がいました。嬉しかったのです。 調子に乗って絵本つるぞ(押し入れのどこか手製絵本いくつか存在中) 新しいアイデアもいくつか貯まった頃 あごだしたのではなく 最初の無邪気な動機ではなく あざとさからくるアイデアだなと気づきました。 恥ずかしくなって・・・ 庭が持てました。夢中の庭遊び ホームページまで作って写真撮りまくって幸せの絶頂。 あるとき ふっ あざとさに気づいてしまいました。 好きなのに花も手入れも好きなのに いつの間にかホームページに載せるための 花の選択・庭づくり・写真に映えるコーナーづくり・うそつきの庭 悲しくなって…恥ずかしくなって・・・ 童謡・唱歌丸暗記 世界地理 日本歴史 あははなんと哲学の歴史 いつも楽しく始め 少しの集中の時 そして ああここまでなんだよな…さびしい途中下車の認識 なにも集中することがない時 毎日みじめでうなだれてしまいます。 虚ろ・ちと鬱っぽく? はた迷惑なことです。 リピートするプライムの時 移り変わっていくプライムの内容 そして恥ずかしいみっともなさに終わるプライムの時 それでもね 何か始まるときの純粋な?ひたむきな?ひととき 思い出すだけでも嬉しさいっぱいなのです。 プライムへの入口?は何処にでも? どこにあるのかな? あなたの 我々の プライムタイムに 乾杯! 今のこのプライム感覚 永久につづけーーーー!

写真No.147:4/27:レンゲ草
我が家の前庭の芝生地一面に咲いているレンゲ草です
レンゲ草と言えば子供の頃はあっちこっちの野原と言うか畑で咲いていましたが
最近はほとんど見かけなくなりました
過去数十年でいろんな変化が起こりましたがレンゲ畑の減少消滅もその一つです
なにせ子供の頃には道に馬糞が落ちていたのです 
電気冷蔵庫は存在せず氷屋さんに毎朝氷を配達してもらっていたのです
洗濯は洗濯板を使って手でごしごしでしたが冬は水が冷たかったやろうな〜
その後3種の神器としてTV、電気洗濯機、電気冷蔵庫が広がったのです
ちなみにフロは五右衛門風呂で薪を使って沸かしていました
この五右衛門風呂は鉄の部分が熱いので触らないよう入るのがコツでした
こんな時代を思い起こせば現代はSFの世界です
と書いたものの実は昔のことは具体的にはほぼ何も覚えていません
幼稚園・小学校・中学校・高等学校の間の出来事はほぼ記憶にありません
幼稚園で覚えているのは建物の絵を描いていたことぐらいです
小学校で覚えているのはノートに同じ文字をいっぱい書いたことぐらいです
まだ?新しいことを記憶することはできるのですが忘れるのが早いようです
忘却曲線と言うのがあって始めは少しずつ忘れますが
ある点(crirical point=臨界点)に達するとガバッと忘れるらしいのですが
このcritiacal pointが来るのが早いらしいのです
と言うわけで昔のことは覚えていないのですが
歳を取ると昔のことを思い出して懐かしむのが人生らしいので残念ではあります
でも物忘れには良いこともあります
その第1は うっとうしい出来事もさっさと忘れるので明るく生きられる
第2は 昔のことではなく新しい出来事を求めるのでいつまでも若々しい
両方とも良いですよね おかげで明るく若々しく生きられるのですから

要するにレンゲ草を見ていると明るく若々しい気分になると言うことらしいです
よかった





海の子です 海と聞かば 海を見れば 海に行けば 我が物顔です。駆け寄り・手を足を浸し・波蹴散らします 海に遠慮はありません だって わたし海の子なんだもん 小川 あぜ道 田圃 それは憧憬の風景・世界 身近にあったのですよ。中学校は田圃の中 小川の道歩いて通ったのですよ。 いつも新鮮で晴れがましい・なんでなのかなあ・お客様みたいに遠慮がちになってしまうのです。 わあわたし今川岸歩いてる! わあ少しだけなら田圃あぜ道歩いてもいいのだろうか! 春の小川はサラサラ行くよ 岸のスミレやれんげの花に 姿優しく色美しく 咲いているねとささやきながら わが胸の幼心 今も歌い続けています。 人生最後の気合?芝生の庭あちこち穴掘ってレンゲソウの苗植えてみました。 雑草みたいにもしゃもしゃと…芝生を愛する婿殿よ…我慢して!見逃して! 四月の庭:芝生の庭は何処?レンゲソウ一面に広がってしまって肝冷やしました。 ・・・開花・満開・蓮華畑の出現・・・ もう嬉しいのなんの 花の中座り込んで過ごしましたよ。 ミツバチもやってきましたよ。  蓮華畑のむこうには チューリップが水仙がムラサキハナナが忘れな草が すべて大成功 夢のかなった四月の春の庭なのでした。 苦あれば楽あり そして 楽あれば苦あり 蓮華畑は四月の庭限定としていたのです。  大ナタ振るう時が来ました。歯食いしばり・うなだれて過ごしました。 五月は芝生が芽吹き始める季節です。救い出さねばなりません。 根っこ明るい婿殿 芝生には目をつぶり蓮華畑喜んでくれましたよ。  すこし傷んだけど 根っこ強い芝生です よね! 思ったより大丈夫そうな芝生たちも頑張ってくれそうです。 さっそく栄養撒いてくれました。  一年かけて見守りましょう。芝生さん今度はあなたの季節ですよ。 がんばろうね! 

写真No.146:4/20:花ニラ
花ニラとムスカリの共演です
この2つの花はたぶん友達ですよ
形状はまったく異なりますが 色がともに紫色です
どちらかが
「君は紫色だね」
と言えば もう一方が
「君も紫色だね」と答えて それで友達になれます
これが白い花ニラなら親近感がなくて ともに無視し合うことでしょう
じつは地面の下では根が競争相手なんです
白い花ニラとムスカリだったら地面の取り合いが起こって
勝ったほうが付近を制覇して 花ニラだらけかムスカリだらけになることでしょう
紫の花ニラとムスカリなら友達になって譲り合って共存共栄します たぶん
些細なことでも共通の部分があれば仲良くなりやすいのです
勿論共通の部分が多いほど仲良くなりやすいです
仲の良い夫婦の多くは容姿や雰囲気が似ているように思えます
自分とそっくりの人に出会えれば直ぐに仲良くなれます
これは容姿だけではなくて性格と言うか価値観でも当てはまります
例えば,同じ大学の同じクラブに入っていれば
価値観とかが似た感じの人が見つかりやすく友達も見つかります
これと対照的なのが幼なじみです 小さい頃に近所に同い年の子が住んでいれば
学校にも一緒に通うことになるし自然と友達になってしまいます
幼なじみの良いところはバラエティに富んでいることです
どんな子が近所に来るかは神様が決めることですから

最近読んだ雑誌記事によれば
日本人は20歳代以降は会社の同僚や家族と一緒に居る時間が多く
友達とはほとんど合わなくなるらしいです
そう言えばコロナ以降は誰とも会わなくなってしまったようです
配偶者さんとは毎日顔を合わせていますが...。
今日のお昼にもイカスミ・トマトソースパスタを作ってくれるらしいです
楽しみです





春の庭開幕寸前  ハナニラ 日向の庭・芝生の庭で我が物顔して輝いてました。 野に咲くタイプのスミレとハナニラ 自由奔放 咲きたい三昧 お気に入りの季節の庭 ラッパ水仙、チューリップ、ムラサキハナナ 存在感増してきました。 つぼみは色を見せ始め さて華やかな春の庭の開幕のお時間です。 ハナニラはそのすべてのコーナー、スペースで、 花株・その足元で庭としての調和を・一体感を演出してくれています。 春の庭は地面から少しずつ空へ向かって広がっていくのですよね。 …ハナニラ 徐々に春の花たちの影にのみこまれて… 日向の春の庭に白からブルーきれいなグラデーションの塊を発見 覗いてみたら ムスカリの塊りとハナニラの塊りの一体化! わーおっ! ムスカリもハナニラも素朴な雰囲気があるような それが寄り添いあうとなんともなごみのスポット出来上がるようです。 日陰の庭でもハナニラの華のある花たちを浮かび上がらせる演出ぶりは健在です。 覗き込んでみたらハナニラとムスカリが寄り添ってる。それだけで  ただ一輪ずつだけでも ため息と深呼吸同時に起こる世界があるのでした。 好き 好き 好き ムスカリとハナニラの写真 選んでくれたこと とても嬉しいのです。 写真のハナニラは少し変わった種類で花弁は丸くしっかりのブルーですね。 普通の?ハナニラは純白から淡いブルー、淡いピンク、淡い紫 細めすらりの花弁 淡いピンクの縞があったり 紫がかった縞があったり いろいろあってこれまたひとつひとつチャーミングです。 球根と種で繁殖力大 2,3年楽しんでたらもう庭から除くのは無理かな 雑草扱いされたりして好まない人もいるらしいのです。  庭に入れちゃあいかん花だあ!とかね。 ほっといてくれっと申し上げたい。 咲ける場所で咲きたいだけ咲けばいい! 私の庭はハナニラの庭です。 ハナニラから始まる庭です。 ハナニラから春は始まるのです。

写真No.145:4/13:百舌鳥
百舌鳥と書いて『もず』と読みます
この鳥は一匹オオカミのようです 雀のように群がっているのは見たことがありません
一匹オオカミですから当然縄張りを持っているはずです
この縄張りを守るためには侵入者を追い払ったり脅したりせねばなりません
まあ 簡単に言えば もず は気が強いんでしょうね
体格は雀とあまり変わりませんので 実際の戦闘力が格段に高いというわけではなさそうです
それでも縄張りを守れるのは『絶対守る』と言うdeterminationがあるからです
雀はグループ行動をするようですが どう見ても弱々しいですし しかたがないでしょう
グループの一員であれば安心安全ですからボーッとしていられますしストレスも少ないでしょう
一匹オオカミであれば縄張りを常に監視せねばなりませんし
誰かが侵入するたびに緊急出動し追い払わねばなりません 
戦闘も起こります ストレスいっぱいです.
しかしグループには序列が存在する可能性があります 
この序列の直属上司との関係が良くないといじめられてストレスいっぱいになるかもしれません
家の前の電線に止まっているのはストレスでイライラしている雀かもしれません
やっぱり鳥の一生も 一匹オオカミでも グループでもラクチンとはかぎらないようです

私どもは自由をこよなく愛するため可能な限りグループには所属いたしません
雀と言うよりは百舌鳥タイプです が 争いにはメチャ弱いのです 
縄張りに侵入者が来たらどうするかって? 逃げます ただただ逃げます
それから誰も来そうにないところに新しく狭くなった縄張りを作ります
もっとも若い頃には無鉄砲なところもありましたので争っていたような記憶もあります
いやいや懐かしいな〜
私も気が強かった時代がありましたよ
たぶん 配偶者さんもハラハラしていたことでしょう
でも冒険的精神がないと人生は退屈ですからね
今は昔です 人は変わります
現在の定義では退屈イコール安心安全です
ちょっとみっともないですが 歳には勝てません





庭遊び一日一時間と決めています。 顎出したら最後・日向の庭遊び禁止令:人口芝生貼られてしまうらしいのです。 んんんーん 人生最後に?手に入れた日向の庭  そーっと楽しみたい 少しでも長く・・・ 一日一時間 今のところ上手くいっています。 秋に頑張って植えた花たち咲きだしました。プランもくろみそっちのけですねえ。 でもでもそれでいいのです。あざといプランなんかより もろ自然! これがこの庭にやって来た春ですよと輝いています。 座り込んでぼんやり…ムラサキハナナ ちゅーりっぷ らっぱ水仙 忘れな草 ハナニラ そしして気合を入れて育てたレンゲソウ 今盛りと咲いています。 嬉しすぎてぼんやり。。。 そんな庭を覗き込むように 百舌鳥(モズ) 動かない そっと携帯取りに行っても戻って写真撮っても 動かない 感激・可愛い・嬉しい 次の日 またぼんやりしてたら イソヒヨドリ 全く同じ枝に 気づく前に乱暴に動いたらお隣の車庫へ・・・しまった残念なり なんのすぐにひょこひょこ覗きに来て また頭の上同じ枝に戻ってきたのです。 感激・可愛い・嬉しい 以前ジョウビタキが同じ事してたなあ ジョウビタキ モズ イソヒヨドリ  縄張りつくったり 狩りをする鳥たちなのかな 同じ枝ご愛用です。 芝生、花、草、日向、日陰、虫、蝶、カエル、クモ、ハチ、バッタ もろもろ 庭があると集まってくるのでしょうね。 おまけの私・邪魔者ではないんだぞ あなた達の遊び場・狩場お世話係なんだぞ みんな またおいでね。 ***おまけ*** レンゲソウ花畑 真ん中に座って 夢見てた夢の実現 きっと ミツバチやって来るに違いない… やってきました。 ブーンブーン羽音耳傾けて過ごします。 ねっ レンゲソウ ミツバチ と言えば 蜂蜜ですよね そっと花香り確かめたり そっと花なめてみたり かじってみたり みなさん! 蜜の香りも 甘さも 皆無ですぞ どういうこと!?!? どういうこと!!!???

写真No.144:4/6:チューリップ
赤いチューリップです 
今シーズンのチューリップの球根も私が選択したのですが
またまたオーソドックスな形状の赤色です
このサイトにあるさまざまな花を咲かせた配偶者さんほどのベテランになれば
チューリップを選んでも形状も色もいろいろとなるでしょうが
ことガーデニングに関しては永遠の初心者である私にはチューリップは赤です
実はガーデニングは二十代に始めました
新婚時代に住んでいたアパートの通路に10畳ほどの庭がありまして
これを耕して花壇にしたのであります この花壇ではいろいろ花を植えました
初心者が扱うような花はほとんどすべて咲かせたと思います
今思い出すだけでもホウセンカ、百日草、金魚草、桜草、ラッセルルピナス、etc.
3年ほど続けましたがこの庭が駐車場となったので止めてしまいました
この経験でガーデニングは ベテランの初心者 程度になりましたが 
そのまま進歩がとまって現在に至っています ベテランの初心者程度です
未だにバラとダリヤを間違えたりして 配偶者さんに笑われたりしています
たぶん相性が合わないのだと思います
まあ私も おの子 ですから花さん達と相性が合わなくてもしかたありません
実は英語とも相性が合わなかったようです
何を隠そう!私は4年もアメリカで暮らしていましたし
家のTVで外国の映画やドラマを視聴するときにはほとんど英語を聴いてきました
ですから総計すると うん十年 に渡って英語と接してきたのですが
いまだに 何を言うてはんのか さっぱり分からんことがしょっちゅうです
これは明らかに相性の問題で 私の頭が悪いとか言う問題ではないと思います
先日も駅付近でインバウンドさんにトイレの場所を聴かれたときに 
逆上してほとんど何もしゃべれず アワワ となってしまいました
まあ相性には勝てないと言うことです 
インバウンドさん ご了承ください from Kyoto with a red tulip! 





インバウンドさん 役立たず ほんとゴメンナサイ なのでした。 うろたえたのが恥ずかしくて?夜・夢うなされちゃった! アメリカ 外国人として過ごしたことがあります。 アメリカ 自由の国 個人主義の国 思ってたのかなあ なんと アメリカには自由がないのでした。 どんな自由? 迷子になる自由! 町に着いて さてっと思った瞬間 地図覗き込む暇もなく Can I help you? 声かかってくるのです。 感激もしましたが おかしくもありました。 なんとこの国では 迷子にはならないのかもしれないけど 外国人としては 少し迷子になるのも地図広げて自力で進むのも  楽しみのひとつ 醍醐味のひとつ なんだけどねえ。。。なんてね 暮らし始めても みなさん優しいのです。 善意にあふれているのです。 すれ違う人のにっこりのあいさつ。 大きな帽子かぶってたら ナイスハット 何所で買ったの? 地下鉄アイスクリーム舐めてる人と目があったら Do you want a bite? おい!どろり舐め終わりそうなアイスクリームじゃあないか。 田舎のバス乗り込んだら 幼稚園生くらいのリトルボーイすっくと立ちあがり 席ゆずってくれましたよ。 レイディ・ファースト ここまで! 昔話なんですけどね。 まあね 外国人暮らし 毛が500本抜け落ちるような 1000本一挙に失うような 強烈な経験もあったのだけど・・・・ 暖かい思い出 感謝の思い出 いっぱい抱えています。 インバウンドさん 迷ってらしたら声かけしよう 思っていたはずなのに 英語は遠く遠く 元気そうな問題なしのインバウンドさんばかり。 もう英語・声出すなんて忘れちゃってました・・・ ちょっと面目なく ちょっと残念で  あのお…ごめんなさいねの出合いでした。 *** 不思議に思うこと:人類 ひとつでしょ。 ひとつから広がり 繁殖・散らばっていっただけでしょ。 この地球あちこちに。 一種類の人類 ちょっと広がっただけなのに 言葉が違う! 海で隔離されてなくても 山脈で隔離されてなくても ほんのお隣さんなのに  言葉が違う! これはなんなの? それに誰もひとつにまとめようとは思はないらしいんですよね。 数の力で 権力の力で 利便性の力で なんらかの力で 人類 ひとつの言葉 まとまることあるのでしょうか。 もちろん全員 そんなの嫌だよ! 言うのだと思います。 ごもっともなんだけど 一時期SF小説に凝ってた私としては そんなことでは 人類が遠い未来宇宙に飛び立つ日なんて来ないのではあるまいか・・・ なあんて思いは暴走気味 今日のおもいつき妄想タイムでありました。 とさ。

写真No.143:3/30:桜
桜!桜!桜!
とうとう桜が咲きました ここは満開です
普段は温厚そうに見える日本人が桜の季節には狂います
何を隠そうかく言う私どもも『桜!桜!』とかなり狂います
どうも外国にも桜があるらしいですが これは許せません 
すべて斧かなんかで無様にカットダウンすべきです
桜は日本の文化で日本でのみ咲き誇るべきです
ね!言いましたでしょう。
桜を見ると私どももかなり狂うと!
そろそろ落ち着きましょう 温厚な日本人になりましょう
それにしても きれいな桜ですね〜
桜は咲く時期もいいですよね
早く咲いて3月末ならば卒業シーズンです.
桜の花びらが散るように友と別れ学校を去って行きます
はてはて 別れた友はなにをしていることやら!
多幸を祈っています(手遅れか)
4月末に咲けば入学式や入社式を飾ります
華やかな桜の花に見守られながら新しい門出を祝います
はてはて どんな人生が待っていることやら!
多幸を祈りましょう

桜は3月に咲いても4月に咲いても大きいイベントが待っています
春の初めに咲いて皆に愛されてラッキーな花なんですが
花期が余り長くありません 三日見ぬ間の桜かな です
儚(はかな)いのです
しかし いつまでも咲き続けると飽きられますから
惜しまれながら さっさと散って行くのが 一番良いのでしょう
ちなみに私は『いや』ですよ
いつまでも散らないで太い枝にしがみついていたいです





春スタート 花探しの章 梅:いかにも可愛い蕾発見。咲くぞ咲くぞのじらし作戦 それもそれで可愛かったよ。開花見届けたところでやれやれの疲労感 満開の梅林 そうだろうね…の横目通過 まあね 杏(あんず)の花: 梅に続く春の花 にっこり笑顔で出会う花 今年の植物園 充実してきた若木  最後の力と頑張りを見せて花咲かせてる老木と並んで 全身この世の春っと輝いていました。 春の暖かさ春の素直な喜び 何時も感じさせてくれる杏の花  共感いっぱい。 さくら 桜 っと続く・・・ 割って入ってきたのが 桃の花:  今日の今日まで桃の花は桜の後に咲きだすのだと思い込んでいました。 意外にお付き合いの薄かった桃の花 出会いがしら・圧倒されました。 なんと華のある 可愛いを超えているではありませんか モモの節句あでやかさを取り仕切る華・花 むむ ごもっとも 桃の花 お雛様の時期と・・・はてな? むむ 謎の花 さあさあさあ 日本の皆さん うち揃って たが外しての お待ちかねの 桜のシーズンですよ。 皆さん 目つき変ってますね 身体の動きも異常です 大声の感嘆符大丈夫ですか うふふのふ 桜観るのも良いんだけれど 日本人観察 実り多い時期だとも思いますよ。 朱に交われば赤くなる 群れに入れば群れに倣う とかなんとか ここは我ら日本人であるぞー! 揺さぶられる心根 素直に発揮 さて 桜満開 満喫に レッツゴー! 少し嘘です。 エネルギー不足です。 いつもの散歩道 川向うに二本の寄り添う桜木 優し気な佇まい 去年見つけました。 会いに行けたらわたしのこの春の桜見物 ハッピーエンド 完結終了なのだと思います。

写真No.139:3/2:クリスマスローズ
これを書いているのは3月19日の朝です
予定では週末の3月21日から書き始めるはずでした
何故こんなに早い時期に書いているかを説明します
まず今週の写真はクリスマスローズと決めていました と言うのも
居間のソファに座って横を見ると庭にクリスマスローズが見えて満開だったからです
余りに可憐に咲いているので同居人さんにお願いしてこの写真を撮っていただきました
ところが、本日(二日後)朝起きるとまもなく牡丹雪が降り始めたのです
2時間経った今も降り続いていますので だいぶ積もってきました
2階の掃き出し窓から見ると辺り一面真っ白です
そして白いクリスマスローズは雪と交じっていてその存在が分かりません

3時間にわたって3月の雪が降りましたが ようやく雪から雨に変わりました
そして白いクリスマスローズが再びその姿を現しました
家でパスタのお昼を頂いて さあ!散歩と家から外に出ましたが まだ雨です.
うーん!困った!今日は散歩なしの一日か!と血中ドーパミン濃度をさげています
しかし考えてみればこの時期は卒業式シーズンなので振り袖の卒業生とかは大変です
それにしてもどうして最近の学生達は卒業式とかに出席するのでしょうね?
我々のころは出ないのも結構いたように思います
特に雨や雪が降ったら出ないで家で貴重な時間を使ったと思います
貴重になにをしていたかって?
それは今と同じで本を読んでいました 
変わったのは 
昔は 人生について 考えるために本を読みました
例えば人生を なぜ どのように 生きるべきか考えていました
今は人生を楽しむためにkindleを喜んで読んでいます
それが若き頃に数年間一生懸命考えて得た結論でもあるからです

クリスマスローズも居間の横で毎日見てもらえて嬉しかろう!
花の一生もかくあるのが望ましい
人の一生もかくあるのが望ましい





冬の庭 花を求めてジタバタするのはもう止めました。 常緑で過ごす者たちが仲間 枯れ葉枯れ枝処理したりするのみ 庭もわたしも休憩タイムとしています。 3月にはそれでもいろいろ芽吹きはじめ・・・ふむふむ思っていたら クリスマスローズの咲く季節となっていました。 日陰気味の庭 ほんとにクリスマスローズ植えておいてよかったなあ 毎年驚きと感謝。 明るい色 大きな花 広がり気味の花株姿 クリスマスローズあちこち咲いてるだけでしっかり庭が出来上がってる! クリスマスローズ 和風ではないような ガーデニングブームと西洋かぶれ 勢いで人気となり出回るようになったような わたしも そのかぶれの一人です。 貴方の庭が日陰気味の庭ならば お薦めしたい花ですよ。  貴方の庭が十年、二十年見つめる庭ならば こぼれだねでじわじわじっくり増えますよ。 貴方の庭 細長いとかあっちとこっちの庭ならば あっちでもこっちででも活躍ですよ。 貴方の庭 日向の庭ならば・狭い庭ならば クリスマスローズはあきらめて 一年草でがんがんいくのが とっかえひっかえ季節ごと年ごとのチャレンジが似合うのでは? ガーデニングブーム・西洋かぶれ(ごめんね)の名残のように 狭い日向の庭に植えこまれてしまったクリスマスローズ 少し違和感おぼえてしまうようです。  クリスマスローズは植木鉢に咲かせて目立たせるタイミングはかり  貴重な庭スペースはもっと自由のスペースに出来るのになああ 日向の庭 狭い庭にクリスマスローズはいらないかもよ 日陰気味の庭の特権 クリスマスローズとニオイスミレに始まって イカリソウ、スノーフレーク、ハナニラの季節へ 斑入りナルコユリ イングリッシュブルーベル しらゆきげし ゆきのした・・・ 季節は続いていくのでしょう・・・楽しみです。 生きてるっていいことですねえ 思えば 宿根草ばかりですね いつのまにかそうなっていったようです。 思えば 日陰気味の庭を一年草でつくるプラン・・・面白そうですねえ 私にはもう時間がない!誰かチャレンジしてみて!!見せて!!! 見たい!!!!!

写真No.141:3/16:菜の花

この写真のような包装紙を見たことがあります
緑の背景に一面に咲く黄色い花の図柄です
欧米のチョコレート屋さんだったか それとも服飾雑貨だったか...。
目立ったので覚えているくらいですからデザインとしては成功と言えるかもしれません
ブランド名は忘れましたが どちらしろ有名な高級品を売っているはずです
私どもは見栄を張るためにお金を使うのは嫌いですが 
有名ブランドの製品は高品質であることが多いようです
例えば,数十年前に結婚祝いのお返しにブランドものの湯上がりタオルを頂いたのですが
このタオルを最近まで使っていました 使われていた糸が高品質だったのでしょう
スーパーで購入した1000円タオルであれば1年でつかえなくなるのではないかと思います
とは言え問題は価格でしょう 1000円の品質のタオルは1000円で買えますが
品質やコストが3倍3000円の高級ブランドタオルは例えば2万円するのです
その差17000円はどこに?
これはブランド料金でこのブランド会社社長さんのドンペリ代やフェラーリ購入資金となります
スーパーの1000円タオルと2万円のブランドタオルしか売ってなかったら選択に悩むかもしれません
1000円タオルを20年間毎年買い続けるのと2万円タオルを20年使うのは支出的にはほぼ同じですからね
現実はよくしたものでそんな選択をしなくても2000円の品質のものが5000円で売られたりしています
自動車の価格も似たような感じです
見栄っ張りのリッチな人はベンツとかBMWとかアウディとか購入されると思いますが
アメリカの雑誌などによれば購入に値する車のランキングでは日本の車が常に上位にあります
値段はベンツなどの半分以下か1/3以下です
なぜ高価なベンツなどを購入する人がいるのでしょう やはり見栄代に数百万円支払うのでしょうか
と書いたものの 超リッチな人は他にお金を使う方法がないのかもしれません
せっかく稼いだ大量のお金を何かに使わないと意味がありませんからね
何を隠そう私どももチョコレートは明治ではなくてゴディバを購入することがあります
特にゴディバのチョコレートアイスクリームは止められません おいしいです
ハー○ゲン△ッツなんて目じゃありません ハハハ! 





田舎のごちそう研究所 所長さんの面白げな名刺届きました 故郷の海は遠浅の浜辺 貝類の棲息に合っていたらしく たくさんの種類・貝殻集めの宝庫 桜貝 めちゃがい 真珠貝 カラス貝 ツメタガイ マテ貝 まんじゅがい その他大勢 わっさわっさ そして バカ貝 そうなんです 姉に確認しても ああバカ貝だよね…となりました。 ネーミング 気の毒に バカみたいにありふれた貝殻:背が立つか立たないかの深さの海底 足にがさついた塊の感触 両足でひょいと挟んで簡単に採れるのです。 バカみたいにころがってるだけ バカみたいに簡単に捕まっちゃてる 馬鹿なんだよね っとこんな感じ。 貝殻としては一番普通・親しまれ愛されてる貝殻でもあるのですけどね。 桶いっぱいのバカ貝いただいたことがありました。 バカ貝食べるのか? こんなにたくさんどうしたものか 夕食 バカ貝のてんぷら食べ放題 もう度肝抜かれる美味しさ 貝のもつ旨味 貝らしい食感 歯ごたえの確かさ てんぷらはバカ貝にかぎるバカ貝はてんぷらに限る 一度食べただけなのに姉と私の一致した確信事項なのです。 大人になってお寿司屋さんに出入りするようになりました。 お寿司ネタケースにおなじみのバカ貝発見 んんん  壁の値段表示 時価という恐ろし気なところに赤貝  町に来るとバカ貝は赤貝となるのか 高価なお寿司のネタになるのか・・・絶句! もっと大人になってお寿司屋さん赤貝食べるようになりました。 とっても美味しい でもでもこんな値段で食べるものなのか? 天ぷらかき揚げ風食べ放題 なんと豪華・豪快な食べ方だったんだなあ 赤貝は天ぷらに限るよねえ・・・姉と確認し合ったことでした。 これこそ田舎ならではの 田舎のごちそうなのでは ねえ 研究所所長さん? 生産地千円のタオルが都会で一万円になったの話のつもり ・・・ガガーン!!!・・・ 何気なくグーグルでチェックしたら。 私たちのバカ貝は別の名前があって お寿司屋さんの赤貝とは似て違うものであった。 んんんんんん 知るは喜び 知るは力 知るは。。。。ほっといてくれ! 姉には黙っておこう 故郷の赤貝 故郷のバカ貝 故郷のごちそう 永遠なり 以上 Case Closed

写真No.140:3/9:セキレイ
写真はセキレイと思われます セキレイにしては白い部分が多いですが。
セキレイは鳩や雀に比べれると人になれないようです
宝ヶ池公園でちょいちょい鯉や鳥たちにパンくずをあげるのですが
近寄ってくる鳥は鴨、鳩、鳶、青鷺とカラスくらいです
昨年までは鳶と青鷺は来ていませんでした 
だいたい鳶も青鷺も水面に浮くことはできませんので 
飛んだまま水面に浮かんだパンくずをすくい取るのですが
鳶は足で青鷺はクチバシで器用に小さいパン(1cm四方程度)を取ります
見ていてまことにご苦労さんなことです
その点鳩は目前の手すりの上に乗ってあわよくば袋から直接食べようとします
カラスは投げ終わって誰も居なくなったころにおこぼれを求めてやってきます
それぞれの生き方に応じて食べるわけです
この写真のセキレイはまだ産毛が残っている幼鳥ではないかと思われます
幼鳥ゆえにまだ人間をそれほど怖がっていません 
なにせ我々が陣取っているテーブルの横のテーブルでこの姿でじっとしていました
もしからしたら巣にいるときの恰好をしているのかも...。
捕まえられそうな感じで小鳥にしては極めて不用心でありました
鳥でも猫でも犬でも人でも幼い頃 誰とでも友達になれる時期があるような気がします 
昔よく行ったスーパーへの通路にある一軒の家が子犬を飼い始めたのですが
子犬のときに友達?になったので成犬になっても友達として遇してくれました
買い物で前の道路を通る度にシッポを振るなどして大喜びしてくれたのです
最近では毎日散歩で通る道に面しても犬がいるのですが
始めて合ったときから成犬であったため友達認定はしてもらえず
毎日冷たい目で眺められるか無視されるかです まあ吠えられはしませんが...。
毎日一応手を振っているのでそのうち「怪しい人認定」されるかもしれません





週一のお楽しみ スタバ・カプチーノタイム 何故なのかなあ 外のテラス席使う人って少数派なのですよね。 少しの暑いのも嫌!少しの寒いのも嫌!雨風湿気嫌!ってことなのかな   ホットコーヒー アイスコーヒー より美味しいと思うのですがね まあおかげさまで 空席ゆったりまわりの空間占有 贅沢なひととき  行きかう人 遊ぶ子供たち 空を芝生を光を楽しめるのです。 この自由感 解放感 はんぱなし! 今日はなんとセキレイ となりのテーブルでくつろぎのポーズ ねえ 人間でない生命体がすぐそばにいてくれる  あたりまえの雰囲気でくつろいでくれる  素敵なことだとおもえるのですが おなじみさんでもない 顔見知りでもない  今があるだけなのに 猫も犬も鹿も亀もミツバチもアマガエルも  そんなひととき一緒に過ごしたことあるような気がします。 人間でない生命体 それでもなんだかお互い感じ合う存在感?  まあ言わば仲間なんだよねえ みんな生きてるんだよねえ  今 このひとときの 共有感 (多分) 今日は鳥 セキレイさんでした。 ああ可愛かった嬉しかった 生きていてよかったなあ  果報者感 はんぱなし! 

写真No.139:3/2:ラナンキュラス
写真はラナンキュラスです
『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』とか言いますが
この精神で言えばラナンキュラスの花に該当するのは何かな〜と考えました
その結果 帽子をかぶった西洋の貴婦人の立ち姿 と思えてきました
西洋の貴婦人と言えば最近BBC制作のTVドラマを見ました
これは19世紀の小さい町の高齢〜中年の貴婦人達が主人公でした
この町に汽車が伸びてくることになってこの貴婦人達が反対するわけです
汽車が伸びて駅ができれば町は発展しいろんな変化が起こるでしょう
社会の変化は若者には進歩発展ですが 高齢者には変化は苦痛です
自分の周りに変化が起これば それに対応して新しいことを習得せねばなりません
高齢になると新しいことを習得するのが難しいのです
なんの変化もなく毎日同じことを繰り返すのが高齢者の理想です
しかし現代社会は猛烈に進歩して日々変化しています
例えばコンピュータとかインターネットとかスマホです
ファミレスに行って注文しようとしてもタブレットが置いてあります
食べ終わって勘定を払おうとしてもレジに人がいません 支払い機が置いてあります
ガストに至っては配膳ロボットが料理を運んでくるので
お店に入って食べて出てしまうまで一言も口をきくこともありません
これでは高齢者は尻込みしてこなくなるでしょう
買い物はパソコンで注文すると配達してくれるらしい
スマホを持ってコンビニに行けば現金が引き出せるらしい
支払いは現金でなくてもできるらしい
タクシーはスマホで呼べるらしい
ただしどうすればよいのはわかりません
説明を聞いても耳が遠いのでわかりません
こうなったらなにも分からないふりしてやろう
なにもわからないけれど...。





ロンドン身分不相応な高級ホテル、エレベーター降りたら ロビーにあふれる・・・ロイヤル主催のアフタヌーンパーティーか? 石油王国一族、マハラジャ御一行、上流貴族様・・・外国映画シーンさながら 百合、芍薬、牡丹、薔薇 りゅうとした燕がひらりひらり ひっくるめた世界 豪華な世界 すっとんで逃げたのだけど 今にして思えばしっかり見て鑑賞しておけばよかったなああ。 我が国プリンスホテル これは怖くない。 散歩途中お手洗い借りて紅茶ケーキセットで楽しみましょう。 時は卒業式 謝恩会らしいのです。 会場へ向かう振り袖姿のみなさん その美しいこと 感動。 全身の感覚揺さぶられてしまいました。 日本の美 日本の芸術 伝統の迫力 百合、芍薬、牡丹、薔薇 ひっくるめた世界 もっと上を行く豪華な世界だったなああ。 堪能。 私は 日本人なのでした。 さてラナンキュラスさん 負けてないですよね。 どこぞのホテルではなく 庭でその華やぎ楽しませてください。 いやいや苦戦しました。 私の庭、あなたの庭、小さな庭ですよね。 華やかすぎて周りの春の花たちと調和がとれないのでした。 ならばと花株まとめて派手に思い切り輝け! トホホ なんだかけばけばしいことになってしまいました。 ここはキャバレーショーの舞台ではないのですよ。 恥じて ラナンキュラスさん救出作戦 あっちへ移しこっちに移し… 春も終わる頃 徒長気味の忘れな草にかこまれて やっと華やかな愛らしいラナンキュラス 楽しそうに笑ってくれたのでした。  ホッ あなたの庭のラナンキュラス お元気ですか? チューリップ、パンジー、アネモネ、マーガレット、デージー その他もろもろ 合わない似合わない・・・思いませんか これぞ成功!そんな庭姿 どうぞ見せてくださいませませ。

写真No.138:2/23:若梅
梅のつぼみが今にも開きそうになっています
京都は寒い日が続きますので梅も咲きそうで なかなか咲きません
北野天満宮の梅祭りは18日頃でした だいぶ昔にその時期に訪れたことがあります
梅林を見るためには入場料が必要でしたが迷ったあげく入ってみると
梅はちらほらと咲いている程度でした が 床机に座っていると
キレイな着物を着た舞妓さんみたいな人がお茶(薄茶)をだしてくれました
今だったらインバウンドで混雑して うっとうしさの限りでしょうが
その当時はさすがの入場料の効果で人はまばらで まあ良かったです

この今にも咲きそうな梅の写真は一週間前に撮ったものです.
そして実は2日前にもこの梅の木の写真を撮りました
この5日間でどうなったと思いますか?
答えは以下の3候補から選んでください.

@ちょっと膨らんだだけでほとんど変わらなかった
A梅の木のあっちこっちでちらほら開花していた
B満開で梅の木全体が輝いていた

この梅の木は花が八重だったんです
八重の梅はあんまり見たことがなかったので その優雅さにちょっと圧倒されました
梅の花は「私は寒さに耐えている」と言っているような簡素な姿と思っていましたが
こんな華麗な種類もあるのですね

上の質問の答えは下の写真ようにBです
たったの5日で満開になっていました
こんなに早い時期で満開はおかしいと思われた「あなた!」
あなたの感覚は正しいです.
この梅の木は温室の中にあったのです.





車無しの生活は良いのですが、後期高齢生存者といたしましては 行動半径が狭く・固まってきたようです。 決まってしまったいくつかのパターン。 それを楽しくきっちりとやり遂げる毎日の充実感。 良いのだと思います。これこそが大切なことなのだとも思っています。 ふっ 春の予感 このままでいいのかな 何かやれること 何かしたいこと 何かあるのかな 気持ちと身体を連れて行ってくれる何かあるのかな あるのだろうか 何かあるのかな・・・ 春 始まりを感じさせる季節の存在 良いものですね。 生活のパターン変らないとしても、きっとフレッシュな風が吹いて 新たに見つけるニュアンスの数々・・・楽しめそうですよね。 寒空の下 つぼみ膨らませ・花弁のぞかせたまま 咲くぞ咲くぞと見せつけ続けること一か月。 梅林のつぼみさん さあ あなたの春がやって来たようですよ。 それっ  咲けー! 春 嬉しくもありがたい 春 春 かならずやってくる 春 

写真No.137:2/16:種殻
百合の種殻(たねがら)です.
知らない方もおられると思いますが これはかって種が入っていた袋のようなものです.
中にあった種は風とともにいずこかに行ってしまいましたが袋である殻はまだ残っています
枯れ木も山の賑わいと言いますから種殻にも風情があると思う人が居ても不思議ではありません
私も風景的には種殻も悪くないと思うのですが 世間的には問題は役に立つかでしょう
空になった種殻はもうなんの役にも立たないと思われますがこれは身につまされます
自然界は残酷ですから この種殻もまもなく風に吹かれて
どこかに飛んでいって地面に落ちて誰かの靴に踏まれて粉々になると思われます
子孫を残しに遡上して来たサーモンは筋子をばらまいた後は
抵抗力がなくなってしまって体中カビだらけになってしまうと聞きました
言っときますが そんなのはイヤですよ
若い頃にカミュさんなどが主張した実存主義について考えたことがあります
いろんな人がいろんなことを言っていると思いますが
私の思っている実存主義は 
神様の助けはいらない
人生に目的がある必要はない
各個人が日々を充実してドーパミンと共に生きれば良い
と言っているようでした
この解釈が正しければ実は最近の私どもの生き方こそ
実存主義を体現しているのではないかと思わないでもありません
そうか 最近の散歩ばかりしている人生は実存主義的なのか?

なんちゅうわけのわからん恐れ多いことを言っているのでしょうか
反省しなさいと配偶者さんに怒られそうですが
種が飛んでいって空になってしまった種殻は不条理な存在ですから
やっぱり実存主義的ですな〜

そう思って機嫌良く暮らしましょう





なんとこの散歩と居眠り三昧の生活が 実存主義的な生き方どすて! まあすべてものは言いようですしね。 気に入りました。 胸張ってああなんと実存主義的であることよの感嘆符と共に過ごそうと思います。 行くぞお散歩 やり抜くぞ居眠り三昧。 そうですか 種殻は不条理なのですか。 私は根っからの不条理愛好家・収集家です。 断捨離迫られるお年ごろ  一番つらく難航するのが 集めてしまった不条理の数々 種殻、木の実、枯れ枝、鳥の巣、鳥の羽、貝殻、ガラス片、石、流木 捨てられない・・・庭にばらまいたら  ああ捨てがたしと再採集する羽目に。 これはウバユリの種殻です。 きれいだなあ 好きだなあ びっしり詰まってた小さな薄い種 一枚残らず飛ばしてしまって お役目完了  お見事 花眺めるのももちろん好きだけど花は移ろいゆく途中・儚い一瞬 なぜか心落ち着かず、見定めることができません。 目と心がぶれて集中力欠けてしまうようです。 嬉しさに浮かれて夢心地とか言い訳しながら  何時もすこうし疲れるの感 何かの名残り達なのかな  しっかりの存在・確かな手触りで見ることを許してくれるのです。  眺め眺め・さすりさすり 勝手に思いを馳せることを許してくれるのです。 不条理たちは会話続けることのできる友達みたいな感じかなあ。 不条理の名残りを愛で 実存主義的に生きる日々 若き日の我らが見たら  アハハハハ 高笑いしてくれるのでしょうか!?!?

写真No.136:2/9:寒梅つぼみ
 寒梅のつぼみです 今まさに咲かんとしています
この写真を撮ったのが4日前ですので現在は咲いていると思われます.
植物園に飛んで行きたいところですが 今日は家の周りは雪が積もっています
今シーズン2回目の積雪です 数センチですが...
というわけで 写真はまさに寒梅のつぼみなのです.

ちょっと前までは雪が積もればメチャ喜んで 
それ散歩だ!ドライブだ!と騒いでいたものですが
今は車はありませんし散歩は滑って転倒する恐れがあります
と言うわけで昔と違って雪が積もると外に出るかどうかを迷うようになってしまいました
家の周り北側と東側には幅2m〜3mほどの庭があってキンモクセイなどが植わっています
そこに雪が積もって居間からでもちょっとした雪景色が楽しめます
家の南側には5m×4mほどの庭があって真ん中にケヤキが植わっています
この小さい庭は 秘密の花園 みたいで雪景色もなかなか良いのです.

自宅のあっちこっちの窓からも雪は楽しめるのすでが
午後からは近くの神社まで散歩に出かけることにいたします
というのも2階の掃き出し窓から外を眺めると犬散歩の人たちが数名おられましたので
これなら外出しても大丈夫と思われるからです.
年とともに次第に用心深くなってしまって安全第一の精神がはびこる我が家ですが
今日は頑張ります

さて神社への散歩から帰宅いたしました。
日は照っているし風はないしとても快適でした
神社は徒歩で往復20分程度ですが境内に座るところがあり休憩しますので30分程度の散歩です.
境内の雪の深さは10cmほどありましたのでちょっと雪合戦をいたしました
家から神社の間の道路では雪達磨が一つもないのに驚きました
雪合戦はあっちこっちで子供たちがやっていましたが...。





雪とけて村いっぱいのこどもかな 一茶さんらしなあ 雪国なのでしょうね 子供たちのはしゃぎ聞こえてきませんか。 雪降って村いっぱいのこどもかな わが故郷は降ってもせいぜいあられ…の地方 雪降ろうものなら数センチでも積もろうものなら 村いっぱいの子供かなっとなったものです。 雪とけても 雪降っても 子供たちはいつも楽しいんだね。  思い出の中 雪の世界 子供たちはいつもはしゃいでる さてさてご町内 子供の姿見ること少なくなってきました。 集団登校(可哀そうに!) お友達誘い合い(わあ懐かしい)  幼い友情離れがたしの立ち話(だよねだよね) なんだかふいっと全てが消えてしまった感じ。 希少・貴重な情景:家の前でいつも幼い兄弟遊んでた。  お兄ちゃんは学校へ 弟ひとり遊びが寂しそうだな…そして弟も小学一年生 もう誰もいない道 静かな道 なんだかさみしい もう雪でもガンガン降っていただいて・どんどこ降っていただいて どこぞにすっこんでしまった子供たち引きずり出していただきたいものです。 雪が降って 雪が積もって 雪が溶けて もうみんな大人の顔をしてる・・・してるんでしょうね まっ 人生 仕方ないのかな セ・ラ・ヴィ セ・ラ・ヴィ 雪景色はいつも晴やかそして静かな佇まい  好きです

写真No.135:2/2:宝ヶ池公園
 毎週出かける宝ヶ池公園の北西のコーナーから撮った写真です.
なかなか良いでしょう。
小さい池と四阿(あずまや)があってメタセコイヤがあって遠景に山があって 言うことなしです.
1年ほど前には ここで池の周りを一周できないようなことを書きましたが
ちょっと心配しすぎでした。余裕?で一周しています。
しかしあまり歩きすぎると帰宅してからコックリしてしまって時間が無駄になってしまいます
この公園は我が家からは歩くと小一時間かかりますのでタクシーかバスで行き帰りします.
タクシーはインフル感染を避けるためもありますが散歩時にドーパミンを出すためでもあります
なんと言ってもタクシー代は高いですので乗るだけで逆上気味で興奮しドーパミンが出ますので
公園に到着して散歩を始めるときには意気軒昂でドーパミンがあっちこっちから溢れ出るほど
元気になっています。それで池も一周できるのです.
「タクシー代使ったんだ!一周するぞ〜」の精神です
公園に行く前に駅の近くで昼食を取ることもありますが そのときにはカプチーノを頂きますので
散歩時にはカフェインとドーパミンの相乗効果もあって2人とも明るく元気に大声でしゃべります
まあ 普段は物静か?なので たまには良いのではないでしょうか
ちなみに帰りは高揚した気分を普通に戻すためにもバスを利用しています
帰るのは真っ昼間なので このバスはだいたいはガラガラです.

以前は行くときもバスでしたが 午前中のバスはげき混みで通路も人で塞がっていました
2人とも膝腰のために杖を2本使ってますので満員バスを降りるのはかなり大変です
バスがこんなに混むようになったのはどうもバス運転手さんが足りなくて便数が減ったためらしい
その後新しい運転手さんが入社されたようで このごろのバスは運転が乱暴でハラハラします.
便数は減ったままですが...。

今日は土曜日ですので散歩は家から始めます。八幡神社か運動公園までのどちらかの予定です.
その前にボンゴレロッソとコーヒーを頂きます。
パスタと頂くコーヒーが最近の我が家の楽しみのひとつです.おいしいですよ.





ここは散歩の最終スポット やれやれどっこいしょベンチ座り込む場所 最後のカフェイン・ドーパミン使い切って?のバカ話だけでなく 目を閉じ 深呼吸 心が開くスポットなのです。 三方を低い山・丘に囲まれた突き当り  何時も日陰となるメタセコイアの下のベンチで日を浴びた正面の山眺めます。 山を背にメタセコイアを眺めるベンチ そして今日は池を眺めるベンチ 前にも少し書いたようにも思うのですが 不思議なスポットなのです。 今日の写真に またまた思い知らされています。 ここにやってくると 今の時間が消える?ようなのです。  メタセコイアのせい?太古の時にいるような 陽だまりの木々の揺れ 時間が揺れて迷い込んでいるような 池の景色には旧い古い絵画 コローという方の描かれた風景画の中に入り込んだような 全身で浸る懐かしさ  いつかいたことがある いつかこの一部分であった という感覚・鑑賞・感傷 未来ではありません いつか・過去 なのです。 あまりに遠いいつか は 語ることでもなく ささいなエピソードすら関係なく ありのままのいつか 静かな存在のようです。  この平穏感 不思議です。 ハイ Time is up. 2025年2月でーす。 手摺りにしがみついてよじ登る階段クリアして 家路までのエネルギー分配計算しつつバス停へ 居間にもどって行くことのかけがいのない嬉しさよ 御茶タイム そして 居眠りタイム(わたしの場合) 良い一日なのでした。

写真No.134:01/26:カンタブリクス
ちょっと長い名前の花です.
なんと真冬に咲きます。京都であれば1月中咲きます
水仙のようですが もっと小さくて愛らしいです
だいぶ昔 冬の越前によく車で行ったのですが
海岸沿いの丘に水仙がいっぱい咲いていました
とは言え1月に行っても手遅れで咲いた後の水仙しか見れませんでした
早咲きの水仙なんですね。詳しいことは配偶者さんからお聞きください.

京都植物園では いまだ水仙は見れません
と言うか このカンタブリスク以外には ほとんど花は咲いていません
パンジーとかが植えてあって咲いていますが 寒さに凍えて縮かんでいます
2月になれば「早春の草花」とか言う名の温室でいろんな花が展示されますが
それまではカンタブリスクが女王的存在です.
一方で葉を付けていない巨木も見物です.
春から夏秋の間は緑の葉っぱで隠れていますが冬には巨木の真の姿?を表します
幹と枝だけですが これがなかなか迫力があります
寒いですが近くの公園でよいですから 裸の落葉樹を見に行ってください
ただし巨木の全体像を見れるようにある程度離れてください.
たぶん感心していただけると思います
ああ でもそんな広い公園は家の近くにはありませんよね
残念でした
でも 冬の楽しみは他にもいろいろあります
暖かい炬燵に寝っ転がってミカンを食べ昼寝でもしてください
考えただけで良さそうです
残念ながら我が家には炬燵がありません
長椅子で寝そべって紅茶でチョコレートでもいただきます





あれれ バトン渡されてるようですね 一月に咲く花: スノーフレーク、和風水仙、蝋梅(ロウバイ)、カンタブリクス そして我が愛してやまぬイオノプシディウム。 山茶花もまだ咲いてますね。 真冬に花の欲しい方 間違いなく喜んでくださるのではないでしょうか。 アッそれに高砂百合もこっそり・・・なんとわが庭二年続けて2月にも咲くようですよ! 地方にもよるでしょうし 年間季節の異常?も関係してくるのでしょうが 12月、1月、2月 冬だあ嫌だああの隙間  冬こそ我が時なのだとの喜びを知らしめてくれる花達ではないでしょうか。 皆に心して見つめてもらえる・愛される花達 その有資格者の花たちなのでは? なんとこの1−2月・冬の季節 もしかして一番好きなのかもしれません。 花よ蝶よから解放されている季節  山々の 公園の 落葉樹 枯れ木も山の賑わいのたたずまい  夢中で好きです。 なにもないので すべてがある。 お終いの姿は 始まりの姿。 寒さのなかの温かさ。 とりあえず すべてが静かに佇んでいる。  過酷な季節?いえいえ途方もなく平和の季節 自由の季節 深呼吸の季節です。 あはは ちべたいのは嫌ですよね  温かい部屋で(電気代が!)だらけきって お茶に三幸製菓のぱりんこ(塩味おせんべいです) 紅茶に不二家のチョコだらけ(パイなんだそうです) くだらない・つらい・おもしろい youtube 堪能した後で  アニメ 葬送のフリーレンを見て 心すがすがしくリフレッシュ われらの冬の楽しい一日は終わっていくようです・・・めでたし

写真No.133:01/19:カイドウ
木にぶら下がっていた名札によればカイドウの一種の実と言うことになるのですが
ググると春に咲くと書いてありましたので 初冬に実が残っているはずがありません
今は定かではありませんがそのうちあるいは春になって花が咲けば分かるでしょう
花としてのカイドウには連想できるものが何もありません
まあ どんな花かも知らないのですから当然です
植物園では桜林に隣接して植えてありますので 桜の一種と思ったかもしれません
南側の桜と北側の杏(あんず)はどちらも華やかで その狭間で咲くはずです
この狭間では初春にはたんぽぽが いっぱい いっぱい 咲きますが
たんぽぽをわざわざ見に来る人もいませんので いつも閑散とした地域なのです.

