ペンタスという名前の赤い花です.
植物園で見つけたのですが こんなに華やかなのに今までし知りませんでした
赤い花の横に写っているのは「ホウジャク」です.
これは蛾の一種でホバリングしながら花の蜜を吸うので有名なようです
日本にはハチドリがいませんので このホウジャクがその代わりです
空中で静止して蜜を吸うのです
本体は静止していますが 万有引力に逆らうために 羽を騒がしく動かしています
そのため英語ではハミングバードと呼ばれます
ハチドリの羽音がハミングしているときの音に似ているのでしょう
実はハチドリを身近に見たことがあります
ロスアンジェルスの近くのパロスペルデスと言うところに住んでいたときです
近所のスーパーに行くとハミングバード用の餌やり器が売ってあったのです
アパートのベランダにぶら下げると 虹色にひかるハミングバードがやってきました
毎日蜜を吸いにきました
日本人としては珍しいので写真をいっぱい撮りました
今から思えば これは京都植物園の日本庭園の写真を撮っている外国人と同じです
この日本庭園は5メートル四方程度のものでとてもみすぼらしく
灯籠があるので日本庭園とわかるしょぼいものです
これを日本庭園の代表として写真なんかを撮られるのはかなわんな〜と思いましたが
外国人の観光客さんから見ればハミングバードを見た私と同じ感じなのでしょう
バックグラウンドが異なれば同じものを見ても印象は異なると言うことです
京都中の有名な日本庭園を見てきた私と 始めて京都を訪れた外国人さんでは
リアクションが異なるのは当然です この外国人さんも
京都のあっちこっちを見て回った後ではこの写真はボツにすると思いたいですが
このハミングバードがくるベランダからは太平洋が見えました
アパートが海岸沿いに建っているので180度が太平洋です
パロスペルデスはほぼ毎日が晴れていましたので
太平洋はいつもキラキラと輝いていました
この向こうに日本があると思うといつも嬉しくなったものでした
その日本で何をしているかって?
ホウジャクと ペンタスを見て パスタ食べ 散歩に行って 昼寝する
写真No.171:10/05:ワレモコウ
ワレモコウです
ワレモコウと言えば庭の隅のほうで静かに咲いていると言うようなイメージがありますが
このワレモコウは植物園の日本の森(元?)にある池の渡り橋の出口付近にあります
人も多く通るところでかなり目立つ場所であります
ワレモコウが小さい頃は周りの雑草と競い合っていて心配しましたが
最近は付近では一番の存在となりました
まあワレモコウのイメージには合わないような気もしますが
一年ほど前にNo.121でワレモコウをテーマにしています そこで高浜虚子の俳句を紹介しました
「我もまた紅なりとついとでて」
と言うものです 今回のワレモコウもそんな感じで この句にピッタリかもしれません
googleで調べると ワレモコウは多くの俳人に好まれ いろいろ有名な俳句があるようです
バラとかチューリップとかでは余り華やかで
「わびさび」の好きな日本人にはあまり合わないのでしょう
とは言うものの「わびさび」とは いったい何ですか? と聞かれるとちょっと困ります
たぶん 好き嫌いを決める感性のあり方だと思います
たくさんの人が騒がしく集まっている赤いバラのある広い庭の片隅で
誰にも気がつかれないように黙って咲いているワレモコウ!
これであれば「わびさび」の一面が出ているかもしれません
地味で静かで引きこもっている雰囲気です
そこで面白いのが さっきの俳句です
「我もまた紅なりとついとでて」
ツイと出るのはわびさびの精神と矛盾しています それがひねくれ者(含むme)には受けるのです
ちょっとみっともないですが
侘びしく 寂しくしていても ときどきは思わず出しゃばらずにはいられないのです.
かなりみっともないです
「我もまた紅なりと閉じこもり」
の方が安心・安全で 最近の我々にはピッタリです
何と言うか 一日一日が 夢のように過ぎ去って行くのです
もしからしたら 昼寝しているだけかもしれませんが
われもこう 内弁慶を さらけだし
植物園のわれもこう 昨秋のひっそりの存在から 負けないぞ!頑張っています。
来年は 見よ ここにわれあり われもこう 威張りだすのでは?
がんばれ がんばれ 甘やかしの応援団ここにあり。
ねえ 種飛ばせないのですか?
お隣のうっとおしい邪魔者の株蹴散らせないのですか?
植物園職員さん 一株のわれもこう 存在に気付いて!
えこひいきお願い! 甘やかして! ちやほやして!
まあね 誰しもがそうなんだとは思いますよ。
ちやほや慣れのバラの花 場違いの野の花コーナーに迷い込んだら
どぎまぎ 下むいて・・・小心者・・・われもこうさんよろしく
うつむいて過ごすのだと思いますよ。
うち弁慶 そこでちやほやされるその日まで。
さて われもこうさん
小さな池の回り そうですねえ 三分の一くらい占拠出来たら
我々応援団 心静かに秋の池巡りできるようになるのでしょうかね。
三分の一に向かって がんばれええええ
閉じこもる 世界広げよ われもこう
写真No.170:9/28:フライングソーサー
この時期にはいろんな花が咲き誇っていますので候補がいっぱいあるのですが
この写真があまりに魅力的に見えましたので前回に続きフライングソーサーです
どこが魅力的かと言えば「凛とした雰囲気」と言いたいです
(ただし 「りんとした」の正確な意味は知りませんがそんな感じです)
朝顔は真夏の花ですがフライングソーサーは夏の終わりか初秋の花です
朝晩が涼しくなってきた頃に咲いてくれます
そう言えば最近は ここ京都でも朝や晩には涼しくなってきました
よかったですね〜
この夏はしんどかったですね〜
しかし しかし です
私どもは頑張って一夏中散歩も敢行しました 昼間に5000歩 夕方に2500歩程度です
一寸前は一日1万歩にとどきましたが 最近はちょっと たりません
まあ近年の研究によれば一日8000歩程度がちょうど良いらしいので よかったです
最近は一日8000歩でもくたびれますので
「一日6000歩程度がちょうど良い」
と言う研究がないかをyoutubeで探しています たぶん見つかると思います.
この夏が暑かった分 来る冬にはThe General Winter(冬将軍)が頑張るらしい
いやですね〜 将軍様!どっかに飛んでいってください!
現在はこんな感じですが 昔は違いましたよ
車の運転が楽しかった頃には 雪が降るとドライブに出かけたものでした
京都はちょっと北に行けば雪国の様相を呈しますので
簡単に雪国ドライブを楽しめます
スタッドレスでなかった頃は途中でチェーンを取り付けねならなくなりましたが
その後は四輪駆動に新しいスタッドレスタイヤであっちこっちの雪国を走りました
雪が降ったら信州にと言うような時代もあったのです
今は運転免許もありません 後期高齢者ですから仕方ありません
雪の日はおこたでyoutubeでも見ています
ユーチューブ 雪のロンドン 目の前に
悪くないですよ 楽ちんですし 安全ですし 言うことなしです
もう来ないのではないかと思われた秋やっと・・・ですね。
暑さに負けてはならない この楽しい今に弱みを見せてはいけない
それだけを懸命に過ごしてきた夏でした。
風涼しくなってきました。となるとさあやるぞ・頑張るぞ
ではなく 夏の疲れとやら出すものかと懸命に
冬の前にやらねばならぬ庭の大仕事・その為の力温存せねばと懸命に
生き延びる体力・気力守らねば とかなんとか
懸命に生き続けなければならないのが後期高齢生存者のさだめ
づづくづづく はああああ ああああ
懸命の休憩・休息・気絶タイム つづく つづく
それにしても この夏の我らの庭は(凛)として凄かった!
トップスター・共演主人公は 日日草と芝生
日日草が夏に強いのは知っていたけど 芝生 これが凄かったのです。
駐車場跡の庭です。車の陰になることが多く どんなに気をつけていても
弱ってまばら気味の箇所散在 根元に苔の侵入で根の張りに支障
季節ごとの雑草乱入 等々 芝生も御庭番達もつらい闘い続きだったのです。
さて 邪魔な車無くなりました。お日様はもう一日中ガンガン
夕方には散水ばっちりです。この世の極楽状態だったのだと思います。
緑 ふさふさ 緑の絨毯 宮殿の絨毯もかくのごとし ふっかふっか
こんな見事な芝生見たことありません!! (断言)
我らが芝生・自慢たらたら・有頂天の夏なのでした。
はまり役の主人公あれば 支える役もありました。
去年の花からのコボレダネ(こぼしだね) ジニア、鶏頭、トレニア
隙間にバックに陣取って 自然・きっちりと夏の庭支えてくれました。
きわめつけの活躍は 花壇後ろのコンクリートむき出しの壁
少しずつ誘引してたつる性植物たちでの落ち着いた背景の壁へ変身中
さあ今年の夏の庭完成図です。思ってもみなかった(凛)とした夏の庭
(凛)これこそが(凛)の具現化なのではありますまいか!
りん(凛)りん 鈴が鳴る・・・ 嬉しい嬉しい鈴の音
写真No.169:9/21:フライングソーサー
フライングソーサーです
今年は前庭や玄関ヨコに植えてあります この花はその1番咲きです
この写真を撮って以来数日たちましたが最近ではいっぱい咲くようになりました
日々草と並んで私が最も好む花です
我が家の庭が日々草とフライングソーサーに囲まれているようですが
これは我が配偶者さんの配慮と思われます
それとも私が「フライングソーサー!」「フライングソーサー!」
とうるさいので 静かにさせるためでしょうか
とっちにしろ 感謝!感謝!
さてフライングソーサーのよいところですが いろいろあります
まず色です 白色と藍色の組み合わせですが そのどちらも美しいです
次はその組み合わせです
どの花もそれぞれ異なった模様で白と藍が配分されていて その模様に感動します
3番目は フライングソーサーは昼過ぎまでしおれることなく咲いてくれます
似て非なるものに朝顔があって これは朝の間しか美しい姿が見れません
4番目はフライングソーサーを咲かせている庭はほかにはほどんどありません
フライングソーサーの親戚のヘブンリーブルーはよく見ますが
フライングソーサーはなぜかあまり見ないのです
我が家の庭は元駐車上の前庭とその後ろの一段高い玄関前の庭がありますが
路上からは前庭しか見えません フライングソーサーはその両方で咲いていますので
我が家の前の道からでもフライングソーサーを見ることができます
タクシーで帰宅すると運転手さんも
「オー 花がいっぱい!」
と歓声を上げてくれるほどキレイな庭になっています
「どうだ 参ったか」
と言いたいところですが
まあ そう言う相手もいませんので2人で静かにほくそ笑んでいます
夏の花 きれいですねと タクシーさん
西洋朝顔 ヘブンリーブルー
ガーデニングブームたけなわの頃?もてはやされた昼咲き朝顔です。
曾野綾子さんの小説 天上の青 登場する朝顔 どんな花?心ひかれたのでした。
あの頃の植物園はじめあちこちブルーに染まった朝顔の風景 美しい思い出です。
この フライングソーサーは ヘブンリーブルーに続いて紹介されてきた花です。
みかけなくなりましたねえ 大きめの花苗屋さんにもありませんでしたよ。
フライングソーサー それって何?の対応 むかっ 気を悪くしたのでした。
となれば 種から・・・
咲いてくれました。わあわあっと喜んでくれる配偶者さん
心底ほっとしたのでした。 これでいいのだ ああ美しいこれでよいのだ
心底のまたその底 うめいているのです。
夏の庭の後ろに並ぶ木々覆い尽くす軽やかなおしゃれなフライングソーサー花の壁!
それが夢想・スタートだったから。
なんとも弱々しい苗 あれやこれや消えていくではありませんか
なんとも細々のつる 塀の上の木までたどりつけない 頑張れ 頑張れ
なんとか葉のかたまりになってきたぞ・・・
つるが切れたり 株ごと枯れたり 唇かむこと多し 多し
フライングソーサーさんも大変でしたねえ。
何年か前 同じ野心抱いて
花苗屋さんで立派なフライングソーサーの苗入手
もうすくすくと 木々覆い尽くしての一面の花開花!
なんと 全株 フライングソーサーではなくヘブンリーブルーだったのです。
豪華絢爛 天上の青 すごいことになったのですよ。 お口あんぐり
きっと 道行く人もお口あんぐり 楽しんでくださったと思います。
この夏 終わり近しの花咲かせる気力体力ふりしぼり 夢よもう一度
フライングソーサーで頑張りたかったのでした。
穏やかな顔つきのフライングソーサー
こんなものなのよ・・・優しくささやいてる?
へなちょこお庭番許してくれてる?
写真No.168:9/14:オニヤンマ
またまたまた花では無く、今度はトンボです それもオニヤンマです
オニヤンマは格好いいですよね これは「勇姿」です
子供の頃に捕まえた記憶がありますが 最近では その勇姿を見る機会が減ってきたようです
オニヤンマだけではなくて昆虫が減っているようです
子供の頃は毎日のように蚊に刺されていましたが この夏はまだ無事です
植物園の木々の間を抜けるには昔は蜘蛛の巣に引っかかる覚悟が要りましたが
最近では蜘蛛の巣も全然見かけなくなりました
この数十年で殺虫剤が発達したためもあるかもしれません
技術は人間が住みやすいように進んで行きますので
蚊や蜘蛛などの昆虫には住みにくい世界となったようです
私も蚊に刺されたり蜘蛛の巣に引っかかるのは嫌いですので
このような技術進歩は歓迎したいところですが
こんな些細な環境変化でも思わぬ影響が出ていないかと心配にもなります
蚊の存在には何かにとって重要な意味があるのでしょうか?
殺虫剤の進歩で蚊が減ると他の何かが困るのでしょうか?
とチラッと思いましたが まあ人類(私のことです)にとってはどうでもよいので
これ以分析するの止めることにいたします
このオニヤンマの写真はいつも行く宝ヶ池公園の四阿(あずまや)で撮ったものらしいです
(配偶者さんの作品です)
実は今日も午後から行く予定ですが
最近の変化として我らが投げるパンを食べる主人公が鯉さんから亀さんに変わったことがあります
十数匹の亀さんがよちよちと食パンのかけらを追いかけて食べています
どう言う環境の変化が起こったのか分かりませんが不思議です
それと渡り鳥の鴨さんも数匹ですがこの公園にも戻ってきました
まだ暑いですが 季節は進んでいます
トンボ なんだか懐かしさ感じさせてくれるのです。
子供の頃家の前の東西に走る道 [トンボの夕べ]がありましたよ
東へ西へ わっしょいわっしょい群れなして 行ったり来たりの大忙し
網なんていりません ほうき掲げて下せば捕れるのです。
今となればもっと感動しておくべき風景だったような
無舗装 穴ぼこの道 水たまり 水たまりだらけの道
(水たまり大好き 覗き込むと面白いし ボチャボチャ歩きも楽しかった)
トンボはあんまり賢くないのでした。 明日のない水たまりにせっせと卵産むのです。
それが それを見るのがいやだったなあ 幼少の頃から気が弱かったものでね
どうしようもないので目を背けていましたよ。
今でもトンボあきれるほど小さな水たまりに卵産み付けているの見ることがあります。
学ばない輩のとんぼさんのようですね。 あきらめ 少しため息
懐かしさのつづき
夜の家庭団らん 大きなトンボ光につられて?参加乱入
大きなハエも参加乱入 ふざけて捕まえたトンボの口先へ
羽つままれたままの姿で一瞬の躊躇もなくもしゃもしゃ丸かじり わああああ
お砂糖の塊はどうだ? パンは? もしゃもしゃ・・・わああああ
ペットとして飼えるのでしょうか・・・怖くなって外に放したのでした。
トンボ:ドラゴンフライ(dragonfly)ですものね
懐かしさのつづき
夏休み宿題作品展示会
必ずの昆虫採集作品ずらり トンボの標本ずらり すごかった
真四角の箱 整然整列のトンボ・昆虫 きっちりのピン留め かっちりの名札
男の子達の凄さ 思い知らされる時でした。
女の子ばっかりの世界でしたので 異質・異様そして敬意の時でもありましたね。
今でもすごい!っと思わせる昆虫みつけと
男の子だったら狂喜するんだろうなあ・・・反射的に思ってしまいます。
わたしは み・て・る・だ・け!
トンボ ツイーツイー
その姿 平和平穏のシンボルと感じるようになったようです。
あの頃の女の子…変わってきたということなのかなあ
不思議 すこし 感無量
写真No.167:9/7:カエル
またまた花では無く蛙さんです
なんか座り心地の良い場所におさまっているように見えます
家の裏に田圃があってここに水が入って稲の苗が植えられるとオタマジャクシが現れます
その苗が育って1メートル近くになるとオタマジャクシが小さい青蛙となってやってきます
我が家の庭にもくるのです たぶん かなりたくさん来ていると思われます
と言うのも 青蛙さんが庭にやってくるころと時期を同じくして
我が家の前庭の芝生が長く長く伸びてしまうのです
そこで私は電動芝刈り機で芝を短くするのですが
この電動芝刈り機の中では包丁のようなものがぐるぐる回っているのです
これで芝を切り取って短くするのですが 青蛙さんの立場から見ると大変です
身の丈の数十倍もある巨大な包丁がグルグル回りながら進んでくるのです
芝刈り機に捕まればミンチになってしまいます
庭中を芝刈り機でグルグル回りますので 青蛙さんから見れば私は殺蛙鬼です
グルグル回っていると数匹は庭から脱出して行きますが
すべての青蛙が逃げ出しているか 自信がありません
と言うのも 青蛙はあまり賢いとは思えないからです たぶんアホです
危険が迫っていても逃げないことがしばしばあります
このため人でもカマキリでも青蛙を捕まえるのは簡単です
私どもは青蛙のファンと言うか好んでいるというか ですが
青蛙のためにしてあげることは何も思いつきませんので
せめて芝刈り機でグルグル回るときにちょっとは気を配りたいものです
青蛙がパンくずを食べるならまいてあげるけど たぶん主食は虫でしょう
もう9月ですから かわいい青蛙さんもだんだん見なくなります
みんなカマキリとかに食べられるのでしょうか
無事生き残ったのが冬眠して来年の初夏にはオタマジャクシの親となるのでしょうか
青蛙諸君 がんばってください
御庭番 ということにして とのふりをして
あつかましくここでのさばっています。
もう何十年も庭を庭だけをみつめて過ごしてきたような
世の中を苦手とし離れていたい小心・小者が見つける平和の谷・自由の離れ島
ああなんたるみっともない(でも大満足の)生き方であることか
いつかきっと罰が当たるのだろう・・・緊張感との並走の生き方です。
庭 限りのある空間 ひとつの世界
その世界の参加者・関係者・役柄としての御庭番なのかな
地面掘っ繰り返し 花苗植え込み ひっぱがしのはりつけるの
ガードナー気取りの生意気な驕り また嬉しからずや
でもね おかしなことに一番充実そして楽しい庭での過ごし方は
草むしりなのでした。気づいたときちょっとびっくり。
何も考えてない 花も木も見ていない 何も気にしていない考えていない
目の前の草 むしりむしり・・・はかどっていくの実感があるのみ
そんなとき ふっ 感じる 目線? なにかの存在感?