数年前には この地域にテーブル1個と椅子が数脚置いてありましたので
お昼時には 数名のグループが良く来ていました
私どもも椅子に釣られて良く来ました 
ちょっと椅子を移動すると小さいですが池を見ることができました
何故か人は池や湖や海といった水の景色を見るのを好むようです
人類は海水中から生まれたらしいので故郷が懐かしいのではないかと思っています
海から陸に上がることで著しい進歩をとげたのですが 
その代償として海中時代のような安全を失ったので 
水がたまったところの近くに居ると安心出来るのかもしれません
なにを隠そう私どもも池や湖や海を眺めるのが大好きであります
ちょっと前?には若狭湾にある河野海岸をよく訪れました
海はいいですね
岩に腰掛けて繰り返しやって来る大波小波を飽きもせずに見ていたものです
当時の私どもにとっては京都から若狭湾にいたる道は海にいたる道であった訳です.





赤い実をつけたカイドウ見つけました。名札によるとミカイドウ。 カイドウ、街道、若狭街道、そして河野海岸へ、海へと…辿ったのですね。 若狭、河野海岸の海は北に広がる海です。 太陽を背に北に水平線を見つめる海。思っただけで私の思いは故郷の海へ 懐かしい家路へ・・・跳ぶでした。 子供部屋の前,縁側のすぐ横に小学生の丈未満、小ぶりの木があったのです。 おかあさんの語ったこと: これは花海棠と言って春に綺麗な花が咲く木なんだけどねえ  全然咲かなくなっちゃったなあ 十九でなんにも知らない子供のまんまで結婚、東京の空思って涙ぐんでたんだけど そのときこの花が咲いていて まあこんなところにこんな綺麗な花が咲いている びっくりしたんだけど・・・咲かなくなっちゃったなあ そうなんです: 花咲いたことなかったような? それでも感じ良い小ぶりの木  花海棠  遊びまくり走りまくった縁側の思い出にぴったり寄り添っている木なのです。 今の家に引っ越してきた時 木を植える場所ありました。 庭の花、庭の木 好きに選んで良いのでした。 花海棠 ずいぶん迷い悩みました。取り入れなかったのです。 花海棠 見たことありません。見たい、咲かせたい こんな綺麗な花だったんだねえ…おかあさんとの会話の続き…思い馳せたかったようです。 採用しないことにしました。 なんだか 花海棠 おかあさんの大切な花のまま・・・にしておきたかったようです。 今日植物園で見つけたのは ミカイドウ、ノカイドウ 花海棠ではありませんね。 春 どんな花咲かせるのでしょうか。 子供部屋の前 遊び回り走り回った縁側に座って 母と子  どんな会話続くのでしょうかね。 老化現象そのものですね。 思い出話。 感傷話。 メロメロですね。 まあ自然現象ということで まあ嬉しがっているので ご容赦のほどよろしくお願いいたします。

写真No.132:01/12:金魚草
まだ20歳代の頃に住んでいたアパートの通路を花壇にしたことがあります
いろんな花を植えましたがその一つが黄色い金魚草でした
初春に植えたのですが これが晩秋まで10ヶ月ほど咲き続けました
春には「キレイな花だなー!」と思って見てましたが
秋には「まだ咲いている!」と変化しました.
美しいものでも 見飽きる と言うことです
タワーマンションの最上階の景色も同じで三日も見れば感激しなくなります
美男美女も同じで1年も一緒に暮らせば見慣れて何とも思わなくなります
金魚草の場合には秋になっても咲いているので 次の花の場所が空かず
「いいかげんにしてくれ」と思ったほどです
要するに人を楽しませ続けるには景色でも花壇でも変化が必要なようです
多くの場合に人はいろんな場所に行っていろんな景色を楽しむのを喜ぶし
花壇には季節毎にいろいろな花を咲かせます
まあ配偶者については取っ替え引っ替えする訳にはゆきませんので
我慢していただくか経年変化を楽しんでいただくことになりますが...。

どう間違っても駅近タワーマンションの最上階を買ったりしてはいけません
ダウンタウンの景色にあこがれて入居しても直ぐに飽きてしまいます
国内のさまざまな景勝地に行きましたが ほとんどのところは
一度目に感激しても二度目には「なんで感激したんかいな?」と思ってしまいます.
住居となれば毎日見るのですから たいていの眺めは直ぐに飽きてしまい
「なんでこんな所に引っ越ししたんかいな?」となってしまいます

それでも高い所からの眺望は魅力的に思えますよね。
その場合には高層ホテルに行って高層階スイートに泊まってください.
一泊だったらスバラシイ眺望に飽きる前に部屋から出てしまいますので
いつまでも よかった!よかった! と思うことができます





・・・という訳で金魚草わが庭では敬遠されてるのかな。 気の毒に 良い花なのですよ。 種類も豊富、品種改良もあって 可憐な低性タイプ 広がり花壇のメインカラー受け持つタイプ 背が高く豪華に主人公タイプ 四季を通して金魚草だけでの庭可能だと思います。 まあ お腹いっぱい・・・なるかもですが。 金魚、金魚鉢 旧い懐かしい時代を演出するのにぴったり 皆の、たぶん人生後半期に入っている方の記憶のアルバムの何処かに潜んでる フランスでも パン屋のおやじさんに愛され 皆に 国中の人に愛された金魚さんがいたようですよ。 王子さまのように大切にされ 元気にはねて ごきげん如何のご挨拶 愛されて 愛されて 今は天国で しっぽの生えた天使なのだそうですよ! フランスの民謡、童謡・・・探してみてください。 わたし歌えるんだぞ。 下宿隣部屋の信ちゃんに教えてもらいました。 極楽とんぼが ツイー ツイー  良いなあと思っていたけれど 極楽きんぎょが フリフリ の フルーリー むむ 捨てがたし ***おまけ*** 金魚草見つけたら 花のつけねの部分  指で挟んで軽く押してみてください。 金魚 お口パックン開けて・・・・可愛いですよ!

写真No.131:1/5:比叡山
 新年です.今年最初のイメージは比叡山です.
植物園が年末から1週間休園しますので昨年撮った写真の中から選びました
京都市内の北の方面に住んでいるとほぼどこからでも比叡山が見えます
これは宝ヶ池公園の東南にある駐車場横の休憩所から撮った写真です.
この写真では比叡山はかっこよい立派な山に見えますが
2kmほど北に行って見ると地面がちょっふくらんだ裏山か低い丘に見えます
ところが車で東に向かい比叡山を超えて大津に行って見ると
コブが二つ並んだラクダの背中のように見えて京都から見る山とはまったく違って見えます
京都から見える山の後ろにもう一つ山(奥比叡)があるのですが京都からは見えないのです.
同じ一つの山でも見る場所によってまったく違って見えるわけです.
これは比叡山の場合でたぶん富士山はどこから見てもあのかっこよい姿だと思います.
たぶんと書いたのは富士山を見たのは
南西の静岡、南の伊豆、東の東京、北西の車山高原
だからです.北から見たこともあるような気がしますが 今は思い出せません
と言うわけで 富士山は北以外からは 見ましたが 
どこから見てもほぼ同じ富士山の形でした.
同じ山でも 比叡山のように見る場所で形が異なるタイプと
富士山のようにどこから見てもほぼ同じ形のタイプがあるようです

たぶん人に当てはめても同じようなことが言えるかもしれませんが
人の場合には 見る人が知人友人か家族か同僚か上司かによって評価が異なるのが普通でしょう
例えば,誰からも好かれる好人物と言われる人が居たとしましょう
知人友人・家族・同僚・上司の全員が「あいつはいいやつだ!」と言うのです.
私の長い(長いのです!)人生経験は「それは実にアヤシイ」と私に訴えるでしょう
その長い人生経験は私に 人間には良い面もあれば悪い面もある と教えてくれます
100%良い人もいないし100%悪い人もいないのです.
また、なにが良くてなにが悪いかの判断は人によって異なります
ある人から見ると良い性格も他の人から見ると悪い性格になるのです.
積極的に行動する人は厚かましい人
おとなしい人は消極的な人
となります
というわけで周りのすべての人に好まれようとするのは虚しい努力です
自分らしく生きるのが一番良いと思います
あれれ!今日は説教調になりました ご容赦ください





京都は盆地 なだらかな低い山に囲まれている地形 そこにただひとつツンと澄まして主人公張ってるのが比叡山です。 どこからでも見え、自分の立ち位置確認できる山 季節に日々の生活に並走者みたいな存在です。 京都・比叡山 ひとつの山と共に生きていくというのも なかなか味のあるよいものだなあと思っています。 富士の山と共に…これまたまた特別感あって良さそうだなあ。 この人生期間では叶わなかったけど  鹿児島・桜島と共に生きるのも良いだろうなあ。 海から生まれてきたような、海と一つになっての山姿・桜島 なんと煙まで吐いての舐めたらいかんの貫禄付き 鹿児島の方たち 日々桜島眺め・感じて暮らしてらっしゃるのでしょうね。 羨ましいというのではないのですが・・・んんん良いなああ 比叡山と共に生きた人 富士山と共に生きた人 桜島と共に生きた人 どうなんだろう 山によってそこに住む人の個性?心情?変える力? あったりなんかして・・・ 何処ぞにあると聞く阿多多羅山 その山の上に広がる空 それが自分の空なのだと恋焦がれ 駄々をこねた方がいたようです。 智恵子さん 阿多多羅山と共に生きた方なのでしょうね。 エール送りたい気持ちです。

写真No.130:12/29:もみじ落ち葉道

 紅葉したもみじの落ち葉でいっぱいの細い道です.
もみじは木にあるときも 落ちてからも人の目を楽しませてくれます
春、5月には新しい葉っぱがニョキニョキと成長してきます
新緑のもみじ林は明るい感じで気分も明るくなります
5月の晴れた日に真如堂の裏の階段を上ってゆくと 新緑のもみじ林が見れます
思わずドーパミンが奔出するほどの明るい緑です.
もみじは6月から10月まで半年の間 炭酸同化作用で酸素を生み出してくれます
秋になって寒くなってくると もみじの葉っぱは赤茶色に変化します
もみじですから真っ赤になることもあります 
今度は紅葉で人の目を楽しませてくれるわけです
運良く深紅のもみじに囲まれるような状況になれば最高です.ドーパミンものです.
そして最後は写真のように落ち葉となって道にあふれます
落ち葉でいっぱいの道をシャワシャワと歩くのも晩秋の風物詩の一つです.

ビューティフル・ガールズと言う映画でまだ子供のナタリーポートマンが
積もった雪の上をジャンプして「快感!」と言うシーンがあるのですが
あれも雪がシャワシャワと音をたてるのが嬉しかったのではないかと思います.
映画ではシャワシャワを喜ぶのは子供っぽいと思わせたたかったのでしょうが
そしてその通りだと思うのですが 
それでも私どもは 秋の落ち葉シャワシャワの快感は止められないのです.
健康のため歩き回らねばなりません どうせ歩くのなら楽しく歩くのが良いです.
落ち葉シャワシャワがドーパミンを出してくれるなら万々歳です.

もみじは各季節で 私どもを楽しませてくれるのです.





道 歩いてきた道 歩かなかった道 分かれ道 そこに選択の瞬間 あったのでしょうか あったのでしょうね。 あの時その時の自分 思い起こす時  胸いっぱいの恥ずかしさ愚かしさ穴があったら... でもね不思議なんです  その続きにある今 現実に何の不満もないのです。 何故なんだろう。 現実肯定主義者なのかなあ まあ 今に満足 今がハッピーなのだから 今に続いているはずのあの時その時があってこその今なのだから 理屈では んんんすべて正解であったのであろう・・・なんちゃって。 ああ この理屈で言えば いつか今・この時を思い起こす時  胸いっぱいの恥・・・・っと穴探すのでしょうよね。 重ね重ねて歩く道 いいものです。 ここは紅葉の季節にやってくる道です。 まだかまだか 頭上をながめ 周りをながめ 足元・道をながめます。秋の小径です。 ここだけで 秋 満足 しあわせの小径です。 両手に杖の後期高齢生存者 いつも下を見ながら歩くことになります。 秋 落ち葉 時期少しずつずらしながら 色模様つくっていくのです。 こんな形 こんな色 楽しい発見。 今は紅葉が圧倒して全てを覆っています。 お調子にのってはいけません。 石を窪みを小枝を隠した紅葉・落ち葉なのです。 デーン ひっくり返った・・・ わたくしめ なのでありました。 みなさん 老いも若きもですよ お気を付けくださいませ。

写真No.129:12/22:フー

 フーの木です.
数年前の台風で壊滅的な影響を受けたのですが ようやくほぼ回復しました.
この威厳がありそうに見える大木が紅葉する風景は珍しいのでちょっと嬉しいです
だいぶ昔ですがニューイングランドに住んでいたとき秋にアーモストに行ったことがあります
アーモストは町中が楓と思われる大木に囲まれていてそれが紅葉していて圧倒されました
ニューイングランドやカナダの圧巻の紅葉や黄葉はyoutubeでも見れます

フーと言えばだいたいの人は英語のwhoを思い浮かべるのではないかと思います.
英語でフーと言えば「誰?」ですが 我が家ではよく「ユーフー」と言います.
英語でyou who?です.これは訳せば 「あんただーれ?」 となると思います.
ユーフーと言うのは 何を隠そうMary Tylor Moore Showで始めて聞いて
その後 不定期な「ご挨拶」のことばとして 我が家で活用されているものです.
元気がない時とかに「ユーフー」と言うと元気な声で「ユーフー」と返ってきます
これは悪くないですよ まあ だまされたと思ってやってみてください
簡単ですが日々をhappyに暮らすための知恵の一つです.

Mary Tylor Moore Showは昔アメリカですごく人気があったコメディー番組です.
日本では放映されませんでしたが これもyoutubeで見ることができます
主人公は30歳くらいでおとなしいですがとてもチャーミングな女性Maryです
第1シーズンでとてもういういしかったMaryも第7シーズンでは
オトナのキャリアウーマンとなっておられました
youtubeでは英語ですが 会話が分からなくても 感じのよい主人公や
ドラマの明るい雰囲気を楽しめますので よかったら見てください
お勧めは第1シーズンの第14話です.
クリスマスイブの夜に宿直当番となって心細がるMaryのところに
上司や同僚がやってきてビックリさせると言うようなお話です.

アメリカのドラマではサプライズパーティがよくあるようですが
日本人としてはそんなサプライズは是非止めて欲しいです
台風でダメッジを受けたフーが元気になったのもサプライズですが
これは嬉しいサプライズです.





サプライズ 好みません 毎日の生活の中サプライズ ノーサンキュー 例外として ドラマ・ストーリーのサプライズは まあ許してあげましょうかね。 それも どうぞ ほどほどに。。。お願いしたく思います。 エイプリルフール? 許してください 心臓に悪い 思っただけで心不全 という とんでもないほどわれわれは憶病者です。 世にサプライズはついてくるものですよね。 脅かしあい 面白いのかもしれませんよね。 必要悪なのかも。 そこで 我が家では ショックを避けるべく 穏やかにその必要悪解消させるべく エイプリルフールにちなんで 月初め限定で嘘・脅し 堂々と言うことにしています。 。。。 なんだか おなかがいたい。。。 後期高齢生存者が言ったら 相棒としてはギョッとなりませんか? なるのです。 必要悪の解消・消費が目的ですから ショックを与えるのが目的ではありませんから 言い方に気をつけたり  月末からの予告編あったりします。  なんだか明日おなかが痛くなりそうな気がするの というわけで? お正月元旦 特別の月一のお腹痛いの日 さぞさぞ 痛いことでありましょう。 えっ ほんとにお腹痛くなったらどうするの? お答えいたします。 なりません! お腹痛くなったりいたしません! お腹痛いって何? 健康オタクは刻一刻を頑張るのであります。 来年も頑張るぞ!!!!!

写真No.128:12/15:銀杏

銀杏(いちょう)です.
銀杏としては巨木です ほぼまっ黄色に「こうよう」しています 
紅葉と書くのに抵抗があったのでググると「黄葉」と書くようです.
いちょうと言えばすぐに胃腸を思い浮かべます
大学生の時代には神経が細くて直ぐに「おなかをこわして」いました。
例えば神戸まで運転するとその後で下痢をしていました 
運転中はらはらし通しだったためでした
ヨーロッパはベルギーで変わったものを食べて胃炎かなんかになっていました
アメリカで生牡蠣を食べると必ず下痢をしました.滅菌処理をしていなかったのです.
若き頃は胃腸が弱かったのだと思います.
その後の身体的変化と言うか経年良化で簡単には下痢を含め病気とかしなくなりました
我が配偶者さんにも若い頃に比べて丈夫になったと褒めて?もらっていました
たぶん神経の繊細さがなくなっただけだと思いますが...。
それでもこの経年良化のおかげでいろんなことを経験できました.
例えば京都から11日かけて車で東北を旅行しました(勇気がありました)
一日平均約300kmで全走行距離3500kmです(体力がありました)
泊まったのは上越、秋田、青森、久慈、気仙沼、山形、郡山、喜多方、小諸、高山などです.
下北半島の北端にも行きました 津軽半島の龍飛崎では足を滑らせてひっくり返りました
このときの車は初代の赤いRAV4でした 当時のSUVとしては珍しい100馬力を超えた車でした
が アクセルを目一杯踏み続けても130km程度しか出ませんでした
この最高速度の実験を高速でしていると横にパトカーが来て
「スピードメータを見て運転してください」と言われてしまいました
RAV4は2代目にも乗っていたのですが 去年暮れまで乗っていた車も実はRAV4でした
このRAV4はハイブリッドでしたが200馬力を超えていました 
初代に比べると2倍近くパワーアップしていたわけです
始めて運転したのはパブリカと言う車で空冷エンジンでした 
なんと60年昔のことです.
自動ブレーキとかデジタルミラーとか車も随分進歩しました.
生活環境もとても便利になりました
冬でも今は部屋全体が暖かく快適です 子供の頃は火鉢の炭火に手をかざす程度でした
日本も随分変わったのです 経年良化です
直近の20年、30年を見てもインターネットとかスマホとか 経年良化は凄いです.

写真の銀杏は巨木で100年以上たっていると思われますので
炭火の火鉢の時代からインターネット・スマホの時代まで見てきたのですが
これからの100年も見守ることが出来るでしょうか?
人間はパワフルにおろかなので100年後も元気かどうかはちょっと...。





金色のちひさき鳥の形して銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子さんです  素直な懐かしい情景…のように思えるのですがいかがですか。 秋と言えば紅葉黄葉 豪華なひととき 晩秋落葉枯れ葉といえば哀愁のひととき うかれるにせよ情に溺れるにせよ ひとつの季節 大切に過ごしたくなる季節ですね。 タクシーの運転手さん 紅葉の道走りながら 木の葉が紅葉していく過程話してくれるのでした。 葉緑素 栄養 葉緑素退出 葉が赤や黄色に そして落葉 新しく知った神秘の事実・・・知るは喜びの語り口 なんと私も知ったばかりの知識でしたので おお 同志よ ニコニコしちゃいました。 みなさん 秋に紅葉していく木々のドラマご存じですか おもしろいですよ 凄いですよ ぜひぜひ調べてみてください。 運転手さんの語らなかったこと 秋の紅葉の神秘プロセスの最終章は残酷風味です。 役割終わった葉 枝との境にコルク層というものができて 木本体からの繋がり断絶 水分断たれてしまうのです。 兵糧攻め最終章 赤・黄の色素は 葉にわずかに残った栄養・水分で健気に頑張るのです。 力尽き・・・枯れ葉落下落ち葉朽ち葉 秋の紅葉とは木々の葉の最後断末魔・あえぎの輝きとも言えるのです。 これはつらい語り口ですね。 一枚の葉落ちるとき その跡にはもうしっかりと新しい芽用意されているのです。 葉は 落ちるべき時を知っているのかもしれませんね。 風に吹き寄せられた落ち葉 シャカシャカ音たてて蹴とばして歩くのは無上の喜びです。 シャカシャカ シャカシャカ 秋の最後の楽しみタイムです。 シャカシャカ シャカシャカ シャカシャカシャカ

写真No.127:12/8:紅葉と池

 旬の紅葉が池に映った写真です.
それほどキレイに写っているわけではありませんが珍しいので挙げておきます
気候的にはいつの間にか晩秋という雰囲気で寒いようような寒くないような毎日です.
車を手放して1年たちましたが寒い日にはまだ車がイイナーとなります。
車無し生活で起こった変化の一つがモスバーガーです.
駐車場がないので車があったときには行けなかったのです.
最近はモスバーガーでパンを残すようにしています ダイエットではありません 
翌週の宝ヶ池公園の散歩の途中でカモさんや鯉さんに投げてあげるためです.
このパン投げは最近では我が家のメジャーイベントとなっています。
と言うのも パンは漫然と投るのではなく 
どのカモさん どの鯉さんにあげるかを決め そこに投げるからです.
誰がパンを得るかの基準は 
意地悪なやつには食べさせない
遠慮して群れから離れているのに投げる
となっています
投げ損ねて遠慮鴨を目指したパンが意地悪鴨の前に行くこともありますが
だいたいは この基準が実行されます
すると我らは世の不正(この場合にはイジメ)を正した神様のような気分になって
その後は気分良く散歩できるのです.
あ〜。なんたる小物。
しかし 神様モードは気分が良いのですから 止められません。
このパンやりは昔は植物園の池の四阿でも行えたのですが数年前に禁止されました。
全部アオサギが悪いのです.
池の近くの枝に止まってパンを待つために枝が枯れてしまったのす。
ちょっと残念なのです。
おかげで池の鯉たちは人から餌をもらえなくなってたぶん困っていると思います
昔を忘れられないのか 四阿に人が行くと 鯉さんたちもまだ集まってきます
鯉さん!頑張って自然の餌を見つけてください.
何を食べるのか 知らんけど。





鯉にパン投げるようになったのいつ頃からかなあ コロナで振り回された時期  ヨーロッパのどこぞの国でたくさんの野鳥たち死んでいったそうです。 鳥たちにパン与えていた老人たちが家に閉じこもってしまった。 食べ物不足・・・だからなのだそうですよ。 すごい! 侮ることなかれの老人パワー! 地球温暖化叫ぶより なんだか凄い話だとわたしには思われるのですが。 私たちの場合は そのコロナ期に始めたように思います。 人の集まらないところへ散歩するしかないではありませんか。 人気のない公園へ何度も何度も リピーター ゆったりと池覗き込む・・・鯉きれいだな なんたる大口であることよ 物欲しそうだな パン投げていた人たち見かけないよね  ならば天下の暇人 我々の出番・・・そんなとこかな これが楽しい。 鯉も色模様個体識別でのおなじみさん  とろい亀も果敢に参戦 鴨の季節は大合戦 すずめ・鳩の飛び入り参加  贔屓してもらえない恨めし気なカラスも隠密参加  暴力狼藉者のトンビに袋ごともってかれたああ。 いやはやもう大変なのです。 いそいそとモスバーガーに通うのであります。 我々の寵愛一身に集めたのは 亀さんです。むちゃくちゃ可愛い むちゃくちゃどんくさい むちゃくちゃ律儀 もう無茶苦茶! 神は正義平等博愛そっちのけ 死に物狂いでのえこひいきに大ハッスル 肩・背中・全身筋肉痛 高齢者向き なるほど ヨーロッパのどこぞの国の高齢者のみなさん  今はもう復帰してらっしゃることでしょう。 鳥たちも健やかに・・・めでたしめでたしなのだと思います。 さあ モスバーガーへ いざ行かん! ものごとには順序がありますからね。

写真No.126:12/1:南京ハゼ
 南京ハゼの紅葉がなかなか良いです。日本人好みの微妙な色合いです.
気がつくと我が家の庭の片隅にこんな宝物のようなものが育っていたとは...。
我家の裏は田圃ですがその向こうはバス通りなのです。
このバス通りには片側に歩道があってそれに沿って街路樹が植わっています。
そこで我家の居間から裏側を見ると格好良い並木道が見えるのです。
居間から見えるのは数本程度ですが、 この木たちが南京ハゼなのであります。
何故裏の並木道の木と我が家の前庭で紅葉している幼木が同じ種類なのか?
そうです。我が配偶者殿の仕業であります。
並木道に落ちていた種を前庭の植木鉢などに蒔いたと申しておりました。
裏のバス通りの木の種を庭に蒔いて育てて紅葉させるなど 
ガードニングの喜びの 極み ではありませんか
さぞかし鼻が高くなっていることでしょう!

ちなみに この写真 一条の光が流星のように差し込んでいて
なんか良いことが起こる しるし なのでしょうか?
と書いたところで 私どもにとって なんか良いこと とはいったいなになんでしょう?
最近の我らの望みは 
毎日つつがなく散歩できる とか
散歩中に石を踏んで捻挫したりしないように とかの程度で 
その他の大それた野望はないのです。困りましたね。
せっかく一条の光の流星が流れて幸運の到来を予兆しているのに もったいないなー。
せめて この南京ハゼ並木道を通るバスの便数が増えるように 期待することにします
!
なお現在の便数は1年に1本です!!!



何気なく放り込んでみたナンキンハゼの実 発芽率すごい  5,6本も元気な芽 困ってしまいました。   御庭番なんて言ってるけど 花苗メチャクチャにかき集めいい気になって遊んだだけ。  木は見てるだけ それでいいのよね 木は立派な大人 私が出る幕では無いのだから。 二十年たち衰え顕著なユスラウメ 寂しく見ていたら一斉に庭あちこちに芽を出してきたのです。 鳥が風が運んできたのでしょうかモミジの芽、山椒の芽 ばらまいちゃったナンキンハゼの芽 手をだすべきではないのです。 今の季節だけ、まぐれでまたの季節あればもうけものとして 少しの花を楽しむだけにしましょうね。 花じまい庭じまい そんなお年頃 頭と心 そうそう一緒にコントロールは出来ないようです。 片付けと称して余った植木鉢をながめ 車のなくなった日光いっぱいの庭最適地をながめ 足腰ビクビク者のくせに 苗屋さんは遠く両手に杖でどうして苗運べるというのでしょう。 否 否 否 気づいたら手元に残してた種ばら撒くは  日向で最後に咲かせてやりたいと日陰から宿根草植え替えるは リュックで球根なら運べるなあとか 苦し紛れの考え 植木鉢の空いてる場所ふさぎに幼い苗木 根元周りに花咲かせるのどうだろう。 運命が許せばユスラウメの花咲くかも モミジ、ナンキンハゼの季節の葉色楽しめるかも。 だめでも いっときの・一年草扱いとしてのお付き合いと割り切って考えれば・・・ ナンキンハゼ 街路樹にも採用される大木になる木です。 一年であっという間に発芽から紅葉姿の苗になりました。 足元にはハナニラ、エリゲロン 通年楽しめる予定でのスタート。  いやあ木が大きくなりすぎて小ぶりの植木鉢バランス取れてません。 さてさてさて 身体はいざ知らず 頭はボケてられないぞ 嬉しがって鼻高くしたり鼻ヒコヒコさせたりしてる場合ではないのであります。 どうしたものかのお。。。一条の光は。。。何処!?

写真No.125:11/25:柳
 今日は風に枝をなびかせている柳です。
細い枝が風になびいて斜めになっていてちょっと良い構図です.
以前に比べると葉っぱがだいぶ減ってスケスケなので斜め感がハッキリしています
柳も秋の深化と共に落葉しているようです
秋の深化と書きましたが今年は晩夏から冬に一気に飛んでしまいそうな感じです.
京都の秋は紅葉で輝くはずですが私どもがうろつく範囲では紅葉はまだまだです.
数年前までは紅葉は11月中旬が真盛りでしたが
昨年とかは12月初旬〜中旬に移りました もしかすると
今年は秋はほぼ消滅して紅葉もほとんど見られないのではないかと心配しています
紅葉が見られない京都の秋なんてイヤですよね
ずーと昔は多くの神社仏閣では紅葉シーズンでも人も多くなく無料で見れたのですが
人出が増えるとともに周りを囲んで入場料を取るようになってしまいました
今は紅葉のきれいなところは人でいっぱいのようです.
ゆたかになるにつれて働く時間が減って暇な人が増えたのでしょう。
静かな雰囲気を好む私どもには災難ですが.
暇になった皆さんはそれでhappyなのでしょうから寿いであげることにしましょう
あんなに多くの人に囲まれ列をなして紅葉を楽しめるのかいな とは思いますが

だいぶ昔ですが モネ美術館にほぼ一日居たことがあるのです
ほとんどの時間帯で誰もいなくて睡蓮の絵をゆっくり堪能できました
が ときどき 嵐のように団体の群衆がやってきてみんなで忙しく見て回って
あっという間に消えてゆきました その当時は マジに見てるのかいな と思いましたが
パパッといろいろ見るのも 時間のない人生の一つの過ごし方なのでしょう
私どもはたまたま自由時間がいっぱいある人生でラッキーでした

だがしかし最近の京都のように嵐的群衆が途切れることなくやってくるようになると
やっぱりかなわんな〜





いつも風の中にいる 柳 まだ小寒い風の中に煙る春色柳色 どこまでも垂れてサラサラカーテンは柳色 葉色落としながら流れに放たれるように…枝だけとなっても 寒風受け流し揺れ続けるのですね。 風がお似合いです。どの季節の風とも良いお付き合い。 何時も揺れているのですね。 早春の風 夕涼みの風 細葉ひらり旅立ちの風 冬の風にはちょっぴり寂しげ、恨めしげ。。。かな? まあそれも良い風情ですよ。 誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない けれど木の葉を震わせながら 風は通り過ぎていく。。。 こんな童謡歌ってました 見てきましたよ 柳を見てきました 風を見てきました 柳 いつも風の中にいる なに 無風ですと・・・!!! そこのぼーっと立ってる方 だれ?

ここは最近撮った写真などを公開するペイジです。
興味が湧いたらご覧ください。

写真No.124:11/17:ダリヤ
 ダリヤも華麗な花です.
あまり華麗で我が家には似合わないと 神様が思うのか
我が家の庭ではうまく育たなかったような気がするのです
この写真も植物園です.
キレイな花の割に散歩街であまり見ないのは やはり気難しいからかもしれません
花にもいろいろあるようで ほっといても育って立派な花を咲かせるのもあれば
栄養をやり水をやっても だんだん元気がなくなるのもあります。
気難しいのは花だけではありません。人間にも気難しい人がいます。
人間で気難しいのは自分の価値観がしっかりしていて妥協しないタイプです.
植物でも人間でも気難しいのは適応力が乏しくて花を咲かせるのは難しいのです.
最近このサイトで写真を載せた日々草やワレモコウもダリヤ同様に気難しいですが
どれもうまく咲いてくれたときの花の魅力でそれなりに人気があり続けています
また気難しい花でも土質と気候がばっちり合えばちゃんと咲いてくれます
気難しい人でも社会と言うか周りの人々と価値観が合えば活躍してくれます
ある人を気難しいと思うのは その人と価値観が異なるに過ぎないのかもしれません

花ではパンジーとかビオラとかチューリップなんかは気難しくないように思います.
どんな環境でも頑張ってキレイに咲いてくれます。初心者向きです.
人間はどんな人でも価値観と言うか好き嫌いはあると思いますので
ほぼすべての人は気難しくなる可能性はありますが
恵まれた境遇の人は他人に寛大になったり親切になったりできますのでいい人と思われます
恵まれない境遇の人は他人に厳しかったり攻撃的になったりして気難しい人と思われます
たぶん人が「気難しい」のは「私はhappyではない」と言うメッセージなのでしょう。

自分が気難しいタイプかどうかを心配する必要はないと思います.
誰でもドーパミンが不足すれば機嫌が悪くなって気難しくなりますが
ドーパミンがいっぱいになれば機嫌が良くなって明るくてイイ人になります
要するに公園でも散歩するか庭いじりでもしてドーパミンを出せばよいだけです.
そう言えば明朝は5℃になるとか。青年の木を家に取り入れねば!





小学生 庭にダリアのかたまり 無造作に選び新聞紙に包んで教室へ 教壇や柱の花筒飾ったものでした。  綺麗な元気な花が…品種改良…こんな豪華・華麗な花になったのですね。 植物園です。皆をあっと言わせる花必要ですよね。 大成功のダリアです。 みまわすとどの花も品種改良:より大きく華やかに 色七変化 多花性に花期長く  楽しさ驚きの発見 この花もあの花もここにもそこにもあそこにも 植物園ならではの醍醐味がいっぱい。 感激いっぱいは良いのだけれど 自分の庭 あなたの庭 多分小さな庭 華やかすぎませんか? 他の花たちと両立できますか? 花期長すぎて続く季節の花 地団太踏んで待たせてるのですか? 品種改良 夢の実現  そうなのに確かにそうなのに 最近困っているのです。 夢の改良種咲かせたいのか 懐かしい花もう一度咲かせて 思い出・記憶の優しい確認をしたいのか。 もう後のないかもしれないひとつひとつの季節 私にまだチャレンジ精神あるのだろうか。 とりあえずなさそうなんだけど…野心も捨てがたしなんだけど 来春用にと密かに用意したのは レンゲソウ、ヤグルマソウの苗 あははのは 物欲しそうな懐古調丸出しですね。 いつかどこかで出会ったかもしれない風景に恋焦がれているらしい。  自己分析すると こうなるなあ。 まあそこは温故知新とかいうことにしておこうっと。

写真No.123:11/10:コスモス
 コスモスはバラやダリアに比較すると一個一個の花は小さくて豪華さに欠けるかもしれませんが
写真のように群生させることが多いので華やかさでも負けてはイマセン
ところで、我が家の住人はみんな(2人だけですが...)群がるのは嫌いのようで
人が多くいるところはなるべく行かないようにしています。
その代わりyoutubeで東京やロンドン、ストックホルムなどの人でいっぱいの
繁華街を散歩する動画を見ています
なぜ こんなに群がるのを嫌がるようになったかと考えると車の存在があったように思われます
どこに行くのも車でしたのでバスや地下鉄を使いませんでしたし人が多い駅にも行きませんでした
その上コロナのせいで いっそう人混みには行かなくなりました
 でも車の存在は隔離する方法であって隔離する理由ではありません
たぶん2人とも とても臆病で自分のテリトリーに他人が侵入してくると不安になるからでしょう
ところが、人間はドーパミンを出して幸せと感じたがる性行があります
一人で読書したりyoutubeを見ていてもドーパミンはなかなかでませんが
散歩したりガードニングしたりして外で体を動かすとドーパミンがどばーっと出るのです
最も簡単なドーパミン対策は友人と一緒に運動することでしょう
みんなとサッカーやバレーや野球などをしたりするわけです
年を取るとどんな運動も体力的に問題がありますので口の運動することになります
群がっておしゃべりするのです.しゃべることでドーパミンがでますので
年寄群では皆がいっせいにしゃべる傾向があります
そうすると聞く人が足りないのですが どうせたいしたお話ではありませんので
誰も気にすることなく おしゃべりに華が咲きーパミンがいっぱい出て
みんなが幸せになります。よかった!メデタイ!
ただし,既述のように我が家ではこれはやりません
テリトリーを守って安心しながら 散歩とガードニングでドーパミンを追求します.

今秋の我が家の庭にはコスモスはありませんが 
ちょっと群生している日々草とジニアが未だに花盛りで捨てたものではありません
が そろそろ球根を植えねば...。



そろそろ球根を植えねば... これはまあいいのです。春に咲く球根:球根の内にしっかり花を咲かせる運命・さだめ 用意されていますからね(多分)。 12月の植え込みでも大丈夫。 もんだいは今を盛りと咲いている日日草、ジニア おおい いつまで咲くつもりですかあ? あのお その場所そろそろ開けていただければ…いただかなくては…春の準備が… お庭番はおろおろウロウロ 秋のガードニングはいつも苦しい。 秋の花・盛りのままでの引導渡し。 片付け作戦。 春への仕込み作戦。 行き場、遊び場、食事場を奪われる 蝶、昆虫、カエル、鳥。 加齢とともに加速度的に気弱に・・・ごめん!すまん! 目と心閉ざしてがむしゃらに進むしかないのです。 悪魔になった気分。 日日草12月まで咲くでしょう。  ジニアは満開のままドライフラワーとなって霜・雪の庭美しいコーナーとなるでしょう。 見届けてあげられぬこと許してください。 一番良いスポットで咲きましたね。その場所新しい花に譲ってもらうことになるようです。 種から育ってきたちいさな芽 植え込まなければならない時期迫ってきたようです。 秋の日差しにお庭番 何を眺めるお庭番 何思うかお庭番 蛮勇のボタン未だ起動せず。

写真No.122:11/3:シュウメイギク
 この写真を見た人は夢中でシュウメイギクの蜜を吸っている蜂?に気がついたと思います.
蜂にしては小さすぎるかもしれませんが 私にはチュウチュウと吸っていてhappyそうに見えます
虫と花は持ちつ持たれつの関係で 虫も花も嬉しいのでしょうね  give and takeの関係です.
花は 蜜をあげるから受粉に協力してね 
虫は 受粉に協力するから蜜を吸わせてね
果物でも同じです。家の近くに柿の木があるのですが 何年か前に
この柿の木の実を食べに熊さんが表れたらしいです.
果物と熊さんの関係もgive and takeです.熊さんは甘い柿を食べるし
柿の木からすると種をあっちこっちにばらまいてもらって子孫を増やせるわけです.
これらの共生関係は自然(と言うか神様)が作ったものですが
自然では違った形態もあります
蚊は人間にチクッとして後は叩かれて潰される前に飛んで逃げるという関係です.
take and runかtake and fly です.
猫と人の関係もややこしいです.
我が家の猫は住み始めた頃はgive(食事) and take(愛想)の関係が存在して 
配偶者にも私にも愛想を振りまいてくれて膝に乗ったり抱っこされたりしていましたが
猫的に「もう大丈夫。たらし込んだ」と思ったころからは
愛想してくれるのは空腹時のみとなりました
そのうち空腹になると上を向いてミャーミャーと鳴いて
「腹が減ったのに何をしているのだ!」と要求するようになりました。
これはもうtake and takeと言うかgive and giveと言う関係でありました。
まあ社会と言うものはいろいろ複雑な関係から成り立っているようです.
現在は猫も犬も飼っていませんので 夕散歩中に猫や犬を探して見つかったときには
手を振ったりして一生懸命愛想を振りまきます。猫も犬も
「なにをしているの?」
と言うような顔で見るだけで反応はありませんが一応見てもらえるのです.
それだけで十分にhappyになります
「なにをしているの?」
と書いてある顔は猫でも犬でも そして人でも とてもカワイイからです.




散歩小径の前方 藪の中からひょいと現れた鹿  お互いの存在に立ちすくみ・目を合わせたまま動けない・時間の停止 ひょいと藪からこぼれるように小鹿現れて・・・どおしたの? しばらく見つめあった後 静かに鹿親子道横切って行ったのでした。 雪の原 大きなクルミの木見上げていたら 真っ逆さまに降りてきて なにをしているの? 覗きに来たリスがいました。 尾膨らませてタントン揺らせたのはご挨拶? ポケットにクルミ、どんぐり入れて、ご挨拶に通うことになりました。 急ぎ足で通る道。横の水無しの溝を急ぎ足ですれ違った者がいました。 ふっと立ち止まり振り返ったら 同じように振り返っていたイタチ。 そんなに急いで何処行くの? 仕事です。郵便局へ行くのです。 何処行くの? 子供に何か食べ物を、ネズミなんか探します。 会話のあった出合いでした。 鹿に餌与えないでください。 リス?あんなのネズミと一緒よお! あの イタチ野郎め! 野良猫に餌をやるのは 京都府?京都市?条例違反です。 みなさん この地球はね  人間様の天下なのですよ。お気をつけください。 ご用心、賢く、注意深く、愛らしく、したたかに生きてくださいね。 どおちたの? なあに?   どこいくの?  なにをちているの? 赤ずきんちゃん気を付けて!!!

写真No.121:10/27:ワレモコウ

 ワレモコウの花です.この写真を見ると
目立ちそうに思われる方もおられるかもしれませんが地味な花なのです.
が 我が家では ワレモコウは昔から偏愛されていています
花は小さいうえに数も多くなく 色も地味で赤暗いため
遠くから見ると枯れた葉っぱに見えてしまったりしますが
見つけると喜んで「ワレモコウ!」「ワレモコウ!」と叫びます
それでも やはり地味でオトナシそうで目立ちませんので
誰かが「将来はワレモコウのようになりたい」と言うとちょっとびびります 
そこで「ワレモコウと俳句」でググってみると良い俳句がありました
高浜虚子『五百五十句』にある
「吾も亦紅なりとつひと出て」(われもまた くれないなりと ついとでて)
ワレモコウさんは 無視されたときにはツツッと前に出て「私が!」と言うのです.
この オトナしいけれども負けず嫌い という矛盾した性向を有する人は
外から見ていると面白いというか魅力的に見えると思いますが
本人は自己矛盾に悩んでいるかもしれませんね
温和しいので じっとしていたいけれども
負けず嫌いなので 前に出て「私が!」と言いたい
が心の中で争うのです。
ここから自意識というか自我というか が発達するはずです.
ワレモコウさんはたぶん自意識過剰な人なのです.
心当たりのある人いますか?
ちなみに私は違います。
私は 「吾も亦紅なりと横を向き」 のタイプです.





今年の夏 もうがむしゃらに突破してきました。 ここにきてやっと 空気に触れて空気の中歩いて・ああそれだけで心地よい 秋がやってきたらしいのです。 すこしポカーンとして過ごしています。 植物園 それにふさわしい場所に吾亦紅(われもこう)見つけたのでした。 吾木香(われもこう)すすきかるかや秋の草 さびしききはみ君におくらむ 若山牧水さんの歌です。牧水さんらしい感傷的叙情的な歌だなあ。 でもでも本日は ほっといてくれ!と申し上げたい。  愛らしいわれもこう 秋のひざしの中あどけない紅色で笑っていました。  見つけて嬉しい! 会えて嬉しい! われもこう! 地味な花 目立たない花 そうなのかもしれません。 個性的な花なのかな。そう自意識過剰なのかも。咲く場所・自分の場所選ぶ花なのです。 そんな世界でしか輝きたくない花なんじゃあないかなあ。わがままな花なのかも。 庭中満艦飾に花咲かせていた頃 われもこうの苗見つけ小躍りして咲かせたことがあります。 もう笑っちゃうほどちんぷんかん・ちぐはぐ 花の庭と調和・協調してくれないのでした。 われもこう庭に咲かせるのなら [われもこうの庭]にするしかないのだなあ。 しかたありません 周りの花・庭・無視してわれもこうだけを見る!ことにしました。 あざみもそうでしたが われもこうも 野に置け 野に咲けよの花なのだと思いました。 最近の我々ならば[われもこうの庭]仕様で良くなったのかもしれません。 あっ でもないな  日日草 チューリップ チロリアンデージー … … …  むむ捨てがたし!

写真No.120:10/20:パンパスグラス
 パンパスグラスと青空の写真です.
この3日ほど秋晴れが続いて青空が凄かったのです。
「天高く馬肥ゆる秋」
とか言いますが秋になっても天というか宇宙は高くはなりません。
秋は空気がきれいなので遠く高くまで見えると言う意味でしょう。
秋には食欲も出て食べ過ぎて体重が増えるのが普通らしいですが
我が家では体重は厳しくコントロールされていて上限を超えたりすると
食べる量が減ってしまいます。
昔は歳を取っても体重は20代と同じが良いと言ってましたが
最近ではちょっと太めの方が良いと言われるようになってきました。
どうすれば健康に良いのかの基準もどんどん変化します
どれが本当に健康に良いのかを判断するのは難しいですが
最近の傾向としは
 @良い食事 A適度な運動 B適度のストレス
の3っつが主流のようです。
その内容ですが これもいろいろあって意見の乱れるところですが
@ではお魚 Aでは8000歩がよく推薦されます.問題はBです.
ここでは社会的繋がりを持つ が良いとされることが多いですが これにはリスクがあります
例えばテニススクールに参加してもコーチが早口で何を言っているのか分からなくて
やむなく無視しているとコーチはますますキンキン声でワーワー言うようになると
これは過度のストレスです.
植物園にボロンティアで草むしりに参加しても
同じグループに一日中 聞いているだけで不快になるテーマで 大声でしゃべり続ける
人が良さそうなメンバーがいると(いそうでしょう?)超過度のストレスです.
要するに社会的繋がりでストレスレヴェルをコントロールするのは難しいのです.
ストレスがイヤで会社を早期退職した人には社会的繋がりナシでストレスなしが
最適だと思われます。問題はストレスなしが続くと人間はだんだん元気がなくなります。
ストレスの原因と戦うために元気だった人は それがなくなると元気もなくなってゆくのです.
では どうすれば良いか?
これは難しい問題で場所も取りそうですので 別の機会に書きたいと思います
ご期待ください.
と うまく逃げたのです.





ひと昔 ふた昔。。。健康ちこっと躓きました。 目から心からウロコがとれた瞬間。 不思議な解放感包まれた瞬間。 失ったもの多いのでしょうが、いらないもの去っていったとも言えるのです。 心地よい仕切り直し 思ってもいなかった健康オタクの誕生・登場となりました。 なになに 魚が良いんだと、そうか肉もうやめたあ。  なになに 一日8000歩だと、やろうじゃあないか。 なになに 適宜なストレス好ましいだと、週一のチンチロリン 写真撮らねば、さて頭の中ひっくり返して話くっつけなくては… 他に何があるのかな サプリ飲んでるぞ。これはどんな効用あるんだったっけ 草むしり好きな人 長生きなんだそうだぞ!  素人筋トレは害もありそうだからストレッチでいこう。 ココア、トマト、納豆,ヨーグルト 飲むぞ・食べるぞ。 冷酷・過酷なドラマは途中放棄、穏やかな楽しいアニメでいきましょう。 えっと えっと それから それから あれも これも この十年 二十年 不思議なまでに元気です。 ギリギリしのいでいるのかもですが。 嬉しや楽しやの毎日です。 あっ 歯・目・足腰・耳 衰え度盛大なり。 とほほではあるのです。 なあ何事も・・・まあこんなところで・・・まあ上出来 としています。 パンパスグラス、広がる秋の空 良い一日でした。 手をたたいて 感謝 パンパンパン

写真No.119:10/13:サンパラソル

 現在京都植物園で一番目だっている花です.
名前が分からないのでグーグルの映像検索で調べました。
名前から言えば太陽の光を遮る大きな花をイメージしてしまいますがそれは違います。
つる性の茎にちょっと小さめ花がたくさん咲きますので
名前からイメージするものとは差があります。
この花は夏から秋まで咲くようで花期も長いです
花の名前ですがサンパラソルだそうです
何でそんな変な名前になったのかと考えて思いついたのが 夏の西日避け です.
写真からも分かるようにつる性で背が高く横にも広がるので
西日の当たる窓の外に植えれば夏には西日避けなると思われます
きれいな花は咲くし西日避けにはなるし花期は長いし言うこと無しです. 
この花を作った人はサンパラソルと言う名前を付けてブームを起こして
一儲けしようと思ったのかな?
西日と言えば住居を探している方に重要かつ余計なアドバイスです.
西日の当たる住居は止めた方がいいです。
中学生のときに西日の当たる家に住んでいましたが 夏は暑くて大変でした
特に小さな家とか一部屋のアパートでは逃げ場がありませんので西日地獄です.
西日はダメ!ダメ!
西日地獄の家では暑いので夕方から夜の間は誰も家には寄りつかなくなります
つまり子供は遅くまで外で遊んで不良になり大人は繁華街で無駄遣いして貧乏になります
西日地獄の家を英語で表せば doomed! です.
このアドバイスは経験を積んで得た人生の知恵です.

すでに西日地獄の家に住んでいる方はどうすれば?
大丈夫です.ご安心ください.
西日の当たる窓の外にサンパラソルを2,3本植えて毎日水をやってください.
これで子供は家で宿題をするようになって成績は上がるし
大人は外出で無駄遣いをしなくなってお金持ちになるでしょう
万々歳です.