ちいさな緑の存在 カエルさん カエル殿
葉陰から 花の間から 木の枝から まあ私を見てるのでもないのかも
見てるとしても 邪魔者扱いはされてないような 穏やかな感じ
お互い そっと 自然なものとして存在感じあってる?
庭のカエルたちをこよなく愛する始まりでした。
この庭 この世界 生きてる世界 共有してるんだもんね
私は人間 御庭番だからと 気を遣うことにもなるのです。
虫いやだああ・・・カエルたちの命の糧かも
大きなカマキリ・・・カエルを捕食するのを目撃 許せん!
水たまり・・・蚊の発生源だあ・・・カエル集まってるなあ
雨不足 さあ水撒きを・・・花の・葉の上でおくつろぎ中
今日のカエルさん
シュウメイギクの蕾を付けたすぐ下の葉 くぼみ丸まってご休憩中
水撒きはそっと株元だけにたっぷりと・・・
御庭番はやさしい気持ちになれるという恩恵 ありがとうね!
写真No.166:8/31:トンビ
鳶(トンビ)です.勿論草花ではありません
飛んでいる鳶なら珍しくもないのですが 写真のように
枝にとまっているのはあまり写真に撮ったことがありません
子供の頃は鳶は幼い子供をさらって巣に運んでかえって
家族中で生き餌として食べてしまうようなことを聞いた覚えがあります
ちょっと怖かったものです
しかし最近は鳶が狙うのはチーズバーガーとか食パンとかです
鴨川の川辺でチーズバーガーを食べていた人がその手に持っていたのを
上方後ろから飛んできた鳶に奪われたのを見たことがあります
私自身では 宝ヶ池公園の四阿(あずまや)で鯉や鴨に食パンをちぎって
やっていたときに左手に持っていた食パンを
上方後ろから飛んできた鳶に奪われたことがあります
この食パンは体の前で隠すように持っていたので
鳶はかなり器用な飛び方をして奪ったようです
このときには食パンを持っていた手に歯がたならぬ爪かたをつけられました
鳶が食パンをつかみ取ろうとして私の手に爪をたてたようです
しばらく痛かったですが それからは公園で餌をやるときには
まず近辺の観察から始めるようになりました
鳶が上方後ろの空を舞っているときには食パンを隠した体勢をとるのです
鯉や鴨に餌をばらまくのは最近の我らの人生では一大快事となっています
(-->平和な人生です)
最近では亀さん達がやってきてパン食い競争に参加していますが
あれは動きが鈍いのでいくら亀を狙って餌を投げても食べてくれません
(鯉に奪われるのです)
しかし おかげで配偶者殿は餌投げが達人の域に達しつつ有ります
亀さんの口の前数センチの位置に小さい食ぱんのかけらを投げれるのです
愛のなせる技でしょう!
残暑でも 亀は元気に パンを食べ
でした
トンビ 怖い・怖くないのお話
我が家に迷い込んで来た猫ちゃん7匹のお子様お産みになりました。
色・模様より取り見取り もらってくださいの新聞広告
山間部から猫ちゃん欲しいと来てくださった方
白い猫はダメなのです。トンビにさらわれてしまうのです…だそうです!
カラスとはどうにも仲良く出来ない間柄 空中戦バトルよく見かけます。
団体行動に強いカラス圧倒的勝利 一羽だけでも追いかけまわされてますねえ。
大きななりして…高空戦もちこめばいいのにトンビちょっと鈍くさい…のかな?
魚の群れ発見 見事な降下 一瞬の捕獲 さすがさすが 野生の王国
????? 空中で食べる様子 なにか落とす様子
そしてまた見事な降下・捕獲 つづく つづく 野生の王国
観察の結果 魚の頭の部分お好みでないらしいのです。
ちゃちゃっと頭だけ切り離し捨てちゃってる。
美食家?わがままもの?食べ残しはいけませんの教育受けてない様子だな。
美食のためなら蛮勇発揮(カラスには負けるくせにね)
人の手にしたハンバーグ 池の鯉に投げたいパン ピクニックお弁当
上から 空から 高い枝から ねらってるねらってる
ひとを怖がりませんねえ ひとは我が身をお弁当を守るしかないようですよ。
わたしは怖くありませんよ
なんとなれば 我が一族は嵐の後海辺に落ちてたトンビ食べた!のだそうです!!
こわごわ でも 食べた!!!
こんなもの食べて 一家全員死ぬかもしれないねえ。
食べれない赤ん坊のこの子だけ(私のことです)生き残るのかもねえ
しみじみの会話があったのだそうです。
全員ぴんぴん元気に人生送ったのでありました。
すごい すごい すごすぎる!
トンビさん 私を甘く見てはいけませんよ
その一族のはしくれなんだからねええ
ぴーひょろろ ぴーひょろろ トンビさん
全部ひっくるめて大好きな鳥です。
写真No.164:8/24:源平小菊
日々草が写真の大半を占めていますが日々草は主人公ではありません
真ん中に咲いている菊のような小さい花に焦点を当てています
源平小菊と言うらしいです(from googleレンズ)
源平と言えば平家物語、平家物語と言えば
「諸行無常」と「盛者必衰」
を思い浮かべます さらに
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」
と続きます
なかなか厳しいですね しかし ポジティブに考えれば
この文章の裏には
「落ちぶれし人も久しからず、夏の朝には良い夢とともに目覚めん」
がひそんでいるはずです
人生には順調モードのときもあれば悪いモードのときもあると言うことです
昔はどんな人にも運が良いときと悪いときがあって
人生を平均すればどんな人もほぼ平等に「ラッキー!」が配分されると思っていました
運なんて言うものはサイコロの目と同じで
誰がやってもどの数字も6分の一の確率になると思っていました
それはその通りなのですが
人がhappyになるかどうかは 人生で非常に大事なときにラッキーかどうかに掛かっています
これもやっぱり運ですね
たとえば配偶者の選択なんてのは半分以上は運でしょう(ラッキーミー!)
お金さえあれば人はhappyになるのであれば人生はかなり簡単なのですが
これまでの人生で得た情報によれば人間の幸せはそんな単純なものではないようです
写真の源平小菊は一生のほとんどを日々草の陰でおとなしく成長していましたが
いざ開花したときには日々草の間から顔を出してお日様の光をいっぱい受けています
源平小菊さんの陰でも成長すると言う日々の努力のなせる技でしょう
ちょうど開花したときに日々草の外に出れたわけです よかった! よかった!
源平小菊(エリゲロン)さん こんにちは
あなたのこと忘れてました そして 忘れてたのでもないのですよ。
その場所は庭の一等地 季節の主人公達の場所
春にはわすれな草、チューリップ 夏にはニチニチソウ、ジニア
贔屓されて場所占拠して咲いている場所なのです。
でもね
あなたはそこに居続けているのですよね。
主人公のいなくなる晩秋から冬そして早春 しっかり太陽うけながら
根をはり 株増やし 飛ばした種での新地開拓 チャンスはあなたのもの。
お庭番は知っています。季節の主人公の交代時 ぱっと愛らしいあなたの輝きの時。
そして主人公達の季節でも何気なく隙間から花姿見せ続けてるのですよね。
庭のあっちでもこっちでも 目立つわけでなく そっと素朴に
人は野の花・草の花・・・くらいにしか思わないでしょうね。
夕散歩 この花咲かせている庭見つけました。
多分何気なくの導入 多分思いのほかの喜びの源
多分鼻息荒く喜び・野心・とりあえずとの株分け株分け
ニコニコ眺めています。
新しい家 新しい庭 住む人の心つたわってきます。
時が経ち 人それぞれの毎日
子供達大きく動き出す毎日 お仕事も頑張らなくてはの毎日
庭の花見てるとわかってくるものがありますね。
さて お庭は 花は・・・ さてさてさて
ベンケイコギクさんの運命やいかに
つづく つづく
私たちの夕散歩も つづく つづく
今日あなたに気づいた人がいましたね
あなたの小さな喜びに気づいた人がいましたね
良き夏の日なのでした
写真No.163:8/17:スイレン
植物園のスイレンです
南入口を上がって20mほど歩くと左手に水槽のような池があってそこで咲いています
このエッセーを書き始めた頃にもスイレンの写真を載せましたが
あれは琵琶湖東岸の烏丸半島にある水生植物園のものでした
水生植物園のスイレンは温室のような良い環境で1年中とてもキレイに咲いています
京都植物園のは自然のままですので これまでは鑑賞に堪えるとは言いがたかったのですが
今年は暑くて良い天気が続いてスイレンにはちょうど良かったようです
花によっては暑い晴れた気候を好むものもありますが
紫陽花のように曇った日や雨の日が続く梅雨の時期を好む花もあります
土も同じで水はけの良い砂状のものを好む松葉ボタンのような花もありますが
保水力の高い土状のものを好む花もあります(だいたいの花はそのようです)
花によって好む環境もいろいろあるわけです
これを間違えるとせっかくガーデニング屋さんで買ってきた高価な花の苗も
見る見る元気がなくなりしょぼくれていって立ち枯れたりします
我が家で配偶者さんがガーデニングしているのを見ていると
例えば日々草はなんどもしょぼくれたのですが
昨年前庭の日当たりが良い場所をもらうと猛烈に元気に咲いて主役になったのでした
ちなみに今年も成功しています ここに写真はまだ掲載していませんが花盛りです
花でも人でもその環境をうまく合わせないと実力を発揮できません
人の場合にはその環境も自分で選ぶというか創り出すと言うかしますが
花の場合にはひとえにガードナーさんの愛と知識に掛かっています
そう思うと責任重大です
たかが花されど花です
今年は我らが庭にはフライングソーサーもいっぱい植わっています
まもなく咲き始めると思いますが暑い気候が好きらしいので楽しみです
すいれん 睡蓮 スイレン
むむ 漢字でこう書くのかあ 水の文字入らないのかあ
水に浮かぶがごとくの睡蓮
水上に咲き 水上に眠る花 ということなのかな。
生命は水の中にそのスタート点持っているのではなかったかな
(いつもの我が怪しき知識かもですが)
海から水から陸へ 植物・爬虫類・鳥・人・もろもろ・・・
いったん陸で生き始めた生物 その多くは水にはもどれなさそう。
それでも 水は必要 水の周りうろうろして皆生きてるとも言えそうな。
水底に根をはり 水中太陽を求めて・大気を求めて茎をのばし
水面に到着するや葉をピッタリ水面にはりつけての全面太陽光受け止めの体勢
表面張力?押さえ込んで安定を図り 葉の隙間をあけてさあつぼみよ空へ
水底(大地)に根 水中に茎 水面上に葉 そして 睡蓮の花浮かぶがごとく
なんて お見事 なんて健気 なんてロマンではありませんか?
水の妖精 お話生まれ出てくるの 納得です。
地球の何処か 睡蓮が自然のままとして咲いているのでしょうか
ギリシャ神話でもなく おとぎ話でもなく
ひょいとそんな水辺に行き当たる・・・あるのでしょうよねえ。
そこは 何処?
わたしの地理・植物相の知識 ぽっかりの空間 見当もつきません。
カバがもしゃもしゃ食べたり ワニの歯に絡まったり
上空をターザンがウワオーっと叫んで飛び越えたり
まあねえ ここはおとなしく かまとと本領発揮
夢見る妖精さん ということにしておきましょう。
写真No.162:8/10:サルスベリの木
サルスベリの樹です.
猿でも滑って落ちると言う意味ですから木の表面はスベスベしています
サルスベリの樹は夏の時期には花盛りのはずですが この樹には花はありません
左上に見える赤い花は後ろの樹のもので この樹には花はありません
たぶん老木で花を咲かせるパワーがないのでしょう
樹でも人でも老いてくるといろんなことが出来なくなるのは仕方ありません
ちょっと移動すれば花盛りのサルスベリの樹があるのに
どうして花も咲いていないサルスベリの樹の写真を撮ったりするのでしょう?
花を咲かせている樹と咲かせていない樹を比べてみると
花を咲かせていない木にも「いいな〜」と思わせるものがあったからです
花や葉っぱで一杯の樹は幹や枝が一部しか見えませんが
花も葉っぱもない樹は幹や枝だけですが そこにも自然の造形の美が現れるのです
今は夏ですのでほとんどの樹は葉っぱをいっぱいいっぱい付けていますが
冬になれば多くの落葉樹は葉っぱを落としてまる裸になります
そして幹や枝だけの自然の造形の美だらけになります
春の暖かさと共に庭のあっちこっちで咲き始める花
初夏から夏にかけて野や山に溢れる元気いっぱいの緑の輝き
秋になって寒さとともに神社の周りで紅葉で美しい葉っぱ
そして冬になれば幹や枝だけで自然の造形美を見せる森
幹や枝の自然の造形美はほんとうは冬のものなのですね
この写真のサルスベリの樹は真夏にこの姿です
それでちょっと目立ったのでしょう
冬だったら競争相手がいっぱいですが この時期にはいません
これは人生で成功する秘訣の一つを示唆していますよ
「ライバルがやっていないことをする」
まあ これだけのことです それで際立つことができます
「言うは易く行うは難し」
ですが...。
自分の庭が持てるのなら・・・
ひとつの季節にひとつの花木を選ぶとしたら・・・
楽しいプランだと思いませんか
わたしのプランは 春のユスラウメから バイカウツギ そして紫陽花へ
ここで終わりになりました。木を持ち込むスペースがなくなったのでした。
でもね夢想は続きます・・・・冬は さざんか 蝋梅(ロウバイ)に決定
秋の紅葉はどの木がいいのかなあ 夏の花木どれにしようかなあ
ひとつの季節にひとつの花木 かさならないように ひとつずつ
夏に咲く花木 サルスベリいいですね
あちこちの塀から 公園・植物園で 赤 ピンク 白 こぼれ咲いています。
元気いっぱい 花期は長い(夏中咲いてませんか?)なんておりこうさん
良いなと思うのですがそこいらで楽しめるので
わが庭でそおっと楽しむ・・・にはすこし・・・かな
花期が長い 嬉しいにきまってますね
年中暖かい街で暮らしたことがあります。
どの花も花期が長いのです。 数か月咲き続けます。
宿根草になると?(バーベナだったのですが)一年中満開・咲き誇っていましたよ。
我が配偶者さんは あんまりだあっと叫んで 嫌だああっと叫んで
あのお けっとばして・・・あのお 公共街路樹の足元からんで満開続けてる花
けっとばして・・・ おまわりさんみつけられなくて よかった!
日本人 ゆく川の流れは絶えずして・・・うつろいゆくの無常観
根深いものがあるようですねえ
すべて うつろいゆかねば・・・嫌なのかもです
三日見ぬ間の桜かな・・・もんくたれたれ なげきうらみ
日本人の本心 長く咲き続けたら・・・嫌なの かもよ
写真No.161:8/3:ひまわり
ついこの間 ひまわりの写真をテーマに何か書いたと思うのですが
早くも1年経ち また ひまわりです
花に迫力がありますので写真にしても訴求力?がありついつい採用してしまいます
大輪で大胆な黄色の花は暑い夏にふさわしいです
暑いと言えば今日は39度になるとかでまだ11時ですが33度とか言ってます
そのためついに我が家でも外出して散歩すると言う習慣を中止しました
しかし一日中パソコンの前に座っていては筋肉は衰えるし認知症も進むようです
そこで 配偶者さんと相談の結果室内を隅々まで歩くことにしました
一回1200歩で午前に1回と午後に2回で合計3600歩歩く計画です
さっきネットで読んだ外国の研究では一日7000歩歩くのが理想らしいです
だいぶ足りませんが 人は散歩のみで歩くにあらず です.
ちょっとした用事例えば 耳かきを取りに行くとか 窓から外を見に行くとか
でちょこちょこと歩きますので 結局 6000歩くらいは歩くでしょう
それにしても今年は暑いですね〜 しかしこれはネガティブな発想です
ポジティブに言えば 晴天でどこまでも青空が広がって晴れ晴れしています
我々も青空は好きなんですが 雨が少ないのは困ります
野菜とか果物とかが不作になって 美味しくないのに価格が高くなります
まあどんなことにも中庸であること バランスが大切なんでしょうが
問題はどこが中央点であるかについて いろんな意見があることです
皆が「私は中央に位置しています」と言いますが 人によって位置が違うのです
色にたとえれば皆が「私は灰色です」と言っているようなものです
真っ白と真っ黒の間の色はすべて灰色すなわち中間です
と言うわけで「私は中庸」と言う主張は何も言ってないのと同じです
まあ そう言うことで自分の意見を隠しているのかもしれません
何を隠そう かく言う私もこのテクニックを使いかねません
ひまわりさんは違いますよ
ひまわりさんはバランスが取れた天気でなく「晴天が好き」です
ときどき根元に水をまいて欲しいですが
まだまだ夏は続きます 頑張りましょう!
ひまわりにお似合いの夏 ひまわりの夏
(八月生まれの身としては大きな声でぼやきにくいのですが 酷暑!)
ひまわりが目に入ってきた 入ってきまくった夏
こんなに新鮮な驚きと喜びでこの花眺めたことなかったような
子供の頃から
ひまわりは太陽に向かって咲く 太陽を追って花むき変えてゆく花
知識として受け入れ信じていました。 なかば一般常識化してませんか?
あれっ そんなひまわり見たことないぞ あっち向きこっち向き咲いてるよ
ひまわり畑 花が一斉に朝日から夕日へ首うごかすなんて怖すぎる
(まあSF小説にそんな植物の惑星のストーリーあったけれどもね)
誰だ そんないいかげんな うそっぱち教えたのは
この夏気づいたのです。あれ東むいて咲いてる花が多いなあ 偶然?
植物園ひまわり畑 あっと驚きの風景
すべてのひまわり東にむいて咲こうとしている 東に向かって咲き始めている
東に向いて咲き誇っている 一斉に! ななんと!
太陽とともに一日花首動かしてる様子はないけど 怖いくらい一斉に東向き
グーグルさん どういうこと?
とりあえずの答えはありました。 なんだかなあ程度
でも朝日に向かうひまわりの性癖は理解したのかな
(だって強烈な実例に囲まれちゃいましたからね)
でも多花性だったり群生だったりすると東だろうと西だろうと隙間みつけて
咲かねばなりません。お日様追ってうごめく余地はないですよね。
ひまわり 自分のお日様見つけて咲くことになります。
東西南北どちらでもいいのです
咲いてます 咲き誇ってます どれだってナイス!
元気がなにより の 夏 !!
(ひまわりさんは叫んでいます)
酷暑 頑張りすぎないようにを がんばろう
(これはわたしの叫びです)
写真No.160:7/27:ムクゲ
ムクゲは夏の花です.これを見ると日々草を思い出しますね
全体として白くて真ん中が赤っぽい部分がある構図がお気に入りなんでしょう
私のジェネレーションになるとこれは日の丸弁当に連想が繋がります
日の丸弁当と言っても豊かになった今時の日本人には分からん人もいるでしょう
副菜が梅干しのみでそれが白いご飯を詰めた弁当箱の真ん中に埋めてあるのです
白地に赤い丸が中央にあるのが日の丸弁当です
私は日の丸弁当を持たされた経験はありませんが
弁当箱に白いご飯を敷き詰めてその上に細く切った塩昆布をばらまいただけ
というようなものを持たされたことがあります
若干の塩昆布だけで弁当箱に詰まったご飯をすべて食べよ ということらしいです
これは修学旅行中のできごとなんですが 昔はニッポンも貧しかったのです
もっと最近 塩昆布弁当から約20年後 ある食堂で魚定食を注文すると
どんぶり一杯のご飯と釜上げしらすが十数匹とタクワン二切れが出てきました
日の丸弁当や塩昆布弁当よりはだいぶ上等ではありますが
十数匹の釜上げしらすは一口で食べてしまいますので
ほとんど食べていない残ったご飯は二切れのタクワンでいただくことになります
そんな貧しい時代は日本では終わったと思いたいですが
自由な社会では各個人の生き方しだいで豊かさのレベルに差が付きます
ある程度の能力とちょっとした努力としっかりした計画性がないと
日の丸弁当や塩昆布弁当に戻ってしまう可能性もあるのです
ちなみに私は長く梅干しが苦手だったんですが
年月の経過と共に嗜好がかわったらしく梅干しの味を楽しめるようになりました
特に梅干しをつぶして釜上げしらすにまぶして 丼に入ったご飯の上に乗せる
「釜上げしらす梅干しまぶし丼」をこよなく愛するようになりました
釜上げしらすも梅干しも体に良いらしいので この夏にはたっぷり楽しみます
この夏にたっぷり楽しでいるのは静かな植物園です
周りに誰も居ないちょっとした空き地に椅子を2つ並べて座り
自販機で買ったアイスココアを持って退屈な時間を過ごします これは天国か?
と思えるほど快適なひとときであります
このとき椅子に座ったまま横向くと写真のムクゲが見えるのです
ムクゲは極楽に咲く花か?トンボは飛んでいませんが...。
散歩道 住宅街
ぐるりこの花木で囲い込まれた畑みつけました。
夏 花の少ない季節 咲きまくっていたのでした。
こんな咲かせ方あるのだなあ
完勝 完敗 お見事 脱帽
季節感いっぱい 懐かしさ感いっぱい
何気ない花木 何気なく庭の隅植えられてしまいそうな花木
あまりにも無造作に多花性 枝葉樹形無造作にゴチャゴチャ
なんだか 軽んじられてしまいかねない花木
あの日以来 季節を教えてくれる大好きなムクゲの花なのです。
夏にかき氷あるように 夏に蚊取り線香あるように
花火楽しむ少女の浴衣の模様にムクゲの花 最適だと思いませんか
以来 この花見つけるたびに わあ 懐かしいなあ
浴衣の花だなあ 騒いでしまうわたくしめ なのです。
この花模様の浴衣着てる女の子どこかにいないかなあ
会いたいなあ・・・
京都府立植物園
お茶碗に土つめこんでパカッとひっくり返して 頭トントン
平らにしたような丘もどき まわりにムクゲが植え込まれています。
成長旺盛な木です もう数年もすればムクゲの花に囲まれた丘
閉ざされた空間ができあがりそうです。
数年前 この丘に椅子持ち込んで過ごしている方がいました。
ムクゲの花に囲まれて・・・瞑想にふけるお釈迦様?
ムクゲの花にトンボは似合わなさそう・・・ひらりひらり
迷い込むように飛び交う極楽ちょうちょ・てふてふさん
絵になりませんかね?
猛暑の夏 アイスココア片手に ぼけー
すべて夢かまぼろしか こんな一日でした。
写真No.159:7/20:サフランモドキ
サフランモドキと言う名前の花のようです
名前からしてかの有名なサフランに似ているらしいのですが
ガードニング初心者としては どこが似ているんじゃ と思ってしまいます
名前に偽物を意味する「もどき」が付いているなんて失礼なと本人(花)さんは思ってい
るかも知れません
googleによれば雨上がりに咲くのでレイン・リリーとも呼ばれるらしいです
たぶん本人(花)はこっちで呼ばれる方が嬉しいことでしょう
だがしかし こっちでもリリーの代用品のような響きがあります
世の中にはそう言う宿命の花も居るのかもしれません
そこで,もっとgoogleしてみると
「別名は、ゼフィランサス、レインリリー、ローズピンク・ゼフィランリリー、
キバナサフランモドキ、モモイロタマスダレなど」
と出てきました。なんじゃこれ!花にはこんなにたくさんの別名があるのが普通なんかい?
しかも最後に「など」が付加されていますので もっと別名があるらしい
初心者としては覚える気がなくなります
そう言えば ちょっと暇なときに いろんな小鳥の鳴き声を覚えようと
youtubeを見た・聞いたのですが
バードウオッチング入門者には全部同じ鳴き声に聞こえて直ぐに諦めました
我が家では 誰でも知っている10種類程度の小鳥たち(含むカラス、とんび)以外は
「小鳥の鳴き声」と表現することになりました
我が配偶者殿はまだチャレンジすると思いますが聞き分けるのは無理だと思います
もっと昔の視力聴力が老化していない時代であればよかったのしょうが...。
話は変わりますが このエッセーを書き始めたのが2022年の7月中旬でしたので
いつの間にか3年経ちました
こんな文章でも頭を使うので数独代わりです
スッと書けるときもありますが なかなか書けないときもあります
あれやこれやと悩むときに思考を司る前頭葉が活動するらしいです
(ほんとかな〜)
ともあれ まだまだ書き続けます
少なくとも配偶者殿は喜んで読んでくれると思いますので..。
あなたの庭の花々の名前 ご存じですか
知りたい 知っておきたくなりませんか?
名前タグ付きでやって来た花達はそのまますんなり
いつの間にか 忘れちゃったり… まあいいかっと…
ふと思いつくのです ああ あの花の季節だぞ そろそろだぞ まだかなあ
今年もまた出会えたこと 嬉しさ しみじみ・・・
しみじみのぞき込むには お名前付きでのぞき込みたいような
googleでチェックしたら
まあ ほんと ゴタゴタ ゴチャゴチャ むかっ 植物学会め!
ネーミング みんな気に入らないのでした。
白い世界から淡くピンクの色が匂い立ってくるような花
ピンク色の花が好きになった最初の花なのです。
意識はしてなかったけれど 青系白系に好みあるのだと感じてたような
この花 球根数増えて安定・ひとつの季節教えてくれるようになりました。
ああっとのぞき込んだ途端 淡いピンクの世界 可憐!清潔!
ほんときよらかに清潔感そして愛らしい なんだか一点の曇りもない純粋な存在
要するに ぞっこん
ひそかに(ひそかにですよ)一番好きな花なのかも
この歳になって!ピンクの花が好き!だなんて すこしぷぷぷ
この花をゼフィランサスと一緒にはしてほしくなかったかなあ
私のゼフィランサスはタマスダレとも言って懐かしい花 花壇縁取り元気下町風の花
この花は 独立した雰囲気を持つ 深窓の令嬢風の花
お山のハイジさん 対 クララさん
似ているのだとしても 違う! 違いのわかる・・・わたしなのであーる。
(っと思っている 今日この頃なのであります)
(これがわからん輩は もう後ろから頭ゴーンっと…)
(懐かしい桂枝雀さんのフレーズです。ファンなのです。)
写真No.158:7/13:ハス
蓮の花です
蓮の花と言えばお釈迦様と言うか仏教を思い浮かべます
googleによれば 仏教では極楽にハスの花が咲いているらしいです
仏教はキリスト教やイスラム教と並んで3大宗教の一つと言われてます
宗教の主張のエッセンスは天国の存在です
ほとんどの人は現実の世界では不満があって
「もっと幸せになってイイはずだ」
と思っています
そこで次の人生では天国に行って幸せになれるはずである!と思いたいのです
天国が存在して頑張った人は報われる方が だいたいの人には都合が良いのです
と『葬送のフリーレン』で誰かが行っていました
私も天国があった方がいろいろと都合が良いとは思います.
問題は天国の姿です.全員が幸せな天国とはいったいどんなところなんでしょう
天国では全員が社会的にも出世して社長さんになっているはずです
クルセダーズの歌に
「天国良いとこいちどはおいで 酒はうまいし姉チャンはきれいだ」
と言うのがありますが これでよかったらわざわざ天国にゆかなくても
キャバクラとか言うところに行けばよいだけです
クルセダーズの考え方には賛同しがたいです
現実の世界ではほとんどの人が不満があって不幸であると書きましたが
この不満は他人と比較することから生まれます
ほとんどの人が不幸と思っているのは 数少ない幸福な人と比べるからです
現世ではほとんどの人が平社員で社長さんにはなれません
天国では全員が出世して社長さんになっているはずです
しかしそれでは威張ってこき使うべき平社員がいません
社長さんは小遣いさんや事務員さんを兼任せねばなりません
また社長の間で
「凄い社長」と「たいしたことがない社長」がうまれそうです
天国で「たいしたことがない社長」になっても不満が残ります.
天国ではナンバーワン社長になりたいのです.
全員がナンバーワンになるのは無理です.
天国でも序列がありそうです 不満な人がいっぱい居そうな気がしてきました
全員が幸せな天国とはいったいどんなところなんでしょうか?
あったら行きたいですが...。
今は昔 暇だったんでしょうね
どんなお馬鹿さんでもわかる?三大宗教の解説?そんな風な宣伝の本見つけました。
キリスト教 イスラム教 仏教
びっくりしたのでした。
キリスト教、イスラム教 おなじ神さま信仰なこと知ってましたか?
いわゆる旧約聖書の神 神様信仰
あるとき キリスト(ユダヤ人ですのよ)が神の子として登場。キリスト教へ。
(キリストを神の子とみなさない・・・旧約聖書の神・・・ユダヤ教)
旧約聖書の神 神の言葉を人に伝える?未来永劫最後の預言者マホメット登場。
(キリストを神の子とは勿論みなさない)イスラム教へ。
そんなことだったような・・・
まあわたしの記憶・理解力(ゆめ信じるなではあるのですがね)
神・信仰 人類に自然必要不可欠な・・・?
音楽も文学も哲学も美術も スタート地点に神・信仰?
なんだかね 怖くなったのでした。
人の歴史 美しい進歩の裏側 強烈な残酷な歴史ではありませんか?
神・信仰の持つパワー 原動力いつもその中心には・・・
小心者です。それまで美しきものとして眺めてきたかもしれない
信仰の建築物 祈る人たち 儀式 聖書 などなど
秘められたパワー気づかずにはいられない
すこうし目をそらしてしまいます。そっと道ゆずってしまいます。
蓮の花に囲まれて 瞑想にふけるお釈迦様
仏教の雰囲気のあるこの国に生まれてきたこと
ほっ 安堵感 よかったなあ
信仰とは関係ないのでしょうが
瞑想にふけるお釈迦様 お邪魔にならないように
ツイー ツイー 蓮の花咲く池 飛ぶトンボ達
一日中 ツイー ツイー
蓮の花に瞑想のお釈迦様 お幸せそうで嬉しいです。
写真No.157:7/6:ユリ
歩く姿はユリの花
が有名です.一本だけでスッと立ち上がって風があれば揺れますので
歩いているように見えないこともありません
歩くと言えば昔からよく歩きました
旅行に行けば3時頃にチェックインして それから夕食時まで新しい街を歩き回りました
おかげで夕食を食べる頃には『ここは第二の故郷や』と言うくらいに街に詳しくなったものです
しかし夜になると足というかふくらはぎが痛くなって悲鳴ををあげていました
この当時は一日2万歩〜3万歩歩いたと思います 元気だったと言うか若かったと言うか...。
現在は一日1万歩にはとどきません せいぜい 歩いて8000歩程度です
それも休憩を挟んでいます 植物園であれば
入り口からカフェまで10分で休憩してココア
次にバラ園まで10分でまた休憩してお茶
次は旧日本の森の四阿まで15分〜20分でまた休憩してお茶
そこから出口まで10分で休憩してお茶
それから地下鉄の乗り場まで10分
と言うような感じです 以前にも書きましたが歩いていると言うよりは休憩しているという感じです
しかもスタコラサッサと歩くのではなくブラブラと歩いていますので健康に良いのか疑問です
しかし皆さん ご安心ください 我々は夕散歩と言うものをいたします
5時頃から約30分ほどまた歩くのですが 我が家は瓢箪崩れ山のほぼ登り口にあって
散歩ではこの山に向かってなだらかな坂を登って行くのです
瓢箪崩れ山の0.2合目?くらいのワンが住んでいるところが折り返し地点です
この折り返し地点では脈拍は120を超えるくらいですので この夕散歩は運動になっています
最近は夕方でも暑いので家の近くにたどり着いた頃にはくたくたと言うかよぼよぼです
最近の人生は 気分爽快に歩くために 一日使っているような雰囲気です
あんなにキレイだった風に揺れるユリもプライムを過ぎてしまいそうです
代わりに夏の花の日々草が輝いてきました
暑さに強い芝生も元気に伸びています
小さい小さい青蛙が裏の田圃から引っ越してきて庭のあっちこっちで飛び跳ねています
いよいよ真夏ですね〜 でも歩るかなアカン えらいこっちゃ!
どういう事情なのかさっぱりなのですが 今年はカエルの当たり年?
この二、三年 田んぼのオタマジャクシ数激減 庭にやってくるカエル激減
さみしかったのです。 農薬? 天変地異(てんぺんちい)? おさだまり地球温暖化?
半分あきらめ・・・・だから 嬉しい 嬉しさ百万倍
よちよち歩きの新米カエルさん ニコニコ眺めています。
この季節芝生に小さな羽虫発生します。 新米カエルたちにぴったりの餌?
アマガエル 庭のどこか木のどこか暮らしているようす。
枯れ葉の下から迷惑そうにボケー 遊んでた?居眠りしてた?
場所ばれるような 緑の体色 木の体色 石の体色 金属の体色 土の体色
ばればれですよ おかしくてみんな可愛い 庭の仲間・我が家の仲間
このお遊びエッセイ 学ぶこと有りなのでした。
わたしの出身地 田んぼの蛙といえばトノサマガエルだったのです。
大きいし見た目もちょっと あれなので 苦手気味かも
京都にきて 田んぼの隣に住んで 蛙の大合唱聞いて オタマジャクシ観察して
オタマジャクシの数にしては・そのわりには蛙(トノサマガエル)見かけないなあ
それほどに都会では生存競争過酷ということななのかなあ
なんて ぼけ ぼんやり・・・おばかのまんま
違ってたようです
京都では田んぼの蛙はアマガエルらしい(アマガエルは庭のカエルだと思ってた)
いままでに三匹トノサマガエル庭にやってきたと思います。
アレッ・・・ 長居はしてくれなかった・・・と思います。
田んぼの蛙 地域性あるのでしょうか どんな事情で分布変わるのでしょうか
トノサマガエルとアマガエル
生存優先区ラインはどんな理由でどこに線引きあるのでしょうか。
不思議 不思議を楽しく思うだけなのですが
どなたか調べてみて!
そして日本の田んぼの蛙達について 解説・教えてください。
うちのアマガエル チューリップ真ん中に鎮座し 紫陽花に埋もれ
カノコユリに乗っかって揺れて・・・幸せの限り だと思います。
見てる我々も幸せの限り 愛されてる存在なのです。
写真No.156:6/29:アジサイ
一年前の6月にもアジサイの写真を載せました
その写真ではアジサイの花びらにまだ緑色が残っていましたが
今年のは全面アジサイ色です たぶんアジサイのプライムの時期です
その一年前のアジサイの時も書きましたが これは福井県の小浜出身です
海岸沿いの丘の上に海を一望して咲いていたアジサイの枝を持ち帰って育てた株です
この小高い丘にはもう一つの思い出もあります
普通はくず饅頭と呼びますが 我が家では水饅頭と言うことが多いです
この丘の麓に水饅頭を売っている和菓子屋さんがありました
お店に入ると畳一枚くらいの長方形で高さが20cm程度の水槽が置いてありました
お祭りのときによく見る金魚掬いの水槽とそっくりですが
中には金魚ではなくて水饅頭が入っていたのです
そこで4個((配偶者+私)×2個)の水饅頭を買うとビニール袋に水饅頭と水を入れてくれます
金魚の代わりに水饅頭が泳いでいると言う感じです
それを持って大急ぎで車で丘の上に行って
『ゴクリ!ゴクリ』と水饅頭を食べると言うか飲み込むと言うかします
一瞬の幸せ×2回です
この水饅頭は水がおいしい小浜ならではの和菓子です
持ち運びが困難なため地元に行かないと食べられません
この水饅頭と こりこりのネタの寿司屋さんのためによく小浜に行きました
40歳代から50歳代のかけて日本国中を車で走ったのですが
おかげで地元でないと味わえない料理をいろいろいただけました
ちょっと思い出すだけ
日本海の海岸沿いでいただいた岩ガキや松葉ガニ
高知の鰹たたき
網走のタラバガニの内子
松前の塩水バケツのうに
大分空港の関サバと城下ガレイ
その他にもいろいろあります
イヤー!みんなうまかったな〜!