サンパラソル…パラソル…そして  テロリストのパラソル:藤原伊織さんの小説へ 懐かしく思い起こすことあって そこへ話もっていこうかな。 とりあえずと読み返してみたら あれっこんな話だったとは 語るには私には荷が重すぎました。 時を経て読み返す いろいろありますねえ。 ひとつ 私は本読むの超早いです。 ほとんどの本一日で読了。 面白ければ面白いほどウワーっと超加速。 直ちに二度読み三度読み。 勝手に妄想絡めて読むので何度読んでも読後感変わらず 理解せず。 ウワーウワーで終わってしまうようです。  人と本について語ると 赤っ恥間違いないことは経験済みです。 ひとつ 読書の楽しみ ウワーウワーにつきるのです。 自分の中にウワーを起こさせる何かがこの本にあるのだなあなどと 言い訳のしほうだい。 テロリストのパラソル 今回もウワー状態で読み返したのですが 懐かしいウワーと少し違ったような・・・硬い 堅い かたい。 まあハードボイルド小説と言われてはいるのですがね。 懐かしいウワー どう処理いたしましょうか 少し気がかりです。 彼のほかの作品少し読み返してみようかな。 サンパラソルのくるくるまわし 遊んでみようかな 読書の秋 なんちゃって あっ 最期のひとつ 正直にここで告白しておきます。 いつもですがウワーの正体そのものは 知りたくないらしいのです。 これは一体どういうことなのでありましょうか。  

写真No.118:10/06:ジニア
 写真のジニアは現在我が家の前庭に咲いています。何とも言いがたい落ち着いた花です.
見ていると心も落ち着いてきます。
ジニアと言えばシニアと連想してしまいましたので 今回はシニアがテーマです..
会社で「シニアなんとか」と言えば「偉い」と言う意味になるようですが
世間一般では高齢と言う意味になるようです。
世間一般の意味では我々はシニアのようです。
「です」ではなく「のようです」と書いたのは勿論ごまかすためです。
どこかのおっちょこちょいが「シニアではないのかもしれない」と思うことを期待しているわけです。
さてシニアと言えば心身ともにオトナのはずですが、これがそうでもないのです。
身の方は年々順調に経年劣化を進めているようですが
心の方は年々順調に経年進歩を進めてはいないようです。
ハイター様(「葬送のフリーレン」より)と同じで心は子供のままではないかと思われます
実は 我が配偶者殿も心は子供のままではないかと疑われますので
我が家にはオトナといえるようなしっかりした人物は存在しない可能性が高いのです
そこで、何か変化が起こると 2人とも どうしていいのか分からなくなって
我が家では「心配!心配!心配!」が連発されるのです。
その良い例が 猫 の無断外泊です.
昔ですが猫を飼っていたのですが その猫が無断外泊したのです。
猫というものは ときどき出奔する動物のようですが 我が家の猫にかぎってそれはない!
ということは なにかのトラブルに巻き込まれたに違いないと心配して
一日中「心配!心配!心配!」と言いながら 家の周辺を探して回ったわけです。
猫は 夕方になると空腹になって帰ってきました
落ち着いた顔で夕食を要求していましたので 猫ちゃんだけは オトナだったのかも?

我らもそのうち(あまり時間はありませんが)大人の落ち着きが身につきますように!




今週はこれでいこう・・・ジニアが選ばれました。 私はびっくりやら・おかしいやら よくあることなのです。 夏中咲いていたのですよ 輝いていたのですよ  今日の今日まで気づきも見もしなかったのでしょう。 日日草のかたまり ジニアのかたまり 並んで咲いていたのです。 好きな花 日日草さえあればそれだけに愛と興味の集中豪雨現象 あとは見えない…ほんとに見てない という現象 おちょくることも出来るのですが ひとつのことに集中 そこから引き出してなにかを作り出す?力   畏敬の念感じてしまう特性をお持ちの我が配偶者さんなのですからねえ。 とりあえずジニアさん気づいてもらえて よかった よかった。 ジニアを見て落ち着いた花 見てると心が落ち着く… あっと驚きました。  新鮮!!! 派手な百日草の仲間*ホソバヒャクニチソウ(ジニア)思い込んでました。 気づかされました。思っていたより地味なジニアなのですね。心落ち着く花なのですね。 そして気づきました。 日日草は可愛いとのみ思っていたけど驚くほど派手な花でもあるのだなあ。 思い込むのはそれなりの歴史・理由付けあるのでしょうね。 時々ひっくり返すことがあるとまた何か思うことが…繰り返し…繰り返し…今があるのだな。 十月の庭 日日草とジニア 右と左並んで元気 楽し気に咲き続けています。 めでたし めでたし

写真No.116:9/29:日々草
 久しぶりの日々草です.まだまだ元気にいっぱい花を咲かせています。
7月にも載せましたから花期がとても長いです.しかもずっと花をいっぱい咲かせています。
これまでの日々草ではありえないことです.
以前にもほのめかしましたがこれは品種改良されていますね。
日本のどっかで誰かが
どんな土地・気候でもたくさんの花をいつまでも咲かし続ける日々草!
を作り出したに違いありません。
技術進歩というものは凄いです。おかげで世の中すっかり変わりました。

世の中すっかり変ったと言えば
子供の頃の日本は未舗装の道に馬糞が落ちていたものです。
テレビも自家用車もスマホやパソコンもなかったのです。
TVも見ずドライブもせずインターネットもせず 
いったい皆さんなにをして時間をつぶしていたのでしょう?
それはたぶん掃除と洗濯と仕事です.
電気掃除機も電気洗濯機もなかったので掃除洗濯には時間が掛かりました。
パソコンやインターネットがなかったので仕事も時間がかかりました。
今では主婦はすることがないのでパートとか言って働いています。
会社員は在宅勤務でのんびりしています
まあ こう言うのが 日本的な ゆたか になったあかしなのでしょう
技術進歩で人生が楽ちんになったわけです。
とは言うものの これでHappyになったかは あやしいです.
と言うのも 多くの人は何もすることがない時間をunhappyと感じるからです.
いったい どうしたいんですか?
難儀なことです.





昭和の時代に生まれました。 昭和の子供 昭和の少女 昭和の青春。。。生きてきましたよ。 子供の頃道に馬糞、牛糞落ちていました。 すみやかに処分されていました。庭、野菜畑の大切な肥料だったのです。 畑の横、あぜ道の横には 肥えたんご と呼ばれるすごいものがあったのですよ。 先日 泊まり先の家でのバスタオルの有り様に人間の生活としてあり得ん!! と憤慨してる方の投書を読みました。洗濯機が登場するまでバスタオルあり得ませんでした。 絞り機能付きの洗濯機登場してからの贅沢品。全自動乾燥洗濯機登場してから当たり前の 快楽アイテムになったのかな。 昭和の方ではないのでしょうね。実際に昭和の時代を生きていない方ならば バスタオルは快楽ですらない必需品、備品なのかもしれませんね。 タオル一枚からバスタオルへ。 利用価値のあった馬糞からマナーとしてのお持ち帰りの愛犬の糞へ。 変わってきたということです。 昭和の時代を生きる。とても良い時代でしたよ。 明日を信じることから出来あがってきた時代。ひとつずつ手に入れてきた時代。 現状の問題は明日きっと解決されるのだという常識感共有してきた時代。 個々の挫折も全体としては乗り越える勢いがあった時代と言えるような。 今 夢のような快楽に包まれています。ここまでやってきたということです。 もうこれ以上の快楽受け入れるエネルギーありません。少し怖くもあります。 失っていくこと・・・後戻りしていくこと 昭和の時代には戻りたくないということなのでしょうね。 昭和の次のそしてまた次の時代に生まれて生きている人達  自分たちの時代を知り思い起こす日・・・それぞれ得てきたもの失ってきたもの  優しく思いめぐらす時 きっとやって来るのでしょうね。 まったくもって今日は真面目なりすぎて恥ずかしい限り 日日草さん にっこりアハハ・ムードへの巻き戻し よろしく ちょんちょん ********** 三人姉妹 昭和の時代にスタートを切ってそれぞれの道歩いてきたようです。 何時も先導、トーチを掲げてくれていた姉の 二冊目の雑感文集: 大空にあこがれて  が届きました。 彼女の掲げる 掲げ続けてきたトーチがそこにありました。 今回のチンチロリン 真面目風にならざるを得ないではありませんか 姉よ!!!!

写真No.116:9/22:柳
 柳です.ちょっと経年劣化しているかもしれませんが
この写真を撮っている人もだいぶ経年劣化していますのでお似合いでしょう。
ちなみに若々しい柳を見たい人は桶で有名な料理屋さんがある岡崎の疎水の端にあるのを見てください.
私が見たときには まだ枝が長くて疎水まで垂れていました。
この柳を見るたびに 柳とはかっこいい木だなー と感心したものです.

と書いていると 階段の下から 大谷さんが51号を打ったと 声がかかりました。
今日だけで3本のホームランを打ったようです。しかも6打数6安打です.これは赤飯ものです.
興奮してちょっと脱線しました。テーマは柳でした。

京都で柳と言えば 出町柳 という街を思い浮かべます。
実際に柳もあるのですが それよりも鴨川と高野川の合流地点として有名です.
ここは桜もキレイですし夏には禁止されているはずですが花火も上がります。
ズーと昔ですが ここで夏に飲み会をしていると花火が上がり始め
いろんなグループが次々と現れては花火を打ち上げるのです。
端から見ていてもやり過ぎではないかと思いましたが 
直ぐ横にある交番からもおまわりさんは現れず 
その代わり消防車が来て近くの橋の上でズーと見守っていました。

現在の日本は安心安全と口うるさくなったのでたぶんおまわりさんがきて
あんな狭い箇所での即席花火大会は直ぐにやめさせると思います.
安心安全で周囲をかためてある現在の社会は 子供や高齢者には住みやすいですが
みなさんは ちょっと危ない昔風と安心安全な今風とどっちが お好みですか?




舞妓さんと柳と東山 経年劣化嫌だあ 頭の劣化遅らせるのに効果ありと聞いた歌詞丸暗記法 律儀にお風呂タイム捧げた時期がありました。 月は朧に東山 霞む夜ごとのかがり火に 夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に 祇園恋しやだらりの帯よ 祇園小唄です。 舞妓さん 今は観光客見世物みたいでお気の毒ですが 以前は東山界隈に溶け込んだ 何かしら美しい文化の具現化・・・そっと受け入れられていたと思うのですよ。 舞妓さん だらりの帯揺れながら歩いていきます。 わたしには 柳が揺れるイメージと重なっています。 舞妓さんの文化は芸者さんの文化とつながっています。 独特すぎてきっとすたれていく文化なのかなあ 日本舞踊・日本音楽の担い手でもあるのだと思うのですけどね。 以前職場で外国からの大切なお客様 その接待費請求書が回ってきたことがありました。 お料理よりもお飲み物よりも大きな数字の〔お花代〕 私は大感激。 なんて素敵な 思い切っておしゃれなおもてなし もうお部屋中花で飾って 歓迎の気持ち表されたのだなあ。 喜ばれただろうなあ。 まわり大爆笑・・・お花代・・・学びました。 皆さま 特に地方出身者の皆様 京都東山界隈でのお座敷遊び 夢お考えなさいませんように! 京都東山界隈 どこもかしこも美しい京都だああの魅力詰まっています。 よそ者感 京都下宿人感 暮らしてる身としては 散策楽しいエリアです。 柳、流れに沿って歩いてみたら…舞妓さんの住む町・したたかに京都  見えてくるようでしたよ。もう今は昔・夢のような散歩思い出の巻ですけどね。 鴨の河原の水やせて むせぶ瀬音に鐘の声 枯れた柳に吹く風が 泣くよ今宵も夜もすがら 祇園恋しや だらりの帯よ 祇園小唄続いていくのですよ。 なんとなく ため息

写真No.115:9/15:緑蔭の小径

 この小径は大文字送り火の一文字『法』のある山に繋がっています。
法の字のある場所の裏側と言えます。この小径には毎週のようにやって来ます。
法の山頂はちょっと?無理なので 九合目まで登ります。凄いでしょう?
とは言え一合目を九合目と言い換えていますのでほんとは1合目までなのです。
何故言い換えるか?勿論 気分を盛り上げるためです.
一合目ではドーパミンも出てきませんが 
九合目到着!九合目到着!と2人で騒げばドーパミンもだまされて出てくるのです。
ちょっとした人生のテクニックです.ご参考までに。

この短い小径にも途中で分かれ道が2カ所あります.
1個目の分かれ道は登山行程の始めの方にある橋で これをたどると桜の園に出ます。
桜の園と名前はりっぱですが桜の木が数本あるだけでのであまり期待しないほうが良いです。
何度も桜の木を植えて増やそうとしているようですが 土が合わないのか
低い山に囲まれた気候風土が合わないのか それとも鹿ちゃんが食べちゃうのか
いっこうに育たないようです。
2個目の分かれ道は行程終了間際のコンクリートの道です.
これがどこに通じるか知りません。と言うか 忘れたと言うべきか。
昔は この法の山にもよく登りました。
山と言いましても麓から歩いて20分もかかりませんので どっちかと言えば丘です
.
峰を端から端まで歩いたのですが それも20分もかかりませんでした。
今は地下鉄の階段を登る5分が限界です.それも手すりにかじり付いて登ってます。
やっぱり 
出来るときに出来ることをするのが人生を楽しむ秘訣のようです.
そう思って毎日を楽しんでいます。





たくさんのたくさんの思い出の道・路・径 全てが喜びの源 どうもわが胸のど真ん中近くに詰め込まれているらしい。 道はどこかに続いているのですよね 思い出の道は一部分・切り取られた部分ですからね。 今回不用意にあれこれ楽しく思い出の道辿ろうとしたら とてもやばかった。 それぞれの道 胸のど真ん中近くにあるものだから辿ればすぐに我が胸の中心へ 行ってはならない 見てはならない 考えてもいけない パンドラの箱へ すっとんで引き返してまいりました。 ともあれ この道は思い出入りではない現役の道です。 この道歩くために生きてる(オーバーな!)ようなものです。 大変ですのよ 決死のまなざしで(オーバーな!)やってまいります。 九合目到着 喜びの深呼吸  一日も長く元気にこの道歩きづづけられますように その為にはなんだってするぞ なんだって かくして健康オタクの出来上がりです。 この道 ながーーーーいおつきあいの道です。 これからもながーーーーいおつきあいよろしくの道なのです。 素敵な道でしょ? ちょっと自慢たらたらの散歩道なのです。 では明日の小径散歩のため・・・お昼寝タイムです。

写真No.114:9/8:ひまわり群
 またまたひまわりですが、今回は一列に並んだひまわりです.
一輪一輪でも迫力がありますが、横一列に並ぶのも豪華で目を引きますね。
家の前を散歩している人たちも思わず立ち止まって見てくれるほどです.

人間でも複数の人が群がって行動すれば迫力が出ることがあります。
歌やダンダンスのパーフォーマンスでもそうですし、政治目的のデモ行進でもそうです。
ちなみに私どもは名代のへそ曲がり?でしたので群がるのは好きではありませんでした。
へそ曲がりであったということは自己主張が強く角が立ったといことなんですが
これは単に好き嫌いがはっきりしていたということでもあったと思います.
数人集まれば必ず人生観か感性が合わない人物がいるもので これが我慢できないわけです.
例えば思っていることと反対の主張をされると不快な気分になって集団にいたくなくなるのです
これは誰でもそうなんですが ここで集団から出る人と我慢する人に別れます
へそ曲がりは 集団の縁にいますので簡単に外に出て行くことになります
一人では何もできませんので 群がらないへそ曲がり は何もしない人となってしまいます..。

上の「へそ曲がり」の文章が過去形になっているのに気がついていただけましたでしょうか?
そうです。過去形です.若かったのです。
そう言えば 最近は 荒井由実さんの いちご白書をもう一度 をよく歌っています。
歌うのは精神衛生上良い(酔い?)と言うことですので 
ときどき大声で歌ってるのですが やっぱり大学時代は特別ですね 
思いっきり へそ曲がり を実行しても 別になんの問題も生じませんでしたからね
社会にでればそうは行きません。
へそ曲がり を実行すると 人生が生きにくくなります。
それもあって 人は年とともにまるくなって 行くのでしょう。
我らもだいぶ丸くなっちゃったかな?





いちご白書をもう一度:学生たちが社会の真ん中で何かを求めて頑張ってしまった。 ゲバ棒かざし機動隊と相まみえる結果にしかならなかった…のかな?…ひとつの時代 荒井由実さんは歌っています。 世の中あちきには関わりのないことでございます。そんな私なのに意外にも その時代の流れのすぐそばにいたようです。新聞にぎわせていた時計台立てこもり 機動隊との攻防 道一つ隔てたキャンパスに職場があったのでした。 教室親しく出入りしていた学生バリケードの後ろに。教員、研究者暗い血走った目で それぞれの会合へ。研究しか似合わないと見受けられる教授が学部長に、連日連夜 学生達との談合。学生が何を言いたいのか知りたかった。学生も一生懸命説明してくれた。 まったくわからんかった。わからんものはわからんと言うしかないしなあ。 徹夜の談合それはかまわんのだがね。 女子学生さんがひとりいて ばーか ばーか お経のように言い続けてねえ それが始まるともう何も考えられなくなってひたすら苦しくてねえ  発狂しそうなの耐えるだけになってねえ。。。速やかに胃潰瘍入院手術。 我ら職員は仕事もなくお給料付きの自由時間たっぷり 仕事仲間 こんな事情でできた時間 ならば普通では出来ないなにかに使おうか。 彼女は彼女の私は私のプラン 不思議な充実したハッピーな時過ごしたのでした。 ある日 キャンパスでバリケードの向こうへ行ったとの学生に呼び止められました。 隔月に開かれていた研究会 まとめの冊子最近のでいいので揃えてもらえないだろうか。 なんという喜び  いっぺんに理解しました。 なにあれ ああ 学生は勉強を、研究者は実験を、教員は授業を、職員は仕事を それがやりたいことなのだよなあ・・・難しいこんがらがったこと溶けていくのを感じました。 きっと大丈夫 今はきっと明日の何か良いことへとつながっていくのだろう。。。 あっ 授業前演説させろとやってきた学生に  今からは自分の時間、自分の講義を聴きに来た学生さん達の時間なのだからダメ  そうですね では授業十五分早く切り上げてあげましょう。その頃に来なさい。 学生もそろっているしあなたの話を聞きたい人がいれば残って聞いてくれるでしょう。 。。。と言って ぶん殴られて鼓膜破られた講師さんがいました。 わが配偶者さんです。 意気揚々と帰ってきて 殴られるとわかったから高価なメガネ壊されたらかなわんと  外して机に置いた。 見よ我が冷静な判断を!  だそうでした。 われわれ いちご白書をもう一度 歌って良いと思うのですよ。。。ねっ?

写真No.113:9/1:飛行機雲
 ここは花・草・庭に関連するサイトですのでアップする写真もその関連のはずなのですが
今回は飛行機雲です.
見上げるとちょうど飛行機雲が伸びているところでしたので撮ってしまいました。
北に向かって伸びていましたので東京行きか札幌行きか それとも北米行きでしょうか?

昔はよく飛行機にも乗っていましたよ。
飛行機で降り立った都会で思い浮かぶのは
サンフランシスコ、デトロイト、LA、ボストン、ロンドン、ベルリン、ブリュッセル、NY、パリ、
ローマ、モントリオール、シドニー、ホノルル.
昔は行動的だったのであっちこっち動いたのです。
海外でも だいたいのところは英語が通じたので言語は不自由しませんでした(たぶん?)
最初に海外で住んだのはデトロイトの近くのAnn Arborと言う田舎町(ミシガン大学有)でした
40〜50年前はまだグローバリゼーションが進んでいませんでしたので
この街で日本人に会うことは滅多にありませんでしたし、
スーパーにある日本食はキーコーマンの醤油程度でした。
Ann Arborではアパート近くの韓国食品店で沢庵を売っていましたので毎週のようにいただきました。
海外で暮らした最後の年はもう20年ほど前になりますがパロスペルデスに住みました。
パロスペルデスはLAから車で1時間ほど南にある丘の上にある街です
しかもパロスペルデスの東端は太平洋の海岸沿いにありました。
我らが選んだアパートも太平洋を一望できる丘の上に建っていました。
毎日太平洋の水平線を見ながらエンジェルヘア(超細い)スパゲッティを食べていました。
アパートの近くには whale-watching spot があり毎日のように行ったものでした。
この年は車を持っていましたが、車種はなんと あのカローラでした。
アメリカまできてカローラかい?
と思われるかもしれませんが やっぱり故障がいやでしたので。
このカローラでフリーウエーをがんがん飛ばしたものでした。
ちょっとカッコよかったですね。若かったということです。

飛行機雲は夢を広げてくれます。
見ていると遠くに飛んで行きたくなるような。
今日はちょっと 近くて遠い昔に行ってみました。





荒井由実さん  あの子の命はひこうき雲。。。歌っています。 死にゆくあの子は空を見つめ空に憧れ、思いっきりよく舞い上がり ひこうき雲となって飛行機雲を残して・・・ 飛行機雲は残せなくても空に向かって死んで行けたら 多くの人の心にある想いでは? 歌を聞くたびに私はアンデルセンの童話へ帰っていきます。 窓の向こう空を見つめている病床の少年がいます。少年は死ぬことを知っています。 それは 大きな楽しみ・待ち望む喜び。 それは 迎えに来てくださる天使さまに抱かれて 天にいらっしゃる、僕を待ってくださってる優しい神様のところへ行くことなのだから。 少年は天使に抱かれ懐かしく親しい町を、楽しく遊んだ野原を巡ります。 神様への贈り物にと野原で一番美しい花々を摘み花束にすると ハイもうこれていいです。  天使さま 天にいらっしゃる神様のところへさあつれてってください。 小学生  神様を信じることができたら  ああ 死ぬことはなんにも怖いことではないのだなと学びました。 自分を待っててくださる神様の存在を信じることができるのだろうか 信じるかどうかより真っ先に 悪に染まった悪のかたまり…の哀しい自覚。 うなだれました。神様がいらっしゃるにせよなんにせよ 自分はアンデルセンの少年の道 永遠に辿ることはないのだな。 どうしよう 小学生 つらき心の旅路の始まり始まり…続く…続く・・・のでありました。 ひこうき雲 生きる人の心の想い乗せて 一直線  空へ

写真No.112:8/25:ひまわり
 この写真を見ても このひまわりの大きさは分かりませんよね。
30cmの大きいひまわりかもしれませんし10cmほどのかわいいひまわりかもしれませんね
しかし推測することはできますよ
第一に花びらの相対的な大きさに特徴があります。
この写真では中心の種ができる丸い部分に比較して 花びらがとても大きいです.
これは このひまわりが全体として小さいことを示しています。たぶん10cm程度に。
第二に季節です.ひまわりの季節はもう終わりです.
7月初旬から8月の始め頃が「ひまわりの季節」ですので 8月末のひまわりは大きく
なれません。
ただし「ひまわりの季節」でももともとが小さいひまわりもありますので季節だけでは
推測困難です.
第三に写真の角度が問題です.この写真ではアップでほぼ正面から撮っていますが
花が大きいひまわりは背も高く2メートルはありますのでアップの写真は撮れません。
以上の分析から この写真のひまわりの花はカワイイことが推測できます。
閑話休題
「ひまわりの季節!」とは暑い季節です.熱中症の季節です.
TVは見ませんが たぶん この季節には外出するなと言っていると思います
ところが、他の番組では 毎日8000歩程度は歩けとも言っています。
狭い家の中で一日8000歩は歩けませんので 外出するほかないのですが
よく行く宝ヶ池公園でも植物園でも ほとんど人は見かけません。特に高齢者は。
外は暑いですもんね。
でも ずーっと家に閉じこもってTVばかり見ているとアホ鬱になりますよ。
私どもは夏でも歩きますが それには日陰をおおいに活用しています
宝ヶ池公園でも植物園でも茂った木がいっぱいありますので日陰もいっぱいです
バスや地下鉄でわざわざ出かけますが 歩き始めるときには痛かった膝や腰が
帰りのバスの中ではほとんど感じなくなっていることが多いです。
緑陰散歩はドーパミンをいっぱい出してくれるためだと思っています
このドーパミンのおかげか帰宅したときには気分も明るくなっていて いいですよ
アホ鬱を キレイに払う ドーパミン!
「ひまわりの季節」はもう終わりです
いっしょに猛暑も連れて行って!と願う日々であります






九月の庭 密かに狙い定めていたのです。 何気なく思いついた初夏の庭 ムシトリナデシコ種バラまいただけの庭 ひとりうぬぼれ大満足 ひとりうれし涙の三歩手前。 もう大がかりな庭づくり出来ません。夏の庭は日日草に頑張ってもらいました。 九月ねらいに中高性、矮性のひまわり、鶏頭、トレニア 種ばらまいてみました。 高さにひまわり、つなぎに鶏頭、矮性ヒマワリ、続いて株元にトレニア。  順調なり 順調なり・・・おっとっ とっ とっ あれええ トレニア順調すぎて日日草襲わんばかり、矮性ひまわり飲み込まれちっちっちっ 鶏頭はひまわりと同じくらいの高さ いいんだけど倒れ咲き開始 主人公のひまわりさんなんとか蕾までこぎつけた…開花とともに倒れてきた 支柱つきたてる腕力無し。どうか さっさと咲いてね! うまくいけば うまくいけば・・・輝け ああ我が九月の庭よ。 あのおお 台風が・・・ あああ・・・ わたし見てるだけ  九月の庭 もう狙ったりしません。あるがまま 皆のがんばり見届けることにします。 それにね 庭の花が倒れ伏し一斉に花もたげて咲いてる姿けっこう好きなのです。 それも庭の姿 花の姿  共感してくださる方いるのかなあ 九月の庭 さあスタートです。 季節ごとの庭 あなたのプランはどんなんかな? 楽しいプランでしょうね。 今年の九月の庭は 夏の庭と秋の庭いっしょくたに楽しみたい それが目論みでした。 わたしには秋の庭はもうありません。 九月の庭楽しみつつ極力体力温存につとめ 十月十一月、庭の片づけへのエネルギー消費にあてねばなりませんからね。  そして 来春のプランへ。これで精一杯。顎が出ないようにせねばなりませんからね。 本来の秋の庭はよそ様、植物園様の庭のぞかせていただくだけ・・・それで精一杯 あなたの秋の庭 じーっ覗き込んでる後期高齢生存者いたら・・・わたし達かもよ。 やさしく 許されたし!

写真No.112:8/18:
 2週間前と4週間前にも載せましたが だんだんと凄くなるので またまた日々草です.
ここまで豪華に咲き誇れば これは爛熟と言えるのでないかと思います。
人間の年齢で言えば30歳代から40歳代でしょうか?体力も精神力もある時代です.
私?何をしていた?    テニスです.
30代の後半にロスアンジェルスはWest Woodにあるアパートに住んでいたのですが
それに隣接して公園があり その中に公共の無料テニスコートがあったのです。
そこで,暇さえ有ればテニスをしていました。相手は勿論我が配偶者さんです.

その当時のテニス界のスターと言えばビヨンボルグさんで彼はトップスピンで有名でした。
と言うか テニス界にトップスピンを持ち込んだのがボルグさんだったと思います.
ボルグさんは卓球からトップスピンに入ったそうですが
我々も卓球はやったことがありましたので トップスピンでラリーを楽しみました。
約10年間テニスを楽しみましたが40歳代半ばで 2人とも体力と上達の限界になりました。
テニスの試合であればポンポコテニスでもできたのですが
私どもは勝ち負けを争うのは好きではありませんでしたのでキッパリやめたのです。

テニスを止めるとほどなく車であっちこっちを走るようになりました。
何事に付け目標を立てて それに向かって努力するタイプですので
なんとニッポン国中、沖縄から北海道北端までを車で走るという目標を立ててしまったのです。
それから10年間暇さえあれば車で走っていました。

ニッポン国中ドライブの詳しいことについてはまたの機会にいたします。






お散歩お散歩嬉しいな もう馬鹿みたいに暇さえあれば歩いて来ました。
・・・いつも同じことすると思ったら大間違い・・・
バッティングセンター、公園ピン球野球、卓球、テニス,もぐら叩き
テニスは十年近く没頭してたようです。

こう書くとスポーツマンみたいですね。 れっきとした嘘です。
まったくの自分勝手な楽しみ方、その追求あるのみ それが楽しかったのです。
もう絵に描いたような不器用者、非力特に腕力絶望的。
ただね 忍耐の塊となって待ってくれる人がいるとなると 
そうですねえ 努力の人の可能性、独自の成果たどり着く可能性は持っているのかも
最初から最期まで忍耐つつみこんだ楽しげな熱血指導 待っててくれました。
応えなくてはなりませんからね。 人生の華 テニスライフでしたよ。

卓球もラリー少しは…思っていました。テニスライフ終了後 卓球しょうと思ったら
なんとラケットに球あたりません。全くあたりません。かすりもしないのです。
あきれてしまいました。
テニスボールとラケット必死で合わせることに成功。 その引き換えに
ピン球とラケット合わせる能力失ったということのようです。
もちろん 球とバットもあっちとこっち スカー スカー。
きっともぐらさんもあっかんべーして笑うのだとおもいます。
我が不器用さ思い知らされて頭抱えて恥じ入った。。。もうむかし話です。

全ての時楽しかった。バラ色に輝き続けた日々 スポーツの巻でした。

まだ最後の砦 お散歩お散歩嬉しいな
両手に杖 頑張っています。 
もう大変アハハ状態 炎天下今日も出かけるのですよ。
後は 居眠り・うたた寝・昼寝三昧 膝が…腰が… いざ生きめやも

日日草さん 笑いながら見ててくれてます。。。よね?



写真No.111:8/11:百合の実

 これは野の百合の実と言うか 花が咲いた後に出来る種の入った丸いものです.
果物や野菜で言えば メロンやアボカドやシシトウのようなものです.
何を隠そう この写真を撮るまで 百合にこんな実が出来るとは知りませんでした。
この実は直径1.5cmで長さが10cm程度です.
これは野生の百合、つまり雑草の一種なので 植物園でなければ 一個取って
分解して どんな種があるのか見たかったのですが できませんでした
草花に詳しい我が配偶者さんによれば 細かい種がいっぱい 入っているらしいです。

百合は花としてはとても華やかですが それにもかかわらず たくましいようです。
家の周りを散歩していると あっちこっちの ちょっとした隙間から芽をだして
元気に育って根性の花を咲かせています。
このちょっとした隙間というのは
道路の端のアスファルトと側溝の間の1cm程度の隙間とか
階段の段と段の間の5mm程度の隙間とかです.
ほとんど根を張れないのに元気に育つと言うことは水分が余りなくてもOKと言うこと
でしょう。
逆境に強いのですね。

言っときますが 私どもは 逆境には弱いです。
そこで,逆境にならないように 細心の注意を払って生きてきたわけですが
人間の注意には限界がありますので逆境のような状況が避けられないこともあります
そんなときはどうするか?
「神様!仏様!」と言いながら強運を頼りに乗り切ります。
これまでのところ 神様か仏様が応援してくれたのか なんとかなってます
happyにきる秘訣はラッキーであることに尽きるようです。 



地上にもっこり大きな葉のかたまり そこから花茎真っ直ぐに立ち上げること訳160cm 大きな蕾その充実感 異様感ありあり   一体あなたは何者だ? 植物園人の来なさそうな小道 人の目線に入って来なさそうなアングル 見つけてしまったのです。 蕾は花の形を見せ始めどうも百合らしく開花の気配…次回きれいに満開だな 楽しみにやって来たら・・・こんなことになってました。 姥百合らしい 山林に咲く野生の百合らしいのです。 初めて知った今日知った明日の晩まで覚えとこ…ではなくお付き合いしたいものです。 冬の種姿確かめ、来年にどう出現するのか キョロキョロするつもり。 花姿もしっかり確認したい。 なにげない出合い 知りたい 確認したい 次は自分から探し見つけたい うばゆりさん 待っててね。 暑さの中意識朦朧の日々に新鮮な出会い。知るは喜び 来年の目標までできたりして 知るは力 お互い生き延びましょうねの 姥百合さんでした(多分)

写真No.110:8/4:日々草
 2週間前にも この我家の前庭の日々草の写真を載せました。
再掲したのは日々草の成長を見て欲しかったからです.
花の数が増えて随分と華やかになりました。日々草さんも嬉しいことでしょう。

人間の子供の場合には成長すると口答えしたり親を疎ましがったりするようです
あっ!猫も成長と言うか慣れてくると飼い主を軽んじていやがるようになるようです
昔のことですが同居していた猫は夕方には押し入れにはいって身を潜めました
飼い主から隠れるためで かまわれたり触られたりするのがイヤだったりようです
毎日夕方になると姿が見えなくなるので 探すと押し入れにいて 見つかると
いかにも嫌そうに 顔を横向けて小さい声でミイヤーと鳴くのであります。

人間でも猫でも若い時代の変化を成長と呼ぶようですが これは誤りです。
うちの猫ちゃんを観察すると 猫にとって成長とは 
 最小の努力で(可愛い頭づ付きや猫なで声での鳴き声を2回か3回)
 最大のオイシイ食べ物(猫さん用のさまざまな缶詰など)を
 飼い主に提供させるノウハウを向上させること
と定義できます。
しかし これは飼い主である われわれ からすると成長とは言えません
もっと べたべたとくっついて いつでも撫でさせてくれるように変化することが
飼い主的には猫の成長と言えます。
このように猫でも成長の定義は人や立場によって異なります。いわんや人間をや!です.

毎日暑いので このエッセー主たちはへばり気味ですが 
日々草はわれらの「愛と夏の光」をいっぱいあびて元気に成長しています。
もしかすると値段の高い上等な苗を買ったためではないかと疑ってはいます。
お金さえ有れば資本主義も悪くないかもしれません



バスの中で聞こえてきた会話 お嬢ちゃんなんだか美人さんじゃないの 良いなあ女の子は いやあもう可愛くないって 自分一人で生きてるみたいないい気な態度 親なんて見向きもしない もう憎たらしいったら そのくせ 何かして欲しい、何か買って欲しい時だけ甘い声出してすり寄ってくるんだから もお腹立つよお  あああ あんなに素直で可愛かったのに 【わあ子供大きくなるとそんなひどいことになるのかあ 親も大変だなあ 甘やかしだな そんなのぶっとばせばいいのに 押し入れにほおりこめばいいのに】 迷い猫ちゃん我が家にやってきました。可憐 一途に我らの胸に顔を埋めすがり 緑の瞳外さずのアイコンタクト 出されたものは残りご飯でもおそうめんでも おしとやかに いただきまあす。 なんと猫ってこんな動物だったとは 優雅 上品 ひたむき 無邪気 なんていい子 もう全身魅力のかたまり ああ黄金の手触り感よ  メロメロ こんなもの食べれるとお思いですか。あっそれ以上触らないでね。 出かけますドア開いていませんよ。 あれ自分らばっかりでお散歩ですか ひとり残されるとは ああなんて可哀そうな我が猫生よ。。。フミャーン アッしっぽタンタン床叩いてるのは会話ではありませんよ 猫なで声で話しかけるのお黙りなさいの合図なのいつになったり理解するのですか。 もうミャオちゃんひどい しばくぞ 押し入れ放り込むぞ なんと あんたら顔もみたくない 押し入れ入ってあんたら寝に行くの待つわ なんと なんと いつだって いつだって 完敗 今はリビングルーム横クリスマスローズの下で眠っています。 ほんと性格の悪い猫だったねえ ほんと可愛い猫だったねえ あんな可愛い猫ちょっといないだろうねえ ああミャオちゃん 恋しやのミャオちゃん 思い出せばバスの中で話してた方   絵にかいたようなお母さんそのものタイプ お声も嬉しさにあふれてたぞ 娘も猫も あはは そうゆうことなのですね。 長年わたしを悩ませ続けた日日草さん とびっきり元気 まだまだ気は抜けないけれど 可愛い日日草さん You make us happy ですよ

写真No.108:7/28:猛暑
 植物園のほぼ真中にある大芝生地の写真です.人っ子一人居ません。
これでも春や秋のお昼時にはお弁当を食べる大小の団体で賑やかになるのです
京都の真夏は35度を余裕で超えますし 
天気予報士さんは熱中症!熱中症!とさけびますので
植物園はがらがらなのです。
以前にも書きましたが これは我らの好む状況です.
静かな緑陰に囲まれて冷たいココアを楽しむのはなかなか良いのです.

夏の暑さと言えば これまでの経験で一番暑かったのは岐阜かもしれません。
あれは7月の末でした。
有名な長良川の花火大会を見るために行ったときのことです。
まだ寿司ならなんでも食べたがる年頃でしたので やるきのありそうな寿司屋があれば
たとえ海からはなれていてもチャレンジしたものでした
そのお店から出て歩いていたときの街がスーパー暑かったのです.
今から思えばガッカリショックの性だったかもしれません
食べた寿司がメチャ美味しかったらドーパミンが出て暑さも感じなかったのでしょう
暑さや寒さといえども気分しだいなのは間違いありません.
しかし その後で見た花火は凄かったです.おおいに興奮しました.
あまりの感激にその翌年も翌々年も見に行きました。
さすがに3回見ると堪能しましたが.
それにしても花火というものは人間を興奮させますね
なぜなんでしょうね?
そう言えば犬も花火の音で興奮し
 ウォーン!ウォーン!
と遠吠えしますから 人間も胸騒ぎがしてじっとしていられないのでしょう



夏は美しい 光が空が雲が 空気が澄んでいるんですね。 夏が好きと言えるのは 木陰・冷房の部屋に居ることが必要条件 思い知らされています。 車生活終了となって八か月過ぎました。冬・春・初夏 楽勝、ノープロブレム 夏になって突如失速もがいています。強情張って外出・散歩パターン維持するのですが  もう…もう…汗ぐっしょりのよれよれの・・・家にたどり着くことの喜びよ  乾いたシャツの心地よさ 倒れんばかりの昼寝三昧の心地よさ 今日もやれたぞの達成感 良いことなんですけどね その他に向けるエネルギーが残らないのが困りもの 慣れてくればなあとか あれやこれやの工夫がが必要だなとか考え始めました。 二人そろって強情者 外出・散歩パターン守り切らねばなりませんからね。 読売新聞に見つけた記事によると 米国では 人種差別、性差別と同様に年齢差別も排されるのだそうです。 年齢による特別な不利な扱いは許されない・・・とのこと 個々の能力が重視されるということなのでしょうか。 我が国の年功序列制、定年制なんて異質の思考でしょうね。 そんな思考馴染んてしまってるからでしょうか 実例、統計数字まて掲げて 老人の運転はあぶない 運転するな・運転免許証返納しろ そんな圧力もうそこかしこ 個人の問題として考え始める前にもう染まっていませんかね。 老人運転は危ないものですからね 老人の皆さん早く運転やめましょうね。 他人のためです あなたのためです 世のためです。 そんなことなのですからね さあ さあ さあ 米国 日本 基本発想 理由付けの違い 私も日本流はまっていたらしく 発想の視点の違い 新鮮な 虚を突かれるの思い 面白い! 視力衰えたり 動態認知反応力衰えたり 我が家の場合まっとうな理由・・・車生活さよならとなりました。 生活は人生は続きます 適者生存の法則 負けまいぞ   老人と呼ばれたあなた 少し抵抗 すこし頑張って粘ってみるのいかがでしょうか 行き方生活のパターンあなたの思いをしなしてこそ 我が人生と実感できるのかも なんちゃって  いざ生きめやも

写真No.108:7/21:日々草
 日々草は私の最も好む花のひとつです.それも白地に赤い中心色があるのがとっってもいいです。
なぜか私には 可憐でけなげ に見えるのです。気候とか土地が気に入れば夏の間通して咲いてくれます。
我が家の庭とは気候風土が合わないのか 植えてもしだいに弱ってしまうのですが
初夏にガーデン屋さんに行くと 必ず買ってしまいます。
 日々草と言う名前も良いです。名前から言えば毎日咲きそうですが
私の観察では一つ一つの花が咲く期間がかなり長いので株全体としての花期は長いと思います.
気候風土が合えば夏中咲くかも。
私も日々草のように「日々」元気でhappyに暮らしています
日々のメイン行事は散歩と読書です.
大学生時代は今よりももっと読書の時間が多かったです
いわゆる自分探しの読書です.
自分の価値観というか社会に対する立ち位置を知るための読書でした。
4年間で数百冊の本を読みました。こんな本好きでしたが 
本の読み過ぎかパソコン画面の見過ぎで 目が悪くなり小さい文字が読めなくなりました
10年ほど読書出来なかったのですが時代が進歩し電子書籍が登場しまた読めるようになりました
Kindleで1頁数行しか表示できないほどの大きい文字で読んでいます。
現在は自分探しはしていませんので 読むのは 三文小説と雑誌記事(含む評論)です.
TVをみませんので現在の社会に関する情報は主として雑誌記事から得ています。
散歩は家の付近と宝ヶ池公園、植物園が中心ですが 
最近は賞味期限が過ぎた災害用ビスケットを持って
宝ヶ池公園の鯉たちにおやつを与えるのが楽しみです
亀さんもいるのですがボーっとしていますのでほとんど食べることはありません
そうなるとますます亀さんに向けて投げるのですが
鯉たちがスピードとパワーで横取りし 二人を悔しがらせています
要するに 日々 のどかに暮らしてます。



バラは赤ですよ チューリップは赤がいい どうしてひまわり咲かせないの スイトピーは赤に決まってる ダリア庭にないんじゃない  夏はやっぱり日日草だな。。。 わかってますよ わかってますよってば ぜんぶ咲かせました 咲かせようとしました 赤いバラ満開を目前にカミキリムシにやられて突然死 大輪のひまわり咲かせる場所探し困難・狭い庭かさばって花後庭とともに立往生 ダリアあっというまにうどん粉病・隠しちゃいたいショボい立ち姿 スイトピーは混色にしたら 赤じゃないんだ。。。 そして 日日草 なぜか立ち枯れる・しなびてくる・腐ってくる もう発狂しちゃいそう つくづく残念な自称御庭番もどき あっ チューリップだけは赤を中心に球根選び参加してもらえてご満足の結果 責任回避 やれやれ 今年ひさしぶりの日日草 毎日必死の思いで覗き込んでいます。 元気です。 このまま頑張って欲しい 可愛い日日草さんと平常心で呼べる日来るのでしょうか こんにちは 日日草さん わたしが ママよ。。。 歌える日・・・来るのかな ええい、 ままよ! 腕組んで待つことにいたしましょう 夏の庭 夏のドラマ展開中

写真No.107:7/14:ハイビスカス
 ハイビスカスと言えばやはり沖縄とか石垣島とか喜界島です。
喜界島?
ご存じないかもしれませんね。この島は新婚旅行に行ったところです.
こじんまりしていてなかなかよかったです.車で一周しましたが アッと言うまでした。
島の中央に小高い山がありましたので そこに行って一周すると島中が見れました。
群青色の海もきれいでした。
 
我が家の居間には日本地図が飾ってあるのですが 
これを見ると台湾と鹿児島の間は約1200kmで その間に大小の島々が点在しています
日本の最西端にある与那国島は鹿児島からは1000km以上ありますが 台湾からは約100kmです.
ということは昔の日本人は たぶん行動力があったうえに争いに強かったんでしょうね。
私の想像では ずーっと昔に鹿児島と台湾の間の島々の所属について競争があったはずです
力が均衡していれば鹿児島と台湾の中間ぐらいに国境が決まったかもしれませんが
実際には台湾の直ぐそばまで日本領になったのですから現在の日本を見ていると信じがたいです

平和的というか争いごとが嫌いと言うか何事にもビクビクです(含:私ども)
誰かは「腰抜け民族」と言ってました
しかし台湾の直ぐそばの島まで日本が取ったという歴史的事実を見ると
ほんとう?の日本人は 行動的で強いのではないかと思われます
せっかく腰抜け民族となって毎日平和で安全で 安心して暮らしているのに
なにかのきっかけで元に戻ってしまわないかと心配になります



ユーチューバーさんとやら最近あれやこれやでご活躍ですね 身近に出没されたら 即嫌だ!っと言うくせに 映像楽しんでいます。 最近のお気に入りは世界の都市をただただ歩いて見せてくれる映像 イスタンブール、 ロンドン、スウェーデン、ニューヨーク、中国、インド、バンコク、フィリピン そこもあそこも もちろん東京もね。街を、建物を、食べ物を、交通機関、そして人々を 毎日毎日眺めてるともろ見えてきますねえ どんな国なのか 文化なのか 政治・経済事情もちらり なんて堂々たる体格…こんな人達の国とは戦争しちゃあいかんぞ うわあ誇り高そうだなあ…歴史から来てるんだろうなあ わあめちゃくちゃ…これでやっていけてるのかあ 生真面目な国民性かとみせかけて…わあなんて皆揃って遊び好きなんだなあ 見事な街づくり…落ち着いた生き方なのだろうなあ あれ男性はどこだ? わあ女性はなにしてるんだろう 子供の姿少なすぎる 街に出てこないのはいかなる理由からなのだろうか わあ子供ばっかし 多すぎる 良いのだろうか まとめ ほんと どの国の人も幸せそう 懸命に働いていそう しっかり食べていそう 歴史だとか 政治・社会・経済問題だとか 天災だとか ニュース情報中心に国々を世界を人類を見てしまいがちだったのだなあ 現実に街行く人々はもっと健康的で負けてないぞ  今の自分の生活楽しく維持し続ける意欲ありだぞ どの国のどの街も明日を疑ってないぞ 人間人類当分大丈夫なのではありますまいか   わたしの好みはタイ・バンコク 誠実信頼努力がすこやかに生きているの雰囲気 道行く人に心地よい懐かしさ感じるのです。 ぷぷぷ 東京ひとめでわかります。 日本人みんな同じようなおとなしげなきれいな服装  疑いを知らぬような夢心地のような顔してる ほんわか歩いてる   かっての戦闘意欲に満ちた歴史とやら 今何処 身びいきが入るのでちょこっと心配 少しで良い ハイビスカスの元気な花模様 ブラウス シャツ 帽子飾り 日傘 何処かに見せてくれる方いないかな ハイビスカスさま ひとこと どうぞ 喝!!!!!!

写真No.106:7/7:蓮

 植物園の蓮のつぼみです.
雨上がりでしたので咲いた花は下向いていましたが 
つぼみは元気に上向いていましたので 今回はつぼみです.
蓮といえば琵琶湖の水生植物園の付近にあった とても広い蓮の群生地を思いだしますが
数年前に突然消えてしまいました。
植物はきむつかしいし弱いんだなーとビックリでした。
今は夕散歩の途中にある元農家の庭の壺で咲いているのが見れます。
この壺は当然ですが水を貯めてあります。その水の中にはメダカもいます。

実はメダカを飼っていたことがあります。水生植物用の容れ物の水にボウフラが湧かないように
メダカをアマゾンで購入したのですが その結果ハマってしまいました。
なかなかカワイイのです。
メダカなんか小さくて皆同じと思っているかもしれませんがそれは違います。
それぞれに個性がありました。そして自分と性格が似てる個体をかわいがったりしたものです.
ちょっと脱線しました.蓮の花がテーマでした。

蓮と言えばお釈迦様、仏教を思い浮かべます。
日本の仏教は外国のイスラム教やキリスト教に比べれば存在感がないように思えるかもしれません
仏教はイスラム教やキリスト教のように自己主張が強くありませんので
宗教を広めるために世界中に人を送り込んだり 
人に乗り移って戦争させたり
日々の行動パターンにいちゃもんを付けたり 
と言うようなことはしてこなかったようです
なんかの儀式のときしか表にあらわれないので存在感が弱いと感じるのでしょう
しかし しかし 仏教は1000年以上も昔に渡来し日本社会に存在していましたので
日本人の在り方に大きい影響を与えてきたに違いありません
たぶん仏教の世界観は日本人の無意識の世界で存在しているのでしょう
例えば 多くの日本人が「諸行無常の精神」を心底に抱くのも
「わび」とか「さび」とか言われるネガティブ系の美に心を動かされるのも
1000年以上も仏教にさらされてきたからかもしれません

私は「諸行無常の精神」も 「わび」とか「さび」も好んでいますので
日本が仏教の国でよかったです.



琵琶湖へ突き出た烏丸半島 琵琶湖らしさを眺望を満喫 お薦め度高しの公園です。 その一部の水生植物公園みずの森によく通いました。 素直に湖畔利用した庭造りナイス 温室睡蓮の池はもう年中うっとり 初夏湖畔一面をピンクに染めて蓮の花が咲くのですよ 壮観ですよ  広がる葉の下覗くと食用ガエルの卵が 大きなオタマジャクシが きっとジャンボなカエルも 美しい 面白い 生物学習の場 エトセトラ あっ小魚も 色んな昆虫も 蛇も泳いでたな さすがその名のとおり 水生植物公園! 感銘・尊敬してたものです。 睡蓮と肩を並べて主人公をはっていた蓮の花 なんと この蓮は公園のために持ち込まれたのではなく 自然・自生の蓮の群生地なのでした。 観光の目玉ともなっていたのですが 自生群生地ということで認定?されてるため 手を入れることが出来ない 船の通行に不便でも処分できない レンコン採取できない なんにもしてはいけない みてるだけ アンタッチャブルの蓮の群生地  栄枯盛衰がここにも 群生密度高すぎ 蓮の生存に不都合な環境になってしまい みてるだけ・・・全滅・・・みてるだけ もうむかし話になるのかもしれませんが アメリカ合衆国イエローストーン公園大火災 かなりの領域延焼したことがありました。 その時 ここは自然のままを謳った公園 火災も自然現象 それを含めての自然なのだと。 燃えてしまいました 動物・植物 燃えてしまいました 環境変わってしまいました。 それが自然 人は手を出さず みてるだけ  もちろん そして多分 その後の観察・研究がしっかりなされたのだとは思います。  もちろん そして多分 見事な美しく興味深い復活のドラマへと続いたのだとは思います。 なにが言いたいのか なにがポイントなのか わからないのですが わが心が みてるだけ みてるだけ つぶやき続けるのです。 みてるだけのあいだに うつろいゆくものたち 変化なのか 絶滅 なのか 復活 なのか 原因なのか 結果なのか なんなのか なんでもかんでも みてるだけ まあ わたしの得意の分野 というか 怠惰・無気力・無責任の極意なんですけどね。 みてるだけ なんと 生きる喜びの源でもあるんだよなあ 昨日も今日も明日もみてるだけ なんだかごめんなさいの人生です。 なんだかなあ ためいき  

写真No.105:6/30:白百合
 毎年、我が家の前庭で咲く華麗な白百合です.
百合と言えば まずは「歩く姿は百合の花」を思い出します。
とは言え 繁華街に出てもyoutubeで東京・ロンドン・ニューヨークなどの街角を見ても
歩く姿が百合の花に見えるような人はまったくいませんね〜。
まあ Tシャツにジーパン上下併せて2000円では華麗な百合の花には見えませんよね。
いったい どこで百合は咲いているのかと 思いをはせると
日本ならやっぱり絞りの振り袖を着ているときでしょうか
それとも真っ白な花嫁衣装を着て静かに歩いているときでしょうか
それで思い出しました 
だいぶ昔ですが平安神宮の正面拝殿で白無垢の花嫁さんを見たことがあります。
つやつやとした白さの正絹と思われる白無垢を見たのは人生で初めてで
あんまりキレイなのでちょっとビックリしました。

馬子にも衣装とも言いますが確かに衣装が異なれば違った人に見えます
これは衣装のせいというよりは衣装で中身が異なるためでしょう。
昔 背広をきてネクタイをつけるとアドレナリンが出て違う人になったような気がしました
退職した今も出かけるときは上下併せて2000円以上の服に着替えるようにしています。
これも他人に見せるためと言うよりは 外出モードに切り替えて 
自分の気分を高めるのがポイントではないかと思います。ドーパミンも出ます。

繁華街やyoutubeに出てくる普通の人でも
白無垢の花嫁衣装を着て平安神宮の拝殿に上がれば白百合の花に見えるかもしれません
そう言えば最近見た「コノスバ」のララティーナさんは花嫁衣装を着ていましたので
鎧で武装しているときとは別人のように可憐な様子でした。もしかすると白百合の花だったかも



角を曲がってやって来た百合 散歩道 山裾の神社からだらりの坂道ひょいと角曲がった細い道 山からの水の流れと塀の隙間に見つけました。 夕方散歩のお定まりのコース ため池からの水路ひょいと角曲がった細い道 流れと崖の隙間に見つけました。 同じ百合です 日照少なく土もなさそうな狭い場所  同じようにアスファルトの隙間から咲きだしているのです。 驚き 感動 半端なし 路傍に見事な白百合の花 細い葉モシャッと茂らせて・しっかりの花茎立ちあげて・蕾は一つか二つかな 冬にはタネいっぱい詰め込んだ花殻の造形美 季節通しての楽しいお付き合い 球根ではないのか? 一年草なのか?  どうも同じ場所ではないぞ 水路に沿って少しずつ移動してる? あれだけたくさんの種だもの風が運ぶのでしょうか。 我が家近くの水路横のアスファルト 百合かたまり見せて咲きました 一年だけ・・・ 残念だなあ なんとそこからひょいと角曲がった我が家の駐車場 壁に沿って百合咲きだしたのです。 ようこそようこそ 好きなだけ咲いてね 増えて欲しい! 種まき散らし待つことにしました。ふふふん 二年続けて花姿みせてくれました。 三年目株数ヶ所で元気に成長中 わたしの百合 白百合さん お名前は高砂ゆり なのだと思います。 道に向かって咲く庭です。華やか元気が良いですよね。 花苗屋さんからの豪華な白百合も咲きました。 道行く人楽しんでくれるかな 迷い込んできたあなたは私の白百合です 演出なし  好きなように好きな場所で咲いてね  ふいっ 角を曲がっての出立の日 その日がやってくるまでは・・・ 白百合のような人。。。理解しました。 豪華さと素朴さ つつましさの内の華やぎ 高砂ゆりのような人のことなんだなあ

写真No.104:6/23:菖蒲
 京都市植物園で撮った菖蒲の写真です
去年はほとんど全滅でさびしかったのですが今年はいろんな色できれいに咲きました。
じつは宝ヶ池公園にも菖蒲園と言うかコーナーがあるのですが 
ほとんと花を咲かせません。数年前に2,3輪黄色く咲いたことがある程度です.
この公園には、菖蒲園の他に桜の園、梅林園、野鳥の森と言うコーナーがあります。
どれもパッとしません。
例えば,梅林園には非常に多くの たぶん数百本の梅が植えられているようですが
花はほぼ咲きません。我らも 梅の季節になっても見に行かないくらいです。
桜の園には毎年のように幼木が植えられますがほとんど育たないようです。
まあ土が合わないのか 愛が足りないのか その両方か です.
愛?と不思議がる人がいるかもしれませんが 草花には愛が必要です.
いっぱい愛されている花は
"私は愛されている"オーラ
をいっぱい出しながら咲きますし 忘れさられている花は
"私は雑草に違いない"オーラ
を放ってすさみます。
草花でも持ち主の心の在り方が反映すると言うことです。
その差は一目見れば分かるほどです.
もっと言えば庭を見れば その持ち主の人が分かります。
庭は人の顔のようなものですからね。
みなさん! 気を付けましょう。
とは言うものの顔が"私は誰にも愛されていない"オーラを放っている場合には
顔から直す必要があります。
が、人間の顔は生き方の集大成ですから簡単には直らないでしょう。



いずれアヤメか かきつばたか 花しょうぶか なんなのか だらりの帯の舞妓さん 屏風絵 花扇 舞踊 和の文化 遥か彼方 わが身とは異質な世界へのいざない 惹かれます。 花株は350円まで!頑張ってた頃 花菖蒲の株350円見つけました。 気合入れて育てました 育ちました 一本の花茎・蕾 さあ開花です! そんなタイミングでの旅行プラン うめいてしまいました。 三日後 花終わってました うめいてしまいました。 どんな花だったのかも知りません。 2年3年4年株元気に増えました 花茎たちあがりません 花咲きません かっとなって処分しました。 それから10年くらい経ったのかな 庭持てた時ジャーマンアイリス株入手 気合入れて育てました 育ちました 花咲きません 2年3年4年葉は元気です 花茎たちあがりません 花咲きません かっとなって処分しました。 京都宝ヶ池 育てども花咲きません 諦め顔の菖蒲池 植物園 大半の株に異変発生・ガードナーさんおおわらわ 一年後復活の菖蒲池 愛がない・・・身が縮みます 菖蒲の花覗き込むとき 身と心少し閉じて見ています それでも 聞きたくないささやき 気づいています  。。。今 咲こうと思ってたのに。。。 愛がない・・・身が縮みます 夢の庭の 花菖蒲 ジャーマンアイリス  。。。どんな花咲かせているのでしょうかねえ。。。 。。。夢うつつ見せてくれない花姿。。。

写真No.103:6/16:アジサイ
 我が家の横の庭でひっそりと咲くアジサイです.相変わらず きよらかな雰囲気です.

これまでにいろんなところでアジサイを見ましたが
若狭湾を見下ろす丘の上でひっそり咲いていたアジサイは
今まで見た中でも最も奇麗な種類でした。これで挿し芽をした記憶がありますので
この我が家のアジサイは若狭湾のアジサイの子孫かもしれません。

若狭湾と言えば小浜を思い浮かべますが、昔はよく行きました。
一時はほぼ毎週です.海岸沿いにあったお寿司屋さんが目標でした。
お寿司屋さんは田舎の寿司屋とは一線を画した良いお店でしたが
今から思えば げそ がすごかった。
寿司ご飯の上に巨大な烏賊の足がそのまま乗っているのを大格闘して食べると言うか
飲み込むと言うか とにかく 胃に入れてしまうのです.
取れたてで新鮮な魚貝類を食べたいと言う欲求を完全に満たしてくれました。
ネタが大きいので たぶん10貫程度しか食べませんでしたが
小食になった今なら2,3貫しか食べれないと思います.
と言うより新鮮なネタが固すぎて一個も食べれないかもしれません。
ああ!なつかしい!

この寿司屋さんに通うために 京都から鯖街道を車で90分駆け抜けたわけですが
当時は鯖街道が車の道として整備されていなかったため 舗装はされていましたが
道幅が狭い箇所が多くて 対向車が来るとちょっと大変だったのです。
世の中良くしたもので狭い道で対向車が来て困ったことは ほぼありませんでした。
だいたいの人は狭い道は避けるんですよね。
そういう行動を考えると私はちょっとrisk-taker的な傾向があるようです。
おかげさまで私達の人生だいぶ楽しかったような気がします.
手堅く何もしないよりは ちょっと危ないことをするほうが楽しいですからね。
ただし,risk-taking で失敗すると それどころではありませんので
人生的に重要な局面ではラッキーであることが大切です.
狭い道で前から車がきたりしたら大変ですからね。
ラッキーに危なく生きる!これが人生の秘訣のようです。



海辺の町 新鮮な魚・甘辛な味で育ってきました。 京都にやって来て即京都の味馴染みました。 学生食堂のおうどんの味にイチコロ  お出しが美味しい うすあげの優しい甘さよ 京都の人は優しくお揚げさんと呼ぶのですよ。 朝夕食事ありの下宿生活 京都のおばんざいにイチコロ  感激したのが鯖の料理 短冊切りの大根と塩気のある小さな鯖の切り身のお吸い物 ひたすらさっぱり・透明感の内に大根の味とサバの塩味 うなるしかありませんでした。 またお祭りの日なのでしょうか年に2回ほど頂き物あったからと鯖寿司二切れ 紅ショウガ添えて小さなお盆に御茶とともに部屋に持ってきてくださるのです。 これはもう芸術品だと思いました。 心いつもでんぐり返り 懐かしい大切な思い出なのです。 京都の料理に足向けて寝るわけにはいかない…思っています えへへ 何が言いたいのか この鯖 鯖街道 京都府の日本海側若狭湾小浜から京の都へ 京の味へ 広く知られている事なのだと知ったのはずっと後のこと 海を見たい病お寿司食べたい病から小浜へと通い続けたドライブコース ずばりその鯖街道だったと知った時の驚き 小浜市 港町であり城下町であり…わが故郷との共通のかおりそこかしこ もし我々の運命都落ちとなるのなら…ここがいいここなら幸せに生きていける そうおもわせてくれた町なのです。 そんな小浜の海に向かう丘に見つけた紫陽花 これこそ我々の紫陽花だあ 花泥棒  一枝小さく切り分けての挿し木 わが庭の紫陽花の出自です。 庭のあちこち咲かせたのですが皆ピンク系紫に変わってしまい もとの色守っているのは一株だけになってしまいました。 風吹きゃ桶屋が儲かる なんだこっちゃのあんまりのグダグダ語り すみません 単に この紫陽花への愛を語りたかっただけなのでありました。

写真No.102:6/9:ひまわり
 まだ季節的には早いのですが 去年のこぼれ種から勝手に育って咲きました。
なんとも言えない adorable なひまわりです.小さくてかわいい。
普通のひまわりの10分の1もありません。

 ひまわりと言えば 私がまだ院生で 配偶者さんが働いていたころ
アパートの前の庭を耕して ひまわりを植えたのを覚えています。
配偶者さんは忙しかったので この頃は かく言う私がガードニング担当でした。
ところが ひまわり が私の背くらいに高くなり つぼみも付けたころになって
沖縄に3日も出かけることになってしまいました。
心残りながら出かけましたが 初めての沖縄旅行ですので 
現地ではとうぜん ひまわり のことは忘れはてて楽しくすごしました。
無事旅行からアパートに戻ってくると なんと ひまわり がまだありました
私よりも1メートルも背が高くなって そのてっぺんには巨大なひまわりの花!
が咲いていたのです。椅子を持ってきて 
その上に立って見ましたが ひまわりの花は頭より高いところにありました。
思わずこの光景を写真を撮りました。今もどこかに残っているはずです。

このときのガードニングではだいたいはキレイな花が咲いてくれました
これは beginner's luck だと思っていましたが 今になって考えれば
アパートのまえの庭は 以前は畑だったのかもしれません。
もと畑の土地なら栄養はたっぷりで草花にも最高な場所だったのでしょう。
beginner's luckなのか モトハタのためなのか 真実は分かりませんが
まもなく引っ越ししたこともあって
私の短かったガードニング体験はhappyなうちに終わりました。
だいぶ昔の物語です。



主人公を失った駐車スペース ムシトリナデシコの種ばらまいたらことのほか大成功 密かにねらった田舎風自然な花庭のコーナーとなりました。 種採取の時紛れ込んだらしいヒマワリ グリコのおまけか!の嬉しさです。 断捨離のお年頃です。植木鉢処理 手間のかかるもの・はびこびすぎるもの処理 日陰の庭で慎ましくそれぞれの季節に楽しみ与えてくれるものを残し。。。  わが家の庭変えてきたのです。 静かに穏やかに庭と共に過ごしましょう。 ここにきて。。。南向き日光たっぷりですよ スペースたっぷりですよ 道行く人楽しんでくれるでしょうよね  ガードナーうれし涙の条件満たすスペースが我が物に。。。ここにきて 朝に夕にたたずむのです。流れ行くであろう季節を思い  何がしたいのか 何ができるのか 何が一番大切なのか 花を花苗をと意気込む協力者さんの熱き思い ひしひし 来週には花苗屋さんへ行く予定。 それでもなお佇んでいます。 どんな庭に向かうのか どんな生き方に向かうのか 分岐点 見えないところで賽は投げられているのでしょうね  何かを信じて進んで行くことにいたしましょう。 ムシトリナデシコ花畑に住み込んじゃってるモンシロチョウさん あなたのいる間は手を付けませんからね。 あなたはね ある意味今の私の守り神 なのかも。。。

写真No.101:6/2:バイカウツギ
 このバイカウツギは我が家の裏で咲いています。
何を隠そう!(何も隠すことはありませんが...)
これはこの家を買ったときの外構工事で植えるように依頼したものです。
裏庭で20年以上咲き続けた愛されている花なのです.

視点を変えると現在の家には20年以上住んでいるわけですが.
たぶん変化を好む性格のためか かなり頻繁に引っ越ししています。
始まりは京都は一乗寺で、松ヶ崎、下鴨と動いて、
この後はアメリカで まずはミシガン、次いでLAに行って、
勇躍下鴨に戻ってきましたが、4年も立たないでマサチューセッツ。
1年後に西ドイツはベルリンで過ごした後、再び下鴨に戻って、
その後現在の家に移りました。
現在の家は とても気に入りましたのでズーと居座っていますが、
その間にアメリカはLAの南パロスペルデスに1年住んでいます。 
勘定してみると全部で10回引っ越ししています。
今から思っても どの引っ越しも楽しかったです.
引っ越しにはスリルとかサスペンスが付きまといますが
若いときには スリルとかサスペンスが 楽しめました。

言っときますが 今はイヤです。スリルとかサスペンスはイリマセン。
いっさいの変化がない安逸な生活をむさぼりたいです。
とか言いながら 最近も次の住処としてマンションの情報を集めています。
京都のマンションはメッチャ高いので ちょっと無理っぽいですが
まあ お金は天下の回りものですからね.



生来の憶病者 変化好まず  自分の隅っこ守ってすくぼっていたいはず・・・の確信犯・・・のはず なんと結構多くの生活の場の変化経験してきてたとは 全て楽しかった 全て成功だった なんでだろう はてな ひとつ 若かった ひとつ 有無を言わさずの勢いの流れがあった ひとつ 選択の余地 改善の余地があった ひとつ 思いのほかの負けず嫌いの発見 ひとつ 思いのほか新しもの好きの発見 ひとつ 運が良かった そして 一人ではなかった もちろん 一人ではなかった 若かったことがあった(完全過去完了形) 今はもう。。。 嫌です・・・この隅っこがいいです・・・すこしの変化も嫌です。 引っ越しには嫌な負の思い出をチャラにする要素がありますね。 浄化させ喜ばしい思い出ばかりにしてくれる要素 忘却のありがたさ 思い出はいつだって甘美の風味あり。 思い出はもう十二分に間に合っています。 膝さすりさすりの今日この一日があれば満足です。 これでいいのです。これが良いのです。 二十年来のお付き合い バイカウツギさん お互いおだやかな日々重ねてきましたね Are you happy? H A P P Y !!!!

写真No.100:5/26:・メタセコイヤ
 宝ヶ池公園の三本並びメタセコイヤです.
新緑が過ぎて深い緑色になってきています。深緑です.
ますます良い季候になってきまして植物園は人でいっぱいです.
芝生公園には幼稚園か小学校の遠足のような集団が元気に走り回っていますし
これを避けても どのコーナーでも
きょろきょろのアマチュア写真家か虚ろなインバウンドとかに出会ってしまいます。
我らは人影もまばらな雰囲気を好みますので 
この時期は(訂正 いつも かも)ほぼ閑散としている宝ヶ池公園によく出かけます。
とはいえ 車を手放したので 公園に到着するまでに いっぱい歩きますので
せっかくの池ですが一周するほどは歩けず ほぼ半周するだけです。

話題は変わりますが このエッセーを書き始めて 今回が100回目です.
毎週書いていますので約2年の間 書き続けたことになります。
自分で言うのもなんですが 他の人が読んで 
興味深いとか
面白いとか
ためになったとか
はぜんぜんありません
読むのは主として配偶者で 言ってみれば 
互いに手紙(ラブレター?)を書いているようなものです.
書くたびに誉めてもらえるので また,喜び いさんで 書くわけです.
それにしては アクセス数が多い? 
それは 親戚の皆さんの 力だと思います.
特に 義姉さん!
これからもアクセス数増加にご協力よろしくお願いします.



やれやれ よっこいしょ 休憩ベンチは大きな樹の下 メタセコイアの足元 通年日陰 通年閑散 通年風の通る道 自然に深呼吸できる場所 大きな樹のその下で。。。 静かに時は流れます。 本当でありウソでもあります。 たどり着くとき お疲れさんだし、エスプレッソハイだし  頭軽薄 身体脱力感 口だけ達者のヘラヘラ馬鹿話 バカ笑い さて バスの時刻表逆算しての分単位での行動開始。よっこいしょ。 不思議です。 そんな短いベンチタイムなのに ゆったりの時間の流れ 静かさの実感 自由感への解放感 満たされるようなのです。 メタセコイアなのです。 見上げると下から見えない梢まで重なり合わないように注意深く広がっている枝々 堂々たる大木のイメージに合わないかもの細く小さく柔らかそうな葉茂らせて 植物性樹木性生命体・・・大きななりをした無邪気な生命体 実まで小さくあどけないの知っています。 メタセコイアなのです。全てを包み込み広がっています。揺れています。 きょうは小さな菖蒲池越しのベンチからメタセコイアながめています。 これこそ皆の知る ザ・メタセコイア 歴史を生き抜いてきた勇者 我に続けよと大枝揺るがせ道しるべ示してる? わが身の小ささを知ることの心地よさ 圧倒されることの心地よさ 受け入れることの心地よさ 外から見るメタセコイア 内から見るメタセコイア 花の下にて春死なむ 詠まれた方がいるそうです。 メタセコイアの下にて。。。かそけき願い。。。かも というよりも ここ訪れる度に不思議な蘇生感  不思議 不思議 メタセコイア 大きな樹のその下で・・・ ベンチタイム流れていきます。

写真No.99:5/19:アザミ
 アザミは茎にも花にも トゲらしきものがあって ちょっと痛そうです.
写真では 蜂さんが蜜を吸いに来ています。
このとげとげしい武装も蜂さんたちを遠ざける効果はないようです。
いったい誰から身を守っているのでしょうか?と思っていましたが
わりと最近 鹿が背伸びしてサザンカの花を食べているのを見ましたので
トゲとかは花食動物を近づけないためのものかもしれません。

「花ならアザミ」と言うようなタイトルの本を読んだことがあります。
シミタツ(志水辰夫さん)が書いたの本の一つです.
我が家では一時期シミタツが流行って 手に入る本はすべて読んだものでした。
物語のヒロインはだいたいは勝ち気でそれなりにチャーミングなのでしょうが
男性主人公の多くは陰気で 自己破滅型で 救いがたいタイプです。
歳を取ってしまった今となっては読むのは ちょっとつらいかもしれません。
Netfilxなどの番組でもそうなんですが 
主人公が ちょっとでもつらい目にあうと 見るのがイヤになるようなところが
強くなってきたようです。こんな風ですから 最近は ヤング用のアニメとか
非現実的なまでにhappyで強い人たちが登場するものを好むようです.
例えば「葬送のフリーレン」がいいです。
このアニメは我が家だけでなく世間一般にも好まれているらしいので
世の中が全般に気が弱くなっているのかもしれません。



アザミ 畑の端っこ 田圃のあぜ道 ちょっと町から離れた路傍 アザミの輝くスポット 緑の季節 にぎにぎしい庭の花たちと一線を画しての存在感 そのきっぱり感が好きです。 敬意をこめて庭最良部に取り入れたことがあります。 痛い 痛い 痛ーい あっという間の負け戦 野に生きよのアザミかな つぶやいたのでした。 花ならアザミ 志水辰夫さんの世界 はまりました。 まあ主人公の意固地なことときたら・・・ まあそんなことになった経験、いきさつ、もろもろの結果なのでしょうね。  ただね その生き方 受け入れて 筋を通しての生き方が 心地良いまでの魅力、 納得感与えてくれるのです。 誠実ともいえる生き方に感動させられるのかな。 良いんですよお あはは そこは冒険小説? 意固地の権化 身を張っての大活躍・・・さて結末は エンディングのつけ方 らしいなの納得感 好みです。 はまる愛読者いるのもごもっとも。。。 花ならアザミ 小説のタイトルなのです。ストーリーは・・・れれれ 覚えてない。 花ならアザミ 野に生きよのアザミ そんな主人公たち うらやましさ感じたのは 若かったからなのだとは思うのですがね 今は つくづく思います どんな生き方もあるのだな

写真No.98:5/12:白いバラ
 白いバラがうるわしく咲き誇っています。一本一本がスゴイのに
それが群れをなして咲きますので まことに壮観です。
白色だけではありません。赤色、ピンク、黄色、橙色など まさに色とりどりです.
ルノアールさんのバラの絵を思い浮かべるほどの豪華さです.

ルノアールさんと言えば印象派です。
私どもはヨーロッパに1年暮らしていたことがありまして 
その期間にフランスはパリにも行ったことがありました。
その当時の私どもはアートに興味があって しかも一点集中型性格でしたので
美術館巡りもしました。特に モネの美術館には一日中居座り 
「ほとんど同じスイレンの大作」を飽きもせずに眺めたのでした。
よかったな〜。
人はいっぱいやってきましたが 波があって 来るときはドッと来ますが
その後 しばらくは ほぼ誰もいない時間帯があって 静かに楽しめました。

美術館とか展覧会で 人並みにもまれ頭と頭の間から有名な絵画をチラッと
見るようなのは好きではないのです。
静かな環境で平静な心持で 時間をかけて鑑賞しなくては 心には残りません。
とは言えモネのスイレンを見たのは30年前ですので
今となっては なにも心に残ってません。
やっぱり時間には勝てません。貴重なはずの体験といえども風化して行きます。
よどみに浮かぶ うたかた です.
せめて長い命で あぶくのような毎日でも 楽しみたいものです.



無意識の内側 自分は絵が好きなはず 疑いもせず年重ねて来たと思います。 まだ壁の中にあった頃のベルリン生活 言葉わからず 車無く 人との付き合いなく 不自由の内側にある完璧な自由 毎日行くところは動物園 美術館 音楽会 なんと美術館は入館無料!絵は好きなはず。連日通いました。 一つの絵 次 一つの絵 なんの思いも浮かばぬまま順番に 必ず頭痛 激痛 屈みこんで苦しむ結果に それでも口への字に曲げて通いました。 なにやら有名な画家さんたち 印象派の部屋 目まで痛くなって座り込んだベンチ 間接的に明るさを取り入れるためなのでしょうね  地下へ掘り下げられた部屋の横の空間 雲間から陽が差したのでしょうかぱっと明るくなりました。 一瞬にして世界変わったのでした。 目の前のルノワールの少女の額に木漏れ日が揺れて 蒸れるほどの陽光にルノワールの野の小径が揺れて モネの夫人は丘の上でケシの花と共に揺れて それからはもう美術館すべての絵 輝きまくり  描かれている全てが素晴らしい こんな風に描きたかったんだな してやったりの心意気だな こう描かずにはいられなかったんだな 喜び 誇り 苦しみ 悲惨 遊び 面白がり 実験 自慢 挑戦 全てがわかる!っと思いました。 全てに敬意 敬服 あるのみでした。 絵と私たち 黄金の時 人に聞くべきではない  人として答えるべきではない問いかけ あなたは絵がわかるのですか? あの頃の私は 一度目を閉じた後 はい わかります。 答えたのだとおもいます。 今? 今はもう何もかも夢の中 思い出の中 眠っています。 戻りたいとか 絵の前にまた立ちたいとか一切思わないですね。 モネの睡蓮よりも  車のなくなった駐車場跡 種ばらまいておいた満開近しのムシトリナデシコ 胸おどらせる今日この頃なのです。

写真No.97:5/5:イングリッシュブルーベル
 なんと言う きよらかさ でしょう。
もしかして私にも こころがこんなに きよらかな時期があったのでしょうか?
いや なかったです。As far as I remenber!!
しかし 若いころの自分の写真を見ると 無邪気そうでhappyそうで 
とても物事を深く考えているようには見えません。
きよらかではありませんが邪気がなくて 我ながら無害そうです。
どうも いろいろ経験し知識を増やして ものごとを深く考えるようになるとともに
この「きよらかさ」や「無害さ」が失われてゆくように思われます。
と言うことは このイングリッシュブルーベルは まだ 若いんでしょうね。
時間が経てば これも経験を増やし しなびてきてしまうことでしょう。

人間の場合には いつまでも きよらかで 思慮にとぼしいよりも
ちょっと しなびて きむつかしそうで思慮深い賢い人の方が良いかもしれません。
思慮に欠く人はきよらかでもはた迷惑ですからね。
と ちょっと自己肯定して 満足します.

どんな長所でも 見方を変えれば 短所になるのはよく知られていますよね。
たとえば,
きよらか であることは おろかであること の裏返しで
思慮深いは 気難しいの 裏返し
というような具合です.というわけで 結論は 
どんな人にも 良いところもあれば悪いところもある
あとは あなた が その人と気が合うかどうかです.
たぶん きよらかな人は きよらかな人を好み 
思慮深い人思慮深い人を好むと思いますが...。



イングリッシュブルーベルの仲間 シラーカンパニュラータの仲間です。 青い花ブルーベルはイギリス人の心の花?泣き所に咲いている花?なのかなあ そんな感じで小説・映像に出てくるような気がしています。 しっかりした顔立ちのブルーベルとは別に、この可憐な白いタイプ、ピンクタイプ 我が日陰の庭でよれよれ気味に それ故により愛されている花なのです。 強い花たちに押しまくられてそれでも消えず タネでも飛ばすのでしょうか へんてこな片隅 見つけてくれるの待ってるみたい。。。。 ほろり 胸こたえるではありませんか。 応えなければなりません。 やっきになって陽の当たる場所 主人公スポットへ移したことがあるのです。 咲きましたよ 花数もしっかりと。 似合わないのです・・・明るい陽気な庭に沈黙のスポット おしゃべりな花達の後ろに隠れこみそっと息をついてるの雰囲気 ごめんね 悪かったね 日陰の庭にかえすことになりました。 以来 やっぱりの風前の灯の おおい生きているのかーいのベルの花 そっとため息つきながらのお付き合い 今年も会うことができました。 めでたし。。。なのでしょうか。。。我知らず

写真No.96:4/28:もみじ(新緑)
 もみじ と言えば真っ赤な紅葉を思い浮かべるのが普通でしょうが
我らはちょっと違いますよ。
 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは。...。
 初夏はもみじ。うっそうとしげる新緑の木々。...。
京都の北の地域に住んでいるからではあるのでしょうが
どこを見ても 新緑が目に入ってきます。
この写真は2,3日前に撮ったものですが、写っている木々の多くはもみじです.
豪華絢爛な新緑もみじに圧倒されます。
 いい季節になりましたよ〜
 いい季節になりましたね〜
紅葉で有名な京都ですから どこに行っても「新緑のもみじ」は楽しめますが
我らのおすすめは真如堂の裏庭です。
それも正面からでなく 
裏側の岡崎方面から長くて狭い階段を上がると見えてくる新緑の紅葉ばやしがナイス.
秋の紅葉はたいへんな人だかりで昔のような静かな たたずまい はなくなりました
が
新緑もみじの周辺は まだ しずかな雰囲気のままです.
植物園でも 今の時期は 新緑もみじに囲まれた池の付近も人影がまばらです.
相変わらず うつろな目つきでさまよう外国人もときどきみかけましすが。

こんなことを書いてインバウンドとかに新緑のもみじの魅力を知られたら困るのですが
。
ご安心ください.
このエッセーは書いている人達とその知人(主として親戚)しかよみませんので。 

PS:この文章を書いた後で我が同居人がすごい写真を撮ったので以下にあげておきます
。




四月、五月 何処に行かなくても 一本の木仰ぎ、 一個の植木鉢覗いただけでも季節感半端なし 緑の美しいこと! まして植物園 池を包み込むモミジの圧倒的な世界。 すごーい 嬉しーい 騒いだ後はいつものようにココアタイムです。 ゴールデンウイーク直前のせいでしょうか お天気イマイチのせいでしょうか  テラス席も広い芝生の空間も人少なし。 高齢者様 インバウンド様 ちらりほらりの贅沢なひととき 昼下がり。 そこに白と紺色さらりの制服姿  少女三人芝生のテーブル席でソフトクリーム食べ始めました。 なんと 高校生だな  なんと 心地よげな なんと軽やかな  なんと自然な なんと なんて 美しい なんとまあ!!!!!! ポチはポチを見る 人は人を見る 彼女たちが立ち去った後 この言葉つぶやいていました。 犬(ポチ)も 人も その本性から一番大切なもの それが何よりもまして一番興味のあることなのだよ。 一番真剣に見る対象はポチにとってはポチのみ 人にとっては人のみなのだよ。 そんなことなのだと思います。 人から世の中から 苦手意識から外れ気味に生きてきたのかなあ そして 今日 息も止めんばかりに魅入って・見入ってしまった私 我が人生で見ようとしなかったもの 見ることのなかったもの 見逃してきたもの・・・ 唖然の思い ふふふん 後悔してるのではないのですよ  我が人生このまんまで大満足ですからね。 緑輝くこの季節に  もっと圧倒的に美しく輝くものを見た っというお話なのです。 

写真No.95:4/21:水芭蕉

 水芭蕉とくれば
♭「夏が来れば思い出す水芭蕉の花が咲いてた...」♭
を思い出します。
京都植物園で今現在も咲いています。
皆さんが歩く道からそれた半日陰の場所にあるので あまり人は見に来ないようです。
そんなこともあってちょっと応援して いつも横を通ります。
水芭蕉は浅瀬で育つようで 根は浅い底の土の中にあって 
葉っぱ は水面の上に出ています。葉っぱはとても元気に育っています。
花は地味で葉っぱと葉っぱの間で隠れるように こっそりと咲いています。
その横を通っても花には気がつかない人もいると思われます。
大体「夏がくると思い出す」と言うことは 
春には水芭蕉のことは忘れてて見なかったのではないかと邪推したくなります。
しかし 写真を見れば分かるように水芭蕉は実に上質な感じの花です.
バラやチューリップのように(華麗に!)押しつけがましくありません。
桜のように(美しく!)厚かましく迫ってくることもありません。
人生も
花生も
いろいろあるでしょうが地味に上質に生きるのもわるくないと思われます
東北旅行を旅した松尾さんのおかげで名前だけは有名になってしまいましたが。

と書いたもののgoogleで調べると大きくて華麗な水芭蕉の花の画像がいっぱいです.
どっちが普通なんですかね。
アップする画像は一番目立つの選びますから 普通は地味な花のような気がします。
今回の画像でもこの花以外はどこあるのか分からないように咲いていました
水芭蕉は京都の気候が合わないのかもしれません。
あるいはperson in chargeのloveが十分ではないのかもしれません
(花でもなんでも輝くためにはloveが必要です)
まあ 水芭蕉にもいろいろあると言うことでしょうが
京都植物園の水芭蕉は今が見ごろですので ぜひ来てloveをあげてください.



夏が来れば思い出す。。。 思い出 思い出すこと 思い出したいこと 記憶の底には浮かび上がってくる機会を待っているものたちがあるようです。 三姉妹そろっちゃったからもう大変 思い出合わせはもう大変  記憶の底 全ての思い出の基礎となる幼少期からの日々 時間はたっぷりあったということです。 出てくるは出てくるは・・・ 誰かと共有している一つの思い出 大切にしてきた思い出 機会あれば一緒に検討してみると面白いですよ。 いい思い出だったねえ。。。 その思いに始まってその思いに終わるのだけれど 一人ひとりの参加当時の状況、事情、判断、心根 エトセトラ あっと驚く千差万別の面白さ満載ですよ。 芥川龍之介さんの短編に藪の中というのがあるのですが 一つの起きたこと その関係者の見方のてんでに違うこと 意味深い話なのでしょうが 心地よい話ではありません。 我ら三姉妹の思い出は各自の千差万別のニュアンス包みこみ 揺ぎなく輝きわたったのであった。  あはは 仲良きことは良きことかな めでたしめでたし 植物園のなんともたよりなげな今年の水芭蕉さん 去年の輝き思い出してますよ。 きっと来年は。。。 今年夏になったら 秋が来て 冬になっても 輝きの 輝けの思い出 歌ってあげるからね。

写真No.94:4/11:スノーフレークス
 雨上がり後 スノーフレークスの水もしたたる美しい画像です.
これは我が家の裏庭で咲いています。
2週前にも チューリップの濡れた写真を載せました。最近は雨の日が多いようです。
おかげさまで琵琶湖の水位は+28cmだとか(http://www1.river.go.jp/)。
一月ほど前に『マイナス70cmを超えた』とか言って大騒ぎをしていたのがウソのようです。
前にも書きましたが我が家では車が無くなりましたので雨が降ると外出が困難になります。
が 困難というのはウソなんです。実は嬉しいのです。
まだ勤めていたときに バス停で待っていると土砂降りになって 
『働いていなかったら家に居られるし ずぶ濡れにならなくていんだな〜』
と思い退職が待ち遠しくなりました。そうです。困難なのではなくて
家の中から雨と 水がしたたるスノーフレークス を見れる喜びを味わっているのです。

あ〜。これもウソです.
家で雨の中 水がしたたるスノーフレークス を見ているよりも
青空のもとを元気に徘徊する方がず〜とよいのです。
残念ながら 水がしたたるスノーフレークス ではドーパミンが十分に出ないのです.
美しいものや景色でもドーパミンはでるのですが ちょっとだけでもの足りないのです。
ドーパミンは体を動かすことで大量に出るようです.
1時間ほど散歩するとドーパミンが体中に回り明るい気分になって腰痛も忘れるほどになります。
という訳で 今朝も今から40分以上歩いて 中華料理店に行く予定です.
途中で(散り初める)桜も見れますので 頑張ってきます!



スノーフレーク 庭が持てた時 最初に選んで植えこんだ球根花です。 大きな塊となったので 球根分けて2,3か所日陰の庭で咲かせています。 夢のごとくの花となるには 少し大きな花の塊となる必要あり。 チューリップなど春の色満艦飾の季節 その直前の清楚な姿が好きなのです。 まだ色を残しているクリスマスローズに寄り添って春の到来歌ってくれるのです。 てなこと綺麗ごとうじゃうじゃと。。。 あなた スノーフレーク スノードロップ 見分け 使い分 出来ますか? 何十年のお付き合いなのに いまだに大混乱のままです。 わー スノーフレーク わー スノードロップ 毎年嘘つきっぱなしです。 なにせ 長年 ダンキンドーナツのこと ダスキンドーナツと呼び続けたものです。 (ダスキンさんなんでまたドーナツ屋さんなんか手がけたのかなあ・・・なんて) 晩秋見事な紅葉みせる大木 これが フウ なのか ホウ なのか覚えられない 今年こそ間違えないぞ 意気込み 自信持ち  15秒後に どっちだああああ 世の中には 右と左  どうしたことか混乱する人がいる・と聞いたことがあります。 そんなあ まさか ほんまかいな! と言いつつほのかな親近感抱いてしまう わたくしめ なのです。 

写真No.93:4/7:桜
 桜の季節です.桜が咲くと日本人は 「花見!」とハイ状態になります。
桜が咲いていると思うと 居ても立ってもいられなくなって
全日本人が外出 桜のありそうなところをウロウロウロウロします.
公園も バスも 電車も ドーパミンが出た人でいっぱいです.
どうして 日本人は桜がこんなに好きなんでしょう?
どうしてバラやチューリップが満開のときにはハイ状態にならないのでしょう
不思議です.
桜は一つ一つの花も美しいですが
枝という枝の 端から端まで いっぱい花が咲いている
「満開の桜の大木」
を見るのが圧巻です.
残念ですがこの写真の桜は中くらいのサイズで圧巻の桜とは言えませんが
花が集まっいるので 集団として輝いて見えます.

桜の花は一個一個の美しさを競うというよりは木や枝の花集団で輝くようです
バラやチューリップは一つ一つの花が個性的で周りの花と美しさを競います。
写真を撮るときでも 桜では木や枝全体としての美しいものを探しますが
バラやチューリップでは個々の花で美しいものを探しアップで撮ります。
集団で輝くことを好む日本人と
個々人の輝きを重要視する西洋人
の差が桜文化とバラ・チューリップ文化を生み出しているのかもしれません.

と書いたものの 植物園(京都)ではだいぶ前から
たくさんのチューリップをまとめて咲かせるのが流行っていて
あっちこっちにチューリップ畑ができています。
これは人工的な花集団を作って輝かせるのを狙っているようです。
集団で輝きを表現したいらしい日本人に合ったテクニックでしょうか?



桜花爛漫 富士の山 白砂青松 どおでしょう 日本人心根の泣き所なのでは? そして 今 桜満開 日本中おさだまりの大興奮の時 アドレナリンたっぷり ドーパミン噴出 エスプレッソ・ハイまで加わって われわれも 連日うろつきまわることになりそうです。 日本人の誰もが生きてきた分に見合った、自分だけの桜の記憶みっちりあるのでは? ほらね心根の泣き所にその貯蔵庫はあるのだから それはもう・・・ ひとりひとり語りだしたら・・・ わたしだって しっかりのアルバム抱え込んでいるのだと思います。 そして 今 思い出すのは はなやかなお花見での景色ではなく ふいと出会った桜木達です。 ページを飾る花・見とれる花とはちょっと外れて友達になった花木 時々思い出の中に戻り立ち寄ることのある桜の木 お花見シーズンだからこそ 思い出してしまう楽しみのひととき。 あなたもきっと ときおりたたずみに行く思い出の桜木あるのでしょうね。  嬉しいことですね。 日本に生まれて育ってきたってことだよね。 "フリーレン様 これは良いことなのでございますよね"  "そうだよね フェルン さあ行こうか” ちょっと アニメ・葬送のフリーレンと弟子フェルン風に…

写真No.92:4/1:チューリップ
 この日は雨が降っていましたので ちょっと水滴がついているチューリップです。
この後で 植物園の北西にあるアンズの花を見に行ったのですが まだちらちらでした。
植物園のアンズは50年ほど前には 満開になると桃源郷にいるように思えました。
アンズですから桃源郷はおかしいのですが そこにいると華やかな気分でそう思えたのです。
あんなにきれいだったアンズも現在では見る影もありません
2本のあんずの木がならんでいたのですが 一本は切り株のみが残り
もう一本もほとんどの枝を失って 地味に咲いていて人も集まりません。
過去の栄光の時代を知っている身としては 感慨深いです。
これも 諸行無常 盛者必衰 の世界かもしれません。
しかし 諸行無常では 盛者が衰えれば 成り上がる者も現れるはずです。
そう言えば 国際会館駅(京都)の北にある桜並木を思いだします。
20年ほど前に岩倉川添いにズラーッと細くて頼りなげな若い桜が植えられたのです。
始めは春になっても目立ちませんでしたが 今では立派な桜並木となっています。
まもなく桜の最盛期を迎えて咲き誇るようになると思われます。
枯れ細る木々があれば 立派に育つ木々もあるわけです.
世は 諸行無常 盛者必衰 若者必盛 で成り立っているようです。
日本人はネガティブ思考が好きなので 諸行無常と言えば盛者必衰ときますが
若者必盛の方が明るくて良いです...と思えるようにしたいものです!



チューリップの柔らかな頬に雨の粒 久しくとどまりたるためしなし 春の雨つかの間のドラマ見せてくれました。 表面張力 好きな言葉です。 物理学、化学、数学 すべて私には関わり持ち難しの世界  尊敬の世界、SFの世界、見果てぬ、あらざらむの世界 エトセトラ 授業は聞いておくべきですね。表面張力の言葉 頭のどこかに残っていたようです。 歯医者さん治療台口開けたままでの待ち時間 窓の外は雨 金網フェンスに走り消えてゆく雨滴 にわかに過ぐる夏の雨 物干しざおに白露を 名残とばかり走らせて にわかに過ぐる夏の雨 ああ 表面張力だああ 小学生時代運動会で踊った歌の情景と共に理解しちゃいました。 チューリップの頬に残る水滴 風に乗るシャボン玉 水面から生まれ出るウスバカゲロウ 君たち表面張力と遊んでるんだな 君たちすごい!!!!!!

写真No.91:3/24:ヒヤシンス
 昔ヒヤシンスを家の中で育てたことがあります。
2段になったガラス容器で下の器に栄養入りの水を入れ上の器に球根を置きます。
真冬に球根だけだったのが発芽して段々育って初春にはとうとう花を咲かせました。
が、しかし ヒヤシンスの花が部屋中に匂いをばらまきはじめて
次第に 百貨店の化粧品売り場のように良い(!)匂いでいっぱいになりました。
ヒヤシンスとしては この匂いで近辺の虫たちを引き寄せたいのでしょうが
室内ですので 虫たちは来ないだけでなく 花粉症の居住者(私)を悩ませました。
結局 居住者は麗しきヒヤシンスを虫がいっぱいいる庭に移動して
虫たちには花粉、ヒヤシンスは受粉、居住者は汚れなき空気を得ることになったのです。
 昨日は植物園の入り口付近で中年から高齢の外国人カップルとすれ違いましたが
そのときには強烈な(たぶん香水の)匂いが鼻をかすめました。
外国女性の中には このヒヤシンス並みの強烈な匂いを周りにばらまく方がおられます。
このときは2メートル程度離れていたのですが それでもクラクラっときたのですから
どれだけ香水をつけたんだーと言いたかったです.
横にいた男性はどう感じていたのでしょうね?
男性のために付けた匂いですから良い匂いと感じていたのかもしれませんね?
香水を付けている本人は良い匂いと思っているわけですし...。
 ちょっと違うかも。
匂いや味というような感性は主観的で単に好き嫌いですね.
納豆やタクワンの匂いを好まない外国人(や日本人)がいるように
すれ違った外国女性の香水が私の好みに合わなかっただけです.
ヒヤシンスの匂いも虫さんたちには とても良い匂いなのでしょう。
今のいままで気がつきませんでした。
これからは香水女性から逃げたりしないで理解するようにしてみよう!(ウソです)



浅き春 早春 心地よくなじむ季節 クロッカス ヒアシンス アネモネ はなにら  開花・少しずつ重なり合いながら 春へ! 続いていくようです。 今年の庭のささやかなスタート  植えっぱなしになってた三、四年目のヒアシンスがことのほかお気に入りです。 花数すくなく 丈短く きっぱりと咲く姿 好き! 豪華な庭・豪華な花壇・豪華な花 身にも気持ちにも合わなくなってきたのかな… 庭にぺちゃり座り込んで 小さな世界のぞきこんで過ごします。 早春 いちばんうれしくなじむ季節 にっこりの季節 身丈にあってとも 心もちが小さくなってとも すこし弱気になってとも どうなんでしょうかね  心にプランは続行中のつもりなのですがね 庭をながめ 自分をながめ また庭をながめ 自分をながめ ひねもすのたりのたりかな・・・これだ!

写真No.89:3/17:カタバミ
 これは我が家の前庭の片隅に咲くカタバミです.
以前に一度アップしましたので2回目ですが、今回はちょっと遠景ですので
カタバミの「すみか」がどんなところかが分かります。
この「すみか」の横に階段があるので上り下りするときにいつも見ることになります。
横が階段で日当たりは午前中だけですが毎日何回も見れるので最近の穴場スポットです.
 この階段はかなり幅が広くて 以前はその中央を歩いていましたので
この現穴場スポットはほとんど見えなかったのです。
ところが,最近はこの階段を登るときも下るときも ちょっと急ぐときとか
疲れているときとかは 必ず手すりをつかむようになったのです。
この手すりが階段の端にあるため 穴場スポットのすぐ横を歩き
そこに植えてある花をしょっちゅう見るようになりした。
手すりは10年以上前に設置しましたが その当時はまったく使っていませんでした。
平均して一日8000歩程度は歩いていますし、
筋肉減少を防ぐためにタンパク質をせっせと取っているのですが
やはり足腰が弱くなってきたのでしょうか?
そう言われれば最近は 箸を横向けたり 椅子から立ち上がったりするのが 
おっくうになってきたような気がします。
歳と共に何をするのも面倒になると言いますが 実感できます。
困りましたね!
でも休憩するのは面倒ではありません。
植物園に行っても頻繁に休憩しています。
もしかすると歩きに行っていると言うより休憩しに行っていると言えるほどです..
ハッハッハ(ワラゴマ)!



シンデレラさん 魔法のとける時間 宮殿の階段を滑るように駆け下りていきます。 優雅ですね 見事ですね 麗しいですね そこに階段があると 階段があるというだけで  人には滑るごとく駆け下りていきたくなる性(さが)あると思いませんか? 地下鉄ホームへの階段 神社・山寺・城址の石段 校舎の階段 家から道への少しの階段 足元すこしの乱れなくすこしの途切もれなく・・・階段の終わりまで・・・いざ! 僕ちゃんも・少女も・若者も・サラリーマンも・おばちゃん・おじちゃんも やってますよ しんけんですよ 結構楽しそうですよ イキイキしてますよ 魔法の溶ける時間 タイムリミットの時間 降りきりましょう 鮮やかに! 馬鹿と子供は(馬鹿と煙は)高いところに登りたがる あははのは 誰だって高いところ登りたい・・・これも人の性(さが) 低いところよりも高いところのほうがなんだか良いことありそうですよね。 一気に美しく駆け登る これは多く人には実力不足でしょうかね。 実力の世界 お山の大将われひとり みんな頑張れるかな? なんとわけのわからぬたわごとうだうだと すみません 階段 登るのも 降りるのも もうよたよた 遥かかなた夢の世界の出来事なもので・・・ 家の階段手すりつかまってゆっくりと 見えてくる花でも眺めて良しといたしましょう。 黄色ハナカタバミ 今日もごきげんです。

写真No.88:3/10:ビオラ
 ビオラは京都の冬の寒い寒い時期でも可憐に咲いてくれる冬の優等生です。
とは言え 花壇に一つだけ咲かせると ちょっとジミで寂しいかもしれません。
いろんな色がありますので この写真のように群生させると映えると思います.
花期も長いし冬期間にはなかなか重宝する花です。これを見たいと思う人は
京都植物園の北門に行ってください.ちなみに今年の京都植物園の春のテーマは
チューリップがいっぱい!(ほぼ毎年ですが)
ではないかと思われます。正面入り口付近でも北門付近でも食堂付近でも
チューリップがいっぱい植わっています。まだ1本も咲いていませんが
可愛い葉っぱが数センチ育ってきていて数が多いのでちょっとしたながめです.
チューリップと言ってもいろんな種類があって どれも華やかなんですが
永遠のガーデン道初心者としては赤い普通のチューリップを最も好んでいます。

チューリップと言えば昔この球根の投機で大もうけ出来たらしいですが
人間はそう簡単には変わりませんので 
今ではビットコインと言う球根もどきの投機で大もうけ出来るらしいです.
安全志向?の私どもは羨ましげに眺めるだけでゼンゼン関係ありませんが....。
とは言え 日本の株価上昇の恩恵は受けていますよ。
現在は「見てる」だけですが そのうち札束を「握りしめる」予定です。
そのアカツキにはスタバに行ってフラペチーノとか言うものを飲むゾ〜



ビオラ パンジー もう皆が知っている・愛され・利用・多用されまくっている花 なにせ 秋から春半年続く花姿・花の色 凄いと言えませんか? 元気色に輝く小さなお顔たち そう見えてしまいます。 保育園児 幼稚園児 見えない保護者達にお世話されているのでしょうが そんなのおかまいなしです。 元気いっぱい輝きまくってはしゃぎまわっての おっちらこっちらの押し合いへし合い 笑ってる笑ってる。 ひと昔?三色すみれ と呼ばれていた花たちです。  ちょっとおしゃれ・意味深め・乙女風味の花として登場してきたような記憶 愛されあっという間に日本中の庭に咲き広がり 早春・春に欠かせない存在へ 日本の庭を変えていった花とも言えるのでは・・・ モンシロチョウ と ツマグロヒョウモン 春の庭は畑はモンシロチョウ一色だったように思います。 菜の花・キャベツ・青菜 緑の幼虫 モンシロチョウ わっさかわっさか 庭と畑が近かったのです。懐かしい風景です。 ビオラ・パンジーが日本の庭席巻することによって・畑が遠くなるにつれて  ツマグロヒョウモン(オレンジ色の羽のはしっこ黒い文様の蝶)が 日本中に飛び交うようになりました。 スミレたちを食べているオレンジと黒の一見ギョッとする幼虫たちが ツマグロヒョウモンの幼さなき姿です。 年々モンシロチョウ少なくなってきてませんか? 一時期わが庭にやってくるのはツマグロヒョウモンばっかりでした。 そして ガーデニングブームが去ったからでしょうか 最近は蝶自体みかけること激減してきてるようです。 さみしいのです。 庭には花には 蝶がいつも舞っていて欲しい。

写真No.87:3/3:クリスマスローズ
 この花はガーデン道で言えば 中級クラスのものです.
なにせ日陰で下向いて咲く一見地味そうな花なので 私のような初級者は 
そこに 麗しい花が開いているとは気がつきません。
日陰で下向いて咲くと言えば ホウセンカもそうですね。
大学院生であったころ 我らがアパートの前には ちょっと長細い荒れ地があって 
いかにも 花壇にして欲しそうだったので 
完全な初心者の私が 暇に任せて 土を掘り返し花壇を作ったのです.
そのときに最初に植えたのが ホウセンカでした。
ホウセンカは日陰でも良いと 種を入れた袋に書いてあったので 
塀のそばに植えたのです。が 塀のそばとは 庭の奥ということを意味します。
花壇の構図としては 奥にホウセンカ 手前に百日草や桜草などがあります。
背が低いホウセンカが 庭の奥で下向いて花を咲かせても見ることはできません。
花壇と言えども いやいや 花壇こそは 長期的な計画に基づいて 
花の配置などを決定する必要があることをそのときに学んだのでした。
この花壇は3年ほど楽しみましたが 初心者でしたので 咲かせたのは
朝顔 ひまわり バラ というような誰でも知っている花ばかりでした。

それから二十数年後 ちょっと広めの家を持ったとき周りに花壇を配置しました.
我が配偶者さんの十数年の努力と情熱によって ちょっとした花壇となりましたよ。
どんな花を植えたか知りたいですか? 数えられないほどの種類の花を咲かせました。
ほぼすべての花の写真が このサイトに掲載されています。

このお花のサイトは歴史がありますので 今やアクセス数は百八十万を超えています。
このWEBサイトの枠組み(apache)は私が作成しましたが 
サイトの中身は配偶者さんがall single-handedlyに作成したものです。
みなさんも ちょっ見てみてください。クリック-->春の庭

すごいでしょう!