これらの料理は地元以外で出会うことがありますが すべて地元のものとは違いました
いまから50年ほど前にアメリカに行って食べた日本料理と同じです
似ていない非なるものです
しかし地元のものと違っていてもそれなりにオイシイこともあります.
水揚げしたばかりの鰹がある高知と周りに海がない京都では素材である鰹が違います
新鮮な鰹の柵をぶつ切りしただけでオイシイ高知と
幾日か経った鰹をおいしく食べる工夫をする京都では食べ方が違うのは当然です
車の運転も旅行もしたくなくなった我々としては京都の食べ方でOKです
とは言え最近スーパーで買った鰹たたきはちょっと古くて食べれませんでした
庭に雨 目には紫陽花 古鰹
でした 残念
庭の紫陽花 プライムの色・花姿です。
写真映り完璧。 実はね 株としてはもう何年も乱れ乱れの実態
いいのよ 花数いくつでもいいのよ 咲いてくれたらそれでいいのよ
・・・みんな私が悪いのです。
剪定と私 不倶戴天の間柄
決意 反省 グーグル検索で学び ユーチューブのチェックおこたらず
だめなのです。不倶戴天の敵 容赦してくれるはずないのです。
考えました。 敵がそうくるなら そうだ挿し木でやり直してみよう。
去年の今頃 挿し木すること20本 夏 秋 冬 春 見守り続けましたよ。
あれやこれや理由あるのでしょうね 見守りのなか19本 DIE ON ME! 涙。
一本頑張ってます。 葉8枚 背丈15p がんばれ がんばれ
ものはついでです やぶれかぶれの蛮勇 今年も挿し木やるつもりです。
資本主義的・挿し木に良いらしい赤玉土とやら本日配達の予定
再チャレンジ・・・乞うご期待
もし もしですよ 花咲かせる株に成長してくれたら
駐車場跡日向の庭 並び植えて一世一代 紫陽花の庭へ
夢 かなうのでしょうか 夢 間に合うのでしょうか
わかりませんね。 夢みる 今 今に生きているのです。
写真No.155:6/22:芝生広場
写真は植物園にある芝生広場です
実は始めはキノコの予定でした
宝ヶ池公園で なかなかチャーミングなキノコがいっぱい咲いて?いたのです
クローズアップも遠景も撮って クローズアップのをひとつ選びました
その後家に帰ってgoogleレンズで名前を調べ googleでどんなキノコが調べました
それは毒キノコでした 笑って死ねる天国極楽キノコだったのです
そこで写真を作成して以上のような内容を紹介した文章を書いたのですが
いざウエブサーバーにアップロードしようとするとその文章がありません
消えてしまったのです
パソコンではときどきそうゆうことも起こりますよね
そこで,現在大急ぎで この文章を作成しているわけです
ちなみに一昨日の留守中に我が家で停電が起こりました
帰宅するといろんな電気製品が止まっていましたので
片っ端から電源を入れたり時間をあわせたりしました
ウエブサーバーも止まっていました
公開用のファイルが置いてあるパソコンも停電でいったん切れ その後直ぐに再起動したのですが
突然の電源切れを感知したパソコンが起動を途中で止め点検メッセージを出して起動を止めたのです
その間はウエブサーバー自体が起動できずこのサイトも見ることができない状態でした
このエッセーサイトは見るのは本人たちと親戚だけなんですが
サイトの本体である『庭の花写真集』はアクセスがかなりあります(累計180万以上)ので
ちょっとご迷惑をおかけしたかもしれません
まあ素人が暇つぶしにやっているサイトですからご容赦ください.
では そろそろエッセー用の写真の『芝生広場』に注目しましょう
以前冬で寒くて誰も居ない芝生広場の写真を載せたと思いますが
今回は夏で熱くて誰もいない芝生広場の写真です.違いは芝生の色と周りの状況です.
冬は誰もいませんが 夏は芝生広場の周りの日陰には人がいるのです.
写真の左下をよく見れば2人連れが2組座っています
しかし広い芝生広場には誰も居ませんので見ていると開放感があって気分爽快です
ちょっと前まではこの芝生が海であれば最高なのにとか言っていました
京都に住んで車を手放したのですから海は遠いです
最後に海をみたのは4月に鹿児島に行ったときでした.
琵琶湖なら家から地下鉄とJRで1時間で到着するのですが海の色は湖とは違います
特に波が違います 海の波は息づかいを感じますが湖の波はポチャポチャ波です
無いものねだりはしないで 空でも見てください.鳶が一匹飛んでいますよ
暑いけど 解放されるよ 芝生地に 空には鳶 手にアイスココア
毎週一枚の写真用意して なんてろかんてろのエッセイ?先行ご苦労様です。
わたしは一周遅れでああだこうだのエッセイ?続けているのですが
選ばれた写真一週間眺め続ける・・・面白いものです。
この風景 この場所はもう何十年も眺め続けた風景 通い続けた場所です。
若き日 休日 お弁当持参 散歩通りすがり 人かき分け 走り回り
毎日が日曜日 コロナ時代 車無しで行ける場所 ベンチ休憩場所巡り
集う人眺める場所 観察する場所 発見する場所
最近はそうですね ひたすら 広がる空間に浸る場所 かな。
だんだんキョロキョロ度が少なくなってきたようです。
家族の休日ピクニック 園長先生もそろっての幼稚園児たちの大はしゃぎ
若者の芝生ゲーム遊び新作披露 季節ごとの写生大会
入園無料の老人達、赤ちゃん付きママ達の集い
特権?ガードナーさんたちの車付きご活躍 ボランティアさん達のおおわらわ
フォトウエディングカップルの観賞 インバウンドさん出自国推測
今の時代の他人様のお弁当事情チェック 興味のポイント尽きません
植物園です 花も木ももちろん楽しんできましたよ。
京都府立植物園 百年 すごいのかな?
我々のおつきあい五十年以上続いています。すごいのかな?
隅々まで知っているのかも 変化・改革?おつきあいしてきたのかも
まあそんじょそこらの植物園職員さん達より先輩なんだぞお!
意味もなく勝手に威張っています。
何も知らない職員さん達からは 仲良しおじいちゃんおばあちゃんが
ま・た・来・た・! 思われてる様子です。優しくしていただいています。
週二回 地下鉄乗ってやってまいります。
生活の中心 健康のあかし 永遠に!続けるつもりであります。
この風景に入りびたり あらまほし なのであります。
写真No.154:6/15:ホタルブクロ
ホタルブクロです.
蛍が花の中に入って蜜を吸うのにぴったりの形状です.
蛍と言えば近くの川 岩倉川で大量の蛍を見たことがあります
もう十数年前のことだと思いますが
数百匹かもしかしたら数千匹の蛍が岩倉川の上流100メートル程度の区間で飛んでいたのです
夢かうつつかと思われるほどに美しい夜景でした
あまりのことに次年度の夜もそのスポットに行きましたが数匹がパラパラと飛んでいるだけでした
その次の年も行きましたが2,3匹かろうじて見つけただけです
その次の年にはもう行きませんでした
やっぱり夢かうつつかでした 残念
まあ しかし 長生きしていればときどきこんないい目にも会います
まだ人生を振り返るほど年を取っているとは思っていないのですが
思い起こせばいろいろ信じられないほどラッキーな目に会ってきました
ラッキーアス! Lucky us!
たぶん日頃の行いが良いためため神様?に配慮していただけたのではないかと思います
と調子の良いこと書きましたが 話題は蛍です
蛍が光るのは勿論子孫繁栄が目的でしょう
当然明るい蛍ほど見つけてもらいやすいですから自然の摂理?で明るい蛍の子孫が生き残ります
もしこれが正しいなら年月の経過と共に蛍はより明るくなって行くはずですが
そんな話は聞いたことがありません
自然の摂理理論を 人で応用すれば より強く より格好良く より賢い人が生き残りますので
年月の経過と共に人間は より強くより格好良くより賢く なるはずでした
世界の歴史を見るとより強くとより格好良くはちょっとは実現できているようですが
より賢くにはいろいろ問題がありそうです
で 遠からず人類は その愚かさ故に滅びるかも...。知らんけど!
ほたるぶくろ 小ぎれいに着物姿
そんな方にふさわしいすっきり和風の庭先に そんな方の部屋の隅・花かごに
ほたるぶくろのイメージ変わることありません。
見たこともないくせにその印象の安定感 少し驚かされています。
それはともかく
最初に驚かされたのは 山道ドライブ 崖から外へ身を乗り出して咲いていました。
こんな豪華な花 何でこんな山道に・・・どんな事情が・・・
海を見晴らすアジサイの丘 その奥のほうに白いホタルブクロの花姿再発見
ほの暗い木々の間・・・なんでこんな・・・どんな事情が・・・
それでいいらしいのです。 山や里 野生に生きる花らしいのです。
そんな知識入ってきてもやっぱり驚かされます
園芸観賞用に改良されての完成形と思えるのですがねえ
我が庭咲き続けてくれています。
大切にしてるのですが 問題あり?の性質?
地下茎みっしり一面に張り巡らしたがる 小さな芽みっちり芽生えさせたがる
ナイス! ところが・・・花茎伸ばすのはその一部だけでそれに至る時期に
まわりの植物に迫られたり覆われたりすると勝負に負けるようなのです。
君は強い子なのか? 弱い子なのか?
限りある空間 日陰の庭 懸命の贔屓にもかかわらずじり貧です。
さあここはあなただけのコーナーですよっとなると
もうびっくりの豪華なコーナーとなるのは知っているのですがね
ホタルブクロ、野菊、ホトトギスしのぎを削って生存競争中です。
お庭番必死のえこひいき 苦戦中。苦戦中。
駐車場跡 日向の庭 壁際に持ち込んだら大成功
生命力強い芝生、エリゲロン(弁慶小菊)、ヒメツルソバ
みんな蹴散らして? 大喜びの大繁殖?
ホタルブクロ堪能の梅雨の庭となりました。 満足・ため息
これからは 芝生への侵入防ぐのに大わらわの日が続くのでしょう。
えらいことですよ びっしりのみっちりの地下茎ですからねえ
御庭番の心も知らず 愉快・快活・はしゃいで咲いています。
あれっ 和風の慎まし気な花は? どういうこと??
写真No.153:6/8:バイカウツギ
バイカウツギです.
居間から見ると北側の掃き出し窓と東側の出窓から見えます
数年前まではちらほら咲いているような地味な感じでしたが
最近は白い花がいっぱいいっぱい咲いてます
朝起きて掃き出し窓の雨戸を開けたり出窓のブラインドを上げたりすると
バイカウツギが白く豪華絢爛に一面に広がって圧倒されます
私はガードニング歴50年以上ですがいまだに初心者ですので
永遠の初心者らしく地味な花達にはその存在さえ気がつかないことが多いのです
配偶者殿には ここにこんな花 あそのにあんな花が咲いていると
頻繁に指摘していただいています その度に
「あれ!ほんとや!こんなキレイな花があったとは!」と驚いています
人は物理的に視野に入っていても認識しないことが多々あります
視野に写っている様々なもののうち自分に興味感心のあるもののみを見ます
写真を撮るときでも焦点の合ってない部分(たとえば背景)はぼけています
これは新聞を読むときに似ています
新聞は1面から20面?くらいまであって各ページに様々なことが書いてありますが
そのうち読むのは自分に興味がある数カ所だけです.
この数カ所の読む記事の見出しを聞くだけでその人がどんな人かがおおよそ推測できます
複雑そうでも遺伝的資質と育ってきた環境(経験)でほぼどんな人間かが決定されます
地図ナビで言えば 出発点と経路がわかれば現在地が決まるようなものです
幸か不幸か遺伝的資質を決めるDNAは複雑な構造らしいし人の経験も千差万別ですから
人間はそれぞれ独特な存在となります
この文章を書き始めたのは4日前でしたが そのうち2日は出かけていました
帰宅するとあんなに咲き誇っていたバイカウツギの花が元気がなく しおれたり
枯れて茶色っぽくなったりしてます
その代わりにその横にあったアジサイが咲き始めています
ぼんやりしている間に時は移り主人公の花も入れ替わってゆくのですね〜
前線が 雨を降らせて アジサイは 緑色から 水色に
こんなところでも鴨長明さんが頑張っているのです
バイカウツギの季節となりました
狭い塀沿いのスペース 必然的に家に窓に迫って咲くことになります。
室内から眺めると もう花に包まれて過ごす生活
どおだ!いいでしょう? やい!うらやましいでしょう?
バイカウツギは五月に咲く花木欲しくて外構工事の方にお願いした木なのです。
一本お願いしたつもりが… 七、八本狭い空間に植えこまれていました。
自分でなにもかも企画・実践していく そんな生き方
運命的に?わたしには向いてないのかもですね。
企画努力はした。 今 目の前にある今で がんばりましょう。
おなじように植木屋さんとの意思疎通すれ違いからやってきたユスラウメ
そしてこのバイカウツギ 幸せいっぱい感謝いっぱいの花木達です。
花を植えて楽しもう…の庭の予定
なんとユスラウメ、バイカウツギ、コニファー、金木犀
木々の足元、隙間で花咲かせる庭となってしまったのでした。
制約の中での花の庭 制約からこぼれでる花の庭
力いっぱい 楽しい庭遊びでした。
またやってきたこの季節 喜びの季節です。
ユスラウメの実を食べに バイカウツギの花の蜜を吸いに
あんなに嬉しそうに楽しそうに美味しそうに・・・鳥たち
〔窓のすぐ向こう バードウォッチング特等席〕
この数年姿見せなくなってしまいました。
砂利の庭になってしまったとか まわりで新築工事続いたとか
コロナとか(まあこれは関係ないか)御庭番の愛が足りなかったとか
とか とか とか
とにかく寂しい限りです…蝶もアマガエルもダンゴムシも…寂しい
みんな come back please!!! 待っているのですよ
COME BACK!!!
写真No.152:6/1:ユスラウメ
ユスラウメの実です.真っ赤に輝いています
我が家の庭でこんなに元気に実るのは久しぶりです.
しかも前庭の土手の上から飛び出ているので目立っています。Very Good!
この家に引っ越ししてきた頃は周辺は田圃や野原ばっかりだったのです
家の前の道をイタチが走り渡ったり
庭の花壇にお猿さんが来て植えたばかりの花をむしり取ったり
夜中に裏の下水道で狸親子が騒いだり
前庭で草むしりしているとキバタキが虫が食べたいと催促鳴きしたり
大いに自然が楽しめましたが
現在は周辺は新築の家で埋め尽くされました
日本の人口は減り続けているらしいのに
あっちこっちで一戸建てやマンションが増えているのはちょっと変かも...。
どっかで無住の家やがらがらのマンションが増えているに違いありません
家を建て直すのはまだ何とかなるかもしれませんが
マンションを建て直すのはたぶん無理でしょう
古いマンションの住人の多くは高齢者ですから立て直す資金を出せません
と言うことは そのうち 廃マンションだらけになってしまうでしょう
困りましたね〜
でも日本の高齢者比率はどんどん高くなるし高齢者の投票率は高いので
マンションの建て直し費用も税金で補助してくるかもしれません
高齢者のみなさん!
日本は『ちょろい』国やし なんとかなるかもしれません
なんの話をしているんでしょうね
たしかユスラウメでした
花と実で2度楽しめるgoodな木です.
初夏の庭 赤い実食べる 小鳥たち 青空進む 白い線
この色はフランスの国旗です
認知症テスト?今日は何年何月ですか?今の季節は?
そんな感じの問いがあると聞いたことがあります。
そしてあんたはどうなんだ?・・・は置いとくとして
子供時代 今 を生きることの専門家だったような
新学期 夏休み 運動会 お正月くらいはおさえてるんだけど
年・月・日・曜日 季節すらそれらの隙間埋めくらいの認識?
集中してるぶん 今は 永遠に近かったような
敷地続きの伯父さんの家にはおばあちゃんの部屋がありました。
くるり垣根にかこまれた小さな庭の向こうの部屋
今に生きる子供のふらふら歩き?垣根の間に白い花みつけました。
ちいさな みたことのない 不思議・きれい・可愛い!
自分がひとりで見つけた そこに嬉しさや意味もあったのでしょうかね
おばあちゃんの部屋の垣根見るたびに思い出すのです(ふだんは忘れてる)
季節を知らない子供 あの花咲いてないなあ きれいだったなあ
花にであうことなく がっかり?さみしさ?ものたりなさ?
あるとき みたこともない ちいさな赤い実を発見
他の実と全然ちがう こんな可愛いきれいな色の実みたことない
あの白い花とぴったりお似合いの赤い実 あの花とこの実おなじものなんだ!
ひとつだけ 赤い実そおっと食べてみました
花と実 ぴったりの そおっとの美味しさ
一度っきり 子供時代の感動の時
庭木・花のためのスペースありのこの家にやってきたとき
あの垣根の花植えるのだ! 植物図鑑・庭の花木図鑑 探しましたよ
見つけましたよ ゆすらうめ 花の写真実の写真 ぴったり
造園にも強いとの外構工事の方に植えて欲しい…頼みました。
あまりに熱心な頼み方しちゃったのでしょうか
一本のつもりが 狭いスペースに七、八本のゆすらうめ
はい ゆすらうめに囲まれた庭に住むおじいちゃんおばあちゃん決定です。
あはは 年・月・日・曜日もうどうでもいいお年ごろ
季節だけは大丈夫 ゆすらうめと一緒に過ごしているのですからね
今 2025年6月 ゆすらうめ 赤い実 そっと食べてます
今 永遠であれよかし(あって欲しいなあ)
写真No.151:5/25:アイスランドポピー
アイスランドポピーです.