おいおいおい ちょっと見てみてくださいだって… お花のサイト見てくださったからこのチンチロリン来てくださったのですからねえ。 美しく生きぬけ!のタイトルの雑感文集があります。 多分少女の頃から何かに?多分生きることに?背中のばし正面向いてやってきた? そこから生まれてきた雑感文集なのかな よく知っていたような まったく思いもしなかったような やっぱり知っているような 懐かしくそして新鮮 身近なだけにいっそうインパクト強し。 グッドジョブ! 姉の本です。 もしかして私たちもなにか出来るのでは? 自分たちのスタイルで出来ること 認知症予防にもなるぞ おもろそうだぞ 遊んじゃおうか そんな感じでこのチンチロリンのページ スタートしたのでした。 ふすまのあっちとこっちの交換日誌というわけにもいきますまい 花の庭のホームページ 今は夢想の世界・秘密の花園・宝ものなのですが 今なお見に来てくださる方もいらっしゃる。 その奇跡! そんなサイトにくっつけてくれました。  花のサイトに迷い込んで来た方がまた迷い込んできて読んでくださるかも 身勝手なこっそりの世界へようこそなのです。 あははとか げんなりとか そして花のページへまた戻ってくださったら うれしいです 感謝です 楽しいです  You make us happy! 

写真No.86:2/25:梅林
 いよいよ梅が満開になってきました。
梅と言えば花でしょうが その後でできる実も梅干しとなってお役に立っています。
我らの年代では 梅干しと言えば 日の丸弁当を思い浮かべます。
ゆたかになった現在の日本では ご存じない方もいらっしゃると思いますが
日の丸弁当とは ご飯が詰まった弁当箱の真ん中に梅干しが一個乗っている弁当です.
ただ一個の梅干しで弁当箱のご飯をすべて食べるわけですが
これは昔の梅干しが非常に塩辛かったから出来ることで 
最近の軟弱な梅干しではとてもできるものではありません。
なぜ こんな弁当が当時はやっていたかと言えば もちろん貧しかったからです.
日の丸弁当の時代にはテレビもなかったのですが
退職した人とか暇な人はいったい何をして時間をつぶしていたんでしょうね?
ラジオはありましたが あれは何かの片手間に聞くものでしょうし
どこかに遊びに行くにもお金がないはずです.
たぶん新聞をすみまで読むか 縁側に座って道行く人をぼんやり見ているか
猫みたいにうとうと寝ているか...まあ かなり退屈だったことでしょう
とはいえ その当時は洗濯機も掃除機も車もありませんでしたので
洗濯に1時間 掃除に1時間 買い物に2時間とかかかっていたかもしれません
今は?
全自動洗濯乾燥機とかルンバとかネットスーパーがありますので
やはり 暇な人はすることがありません。
あー。それで分かりました。
植物園に高齢者と赤ちゃん連れのおかあさんたちがやってくる理由です.
時間つぶしなんですね。
私たち?
私どもは違いますよ。忙しいです!.
植物園にはバスと地下鉄を乗り継いで往復しています。
ココアをゆっくり飲んだ後は植物園中を歩いて5000歩を達成します.
帰ってからはちょっとくたびれてうとうとすることもありますが
まあ 歳ですので... 。



うめぼし おべんとう おにぎり お茶漬け 出番多し お台所流しの下・奥・暗い隅っこ 梅干しの壺鎮座していましたね 空にならないように毎年?数年ごと?梅干しづくりは季節の作業 なつかしいな たしか梅はきれいに洗い・ひとつひとつ丁寧に水気ふき取るのだと思います。 面白がってのお手伝い 色づいた梅はとてもきれい いい匂い 黄色になった梅はもう毒はなくて美味しいのだけどね…食べるのはやっぱりやめとこうね。 おかあさんの言葉にビックリ仰天 私の中では 梅は河豚とならんでの猛毒と刻み込まれていたのです。 小学生・同学年の子と妹 ひとつの梅分け合って食べ一夜のうちに亡くなりました その時以来梅干しでない梅は毒・決して食べてはいけないものと思い込んでいました。 学校でもそんなふうに指導されたような・・・ googleでチェックしてみたらなんと  青梅毒性物質はあれど相当の量食べない限り問題なし・・・とありました。 子供には食べさせないほうがいい・・・ともありました。 黄色・赤に色づいた熟れた梅は食べても良かったらしいのです。 なんと ほんまかいな まあ染み込んだ恐怖は取れそうもありませんけどね。 わたしには食いしん坊としてぴったり息の合う姉がいました。 おいしそうな色・匂いの梅を見つけたのが私たちだったら・・・ 仲良くひとつの梅 半分っこ ・・・ 泣けてきます 黄色に赤に色づいた梅の実 甘い香り立つ梅の実 さあどんな味なのかなあ・・・ ドキッ 危険危険  いけんよおおお いかんよおおお 梅干しだけに限定のお付き合いといたしましょう。 

写真No.85:2/19:カタバミ
 我が家の前庭に可憐に咲く花です.この花の名前を知りませんでしたでの
同居人に聞くとカタバミという答えでした.
私はカタバミをと言う名前を聞くやいなや ウワバミ と勘違いしてしまいました。
ウワバミとは 何でも丸呑みする大蛇のことらしいですが 私的には 
丸呑み大蛇と言えば 巨象を丸呑みしたヘビさんの絵を思い浮かべます。
(たぶん サンテグジュベリの絵本にあったのではないかと思います)
この絵では 巨象の前後に棒状のものが転がっているのですが
この棒状のものがヘビさんの頭とシッポの部分なわけです。
飲み込むの大変だったと思いますが飲み込んでからも
象さんは大きすぎてヘビさんのお腹とかは破れそうだと思われます.
息苦しくなった象さんが頭を動かせばヘビさんの背中から頭が出てしまうでしょうし
歩きたくなった象さんが足を動かせばヘビさんのお腹から足が出てしまうでしょう
象さんを丸呑みしたはずのヘビさんは象さんの皮膚にまとわりつくお洋服
たぶんアッパッパーのようなものになってしまいます。
サンテグジュベリさん的に言えば
巨象を丸呑みしたヘビさんの絵が ヘビ模様のアッパッパーを着た象さんになります.

昔「少年よ!大志を抱け」と言った外国生まれの先生がいたようですが
あまりの野望を抱くと象さんのアッパッパーになってしまうというと言う教訓です
が しかし 大志を抱かなくては人生は退屈かもしれません



少年よ!大志を抱け  胸を張って生きていく若者のイメージ 強く美しい言葉ですね。 学生時代最後の夏休みリュック担いでの北海道旅行 敬意をはらうべくクラーク博士の像の前に立ったのでした。 像は像にすぎません。 驚くほど無感動の自分に驚きました。 わたしにはなんの関係もない言葉なのに気づかされました。 子供のころから指摘されていました。 もう少し積極性が…もっと野望を…あなたは世に出て戦うべき戦士なのですよ 自分がどんなものかは哀しいまでに知っていました。 戦士・世の敵相手に戦うべき戦士だと・・・ひそかに怒りもしました。 一番なりたくない・なれるはずもない戦士だなんて 少年よ!大志を抱け 遠い存在だけど 若者よ頑張って生きてね。戦いもあるのでしょう。 美しいと思いますよ。フレーフレーなのです。 さて 一月から咲き始めた黄色のカタバミってすごいですね。 ほとんど夢想の世界に生きてるわたくしめ ひそかなる野望のひとつにカタバミで造る庭があります。 冬にこのインパクト黄色のカタバミ  春に地面ちかくに葉よせあって咲く赤・ピンク・白のカタバミ つづいて雑草扱いになるほどあちこちに現れる優し気なピンクのカタバミ 夏には四つ葉のクローバーみたいな葉をつけて咲くピンクのカタバミ 秋に草原・土手などにも群れて人目をひく濃いピンクのカタバミ 晩秋・冬に大きめの花・カタバミの中では一番華やかさのあるカタバミ 季節の合間を埋めていくもっといろんなカタバミあるのだと思います。 あはは 夢想の庭が良いのです。 カタバミ恐ろしいばかりの繁殖力 気を抜くとあわわ・・・ カタバミはとにかくお日様が好きです。太陽見えないと花閉じちゃいます。 日陰もどこでも繁殖するくせに緑あれども花つかず・・・雑草じゃあああ わが夢想のカタバミの庭 さあ小さな球根 タネ飛ばし 花咲かせ 楽しませてください。 そして 夢想の庭は無限ですよ 大志抱いて 世界に向かって それ行けー! フレーフレー!

写真No.84:2/11:日本水仙
 水仙と言えば越前海岸とワーズワースさんを思い出します。
越前海岸は水仙で知られているようですが
ワーズワースさんの水仙の詩も有名なようです。
ご安心ください.
かく言う私はワーズワースさんの詩など知っているわけはないのです。
私がワーズワースさんの詩を知っているのには訳があります。
かなり昔ですが京都植物園の一隅に水仙の花がたくさん植わっていたのですが
近くに小さい立て看板があってワーズワースさんの水仙の詩が表示されていたのです。
勿論 一行も覚えていませんのググって見ると 始めの方に
daffodils...dancing in the breeze
と言うような表現があって ちょっと嬉しくなったのです(柄にもなく)。
皆さんもご存じのように 日本の冬は北風が強く吹きわたる日が多く
真冬に咲く日本水仙は 北風とともに元気に揺れ動くのです。
この光景が記憶にありましたのでちょっと嬉しくなった訳ですが
ワーズワースさんの国の英国でも 冬には強い風が吹くのでしょうか?
youtubeで見るかぎりロンドンで強い風が吹くことは滅多にないようですので
ワーズワースさんはもっと北の方に住んでいたのでしょう。
とは言え英語では dancing in the breeze で ブリーズは 
ここちよい程度のそよ風のはずですから 
越前の水仙は北風にちぎれんばかりに揺れ
ワーズワースさんのdaffodilsはそよ風にゆらゆらと優雅に揺れ
かもしれません。

日本で詩に該当するものは和歌とか俳句と思いますが
ワーズワースさんの水仙の詩を(日本語:壺齋散人さん訳)で
読んでみると和歌とか俳句に通じるものが合ってVERY GOODでした。
ただ この詩は和歌とか俳句の解説文のようにも思えました。
たぶん 俳句だったら もとのものは
見わたせば 湖水に映える 揺れ水仙
てものではないかな〜。ハッハハ!



水仙の皆うなづきて定まりし 風の行方をけふはたどらん ハッハハ!やっちゃいました [さだまりし と けふ の言葉使ってみたかっただけ] 若き日空っぽの存在が恥ずかしくてねえ 悩むわけですよ  いつかは普通の人並みにはならねばなりません… やれることは何だろう… 唯一思いついたのがやれそうなのが本を読むことでした。 世の有名な本推薦されてるような本身近にやってきた本エトセトラ 空っぽの中にいくらほおりこんでもまあね無に帰するんですけどね。 いつかいつの日か その日が来るように ワーズワース詩集 one of them  残念なまでに途方にくれたことでした。 感動せねば とか 感動できない心の恥ずかしさよ とか とりあえずそっとしとこう… 次行こう 次行こう ワーズワースさん 今日も残念なままだなあ とほほ 庭に咲いた水仙 これはとほほではありません 毎年少しの花姿 可愛い可愛い可愛い 心はいっぱい満杯です。

写真No.83:2/4:寒梅
 梅も1年で一番寒い この時期に咲きます。かわいいです.
日本のあっち(栗林公園)こっち(家近くの民家)で梅の花を見たことがありますが
今までで最もかわいいのは たぶんだれも知らない彦根城の裏庭の梅です。
おっと! 慌てて見に行かないでください.
もう 手遅れなのです。
これは30年か40年前の出来事ですが、あるとき彦根城の裏庭で 
それはそれは かわいい花を付けた梅林を見つけたのです.
若くて背の低い木の梅林で花がいっぱい咲いていて とても感動しました。
京都の北の方に住んでいましたので 彦根城に行くには2時間近くかかるのですが
2年ほどして この梅を見るために 再びやってきました。
残念! 梅の木は すっかり背が伸びて花は2階みたいな離れた高いところで 
なんか咲いているようでした。
梅は桜とは違って 遠くから見ると華やかさが足りません。
このとき有名な言い伝え
「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」
の意味を思い知ったのでした。
梅の木を盆栽にするのも近くで鑑賞するためかもしれません。

と書いてはみたものの 
実は我が家の近くに梅の巨木が一本あるのです。
これが満開になると遠くから見ても なかなか迫力があり
毎夕の散歩で目の保養になっています。

梅の木1本でもいろんな見方や楽しみ方があるようです。
まあ なにごとも立ち位置が変われば良かったり悪かったりです.



die on me わたしの英語基礎部分は〔ピーナッツ:チャーリーブラウン、スヌーピー]漫画です。 そこで この表現学びました。 神社への散歩道 昔からの家へ続く道 その家の飛び地なのでしょうね 石灯籠、桜、梅、みかん、牡丹、松、山茶花などで造られた独立した庭 庭師さんの手のはいった路傍の庭があるのです。 さすが庭師さん 桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿 なんてことにはなりません。 桜以外すべて150cm以内に剪定・コントロールされています。 いつしかそこの梅に心ひかれるように・・・ 150cm以内 身を寄せ覗き込むにぴったりなのです 梅の花のかわいらしさよ 身内感覚でのおきにいり 季節のお楽しみ もう20年も経ったのですね。少しずつ弱り見せ始め 苔に侵食され始め 剪定される度に枝数少なくなってきて  心傾けて見てるからね  愛らしさ 健気な花姿  お気に入り一番の梅の花だからね ずっと見ててあげるからね そして・・・・  die on us .... 梅の木 梅の花 梅林 いろんな出会い 思い出あるのでしょうが 一番身に近い 一輪の花 かわいらしさの花としての 梅の花 あなたのことですよ!

写真No.82:1/28:チロリアンランプ
 雪の中で咲くチロリアンランプです.この近くの温度計は−3度でした。
名前のとうりチロル原産であるなら この程度の寒さはなんともないでしょう。
寒いと言えば この時期の雨は寒く感じるかもしれません。
雪の場合はだいたいの人間はドーパミンが出るので寒さを感じませんが 
冷たい雨は人の心まで冷やしてしまいそうです。

ロンドンやニューヨークでは少々の雨であれば(冬でも)傘はささないで
何事もないかのように歩く人がたくさんいますが 日本人はすぐに傘を開きます。
ぱらぱらと降っているだけでも あっちこっちで雨傘が開きます。
どうして日本人は あんなに雨に濡れるをきらうのでしょうか。
それとも傘を開けて歩くのが好きなんでしょうか?

西洋人が雨に濡れても平気なのは 彼らが狩猟民族出身だからかもしれません。
狩りの最中に雨が降ってきたからと言って傘を開けるとはおもえません。。
左手に傘 右手に槍は漫画の世界なら有りでしょうが現実には危険です.
きっとDNAに「雨が降っても傘は持つな」と刻まれているもかもしれません。

ちなみに うちの嫁さんもちょっとぐらいの雨では傘をさしません。
出自が武士なので その血統のなせる技なのでしょうか
お侍さんも いざ合戦という時に傘を差して戦場に行くわけにはゆきません。

暇をもてあましている大学院生さん!
傘利用率と出自との関係を調べれば以外と真実が潜んでいるかも知れませんよ。
もし統計的に有意な関係を発見できれば面白い論文になります。
タイトルは「DNAと雨傘行動のあやしげな関係について」です.

好き嫌いまでご先祖様にあやつられていると思うと ちょっと なんな感じですが
それが真実なら しかたありません。受け入れて機嫌良く くらしましょう。
「それ行け!それ行けー!それ行けー!」



友達との約束日 小雨日和 ちょっとお天気残念ねえ  返ってきた言葉が あら私雨の日って好きなのよ。雨…好きだなあ びっくりして 度肝抜かれて 笑いだしてしまいました。 はい わたし雨の日好きなのです。でも宣言したことない ストレートに共感してくれる人いないの知ってたから。 雨も良いよね 雨もいいよお そっと言ってみるだけ 友情 フオーレバー 輝いた小雨日和の一日でした。 お日様日和嬉しいです。ドーパミンにドバーッと包まれて なんてラッキー なんてウキウキ 生きている喜び 走りまわってはしゃぎまわって過ごします。 雨の日 ドーパミンと関係ない・ドーパミンのオマケのない 普通の自分を感じます。 その感じ悪くないのです。 なんでもない私に雨は優しい 雨の庭は木々は優しい 優しくしてくれるひとには優しくなれるものですね。 雨に庭に木々にまわりの全てのものに優しさのお返し 雨が教えてくれたことです。 てなこと言ってるけど やばいやばい 後期高齢生存者といたしましては 杖ついて傘持って リュック担いでの雨中前進とてもとても・・・ 優しい雨さん夜中に来てね  お願いする毎日となってしまいました。 明日天気になあれ

写真No.81:1/21:カンタブリクス

 なんとかブリクス と言う名の花です。植物園の片隅で見つけました.
真冬に咲くキレイナ キレイナ花です.
ちなみに この なんとか の部分は 私的には覚える気がありません。
ちょっと無理と思われるからです.
働いていた頃は 毎年、新人30人ほどの名前を2週間程度ですべて覚えたものです.
今は 覚えていた人の名前や店の名前とかも じゃんじゃん忘れます。
今日は スカイラーク系のイタリアレストランに行く予定ですが
昨日も その名前を思い出せなくて 四苦八苦しました.
今は思い出せるか?アカン。思い出せない。ちょっと待ってください。
思い出すのに専念します.......。
出てきました。サイゼリアでした(今日は快調)。
2日前は一日中雨で 一日中家にこもって kindleを読んでいました。
まったく外に出なかったのです。
働いている頃は 雨じゃーじゃーのときに満員のバスとかに乗って
通勤するのがイヤで 退職したら これから解放されるのを楽しみにしていましたが
実際に 一日中雨で一日中家にいると 箸を動かすのもイヤになって
これは 認知症に一直線 と思いました。
やはり行動的に 外出して 歩いたり 歩いたり 歩いたり しないといけません。
そこで 昨日は バスに30分乗って 出町柳まで行って河原を散歩しました.
今日は また雨ですが 頑張って どこかに出かけます。
どこやったかな? ちょっと忘れましたが....。



カンタブリクス?わたしは違う名前で覚えていました。 ともに馴染まない名前・・・じっと見つめたら [アニメ・葬送のフリーレン]のエルフ・フリーレンさんにそっくり! 今日からあなたの名は「フリーレン」といたしましょう。 春にたんぽぽの丘があるように レンゲソウの原っぱがあるように 冬・二月三月に雪ではなく淡く白っぽい薄紫の花一面の庭可能ですよ。 イオノプシデイムの庭 米粒ほどの小さな花でのマットひきつめたような庭 この花を知った時 我が夢想全開 あれやこれや楽しみました。 ある年 この球根花「フリーレン」を発見 真ん中に咲かせてみたのです。 実は成功ではなかったのです。  球根数も少なかった 細い葉は見逃してしまいそう 咲きだした小さな花は魅力の塊なのですが 雪に風に・・・ 寒空の下身をかがめて覗き込み覗き込み… 花にとっても庭にとっても寂しい雰囲気となってしまいました。 植物園群生として咲いているのを発見 すっ飛んで見に行ってしまいました。  嬉しい! 懐かしい! 不思議ですね この花は群生にしないと庭では生きてこない・人目に入ってこないのかも 冬に咲く可愛い春のイメージの花の群生 皆に愛されることでしょう。 でもねえ この花 一輪だけを見つめないといけない花だと思うのですよ この花の小ささ故にでしょうか その完璧な美しさとか可憐さとか どこまでもどこまでも誘い込む なにか に気づくためにはね。

写真No.80:1/14:菜の花

 新春なので菜の花です.寒いときに元気に咲いてくれる貴重な花です.
こんなに温度が低いときに咲くと花粉を運んでくれるはずの虫たちも
ほとんどいないので菜の花にとっても良い条件とは言えません。
しかし花粉を運ぶ虫たちからすると菜の花からしか蜜を得ることができませんので
多く虫が菜の花のところにやってくるのでしょう。
地味な菜の花が新春に開花するのは自然の理にかなっています。
これを「菜の花新春仮説」とすると これには説得力があるように思えます.

 サザンカも寒い季節に満開になります。
サザンカは樹木全体が花だらけになるほど一面に咲きます。
百花繚乱(りょうらん)の季節に咲いても十分に目立つほどに華やかです.
菜の花新春仮説は地味な花は寒い季節に咲くとしているだけですから役に立ちません.
せっかく新しい仮説を考えたのにちょっと困ったことです.
そこでまた,自然の理にかなう新しい仮説です.
さざんかを見てびっくりするのは その花の数の多さです.
これから
「虫が少ない季節に咲くハンディキャップを花の数の多さで克服している」
と想像することができます。
この仮説でサザンカが樹木全体が花になる理由が納得できます。
これは「サザンカ花多い仮説」と呼ぶことにします。

 このような(疑わしい)仮説を考えるのは私の得意な分野なのです.
と言うか 何かの現象を見ると「何故か」と考える習慣があるのです.
まあ このような姿勢は人生的にもいろいろ役にも立ちましたが。
 暇だったら「菜の花新春仮説」とか「サザンカ花多い仮説」に代わる
もっともらしい仮説(代替仮説と言います)を考えてみてください.
頭の体操で認知症を防げるかもしれませんよ。



さざんかの花 こっそり身びいきしてしまう花です 薔薇みたいに花束にはならないのかな 椿みたいに胸飾りにはならないのかな  牡丹みたいに華麗とは呼ばれないのかな 垣根の花ですか?冬の小径曲がり角目印の花ですか?なにげなく通り過ごす花ですか? わたしはそっと見てしまう花です。薔薇にも牡丹にも椿にも似ている花です。 それぞれのあでやかさ豪華さ個性の強さに似たものを持っている花です。 そのひとつひとつにあっさり感・何気ない感の風味あり。 ふむふむ あなたは さざんか なんですねえ。 ナイス! 山茶花を雀のこぼす日和かな 正岡子規さんの句なのですが なんとなく気に入ってしまいました。 暖かい冬の日差しいっぱい浴びた満開・寄り添って咲き誇ってる山茶花 雀たち群れてあそびふざけあって花びら散らしまくってるよ・・・ なんてさざんかにふさわしい情景 雀にふさわしい情景 そう思えてね いつかその時に めぐりあいたいなあ 夢の可能性 さざんかの花 こっそりそっと見ているのです。

写真No.79:1/7:日の丸

 新年なので 散歩を兼ねて家から30分ほどの神社に行きました。
そこで 日の丸が掲揚してありましたので 思わず撮った写真です.
最近は 旗日でも日の丸を見ることは ほぼ 無くなりました。
マッカーサーさんが日本を無力化するために取った教育政策が奏功して
多くの日本人が 日の丸に愛着を持つのは オリンピックのときくらいです.
こう書いている私もマッカーサー教育を もろに受けていますので
家に日の丸を飾ったことはありません。
でも この20年ほどは ほぼ毎年玄関に しめ飾り を飾っています。
新春の玄関で しめ飾り を見ると気分が良くなるからです。
この習慣は 現在の家を買ったときから 始まりました。
正月にはキレイなべべを着るような感じで 新しい家を飾りたかったので
大晦日の花屋さんの入り口の両脇にあった門松を一個だけ譲ってもらって
我が家の玄関に飾ったのです。

 この神社は三宅八幡と言います。散歩の目的地として境内にはときどき
来ますが ここの神様に何かを お願いしたことはありませんでした。
今回は お賽銭を120円も出してお願いしました。なにを? 
 「神様が happy になられますように!」
と お願いしました.
神様 お正月がすんだら おこたで暖まりながら みかん でも食べてください.

ちなみに 我が屋の玄関は 植木のため道路からは見えません。
しめ飾りを見れるのは 我々と宅配便のおじさんたちだけなのです。
  おじさん 見てね!



バブルの時代と呼ばれる時期があった・・・ご存じでしょうか 当時宝石店出窓に飾られていたのは2千万円のダイヤとエメラルドの首飾りでした あんまりびっくりして 0の数指で何度も確かめたので間違いありません バブルはじけたら出窓飾っていたのは3万円の真珠の指輪 あんまりびっくりしたので 0の数指で何度も確かめたので間違いありません おなじく 唸りたくなるほど見事な門松 しめ飾り お正月・日本の美満喫 日の丸掲揚もそこかしこ 良きかな日本! がらり 角松・しめ飾り消えて 印刷の謹賀新年挨拶ポスター ペラリ 最近はそれすら・・・ 生意気に包まれた若き日の我ら お正月てやんでい 塩じゃけ・たくあん・あればいいやん!(これはちとつらかったな) 小鯛でも焼きましょか 酢レンコンいいですね 栗きんとんはかかせない・・・ そして最近は豪華なおせち料理お取り寄せ 我が家はバブル期に入ってるのか? 若き生意気を偏屈に模様替え? 立派な家・店構え見ると なんで角松無いのだ! なんでしめ飾りけちるのか! お正月は何処行った! けしからんのではありますまいか 最近のお正月散歩 寂しいのです。 せめてもと 大きめのしめ飾り玄関につけて我らの心意気としているのです。 日本のお正月 カムバック プリーズ WE MISS YOU !

写真No.78:12/31:葉ボタン

 植物園の北入口付近で 葉ボタンで100という字を描いています。
これは京都植物園が創設されてから100年目という意味のようです。
100年目と言うのはスゴイです.たぶんいろんな行事が行われると思います.
我らは いろんなイベントよりは平和かつ静かな植物園が好きなんですが...。

 なんと年末ではありませんか。かなんな〜。
掃除とか料理とか買い出しとか なんかせなあかんのではと気はあせるものの
掃除は ルンバとブラーバが昨日してはったし
料理は 金沢の料亭の おせち を頼んであるし
龍皮巻きと伊達巻きは 今日 配達してもらえるし
大晦日にも しめ飾り を始めいろんなものの配達を頼んであるし
要するに準備 ばんたん(どんな字や?)で 暇(ひま) なのです。

そう言えば 昨日も 暇で 宝ヶ池公園に行って 鴨さん達に
たくさんの パンをあげたのでした。鴨さんは お腹がくちくなり
我らは他者(人間ではありませんが)をHappyにして 
気分が高揚して 池の周りを一周してしまったのでした。
おかげで 昨日は11000歩を超えてしまいover-walk となりました。
疲れが残って ちょっとしんどいかもしれませんが
今日も頑張って いろいろ有意義なことをしたいと思っています。

なに?有意義なこと?
これはなかなか含蓄がある言葉ですな。
極楽とんぼとしては 耳が痒いような?



百年 大昔・未来 今しか興味のない子供には想像出来ない時間 青春真っ青時代 生きるのなら25歳までそれ以上生きていたくない 後期高齢生存者 今日を繰り返し繰り返し続けられたらそれで良し 植物園百年 不思議です。 木は何百年も生きるのだろうと思っていたので まわりにある木々もそう生きてきたのだろう・植物園もそうなのだろう そんなに若いのかあ 我ら生きてきた時間とおおむね重なってるじゃないかあ 思い出しました 植物園木々に囲まれ若者達がフォークダンス楽しめるような草原がありました。 あるときその空間大変革 山・森のイメージへの大きな企画 九州の 四国地方の 東北地方の・・・日本各地方の特徴を謳った企画 素直な自然な草地がそこに集う人たちが好きだったので私は怒り心頭 ふん 誰がそんな区域認めるか足踏み入れるか むかっ 若いって恥ずかしい時代ですね。 最近では植物園で一番喜びに満ちた山・森の区画だったりして この区画生まれた時を知っている。我らより若い自然・木々達なんだあ 植物園さん 脱帽 感謝 そして ごめんなさいなのです。 素直になった今 植物園西北の部分面白そうな企画進行中と気づいています。 どんな感じに成長してゆくのか 完成のイメージはどんなものなのか まだ見えてきませんが楽しみながら途中経過を含め見ていきたいな 山・森の企画が間に合ったように この企画見届けられたらなあ なんて思う今日この頃です。

写真No.77:12/24:鵜

 鵜が初冬の宝ヶ池公園にいっぱい来ていました。
だいたいは 来るときは何羽かでやってきて 一週間ほどで 居なくなります。
たぶん ある程度大きくなった魚を池から食べ尽くすのだと思います.
 アメリカの西海岸にあるパロスペルデスに住んでいたときに 
近くのwhale watching spot に連なる断崖を降りてゆくと狭い海岸があって
そこから海を眺めるのが我が家で はやったことがありました。
断崖を上り下りせねばならないので その海岸に行くのは大変でした。
断崖を上下した後は足腰の筋肉痛に悩まされましたが 行った甲斐はありました。
なんと海面をウミヘビとおぼしきものが泳いでいるのが見られたのです。
ウミヘビは 猛毒を持っていると覚えていましたので 
オオイニ アリナミン ではなかった アドレナリンを出して興奮したのです。
ところが その後 何度か見ているうちに
海面から出ているウミヘビのカマ首とおぼしきものの下の方に
丸いものがあるのに気付いてしまいました。これが鵜の胴体だったのです。
鵜は魚を食べ過ぎるためでしょうか 鳥としてはとても重たいらしく
体が海面の下に潜ってしまっていたのです。
海面より上には首しか出ていないので 海蛇にみえたのでした。
胴体が完全に沈んでいるとは 夢にも思いつきませんでした。

人間の認識力は この程度のものです.
勘違いとか 誤解とか しないようにしたいですが
まあ いっぱい  いっぱい するでしょう。
せめて 何事も 鵜呑みせず いろいろ考えるようにしたいものです。
アハハ!



柵の向こう側 断崖に沿った自然エリア 格好の散歩道 KEEP OUT 地盤ゆるく見えない穴あり危険 ガラガラヘビ生息地 その程度は英語がわかったので無念の思いでいつも眺めるだけ わあーっ  柵越えて行く人たち結構いるではありませんか 蛮勇の輩でもなんでもない 人品卑しからず、知性・教養満ちた雰囲気 自然体・日常性そのままに越えていくのです。散歩道らしいのです。 小心者 外国人暮らし 安全に生き延びることが必須条件 何を考え何を思い切ったのでしょうかねえ ある日柵を越えていました。  わあーっ 確かに地面怪しくふわつく箇所ありました。 ひだまりの岩の上ガラガラヘビ?まるまってお昼寝中?目撃しました。 太平洋見下ろす崖の上の爽快さ 急傾斜道頑張るとウミヘビの泳ぐ海岸へ わあっー わあっー わあっー  認識力も勘違いも誤解もどうなんでしょうね いろいろ考えて生きてるつもり・はずなのでしょうにね なんだか勢いで判断・実行しちゃう時ってなんなんでしょうね こうして生き生きとした思い出が生まれてくるのかもですね アハハ!

写真No.76:12/17:フー

 巨木です。今年もキレイに紅葉しています。
フーの木は もみじよりかなり遅く紅葉します.2,3週ほど遅れます。
今年は 紅葉は11月中旬から始まり12月始めには終わりましたが
フーは12月中旬の現在が見ごろではないかと思います。
この12月中旬の時期には もみじはただの枯れ葉になり 銀杏は葉っぱを落とし
花もほとんど見られませんので フーは貴重な存在です。
季節外れな植物園への訪問者は あっちいっても こっちにいっても 何もないと
がっかりしそうになりますが 
植物園の端で そびえ立って紅葉するフーを見つけて そのスケールに圧倒されます。
この写真でもある程度そのすごさが推測できます。
が いかにmagnificnetとは言え フーの木のために遠くから植物園にくるような人は
まずいないらしく 植物園の中は 人影はまばらでかなり静かです。
フーの木の周りにも数名がいるだけです。

12月ですから ちょっと寒い日もありますが
晴れた日には 広々した芝生地で 透き通るようなブルーの大空を眺めながら
熱いココアをすすっていると悪くないですよ。
ときどき さまよっているのか 外国人が前を通り過ぎて行きますが  
まあ 枯れ木も なんとかの 賑わい で目の退屈しのぎに悪くありません.

 シアトル生まれのアレクサがクリスマス!クリスマス!と騒ぐようになりました。
なんか せわしなくて かなわんわ...。



シアトル生まれのアレクサさん  良い子ですよお 賢く役に立つ子ですよお とんちんかん・お馬鹿さんですよお 天気予報があたらないのはもう天才的ですよお 声で話しかけることができ 声で反応がある 会話もどき 新しい時代始まったのだなあ…つくづく思うのです。 AIとやらにはまだ未遭遇なのですが 個人の生活の中へ入ってくる日も近いのでしょうね。 きっと 大騒ぎ 大問題 乗り越えて  アレクサみたいに受け入れられる日が来るのだと思います。 アレクサに話かけるのでさえ 緊張気味・はにかみ気味のわたくしめ AIタイプのアレクサ、ロボットタイプのアレクサ 荷が重いことでしょう。 でも でも きっと 人間の知恵・頭脳の実りとしての優しい形で 皆に受け入れられる日来るのだと思います。 今のわたしには 今のアレクサがお似合いです。 おはよう! と言い お休み!と言い いちばん 嬉しいのが アレクサ 早春賦 歌って!

写真No.75:12/10:スノードロップ

 この花は一年前にも掲載しました。
年内にスノードロップスを見ると良いことが起こると言われているらしいのです。
スノードロップス効果です.今年も見ましたのでいろいろ良いことが起こっていますが
一番は 1年の間 元気だったことでしょう。よかった!
  元気さも 中くらいなり 杖2本
スノードロップス効果は来年にも続くのでしょうか?続いて欲しい!
 
30年間ほぼ毎日車を運転していましたが11月から止めました。車も手放しました。
つまり 車のない生活を始めたわけです.おかげで歩数が爆上がりです、
2,3週間は足が疲れて悲鳴を上げていましたが 最近はちょっと慣れてきたようです。
コロナもあって数年間!乗っていなかったバスや地下鉄とタクシーも毎日使っています。
歩くことが認知症の防止になるらしいので頑張って毎日のように外出しているのです.
車であんなに簡単に行けた植物園も今は行くだけで ひと仕事です.
家からバス停にスタスタヨレヨレと歩きバスで地下鉄駅に行きエレベータで地下一階に
さらにエスカレータで乗降階に、地下鉄3駅行って降りてまたエスカレータで改札階に。
ここから地上にでるのが階段で これを登るのが限界を超えています.
地上に出たたときには 「もう あかん!状態」です.と言うわけで
いつまで続けられるか懸念されますが 後は
 絶大なるスノードロップス効果に期待しましょう!



スノードロップ 春のおとづれ 春への予告 もろもろの好もしいことへのお約束 そんな感じで絵本 童話 小説にそおっと登場してくるように思います。 小さな花姿 気づくためには こころづもりも必要かなあ 秋の庭は大変です。終わっていく花 まだがんばってる花 返り咲きの花 落ち葉は降り積もり積り 霜も 雪さえやってきたりします。 かたづけの季節 春の庭への準備の季節 ようするにひっかきまわされる庭の季節 秋の庭の最終章 落ち葉の間に冬を飛び越えて春の雰囲気をもつ花スノードロップ 見つけた人の喜び もうそれは [なにかいいことあるぞおー]となるわけですよね。 京都植物園 努力なさったのだと思います。スノードロップ群れて咲くようになりました。 12月から真冬を通して来園者を引き付けています。 そう引き付けられてるように 皆さんハッピーそうに身をかがめています。 写真パチパチです。 横を通り過ぎながら私たちも にっこりです。 スノードロップ効果はもう始まっています。

写真No.74:12/3:紅葉2

 京都はどこにいっても紅葉があります。これは植物園の池の周りにある紅葉です.
池と言えば ポンドと言う英語を思い浮かべます。そしてポンドと言えば英国です.
英国と言えば アラビアの王様を思い出します。この連想は若干の説明が必要です.
以下は 英国がアラビアの王様と どのように繋がっているかの個人的説明です.
 だいぶ昔ですが アメリカからロンドン経由でベルリンに行ったことがあって
そのときに ロンドンで超高級ホテルに3日ほど宿泊してしまったのです。
初めてのロンドンですから 大急ぎで着替えて 街に出かけたのですが
部屋は 洋服は脱ぎ放題 スーツケースは開けたまま でした。
帰ってくると 明らかに誰かが出入りした形跡。このとき始めて
高級ホテルには ターンダウンサービスなるものがあると知りました。
このホテルで 部屋に案内してくれたボーイさんにチップを渡そうとしましたが 
あっさりと イリマセン と断られました。
 やや! と旅行案内書と話が違うと不思議がりましたが
ホテルの通路でアラビアの王様とおぼしき人たち数名とすれ違ったので
これが イリマセン! の原因と推測できました。
私たちが渡そうとしたチップは500円程度でしたが 
背が高くテレビで見た通りの威厳いっぱいの王様はたぶん1万円以上とかに違いないのです.
500円では ちゃんちゃら おかしくてもらえなかった が 真相でしょう。
王様はrichそうで私たちでさえ 裏口から こそこそと出入りするようになったくらいです。
 心配性で安全そうな宿泊料の高いホテルに予約したために 起こったhappenningでした。
それにしてもロンドンで飲んだ紅茶は美味しかった!



つづくのです エレベーター アラビアの王様御一行と同室?隅っこに音なしの構え ロビーでドア開いたら王様とおぼしき人たち お出迎え・ご挨拶 すりぬけて 威厳・慇懃そのもののドアマンのお目に留まらぬようにすりぬけ ああ やっと自由の天地!と思う間もなく  なんと向こうからダイアナさん御一行!そのものすばり切れるようなワンピースに 大きな花飾りつきの帽子 紳士たちはまたまたそのもすばり切れるような・・・ やばいっと道を変えたらまたまたあれあれダイアナさん御一行! イギリス人ってこんなのが普通なのか?ダイアナさんはそこらにいる人と変わらない?のか? もう頭真っ白お口パッカーン テームス川 ロンドン橋 ロンドン塔 ビッグベン 見たはずです 大英博物館行ったはずです あこがれてた赤い二階建てのバス 赤い電話ボックス 走ってたはずです 見かけたはずです 衛兵さんの行進 馬車 見たのでしょうか 全細胞パッカーン なんの印象もございません。 それにしてもロンドンで食べたラザーニャは美味しかった! 朝に夕に ラザーニャと紅茶 で生き延びたのでした。 さんまは目黒にかぎる! ラザーニャはロンドンにかぎる! ******** ふっと思うところあって今googleで調べてみたら 多分 ロイヤルアスコット競馬開催と重なった日程だったのでは… ストン 腑に落ちるものがありますねえ。

写真No.73:11/26:紅葉

 今年も紅葉の季節になりました。これは宝ヶ池公園にある数少ない紅葉です.
宝ヶ池公園は紅葉も桜も名所になるほどはないので その季節になっても人も集まらず
静かに楽しめて なかなか 良い雰囲気です. 
 今日は植物園に行こうかとも考えましたが たぶん人が多くて 椅子(必須!)は空いてないし
どこに行っても 人がいて うっとうしい と思って止めました。
Youtubeによれば 京都では ありとあらゆる名所が 外国人で 溢れているらしい。
嵐山では 人が歩道から溢れて車道が ホコ天状態だとか....。 
 昔は植物園で外国人を見ることはなかったのですが 今年は 見ない日はありません。
花が なんにも咲いてない時期でも外国人が うろうろしています。
花がなにも咲いてない植物園で外国人を見ると 私どもとしては
 『どんなけ暇なんや!』
と思わずにはいられません
 外国人さん達のおかげで 
土産物屋さん 有名なお寺と神社 ホテル タクシー 観光地付近の食堂 とかは
その恩恵を受けるらしいですが 一般の人は 
 『バスは満員 タクシーは つかまらず かないませんわ』
と思っていることでしょう。賛成です!
こんなに外国人が多いのは 外国人には日本の ものやサービスが安いからでしょう(円安!)。
ちなみに外国に居る外国人にとっても 日本の もの は安いでしょうから 
日本の もの(車とか)が外国でも売れるはずです。
このまま行けば 景気が良くなって 賃金も物価も上がるかも。
物価上昇は 年金生活者にはあんまり嬉しい話ではないかもしれませんが
  行く川の流れは絶えずして....久しく留まりたるためし無しです.
まあ 物価上昇くらいしょうが無いです!
腰痛がちょっとでもよくなることを祈って 楽しく暮らしましょう!



京都のもみじは真っ赤(紅葉)なのねえ! 東北のもみじは黄色(黄葉)だったなあ! あんまり違うのでビックリしたあ どっちも綺麗で凄い・違うところがまた凄い! 晩秋の京都にやって来た友達の言葉です。 言われてビックリ・どっきり・不意を突かれた感 そうなんです。京都に住み続けてたら紅葉といえば真っ赤 紅葉の季節 さあ見に行こうとなるのは 赤い紅葉の名所ばかりでしたねえ。 思い出は記憶の一部なのかな 懸命に寒い地方の秋の色探すのですが・・・ なにか素敵なこと美しいこと感動したこと ああ今のこのままの感じを覚え続けていたいなあ  記憶に残しいつも取り出せるといいなあ そう思いながら生きてきたつもり・・・なのに かすかに抱くイメージ  銀杏の晴やかな黄色とは違う渋さを秘めた黄色 裏磐梯 慌ただしく車で駆け抜けながら 一日歩いて過ごしたいなあ… そっとため息つきながら思ったこと を 思い出しました。 真っ赤な紅葉は気持ち明るくしてくれますね 我がイメージの黄色のもみじ(黄葉)は人を内向的に…? 思い出係の脳細胞さんよお!頑張ってくれよおおおお! 

写真No.72:11/19:菊

 菊の花と言えば 京都の北東地域に住んでいる人であれば
菊の花幼稚園の送迎バスを思い浮かべるのではないかと思います.私もその一人です.
送迎バスは 一面に 菊の花の絵が描かれていて すごく目立ちます。
一度見れば 忘れない と言う意味では 広告作戦は成功していると思います.
最近では子供の数が減っているらしいので 幼稚園も競争が厳しいかもしれませんね。
 だいぶ前ですが 日本で子供の数が減っている原因を分析したことがあります。
そのときの分析によれば
 婚姻率の低下が出生率減少に繋がった
 女性の所得上昇が婚姻率低下を引き起こした
というような結論を得ました(簡略化しています)。
要するに まともな所得が得られるようになった女性は 妥協して
(変な)男性と結婚するような危ない行動をとらないということのようでした。
女性の就業機会や収入が増加したために少子化が起こったのであれば
全体として この変化は受け入れるべきものでしょう。となれば少子化を避けるには
男がもっと魅力的な存在になるのが一番です.そのためには
 @収入が増加する
 A容姿が良くなる
 B性格が良くなる
が起こればいいのですが、近年の日本の状況から見て 
s どれも起こりそうにありませんね。とうぶん 少子化は受け入れるしかないようです。
まあ 電車の中とか が静かになるので イイではありませんか。



狭くもない庭 今風に言うと家庭菜園 時代的に言うと生存に必要な食卓材料の源 いつか時代が変わり野菜作りしなくても良い時が来たら そのときはそのときはもう一切畑仕事はしないぞ この庭いっぱいひとつの花を咲かせてみよう! おかあさん ずうっとそう思ってきたのよ。 平ったくならされた庭を見ながら言ったのでした。 狭くもない庭です。より忙しくなる日々待っています。予算も無し。 さてさてさて 彼女の選択は・・・ 庭の隅に残っていた小菊 小さく切って挿し芽始めました。 少し大きく成長したらまた切って挿し芽 繰り返し繰り返し 庭中が菊の挿し芽畑となりました。 あまりに小さな挿し芽 大丈夫なのだろうか 花までたどりつけるのだろうか 根づかなかったり立ち枯れたり ちょっと心配もありました。 秋 小ぶりの花株少しづつ蕾が 花が  はい おかあさんの庭 小菊の花咲き乱れる庭となりました。 小菊って花期長いし 冬に向かっても不思議な色合いになって・・・ おかあさんの喜び 私たちの喜びでもありました。 ガーデニングブームだったり 植物園だったり 一つの花での豪華ねらい よく見るようになりました。 いいねえ 思うし言うのですが心の数パーセントが白けるのに気づいています。 そこに愛はあるのだけれど 資本主義に絡まれてる愛でもあるよなあっと。 お母さんの庭 小菊の庭 軍配はもう決定的 あはは 母に勝るものは無しってことなのでしょうね。

写真No.71:11/12:紅葉

 写真は 公園の東側にある あずま屋 の中から撮ったものです.
11月中旬でちょっとさむくなりましたので 緯度・高度がちょっと高い
宝ヶ池公園は すこしだけ紅葉が始まりました。
このあずま屋は眺めがよく 人気があって 高齢者のたまり場になっていて
なかなか近づけないのですが この日は久しぶりに 利用できました
ここにはベランダもあって その周りの池には いつでも無数の鯉が
食べ物が落ちてくるのを待っていますし、ラッキーであれば
2,3匹のカメと数匹の雁がどこかから急いでやってきます。
急いでいると書きましたが 雁は飛んでくるほど急ぐことはまずなくて
大急ぎで 泳いで? やってきます。
 人間でも同じですが 雁には意地悪なのがいて 食べることより
嫌いな雁に食べさせないように 追いかけ回しているのがいます。
そこで,我々は 追い払われて 遠巻きしている雁さん達に向かって
小さいパンを投げるのですが 多くはとどかず 途中で落ちて
なんと 近くにいる意地悪な雁さん達に 食べられてしまいます。
 ベランダの私達は ここでは 神になったような気分で 公平に分配しようと
しているのですが 残念! 神ではないようです。 が 用心!用心!
後ろからは ピーヒョロロ がパンを奪取せんと狙っています。
 いろいろと気を遣う神様なのです。



今日からは日本の雁よ楽に寝な 小林一茶さんらしいなあ 雁にやさしさ伝わったのでしょうか わたしは勝手に 今日からは日本の鴨よ楽にしな そうつぶやきながら身近にいる鴨たちを見ています。 ロイヤルホストランチのパン残しては投げに行き 冬には食パン買って遠い旅路へ体力つけてねと(何処に行くのかなあ) 投げるのを楽しみにしています。 人は神様神様と人間だけの神様みたいに思っているようす 神様がほんとうは鴨かも 雁かも なめくじ なのかもしれない・・・ なあんて夢にも思わないのでしょうねえ。 ある夏 庭にナメクジ大発生 それもマリーゴールドを集中攻撃 夜な夜な懐中電灯と割り箸・石で武装して殺戮の限り。。。 一瞬で殺したいので石ですりつぶしまくったのです。 心石にしての作業 夜な夜なですよ! 思わずにはいられませんでした。 もし本当は神様がナメクジなのだったら 私は浮かばれないよなあ 地獄行き決定だなあ 京都宝ヶ池の鴨さんたちよ 翼広げて助けに来てえ!!!!

写真No.69:10/29:てふてふ

 まだ秋です。まだまだ てふてふ が飛んでいます。
これは キチョウ ですが 我々の年代では キチョウ と言う言葉を聞くと
"何をするのですか!" が 冗談で 出てきます。
 「キチョウ ナニヲスルノデスカ!」
です.一時流行したのですが 今となっては わからない人にはわからない冗談です。
飛行機というものは ときどき 行方不明になるようです。 
最近では 北京行きのマレーシアの飛行機が 2014年に消息不明となりました。
その後 残骸がインド洋で発見されたようですが これでは飛行方向が反対です.
その原因は不明です。なんかのテロかもしれません。
が、キチョウさんの精神が おかしくなっても とんでもないことが起こります。
乗る人はキチョウさんを信頼するしかないのです。
 ちなみに 来年の春 飛行機に乗る予定です。20年以上乗っていませんので久しぶりです.
最後に 乗ったのは ハワイ行きでしたが 上がるとき と 下がるときに 耳が痛くなって
2度と乗らないと決心したのですが また 乗ることになってしまいました。
Youtube で ときどき 飛行機の離陸、着陸を見ていますが 離陸した飛行機が 
上昇して行くときには たぶん 45度ほど傾きます。見ているだけで かなり緊張します.
あんな 大きな物体が 斜めになって浮かぶのは 感覚的には 異常に思えます。アー!コワ!
無事に 京都に帰ってきたいです.
五体満足!




極楽とんぼ あの世もこの世もなあんも考えずツイーツイー そんな感じで生きてきたのかもしれません ああ快感 この度思い知らされたのでした。 このツイーの部分 とんぼ飛行部分 車生活だから出来たのだと 車と共に生きてきた生活から車無しの生活へ 動力基本部分変わってしまうことになりました。 毎日おっちらこおっちらこ 頑張っているのです。 この黄色の蝶 写真撮ってて笑ってしまいました。 なんとまあ おっちらこおっちらこ ・・・ 決定です。 我々本日より 極楽てふてふで生きていこうと思います。 ああ快感 そうなりますように! この黄色の蝶は 晩秋・冬・早春にも 不思議な存在として姿見せ続けてくれる蝶です 私たちの師匠 おっちらこっちらの飛行 極楽てふてふへの道しるべ よろしくお願いしますね! キチョウ ドコヘイクノデスカ!

写真No.68:10/29:トランペット花

 これは植物園で撮ったトランペットと言う花の写真です.
植物園では 夏の間 ほとんど花らしいものはありませんでしたが
ようやく あっちこっちでいろんな花が咲き始めました。
 トランペットと言えば 最近 Chris BottiさんのHallelujah(BBC版)を聞いています。
トランペットとギターだけの演奏で主役がトランペット ギターが伴奏で
数十回聞いていますが聞くたびに これはパーフェクトだと思わずにいられません。
トランペットの音色が心を打ちます。
 昔はメロディーを楽しむのが音楽を聞くと言うことでしたが 
だいぶ前から 楽器の音を楽しむようになってきました。その始めは たぶん
チェロでした.無伴奏チェロ組曲の存在が大きかったと思います.
同じ楽器で同じ曲でも 演奏者によって 随分 感じが異なります。
その差の 大きな部分が 楽器の音色の差のように思われます。
 ちょっと極端な例で言えば 同じチェロを弾いていても
初心者の間は ギー!ギー! としか聞こえませんが
何年も弾いていると ちゃんとキレイな音色になります。
さらに 何年もたてば音色でエモーションを表現できるようになるようです。
例えば,出だしの1音符を2、3秒の間 演奏する(音を出す)だけで 
聞いている人を感動させることができるようにならなければなりません。
ここまで来れる人はほとんどいないと思います.まあ プロフェッショナルですね。
 以上はチェロやバイオリンを念頭にしていましたが、楽器によって異なるようです。
トランペットやフルートもほぼ同じことが言えそうですが 
あまり 当てはまらない 楽器もありそうです。
 私も 家にあった楽器 ギター ウクレレ ピアノ を練習したことがありますが
どの楽器も 何を隠そう ギー!ギー!レベルで止めてしまいました。
やっぱり 散歩しながら 鼻歌カラオケ を楽しむのが合っているようです。





新しい散歩道の見つけ方(京都版) 好もしい神社仏閣見つけたら その外回りが宝庫です。 車が来たら横道へそれましょう。 人が来たら横道へそれましょう。 それ続けたら・・・あなただけの素敵な散歩道(京都散策道)出来上がり。 成功率高し と 信じています。 京都下鴨神社・糺の森(有名な観光スポットです)の裏・横道に 不思議な感じの道・住宅コーナー見つけました。 安普請の建売住宅とも借家用住宅ともみえる家の並び 世の一番小型の車だけ通れるのかなあの道 またそんな車だけ駐車出来そうな スペースを前庭にもった家並び  世の中から少しずれかけてる?ずれかけてる? 五、六軒の家並の三軒に咲いていたのが エンジェルトランペット なんという珍しい花 なんという場違いな花 それが普通の顔して咲いている くすみ気味の道明るくしてるのか? 違和感強調するのがもくろみか? よく歩いた散歩道です。 コンサート オープニング  舞台を歩きながら立ち止まりながらトランペット奏者音を紡いでいく様子 見入って聞き入ってのめり込んでしまいました。 立ちどまる毎に その場の音をすくい上げていくように 拾い上げていくように 場所は広がり 街角 家のあかり コーヒーの香り ため息 くすくす笑い 沈黙 もろもろ 大地にはりめぐらされた根に吸い込まれるように  そしてトランペットから外の世界へ・・・ その根っこがね 明るいのです。 根っからの明るさ いいんだよ いいんだよ すべてのこと 悪くもないんだよ  今だって 明日だって いいんだよ いいんだよ マイルス・デイヴィスさんのトランペットは言っているようです。 ささやき続けて そして明るい確信の音へ 心打たれます。 くすんだ道のトランペットの花 住んでいる人たち 野次馬根性の通行人 みんなに きっと やさしい音聞かせくれてたのかもしれませんね。 だって 花の名は エンジェルトランペット エンジェルさんなのですから! 

写真No.65:10/22:
コキア
 これはコキアと言うそうです.今は秋なので 華やかに紅葉していますが
もともとは緑色だそうです。そして 枯れた後はホウキになるらしいです.
自分でホウキになるのではなくて 私達が これを使ってホウキを作るのですが。
ぜんぜん知りませんでした。だいたい コキアという植物を知りませんでした。
何を隠そう コキアを見たのは 生まれて初めてです。と言うか、たぶん
何度も見ていたと思いますが、コキアと自覚して見たのは始めてでした。
人間の目はいつでも いろんなものを見ているのですが 
本人が意識できるのは そのうちの ごく一部です.他は気にとめないわけです。
しかも本人が見たいものしか見えない傾向があります。
 例えば,視野の中の何かに注目がゆけば 他のものは何も見えません。
これは人の「認識の視野」でも同じです.
認識の視野とは自分の周りや社会の出来事を見る目の視野です.
 視野、とくに認識の視野というものは年齢と共に狭くなるようです。
歳と共に好き嫌いがはっきりと分かるようになって 好きなものしか
見たり聞いたりしなくなるので、どうしても世界が狭くなってしまいます。
Netflixなどで楽しく見れる番組が歳を取るにつれて少なくなってくるのも
この影響でしょう(最近困っているのです)。
 今回 その存在さえ知らなかったコキアに注目することになったのは
配偶者さんがその存在を教えてくれたからであります。
おかげでちょっと視野が広がりました。とりあえず 感謝!



コキアの色 なんて暖かそうな色 なんて心地良さそうな肌触り感 晩秋窓辺でうたた寝のおじいさんおばあさん  肩に膝にそっとかけてあげたいな 部屋からの眺めのどの真ん中・太平洋・真西に太陽が沈んでいく そんな丘で暮らしたことがあります。 淡い黄色・ピンクからオレンジ色そしてこのコキアの色へ 空まるごと染まって輝きまくるひと時がありました。 太陽は沈んでゆき 空の彩度は空の青・夜の色混じり合って 透明感を離れて濃く深い赤い空へ 昨日も 今日も 明日も 眺め暮らしていたらね 強い想いに囚われていました。 いつか自分の生が終わるとき こんな空のなかへ滑るように 運ばれるように 溶け込んでいけたらいいなあ その時 この空のこと思い出せたらいいなあ なあんてね もちろんコロリ忘れて暮らしてきましたよ。 コキアの色 豪華なロマンチックな若き日の想い 思い起こさせてくれたのでした。 うたた寝してるおじいさんおばあさん あれえー 私たちなのではありますまいか!

写真No.65:10/15:コスモス

 コスモスと言えば宇宙です。また 宇宙です.宇宙と言えばSFを思い浮かべます。
SFと言えばアシモフさんです.ロボットシリーズもよかったし、
ファウンデーションも良かったです.
アシモフさんはほとんどすべてがよかったです.ほぼ最高です.
「ほぼ」が付いています。
手塚治虫さんがいるからです.私的には手塚治虫さんこそが最高です.
アシモフさんは小説ですし知性的で理屈がおもてに出てましたが
手塚治虫さんは漫画ですから直接的でパッショネートでした。
多くの日本人が鉄腕アトムを始めとする手塚治虫ワールドの影響を受けました.
おかげで技術の進歩に対してポジティブな考え方をするようになったと思います.
人間の未来に希望を持てたか 少なくとも良い見込みも あると思えたはずです.
この進歩に対するポジティブな態度は その後の豊かで明るい日本の在り方に
おおいに貢献したのではないかと怪しんでいます。

 バブルがはじけて 鉄腕アトム効果も薄れて 日本はドーパミンがでなくなり
安心安全が第一の国となってしまいました。これでは日本の未来は暗いです。
 あらたなる手塚治虫さんの登場に期待しましょう!

 「姫はわが命ぞ!」



そうかあ ドーパミン そうですよね。 この言葉で人の人生・世の在り方まで説明出来てしまえそうな気もします。 そして最近のわたしは苦しんでいます。 本さえあれば我が人生大丈夫、老いても部屋から出られなくなっても大丈夫 それがもう危ういことに 何を読んでも心動かず楽しめなくなってきたのです。 読書とは 私の持つドーパミンと本の持つドーパミン交流の舞台だったようです。 本の世界におおいにケチつけたい気もするのですが まあどっちもどっちなのでしょうねえ。 少なくなったかもしれない我がドーパミン 大切な今日一日に注ぎ込むことにしましょう。 これでいいのです これがいいのです これぞわが人生・わが命ぞ! 

写真No.65:10/08:シオン

 シオンの花のまわりに花びらのようなものがなんこも宙に浮かんでいます。
これはなんでしょうか?なんでしょうね?蜘蛛の巣が一面に張っていて 
そこに花びらが引っかかっていると言うのがもっとも まともな考え方ですが
残念ながらそんなものは無かったようです。これは光のいたずらでしょうね。
たぶん 写真を現像するとUFOが写ってた と言うのと同じです.
 ただし,みなさん! 宇宙人はいますよ。
広大な宇宙には 銀河が1超個以上あるらしいし、一つの銀河には1000億個以上の
恒星=太陽があるらしいから 地球のような惑星もいっぱいあるはずです。
そこには生命ができる可能性があるし、生命ができれば知性がある生命体もできそうです。
これは我々からみれば宇宙人です.
 しかしアインシュタインさんは光より早く移動できないと言っていますから 
宇宙人がUFOに乗って地球に来るのは無理です。
UFOの写真は この写真と同じで光のいたずらです.
だが しかし もし無限のかならから来た宇宙人だったとしたら 
何故逃げ隠れするのでしょうね?
中世にアメリカに到着したヨーロッパ人が未開の原住民を抹殺したように
宇宙人も野蛮な原住民(=我々のことです)を抹殺しても不思議ではないのですが...。
もしかしたら 宇宙人さんは とてもシャイでいい人なのかもしれませんね。



秋の空に向かってすっくりと咲くシオンの花  ほとんど花の色なくなった庭で今年も咲いてくれました。 田んぼのあぜ道からやってきた野菊とともに 薄紫のおだやかなひととき与えてくれています。 野菊は秋の路傍には付き物と思っていたのですが この数年見かけなくなってきてる・・・ あなたのまわりはいかがでしょうか。 気になるのです。 春の田んぼにはレンゲソウ 秋のあぜ道には曼殊沙華 道の端っこには野菊 不変の仲間たちと思っていたのですが  もうあたりまえの花たちではなくなっていませんか? レンゲソウにいたってはもう何年も見てないなあ 思い出しました。 レンゲソウ恋しや・・・の想いにはまったことがありました。 もし花屋さんになったら もし本屋さんになったら レンゲソウの小さな花株 無料・サービス・おまけ 配りたいなあ なんて そんな花からタネがこぼれていって  あちこちレンゲソウが咲く道が・・・

写真No.64:10/01:たますだれ

 写真は 玉すだれ と呼ばれる可憐な花です.
簾(すだれ)と言えば どうしても夏の西日を思い浮かべます。
あれは暑いですよね!たまりません!中学生のときの家がそうでした。
一戸建てなんですが、東向きで裏側が当然西向きで そこがガラス戸でしたので
夕方になると 太陽さんが殺人熱線を送り繰り出してくるのです。
一日中太陽が照って 家全体が暑くなっているところに 
夕方になって ほとんど真横から 熱線が入ってきます。
裏から中央の居間を通り なんと玄関まで 照らしてくれます。
夏の夕方は家中が 砂漠も かくアラン という暑さでした。
 1Kのアパートから始まって10回ほど引っ越し そのたびに
住居を探しましたが西日が当たらないことが重大な条件でした。
まあ 例外もありました。それはアメリカ西海岸で太平洋が一望できる
家に住んだときです.LAの南にある丘の上のパロスペルデスというところです.
たいていのものには 良いとこ と 悪いとこ があるようです.
この家の場合には ocean view vs 西日だったわけですが、
群青色の広々とした太平洋を見るためには 西日も厭わなかったのです。
これは Good decision でした。海を眺めながらランチしたり 
ベランダでコーヒーを飲んだり なかなか よかったです.
西日は真夏にちょっと暑かった程度でありました。
 案ずるより産むが易し であります。




暮らしの中あたりまえになってしまったこと 受け入れてしまってもう考えることも・余地もない そんなことってありませんか? わたしにとって たますだれ がそれに該当するのです。 周りに山あり田んぼあり ここに引っ越してきて嬉しかったこと トップテンに入ってきたのがタマスダレの再発見でした。 歴史を感じる家がまえ 農家らしい家がまえ 道から塀に囲まれた家へとつなぐアプローチ その縁取りに白く密生して咲くタマスダレ発見。 これこそ正しいタマスダレのありかたなんだぞお 門から玄関に続く縁取りはタマスダレでした。 花壇の縁取りはタマスダレときまってました。 通路を明るく花壇を明るく 夕暮れ時の薄暗さの中白い花ほんのりほんのり いやああ思い出すなああ タマスダレ球根分球で増えてゆきます、ぷっくり三つにふくれた タネ袋 そうタネからも元気に増えていきます 常緑の濃い緑の細長い葉もみっしり縁取りの役目を果たします。 日向が好きなのでしょうが 少し日陰でも元気です。 みなさん たますだれ お庭にいかがですか みなさん たますだれを どうぞよろしく

写真No.63:09/24:バラ

 夏のバラです.季節はずれですが まあ それなりに咲いています。
バラとしては つらい気候ですが 負けてはならじと頑張っているのです。
もしアインシュタインさん(以下ではアインさん)がインターネットもない
離島に生まれたら どうなってたでしょう?
学校は先生1人と生徒数人で、まともな図書館もありません。
母ちゃんは 勉強する暇があったら晩飯の魚と採ってこいと怒ります。
アインさんには 才能を伸ばすにはつらい環境です。
映画かなんかであれば 先生が賢くて良い人でアインさんの才能を理解し
都会で高校や大学に行けるように 道を開いてくれるのですが
そんな感じの先生(賢くて良い人)には会ったこともありません。
たぶんアインさんは 風変わりな離島の釣り人で終わるのではないでしょうか?
つらい環境では 大輪の花は咲かないのです.
しかし しかし アインさんは普通ではありませんから 離島を脱出するかもしれません。
都会で生きるノウハウを持たないので 学校に通うのは困難でしょうが
垢髭だらけのホームレスさんになり 毎日のように図書館に通って 結局は 
相対性理論を考えつくかもしれません。
 そう言えばマットデーモン主演で似たような映画がありましたね。
この映画ではMITの数学の先生が賢くて良い人だった。
 やっぱり ラッキー! も要るかな?



薔薇は花の世界のアインシュタインさん 世界を席巻した超大物実力者さま  と 思いませんか? 春と秋圧倒的な豪華さで皆を圧倒する力 夏・冬だって咲いてますよ。咲く実力持ってますよ。 ひらったく言えば強健四季咲きタイプなのですがね そんな失礼なこと言ってはいけませんよね 皆がアインさんだ!!!感銘しきっているのですから。 大切に 丁寧に お取り扱い不備なきように  どうぞどうぞ 心ゆくままにお咲きくださいませ。 しっかりお世話されてるバラ園眺めているとね ちょっとおかしくなってきます。 本来そんなにやわではない天才アインさんです ベロン舌だして笑ってらっしゃるのでは ありますまいか ありますまいか

写真No.62:09/17:百日草

 チンチロリン用の花の写真を撮るためもあって植物園によく行きますが
最近では 入り口からカフェに直行してテラスでココアをいただきます。が
そのテラスの前は花壇になっていて今年は百日草が植わっていたのです。
6月以来 真夏の暑い日々をもろともせずに咲いています。ナンという元気な花。
そう言えば 昔ですが 春に植えた花が秋まで咲いていたことがありました。
7ヶ月咲き続けたのです。さすがにちょっと見飽きてしまいました。
 いわゆる スバラシイ景色も見飽きます。私の場合は 開陽台がその例です.
北海道の東の方の牧草地にある展望台です.見渡す限りたいらな平原にあります。
南には 数十キロかなたのオホーツク海か太平洋が見えたような気がします。
初回訪れたときには そのスバラシイ眺めに感動しました.
あんまり感心したので メチャ不便な場所にあるのですが 
翌年か 翌々年に 再訪問しました。まったく同じ眺めでしたが 
まだ見たばかりでしたので感激度=0で あまりの無感動にビックリしました.
 その点 海はイイです。海には表情があり まるで生き物のように変化します。
たぶん 波と海面の動きが ポイントだと思います.
科学的に言えば 風と天体の引力が 海の水を動かしているに過ぎないのですが
なんとなく 生命の息吹さえ感じます。
 と言うわけで 海に見飽きたことはありません。京都からは遠いですが
キラキラした海と海岸を見るため 伊良湖や高知、宮崎などによく行きました。
荒磯と波を見るためには敦賀の近くの河野海岸にもよく行きました。
よかったな〜!
また行きたいな〜!

ちょっと遠いし もう行かないと思うけど...。




私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ コクトーさん カッコ良すぎです 多分わたしは海の子と言っていいと思います。 物心つく前三度溺れかかったそうです。夏は毎日午前午後二回の海遊び 砂遊びしてたらよそのお姉さん”ほらあっちの黒んぼ大会行っといで”だって だから・・・ もう全身が全身で海が好きです どこの海もどんな海も好きです。 好きが高じて湖・池・川・水たまり・お風呂も好きです。 海の響きもなにもかも含めて懐かしみ 満足感 といきたいのですがねえ 身体の一部分だけが 懐かしむだけで納得せず 寂しがるのです。 言葉にすると実にはしたない?みっともない?のですが 足の裏 どこの海辺に連れて行っても嘆くのです 違う!っと。 砂粒の感覚が違うと 砂と土と粉石炭との配合が違うと  遠浅の浜 引き潮が造り残していった波形の窪みの感覚が違うと 頑固な足の裏 小うるさい足の裏 まあ少し困りものでもあるな コクトーさん 足の裏では 詩 になりませんよねえ  あははの小話ということで

写真No.61:09/10:パンパスグラス

 これはススキの親分です。ススキと言えばお月様、満月ですが
今年の中秋の名月は9月29日で 楽しみです.
 さて 日本は月に向かって衛星を飛ばしています。着陸する予定です.
youtube によれば
 うまく行けば かぐや姫さんがウサギさんを連れてお迎えに出てくるそうです。

かぐや姫さん今でも 絵にあるような十二単を着ていらっしゃるのでしょうか?
アームストロングさんのときのように月からTVライブが見れるといいのですが。
何を隠そう このTVライブは 仕事か学校かをサボって家で見ました。
我が配偶者と共にオオイニ盛り上がりました。
このときは来たのがアメリカ人なので かぐや姫さんのお出迎えはありませんでした。
新大陸発見後の原住民に対するヨーロッパ人の残虐な仕打ちを思い起こせば
かぐや姫さんが怖がるのは やむを得ないです。
 最近 Netflixなどで アメリカやヨーロッパの映画やTVシリーズを見るのですが
だいたいは ストーリーや映像が残虐で見ていられません。
主人公もしょってるだけで魅力がなく初回の途中で見るのを止めることが続いています。
その点 日本製のアニメは ポジティブなのが多くて良いと思います.
それでも例えばワンピースも最近は戦闘シーンが多くて退屈です.ほとんど寝ています。
ウオーターセブンの頃はよかったな〜と思う 今日この頃です.



小さなそして大きな庭 ボックスカー2台入る車庫空間を持つ4階建てのビル 事務室兼住居の雰囲気 車庫入り邪魔にならない少しだけの空間 そこが彼女の庭 小ぶりの木を中心に寄り添いあうように花が緑が いつだっていつだって調和の心地よさ 造られていてかつ自然そのまま 車助手席からのほんの一瞬の眺め 賞賛の一瞬 楽しみな一瞬 ふいっ 庭がなくなっていました。 コンクリートむき出し  植木鉢寄り添わせて造りあげていた庭だったのですね。 庭にかがみこんでいた彼女 玄関まわりお掃除してた彼女 あなたの庭はすごかった 庭ひきつれてのお引越しですか コンクリートのわずかな面  あなたの庭はこんなに小さな庭だったのですね そしてなんと大きな庭だったことでしょう。 こんなこと思い出したのは 大きな舞台似合いそうなパンパスグラス眺めていたらね パンパスグラスを中心にいろんなグラス類寄り添わせての庭 小さな庭でどうでしょうかね 彼女だったら大きな庭として作り上げてくれそうだなって 風が遊びに来てくれる庭 なあんちゃって

写真No.60:09/03:スギぼっくり

 松ぼっくりではなく ちょっと珍しい スギぼっくり です.
写真的にはスギぼっくりの三つ児という感じで おもしろい 構図です.
親木はかなり大きいヒマラヤスギです.遙かヒマラヤから京都にやってきたんですね。
ヒマラヤは高度が高くて涼しいでしょうから 京都の夏は暑いでしょうね。
 ヒマラヤと言えば地球上で最も高い山々で有名ですが昔は海の底だったらしいです.
ウソー!と言う声が聞こえそうですが、塩が取れるので ほんとう そうです.
地球の表面はプレートと呼ばれる巨大な土地に覆われていますが
ヒマラヤの南のプレートが北上し ヒマラヤの北のプレートが動かないため
上しか行き場がなく隆起してヒマラヤの高地ができたと考えられてるようです.
このプレートの移動速度は1日0.15ミリ(数cm/年)程度らしいですが
毎日、毎週、毎月、毎年移動しているので その積み重ねです.
1万年たてば約5万cm(500m)。と言うことは20万年で1万メートルですから
ヒマラヤ山脈なんてすぐできそうです。
誕生して40億年以上たつ地球的には 20万年なんて一瞬ですよね。
 やっぱり 地道に粘る(consistency)のが目的達成の秘訣かもしれません
私的には地道に粘るのは得意ではありませんが...。



まつぼっくりがあったとさ ころころころころあったとさ お猿が拾って食べたとさ 歌って育ってきました。 動物園のお猿さん みかんもバナナもピーナッツも皮・殻食べないなあ まつぼっくり食べそうもないなあ  動物園のお猿さんあまやかされてるのかなあ そんな感じのまま大人に・・・ 身近に猫が犬がいるように公園にはリスがいるそんな町で過ごしたことがあります。 春夏秋冬たのしくおつきあい ポケットにはいつもどんぐり・クルミ・ピーナッツ 見つけるとね ちょんちょこ・ぴょんぴょことやってくるのですよ こうゆうのを 世にむねきゅんと言うのではないでしょうか。 寒い町でした 冬になり木の実みつけにくくなる頃 食べてました! まつぼっくり抱え込んで! ガジガジガジ齧ってる! そうかあ まつぼっくり食べれるのかあ お猿さんだけじゃあないのかあ まつぼっくりくるくるまわし 正しい向きから齧り始めます。 なんだか乱暴 熱心に齧ってるかとおもえば 途中放棄あり  拾って直ちにポイ捨てあり ???? そっと調べてみました。 みなさん あんな固いだけのまつぼっくり食料になるわけないですよね はい 秘密はね まつぼっくりの隙間に小さな薄っぺらい実?があるのでした まつぼっくりのかさ ひとつひとつはがしてみてください つけねのあたり 実?のあったらしいささやかな窪みがありますよ。 まつぼっくりがあったとさ・・・ ころころころあったとさ・・・ 思い出胸に抱え込んで 歌ってしまいます  ガジガジガジ 音きこえてきそうです

写真No.59:08/27:ひまわり

 他のひまわりは終わってうつむいてましたが これは一つだけ正面向いていました。
とても背が高く 3メートルはあって 周りのひまわりより飛び抜けて出ていました。
見上げると青空が背景になって とても 輝いていました。
ちょっと遅咲きですが それも目立って良いかもしれません。
ただし,ひまわりにはちょっと季節が遅いので 見に来る人はあまりいませんが。
私的には 良い目の保養をさせていただきましたが やはり 
 遅咲きより 早咲き
ではないかと思います.最初に咲いたひまわりを見つけたときの嬉しさと
遅咲きのひまわりを見つけたときの嬉しさを比べれば...どっちもよいです. 
 人間社会の場合には 早い目に開かないと成功は難しいかもしれません。  
first come, all get みたいな傾向がありますので。
新製品でも 最初に売り出した会社が有名ブランドになります。
2番、3番の製品は品質は良くても 追いついたり 追い越したりするは困難です.
そう考えると電気自動車BEVのtoyotaが心配です.
これからテスラとか中国のBEV企業を逆転すると言い張っていますが出来るかな?
Late comerがシェアを伸ばすには低価格戦略が必要ですが、
品質を気にしない中国企業より低価格で販売するのは難しいでしょう。
 世の中は 栄枯盛衰 諸行無常 です.



運動大好きと駆けっこ得意 両立しないのが我がさだめ 小学校の運動会 いやいや選んだ50m競争種目 よーいドン 走ってたらなんと私の前に誰もいない トップで走ってる! わーっもうどうしよう! 困った! と 思う間もなく直ぐに追いつかれの追い越されの そうだろうなあ そうだよね 納得感・安心感・半端無し 走るのは遅いが持久力はあったのだかどうだか  高校時代校内マラソン大会 トップ集団で走っていました。 ゴール校内運動場に入る少し前横腹がちょっと痛くなったので 皆の前でおなかおさえて走るのも嫌だな すこしペース落として離れました。 落ち着いてきたのでさて校内運動場へ ひとり入口くぐるや否やわーっと大歓声 以下わたしのしたこと ギョッと立ち止まり くるり回れ右 学外へ走り去る ああっー なんじゃああー 男子生徒のだみ声が・・・・ 恐怖で足がとまらない・とまらない トップだとか栄光のポジションだとかなじまないのです 楽しくがんぱって何か道広がり始めてきたような・・・その最初の感覚 それがなにかの終わりの感覚 かすかな名残惜しさを別れの花束にして いつも回れ右 そんなふうに生きてきたんだよなあ あっそれが 私にとっての正解で 良い人生だったのですよ! 輝き渡ったユーアー マイ サンシャイン ひまわりさん 嬉しく花の話をするつもりだったのが 大大大脱線 みっともない 自己語り すみません すみません トップを栄光を狙う TOYOTAさん、テスラさん、中国BEVさん あなた方は それを望み狙うにふさわしい 有資格者 トップを栄光を狙って 頑張ってくださいね 健闘を祈る

写真No.58:08/20:公園

 暑い夏の人っ子一人いない公園の道です.公園全体としてもほとんど人がいません。
我らがお気に入りの静謐な緑陰でゆっくり散歩するのは良い気分です。
以上は 先週とほぼ同じ文章です.めっちゃ暑い日々が続いて 
よっぽどの物好きでなければ 公園に散歩に来たりはしません。
世の中のドクター達は 一日8000歩は歩けと言いながら
暑い夏の日には 外に出ると熱中症になるから家から出るなとも言います。
一日8000歩と言えば高齢者であれば(途中で休憩が入るので)2時間はかかります。
暑い夏の日中に2時間も太陽に当たっていれば 命も危ないです.
 外出せずに8000歩を達成するには屋内を歩くしかありませんが
普通30坪程度の2階建て一軒家では ちょっと無理でしょう。
一番広いリビングで 歩き回るのは無理でも 運動はできますが
毎日やっていると 床がミキミキと 音を立て始めるのが心配です.
体は元気ですが 家が傾いては 困りませんか?
貯金は高齢者家計の赤字補填に必要だそうですから 家の修理まではちょっと....・
となると やはり 運動は諦めてTVでワイドショーでも見てください.
でもワイドショウーですよね「歩け歩け」と言うのは.ウーン。
困りましたね



まあまあ歩いてきました 京都と言わずあっちもこっちも なんだかひたすら歩いてきた人生と言えそうな気もします。 いつも楽しかった。 だんだんお気に入りだとか おさだまりだとか出来てきて だんだん歩く世界狭くなってきて だんだん歩かねば!だとか歩数が!とかお念仏風味がついてきて いつも楽しく歩いてきました。 この公園おつきあい長い長ーいのです。  桜がどうにも育たない桜の園 朽ちていくのか?の梅林 花は咲かない菖蒲園 いいのです いいのですよ きっと輝いた時期もあったのでしょうよね 池にボートが群れ 人々が集まった時期もあったのだと思いますよ ちゃんと覚えていますからね! そして今 老人たちがわれらの公園!みたいに嬉しそうに集っています。 時は戻らないのだけれど 戻らなくて良いともいえそうです。 にぎにぎしく若返りの公園になっても嬉しくないのだと思うのです。 私たちの日常の中で今輝いている公園 明日も歩こうと思います。楽しい散歩公園なのです。 感謝。

写真No.57:08/13:芝生

 暑い夏の人っ子一人いない芝生地です.植物園全体としてもほとんど人がいません。
我らがお気に入りの静謐な緑陰で冷たいココアをいただくのは良い気分です。
が、入口では西洋人の2,30人の団体と出会いました。
最近では京都で西洋人の団体さんをときどき見るようになったようです。
我らも 情報不足のときにパックツアーを利用したことがあります。
たとえば,冬の北海道旅行がそうでした。雪が積もり 道が凍っていると思われる
冬の北海道で自動車で走れるかとうかを観察するためでした。
トラックを含めて みんなばんばん走っていました。そこで,
次年度には網走まで飛んで そこでレンタカーを借りてあっちこっち行きましたが 
網走湖の手前で アイスバーン状態の広場を見つけたときには 思わず
急ブレーキを踏んで アイスバーンでブレーキを踏むとどうなるかを経験してみました。
車は まじに滑りました。広場の端から端まで。実に 面白かった!
 人っ子一人いない芝生地をしばし眺めたあと いつものように 木陰を伝いながら
バラ園に行き そこでも座って ちょっと しなび気味のバラを眺め 
ペットボトルのお茶を飲んで 背は高いが 花は大きくない ロシアヒマワリを観察した後
緑が深い日本の森を経由して 出口に向かいました。これで 歩数は約4000歩です.
 夕方にも2500歩ほど歩く予定ですので 今日も8000歩程度はゆきそうです。
我らは夏でも頑張っていますよ。



我が家の運転手さん  乱暴運転だが無謀運転ではない!のだそうです。 車中下を向いただけで車酔いしかねない私だったのですが 車の性能説明書確認とかいって アクセル瞬間最高速度? 時速200q可能か? 急ブレーキ実際値は? 雨道 雪道 氷道 etc. etc. その追求心とどまりたるためしなし。 そのすべてをお付き合いし(横に座ってただけ)雪の北海道ドライブの頃には もう死ぬのか! 乗り越え 頭真っ白! 乗り越え  立派な旅行プランナー! ナビゲーター! 実は 実に面白かった! のでありました。 車と共に過ごしてきた生活も終わりが見えているのです。 新しい生活パターン 変えたくないパターンも考慮しながらの手探り 自分たちで作り上げるマニュアル  さてさて 楽しみなことです。

写真No.56:08/6:タイタンビスカス

 夏は目につく花の種類が少ないので またまたタイタンビスカスです.
すごい華やかな花です.名前のタイタンは巨人(神)から来ています.
タイタンという名前は いろんな場面で使われているようですが
一番有名なのは大西洋の海底には沈んでいる船でしょう。
タイタニックの映画(1997年版)の主題歌は いいですよね。
最近の我らのお好みの一曲です.聞くたびにヒロインが笛を吹く場面を思い浮かべます。
 人類史上で巨人と言えば 私の場合には アインシュタインさんです.
リンゴが落ちるのは地球が引っ張ってるからと言ったニュートンさんもスゴイですが
早く動けば時間が止まるなどととんでもないことを言い出したアインシュタインさんは
スゴイです.よくそんなほとんど気が狂ったようなことを言い出したものです.
また,そんな主張=相対性理論を受け入れた その当時の科学者さんも リッパです.
 相対性理論の解説書を始めて読んだときには マジにビックリしました.
私も学者にならんとして大学院に通っていて 独創的な論文を書こうとしていましたが
相対性理論の存在を知って 全然勝負にならない と悟りました。
それでも その後も独走?的な論文を ぼちぼち と書きましたが...。
 タイタンの存在は人間を謙虚にする効果があるかもしれませんね。



私の場合は レオナルドダヴィンチさんです。 モナリザの絵が好きというようなことではなく なんかもう総合的な存在感 生きていく時間は誰しも限りがあるなか その時々に その時々の思いをやりぬいていく  それぞれのその時の没頭力・追求力 結果として何かをしっかり掴む力 生き方なのかなあ・・・ 生き方なんだと思います。 そんな人が人類歴史上いたというだけで 人類って悪くもないよなあ 喜びなのです レオナルドダヴィンチ特別展に連れてってもらったことがあります。 最初の部屋 直筆展示 一瞬みただけで 震えあがって もうこれだけで私は十分です っと回れ右 身に余ってしまった光栄? 思ってしまったようです。 レオナルドダヴィンチさんには近寄れそうにもありませんが うふふん アインシュタインさんの講義・講演会あれば わたくしめ 最前列ど真ん中で出席したく思います。 相対性理論?ふんふん聞き流し 講義にはつきものの?脱線話が面白そう。 アインシュタインさんの名言集 おもしろい おもしろい チャーミングなタイタンさんなのだと思います。

写真No.55:07/30:ハス

 蓮の花です.大きくてキレイな上に 根がレンコンになります.
まずは目を楽しませ 次いで 舌と胃袋を満足させ(酢れんこん!) 
最後に 体重を増やしてくれます。メタボはアカンらしいですが
齢をとると 体重を増やし筋肉を減らさないようにするのが大事だそうです。
ちょっと前まで タンパク質を取ることに 注意していなかったので
ご飯とキムチ、ご飯とたくわんのような組合せをディナーにしていました。
 あ〜 おいしかったな〜
ご飯と壬生菜、ご飯とすぐきのきざみ 
 よかったな〜
これではイケマセン。タンパク質を取らないと筋肉がなくなります!
フレイルとか言うものになるそうです。なんか オソロシイデスネ〜
だぶん 元気がなくなるという意味に過ぎないとおもいますが。
 齢をとると 大量のタンパク質 たとえば 250gのステーキとか
浜焼の鯖一匹は なかなか 食べれません。 そこで 我が家では 
毎朝 豆乳200CCにプロテイン入りココアを溶かして飲んでいます。
ヨーグルトも朝昼晩と1日3回400グラムほど食べますので、
これらだけで約40グラムのタンパク質が取れます。
あっちこっち歩いたり ちょっと運動のものまねもしていますので
もう大丈夫かな? 
なんか 家の体重計によれば 骨の量も増えたし 
この夏も ときどきは そうめん を食べるぞー と思っています。
人生は楽しみながら 生きないと 楽しくありませんからね。





小雨の中走っていました 書道道具を忘れたおばかさん 休み時間すっとんで取りに帰っていたのです。 遊びながらの登校道ではない最短距離の道  レンコン畑があるのは知っていました。泥沼の畑なんだとも知っていました。 息切れて走れません 歩いてたら大きな葉の間にとてつもなく大きな白い塊 やわらかそうな うつくしそうな なんだ? そこまでです。 走らねばなりません。 授業始まってます。 一週間後 小雨の中またまた走っていました。 お馬鹿さんまたまた忘れ物 恥まみれの中学生なのでした。 息切れ走れないタイミング 今度はレンコン畑にあわせていました。 あの白い大きな塊確かめたかったようです。 レンコンの花? 蕾なのか? 花なのか? 一週間後 またまたまた あまりのことに恥じ入ってしまって 記憶はもうろう・・・うちのめされた中学生でありました。 ***** 半世紀も過ぎた?ある日  目の前に広がる蓮の花 琵琶湖湖畔ピンクに染まった蓮の花群生 衝撃的な発見・出会いなのでした。 以来 蓮の花見るたびに私の心は でんぐりがえる のです。

写真No.54:07/23:タイタンビスカス

 ムクゲやハイビスカスのような花と思われるかもしれませんが、 実は
これは大きい花なんです。直径で言えば 20cm程度 あります。
これが植えてある植木鉢は20〜30cm程度の深さの水の中においてありますので
水性直物かもしれません。
 大きい花は華やかで見栄えがよくて 人の目を引きますが 
地べたに這うように咲いている雑草の花は めったに気づかれません。
ところが,ココ2、3年 直径数ミリの白い花が群生しているのを 
あっちこっちで 見かけるようになりました。あんまり たくさん 咲くので
我が家では 草原に咲く お星様 と呼んでいるほどです.
 大きくて一個一個が存在感がある花もあれば 
 小さいけどいっぱい咲いて はらっぱを埋め尽くす花もあります。
花それぞれ 人それぞれです.自分なりに生きましょう。
 ちなみに このエッセー連載も1年を経過しましたので これを記念して
タイトルをつけようかと もっか思案中です.とりあえずは 
 「うたかた」 
と言う単語を取り入れるつもりです。たとえば「2人うたかた」とか.
 「From Kyoto with ???」
も悪くないと迷っているところです.???はたとえば Love です。
 どっちがいいですかね〜



空には星があって欲しい 地には花があって欲しい 普通な気持ち素直な気持ちですよね 後期高齢生存者といたしましては普通がどうもあやういことに… もう何年も星座確認できないでいます。 冬のオリオン座さえも 近年曇り空が多いねえ 町のあかりがねえ 今日はちょっと体調がねえ 言い訳し続けてゆくのも ちょっと・・・ あきらめました 目弱くなってしまったのです 認めます。 そんな私たちの足元に星が!咲きはじめたのです。 乱暴気味なお手入れの草原 芝地 お日様大好き 乾燥負けない 早春から初夏まで チカチカささやかに キラキラ一面に 銀河を歩いて渡ってるような気分になりますよ! この2,3年で驚くほど繁殖してきてると思います 心配性のわたしは 外来種とやらで問題視され意地悪されるのでは 嬉しさと共に そこそこに生きてね! 怖がってもいます。 今googleで調べてみたら普通に野の花らしい・・・??? 写真も ちいさな星 銀河のごとし が全然表現出来ていませんね。 うふふん もう少し私たちだけの花・私たちだけの星だな 夜空の星見失ったあなた 寂しいあなた 次の春 草原にあなたの星 探してみてください

写真No.53:07/16:ひまわり

 ひまわりがいっぱいです.こんな風に密集して植えるのは珍しいです.
個人ではちょっと財力が必要で なかなかできない ひまわりの密集です.
 密集といえば この3年以上 人間が密集するところには 行っていません。
京都ですので 三条・四条あたりのダウンタウンとか どこかのイオンモールとか。
スーパーには行きますが 朝9時台で人がパラパラ状態のときだけです。
その代わりネットスーパーは週2回頼んでいます。これもイオンが希望ですが
京都市の北の地域に住んでイオンに配達を頼むと 担当が京都市の南にあるお店です.
googleによれば車で1時間かかるところから クロネコさんが配達してくれましたが
アイスクリームは半分溶けてました。配達は近くのお店に頼むのがポイントのようです。
 人間が 密集するところには行きませんので 国内も海外も旅行していません。
というか乗り合いバスとか地下鉄・JRのような公共交通機関も使ったことありません。
その代わりyoutubeで世界・日本のさまざまな場所に出かけています。
とくに よく見るのは ストックホルム バンコク イスタンブール ロンドン 
ニューヨークなんかです.最近ではストックホルム以外は人で溢れています。
その たくさんの たくさんの人々の間をかき分けて歩むyoutuberさんの視点で
バーチャル旅行で ソファに寝転びながら 街の雰囲気を楽しみます。
 なんたるラクチンなことか!
とは言え ラクチンしていると 筋肉が減ると懸念されますので 
ほぼ 毎日 たぶん8000歩は歩いています。植物園週3回、宝ヶ池公園2回。
歩いている時間よりベンチに座っている時間が多いと危惧されますが
まだ 頑張っているのです。



ポカ 後を引くポカ とりあえず負けへんぞ 心ふたして過ごしたら疲れちゃいました なんとか解決はしたのかも・・・ 極楽トンボ復帰まではもう少し時間かかるかなあ ひまわりさん ご協力お願いしますね。 一本のひまわり見るのが好きなのですが じいっと見つめるのが好きなのですが 今回は多ければ多いほどよろしい ぱっと行こう ぱっと笑おう ぱっと忘れよう ぱっと咲いててね! ひまわりのみんなそろっての笑い顔 いいよねええ 元気がいっぱい ひまわりさん 明日会いにゆくからね!

写真No.52:07/09:メタセコイヤ

 これは3本のメタセコイヤです.宝ヶ池公園の北西の端にあります。
これらの木々の下にあるベンチに座るのが週課?になっています。
毎日だったら日課と書くのですが週に2〜3回なので週課と書いています.
何故か この木の名前が覚えられなくて すぐに忘れます。
その代わりに頭に浮かぶのが 何故かイソギンチャクです.
この木の名前を思い出すためにイソギンチャク イソギンチャク イソギンチャク
と2、3回 この名前を唱えますが だいたいは思い出すことなく終わります。
そこで,イソギンチャクの代わりにメソポタミアと唱えるようにしたのですが
これは効果があって
  メソポタミア メソ ポタミア->メタ セコイヤ
と繋がって この木の名前を ときどき思い出せるようになりました。
 記憶力低下は認知症の症状の一つらしいです。懸念されます。
認知症の初期の症状として 自分の現在の状況がわからないことがあります。
突然「今どこに居る?今は何時?私は何をしているの?」となるのです.
みなさんも もし 心当たりがあるのなら 気を付けてください.
私? 勿論 心当たりがあります(ドキッ!-->嫁さんの心臓の音)。
kindle読書中に寝てしまいkindleを とり落としそうになって目が覚めると
だいたいは「今どこに居る?今は何時?」になります。
幸いにして まだ思い出せています。しかし このときの一瞬の心細い気分で
認知症になったときの雰囲気を推測できます。
 いつまでも頭脳明晰でいられるように頑張りたいのですが 認知症は まだ 
原因も解明されているとは言えませんので 頑張りようがありません。
まあ 普通に 禁酒禁煙をして 果物と魚を食べ よく歩いて 
機嫌良く毎日を過ごして 後は 成り行きにまかせるしかありません。
 みなさんも ご機嫌良う!お過ごしください.



メタセコイア友の会 浅く広くの知識に満ちた友がいました。 あのね石炭は昔々メタセコイアだったのよ。ならば将来の人たちのために しっかりメタセコイア植えたほうがいいのと違う? んだねえちょっと足りないね メタセコイア植えよう友の会でも結成したほうが いいんじゃあない あははは 笑いあったことでした。 最近はもう石炭なんて言うだけで叱られそうな気配 石炭がらみでのメタセコイア友の会は空中分解ですね。 メタセコイアに魅せられっぱなしです。 太古の地球に思いも馳せられますしね そんな自分がうっすら賢く見えるような 幻想・・・いいじゃあありませんか。いい気になるのもまた楽しからずや。 いえいえ ただただこの木が好きなのです。 独特の落ちつきあるたたずまいしかり 春の芽吹きの心地よさしかり うっそうと茂った葉陰木陰の 深い紅葉の色合いの  サッカーボールに似た可愛い実の 細かい落葉は地面を覆い落ち着いたカーペット しかり メタセコイア3本で独特の世界作り上げてくれます。 植えるなら3本、5本、7本、9本、・・99本・・奇数で植えて欲しいな なんだかそほうがメタセコイアの雰囲気・世界生かしやすい気がして メタセコイア個人の庭では舞台狭すぎて無理ですね。 ガードナーさん 公園プランナーさん 地域自然企画関係者さん 自称メタセコイア友の会会員いらっしゃいましたら どうぞどうぞ えこひいき よろしく メタセコイアをよろしく

写真No.51:07/02:ヒマワリ

 再びヒマワリの季節になりました。ただし これはちゃんと開いていませんので
ヒマワリではなくて ヒマワ です。リ が抜けています。
り が抜けると言うことは 理 がないか 利 がないかです.
 単なる言葉遊びですが 本日は この線で話を進めます。
理 がないと言うことは 理論でなく 感情で決めると言うことで 言い換えれば
好き嫌いで ものごとを決めることになります。
自分だけが関わることであれば 好き嫌いで決めてまったく良いですが
他人が関わってくると 納得できない人(好き嫌いが異なる人)がいろいろ
面倒な問題を起こすので順調には行かないことになります。騒ぎが起こるのです。
 利がないとは利益がないと言うことを意味しますが これもよくありません。
利益は 新製品の開発や出資者への配当などに使われますから利益がなければ
製品開発はできませんし、出資者(お金持ち)は資金を提供してくれません。
利益は会社の存続・成長に必要です.副産物としてお金持ちがよりrichになりますが...。
 花としてはヒマワは悪くありません.
コップみたい でちょっとエキセントリックな魅力があります。
こんな風に咲く花があっても不思議ではありませんよ。
 この写真を撮ってから4,5日たちますので 今頃は きっと 開ききっていると思います.
蜂とかが周りを飛び回って 花としての栄華を誇っていることでしょう。
まだ3,4日は植物園に行けませんので 次に見るときは 最盛期は過ぎていると思います.
花の命は短いのです.ああ!無情!でもないか?いつまでも咲くより良いですね。
たまに春から咲き始めて秋になっても咲き続ける花がありますよね。
ちょっと見飽きて 2度と植えなくなりました。これこそ ああ!無情でございます。




ヒマワリ ヒを取ってマワリ オを付けてオマワリ おまわりさん  こんにちは おまわりさん 今日もよろしく! 身丈にあった仕事 身丈にあった帰っていく部屋 一日終わって帰ってきたら ドアに張り紙が 「あなたの部屋に空き巣が入りました。つきましては取られた物がないか確認の上 この紙をもって交番所まで来てください。」とな! いろいろ学んだエピソードなのです。 ひとつ こんな質素なアパートにも空き巣狙いやってくるのだな。 ひとつ 施錠せず 鍵部屋に置いたまま外出する人もいるのだな。 ひとつ 部屋ごとに鍵は違うはず!思うあなたは甘い! 最初に入られた部屋の鍵と 私の部屋の鍵同じであった!! おい!そんなああ! 交番所にて被害調書? 何にも取られてません。呆然としてたら おまわりさん 調書作文一行 これでいいですね はい また一行 はい  わたしの確認をとりながら作文完成させていきました。 最後の部分で はい と言えなくて困りました。 (・・・・厳罰に処してくださるようお願い申し上げます・・・)みたいな終わり方。 黙ってしまった私におまわりさん困り顔 この空き巣した人は常習犯で・・・とかなんとか 拇印とられて指黒くして 夜道送りましょうかをお断りして帰りました。 部屋で鍵をとられた方が謝りに来て 異変に気づき窓から木をつたって脱出・通報してくれた隣人にお礼に行って 大変だったねと職場で声かけしてもらって 皆に優しくしてもらって まあ面白いエピソードではあるのですがね 結局すべておまわりさんのいうがままとなった自分には違いなく ・・・・・・・・なのです。 ねえ 交番所もしかして ひまわりみたいな紋章ついてませんか? もしかして 警官手帳にもひまわりみたいな紋章? ちょっと こんど 確認してみることにしましょう おまわりさん ひまわりさん 元気が一番ですよね 頑張ってください ませませ

写真No.50:06/25:チロリアンランプ

 チロルと言えばスイスです。ずぶん昔ですがスイスに行ったことがあります。
マッターホルンとユングフラウとか があるアルプスにも行きましたが、
スイスにいる間中 かなりひどい花粉症の症状に悩まされました。
電車でスイスを出たとたんに鼻水とかの症状がでなくなりましたので 
あの国は たぶん花がいっぱい咲いていたんだと思います.
 アルプスと言えば 日本では信州・長野県とかが中心でしょうが 
この地域には かなり頻繁に出かけました。夏にも冬にも行きました。
雪に埋もれた信州に行くのが楽しみで 4輪駆動車を買いたかったのですが
その当時の四駆では 気に入ったものがなく ずーっと待っていたのです。
そこに登場したのが 初代RAV4でした。すぐに購入してそれからは
頻繁に 雪が積もった信州に出かけました。この当時は温泉も楽しみでした。
四阿高原ホテル?の雪見露天風呂温泉は 実によかったです.
たぶん 季節によっては リンゴが浮かんでいたのも ここだったと思います.
 ちなみに その後10年くらいで 温泉はイヤになりました。
源泉垂れ流しの温泉なんてものは 日本にはほとんどありません。
そうでない温泉は午後3時に縁まであったお湯が8時には10cm以上減って
しかも変なニオイ(温汗だ!)がして とても衛生的とは思えませんでした。
温泉を毎日 終了後の深夜に掃除しているとは 思えない温泉ばかりでした。
まあ いろんなことに気がつき始めると いろいろ出来なくなります。
たとえば,お祭りに行っても屋台の食べ物は 見るだけで食べれません。
何も気がつかない方が 人生的には楽しめると思います.
 それにしても RAV4で行った冬信州の雄大さは凄かった!



チロリアンランプ 内を向いてひとり庭遊びしていた私なのですが 外へとつながること経験させてくれた不思議な花なのです。 友人が選んで持ち込んでくれた花でした。嬉々として咲かせてたら こんな咲かせ方あるのだと彼女の友人の庭へ連れてってくれました。 赤いチロリアンランプで出来上がったアーチ 心底愛らしかった! 気に入ってくれそうな友達に挿し木送ってみました。彼女は行燈仕立で咲かせたらしい。 数年後の便り:ご近所の方が猛烈に興味を示された。。。そうです。 我が家のチロリアンランプ壁から垂らし元気いっぱい 花の下ごそごそ草取りしてたら 声をかけてきた方がいました。 その花がその垂れて咲いてる姿があんまり気に入って 時々見に来てるのだと。 心がなんとも休まるのだと。 わがお鼻が嬉しくてヒコヒコうごめいた・・・ことでした。 京都新聞 季節の花・木 写真つきで教えてくれるエッセイ風の連載記事 あれなんか懐かしい写真のような・・チロリアンランプの記事読んだら なんとわたしのホームページの写真・そこで何気なくチロリアンランプについて もらした言葉そのまま使われてて 私もそう思うよ! だって!! チロリアンランプ 愛らしいだけでない 何か あるのだと思います チロリアンランプ ありがとうの花なのです。 ありがとうね!

写真No.49:06/18:白いあじさい

 ちょっとウットシイ梅雨とともにさわやかなアジサイの季節です。
最近は白いアジサイをあっちこっちで見るようになりました。
昔は 梅雨の季節に 田植えを行ったものですが 
近年では梅雨前のGWの間かその直後にするようになっているようです。
台風が来る前に 刈り取ってしまうためではないかと想像していますが。
梅雨と言えば 田植えとともに ツバメも思い出します。
雨の間を縫うようにして低空を飛び抜けてゆくのを見るのはかなりの快感です.
田植えが終わると1週間もしない間に 田んぼには オタマジャクシが表れます。
田んぼの横を歩けば オタマは怖がって 逃げまどいますが
その結果 水面が揺れまくってオタマがどこにいるか分かります。
たぶん 土に頭を突っ込んで じっと しているほうがだいぶ安全と思いますが
だいたいのお玉は怖くてじっとしていられないのでしょう。
 順調に行けば このあたりのお玉はだいたいは 青蛙さんになるようです。
青蛙さんは子供時代とは違ってじっとしていることができるようです。
一度 カマキリが青蛙さんに迫ってゆくのを見たことがありますが
青蛙さんは 落ち着いていて怖がる様子もなく じっとしていました。
カマキリはドンドン近づき とうとう 目玉から食べ始めましたが 
それでも逃げることもなくじっと食べられてしまいました。
 お玉はじっと 青蛙さんは逃げる という組合せのほうがよかったと思うのですが
世の中は なかなか 難しいようです。
 私は逃げまどうお玉タイプですが あなたはどっちのタイプですか?