細い茎でちょっと背が高いので風で良く揺れます
初夏の風 すべての花が はかなげに 右にゆらゆら 左にゆらゆら
花の色が多種多様ですが どの色も薄いです それがまた風情があります
アイスランドは国としては最北の位置にあって雪と氷に囲まれているらしい
Game of Thrones というドラマの主要な撮影地となったので
ドラマの野外風景からアイスランドの自然の雰囲気が感じられました
その他にもアイスランドの刑事TVドラマも見たことがありますが
隣の家に行くのも大変で 冬の吹雪のこわさがよく分かりました
こんなところによく人が住むな〜と思いましたが
もっと自然が厳しいシベリアとかアラスカにも人は住んでいます(頑張ってください)
アイスランドの凄いところは
そんなに厳しい自然環境にもかかわらず豊な国らしいことです
ググると一人当たり所得が8万ドルとか
ウッソー!と言いたくなります 日本は3万ドル程度です
でも たぶん物価も超高いです
従業員の年収が8万ドルということは月100万円ですから時給5000円程度です.
これではコストも日本の数倍ですから製品価格も数倍高くせねばなりません
ラーメン一杯数千円とかの世界です
しかし自然が厳しく狭い島国のアイスランドにいったいどんな産業があるのでしょう?
不思議ですね 思いつくのは観光と金融でしょうか?
それにアイスランドで年収1200万円あったとしてなにを買うのでしょうね?
人口30万人程度ですからいろいろ品揃えするわけにもゆきません
私にとっては不思議の国アイスランドです
それでも短い夏にはあっちこっちにポピーが咲いて揺れているのでしょうか?
広大な野原一面にポピーが揺れていたら凄いでしょうね
(これは見てみたい!が寒いところは嫌いです)
平和の谷 自由の無人島
どこにあるのかな・あって欲しいのか・夢想よりどころなのか・なんなのか
子供のころからこだわっていたようです。こだわり続けたかったようです。
こだわるあまり 地理のお勉強・世界のお勉強そっと避けて来たようです。
そんなまんまで後期高齢生存者
あんまりですよね。みっともなさもこのくらいにしなくては
ということで 数年前まなじりきりり一年間地理の勉強がんばったのでした。
というわけで
ブルキナファソ、サントメプリンシペ 舌かまずに言えるぞ アフリカの国です。
恐竜を滅亡させた彗星はユカタン半島に落ちたんだそうです。
仏領ギニア こんなところにフランスの領地 宇宙センターあるようですよ。
チチカカ湖 可愛い名前ですね。 標高最高にある湖なんだとか。
グリーンランド ほとんどが真水の氷の上?にある国
人住めそうにも・・・発見者は考えた 商売人根性ですよ
開拓者おびき寄せるためにつけられたネーミングなんだそうですよ。
あっトランプさん 声かけ手を挙げるのちょっと遅すぎた?のでは?あはは
こんなの あんなの・・・
かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。
てなわけで
アイスランド 何処にあるのか知っています。
氷・雪の世界 火山もあったような まわり豊かな漁場に恵まれてたような
アジアからヨーロッパの国々へ入っていく中間地点・最適の位置にあるのだとか。
中国さんが ひそかに?手をのばしたがってる? とかとかとか
かすかに残る知識(怪しい・信じるな)なのであります。
平和の谷 自由の無人島 ありませんでしたね。
幼きこだわりから解放の時
雪解けの谷 アイスランドの谷
一面に広がるアイスランドポピー
ゆらゆらゆらゆら ゆらゆらゆらゆら
ゆらゆらり
写真No.150:5/18:弁慶小菊 font size=5>
グーグルレンズで調べるとヒメジョンと出てきましたので
そのつもりでこの文章を書いていると写真を見た我が配偶者殿が
『それは弁慶小菊』であると主張なさいました
さてどちらを信用すべきでしょうか 天下のグーグルか我が家のガードナーか?
そこで弁慶小菊でグーグル画像検索してみるとこの写真と同じようなものが出てきました
結論として グーグル自慢の画像認識技術なんて頭から信じてはいけない
我が配偶者殿は常に正しい
でした グーグル信者でしたので ちょっとビックリしました
さて以上は前置きで これからが本当のエッセー部分です
弁慶さんはルーザー(負け犬)である義経さんに最後まで忠誠を尽くします
詳しいことは覚えていませんが
元々は京都の橋の上で喧嘩して負けたので家来になったと言うようなことであったと思います
喧嘩に負けた人に忠誠を尽くして死んじゃうなんて今時の日本人にはマネできません
義経さんもズーッと以前に家来を解放して一人で逃げればよかったのに...。
もっとも その後義経さんは海を渡ってチンギス・ハンになったと言う話も聞きました
それなら立派です 尊敬します 弁慶さんも満足でしょう
youtubeで日本の離島・山岳集落巡りを見ていると義経さんが逃げてきたとか
平家の落人が来て集落を作ったとか言う話があっちこっちにあるようです
絶海の孤島とか標高2000メートル以上の山頂とかに逃げて行くとか これは凄い!
何が凄いって追いかける人の執念が凄い 新幹線とか飛行機とかが無い時代ですよ
生かしておいたら立ち上がってきてひっくり返されるかもしれないと心配だったんでしょぅね
昔の日本人は凄いです
最近の日本人には弁慶さんのような強烈な人は居ないような気がします
世界が相対的に平和だった時代はそれで良かったのですが
これからの世界ではちょっと心配です
まあ それが必要になれば そのような人材が日本にも顕れると思いますが...
べんけい小菊
イングリッシュガーデンかぶれ・西洋かぶれとしては エリゲロン
意味わからないぶん?カタカナのほうがよりしっくり…かな?
ほぼ年中可愛い花が楽しめる どんな環境でもOK 宿根草よく増える
こんなうたい文句とともにわが庭にやってきました。その通りです。ご活躍です。
(春に輝き・秋はおとなしめに・あとはポチポチ咲きです)
庭のあっちとこっち塊りとして咲かせると 春の花が疲れ見せたり終わりだす五月
パッと輝いてくれて新鮮な存在 階段石の隙間からでもしっかりですよ
あれもこれもの植木鉢の隅っこに紛れ込ませてみるとエリゲロンの世界出現です。
庭全体 地面近いところで咲き ひとつの季節まとまりを演じてくれる…
ほめすぎかな? けっして派手ではないのだけど実力者なのだと思います。
一度庭に入れたらもう絶えることはないと思いまよ。増えづづけるエリゲロン
さああなたはどう使いますか? 楽しいですよお
あのお 冬姿はあんまし…あれなので
大群生は(花期はすごいので一度はお試しの価値)ちょっと…かもですよ
早春の庭にハナニラ 春なんだけど次の季節入り込んでくる頃の庭にエリゲロン
わが庭の基調となる 大切な花です。
主人公として当然として華と輝く花
主人公ばっかしでは話進みませんよね
主人公ささえる・ひきたてる・まもりぬく・みをささげつくす
そんな存在って必要なのかもですね
でもでもでも
弁慶さんの頑張りも生き方も
義経さんと同等くらいの熱量で語られること多いですよね
間奏曲なのかもしれません 幕間劇なのかもしれません
庭という舞台
どんな花もあなたが一番!として輝く時 そんな時があるような…
そんな庭であってほしなあ
写真No.149:5/11:
西洋オダマキと言う優雅で上品な花です
何故か 植物園ではあんまり見ませんが
我が家の庭の定番で 毎年あっちこっちで咲きます
丈夫で長持ちする優秀な花です
ただし 背が高いので風には弱いかもしれません
詳しいことは我が配偶者さんまで...。
この花はだいたいは集団で咲きますので個々の花には注意が行き届きませんが
実は一個一個がとてもキレイなんです
集団と言えば最近集団スポーツのサッカーをyoutubeで見るようになりました
きっかけはパリオリンピックの間に女子サッカーを見たことです
youtubeにある膨大な映像から現在の自分が見たいものを探し出すのは大変です
youtubeは過去の私どもの映像履歴から『次はこんなのを見たいはずだ』と判断して
トップ画面に並べるのですがどう言うわけか女子サッカーがyoutubeに出てきたのです
まったく見たこともないサッカーの試合を見たところ面白かったのです
オリンピックではあっさり負けてyoutubeからもしばらくの間消えていたのですが
最近復活して日本代表からイギリスチームの試合のハイライトが出てくるようになり
2時間近いフル動画も出てくるようになりました
日本人選手が活躍しているマンチェスターシティと言うチームの試合が中心です
ヨーロッパで活躍している選手の名前を言ってもほとんどの人は知らないと思います
知る人ぞ知るの世界です.米大リーグの大谷選手なんかは別世界です
我が家でも大谷選手がホームランを打てば大騒ぎして喜びます
まあ給料もぜんぜん違うみたいです
外国の女子サッカーリーグで活躍している選手の平均給料は数百万円といことです
日本のタクシー運転手さんの給料並です なんか理不尽な気もしますが
女子サッカーと言うのはマイナーなスポーツなのでしかたないんですね
youtubeさんの推薦で我が家ではメジャーなスポーツとなりましたが
これは我が家のTVが60インチと大きい画面であることも貢献しています
自分の部屋の30インチの画面でサッカーを見ても球が見えにくくて
20人程の人間が右往左往しているだけでした
やはりサッカーのような集団スポーツは大画面が必須です
大画面万歳!
資本主義万歳!
この庭のため最初に種から育てた花 西洋オダマキです
近くの農協スーパー野菜の種と並んでいました。
種まいてから花咲くまで二年!かかったのです!
日陰気味の庭を明るい色・形で優しく上品に華やかに引き立ててくれます。
もう長いお付き合い
宿根草・こぼれ種・こぼし種 絶やさないようにしています。
不思議な存在
私の持つ花のイメージ:生まれ育って生きてきた過程で出来たんでしょうよね
そのイメージとなにか違う花なのです。違ったバックグラウンドを持つ花
優美・デリケートな雰囲気・華麗・深窓の令嬢風・クラシックバレエの世界風
なのに
わが庭で咲いています 嬉しそうです ありのままらしいのです。
用意した庭の場所はよくないらしい(まわりの花株の勢いに負ける?のかも)
静かに消えていくようです。
そして庭からこぼれ落ちての通路 砂利撒かれてしまった通路
敷石のはじっこ 植木鉢のはじっこ 咲き始めるのです。
穏やかに・華やぎの雰囲気イキイキと 不思議・ふしぎ・不思議ちゃんの花
自分の花イメージと共通項少ないかも…の花 猛烈に惹かれるではありませんか
童話にもありますよね
深窓の令嬢クララさん と お山のハイジ 仲良くなれるのですよね
ともに抱く 意外性の魅力 発見 新しい世界への紹介 道しるべ
ちょっと息をのむ存在 確かな存在 西洋オダマキ
この庭のある限り 一緒にいたい いてもらいたい存在
毎年 祈るような気持ちで たくさん採れる種を確認
懸命にこぼれ種チェック あっちにもこっちにもへのこぼし種
古い株の花に胸なでおろして喜び 育ってきた株の花に目を細め
ちっこい芽心配げに見ている わたくしこと 自称御庭番。
写真No.148:5/4:マンサク
マンサクと言う名前の木です
この木は植物園の北口から直ぐそばの大通りが交差する場所に植わっているのですが
この写真を撮った日まで その存在に気がつきませんでした
写真で表現できているか心配ですが 華やかに咲き誇っています
目を奪われるほどにキレイなのに
今まで気がつかなかったとはどう言うことかなと不思議に思うようになりました
これまで何百回も横を歩いていたのですから満開のときも何回も見てきたはずです
これはこのマンサクが木としてのプライム/絶頂期に入ったためではないかと思われます
去年までは横を通っても何とも思わなかったのが今年は思わず見てしまうほど輝いているのです
木のプライムの時期は数年続きますので これからしばらくは輝くことでしょう
来年も楽しみです
人間の場合でも学生時代には凡庸な若者だったのに社会にでてから輝くことがあります
学生時代にさまざまな愚かなことをしていたのを知っている身としては
『大丈夫かいな?』と思ったりしますが これが大丈夫なんです
地位が人を作ると言いますが その通りです
人間の潜在能力はとても高いもので ほぼすべての人はそのごく一部しか発揮できていません
地位か高くなって周りから要求されるレベルが高くなれば潜在能力が発揮されるようになるのです
私の経験でも『わー!こんなこと出来るかな〜?』と思われる状況でなっても
実際には簡単にクリアしてきたことが何度もあります
例えば,中学校入試で5段跳び箱があったのです かって一度も飛べたことがなかったのですが
入試では難なく飛び越せました
マンサクの場合にはプライム時代はたぶん数年程度でしょうが
人間の場合には20代から50代くらいまでがプライムになる可能性がありますよね 長いですね
私どもの場合はそれも過ぎてしまいましたが
それでも今がプライムではないかと思えるほどに楽しい毎日です
よかった よかった
人生のプライムって何なのかな
お寿司3,4人前大満足で食べてました。
10日続く旅行 毎日何万歩(多分)歩き回っての全身痛・疲労困憊
疲れすぎて眠れない。朝ケロッとナビゲーターしながら楽しい旅続行。
夕食後にさあテニスを・・・さあ休日です山越えて琵琶湖まで歩こうぞ!
あれもこれも そうですね 20代から50代だったようです。
ああ我らが人生黄金の時だったっと思い出語りしています。
プライム期の黄金の経験 何一つ今出来ることありませんねえ。
視点を変えましょう
子供のころから世の中での人生は諦めるべし、避けるべし、逃げるべしの方針
どうしたら許してもらえて・見逃してもらって生きていけるのだろうか
今をそっと真面目にこなしていったら何とかなるのだろうか
いつも何かに集中していることが必要だったようです。
仕事真面目に楽しく頑張りましたよ。そして疲れるようになりましたね。
これだけではつらいかな…これだけにエネルギー使い切ってしまう毎日…つらいかな
エネルギーの残存量・貯蓄案・回復案意識するようになりました。
なにかにはまるのが とっても有効なんだなあ
ひとつのレコードに ひとつのジャンルの読書に 一度にひとつずつ
テレビフランス語会話・ドイツ語会話 同時進行でやろうとして当然即あごだしちゃった。
でも右のポケットにフランス語単語カード 左のポケットにドイツ語単語カード
なんだか嬉しかったな。
まんがみたいな走り描きの絵 喜んでくれる人がいました。嬉しかったのです。
調子に乗って絵本つるぞ(押し入れのどこか手製絵本いくつか存在中)
新しいアイデアもいくつか貯まった頃 あごだしたのではなく
最初の無邪気な動機ではなく あざとさからくるアイデアだなと気づきました。
恥ずかしくなって・・・
庭が持てました。夢中の庭遊び ホームページまで作って写真撮りまくって幸せの絶頂。
あるとき ふっ あざとさに気づいてしまいました。
好きなのに花も手入れも好きなのに いつの間にかホームページに載せるための
花の選択・庭づくり・写真に映えるコーナーづくり・うそつきの庭
悲しくなって…恥ずかしくなって・・・
童謡・唱歌丸暗記 世界地理 日本歴史 あははなんと哲学の歴史
いつも楽しく始め 少しの集中の時
そして ああここまでなんだよな…さびしい途中下車の認識
なにも集中することがない時 毎日みじめでうなだれてしまいます。
虚ろ・ちと鬱っぽく? はた迷惑なことです。
リピートするプライムの時 移り変わっていくプライムの内容
そして恥ずかしいみっともなさに終わるプライムの時
それでもね 何か始まるときの純粋な?ひたむきな?ひととき
思い出すだけでも嬉しさいっぱいなのです。
プライムへの入口?は何処にでも? どこにあるのかな?
あなたの 我々の プライムタイムに 乾杯!
今のこのプライム感覚 永久につづけーーーー!
写真No.147:4/27:レンゲ草
我が家の前庭の芝生地一面に咲いているレンゲ草です
レンゲ草と言えば子供の頃はあっちこっちの野原と言うか畑で咲いていましたが
最近はほとんど見かけなくなりました
過去数十年でいろんな変化が起こりましたがレンゲ畑の減少消滅もその一つです
なにせ子供の頃には道に馬糞が落ちていたのです
電気冷蔵庫は存在せず氷屋さんに毎朝氷を配達してもらっていたのです
洗濯は洗濯板を使って手でごしごしでしたが冬は水が冷たかったやろうな〜
その後3種の神器としてTV、電気洗濯機、電気冷蔵庫が広がったのです
ちなみにフロは五右衛門風呂で薪を使って沸かしていました
この五右衛門風呂は鉄の部分が熱いので触らないよう入るのがコツでした
こんな時代を思い起こせば現代はSFの世界です
と書いたものの実は昔のことは具体的にはほぼ何も覚えていません
幼稚園・小学校・中学校・高等学校の間の出来事はほぼ記憶にありません
幼稚園で覚えているのは建物の絵を描いていたことぐらいです
小学校で覚えているのはノートに同じ文字をいっぱい書いたことぐらいです
まだ?新しいことを記憶することはできるのですが忘れるのが早いようです
忘却曲線と言うのがあって始めは少しずつ忘れますが
ある点(crirical point=臨界点)に達するとガバッと忘れるらしいのですが
このcritiacal pointが来るのが早いらしいのです
と言うわけで昔のことは覚えていないのですが
歳を取ると昔のことを思い出して懐かしむのが人生らしいので残念ではあります
でも物忘れには良いこともあります
その第1は うっとうしい出来事もさっさと忘れるので明るく生きられる
第2は 昔のことではなく新しい出来事を求めるのでいつまでも若々しい
両方とも良いですよね おかげで明るく若々しく生きられるのですから
要するにレンゲ草を見ていると明るく若々しい気分になると言うことらしいです
よかった
海の子です
海と聞かば 海を見れば 海に行けば
我が物顔です。駆け寄り・手を足を浸し・波蹴散らします
海に遠慮はありません だって わたし海の子なんだもん
小川 あぜ道 田圃 それは憧憬の風景・世界
身近にあったのですよ。中学校は田圃の中 小川の道歩いて通ったのですよ。
いつも新鮮で晴れがましい・なんでなのかなあ・お客様みたいに遠慮がちになってしまうのです。
わあわたし今川岸歩いてる! わあ少しだけなら田圃あぜ道歩いてもいいのだろうか!
春の小川はサラサラ行くよ 岸のスミレやれんげの花に
姿優しく色美しく 咲いているねとささやきながら
わが胸の幼心 今も歌い続けています。
人生最後の気合?芝生の庭あちこち穴掘ってレンゲソウの苗植えてみました。
雑草みたいにもしゃもしゃと…芝生を愛する婿殿よ…我慢して!見逃して!
四月の庭:芝生の庭は何処?レンゲソウ一面に広がってしまって肝冷やしました。
・・・開花・満開・蓮華畑の出現・・・
もう嬉しいのなんの 花の中座り込んで過ごしましたよ。
ミツバチもやってきましたよ。
蓮華畑のむこうには チューリップが水仙がムラサキハナナが忘れな草が
すべて大成功 夢のかなった四月の春の庭なのでした。
苦あれば楽あり そして 楽あれば苦あり
蓮華畑は四月の庭限定としていたのです。
大ナタ振るう時が来ました。歯食いしばり・うなだれて過ごしました。
五月は芝生が芽吹き始める季節です。救い出さねばなりません。
根っこ明るい婿殿 芝生には目をつぶり蓮華畑喜んでくれましたよ。
すこし傷んだけど 根っこ強い芝生です よね!
思ったより大丈夫そうな芝生たちも頑張ってくれそうです。
さっそく栄養撒いてくれました。
一年かけて見守りましょう。芝生さん今度はあなたの季節ですよ。
がんばろうね!
写真No.146:4/20:花ニラ
花ニラとムスカリの共演です
この2つの花はたぶん友達ですよ
形状はまったく異なりますが 色がともに紫色です
どちらかが
「君は紫色だね」
と言えば もう一方が
「君も紫色だね」と答えて それで友達になれます
これが白い花ニラなら親近感がなくて ともに無視し合うことでしょう
じつは地面の下では根が競争相手なんです
白い花ニラとムスカリだったら地面の取り合いが起こって
勝ったほうが付近を制覇して 花ニラだらけかムスカリだらけになることでしょう
紫の花ニラとムスカリなら友達になって譲り合って共存共栄します たぶん
些細なことでも共通の部分があれば仲良くなりやすいのです
勿論共通の部分が多いほど仲良くなりやすいです
仲の良い夫婦の多くは容姿や雰囲気が似ているように思えます
自分とそっくりの人に出会えれば直ぐに仲良くなれます
これは容姿だけではなくて性格と言うか価値観でも当てはまります
例えば,同じ大学の同じクラブに入っていれば
価値観とかが似た感じの人が見つかりやすく友達も見つかります
これと対照的なのが幼なじみです 小さい頃に近所に同い年の子が住んでいれば
学校にも一緒に通うことになるし自然と友達になってしまいます
幼なじみの良いところはバラエティに富んでいることです
どんな子が近所に来るかは神様が決めることですから
最近読んだ雑誌記事によれば
日本人は20歳代以降は会社の同僚や家族と一緒に居る時間が多く
友達とはほとんど合わなくなるらしいです
そう言えばコロナ以降は誰とも会わなくなってしまったようです
配偶者さんとは毎日顔を合わせていますが...。
今日のお昼にもイカスミ・トマトソースパスタを作ってくれるらしいです
楽しみです
春の庭開幕寸前
ハナニラ 日向の庭・芝生の庭で我が物顔して輝いてました。
野に咲くタイプのスミレとハナニラ 自由奔放 咲きたい三昧
お気に入りの季節の庭
ラッパ水仙、チューリップ、ムラサキハナナ 存在感増してきました。
つぼみは色を見せ始め さて華やかな春の庭の開幕のお時間です。
ハナニラはそのすべてのコーナー、スペースで、
花株・その足元で庭としての調和を・一体感を演出してくれています。
春の庭は地面から少しずつ空へ向かって広がっていくのですよね。
…ハナニラ 徐々に春の花たちの影にのみこまれて…
日向の春の庭に白からブルーきれいなグラデーションの塊を発見
覗いてみたら ムスカリの塊りとハナニラの塊りの一体化!
わーおっ!
ムスカリもハナニラも素朴な雰囲気があるような
それが寄り添いあうとなんともなごみのスポット出来上がるようです。
日陰の庭でもハナニラの華のある花たちを浮かび上がらせる演出ぶりは健在です。
覗き込んでみたらハナニラとムスカリが寄り添ってる。それだけで
ただ一輪ずつだけでも ため息と深呼吸同時に起こる世界があるのでした。
好き 好き 好き
ムスカリとハナニラの写真 選んでくれたこと とても嬉しいのです。
写真のハナニラは少し変わった種類で花弁は丸くしっかりのブルーですね。
普通の?ハナニラは純白から淡いブルー、淡いピンク、淡い紫
細めすらりの花弁 淡いピンクの縞があったり 紫がかった縞があったり
いろいろあってこれまたひとつひとつチャーミングです。
球根と種で繁殖力大 2,3年楽しんでたらもう庭から除くのは無理かな
雑草扱いされたりして好まない人もいるらしいのです。
庭に入れちゃあいかん花だあ!とかね。
ほっといてくれっと申し上げたい。
咲ける場所で咲きたいだけ咲けばいい!
私の庭はハナニラの庭です。
ハナニラから始まる庭です。
ハナニラから春は始まるのです。
写真No.145:4/13:百舌鳥
百舌鳥と書いて『もず』と読みます
この鳥は一匹オオカミのようです 雀のように群がっているのは見たことがありません
一匹オオカミですから当然縄張りを持っているはずです
この縄張りを守るためには侵入者を追い払ったり脅したりせねばなりません
まあ 簡単に言えば もず は気が強いんでしょうね
体格は雀とあまり変わりませんので 実際の戦闘力が格段に高いというわけではなさそうです
それでも縄張りを守れるのは『絶対守る』と言うdeterminationがあるからです
雀はグループ行動をするようですが どう見ても弱々しいですし しかたがないでしょう
グループの一員であれば安心安全ですからボーッとしていられますしストレスも少ないでしょう
一匹オオカミであれば縄張りを常に監視せねばなりませんし
誰かが侵入するたびに緊急出動し追い払わねばなりません
戦闘も起こります ストレスいっぱいです.
しかしグループには序列が存在する可能性があります
この序列の直属上司との関係が良くないといじめられてストレスいっぱいになるかもしれません
家の前の電線に止まっているのはストレスでイライラしている雀かもしれません
やっぱり鳥の一生も 一匹オオカミでも グループでもラクチンとはかぎらないようです
私どもは自由をこよなく愛するため可能な限りグループには所属いたしません
雀と言うよりは百舌鳥タイプです が 争いにはメチャ弱いのです
縄張りに侵入者が来たらどうするかって? 逃げます ただただ逃げます
それから誰も来そうにないところに新しく狭くなった縄張りを作ります
もっとも若い頃には無鉄砲なところもありましたので争っていたような記憶もあります
いやいや懐かしいな〜
私も気が強かった時代がありましたよ
たぶん 配偶者さんもハラハラしていたことでしょう
でも冒険的精神がないと人生は退屈ですからね
今は昔です 人は変わります
現在の定義では退屈イコール安心安全です
ちょっとみっともないですが 歳には勝てません
庭遊び一日一時間と決めています。
顎出したら最後・日向の庭遊び禁止令:人口芝生貼られてしまうらしいのです。
んんんーん 人生最後に?手に入れた日向の庭
そーっと楽しみたい 少しでも長く・・・
一日一時間 今のところ上手くいっています。
秋に頑張って植えた花たち咲きだしました。プランもくろみそっちのけですねえ。
でもでもそれでいいのです。あざといプランなんかより もろ自然!
これがこの庭にやって来た春ですよと輝いています。
座り込んでぼんやり…ムラサキハナナ ちゅーりっぷ らっぱ水仙 忘れな草
ハナニラ そしして気合を入れて育てたレンゲソウ 今盛りと咲いています。
嬉しすぎてぼんやり。。。
そんな庭を覗き込むように 百舌鳥(モズ) 動かない
そっと携帯取りに行っても戻って写真撮っても 動かない
感激・可愛い・嬉しい
次の日 またぼんやりしてたら イソヒヨドリ 全く同じ枝に
気づく前に乱暴に動いたらお隣の車庫へ・・・しまった残念なり
なんのすぐにひょこひょこ覗きに来て また頭の上同じ枝に戻ってきたのです。
感激・可愛い・嬉しい
以前ジョウビタキが同じ事してたなあ
ジョウビタキ モズ イソヒヨドリ
縄張りつくったり 狩りをする鳥たちなのかな 同じ枝ご愛用です。
芝生、花、草、日向、日陰、虫、蝶、カエル、クモ、ハチ、バッタ もろもろ
庭があると集まってくるのでしょうね。
おまけの私・邪魔者ではないんだぞ あなた達の遊び場・狩場お世話係なんだぞ
みんな またおいでね。
***おまけ***
レンゲソウ花畑 真ん中に座って 夢見てた夢の実現
きっと ミツバチやって来るに違いない… やってきました。
ブーンブーン羽音耳傾けて過ごします。
ねっ レンゲソウ ミツバチ と言えば 蜂蜜ですよね
そっと花香り確かめたり そっと花なめてみたり かじってみたり
みなさん! 蜜の香りも 甘さも 皆無ですぞ
どういうこと!?!? どういうこと!!!???
写真No.144:4/6:チューリップ
赤いチューリップです
今シーズンのチューリップの球根も私が選択したのですが
またまたオーソドックスな形状の赤色です
このサイトにあるさまざまな花を咲かせた配偶者さんほどのベテランになれば
チューリップを選んでも形状も色もいろいろとなるでしょうが
ことガーデニングに関しては永遠の初心者である私にはチューリップは赤です
実はガーデニングは二十代に始めました
新婚時代に住んでいたアパートの通路に10畳ほどの庭がありまして
これを耕して花壇にしたのであります この花壇ではいろいろ花を植えました
初心者が扱うような花はほとんどすべて咲かせたと思います
今思い出すだけでもホウセンカ、百日草、金魚草、桜草、ラッセルルピナス、etc.
3年ほど続けましたがこの庭が駐車場となったので止めてしまいました
この経験でガーデニングは ベテランの初心者 程度になりましたが
そのまま進歩がとまって現在に至っています ベテランの初心者程度です
未だにバラとダリヤを間違えたりして 配偶者さんに笑われたりしています
たぶん相性が合わないのだと思います
まあ私も おの子 ですから花さん達と相性が合わなくてもしかたありません
実は英語とも相性が合わなかったようです
何を隠そう!私は4年もアメリカで暮らしていましたし
家のTVで外国の映画やドラマを視聴するときにはほとんど英語を聴いてきました
ですから総計すると うん十年 に渡って英語と接してきたのですが
いまだに 何を言うてはんのか さっぱり分からんことがしょっちゅうです
これは明らかに相性の問題で 私の頭が悪いとか言う問題ではないと思います
先日も駅付近でインバウンドさんにトイレの場所を聴かれたときに
逆上してほとんど何もしゃべれず アワワ となってしまいました
まあ相性には勝てないと言うことです
インバウンドさん ご了承ください from Kyoto with a red tulip!
インバウンドさん 役立たず ほんとゴメンナサイ なのでした。
うろたえたのが恥ずかしくて?夜・夢うなされちゃった!
アメリカ 外国人として過ごしたことがあります。
アメリカ 自由の国 個人主義の国 思ってたのかなあ
なんと アメリカには自由がないのでした。
どんな自由? 迷子になる自由!
町に着いて さてっと思った瞬間 地図覗き込む暇もなく
Can I help you? 声かかってくるのです。
感激もしましたが おかしくもありました。
なんとこの国では 迷子にはならないのかもしれないけど
外国人としては 少し迷子になるのも地図広げて自力で進むのも
楽しみのひとつ 醍醐味のひとつ なんだけどねえ。。。なんてね
暮らし始めても みなさん優しいのです。 善意にあふれているのです。
すれ違う人のにっこりのあいさつ。 大きな帽子かぶってたら ナイスハット
何所で買ったの? 地下鉄アイスクリーム舐めてる人と目があったら
Do you want a bite? おい!どろり舐め終わりそうなアイスクリームじゃあないか。
田舎のバス乗り込んだら 幼稚園生くらいのリトルボーイすっくと立ちあがり
席ゆずってくれましたよ。 レイディ・ファースト ここまで!
昔話なんですけどね。
まあね 外国人暮らし 毛が500本抜け落ちるような 1000本一挙に失うような
強烈な経験もあったのだけど・・・・
暖かい思い出 感謝の思い出 いっぱい抱えています。
インバウンドさん 迷ってらしたら声かけしよう 思っていたはずなのに
英語は遠く遠く 元気そうな問題なしのインバウンドさんばかり。
もう英語・声出すなんて忘れちゃってました・・・
ちょっと面目なく ちょっと残念で
あのお…ごめんなさいねの出合いでした。
***
不思議に思うこと:人類 ひとつでしょ。 ひとつから広がり
繁殖・散らばっていっただけでしょ。 この地球あちこちに。
一種類の人類 ちょっと広がっただけなのに 言葉が違う!
海で隔離されてなくても 山脈で隔離されてなくても ほんのお隣さんなのに
言葉が違う! これはなんなの?
それに誰もひとつにまとめようとは思はないらしいんですよね。
数の力で 権力の力で 利便性の力で なんらかの力で
人類 ひとつの言葉 まとまることあるのでしょうか。
もちろん全員 そんなの嫌だよ! 言うのだと思います。
ごもっともなんだけど 一時期SF小説に凝ってた私としては そんなことでは
人類が遠い未来宇宙に飛び立つ日なんて来ないのではあるまいか・・・
なあんて思いは暴走気味
今日のおもいつき妄想タイムでありました。 とさ。
写真No.143:3/30:桜
桜!桜!桜!
とうとう桜が咲きました ここは満開です
普段は温厚そうに見える日本人が桜の季節には狂います
何を隠そうかく言う私どもも『桜!桜!』とかなり狂います
どうも外国にも桜があるらしいですが これは許せません
すべて斧かなんかで無様にカットダウンすべきです
桜は日本の文化で日本でのみ咲き誇るべきです
ね!言いましたでしょう。
桜を見ると私どももかなり狂うと!
そろそろ落ち着きましょう 温厚な日本人になりましょう
それにしても きれいな桜ですね〜
桜は咲く時期もいいですよね
早く咲いて3月末ならば卒業シーズンです.
桜の花びらが散るように友と別れ学校を去って行きます
はてはて 別れた友はなにをしていることやら!
多幸を祈っています(手遅れか)
4月末に咲けば入学式や入社式を飾ります
華やかな桜の花に見守られながら新しい門出を祝います
はてはて どんな人生が待っていることやら!
多幸を祈りましょう
桜は3月に咲いても4月に咲いても大きいイベントが待っています
春の初めに咲いて皆に愛されてラッキーな花なんですが
花期が余り長くありません 三日見ぬ間の桜かな です
儚(はかな)いのです
しかし いつまでも咲き続けると飽きられますから
惜しまれながら さっさと散って行くのが 一番良いのでしょう
ちなみに私は『いや』ですよ
いつまでも散らないで太い枝にしがみついていたいです
春スタート 花探しの章
梅:いかにも可愛い蕾発見。咲くぞ咲くぞのじらし作戦
それもそれで可愛かったよ。開花見届けたところでやれやれの疲労感
満開の梅林 そうだろうね…の横目通過 まあね
杏(あんず)の花: 梅に続く春の花 にっこり笑顔で出会う花
今年の植物園 充実してきた若木
最後の力と頑張りを見せて花咲かせてる老木と並んで
全身この世の春っと輝いていました。
春の暖かさ春の素直な喜び 何時も感じさせてくれる杏の花
共感いっぱい。
さくら 桜 っと続く・・・
割って入ってきたのが 桃の花:
今日の今日まで桃の花は桜の後に咲きだすのだと思い込んでいました。
意外にお付き合いの薄かった桃の花 出会いがしら・圧倒されました。
なんと華のある 可愛いを超えているではありませんか
モモの節句あでやかさを取り仕切る華・花 むむ ごもっとも
桃の花 お雛様の時期と・・・はてな? むむ 謎の花
さあさあさあ 日本の皆さん
うち揃って たが外しての お待ちかねの 桜のシーズンですよ。
皆さん 目つき変ってますね 身体の動きも異常です
大声の感嘆符大丈夫ですか
うふふのふ 桜観るのも良いんだけれど
日本人観察 実り多い時期だとも思いますよ。
朱に交われば赤くなる 群れに入れば群れに倣う とかなんとか
ここは我ら日本人であるぞー! 揺さぶられる心根 素直に発揮
さて 桜満開 満喫に レッツゴー!
少し嘘です。 エネルギー不足です。
いつもの散歩道 川向うに二本の寄り添う桜木 優し気な佇まい
去年見つけました。 会いに行けたらわたしのこの春の桜見物
ハッピーエンド 完結終了なのだと思います。
写真No.139:3/2:クリスマスローズ
これを書いているのは3月19日の朝です
予定では週末の3月21日から書き始めるはずでした
何故こんなに早い時期に書いているかを説明します
まず今週の写真はクリスマスローズと決めていました と言うのも
居間のソファに座って横を見ると庭にクリスマスローズが見えて満開だったからです
余りに可憐に咲いているので同居人さんにお願いしてこの写真を撮っていただきました
ところが、本日(二日後)朝起きるとまもなく牡丹雪が降り始めたのです
2時間経った今も降り続いていますので だいぶ積もってきました
2階の掃き出し窓から見ると辺り一面真っ白です
そして白いクリスマスローズは雪と交じっていてその存在が分かりません
3時間にわたって3月の雪が降りましたが ようやく雪から雨に変わりました
そして白いクリスマスローズが再びその姿を現しました
家でパスタのお昼を頂いて さあ!散歩と家から外に出ましたが まだ雨です.
うーん!困った!今日は散歩なしの一日か!と血中ドーパミン濃度をさげています
しかし考えてみればこの時期は卒業式シーズンなので振り袖の卒業生とかは大変です
それにしてもどうして最近の学生達は卒業式とかに出席するのでしょうね?
我々のころは出ないのも結構いたように思います
特に雨や雪が降ったら出ないで家で貴重な時間を使ったと思います
貴重になにをしていたかって?