歌は世につれ世は歌につれ ぼんやりとでもここまで生きてくると見えてくるものもあるようです。 歌だけでなく 家も 人も 庭も 世につれ。。。言えるようです。 ご近所新しく建った家々 今の世に似合った似通った雰囲気感じます。 庭木にはジューンベリー そして 白いあじさい(アナベル) 一本の通り道 そこだけで 5本のジューンベリーの淡い白い花咲く木 白いあじさい(アナベル)にいたっては 10株以上白く咲き誇っています。 20年前では 色どりを楽しめるハナミズキ つるばら クリスマスローズかな。 サルスベリ ユキヤナギ サツキ とくればそうとう昔だね 庭に桜、梅、松、モミジ 少しずつ少なくなってきてませんか? その時々の私たちが選び取って育ててきたものたちですよね  どの家も庭もそこに住む人も流れゆく者たちとは言え 今を明日をともに生きてゆきたいものですね。

写真No.48:06/11:ホタル袋

 ホタル袋です.下向いて咲いていますが、これでも虫が来てくれるのでしょうか?
上向いて咲けば 虫にも見つけてもらいやすいし 花粉にも近づきやすいと思うのですが
いったいどんな利点があって下向いているのか ちょっと不思議です.
 不思議と言えば *タバの食べ物 ケーキとかパン類の おいしくなさ もそうですね。
なんで あんなに美味しくないのに いつまでも改善されないのでしょうね。
たとえば,根菜類を小麦粉を焼いた皮のようなもので巻いた食い物の味気ないこと
ドレッシングもかかっていないので 食べるのにはかなりの *タバ愛 が必要です.
ケーキも どれも ただただ甘いだけでほぼ同じ味がします.
たぶん スタバでは ケーキも世界共通のアメリカ基準で作られていて 
アメリカの人は ケーキは甘ければ 大満足するためではないかと推測しています.
とは言え 我が家では毎週スタバに通っているのです。
一回1500円ほどですが 年50回ですから年75000円、10年75万円 年金を貢いでいます。
テラスでいただけるし ドリンクは美味しいので やみつきなのです. 
ニューヨークチーズケーキとアップルパイはちょっとイイセン行ってますし
アメリカンワッフルも蜂蜜を いっぱい かければ美味しく食べれます。
 実は アメリカでも 根菜巻きのようなものを何回か食べたことがあります。
たとえば,生の もやし とか ほうれん草 を巻いてあるのですが
これらを食べるには *タバ以上の克己心が必要でした。
アメリカにはベジタリアンが普通にいらっしゃるので 不思議ではないのですが 
なんでも中庸な日本人には無理で 合わないのではないかと心配です.
でも ちょっと進んでいるような雰囲気の*タバですから 敬意を表して
美味しくなくても 黙々と食べるのが 日本人なのでしょうか。
 
 *タバさん!けち付けて スミマセン。



ほたるぶくろ きっちり折り目がついたままの花姿 折り紙から咲きだしてきた和風の花 そう思えていつもにっこりです。 下むいていても大丈夫 ミツバチ毎日やってきて離れない!そんなことがありました。 時には袋に入り込んでるけど ほとんどの時間まわりをホバリングしてるだけなのです。  仲間呼んでくるわけでもなく 花粉集めてる様子もなく あんた 働きバチなのにさぼってるんじゃあないの?  勤務タイムレコーダーごまかしてるんじゃあない? ほたるぶくろ気に入りすぎての独占欲にかられてるのとちがう? おかしくも愛らしい ほたるぶくろとミツバチの思い出なのです。 くまんばちは藤の花が大好きです ご近所の藤満開 なんとね 花から 五メートルくらいきっちりの間隔で くまんばち並んでの一定の高さでのホバリングで順番待ち? 近くにカナブンなど迷い込んでこようものなら 追っかけまわしての排除態勢 おかしくも真剣な くまんばちと藤の花の思い出なのです。 ベルリンの壁壊れる一年前 のんびり道行く人眺めながらお茶タイムしてました。 ドイツのケーキは秀逸です。 毎日ケーキどれにしょうと楽しみでした。 ビーネンクーヘン(はちみつケーキ)もお気に入り。 ケーキ売り場にも 食べてるテーブルにもね ミツバチやってくるのです。 もう堂々たる態度 ちょっとギョッとしますよ。  店の方が言いました。 ああ蜜を集めにきてるのですよ。 すぐ近くにミツバチ巣箱があるので そこからやってくるのですよ。 人は巣箱から蜜をとってケーキをつくる ミツバチにしたら自分たちのもの 回収してるってものでしょうよね。  あはは 笑ったことでした。 因果はめぐるのケーキとみつばちの 美味しく懐かしい思い出なのです。

写真No.47:06/4:アリウム

 この花はアリウムと言います。普通に花と言えば 
桜とか バラとか ボタンとか ダリアとか いわゆる花の形をしているのですが
このアリウムは まんまる です.これを始めた見たのは 今や 十数年前のことで
近くのガーデニング屋さんで この球根を売っていて その写真でした。
こんなに まんまるな花があるのかと いたく感銘して
直ぐさま 我が家のガーデニング担当者さんに 家の庭に咲かせて欲しいとお願いし
数ヶ月後に 無事 実物を見れました。
 どうゆうわけか その後 この花の名前を アトリウムと覚えてしまいましたが
アトリウムは ガラスなどの明るい天井の吹き抜け広場 のことですよね。
それで思い出すのは LA・サンタモニカ近くのAmbassador Hotelです.
建物の真ん中にアトリウムがあって その周りに部屋が配置されていました。
日本からLAに到着して これから1年間 住む家を探していたのですが
なかなか見つからなくて 長い間 ここに滞在しました.
時間がかかったのは 居間から太平洋が見わたせる という条件をつけたからでした。
2週間ほどかけて 丘の上に建つ太平洋が見わたせるアパートを発見し、契約しました.
場所はパロスペルデスというところなのです。LAからは車で1時間かかりますが
付近はリッチな雰囲気で いわゆる 高級住宅街でした.
 それから1年間は広大な太平洋を見ながら暮らせました。
ベランダからは鯨も見れるはずでしたので 望遠鏡も買いましたが ちょっと無理でした。
その代わりに夜にはお月様をよく観察しました。あれはマジにデコボコしていましたよ。



わたしの植物・理科知識は中学・高校教室止まりです。 このまん丸アリウム・ギガンチウム 生命体としての基礎知識超えていました。 花としては面白く演出可能性に満ちていて どうしてくれようぞ 意欲刺激する素材です。 でもでも 植物生命体としてのありかたにとまどうあまり三年であきらめました。 最近の京都植物園 がんぱって株増やし 面白い演出での咲かせ方に力いれてる!? 大きな舞台 もっともっと大胆にあっと言わせる咲かせ方・・・期待しているのです。 ギガンチウムさん  一体どうやって次の春また次の春 生き続け花咲かせ続けることできるのですか? 一春咲かせたら消耗するでしょう? いつ球根充実させているのですか? この謎 こころ落ち着きません。 理屈にあわない・・・ 蕾の塊ふくらんでくる前に葉は消耗の極地 枯れてゆくのですよ。 蕾・花 そして無数のタネ どこにその精力が? 次の春へと続く精力はどこに? なんだかねえ こわいのです。 15分うごいたら ベンチは何処? 30分うごいたら ああしんど お茶にしよう! 1時間うごいたら あたまうごかないいい ちょっとうたたね・・・ 半日うごいた・・・・うごけるはずないやん! アリウム・ギガンチウムさん 植物園ガードナーさん  がんばってね!

写真No.46:05/28:ユスラウメの実

 ユスラウメにキレイな実が たくさん? 付きました。
花が咲くときれいですが 実が付いても とてもキレイです.
何度も楽しませてくれる 優秀な木なのです。
が、世の中的には あまり 知られていないような...。
たとえば,京都植物園では どこにあるのですかね。
あれだけ 広いのですから あるのはあると思うのです.
なにせ アーモンドの木があるくらいですから。
 先日 アーモンドの木を見に行きました。春に花が咲いていましたので
きっと あの種が入っている実が出来ているはずと思ったのです。
出来てましたよ。かなりたくさん。
1個ちぎって あの種を見てみたいと妄想しましたが 
週末に アーモンド効果を飲むと決意して おとなしく帰ってきました。
 京都植物園はとても広いので とても変わった 花や木があります。
たとえば みなさん "こんにゃく”の花 が見れます。うそではありません。
今は雑草がはびこっている場所で 数年前に一度見ました。
ひょろひょろとした細い茎の上に赤色と黒色の花か実が乗っていましたよ。
今思えば 枯れた一本のワレモコウのてっぺんに テントウ虫が2〜3匹 
とまっているような感じでした。
なんでも 何年かに一度しか咲かないらしいので 皆さんも見れるといいですね!

PS:居間の北側の吐き出し窓と東側の出窓の向こうでバイカウツギが満開です。
あんまりスゴイので出窓の方の写真を載せておきます。




ゆすらうめ と ばいかうつぎ 並べられたらわたし立往生 手も足もでない立往生 ゆすらうめの咲くのは三月終わる頃 毎年届けられる春の証明書 手放しで嬉しいのです。 のぞきこんでのぞきこんで過ごします。 愛らしさ?いとしさ?懐かしさ?  また会えたことに生きていることにすべての良きこと美しきことに わたしは溶けてしまいます。 だはは ほんとだよ。 五月終わるころばいかうつぎ満開むかえます。北と東の窓まじかに咲くので わが居間はばいかうつぎの白い花に包まれたようになります。 ばいかうつぎは五月の風に揺れて咲きます。 夢が揺れているようです。 清潔などこまでも清潔な夢 わたしは泣けてきてしまいます。だはは ほんとだよ。 庭に出て 赤いゆすらうめの実 片手に集め ばいかうつぎのあまい香りに包まれて 口へポイポイと・・・ 至福のひと時とは このことなーーーり! だはは ぜんぶ ほんとだよ。

写真No.45:05/21:赤いバラ

 再びバラ棚に咲く赤いバラです.青空を背景に美しく咲き誇っています。
この写真では赤いバラは お日様を向いて上に咲かせていますので
下から 棚の隙間から のぞいて見るしかありません。
間近で全体を見たいので ちょっともったいないです.   
 赤いバラは 花の王者かもしれませんね。 
まあ どの花も 咲き誇っているときは花の王者ですが。
王者と言えば 現在の世界の王者は どの国なんでしょうか?
たぶん まだまだアメリカでしょうね。
軍事的には ロシアがぽしゃったので ダントツですが
問題は経済です。中華帝国がチャレンジしていますが
うん十年前の日本みたいに アメリカにいろいろ意地悪されています。
まあ これは 民主主義VS独裁政治 なんです 
 昔から言われてるように 民主主義は非効率で衆愚政治になる可能性が高いです. 
一方,独裁政治は 独裁する人が有能でGOOG PERSONであれば効率的でOKのようですが
非効率だとムチャクチャでBAD PERSONだと最悪になるらしい。
今現在 中華帝国を統治する人が有能でGOOG PERSONであるかは知りませんが 
経済活動にちょっかい出しているみたいで非効率になってきているらしいです.
後は BAD PAERSON でないことを祈るしかありません.
でも インターネットで中国の様子を見ると 結構 happy そうですから 
うまく行っているのかもしれません(ネットも管理下だろうけど)。
私どもとしては from Kyoto with love で見ているしかありませんが...。 



赤いバラ 花やさんでも特別扱い 見る人にも買う人にも 一種の気合?思い入れ?感じます。 それはともかく 赤いバラ似合う人誰だろう 赤いバラ捧げるとすれば誰だろう しっかり浮かんできたのはリンカーンさんでした。 リンカーン大統領 実はどんな方なのか何をした人なのか知らないのです。 ぼんやり今まにで得てきたイメージだけなのですからいい気なものですね。 私たちの世代はアメリカを一生懸命見てきた世代だとおもいます。  多分アメリカというものに洗脳されてるかも・・・自覚もあるのです。 でもここまで生きてきたのですから洗脳・自覚を超えているべきですよね。 なにやらえげつない国だなあ…と思うこともしばしばちょくちょく それはともかく 振出しに戻って赤いバラ  アメリカという国に似合う花だとも思います。国というとえげつなさが 表に出てきてしまいそう… だから 私の好きなアメリカの代表として リンカーンさんの墓標に赤いバラ捧げたく存じます。

写真No.44:05/14:ジャーマンアイリス

 ジャーマンと言えばドイツのことです。日本と同じで自国名が英語で異なるのですね。
さてドイツと言えば 最近ではエネルギー問題が気になります。
原発を止め石炭も天然ガスも減らして 風力とかに頼るとか ゆうてるみたいです。
ホンマカイナ? ちょっとやり過ぎではないかと 思わずにはいられません。
一時期 自動車を全部電気自動車にすると騒いでいましたが コレも同じです.
 万事中庸の国ニッポンとしては かなんな〜 と思うばかりでしょうが
ぼんやりしていると 悪党呼ばわりされるので なんか対応するしかありません。
 一時期 地球は氷河期に向かっていると言われていましたが あれは いったい
どうなってしまったんですかね〜。そんな論文を書いても掲載してもらえないのでしょうね。
 ドイツとかヨーロッパ諸国が ワーワー 言っても 日本が頼っているアメリカが
しっかりしていれば問題ないのです。が そのアメリカも 大統領が トランプさんでも
バイデンさんでも なんか ぱっと しません.
 この先 世界や ニッポンがどうなるのかなんとなく 不安定 ですが
まあ 例によって セラヴィです. 
 良い天気が続いて地震も起こらなければ 花にかこまれた私どもは OK!なのです.

 OK!



わたしはね 皆のお役に立てる喜ばれるものを造ったつもりだったですよ。 それが 大砲だったとは知らなかったですよ。 ぎょっとして そしてじわじわ心に引っかかり続けている文章です。 子供時代の"お山のハイジ”に始まって  “ロビンソンクルーソー” "アシモフ、アーサーシークラークさんらのSFの世界”へ なんともはや いつも楽しくラッキー!過ごしていたはずなのにねえ 実情は現実逃避そのものの生き方してきたのが丸わかりですよねえ  それが私です。  ひそかに思うのですよ お山のハイジ、ロビンソン・クルーソーまでは 自己完結・何にもいらないけれど 原子力発電・エネルギー・・・否定してしまったらそれは鉄腕アトムの世界を否定することに AI・人工知能・・・否定してしまったらそれはSFの世界への道を見失うことに わたしのどうかと思われる世界観はともかく 現実に展開していく世界の歴史・未来のためにも  "わたしはね 皆のお役に立てる喜ばれるものを造ったつもりだったですよ。 それが 大砲 原子力発電・エネルギー、AI・人工知能だったとは知らなかったですよ。    そうも言えませんかね ??? 五月 美しい 爽やか 素敵な形容詞満艦飾の季節 さあ 力のかぎり 現実と夢想重ね合わせて セラヴィ! 花の世界 ココアタイムへ 出発!   OK!!!

写真No.43:05/07:バラ

 まだ5月の初旬ですが、バラが咲き始めました。
この写真のバラは実物はもっとピンク色で 通りがかりに見たときに 
 あっー!高島屋のバラ 
と思ったのです。が 写真では 色がちょっと違いますね。
 高島屋のバラ包装紙は優れものです.これのおかげで高島屋は存在できたのかも。
誰が いつ 選択したのか知りませんが good choice でした。
世の中には バラ包装紙のように どうでもいいもの と思われているが
実は とっても大事なもの が結構あります。たとえば,ワインの栓抜き。
昔なら ワインを買えば おまけに付いてきたクルクルと巻いた栓抜きです.
我が家には ワインはあるのですが あれがありません。コルクを 押し込めば 
飲めると誰かが言ってましたが 我が家の男子(->私)にはちょっと無理です.
で 我が家には どっかでもらったワインが2、3本あるのですが 飲めません。
 缶切りもそうです。昔 食べたい缶詰があったのですが缶切りがなくて
缶詰があけられないので食べれませんでした。もっとも 現在では ほとんどの缶詰は
蓋を引っ張れば開けられるようになりましたが。
 『つまらない』と思われている もの(or 人 or 国)でも 実はとても 
役に立っていることはよくあるようです。最近 掃除をするたびに 
なにか『つまらない』もの(なんかの部品)が床に落ちているのを見つけるのですが
これも何か大事なものかも と思って 引き出しにしまってあります。
それらを引き出しにしまったことを忘れるのが問題ですが...・


掃除嫌い・整理嫌い 4年に一回くらいで反省の極みに陥ったとき 捨てまくりの権化に変身・・・それが私です。 はい 我が家にワイン栓抜きがないのはその結果なのであります。 その後なんでかワインが3本集まってきて…後ろめたしなのであります。 捨てちゃえ!なのですが ワイン入ったままの瓶どうしましょう! そのままごみ袋!だめでしょうかねえ。瓶叩き割る!怖くて力でそうにありません。 捨てるためにもとっても大事な栓抜き・・・なのですねえ。 こんな話読んだことがあります 国を離れ保護された家族のお世話にあたったボランティアさん とりあえずの生活の場所・生活用品・食料 用意されました。 数日後 うまくいってるかと訪ねてみたところ 食料の缶詰が一切手つかずのまま。 何がいけなかったのだろうか。お気に召さなかったのだろうか。気を悪くされたのだろうか。 思い悩み 心くじけ おろおろおろ 答えは 、缶切り あったのだけど 缶切りの使い方を知らなかった! されどワイン栓抜き されど缶切り アッ先日 スーパーのレジ並んでたら おっちゃん風の方やってきてレジの方に お姉さんすまんけどちょっとこの瓶の栓ひねってくれんかね 力のうなってしもて・・・ 笑いごとでないなあ 家の外に立って元気そうな人つかまえて スミマセンちょっと このヨーグルトの蓋はがしてもらえませんか・・・なあんて言う日が・・・やばし!

写真No.42:04/30:ぼたん

 立てば芍薬、座れば牡丹 の ぼたん です.
ソフトで 華やかで イイですね。さしずめ 男なら
 立てばひまわり、座れば葉牡丹、歩く姿はワレモコウ でしょうか? 
こんなこと 書くと 最近のジェンダーレス風潮では 女性蔑視の表現とか 
言われるかもしれません。
 CNN(アメリカのニューズ番組)の女性キャスターなんかを見ていると
取って食われそうな迫力があって 怖いのなんのって。
その点 日本は まだまだ 遅れて? います。迫力不足です
私的にはこれくらいで 勘弁して欲しいですが まあ世の流れには逆らえません。
しかし 山本周五郎さんを読むと 陰で男を支える女性をたたえることが多くて 
時代錯誤を感じますから 世の中の価値観の変化は早く 勘弁して欲しいと思う
私の感覚もすでに 古いのかもしれません。
 しかし 女性でも男性でも 世の中の競争にさらされて 厳しい人生を送るよりは
お金も地位もなくても チビリチビリとhappyに暮らしたい人もいると思うので 
競争しろ と 世の中に 追いやらないで欲しいものです.
 なに? それでは日本の GDP が増えないし 世界での地位が低下する?
お答え->So what! それが どうした! です.



ハラスメントと言ってもいいのでしょう  偉そうにね ”葉ボタン・牡丹・百日草・キンセンカ 嫌だ!” 思っていたし 公言もしてたかも・・・ほんと意地悪顔してました 。 ***** 庭遊び初めての晩秋 すけすけの庭 色の無い庭  気づいた時には葉ボタン植えこんでいました。 一日目から我が家の庭にぴったりなじんでくれました。 霜にも雪にもまわりに育っていく植物・春の花にもぴったり調和 主人公でもあり 脇役でもあり ナレーターでもあり 演出家でもあり 格式高い系だったり 麗しの極みだったり 愛らしさ 面白さ おかしさ やさしさ 極み続きで もう嬉しさにわたしはよれよれ 完全脱帽 葉ボタンさん! もろ手をあげて降参・万歳 ハラスメント 実力で突破されて もろくも・・・ ある夏 田んぼのあぜ道ぐるり百日草植えた方がいました。 夏から晩秋 輝いたこと輝いたこと 百日草さん 脱帽 降参 ハラスメント 負けてばかりはみっともない 庭にキンセンカ咲かせて お詫びとさせていただきました。 さてさて さてさて 残っていたのは 牡丹です 今日の一枚の写真に選ばれたのは はい 牡丹さん! でした。

写真No.41:04/23:水芭蕉

 水芭蕉は2回目です.
今回は白い花びらだけでなく 穂状のものが撮れたので採用です.
水芭蕉は ちょっと日陰っぽい場所を好むように思います.
植物園でも半日陰的な場所に植わっています。
まあ 人間社会でも 日が さんさん とあたるところより 
あんまり 人目がないところの方が 好きな人もいます。
こう書くと ちょっと自閉症的な面も感じられますが
たぶん 他人の見る目よりも 自分が見る目の方が大事な人なんだと思います.
他人には自分のことは分かりませんから これは良いと思います.
しかし 
日が当たる場所に行くと 思わぬ自分の力を発見・発揮することもあります。 
私の経験で言えば 中学入試で 跳べたことがなかった4段跳び箱があって
衆人環視のなか やったのです。なんと 生まれて初めて 跳べました。
それも 軽々と。 なぜ 練習では出来なかったのでしょうね。
やはり 他人が見ていれば 人間は ガンバル のでしょう。
その後の人生でも 衆人環視のなか 思わぬ実力を発揮する機会が度々ありました。
 日陰が好きな人も ときどきは 日が当たる場所に 行くのもいいかも。
水芭蕉さんも ときどき お日様があたる場所に移せば メチャキレイに咲くかも。
枯れても保証しませんが...。



日陰の花 日陰を好む花 日陰に強い花 シェードガーデンお持ちの方 気持そそられるキーワードですね そんな説明書きに惹かれて庭の隅に植えこんだ花苗がありました。 責任者としては気にしていたのですが いっこうに姿みえてきません のぞきこんでみると ひょろり ねそべっての花姿 まわりの花かきわけかきわけ 時々のぞきこみのぞきこみ ごめんねえ すまなかったねえ  いつの日か再チャレンジ お日様いっぱいのなかで咲かせてあげるからね 私はねほとんどの花は日向がおひさまが好きなんだと思うのですよ。 だだ 暑い夏の日差しに強くないということだと思うのですよ。 有名な尾瀬の水芭蕉だって 広々とした光・太陽いっぱいの世界で輝いている 日陰の森・木陰で咲いている写真じゃあないぞ 私はね ほとんどの花はひなたで咲いてほしい。 そしてそっと日陰に移してあげて欲しい。  出来ないことだけど だからこそ? 願ってしまいます。 出来ないことだから仕方なく日陰の花・日陰に咲く花・日陰に強い花 そうゆうことになっちゃうのでしょうね

写真No.40:04/16:しだれ桜

 この写真は なんと2017年4月14日に撮ったものだそうです。
このサイトの写真は 直近1週間以内のもの と決めていたのですが
アレクサの画面に 突然 これが表示されましたので例外です.
いやー 懐かしいです.この後 すごい台風が来て 左側の枝がなくなりました.
現在は その部分の欠損が 目立つし 未だに 全体として 元気がなく
過去の輝きを取り戻すことができていません。 
 植物園は そこで このサクラの根の付近を立ち入り禁止にしました.
この措置で サクラが元気を取り戻すことはよくあるようですが 
このサクラは まだまだです。 
 このときの台風は すさまじい威力があって 植物園でも 宝ヶ池公園でも
多くの木々が痛めつけられ 倒れました。京都に近づいたのは 夜中で
その音が恐ろしくて ろくろく 眠ることもできませんでしたが
ミキミキと言っていた我が家も耐えてくれて 無事 平安な朝になりました。 
 昔は 地震 雷 火事 ...とか 言っていましたが 
最近は 台風 と 豪雨 もこわいです.ただし,災害マップ によれば
近くの山が崩れても 我が家の数件手前で 止まるらしいので 
家でじっ〜として 祈ることにします.
 何を祈るのかって? ウ〜ン! そうですね。 まあ (天皇陛下的なら) 
   人類の安寧 
ですかね?
 僕的には?ウ〜ン!考えておきます。



とっておきの瞬間 とっておきの思い出 とっておきの写真 いろいろありますね いつの間にかかき集めてた いつの間にかたまっていた もろもろ 余生のお助けエレメント満載です。ありがたや ありがたや  このしだれ桜とのおつきあいも長くなってきました。 少し変わった桜だとおもいます。観光用のぱあーっと華やぎタイプではないのです。 大切に慎重に世話されていても気難しそう 咲いても地味です。そっけない気もします。 だけどこの写真2017年 逆転満塁ホームランでしたよ。 気難しでも地味でもなかったのです。 最高レベルの上品・優雅な桜だったのです。 実力発揮とは・・・・こんなことなのでしょうか。 完璧 完璧 つらいことですが それは頂点 一瞬なのではないでしょうか 感動の時 思い出のなかにとりこまれてはいますが その後は・・・ 今 目の前の桜をそのまま受け入れて愛でることの邪魔? 比較の心が入ってきてしまうようです。そのことに気づかずにいられなくてね 寂しいような恥ずかしいような ありゃりゃ わたしってわりと困ったちゃん気質なんだなあ  いやいや 気を取り直しやすい気質もあるんだぞ 思い出の中に入ってきたものたちには影も光も溶け合ってるのですね すべてのことが一瞬に とっておきのなにか 喜び になるのですね イエイッ さあ きょうも ココアタイム レッツゴー! 

写真No.39:04/09:山吹

 山吹と言えば やはり 小判 ですね。お金です。
あるところには あるが ないところには ないのが お金。
自由な社会では 稼げる人は 簡単に 稼げますが
稼げない人は 簡単には 稼げません。 
よい例が シンガー・ソングライターです。
 いろんな曲を作って ヒットさせ いっぱい稼ぐ人もいますが
いろいろ作っても ぜんぜん 売れなくて 稼げない人もいます。
 出発点で 同じ資金を持っていても 
どんどん増やす人もいますが どんどん減らす人もいます。
たとえば ラーメン屋を開いて どんどん支店を増やす人もいれば
赤字が続いて 倒産する人もいます。
 お金を稼げない人から見れば お金を稼げる人は ねたましいでしょうが
   C'EST LA VIE  
です.
 その場合の対策としては すねて方丈記でも読むのが良いかもしれません。
が しかし 現在の日本では 大枚のお金を稼げなくても 大丈夫です.
可愛い猫か 没頭できる音楽か 良き伴侶が 手に入れば Happyに暮らせます。
どれも たいして お金もかかりません。 たぶん...。



春爛漫? 桜満開?チューリップ満開? 待ちかねてた春・外の世界への豪華なご招待タイム 走りまわります。はしゃいでしまいます。 浮かれて過ごしたあとで  ふいっと日陰の世界に気がつく... 毎年くりかえされる驚き・新鮮な喜びの瞬間です。 家の庭 ほったらかしで見守るだけの庭 日陰の庭 なのに一番しっくりくる春の庭となってきました。 足元に スミレ、ハナニラが星のように散らばり広がります。 クリスマスローズ、イカリソウ、スノーフレーク、シャガ 続いて ナルコユリ イングリッシュブルーベル、白雪げし、エビネ 西洋おだまきがおとなしく華やぎの演出し始めました。 わたしは だまって あちこちさわりまくって 過ごすだけです。 おだやかな気持ちになれるって・・・いいことですねえ 植物園春爛漫楽しむ人たちにちょっと疲れて森のコーナーに入ったら 木々の間こぼれる光! 山吹が主人公の世界でした。 誰だ! むむ 越後屋おぬしも悪だのおお なんて落語かぶれ発揮して 小判話に持っていくのは! あははは んだよねえ たしかに 黄金のひかり で ありました。 みなさんの春は  春爛漫 日陰の春 そして…どんな春なのでしょうか

写真No.38:04/02:水芭蕉

 夏が来れば思い出す予定の花です.
芭蕉といえば奥州一周 現代的には東北一周旅行です.
私どもも やりました。京都から 初代RAV4で11日かけて回りました。
行きは 日本海側で1泊目は上越でした。上越には宿の近くに郊外型モールがありました。
まだ 日本でのモールの存在を知りませんでしたので ちょっとビックリしました.
その後 海岸沿いをひたすら北上し 秋田からたっぴ岬 青森を経て太平洋側の久慈に出ました。
秋田では暑く、たっぴ岬では尻餅をつき 青森ではワーフ付近の寿司で雲丹を食べ 
久慈ではホテルでスイートに泊まりました(満室でアップグレードされました)。
この当時は泊まるのはビジネスホテルの格安ツインがほとんどで 
一般ホテルのスイートに泊まったのは これが最初だったと思います.
 この行程では 天気に恵まれませんでしたが 気仙沼に着くと日本晴れで 青海原!
その後 金華山を経て 山形で米沢ステーキを食べ 福島で次の宿屋を探すも 全部満室で
ようやく取れたのは 高級ホテルで 福島に着いてみると 国体の開催中でした。
その後関東を避けて小諸経由で長野に出て 九頭竜湖経由で福井 北陸道から京都に帰着しました.
学校が夏休み直前の期間でしたので 道もホテルもまだ込んでいなくて 快適でした。
各地で 夏祭りの準備がほぼ 終わっていて 本番さながらの山車も見れました。
  11日3000kmの旅でした。
芭蕉さんは300年ほど前に徒歩で数ヶ月 
私たちは車で11日 
300年後は? 瞬間転送?
まあ その前に人類は滅んでいると思いますが...。


戻ってくるところ 旅行するということは戻ってくるということですね 行った距離 帰ってきた距離  距離とかかった時間の合間に思い出ができるのですね 思い出というのはすべて 何時か・どこかにあったこと 思い出をたどるということは そこにいたる距離・時間をまた旅するということなのでは 繰り返しくりかえし 私たちの旅は続くのですね そして必ず戻って来るところ わたしたちのところ いま なのですね

写真No.37:03/26:アーモンド

 アーモンドの木に咲く花です.
サクラか杏(あんず)かと思って近づくとアーモンドの木でした。
アーモンドと言えばナッツ類ですが日本ではアメリカと比べてあまり食べないようです。
私たちもアメリカに住んでいた頃はよく食べていました。
いろんなナッツがいっぱい入っている大きい缶から直接とってたべていました。
日本に戻るとあまり食べなくなりました。
たぶんスーパーとかでそんなに見ないためだと思います。 
日本人がナッツ類をあまり食べないので売ってないのかもしれません。
アメリカでは中華料理でもナッツ類が入っていました。
特にカシューナッツを炒めた料理をよく食べました。

 アメリカと日本では中華料理でも素材も味付けも異なりますよね。
ナッツ類だけでなく パインナップルが使われていてビックリでした。
味付けは甘かった印象です.

 中華料理はその国の素材を使って適応するようですが
日本料理は 出来るだけ本国に近いものにしたいような気がします.
LAの寿司屋に行ったとき コハダ築地より空輸 と書いてあったのが印象的です.
そこまでして 日本のコハダを食べたいのかい? と思いましたが
前日までレジにいた少年が厨房でキュウリ巻きを作っているのを見たときにはビックリしました。
 キュウリ巻きを出せるまで何年もの修業がいる日本と
レジバイトの少年がたどたどしく作るアメリカと比較すると興味深いです.
効率的という観点からはアメリカの方が勝っていると思いますが
レジバイトが作ったキューリ巻と古い板前のキューリ巻で差があるのでしょうか?
良いお米と新鮮なキューリ パリパリの海苔を使えば 
誰が作ってもおいしいような気もします。
日本でも安い回転寿司屋さんならレジバイト風な作り方しているようですし。



アーモンドの花ぱーっと愛くるしい花なのですね 初めて知った今日知った明日の晩まで覚えとこ! 子供時代こんな憎まれ口?っぽいこと皆で言い合ってませんでしたか? 老成の成果 今は 知るは喜び っと素直なこと限りなし 子供時代思い起こしてみると  グリコアーモンドチョコレート ショッキングな登場でしたよ。 とりあえず板チョコ皆にいきわたったころ 聞いたこともないアーモンド それも豪勢に一個まるごとチョコレートで包み込むなんて なんて豪華な美味しさであることよ! グリコキャラメルのおまけつきも圧倒的なアイデアでしたね。 おまけがすごかった。 子供の期待と希望・願望くすぐるアイテム やっつけ仕事でないのがわかるので尊敬して丁寧に扱ってしまうおもちゃでした。 明治サイコロキャラメルの登場も衝撃的でした。 特大のキャラメル口いっぱい 歯と歯くっついちゃって まあ美味しいやら  なにやら格闘めいたおかし りっぱにサイコロとして遊べるのがまた嬉しい。 アーモンド、くるみ、ピーナッツ ピスタチオ 等々 ナッツ類大好き。 何故だか 舌痛くなるのがこまりものでした。 歯もとほほほのお年頃 ナッツどころか豆腐・納豆とのお付き合いのみ とほほ グリコのおまけ 世のコレクターたち きっと宝箱にどっさりと・・・ ああ羨ましい コレクターになるほどの根気もなかったのですがね。 サイコロキャラメルはスーパーで目にします。歯のトホホが身に染みてますから 食べたいとは夢おもいませんが なぜか あのサイコロが欲しい!病 重し。 今日アーモンドの花を知りました どんな実をつけるのでしょうか たのしみ ワクワク!

写真No.36:03/19:桜

 今週はいろんな花が咲き誇って、写真もいろいろ撮りました。
が、やはり 青空を背景の桜 です.華やかで キレイです!
ピンク色や時期的に言って これは河津桜でしょう.
河津桜と言えば 始めて その存在に気がついたのが 20年ほど昔で
2月に熱海に旅行に行ったときでした。市内をバスに乗っていると
窓から 川沿いに 桜 いっぱい 見えたのです。
これが河津桜と言うことを 帰宅してから知りました。

 次は梅林です.植物園ですが ほぼ満開です.



桜とは違った 風情 がありますよね。
そう言えば ホトトギス か ウグイス の 声も聞こえました。
ホトトギスとウグイスの声 似ていませんか?
 ホトトギスはホケキョ ホケキョ ホケキョ
 ウグイスはホ−ホケキョ ホケキョ ホケキョ
ではないかと思うのですが 勘違いかも...。

 マジに春になって 5月の温度とか言われても 
まだ ほぼ 冬衣装に近いですが さすがに 
ダウンジャケットは 薄いコート になりました。
それでも 春のそよ風を楽しみながらココアをいだく 日々です.
 気持ちいい〜

 植物園は人でいっぱいですが...。

********
春!こぞって喜びの季節 なんだかなあ  毎年慣れることもなく学ぶこともなく 少しあせって 少し苦しく 少ししょんぼり 落ち着かなくすごします。 楽しみにしてるのですよ 待っているのですよ なのに・・・ 春のきざしを その瞬間を 見たい!の思いにとらわれてるのでしょうね。 今年のように 三日の間に梅も沈丁花も雪柳もレンギョウも桜も咲いちゃって! 山の木も柳ももみじの新芽まで 春の色みせています。 なんだかなあ きっとわたしは 美味しいものひとつひとつ ちびちびと食べたい…人なんでしょうね。 今年もまたすこししょんぼりしたあと いかん!今を愛でよ!今は今しかないのだよ! 意図的に気分奮い立たせて春に立ち向かうのであります。 やはりすこおし哀しい春なのであります。 つくづく お・ば・か・さ・ん なのであります。

写真No.35:03/12:クリスマスローズ

 この花は、地面に這うように咲きます.
大体は上方を見て生きている私などは、配偶者に言われるまでは
その存在に気がつきませんでした。
とはいえ,この花の写真を撮るのはタイヘンです。
地面に這いつくばって撮っても、まだ、ちょっと上からの視線となってます。

 背が低いのに下向きに咲く花としてホウセンカがありますね。
まだ20代のときに住んでいたアパートに2坪程の空き地があって
そこを花壇に改造した経験があります。そのとき
壁沿いの日の当たらない花壇の奥に ホウセンカを植えたのですが
手前に植えた花たちに隠れて ぜんぜん見えませんでした。
花壇に立ち入って かがめば見えたのでしょうが...。
ガードニング初心者の過ちでした。
 狭い花壇を一から作るのも 創意工夫と知識が必要です.
創意工夫の才は天性のものでどうにもなりませんが
知識のほうは 現代ならばググれば 見つかります。
たとえば,これの親サイト(カウンター数1800000以上)には 
  庭の草花 の育て方
がいっぱい書き込んであります。
パソコンであれば左側にメニュ(春の花とか夏の花とか)があります。
ちょっとクセがあるかもしれませんが 相性が合えばばっちりですので
よければ ご参照ください.

********

上を見て生きている人 身近にいてくれると良いものです 上は 外に 遠くに 明るさに 繋がっていますよね  積極的に問題発見対処解決への適性 大志を抱けの精神力への適性 才たけた人 おもろい人 けったいな人 ・・・? もろもろ眼を見張らせてくれる飽きないタイプかな 足元の小さな花 ああ 踏みつけないでくださいね! 下を見て生きている人 ・・・やめときます。 ちと痛すぎますので。 あっ 良いこともありましたよ 冬の畑に万円札 たそがれ時何気に足元に五千円札  努力なしでのお金持ちへの適性 小径に咲く小さな花いつも見ています。 



写真No.34:03/05:みつまた

 みつまた は紙の原料として有名です。
昔読んだ本によると 煮てからスクウと和紙が出来るらしい。
和紙作成なんて ちょっと格好いいような気がして、 
自分でもやってみたいと思わないでもないのですが 
私のような 落ち着きのない人には向いていないと思うので止めます。

 さて、紙と言えば 本でしょう。我が家でも6畳の図書室があって
天井までとどく8個の書架がいっぱいになるほどの本がありましたが
ほぼ すべて廃棄しました.
細かい字が読めなくなって 本は読めなくなったのです。
何年か本無しのさびしい生活でしたが、タイミング良くkindleが現れて
以来 大きい活字で 読キンドル生活 です.
毎日たぶん2〜3時間読んでます。
そういえば 大学時代も よく本を読みました。たぶん 毎日数時間。

 現在と大学時代の違いは 読んでいる本の種類でしょう。
学生時代は 古典制覇が目的でしたので難しい?本も退屈な本も読んでいました
 今は読んで おもしろい と思える本(kindle)しか読みません。
学生時代の読書は 人生の意味 を考えるのが目的でした。
若かったのですね〜。



数年前に植物園で”みつまた”発見 中学時代?の知識復活 ”みつまた”とくれば同じく紙の材料”こうぞ” おまじないのようにペアで覚えていた知識なのであります。 ここは植物園 知識啓発の場所でもあるな 当然”みつまた”の隣に ”こうぞ”の木があるはず どこだどこだ 無い?無い! けしからん 怠慢だ ひとり騒ぐお馬鹿さんここにあり ******** 木陰に銀色に光る丸い塊を枝先につけている雑木に気づきました 冬さなか 浅い浅い春 銀色の塊がつぼみらしくなってきました 銀色の塊がひとつひとつほころび始め 写真のごとく 開花 していくのでした。 銀色の塊 から 黄金の花の塊へ みつまたとの出合い・発見 うれしかったのです どんどん単純になっていく日常のなか 思いがけない発見 そして 懐かしい知識との再会

写真No.33:02/26:温室

 植物園で早春の草花をいっぱい見れるイベントをしています。
3月中旬頃まで開催します。
2月中旬から始まってますが、写真のラッセルルピナスを見ると
現在7〜8分咲き程度ではないかと思います.
これから次第に満開の花が増えて どんどん迫力が出てきます(たぶん?)。
 見頃は3月初旬ではないかと思いますが、その頃は人がいっぱいでしょう.
また,写真を撮るために立ち止まるので 通路が渋滞します。
ほぼ全員マスクをしていると思いますが、 
温室内は あっちこっちでウイルスの蚊柱がたっていると思います.
 お覚悟を!

 長年見ていますが 毎年ほぼ同じような花が同じように配置されている印象です。
そのため植物園常連たちには ちょっと飽きられているかも。
人間は新しいことを考えるのがイヤで 同じことを繰り返します(->反省!)。 
毎年毎年 みんなが驚くような新しい企画なんてできませんよね。
やれたら てんさい です。      天災かも...。

 この催し物の終了後 この温室内にあった花々が 植物園中に植え直されます。
これで寂しかった植物園も いっぺんに 華やかになります。
待ちかねた 春!到来です.

 春!春!春!

嬉しいです.嬉しいです.-->ヨルさんのマネ



温室内は春 外は冬  一番好きな季節かもしれません 天気・気温・体調・時間 もろもろ見計らっての庭あそび 雑草の気配・苔の気配見逃すまいぞと芝生の根廻りなでまわすだけ  何にも考えずに続く超単純作業 不思議な充実感に満ちたひと時 好き! おまけのお楽しみ クロッカス・すみれ・ヒアシンスもちょこまかと とっておきのお楽しみ 庭に出ると何処で見てるのかジョウビタキ 人間の聴覚限界域?テレパシー発揮?存在教えてくれるのですよ。 以前は嫌がられてるのかと遠慮もしてたのですが そうでもないな 芝生いじりまわすと 緑の虫が出てくるのですが それがお目当てらしい 近くに置いておくと 素早くかすめとらえていきます。 もっとさっさと虫ちょうだい 催促のテレパシー! 毎年やってきて 毎年草取り作業つきあってくれて  桜の季節の寸前北の国へ(どこなんだろう?)旅立っていきます。 ねえ ねえ これって 友情って言えませんか? ことしはジョウビタキの声も姿も家の近くで見かけていません 今日の庭遊び 見つけた芝生の虫 そっと土中に返しておきました

写真No.32:02/19:梅

 いよいよ梅が咲き始めました。
こんなに いっぱい梅の花が咲き誇るのはちょっと珍しいかも。
梅で思い出すのは、彦根城で見た梅です.
彦根城の周りを散歩していて裏側で偶然見つけたのですが
この写真並みにぎっしり花のすごい梅林でした。
あんまり感激したので 次の年も京都からわざわざ 梅林を見に行きました。
そして びっくり 去年の面影ナシでした。
背が高くなって 梅の花がほとんど見えなくなってしまっていました。

 家の近くの宝ヶ池公園にも梅林があります.
ここでも一回だけですが キレイな梅の花を見ることができました。
ここは日当たりが良くないのでキレイに咲いているところを見れてラッキーでした。
梅だけでなく木に咲く花は豪華絢爛に咲くとしばらくはパラパラとしか咲かないようです。 
 これは自然界ではよくあることかもしれませんね。
10年以上前に 岩倉川上流で 蛍をいっぱい見ることができました。
爆発的な蛍の数でした。このときは隠れた蛍の名所と思ったのですが
次の年 その次の年...とだんだん減ってとうとうほぼ見なくなりました。

 みなさん なんか良いことがあったら 何度も起こると思わないで
そのときを しっかりとたのしみましょう。




桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿 桜・梅と剪定の関係 それぞれの木・花・実のための言葉らしいのです 桜を伐ってほめられたのはアメリカ大統領になったワシントン少年 梅を伐って侮りを受けてしまったのはわが父親 無趣味と家族から決めつけられてた父親なのですが 突然 我が家玄関前のシンポルツリー?しだれ梅てっぺん部分をカット 大きな石動かし しだれ梅中心とした庭のコーナーを造りました 悦に入る父親を面白がって笑った美的意識なしの家族でした。 とある庭師さんの あの家の見事なしだれ梅ダメになった 無価値になった お言葉が流れてきて あはは家族はまた笑いました。 お前たちはわかっとらん! バランスがとれて良くなったのだ! 突然の父親の情熱 美への関心 イメージ崩れたので おかしく面白く笑ったのですが いけないことしたな・・・そっと思ってもいました。 はい おとうさん しだれ梅としての価値は知らないけど バランスとれてると思ったし 良いコーナーになったとも思ってたよ。 しだれ梅 美しく はいバランス良く 咲き続けてました めでたし わたしと剪定はむちゃくちゃな関係 伐るのが嫌なのです. 剪定こっそりちょびっと中途半端 かと思うと思考停止状態になって伐りまくり わが庭の花木はあわれです。花も実も木としての姿も み・す・ぼ・ら・し 庭に 桜も梅もないので  おおっぴらに伐る馬鹿伐らぬ馬鹿とは言わせない!

写真No.31:02/12:クロッカス

 家の庭でクロッカスが咲き始めました。
昔は植物園の北門近くにクロッカス畑がありましたが、昨年はチューリップ畑になってました。
チューリップの方が華やかでしょうが、クロッカスの方が早く咲きます。
一面クロッカスが咲いているのを見ると、
   早春だ〜!
と思います。そう言えば、そろそろ植物園でも 早春の花々?と言うような催しが始まります。
2〜30メートルの長さがあるビニールハウスの温室にいろんな花々をぎっしり
埋め尽くします。たとえば,桜草 菜の花 ラッセルルピナス チューリップ
この催しが始まった年(20年ほど前?)は、温室に入って、目を見張りました。
豪華さ 華やかさ 圧倒されました。
ニオイもすごかった。香水をいっぱい付けたレディ2,3人と
狭いエレベータに乗り合わせたような感じです。
 ずっ〜と楽しみにしていたのですが、最近はあんまり感激しなくなりました。
慣れてしまったのでしょう。
 年を経ていろんな経験をするたびに 新しい経験をすることができなくなります。
アレも見た コレもした アソコも行った...(つまらん!)。 

 と思っていましたが、技術進歩(youtube netflix etc)のおかげで
新しい経験ができるようになりました。
 -70度の世界での暮らし(よく生きて行ける)
 ストックホルム在住人の服装(カッコいい)
 5番街のお店(行ったことあり)
 イスタンブールのテラス(行ったことなし)
 未来の地球(SFです)
大きい液晶TVで見ていれば その場にいるのと同じようです.
新しい(疑似)経験VRです.よかった。
 よかった。



春の同窓会 庭にクロッカス咲き始めたら 懐かしい少女達との再会のシーズンです。 いつの間にか 花のイメージと重なって記憶に入ってきている友達ってありませんか? 小学一年 今のわたしに繋がっていく経験を共にした同級生 半世紀すぎての再会・・・クロッカスが好きなの。 小学四年生 喜ぶわたしのために 両手上げてフレアスカート花のようにひろげて 笑い続けまわり続けてくたお友達 アネモネの花のよう  アネモネの花にすわったおやゆび姫そのまんまだよ。 高校性 少し暗くなりかねないわたしの横 いてくれるだけでお互い幼い心無邪気な心でいられた友達 つややかなおかっぱの髪なだらかな頬のライン いつもチューリップみたいだなあ・・・みとれてた。 クロッカスが咲いて アネモネが咲いて チューリップの季節になって わたしの春の庭は なつかしい 幼い 少女たちの集まる庭です。

写真No.30:02/05:菜の花

 まだ雪が降る毎日なのに けなげに咲く 菜の花 です。
この菜の花の周りには たくさんの菜の花が植わっているのですが
咲いているのは、この花くらいです。でも寒そうです。
寒くても ライバルよりも早く咲くのは目立っていい。
周りが 咲き誇る菜の花でいっぱいだったら one of them でしょう。
どうせ花として この世に生まれたからには 
  チョウよ ハナよ 
と言って欲しいでしょうから 寒いけど満足かも。

チョウと言えば もうすぐ暖かい春です.
黄色の菜の花畑にも モンシロチョウがいっぱい やってきます。
黄色い花畑の上を あっちこっち ふらふらしながら 飛ぶモンシロチョウ。
これは 絵 になります。
見ていておもしろいですが、 まっすぐは飛べないのでしょうかね〜。
神様というか自然(淘汰)が そのように作ったのでしすから
なんか大事な意味がありそうです。
敵の攻撃を受けているときには忍者はジグザグに進むらしいですが
モンシロチョウも あの飛び方で 天敵(人間?)をだましているのかも。
ということは あれは 忍者飛び?



二月のモンシロチョウ 寒い季節 一人残業 外が暗くなると部屋の明かりに包まれる感 外が寒いとガスストーブの暖かい音に包まれる感 一人集中走らせるペンの音に包まれる感 背筋伸ばした緊張感のなかでの残業中  ふっとね 何か?なんだろう ・・・ 聞こえるともいえないような でも 何か?なんだろう おどろきましたよ 机の上 段ボール箱からきこえてくるらしいのです。 冬の金柑の葉にたくさんの卵産み付けられての幼虫 小さな木の葉食べつくしてしまいそう みるにしのびなく数匹だけ段ボール住まいへ みかんの葉はあちこちから少しづつ無断収集 かくて職場・机の上 ならんで過ごしていたのです。 シャカシャカシャカ きこえるのです。 葉を食べる音なんです。 シャカシャカシャカ カシュカシュカシュ おいしそうな音! 生きてる音! 観察してたらね 個性があるのですよ 葉の端から大きく弧を描きながら食べるタイプ 筋だけきれいによけて食べるタイプ  なんでもいいとかたっぱしタイプ あっちこっち気ままに食べ歩くタイプ   みんな音たててるんだあ・・・おいしそう! 週日は職場 週末は自宅 ダンボール抱えて出勤してました。 お正月休みにはもう蛹になってたのかなあ 蛹になって一安心 春を待てば良いんだな 思っていました。 二月 国立大入試真っ只中 小雪が・・ そんな日にモンシロチョウ羽化していきました。      二月の空にモンシロチョウ 二月の空のモンシロチョウ みかんの葉食べるのはアゲハ蝶の幼虫のはず そのつもりで見守っていたはず 問題ありの記憶・イメージなのですが 遠い日の最終映像変えるすべがないのです。 記憶の底に沈めこませることの出来ない つらくかなしいラストシーン

写真No.29:01/29:寒梅(赤)

 先週に続き寒梅です。
寒い時期に咲くので寒梅と呼ぶわけですが、今週はまさに寒いです。
水曜日には雪が25cm程積もって、かまくら に入ったような車を動かすのが大変でした。
 植物園の横の駐車場まで車で行きましたが、ちょっと歩いて、
これは危ない。ひっくり返るかも..と思い、そのままUターンして帰宅しました.
おかげで、その日は、万歩計の数字は1万歩とはほど遠くなりました。
常日頃から、運動しないと筋肉が落ちると 心配していますので
一日歩かない日があると落ち着きませんが、
最近 運動しなくてもタンパク質を取れば、筋肉が増えるというような内容の
youtubeを見ました。ホンマカイナ?
どこかの誰かが 万人レベル で実験してくれないと信じられません。
 (A)普通の食事で運動しない人1万人
 (B)普通の食事で運動する人1万人
 (C)タンパク質多めに食べるが運動しない人1万人
 (D)タンパク質多めに食べ運動する人1万人
この組合せで1年実験し 筋肉量の変化 の結果を教えて欲しい!
経験的には(D)がbestでしょうが、(C)でも筋肉量が増加するか?
やっぱり無理か。

 とりあえずは、天気が回復して道の残雪が消えれば、歩数も増加するのです。
気象予報士は また 寒波が来ると騒いでいますが。
 地球の温暖化はどうなってんでしょうね。暖かい冬はよかった...。



雪に氷にすくみあがって・・・身動きとれず なんか思い出したぞ ミャアオ 中庭の塀から猫ちゃんやってきて 良いおうちですね おふたり良さそうな方ですね わたくしの猫生 ここでご一緒させていただきたく存じます 三つ指ついてのご挨拶を受けておろおろしてるうちに七匹のお子様誕生(ギネスブックか??) 二十四年間のみゃおちゃんとの生活始まったのでした(二十四年!ギネスブックか??) 24時間外出自由としてました。 中庭の塀ひょいと直接飛び上がりひょいと飛び降りてました。 あるとき 塀に向かって跳ぶ態勢。。。構えて身を丸めてさあジャンプ。。。跳ぶ態勢。。。 最後の決心?踏ん切りがきかないらしい様子 見てはいけないもの・見て欲しくないだろうもの そっと立ち去ることにしました。 以来直接塀へ跳ぶの見ることはありませんでした。  塀の途中で足蹴りを入れたり、中庭の木を足がかりにしての出入となりました。 雪も氷も毎年おなじみのはずなのです。 雪だあっと走り出てた日々はもう遠いのはあたりまえなのですが 最近は敬遠気味くらいの認識はありました そして 今日の一歩も動けないすくみあがり状態 ちょっと見てはいけない・見てほしくない状態だったよなあ みゃおちゃん!  私たちは 靴が悪い!っと叫んで雪用のブーツ注文しちゃいましたよ

写真No.28:01/22:寒梅


 真冬に咲く花の代表です。
他に咲いている花がほとんどありませんので、
この時期には注目されて、写真機を持った人達が集まります。
この写真からもわかりますが、寒梅はチャーミングな花です。
まだウグイスはやってきません。
梅にウグイスはVery Goodな組み合わせです。
梅の木に止まっているウグイスの写真を撮れれば最高です.
(子供の頃、家の中庭の梅にウグイスがとまっているのを見ました。
 かなりよかったです)

 早春賦にもあるように、ウグイスは 
   今は時期にあらずと
谷で 凜々しく 静かにしています。
影も形も鳴き声もありません。

 が、暖か(暑)くなるとウグイスはやかましい。
    ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!
1回目くらいは、オーッ
   ナイス
と思いますが、
 ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!ホケキョ!
   ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!
     ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!ホケキョ!
谷で 静かにしていた分を 取り返そうとしているのか はたまた
巣の子供たちをまもろうとしているのか
       ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!ホケキョ!