それは今と同じで本を読んでいました
変わったのは
昔は 人生について 考えるために本を読みました
例えば人生を なぜ どのように 生きるべきか考えていました
今は人生を楽しむためにkindleを喜んで読んでいます
それが若き頃に数年間一生懸命考えて得た結論でもあるからです
クリスマスローズも居間の横で毎日見てもらえて嬉しかろう!
花の一生もかくあるのが望ましい
人の一生もかくあるのが望ましい
冬の庭 花を求めてジタバタするのはもう止めました。
常緑で過ごす者たちが仲間 枯れ葉枯れ枝処理したりするのみ
庭もわたしも休憩タイムとしています。
3月にはそれでもいろいろ芽吹きはじめ・・・ふむふむ思っていたら
クリスマスローズの咲く季節となっていました。
日陰気味の庭 ほんとにクリスマスローズ植えておいてよかったなあ
毎年驚きと感謝。 明るい色 大きな花 広がり気味の花株姿
クリスマスローズあちこち咲いてるだけでしっかり庭が出来上がってる!
クリスマスローズ 和風ではないような
ガーデニングブームと西洋かぶれ 勢いで人気となり出回るようになったような
わたしも そのかぶれの一人です。
貴方の庭が日陰気味の庭ならば お薦めしたい花ですよ。
貴方の庭が十年、二十年見つめる庭ならば こぼれだねでじわじわじっくり増えますよ。
貴方の庭 細長いとかあっちとこっちの庭ならば あっちでもこっちででも活躍ですよ。
貴方の庭 日向の庭ならば・狭い庭ならば クリスマスローズはあきらめて
一年草でがんがんいくのが とっかえひっかえ季節ごと年ごとのチャレンジが似合うのでは?
ガーデニングブーム・西洋かぶれ(ごめんね)の名残のように
狭い日向の庭に植えこまれてしまったクリスマスローズ 少し違和感おぼえてしまうようです。
クリスマスローズは植木鉢に咲かせて目立たせるタイミングはかり
貴重な庭スペースはもっと自由のスペースに出来るのになああ
日向の庭 狭い庭にクリスマスローズはいらないかもよ
日陰気味の庭の特権
クリスマスローズとニオイスミレに始まって イカリソウ、スノーフレーク、ハナニラの季節へ
斑入りナルコユリ イングリッシュブルーベル しらゆきげし ゆきのした・・・
季節は続いていくのでしょう・・・楽しみです。
生きてるっていいことですねえ
思えば 宿根草ばかりですね いつのまにかそうなっていったようです。
思えば 日陰気味の庭を一年草でつくるプラン・・・面白そうですねえ
私にはもう時間がない!誰かチャレンジしてみて!!見せて!!!
見たい!!!!!
写真No.141:3/16:菜の花
この写真のような包装紙を見たことがあります
緑の背景に一面に咲く黄色い花の図柄です
欧米のチョコレート屋さんだったか それとも服飾雑貨だったか...。
目立ったので覚えているくらいですからデザインとしては成功と言えるかもしれません
ブランド名は忘れましたが どちらしろ有名な高級品を売っているはずです
私どもは見栄を張るためにお金を使うのは嫌いですが
有名ブランドの製品は高品質であることが多いようです
例えば,数十年前に結婚祝いのお返しにブランドものの湯上がりタオルを頂いたのですが
このタオルを最近まで使っていました 使われていた糸が高品質だったのでしょう
スーパーで購入した1000円タオルであれば1年でつかえなくなるのではないかと思います
とは言え問題は価格でしょう 1000円の品質のタオルは1000円で買えますが
品質やコストが3倍3000円の高級ブランドタオルは例えば2万円するのです
その差17000円はどこに?
これはブランド料金でこのブランド会社社長さんのドンペリ代やフェラーリ購入資金となります
スーパーの1000円タオルと2万円のブランドタオルしか売ってなかったら選択に悩むかもしれません
1000円タオルを20年間毎年買い続けるのと2万円タオルを20年使うのは支出的にはほぼ同じですからね
現実はよくしたものでそんな選択をしなくても2000円の品質のものが5000円で売られたりしています
自動車の価格も似たような感じです
見栄っ張りのリッチな人はベンツとかBMWとかアウディとか購入されると思いますが
アメリカの雑誌などによれば購入に値する車のランキングでは日本の車が常に上位にあります
値段はベンツなどの半分以下か1/3以下です
なぜ高価なベンツなどを購入する人がいるのでしょう やはり見栄代に数百万円支払うのでしょうか
と書いたものの 超リッチな人は他にお金を使う方法がないのかもしれません
せっかく稼いだ大量のお金を何かに使わないと意味がありませんからね
何を隠そう私どももチョコレートは明治ではなくてゴディバを購入することがあります
特にゴディバのチョコレートアイスクリームは止められません おいしいです
ハー○ゲン△ッツなんて目じゃありません ハハハ!
田舎のごちそう研究所 所長さんの面白げな名刺届きました
故郷の海は遠浅の浜辺
貝類の棲息に合っていたらしく たくさんの種類・貝殻集めの宝庫
桜貝 めちゃがい 真珠貝 カラス貝 ツメタガイ マテ貝 まんじゅがい
その他大勢 わっさわっさ そして バカ貝
そうなんです 姉に確認しても ああバカ貝だよね…となりました。
ネーミング 気の毒に
バカみたいにありふれた貝殻:背が立つか立たないかの深さの海底
足にがさついた塊の感触 両足でひょいと挟んで簡単に採れるのです。
バカみたいにころがってるだけ バカみたいに簡単に捕まっちゃてる
馬鹿なんだよね っとこんな感じ。
貝殻としては一番普通・親しまれ愛されてる貝殻でもあるのですけどね。
桶いっぱいのバカ貝いただいたことがありました。
バカ貝食べるのか? こんなにたくさんどうしたものか
夕食 バカ貝のてんぷら食べ放題
もう度肝抜かれる美味しさ
貝のもつ旨味 貝らしい食感 歯ごたえの確かさ
てんぷらはバカ貝にかぎるバカ貝はてんぷらに限る
一度食べただけなのに姉と私の一致した確信事項なのです。
大人になってお寿司屋さんに出入りするようになりました。
お寿司ネタケースにおなじみのバカ貝発見 んんん
壁の値段表示 時価という恐ろし気なところに赤貝
町に来るとバカ貝は赤貝となるのか
高価なお寿司のネタになるのか・・・絶句!
もっと大人になってお寿司屋さん赤貝食べるようになりました。
とっても美味しい でもでもこんな値段で食べるものなのか?
天ぷらかき揚げ風食べ放題
なんと豪華・豪快な食べ方だったんだなあ
赤貝は天ぷらに限るよねえ・・・姉と確認し合ったことでした。
これこそ田舎ならではの 田舎のごちそうなのでは
ねえ 研究所所長さん?
生産地千円のタオルが都会で一万円になったの話のつもり
・・・ガガーン!!!・・・
何気なくグーグルでチェックしたら。 私たちのバカ貝は別の名前があって
お寿司屋さんの赤貝とは似て違うものであった。
んんんんんん 知るは喜び 知るは力
知るは。。。。ほっといてくれ!
姉には黙っておこう
故郷の赤貝 故郷のバカ貝 故郷のごちそう 永遠なり
以上 Case Closed
写真No.140:3/9:セキレイ
写真はセキレイと思われます セキレイにしては白い部分が多いですが。
セキレイは鳩や雀に比べれると人になれないようです
宝ヶ池公園でちょいちょい鯉や鳥たちにパンくずをあげるのですが
近寄ってくる鳥は鴨、鳩、鳶、青鷺とカラスくらいです
昨年までは鳶と青鷺は来ていませんでした
だいたい鳶も青鷺も水面に浮くことはできませんので
飛んだまま水面に浮かんだパンくずをすくい取るのですが
鳶は足で青鷺はクチバシで器用に小さいパン(1cm四方程度)を取ります
見ていてまことにご苦労さんなことです
その点鳩は目前の手すりの上に乗ってあわよくば袋から直接食べようとします
カラスは投げ終わって誰も居なくなったころにおこぼれを求めてやってきます
それぞれの生き方に応じて食べるわけです
この写真のセキレイはまだ産毛が残っている幼鳥ではないかと思われます
幼鳥ゆえにまだ人間をそれほど怖がっていません
なにせ我々が陣取っているテーブルの横のテーブルでこの姿でじっとしていました
もしからしたら巣にいるときの恰好をしているのかも...。
捕まえられそうな感じで小鳥にしては極めて不用心でありました
鳥でも猫でも犬でも人でも幼い頃 誰とでも友達になれる時期があるような気がします
昔よく行ったスーパーへの通路にある一軒の家が子犬を飼い始めたのですが
子犬のときに友達?になったので成犬になっても友達として遇してくれました
買い物で前の道路を通る度にシッポを振るなどして大喜びしてくれたのです
最近では毎日散歩で通る道に面しても犬がいるのですが
始めて合ったときから成犬であったため友達認定はしてもらえず
毎日冷たい目で眺められるか無視されるかです まあ吠えられはしませんが...。
毎日一応手を振っているのでそのうち「怪しい人認定」されるかもしれません
週一のお楽しみ スタバ・カプチーノタイム
何故なのかなあ 外のテラス席使う人って少数派なのですよね。
少しの暑いのも嫌!少しの寒いのも嫌!雨風湿気嫌!ってことなのかな
ホットコーヒー アイスコーヒー より美味しいと思うのですがね
まあおかげさまで 空席ゆったりまわりの空間占有 贅沢なひととき
行きかう人 遊ぶ子供たち 空を芝生を光を楽しめるのです。
この自由感 解放感 はんぱなし!
今日はなんとセキレイ となりのテーブルでくつろぎのポーズ
ねえ 人間でない生命体がすぐそばにいてくれる
あたりまえの雰囲気でくつろいでくれる
素敵なことだとおもえるのですが
おなじみさんでもない 顔見知りでもない
今があるだけなのに
猫も犬も鹿も亀もミツバチもアマガエルも
そんなひととき一緒に過ごしたことあるような気がします。
人間でない生命体 それでもなんだかお互い感じ合う存在感?
まあ言わば仲間なんだよねえ みんな生きてるんだよねえ
今 このひとときの 共有感 (多分)
今日は鳥 セキレイさんでした。
ああ可愛かった嬉しかった 生きていてよかったなあ
果報者感 はんぱなし!
写真No.139:3/2:ラナンキュラス
写真はラナンキュラスです
『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』とか言いますが
この精神で言えばラナンキュラスの花に該当するのは何かな〜と考えました
その結果 帽子をかぶった西洋の貴婦人の立ち姿 と思えてきました
西洋の貴婦人と言えば最近BBC制作のTVドラマを見ました
これは19世紀の小さい町の高齢〜中年の貴婦人達が主人公でした
この町に汽車が伸びてくることになってこの貴婦人達が反対するわけです
汽車が伸びて駅ができれば町は発展しいろんな変化が起こるでしょう
社会の変化は若者には進歩発展ですが 高齢者には変化は苦痛です
自分の周りに変化が起これば それに対応して新しいことを習得せねばなりません
高齢になると新しいことを習得するのが難しいのです
なんの変化もなく毎日同じことを繰り返すのが高齢者の理想です
しかし現代社会は猛烈に進歩して日々変化しています
例えばコンピュータとかインターネットとかスマホです
ファミレスに行って注文しようとしてもタブレットが置いてあります
食べ終わって勘定を払おうとしてもレジに人がいません 支払い機が置いてあります
ガストに至っては配膳ロボットが料理を運んでくるので
お店に入って食べて出てしまうまで一言も口をきくこともありません
これでは高齢者は尻込みしてこなくなるでしょう
買い物はパソコンで注文すると配達してくれるらしい
スマホを持ってコンビニに行けば現金が引き出せるらしい
支払いは現金でなくてもできるらしい
タクシーはスマホで呼べるらしい
ただしどうすればよいのはわかりません
説明を聞いても耳が遠いのでわかりません
こうなったらなにも分からないふりしてやろう
なにもわからないけれど...。
ロンドン身分不相応な高級ホテル、エレベーター降りたら
ロビーにあふれる・・・ロイヤル主催のアフタヌーンパーティーか?
石油王国一族、マハラジャ御一行、上流貴族様・・・外国映画シーンさながら
百合、芍薬、牡丹、薔薇 りゅうとした燕がひらりひらり
ひっくるめた世界 豪華な世界 すっとんで逃げたのだけど
今にして思えばしっかり見て鑑賞しておけばよかったなああ。
我が国プリンスホテル これは怖くない。
散歩途中お手洗い借りて紅茶ケーキセットで楽しみましょう。
時は卒業式 謝恩会らしいのです。
会場へ向かう振り袖姿のみなさん その美しいこと 感動。
全身の感覚揺さぶられてしまいました。
日本の美 日本の芸術 伝統の迫力
百合、芍薬、牡丹、薔薇 ひっくるめた世界
もっと上を行く豪華な世界だったなああ。 堪能。
私は 日本人なのでした。
さてラナンキュラスさん 負けてないですよね。
どこぞのホテルではなく 庭でその華やぎ楽しませてください。
いやいや苦戦しました。
私の庭、あなたの庭、小さな庭ですよね。
華やかすぎて周りの春の花たちと調和がとれないのでした。
ならばと花株まとめて派手に思い切り輝け!
トホホ なんだかけばけばしいことになってしまいました。
ここはキャバレーショーの舞台ではないのですよ。
恥じて ラナンキュラスさん救出作戦 あっちへ移しこっちに移し…
春も終わる頃 徒長気味の忘れな草にかこまれて
やっと華やかな愛らしいラナンキュラス 楽しそうに笑ってくれたのでした。
ホッ
あなたの庭のラナンキュラス お元気ですか?
チューリップ、パンジー、アネモネ、マーガレット、デージー その他もろもろ
合わない似合わない・・・思いませんか
これぞ成功!そんな庭姿 どうぞ見せてくださいませませ。
写真No.138:2/23:若梅
梅のつぼみが今にも開きそうになっています
京都は寒い日が続きますので梅も咲きそうで なかなか咲きません
北野天満宮の梅祭りは18日頃でした だいぶ昔にその時期に訪れたことがあります
梅林を見るためには入場料が必要でしたが迷ったあげく入ってみると
梅はちらほらと咲いている程度でした が 床机に座っていると
キレイな着物を着た舞妓さんみたいな人がお茶(薄茶)をだしてくれました
今だったらインバウンドで混雑して うっとうしさの限りでしょうが
その当時はさすがの入場料の効果で人はまばらで まあ良かったです
この今にも咲きそうな梅の写真は一週間前に撮ったものです.
そして実は2日前にもこの梅の木の写真を撮りました
この5日間でどうなったと思いますか?
答えは以下の3候補から選んでください.
@ちょっと膨らんだだけでほとんど変わらなかった
A梅の木のあっちこっちでちらほら開花していた
B満開で梅の木全体が輝いていた
この梅の木は花が八重だったんです
八重の梅はあんまり見たことがなかったので その優雅さにちょっと圧倒されました
梅の花は「私は寒さに耐えている」と言っているような簡素な姿と思っていましたが
こんな華麗な種類もあるのですね
上の質問の答えは下の写真ようにBです
たったの5日で満開になっていました
こんなに早い時期で満開はおかしいと思われた「あなた!」
あなたの感覚は正しいです.
この梅の木は温室の中にあったのです.
車無しの生活は良いのですが、後期高齢生存者といたしましては
行動半径が狭く・固まってきたようです。
決まってしまったいくつかのパターン。
それを楽しくきっちりとやり遂げる毎日の充実感。
良いのだと思います。これこそが大切なことなのだとも思っています。
ふっ 春の予感
このままでいいのかな 何かやれること 何かしたいこと 何かあるのかな
気持ちと身体を連れて行ってくれる何かあるのかな あるのだろうか
何かあるのかな・・・
春 始まりを感じさせる季節の存在 良いものですね。
生活のパターン変らないとしても、きっとフレッシュな風が吹いて
新たに見つけるニュアンスの数々・・・楽しめそうですよね。
寒空の下 つぼみ膨らませ・花弁のぞかせたまま
咲くぞ咲くぞと見せつけ続けること一か月。
梅林のつぼみさん
さあ あなたの春がやって来たようですよ。
それっ 咲けー!
春 嬉しくもありがたい 春
春 かならずやってくる 春
写真No.137:2/16:種殻
百合の種殻(たねがら)です.
知らない方もおられると思いますが これはかって種が入っていた袋のようなものです.
中にあった種は風とともにいずこかに行ってしまいましたが袋である殻はまだ残っています
枯れ木も山の賑わいと言いますから種殻にも風情があると思う人が居ても不思議ではありません
私も風景的には種殻も悪くないと思うのですが 世間的には問題は役に立つかでしょう
空になった種殻はもうなんの役にも立たないと思われますがこれは身につまされます
自然界は残酷ですから この種殻もまもなく風に吹かれて
どこかに飛んでいって地面に落ちて誰かの靴に踏まれて粉々になると思われます
子孫を残しに遡上して来たサーモンは筋子をばらまいた後は
抵抗力がなくなってしまって体中カビだらけになってしまうと聞きました
言っときますが そんなのはイヤですよ
若い頃にカミュさんなどが主張した実存主義について考えたことがあります
いろんな人がいろんなことを言っていると思いますが
私の思っている実存主義は
神様の助けはいらない
人生に目的がある必要はない
各個人が日々を充実してドーパミンと共に生きれば良い
と言っているようでした
この解釈が正しければ実は最近の私どもの生き方こそ
実存主義を体現しているのではないかと思わないでもありません
そうか 最近の散歩ばかりしている人生は実存主義的なのか?
なんちゅうわけのわからん恐れ多いことを言っているのでしょうか
反省しなさいと配偶者さんに怒られそうですが
種が飛んでいって空になってしまった種殻は不条理な存在ですから
やっぱり実存主義的ですな〜
そう思って機嫌良く暮らしましょう
なんとこの散歩と居眠り三昧の生活が 実存主義的な生き方どすて!