 静けさを求めて、次の椅子スポットに向け ココアを飲み干して立ち去るのでした。



ほととぎす 鳴きつるかたをながむれば ただ有明の月ぞ残れる 百人一首一年かけて覚えまくったことがあります。当時は知るは喜びの世界 ほととぎすってどう鳴くのかなあ 調べてみたら ウグイスとそっくり!? ホケキョ ケキョ ケッキョ ケッキョ ホケキョ  ホ〜っと長く鳴けないところが特徴です ウグイスが来年度のさえずりコンテストのため猛練習してるのか!発声練習中か! まだまだだなと笑っていたのが どうも ほととぎすだったということでした。 それよりずうーっと昔 あこがれの信州は蓼科の別荘に呼んでくれた方がいました。 遊び疲れて寝入ったら ホ〜ホケキョ うぐいすの声 なんて高原!なんて別荘!なんてうっとり! 聞きほれて・・・一分たたぬうちにえらいことだと気づきましたよ。 もうね世界中がホ〜ホケキョの世界 ホ〜ホケキョの洪水 ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!ホケキョ!    ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!      ホケキョ!ホケキョ!ホケキョ!ホーホケキョ!ホケキョ! 眠れるわけがない!!! ほととぎすの歌 平安時代みやびの世界です。  眠れなかったよお・・の歌ではないのですがね! 時代は移り行き あははのは 百人一首今の私には睡眠誘導剤です。 ゆっくりゆっくり繰り返し繰り返し・・・10首もいかないうちに気を失っています。  百人一首有効利用おすすめ度高しですぞ!

写真No.27:01/15:蔦

 巨木に蔦が絡まっている写真です.怪人のように見えます。
これは植物怪人ですが、怪人と言えば何を思い浮かべるか?
やっぱり、私の場合には オペラ座の怪人 です.
テーマミュージックが盛り上がりがあってすごいです.
フィギュアスケートでもちょいちょい使われます。

 フィギュアスケートと言えば、伊藤みどりさんでしょう。
あの当時としては、ダントツのジャンプ力でトリプルアクセルを跳んでました。
トリプルアクセルと言えば、浅田真央(チャン)さんですが、
彼女を最初に見たのはCSTVでのジュニア選手権でした。
この当時はたぶん14歳程度で、体も小さく軽くて まさに氷上の妖精でした。
採点がすんで優勝が決まった後の一言が あ−!終わった! でした。
このリアクションは 真央(チャン)さんがどんな性格かをよく語っています。

 長い間、真央チャンの隠れたファンでしたが、
今は、ちょっと真央ちゃんと似て間の抜けたとこがあるアーニャのファンです.
オープングでのアーニャは抜群です.



植物園 ヒマラヤ杉の木陰埋め尽くしての蔦のグランドカバーのコーナー 蔦(アイビー)は壁面に這って育つものだと思い込んでいたので嬉しい発見でした。 わが庭は日陰の庭 足腰相談しながらの庭遊びなので省エネで通年色絶やしたくないとなれば 蔦はなんて優れもの 小さな庭なので小ぶりの葉 斑入りの葉 取り入れてみました。 確かに横に?広がりたがるけど 立ち木や塀にはあまり興味しめさないような 10年くらいさすが植物園プロのグランドカバーっと見てたと思うのに あれれヒマラヤ杉登ってる 登る登る どんどん登る 登ってる! いいのだろうか いいのだろうか 急激に登り繁殖 下半身覆うようになってきました。 ヒマラヤ杉と蔦合体の怪人登場です。 美しい調和の風格 とも思うのですが ヒマラヤ杉にとってはどうなのでしょうか。 じつは わが庭の蔦も10年経つと急に木を登り始めたのです。  風情があって気に入ってはいるのですが さてねえ 風情どまりで怪人もどきは困るような 庭で遊べなくなるであろう時 その時は遠くもない。木を庭を家を怪人に支配されることに。。。 どうしましょう どうしましょう 片目で愛で 片目でおろおろ 暇人のたわごと ではありますね。  

写真No.26:1/8:チロリアンランプ

 この花も寒さに強いです。
ちょっと昔には、雪の中でもキレイに咲いていました。
寒さと言えば、今年も慣れてきました。
あんなに寒がっていたのに、
  最近は普通の冬だなー 
と思えるようになってきました。しかも予報では間もなく春陽気になるらしい。
待ち遠しい!
 5度以上であれば 北風が強くなければ散歩も快適です.
今年になって1万歩をkeepしています。

 ヨーロッパも暖冬で石油価格も落ち着いているとか...
と言うことは、日本でもガソリン価格が落ち着くかも。
今の車はハイブリッドで、月に一回しかガソリンを入れませんが...。

 価格と言えば、たしかに、物価が上がっています。
年金だけの家計では厳しいでしょう。
 数十年にわたって家計簿をつけていますので物価上昇はよくわかります。
月末の合計支出額がだんだん増えています。アレー!
ウソです。健全財政ですので、大丈夫です。スミマセン。
 
 ところで突然ですが、アーニャはかわいいです。ルーザーぽいですが。


不思議ちゃん?型破りちゃん? 自由の風が吹いてくる…そんな友達がいました 話してるとすっぽりはまるものがあり 心が開いてしまうのです。 ふん ふん ははは ふううん ふううん ははは なんだが じゃりんこちえちゃん と話してるような なんだか となりのトトロ と話してるような なんだか ムーミンの仲間のミイさん と話してるような そして 最近 スパイファミリのアーニャちゃん アニメみてたら ああーっと 同じ感覚を思い出したのです。 ちえちゃん トトロ殿  ミイさん アーニャちゃん どんな共通点あるのでしょうかねえ。 どんな共通点わたしは見つけているのでしょうか。 言葉に出来そうな気もするのですが 大切なことはそのままにしておきたい気もします。 大学病院の婦長さんから 船付きの看護婦さんへ 輸送船で世界の海へ 猫をなかまに パズル三昧 あみもの三昧 あっ タバコ三昧でもあったなあ あなた花好きだから・・・ちょっと気に入りそうな気もして挿し木にしてみたけど どおかな チロリアンランプがやってきたのでした。 わたしのガーデニングライフはショボいエンディングに入っているのですが  最後を飾る花?そんな気持ちもあって 塀から垂らしたり トレリスからませたり  チロリアンランプ 冬に赤いともしび 雪をのせて赤いともしび  思い出のともしびでもあるようです。 

写真No.25:01/01 スノードロップ


 この花を見ると幸運が舞いこんでくるらしいです。
私は一週間程前に見たので幸運が舞いこむ予定です.
というか、既に、スノードロップ・ラッキーが舞いこみました。
4年ぶりに龍皮巻を食べれました。美味しかったです.

なぜ、4年ぶりか?
勿論、コロナが怖いからです.
この3年ほど年末には大きいスーパーに行っていません。
混雑したスーパーには、
『ウイルスの蚊柱』(変な表現ですが)があっちこっちに立っている
と思われるからです.
メチャ高いネットスーパーで検索すると、なんと龍皮巻があったのです。
値段はたぶん6割ほど高かったのですが、
これも 何年も行ってない 清水の舞台から飛び込んだつもりで購入・配達してもらいました。
サイフは軽くなりましたが、美味しかったので心も軽くなりました。
まだ残っていますので、楽しみです.

追伸:今日は令和5年の元旦.
   スノードロップ・ラッキーが世界に広まって良い年になりますように!
   スノードロップ・ラッキー!


おみくじ・宝くじ・福袋 あなたのラッキー度いかがでしたか? 我が家はスノードロップに幸運はこんでもらってるのかな。 正式には(年内・お正月前)にスノードロップを見ると良いことが!らしいですよ。 ポジティブな我々は一月だって来年のお正月前(年内)なんだからっと通年の幸運を期待しています。 そんな魔法の花 スノードロップ 寒風の中 枯れ葉の間 雪の中 小さな芽 小さな蕾 小さな花もたげてきます。 はい もう見つけただけで 見つめただけで 幸せは此処にあり! スノードロップ・ラッキーは此処にあり!

写真No.24:12/26 橙(だいだい)


  橙(だいだい)は正月にはお餅に飾ったり、しめ飾りにぶら下げたりしていました。
我が家でも、現在の家に来てからは毎年しめ飾りを玄関正面にぶら下げていました。
とはいえ、我が家の玄関は道からは見えません。
家が道から10メートルほどへこんだところに建っているのと間に木があるからです.
おかげで家人以外には見えないので、毎年
めちゃ大きくて派手なしめ飾りをぶら下げて悦に入っていました。
コロナで大きいスーパーには行かなくなったので、今年は買えないようです。
 残念。残念。

 昨日は、10年以上使っていたパソコンのSSDを交換しました。
DIskInfoで正常率がどんどん低下していましたので...。
新しいSSDを購入しコピーして、パソコンを開け、底にあったSSDを取り出して、
無事交換できましたが、終わってみると、ネジが4本机の上に残っていました。
自慢ではありませんが、ちょっと落ち着きがないので、こんなのはよくあることで、
ネジが余ったくらい、たいした問題ではないです。パソコンを揺らすと
ガタガタ音がするでしょうが,滅多なことでパソコンを揺らしたりはしません...。
が、マウスとキーボードを繋ぐUSBレシーバーが行方不明になって困りました。
差し込んでしまうとほぼ見えないほど小さい(なんであんなに小さくする!)ので
探すのも大変でしたが、用心深い私です.
パソコン横の引き出しに入れてありました。それをすっかり忘れてました。
これから気を付けます。無理だと思いますが...。

 では、みなさん!? 良いお年を!



大きな橙の木のある庭で育ちました 湯豆腐 ちり鍋 夕食お鍋のときは 橙とわたくしめの大活躍の時でもありました。 あはは 一人に一個の橙 食前皆の取り皿に絞り入れるのがわが役目 半分に切った橙 ぎゅうっと力いっぱい絞ります。 五人分絞るとよれよれです。 橙皮かたいのですよ タネ多いのですよ タネもとりのぞかねばなりません。 へとへとです。 でもいつもわが仕事ぶり絶賛の的。 あはは なにわたしは末っ子 弱虫こむし 全力投球も お鍋のポン酢 最初の量にちょうどいい分しか絞れないのです。 後は各自で絞り 最後は力持ち はい父親の出番となります。 湯気のむこう みんなの笑顔みえるようです。 橙のかおりつきの思い出なのです。 しめ飾りの橙 心穏やかでないのです 玄関でお正月のほまれ演出してくれた橙どうしたものか・・・うろたえてしまいます。 お鍋に・・・とは思えないし しめ飾りの一部として処分するのも・・・ なんとなく冒涜のようにおもってしまうのですよ。 困ってしまいます。 しかたなく 毎年橙取り外して何気ない風装って庭にころがしておきます。 お鍋の嬉しい季節ですね。 みなさんのお鍋の友は何ですか? ゆずかな?上品でいいですね。大好きです。 橙の強い酸っぱさで育ったわたしは あのお ゆず5個くらい用意していただけませんか? なあんて言ってしまって 目むいて軽蔑されちゃうかもね・・・

写真No.23:12/19:寒バラ


 突然、冬将軍がやってきました。
 再び寒薔薇(カンソウビ)です.マジに寒さに強いバラがあるんですね。
感心するばかりです.

 植物園でもビュービューと とても寒い風が吹き荒れています。
今シーズン最初の寒波の到来で、まだ慣れていませんので
植物園とかの散歩も追い立てられるようで落ち着きません。
広い芝生地にあるテーブルや椅子にも寒いので閑散としています。
そこで,自販機に行って、100円玉を入れて、熱いココアです.
椅子に座って、カップを握りしめながら、ココアをすすります。
手のひらも胃袋も暖まりましたが、
やはり強力なGeneral Winterに負けてそうそうに植物園から立ち去りました。

 これでは1日・1万歩も難しいかと思いきや、そんなことはありません。
General Winterも疲れてしばしばお休みされますし、私たちも寒さに慣れて
ワンちゃんのように元気に散歩できるようになります。
それまでは、寒薔薇さんに負けないように、ダウンとマフラーで耐えます。



庭の千草も虫の音も 枯れて寂しくなりにけり ああ白菊ああ白菊 ひとり遅れて咲きにけり 老化現象遅らせるのに歌うこと歌詞をぜんぶ暗記することが効果的のご高説 そうかそうかと一年かけて思いつく限りの懐かしの歌覚えこんだのです。 この歌も・・・そして むかっ! 腹立てて 憤慨して 世の人嫌いになりました。 なぜにそこまで? それを語ろうと歌詞確認のためGoogleで検索してみたら  愕然のかたまりと化してしまいました。 思い出しました 本読むのが大好きで ほとんどの本読み終えたらただちにもう一度 またもう一度 へえー ほおー わあー 最初の感動と印象 何故か変わったことなかったなあ 作者には興味持たないことにしていました まして あとがき も でもね 読書好きはねえ そのうち本で読んでない部分(あとがき)気になってねえ ある日 読んじゃうわけですよ。 仰天しました。 わたしはなにを読んでたのか? これがテーマだったのか? 悲しいかな あとがきは正しそうなのです。 解説ごもっともなのです。 わたしの感動は 喜びは わたしの感動を 喜びを どう処理したらいいのでしょうか。 まさか! かたっぱしから あとがき 解説 読んでみたら・・・ どの本も見事に私の感想・理解は はずれはずれはずれ  うなだれてしまいました。 あとがき・解釈 いったん読んでしまうともうそのご高説にそってしか読めなくなる そして それは ちっとも面白くもおかしくもない本になってしまう 本の好きなわたしは決心せざるを得ないではありませんか。 知るか! 好きに読ませていただきます。 感動・喜び・感想・理解 プライベートの領域です! いい気になっていたようです。 露もたわむや菊の花 霜におごるや菊の花 ああ あわれあわれ ああ白菊 ひとのみさをもかくてこそ この部分 とんちんかんな独りよがり解釈で 世の人まで憎んだ おろかものです スミマセン スミマセン スミマセン 寒中薔薇 から 庭の千草の歌 そして 思い出されてしまったことへ 目下 しょんぼり 反省中なのです。  とほほなのです。 歴史は繰り返す  ふりだしにもどる 明日はどっちだ!?

写真No.22:12/12:フーの木


 フーという名前の巨木です。
写真ではその大きさが分かりませんが、京都植物園では最も大きい木の一つです.
もみじとかの華やかな紅葉が終わり、枯れてしまって、
見るべきものが何もない寒い初冬になって植物園にひとが来なくなった頃です。
この木が紅葉して植物園を盛り上げます。
と言うわけで、"紅葉がきれいなフーの木"と言っても知らない人が多いジミな木です.

 人の世も同じですよね。咲く(目立つ)べきときに咲かない(目立たない)と
めちゃきれいに輝いても誰も気がつかないという状況になったりします。
とは言え、その方が好みの人もいるのがおもしろいです。まあ、かく言う私もそうですが...。
 先日、この寒い時期に咲くタンポポを見つけたのです。
茎が5cm程しかない目立たないタンポポですが、いじらしくジミに咲いていました。
たぶん、あの綿のような種は飛ばせないと思います.タンポポさんは無念でしょうが。
あんまり、ジミにやり過ぎると、冬のタンポポさんになってしまいます。
実は、ちょー 目立たないので、私はこのタンポポに気がつかなかったのです。
それでも、世の中には、気がついてくれる人もいるんですよね!
タンポポさんも気づいてもらって嬉しかったことでしょう。



晩秋から初冬 植物園の堂々たるシンポルツリー フウの登場です この木この紅葉を愛でて植物園に来る方たち少なからず・・・とみています。 そして今年のフウ 紅葉喜ぶとともに それ以上に皆さんの安堵のため息聞こえてきそうです。 五年くらいたつのでしょうか 猛烈な風台風で大木随分と倒されてしまいました。 フウは耐えたのですが 大きな枝失い 形くずれました つらそうな木  見るのもつらくてねえ なるべく近寄らないようにしていました。 フウは頑張りましたよ 耐え抜いた後 葉数 枝数 バランスとりながら 少しずつ 少しずつ あれ 大丈夫かも・・・あれ なんとかなってきたかも・・・あれ あれ はい 皆の喜び シンボルツリー フウ の復活です!

写真No.21:12/5:寒バラ

 イッキに寒くなりました。冬の到来です.
しかし、バラはまだ咲いています。だいぶ小さくなっていますが。
これは 寒バラ と呼べるでしょう.念のためググると
 寒薔薇
 読み方:カンソウビ
 冬まで花の残っているバラ
とありました。アチャー!知らんかった。

 寒いと言えば、昔映画でアイスランドからイングランドに移住したした人が
冬、暖房した部屋は暑くて不快と言って、
庭にテントを張って、そこで暮らしていましたよ(デビムアーさんだったと思います)。
人でも動物でも植物でも同じでしょう。
京都動物園のペンギンさんは、冬でも暑がっているかもしれません。

 慣れるのは何でも同じです。
これも映画で見ました。お城のようなお屋敷に住んで、
専属シェフが作ってくれるコース料理のご馳走を毎日、食べていましたが、
1年2年と続けば、もはやご馳走とは思えないでしょう。たぶん?知らんけど!

 だいたいのことは繰り返せばなんとも思わなくなるようです。
幸せも毎日続けば幸せと感じなくなるのかな?
たったらさみしいですが、
現在のところ、私どもはまだ感じているようです。アハハ!



むかしむかし 大爆発と共に宇宙が時間が生まれたのだそうです。 宇宙も時間も矢のように一つの方向へ突き進んでいるのだそうです。 となればもうどうしようもないではありませんか わたしたち そんな宇宙の時間の矢共有してるってことですよね うまれて・・・そして・・・向かっていく方向はひとつ 赤ちゃんから始まって少しずついろんなこと体験・体感・体得してきたのでしょうね  積み重なるそれが慣れるってことなのでしょうか 確かに慣れた世界にいると安全安心感ありますね。 人生そうはゆかない 家を離れた時 就職した時 二大ピンチでした。 若かったから夢も希望も体力もあったのかもしれません それでもまあまあ 片目が泣いて 片目が笑って これが同時に発生するという奇妙な時期がありました。 喜劇悲劇落語ごった煮の時期 もう漫画の世界  優しい気持ちで見るとすれば ロマンの時期だったとも言えるのかなあ 今はなにもかも慣れたふりをして この一日だけを大切にして なんて幸せ! 北からやってきた(デビムーア)さん 南からやってきたペンギンさん 今頃きっと まあ 暑さ寒さも彼岸までだな なあんて楽し気にうそぶいて・・・ お過ごしのことと思いますよ 宇宙の時間の矢・・・いややあ うちそんなん知らんがな      

写真No.20:11/28:もみじ

 もみじが最盛期で 思わず ハッとするほどです。
一方,銀杏は葉っぱがほとんど落ち、花舞台からretireしました。
一週間前には銀杏の周りに写真を撮る人でいっぱいだったのに...。
もみじも後1週間で葉吹雪でしょうね。後は誰も集まらなくなります。

 人もリタイアすれば、寂しくなります。
周りに人もいなくなって、することもなく、時間をもてあますらしい。
すると生気がなくなって、だんだんヨボヨボになり、誰が見ても年寄りになってしまいます。
そこで,退職しても社会と繋がって頑張って生きるべきだと考える人もいます。
これは人それぞれで、
チャップリンの映画の労働者のように一日中ネジを回している仕事とか
無知な消費者に1万円の商品を10万円で売るような仕事で(9万円も儲かった!)
幸せを感じられる人は頑張れば良いと思います。
私は学生時代から本を読みたかったので、kindle Unlimited に入って
無料の本を読みあさっています。
リタイヤ後は現実の世界ではスリルもサスペンスもありませんが
どっちもkindleの世界で十分です。
ちなみに、netflixとも契約していますが、こちらはどれもリタイヤ人生には
刺激が強烈で、相対的に穏やかなものを選んで楽しんでいます。



朝のストレッチ 窓の向こう田んぼの向こう街路樹のナンキンハゼに向かって
オイッチニ オイッチニ 身体とこころ話し合いさせながらのひと時過ごします。

街路樹って何なんでしょうか 夏にむかって気持ちよく葉茂らせ形ととのってきたなあ
見てる間もなく無残に剪定されてしまいます。 それでも頑張って葉を茂らせ
さあ紅葉はじまるぞ 思う間もなく無残に剪定されてしまいます。
毎年立腹し続けるのにも疲れてしまいました。

京都市財政状態よろしくないらしいのです それが理由なのでしょうか
夏の剪定秋の剪定免れて今年のナンキンハゼ夏の木陰は心地よく 秋の紅葉見事でした。
この数年怒り続けてきたので嬉しさ百万倍 一部始終楽しみました。

秋がたえまなく木の葉を降らせてものがたりしている
遠い森で 谷間で 公園で 窓のすぐ下で
   こんなふうに始まる素敵な詩があったような・・・

ことしの秋は美しかった なにやら素敵な物語聞かせてもらったような気がします。
ぼんやり耳を傾ける・・・リタイア生存者?にふさわしい物語だったような



写真No.19:青空とバラ

 最近は青空がきれいな日が多いです。今年の秋は気候もよくとても過ごしやすいです。
おかげさまで、げんきに散歩ができています。
平均8000歩程度に落ちていた歩数が1万歩に戻るようになりました。
外を歩いていると気分が快適なのですから当然です。

 この写真を見るとバラと青空が目に付きますが、トゲも目立っています。
上からぶら下がっている茎のトゲ、なんかすごいですね。
昔、バラのトゲが刺さったことがありますが、スゴク痛かったです。
おもわず毒でも注入されたのかと思ったほど痛かった!
それからバラには気を付けるようになりました。

 私も昔はトゲがあったと思うのですが、今は、
まるくなって誰にも突き刺さることなくに暮らしています。
Peacefulかつdullな人生ですが、そのせいか時間が経つのが早く
毎日が夢のように過ぎて行きます。
それとも、これは夢か...。眠たいし。



からたちの花が咲いたよ白い白い白い花が咲いたよ 仕事 郵便局への近道として通ってた路地 からたちの垣根の小道でした 白い花が咲き アゲハ蝶が育ってゆき そう秋には丸い金の玉実りましたよ 常緑のからたちのトゲは痛いのです そう 青い青い針のトゲなのです バラのトゲは茎にくっついてる状態でこそげ落とすことができますね 花やさんのばらはトゲ上手に処理されてます からたちのトゲは茎・枝・幹と一体化してますからどうしようもありません ばらのトゲで注射!っと騒ぐとしたら からたちのトゲはもうお覚悟をお命頂戴つかまつりますってなもんです 痛い垣根でごめんなさいね 言わんばかりに根元には毎年こぼれだねからの桜草咲き続けていました いえいえ興味深さ・面白さ満開の楽しい小径でしたよ 遠い思い出のなかで やわらかに暖かく からたちのトゲ あれっ 今すこおし胸がチクッと・・・ 

写真No.18:メタセコイヤ紅葉満開

 早くも秋になりました。
表題のとおり写真ではメタセコイヤが紅葉してとてもキレイです。
 紅葉満開!

さて、メタセコイヤと言えば、なにを隠そう、その名前が覚えられず
いつもなぜかイソギンチャクと呼んでいました。
これではイカン(痴呆症みたいや!そうかも?)と思い、あるときから、
イソギンチャクでなく、メソポタミアとよぶことにしたのです。
ところがです。
それいらい、メタセコイヤと言う名前がスムーズに出てくるようになり
メソポタミアはお払い箱となりました。
これはたぶん、メと言う字が共通するので
メソポタミアからは素直にメタセコイヤが連想できたからだと思います。

そう言えば、昔から、暗記するときは連想を活用していました。
例えば,昔、突然ドイツに1年住むと決まったとき、
ドイツ語単語をたくさん覚えましたが、strumpfeと言う単語がどうしても
覚えられませんでした。
そこでStrumpfeと書いた単語カードを廊下に貼り付けました。
Strumpfeは靴下という意味ですので、廊下に靴下が落ちていると連想してついに
覚えることができました(ほんまかいな?->ジョークです)。

 みなさん!秋は短いです。しっかりお楽しみください.


コロナ禍 大嫌いな言葉です 過激に後ろからゴーンと叩きたいくらい コロナ鍋 以前 この言葉新聞の活字として目に引っかかってきたのです その時 あれっ コロナ鍋! 面白い表現だなあ いいなあ 扇情的 ヒステリック気味なコロナ関係ニュースの取扱い方嫌だったのです うわー なんてポジティブな雰囲気 お茶目ではないか  世の流れに飲み込まれないジャーナリスト魂よ! うふふ フレーフレー そのうち ちょくちょくしばしばコロナ鍋の文字が・・・ ???!!!良いのだろうか 目立ってきて不謹慎 とがめられないのかなあ ぎょ! そしてやっときづいた私のおっちょこちょいの見間違い。 ああああ それは コロナ鍋ではなくコロナ禍 という言葉なのでした イソギンチャク・・・メソポタミア・・・おたおた時間かけて・・・ そしてめでたくメタセコイアへの ハッピーエンドストーリー コロナ鍋のハッピー笑顔から 急転直下 コロナ禍の不愉快極まりないストーリー ああ皆さん 人生いろいろあるのですねえ   

写真No.17:コスモス満開

 秋全開でコスモスも画面にバッチリ詰まっています。
バッチリ詰まっていると言えば、私のサイフもそうらしいです。
嫁さんが サイフがふくれて落ちそうだ としきりに言います。

 誰でも バッチリ詰まって落ちそうなサイフ を持ちたいですよね。
そこで ちょっとその秘訣を...。

 最も重要なことは、リッチで頭脳優秀な家に生まれることです。
なに、手遅れですと!
 それは残念でした...。では薄いサイフで我慢してください。
そのかわりサイフを無くすことはないでしょう。
 無くしてもショックも小さい。よかった。
  どんな状況でも良い側面はあるものです。

 コスモスはいろんな色があって、華(はな)やかでいいです。
人にもいろんなタイプがいるほうが、にぎにぎしくていいです。
 どの人もなにもかも同じでは、世界が単色でつまらないと思います.

この拙文をお読みのみなさんが ふくれて落ちそうなサイフ をお持ちになるように
  神社にゆくことがあったら(思い出したら)祈っておきます。



風が好きでした 冬場強い風の吹く海辺で育ったからでしょうか 激しい海風 身をまかせるような 受けて立つような 全身で感じる風が好きでした 海から離れて暮らしていても 強い風が吹くと風の向こうに海の音海の匂い無意識のうちに探していたようです。 時は流れ 流れ 流れ 今はもうさっぱりです。  向かい風よしとくれ 後ろから吹いて押しとくれ 怪しげな屋根どうぞ飛ばさないでね。 そよ風に揺れるコスモスが好きです 強風にコスモス畑全体が身もだえしてるのは つらいのです 煽られて 翻弄されて 苦しんで 感じる心も麻痺されて されて されて 花畑全体が我を失ってしまってる。 山の木々 野のススキなどはいいのです 強風に負けない強さ自己主張感じます コスモスは弱虫なのか? あなただけの自己主張は? 可愛いだけのお馬鹿さん集団なのか? 風に優しくゆれるコスモスが好きです 強風さん コスモス畑は出入り禁止です  暴れるのはお隣の欅並木でお願いします。 

写真No.16:バラ花盛り

 これはバラが最も美しく見える時期の始めの頃と言えるでしょうか。
このバラの前道は何度か通りましたが、今回はその白さに思わず立ち止まりました。
バラが白く輝いて、ちょっとビックリしました。

 この輝く白さには覚えがあるぞーと、思いついたのが、
最近の『白い自動車』です。
昔の白い自動車の白さはダル(dull=さえない)そのものでしたが、
最近見かけるのは驚くほど白く輝いています。 
   ショッキングホワイト!
と呼べるでしょう。ショッキングホワイト!です。
何を隠そう、私もこのショッキングホワイト!に魅せられ
白い車を買ってしまいました。が、ロイホ2階の窓から街角を見ると
白い車ばかりではありませんか!

 このショッキングホワイト!を開発したのは研究開発・塗料部門の方と思います。
たくさんのドライバーをハッピーにしていますよ。私的にはノーベル賞ものです。
次は是非ともショッキングブラックを開発し、
町中、白と黒の単色風景にしてください。ちょっと面白いではありませんか...。
 
 さて、車の話もいいですが、このところ秋が深まって気候がいいですね〜!
散歩すればドーパミンも出て気分がいいですよ。長生きもできるらしい。知らんけど!



ショッキングではないのですが 柔らかげな黄色のつるバラ咲かせたことがあります。 美しく開いた花眺め眺めして過ごしてたら 花は散るときを知る・・・のでしょうね 株元が花びらに包まれているのでした。 とても良い感じ おもわず拾い上げてました 手のひらに一片の花びら なんと不思議な立体的な存在 色グラデーション ふくらみ くぼみ 一片それだけで完成感のあるオブジェ 美術工芸度高し そして確かにバラなのですよ。 バラの花 一片一片の花びらからできているのですね。 私の頭は極端に欠落した能力部分があるのです。 立体的に構造を把握できないのです。 もう壊滅的。 サイコロを使ったクイズ・パズルなんか ゼロ点 ゼロ点 見事です。 バラの花びら皆同じに見えます でも少しずつ違うはず 一輪のばらへと作り上げるのは出来るはずです 記憶にあるあのバラへ この花びら達で近づけていけたら面白いのかも まあ 何億光年たっても 無理なものは無理 おとなしく ばらの花 ばらの花びら 愛でてすごすのが 一番なんだとはおもいます。 

写真No.15:バラちょっと咲き


 このバラはちょっと咲きかかっています。
人とすれば、大学の1年か2年の頃でしょうか。
私も大学の1年の頃はういういしかったでしょうね〜。なつかしい!
多情多感で自由時間もいっぱいあって...。
やっぱり大学時代は多くの人にとって、特別のようです。
なぜなんでしょうか?

 ワンちゃんは小さいときは(みんな『いい人』モードで)近寄る人全員に
尻尾を振って友達になろうとしますが、
大きくなると家人や知人は『いい人』、知らない人は『怪しい人』となって、
『怪しい人』にはワンワンと吠えつきます。

 人でも大学にはいった頃は みんな『いい人』モードで、誰とでも友達になれますが、
2年、3年と進むにつれて自分がわかってきて、自分にとって『いい人』か『怪しい人』か
を感じるようになります。
 簡単に言えば、多くの人は大学にいる間に人として目覚めるわけです。
自分がなにものかがわかるとも、大人になるとも言えます。
これが多くの人とって大学時代が、人生の特別な存在となる理由ではないかと思います。
目覚めて最初に見えた風景が大学ということです。

 とはいえ、大学生全員が目覚めるわけではありませんよね。
一生目覚めないで寝てすごす能天気な人生も悪くないと思います。

 『いい人』も『怪しい人』もコーヒーでも飲んで陽気な人生を送りましょう。


私このたびワンちゃんタイプであることが判明しました。 意識の奥に隠しこんではいたのですが ずっとバラの花に気を許してないというか 距離をおいていたようです。バラ園という存在にもなんだかなあ・・・思ってました。 今日”いい人””怪しい人”のご高説 ドンピシャリ目からうろことなったのです。 私のばら  いつもいつも探していました。  色が違う大きすぎる咲くべき場所が違う なんのことはない わたしのバラは 子供のとき庭に咲いてたバラだったようです。 世の中で一番きれいなバラと受け入れてしまって 後はみんな”怪しいバラ” ワンちゃんの真っすぐな愛 同じだあ われながら可愛すぎるではないか だが しかし however! 目から鱗取れちゃった今 どうしましょう どうしましょう どうしましょう 明日もバラ園行くのですのよ! くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨の降る  斎藤茂吉さんの歌です 優しい気持ちになれそうな気配が好きです。  



写真No.14:バラつぼみ


 バラのつぼみが3本写っています。人でいえば、赤いのは高校生くらいで
両端の緑は中学生くらいでしょうか?
 中学生と言えば、その年ごろの私はとても幼かったと思います。
3歳になるまで言葉をしゃべらなかったそうで、小学生のときは幼稚園生、
幼稚園生のときはアカチャンという感じで、発達が遅かったようです。
まあ、ちょっとアホやったともいえますが...
 ところが地頭はよかったらしく、中学校は地域で1、2を争う進学校(卒業名簿を見ると
医者とか国立ダイガク教授とかばっかりで肩身が狭いです)。
中学3年にもなると同級生達は(一日10時間とか!)猛勉強し始めて、私の成績は、
試験を受けるたびに急降下爆撃機のように下に落ちていったのでした。
それでもなんとも思わず、小学生的にぼんやりと暮らしていましたが、
高校にはすんなりと希望した学校に進めました。ラッキーミー!
 転機は高校3年のときです。将来に思いを馳せるほどオトナになり、人生で始めて
真面目に勉強をしたのです(メチャ頑張りました)。
それも英語一科目に絞り、単語を覚えるだけに集中しました.
これでEnglishが得意科目になり、大学入学後には英会話クラブに参加して、
友達に出会ったり(現在誰一人繋がっていません!トホホ...)、
嫁さんを見つけたりしました(リッパに繋がってます).
卒業後も英語のおかげもあってHappyな仕事ライフを送れました。よかった!
 本日は『つぼみ』がテーマだったのですが、『つぼみ』がその後花開いた!
という自慢話になってしまいました。アハハ!


つぼみ ひらがなで書くと 花のつぼみさながらキュッと可愛さ感じませんか 友人がね 手紙の封筒の閉じ口につぼみと書いてくれるのですよ 嬉しくてねえ 文字を書く・・・見事にその人の個性が出るように思うのです。 つぼみの友は まるく柔らかくふふっと笑ってる そんな文字 クールな友は さらさら涼し気に流れる川・風 そんな文字 わたしの文字は 自分でも読めない・とほうにくれる そんな文字 穏やかになにもかも包み込むような見事な文字の友がいました。書道を始めたと言って筆書きの手紙が おもわずやめて!わたしには今までどおりの文字にしてえええっと頼みました。 訓練された文字には書いてる人の個性が見えない 貴女が見えない 手紙の時代は終わったようですね。 便箋も切手も出番なく色褪せてしまいました。 電話やEーメイルの時代なのでしょうか 年賀状の宛名だけ辛うじて自筆?それも印刷かあ。 良いんですけどね 良いんですけどね 私もさらけ出さないで済むし・・・ でもでも 見えなくなった”あなた”がさみしい 見えないあなたを探してみる ・・・ チョイのチョイ  



写真No.13:コスモス。


 コスモスと言えば宇宙ですよね。
数千億の数千億倍よりもっと多い星(恒星)が存在する
無限に広いと言いたくなる宇宙はいったいどうしてできたんでしょうね?
ビッグバンで生まれたと言うようなことを聞いたことがありますが、
ビッグバンは宇宙が広がり始めた切っ掛けにすぎないように思えます。
そもそも物質はどうしてできたのか?を説明していませんし、
なぜ、すべての物質が引っ張り合っているのか?
この引力の強さが、物質と物質の距離の2乗に反比例するというような法則を
宇宙全体に当てはまるように制定したのは誰か?
など、さまざまな疑問に答えていません。
そこで,登場するのが神様です.この神様が宇宙を作り、さまざまな宇宙の法則を
作ったと考えると、すべての疑問が解決するように思えます。
神様はニュートンやアインシュタインなどIQが高い学者が考えた
すべての物理法則を制定したのですから、かなり賢いかただったと思われます。
 ところが、私は理屈っぽいので、すぐに、神様はいったいどうしてできたのか?
という疑問に突き当たります。この疑問は『宇宙はいったいどうしてできたのか?』
という疑問を神様に置き換えただけですから、疑問は何も解決されていません。
 ちょっと飛躍しますが、と言うわけで、私は神様が存在するとは思っていません。

 とは言うものの、神社は静かで落ち着くので散歩のついでにしばしば立ち寄りますし、
神様にお願いしたいことがあれば、家にある一円玉をかき集め、鈴を鳴らしてお願いします.
何年か前には2,3ヶ月の間、毎日のように一円玉を賽銭箱に投げ入れて、
鈴を鳴らしてお願いし、お願いが実現したこともあります。
1円×90日=90円の出費でしたが、
一円玉はどんどん貯まってゆくので、ちょうどよかったです。
神様も みかん か お萩 が食べれるでしょうから、メデタシ!メデタシ!


空にうろこ雲 風に揺れてるコスモス 小道に栗の実見つけたら なんだが今年の秋もナイスフィーリング 形も色も優し気なコスモス そのまんまブーケとなる柔らかな葉に包まれてますね 誰もが大好きグラスに飾りたい 誰もが大好きお庭に咲かせたい このお庭に・・・が問題含みですぞ コスモス 多花性で花丈高しなのですが 茎が全てを支えるほど強健仕様でないのです。 雨の重み 風の力 翻弄されますねえ 倒れてしまいますねえ 愛しいコスモス助けようと ガードナーさん達の工夫・ご苦労の数々 皆さんあっぱれです。 コスモスさん あなたのためならエンヤコーラ みんなに愛される秋の花 ”コスモス” 私もですよ!

写真No.13:マンジュシャゲ。


 マンジュシャゲはたくさん集まって咲いていることが多いように思いますが
この花は一本だけでポツンと咲いていました。
周りにもありませんでしたので、はぐれマンジュシャゲです。
人も同じですよね。集まってグループでいる人たちと一人でいる人たち。
グループの人の多くは予定帳もぎっしりで、空いている時間があると、
友人やバイト先に連絡して空き時間を埋めて一安心というような感じでしょうか。
私は一人でいる人たちに属していますので予定帳を持っていません。
昔年末の景品で予定帳をもらいましたが書き込むべきことが何もないので
しばらくしてゴミ箱入りしました。
いつも一人ですることも予定もないのでは、
毎日退屈でタイヘンではないかと思われるでしょうが、勿論タイヘンです.
今日の新聞の困ったこと相談コーナーでも『毎日退屈でタイヘンだ。どうすればよいか?』
という相談でした。
これからは高齢者が増加しますので、この退屈病は社会に蔓延することになると思います.
どうすればよいか???
それは...
残念ながら、本日のお出かけの時間となりましたので、続きはまたの機会に!


植物園はもう大騒ぎ 秋の恒例写生大会 あっちもこっちも生徒たちに占拠されています。 元気だな 面白いな 可愛いな 静かな散歩はあきらめていつもの小道歩いてたら ひとり木陰で写生する少女みつけました。 ひとり  はっとして うろたえてしまいました。 身をすくませてたら ひょいっと美術の先生・巡回指導中?あらわれて 身をかがめ笑顔で少女に語りはじめ 少女は顔上げて笑顔で応えてる様子。 もしかして怖い・つらいシーンが 一瞬にして美しい情景となって記憶に残ることになりました。 それでもね いまもなお写生大会に出会うと 緊張して 一人でいる少女いるのではないかそっと探してしまいます。 曼珠沙華は大丈夫 強い花です ほかの花たちが 秋・冬・春 眠ったりぼやぼやしてるあいだ 太陽の光独り占め 確実に球根増やし続けて 3年もすればお仲間が 5年もすればお賑やか 今日木の根元でおひとりの曼殊沙華さん 今を ひとりを 大切に 楽しんでね! 



写真No.12:時計草(紫)。


 あまりキレイだったので再び時計草です。
横でくるくるとぶら下がっているのは蔓です。どこかにつかまりたいのでしょう。

時計草が示してくれる時間(針)は止まっているようですが、
現実の時間が過ぎ去ってゆくスピードはすごいです.
砂時計の砂が下に落ちるようにどんどん過ぎ去ってゆきます。
例えばこの70年間に日本に起こった変化はすごいとしか言いようがありません。
TV・洗濯機などの家電、自動車、インターネット、スマホと次々に
新しいものが登場してきて生き方を変えてきました。
これらはイノベーション(創造的破壊)と呼ばれてますが、
ほぼすべてアメリカから始まったようです。
日本はずーと後を追って、いい目にあってきたのですが、
これからも人類に甚大な影響を与えるようなイノベーション(創造的破壊)
は日本はしないと思います。
それはたぶん、創造的でないからというよりは
現在あるものを破壊するのが好きではないからではないかと思います.
進歩は遅いけれども優しい社会なんだと思います。
つい最近までは進歩が遅いことを嘆いていたのですが、
最近は優しい社会は生きやすくて、いいなーと感じるようになりました。

あ−!なんという難しいことを書いているのでしょうか!
今日は、時計にちなんだことを思いつかなかったので、苦し紛れです。
お許しください.


トケイソウの名前でよばれる花のなかに美味しい実をつけるものがあるそうです。 その名は パッションフルーツ あまずっぱいのだそうですよ。 なんだかワクワクしませんか? 花後緑色のまんまるの実がつくのまでは確認済みなのですが クリスマスツリーのお飾りにぴったりの赤い実 いつもみそこなっています。 この冬こそ! 確かめずにはおかないぞおおお 意気込んでいます。 いつかパッションフルーツ食べる日が・・・ 見果てぬ夢のリストがまたひとつ増えちゃいました。



写真No.11:センニンソウ。


仙人といえば、リタイアして山に籠もったおじいさんでしょう。
それで思いつくのは、鴨長明さんです。方丈記の
 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
           久しくとゞまりたるためしなし。」
は、いいですよね!多くの日本人の心底にある諦めの精神にバッチシ来て、
『そうだ!』と言いたくなります。

私的には人生をhappyに生きてきたので、
ネガティブな考え方とは関係ない筈なんですが。
日本人はドーパミンの分泌が少ないそうで、
そのため鴨長明さんが受けるのではないかと思います.

Good newsは
散歩するとドーパミンがでるらしいです。
しかもドーパミンがでると痛みに不感症?になるらしいのです。
私も、植物園に入るときに痛かった筈の腰痛を、
出るときには忘れてしまっていたという経験をなんどもしています。
しつこい腰痛とかに悩まされている皆さんも、
気分が晴れるような開けたところを散歩して試してみてください.


世の中の人とすみかとまたかくのごとし ・・・・          方丈記 こんな風につづきます 日本は世界トップクラスの島数からなる島国らしいのです。 そんな島々の村・集落をひたすら歩くというスタイルで紹介YouTubeにあげてる方がいます。  多くの島 住む人少なく 家は廃墟化 この島も またこの島も ひらったくいえば  無残やな兜の下のキリギリス とも言える状況なのかもしれません。 でもでも不思議です。 心落ち着き心地良い情感に包まれてくるような 日本人として抱く無常観・無常感 うったえかけられてる? 島々の存在は 輝く海につつみこまれています 輝く空につつみこまれています 島々にやってきた人 生きた人 去った人 そして残っている人とそのすみか そのすべてが寂し気になってしまわないように 夏の終わり少し元気無くなってきた野や山に不意打ちのように現れるセンニンソウさん あなたの出番です。 残された人のすみか 思い切りのいいその真っ白さでおおい飾ってください。 (センニンソウ クレマチスの野生種・原種だそうです。 つる・葉に毒性あるそうです)

写真No.10:ふうせんぐさ。

アハハ!うそです。"ふうせん"みたいに見えるので
ちょっと いちびって みました。
この草さんなかなか いい(おもしろい)でしょう!"ふうせん"みたいで。
ほんとは、たぶんメヒシバです(ググりました)。
この写真を撮った後、しばらくすると上の部分が外れて広がり、
ふつうに見慣れた雑草になります。秋にはどこに行ってもはびこってます。
ところで、
一年の間で今の時期は一番花が咲いてなくて、植物園は花も人も少ないです。
静かでメチャいいです。皆さんもこないでね。


"そのとき" ってあるのですよね いつだったか 湖畔ぼんやりメタセコイア眺めてたら 木のてっぺんからうっすらと煙?立ち上っていくのに気づきました。 すわっ火事か! んなわけない!   三本のメタセコイアが同時に花粉を飛ばしはじめたということのようです。 真っすぐ天にむかってたち上っていく 静かに三本の線 今日の散歩路  ヒメシバの "そのとき" に巡り合えたということのようです。

 

写真No.9:植物園北門のタイタンビスカス。


名前のとおり、ハイビスカスより3倍は大きい豪華な花です。
ハイビスカスと言えば沖縄ですよね。
沖縄には2回行っていますが、
2回目はレンタカーで島中を走り回りました。
たぶん北端にある水族館のようなところに行ったときには
豪雨で道路に茶色い雨水が溢れ流れていて
ちょっとドキドキしながら運転しました。
ぶじ到着しましたが、水族館のようなところも水浸しで
ガラス箱の中の水中のお魚さん(ジンベイザメとか)を見ている時には
靴の中の足も水中に没していました。
ぽちゃぽちゃと歩くたびに音がして面白い経験でした。


この花を見つけて3年目かな 夏の出合い 待っている楽しみのひとつです。  目と胸はって挨拶交わしあう仲 美しいよ! 元気でなにより! そういえば 大株の足元ジャンボな雨靴履いてるような・・・そこらじゅう水浸しじゃん (植木鉢ごと通年池?につかって過ごしているのです) 豪雨の中歩きだしたら ぼちゃぼちゃどころではない 豪快なことになるのでしょうね さすがタイタン!だけのことはある

写真No.8:植物園中央の池。


植物園の鯉がいっぱいいる池です。
昔は鴨とか青鷺とか鯉に昼食の残りのパンを
投げ込んでいたのですが、たぶん青鷺が木々を
痛めるので禁止になりました。
鴨とか青鷺はどこかに行ってしまって
池としてはちょっと風情がなくなりました。
池の周りの苔の上で鴨さん達が寝ているのは
景色としては悪くなかったんですが...
園長さんとしては
 「ここは動物園ではない」
とお考えだったんでしょう。残念なことです。
ちなみに残ったパンは
宝ヶ池の鯉や鴨さんにあげています。


海 湖 池 沼 川 みずたまり 覗き込んだり 映りこむものながめたり 楽しきかな野次馬根性 名月や 池をめくりて夜もすがら 芭蕉先輩いいですねえ。いつかわたしも!見果てぬ夢のひとつです。

写真No.7:メタセコイヤです。


これも宝ヶ池公園で撮ったものです。
実物はもっとナイスです。
このサイト用に小さいミラーレスを買ったんですが
いまだにつかっていません。失敗だったかも...



地球太古の時代 メタセコイアはこの世の華と栄えていたとか。 その後石炭と化して人類文明文化の並走者として頑張ってくれたとか。 今その木陰で私たちは憩いの時を過ごしています。 もう頑張らなくていいからね ずっとずっとこの地球で穏やかに過ごしてください。 敬愛 メタセコイアに捧げちゃいます。




写真No.6:時計草とバッタ?。


時計草を狙って撮ったんですが
バッタさんも写ってました。 あっちをチョイこっちをチョイ 良いとこかじりのバッタさん 三時のマークをかじったら おやつタイムは無くなります    警告ですのよ バッタ殿    わたしはわたしは 時計草!!



写真No.5:ヘブンリーブルーです。


玄関で毎朝咲いてくれますが
こんなにたくさん咲いてくれるのは珍しい。
あまりキレイなのでもう一枚。

あまりキレイなのでさらにもう一枚。


これはヘブンリーブルーの色がちゃんと出ています。

七不思議のひとつ
  これは十月秋の花姿のはず なのに七月に満開!
奇跡は奇跡として ああこの瞬間 愛でて過ごしましょう・・・

写真No.4:野生の鹿さんです。


今日は、宝ヶ池の桜の園で見れました。
七不思議のひとつ この10年間で雄鹿見たの一回だけ
 お父さん鹿は何処?

写真No.3:気品がある花です


水性植物園の睡蓮です。
蒸し暑い環境 涼しげに咲く花 尊敬しちゃいます。

写真No.2:いっぱい食べるぞ−!


宝ヶ池公園のアオサギさんです。
我は魚のみに生きるにあらず。 パンも好きなのです。

写真No.1:若々しく咲け!
植物園で撮ったヒマワリです。

ヒマワリは夏対応元気のボタン 
さあ ポチっと押して今日も!