まあすべてものは言いようですしね。 気に入りました。
胸張ってああなんと実存主義的であることよの感嘆符と共に過ごそうと思います。
行くぞお散歩 やり抜くぞ居眠り三昧。
そうですか 種殻は不条理なのですか。
私は根っからの不条理愛好家・収集家です。
断捨離迫られるお年ごろ
一番つらく難航するのが 集めてしまった不条理の数々
種殻、木の実、枯れ枝、鳥の巣、鳥の羽、貝殻、ガラス片、石、流木
捨てられない・・・庭にばらまいたら
ああ捨てがたしと再採集する羽目に。
これはウバユリの種殻です。
きれいだなあ 好きだなあ
びっしり詰まってた小さな薄い種 一枚残らず飛ばしてしまって
お役目完了 お見事
花眺めるのももちろん好きだけど花は移ろいゆく途中・儚い一瞬
なぜか心落ち着かず、見定めることができません。
目と心がぶれて集中力欠けてしまうようです。
嬉しさに浮かれて夢心地とか言い訳しながら
何時もすこうし疲れるの感
何かの名残り達なのかな
しっかりの存在・確かな手触りで見ることを許してくれるのです。
眺め眺め・さすりさすり
勝手に思いを馳せることを許してくれるのです。
不条理たちは会話続けることのできる友達みたいな感じかなあ。
不条理の名残りを愛で 実存主義的に生きる日々
若き日の我らが見たら
アハハハハ 高笑いしてくれるのでしょうか!?!?
写真No.136:2/9:寒梅つぼみ
寒梅のつぼみです 今まさに咲かんとしています
この写真を撮ったのが4日前ですので現在は咲いていると思われます.
植物園に飛んで行きたいところですが 今日は家の周りは雪が積もっています
今シーズン2回目の積雪です 数センチですが...
というわけで 写真はまさに寒梅のつぼみなのです.
ちょっと前までは雪が積もればメチャ喜んで
それ散歩だ!ドライブだ!と騒いでいたものですが
今は車はありませんし散歩は滑って転倒する恐れがあります
と言うわけで昔と違って雪が積もると外に出るかどうかを迷うようになってしまいました
家の周り北側と東側には幅2m〜3mほどの庭があってキンモクセイなどが植わっています
そこに雪が積もって居間からでもちょっとした雪景色が楽しめます
家の南側には5m×4mほどの庭があって真ん中にケヤキが植わっています
この小さい庭は 秘密の花園 みたいで雪景色もなかなか良いのです.
自宅のあっちこっちの窓からも雪は楽しめるのすでが
午後からは近くの神社まで散歩に出かけることにいたします
というのも2階の掃き出し窓から外を眺めると犬散歩の人たちが数名おられましたので
これなら外出しても大丈夫と思われるからです.
年とともに次第に用心深くなってしまって安全第一の精神がはびこる我が家ですが
今日は頑張ります
さて神社への散歩から帰宅いたしました。
日は照っているし風はないしとても快適でした
神社は徒歩で往復20分程度ですが境内に座るところがあり休憩しますので30分程度の散歩です.
境内の雪の深さは10cmほどありましたのでちょっと雪合戦をいたしました
家から神社の間の道路では雪達磨が一つもないのに驚きました
雪合戦はあっちこっちで子供たちがやっていましたが...。
雪とけて村いっぱいのこどもかな
一茶さんらしなあ 雪国なのでしょうね
子供たちのはしゃぎ聞こえてきませんか。
雪降って村いっぱいのこどもかな
わが故郷は降ってもせいぜいあられ…の地方
雪降ろうものなら数センチでも積もろうものなら
村いっぱいの子供かなっとなったものです。
雪とけても 雪降っても
子供たちはいつも楽しいんだね。
思い出の中 雪の世界 子供たちはいつもはしゃいでる
さてさてご町内 子供の姿見ること少なくなってきました。
集団登校(可哀そうに!) お友達誘い合い(わあ懐かしい)
幼い友情離れがたしの立ち話(だよねだよね)
なんだかふいっと全てが消えてしまった感じ。
希少・貴重な情景:家の前でいつも幼い兄弟遊んでた。
お兄ちゃんは学校へ 弟ひとり遊びが寂しそうだな…そして弟も小学一年生
もう誰もいない道 静かな道
なんだかさみしい
もう雪でもガンガン降っていただいて・どんどこ降っていただいて
どこぞにすっこんでしまった子供たち引きずり出していただきたいものです。
雪が降って 雪が積もって 雪が溶けて
もうみんな大人の顔をしてる・・・してるんでしょうね
まっ 人生 仕方ないのかな
セ・ラ・ヴィ セ・ラ・ヴィ
雪景色はいつも晴やかそして静かな佇まい
好きです
写真No.135:2/2:宝ヶ池公園
毎週出かける宝ヶ池公園の北西のコーナーから撮った写真です.
なかなか良いでしょう。
小さい池と四阿(あずまや)があってメタセコイヤがあって遠景に山があって 言うことなしです.
1年ほど前には ここで池の周りを一周できないようなことを書きましたが
ちょっと心配しすぎでした。余裕?で一周しています。
しかしあまり歩きすぎると帰宅してからコックリしてしまって時間が無駄になってしまいます
この公園は我が家からは歩くと小一時間かかりますのでタクシーかバスで行き帰りします.
タクシーはインフル感染を避けるためもありますが散歩時にドーパミンを出すためでもあります
なんと言ってもタクシー代は高いですので乗るだけで逆上気味で興奮しドーパミンが出ますので
公園に到着して散歩を始めるときには意気軒昂でドーパミンがあっちこっちから溢れ出るほど
元気になっています。それで池も一周できるのです.
「タクシー代使ったんだ!一周するぞ〜」の精神です
公園に行く前に駅の近くで昼食を取ることもありますが そのときにはカプチーノを頂きますので
散歩時にはカフェインとドーパミンの相乗効果もあって2人とも明るく元気に大声でしゃべります
まあ 普段は物静か?なので たまには良いのではないでしょうか
ちなみに帰りは高揚した気分を普通に戻すためにもバスを利用しています
帰るのは真っ昼間なので このバスはだいたいはガラガラです.
以前は行くときもバスでしたが 午前中のバスはげき混みで通路も人で塞がっていました
2人とも膝腰のために杖を2本使ってますので満員バスを降りるのはかなり大変です
バスがこんなに混むようになったのはどうもバス運転手さんが足りなくて便数が減ったためらしい
その後新しい運転手さんが入社されたようで このごろのバスは運転が乱暴でハラハラします.
便数は減ったままですが...。
今日は土曜日ですので散歩は家から始めます。八幡神社か運動公園までのどちらかの予定です.
その前にボンゴレロッソとコーヒーを頂きます。
パスタと頂くコーヒーが最近の我が家の楽しみのひとつです.おいしいですよ.
ここは散歩の最終スポット やれやれどっこいしょベンチ座り込む場所
最後のカフェイン・ドーパミン使い切って?のバカ話だけでなく
目を閉じ 深呼吸 心が開くスポットなのです。
三方を低い山・丘に囲まれた突き当り
何時も日陰となるメタセコイアの下のベンチで日を浴びた正面の山眺めます。
山を背にメタセコイアを眺めるベンチ そして今日は池を眺めるベンチ
前にも少し書いたようにも思うのですが
不思議なスポットなのです。
今日の写真に またまた思い知らされています。
ここにやってくると 今の時間が消える?ようなのです。
メタセコイアのせい?太古の時にいるような
陽だまりの木々の揺れ 時間が揺れて迷い込んでいるような
池の景色には旧い古い絵画 コローという方の描かれた風景画の中に入り込んだような
全身で浸る懐かしさ
いつかいたことがある いつかこの一部分であった という感覚・鑑賞・感傷
未来ではありません いつか・過去 なのです。
あまりに遠いいつか は 語ることでもなく ささいなエピソードすら関係なく
ありのままのいつか 静かな存在のようです。
この平穏感 不思議です。
ハイ Time is up. 2025年2月でーす。
手摺りにしがみついてよじ登る階段クリアして
家路までのエネルギー分配計算しつつバス停へ
居間にもどって行くことのかけがいのない嬉しさよ
御茶タイム そして 居眠りタイム(わたしの場合)
良い一日なのでした。
写真No.134:01/26:カンタブリクス
ちょっと長い名前の花です.
なんと真冬に咲きます。京都であれば1月中咲きます
水仙のようですが もっと小さくて愛らしいです
だいぶ昔 冬の越前によく車で行ったのですが
海岸沿いの丘に水仙がいっぱい咲いていました
とは言え1月に行っても手遅れで咲いた後の水仙しか見れませんでした
早咲きの水仙なんですね。詳しいことは配偶者さんからお聞きください.
京都植物園では いまだ水仙は見れません
と言うか このカンタブリスク以外には ほとんど花は咲いていません
パンジーとかが植えてあって咲いていますが 寒さに凍えて縮かんでいます
2月になれば「早春の草花」とか言う名の温室でいろんな花が展示されますが
それまではカンタブリスクが女王的存在です.
一方で葉を付けていない巨木も見物です.
春から夏秋の間は緑の葉っぱで隠れていますが冬には巨木の真の姿?を表します
幹と枝だけですが これがなかなか迫力があります
寒いですが近くの公園でよいですから 裸の落葉樹を見に行ってください
ただし巨木の全体像を見れるようにある程度離れてください.
たぶん感心していただけると思います
ああ でもそんな広い公園は家の近くにはありませんよね
残念でした
でも 冬の楽しみは他にもいろいろあります
暖かい炬燵に寝っ転がってミカンを食べ昼寝でもしてください
考えただけで良さそうです
残念ながら我が家には炬燵がありません
長椅子で寝そべって紅茶でチョコレートでもいただきます
あれれ バトン渡されてるようですね
一月に咲く花: スノーフレーク、和風水仙、蝋梅(ロウバイ)、カンタブリクス
そして我が愛してやまぬイオノプシディウム。 山茶花もまだ咲いてますね。
真冬に花の欲しい方 間違いなく喜んでくださるのではないでしょうか。
アッそれに高砂百合もこっそり・・・なんとわが庭二年続けて2月にも咲くようですよ!
地方にもよるでしょうし 年間季節の異常?も関係してくるのでしょうが
12月、1月、2月 冬だあ嫌だああの隙間
冬こそ我が時なのだとの喜びを知らしめてくれる花達ではないでしょうか。
皆に心して見つめてもらえる・愛される花達 その有資格者の花たちなのでは?
なんとこの1−2月・冬の季節 もしかして一番好きなのかもしれません。
花よ蝶よから解放されている季節
山々の 公園の 落葉樹 枯れ木も山の賑わいのたたずまい
夢中で好きです。
なにもないので すべてがある。 お終いの姿は 始まりの姿。 寒さのなかの温かさ。
とりあえず すべてが静かに佇んでいる。
過酷な季節?いえいえ途方もなく平和の季節 自由の季節
深呼吸の季節です。
あはは ちべたいのは嫌ですよね
温かい部屋で(電気代が!)だらけきって お茶に三幸製菓のぱりんこ(塩味おせんべいです)
紅茶に不二家のチョコだらけ(パイなんだそうです)
くだらない・つらい・おもしろい youtube 堪能した後で
アニメ 葬送のフリーレンを見て 心すがすがしくリフレッシュ
われらの冬の楽しい一日は終わっていくようです・・・めでたし
写真No.133:01/19:カイドウ
木にぶら下がっていた名札によればカイドウの一種の実と言うことになるのですが
ググると春に咲くと書いてありましたので 初冬に実が残っているはずがありません
今は定かではありませんがそのうちあるいは春になって花が咲けば分かるでしょう
花としてのカイドウには連想できるものが何もありません
まあ どんな花かも知らないのですから当然です
植物園では桜林に隣接して植えてありますので 桜の一種と思ったかもしれません
南側の桜と北側の杏(あんず)はどちらも華やかで その狭間で咲くはずです
この狭間では初春にはたんぽぽが いっぱい いっぱい 咲きますが
たんぽぽをわざわざ見に来る人もいませんので いつも閑散とした地域なのです.
数年前には この地域にテーブル1個と椅子が数脚置いてありましたので
お昼時には 数名のグループが良く来ていました
私どもも椅子に釣られて良く来ました
ちょっと椅子を移動すると小さいですが池を見ることができました
何故か人は池や湖や海といった水の景色を見るのを好むようです
人類は海水中から生まれたらしいので故郷が懐かしいのではないかと思っています
海から陸に上がることで著しい進歩をとげたのですが
その代償として海中時代のような安全を失ったので
水がたまったところの近くに居ると安心出来るのかもしれません
なにを隠そう私どもも池や湖や海を眺めるのが大好きであります
ちょっと前?には若狭湾にある河野海岸をよく訪れました
海はいいですね
岩に腰掛けて繰り返しやって来る大波小波を飽きもせずに見ていたものです
当時の私どもにとっては京都から若狭湾にいたる道は海にいたる道であった訳です.
赤い実をつけたカイドウ見つけました。名札によるとミカイドウ。
カイドウ、街道、若狭街道、そして河野海岸へ、海へと…辿ったのですね。
若狭、河野海岸の海は北に広がる海です。
太陽を背に北に水平線を見つめる海。思っただけで私の思いは故郷の海へ
懐かしい家路へ・・・跳ぶでした。
子供部屋の前,縁側のすぐ横に小学生の丈未満、小ぶりの木があったのです。
おかあさんの語ったこと:
これは花海棠と言って春に綺麗な花が咲く木なんだけどねえ
全然咲かなくなっちゃったなあ
十九でなんにも知らない子供のまんまで結婚、東京の空思って涙ぐんでたんだけど
そのときこの花が咲いていて まあこんなところにこんな綺麗な花が咲いている
びっくりしたんだけど・・・咲かなくなっちゃったなあ
そうなんです: 花咲いたことなかったような? それでも感じ良い小ぶりの木
花海棠
遊びまくり走りまくった縁側の思い出にぴったり寄り添っている木なのです。
今の家に引っ越してきた時 木を植える場所ありました。
庭の花、庭の木 好きに選んで良いのでした。
花海棠 ずいぶん迷い悩みました。取り入れなかったのです。
花海棠 見たことありません。見たい、咲かせたい
こんな綺麗な花だったんだねえ…おかあさんとの会話の続き…思い馳せたかったようです。
採用しないことにしました。
なんだか 花海棠 おかあさんの大切な花のまま・・・にしておきたかったようです。
今日植物園で見つけたのは ミカイドウ、ノカイドウ 花海棠ではありませんね。
春 どんな花咲かせるのでしょうか。
子供部屋の前 遊び回り走り回った縁側に座って 母と子
どんな会話続くのでしょうかね。
老化現象そのものですね。 思い出話。 感傷話。 メロメロですね。
まあ自然現象ということで まあ嬉しがっているので
ご容赦のほどよろしくお願いいたします。
写真No.132:01/12:金魚草
まだ20歳代の頃に住んでいたアパートの通路を花壇にしたことがあります
いろんな花を植えましたがその一つが黄色い金魚草でした
初春に植えたのですが これが晩秋まで10ヶ月ほど咲き続けました
春には「キレイな花だなー!」と思って見てましたが
秋には「まだ咲いている!」と変化しました.
美しいものでも 見飽きる と言うことです
タワーマンションの最上階の景色も同じで三日も見れば感激しなくなります
美男美女も同じで1年も一緒に暮らせば見慣れて何とも思わなくなります
金魚草の場合には秋になっても咲いているので 次の花の場所が空かず
「いいかげんにしてくれ」と思ったほどです
要するに人を楽しませ続けるには景色でも花壇でも変化が必要なようです
多くの場合に人はいろんな場所に行っていろんな景色を楽しむのを喜ぶし
花壇には季節毎にいろいろな花を咲かせます
まあ配偶者については取っ替え引っ替えする訳にはゆきませんので
我慢していただくか経年変化を楽しんでいただくことになりますが...。
どう間違っても駅近タワーマンションの最上階を買ったりしてはいけません
ダウンタウンの景色にあこがれて入居しても直ぐに飽きてしまいます
国内のさまざまな景勝地に行きましたが ほとんどのところは
一度目に感激しても二度目には「なんで感激したんかいな?」と思ってしまいます.
住居となれば毎日見るのですから たいていの眺めは直ぐに飽きてしまい
「なんでこんな所に引っ越ししたんかいな?」となってしまいます
それでも高い所からの眺望は魅力的に思えますよね。
その場合には高層ホテルに行って高層階スイートに泊まってください.
一泊だったらスバラシイ眺望に飽きる前に部屋から出てしまいますので
いつまでも よかった!よかった! と思うことができます
・・・という訳で金魚草わが庭では敬遠されてるのかな。
気の毒に 良い花なのですよ。
種類も豊富、品種改良もあって 可憐な低性タイプ
広がり花壇のメインカラー受け持つタイプ 背が高く豪華に主人公タイプ
四季を通して金魚草だけでの庭可能だと思います。
まあ お腹いっぱい・・・なるかもですが。
金魚、金魚鉢 旧い懐かしい時代を演出するのにぴったり
皆の、たぶん人生後半期に入っている方の記憶のアルバムの何処かに潜んでる
フランスでも
パン屋のおやじさんに愛され 皆に 国中の人に愛された金魚さんがいたようですよ。
王子さまのように大切にされ 元気にはねて ごきげん如何のご挨拶
愛されて 愛されて
今は天国で しっぽの生えた天使なのだそうですよ!
フランスの民謡、童謡・・・探してみてください。
わたし歌えるんだぞ。 下宿隣部屋の信ちゃんに教えてもらいました。
極楽とんぼが ツイー ツイー 良いなあと思っていたけれど
極楽きんぎょが フリフリ の フルーリー
むむ 捨てがたし
***おまけ***
金魚草見つけたら 花のつけねの部分
指で挟んで軽く押してみてください。
金魚 お口パックン開けて・・・・可愛いですよ!
写真No.131:1/5:比叡山
新年です.今年最初のイメージは比叡山です.
植物園が年末から1週間休園しますので昨年撮った写真の中から選びました
京都市内の北の方面に住んでいるとほぼどこからでも比叡山が見えます
これは宝ヶ池公園の東南にある駐車場横の休憩所から撮った写真です.
この写真では比叡山はかっこよい立派な山に見えますが
2kmほど北に行って見ると地面がちょっふくらんだ裏山か低い丘に見えます
ところが車で東に向かい比叡山を超えて大津に行って見ると
コブが二つ並んだラクダの背中のように見えて京都から見る山とはまったく違って見えます
京都から見える山の後ろにもう一つ山(奥比叡)があるのですが京都からは見えないのです.
同じ一つの山でも見る場所によってまったく違って見えるわけです.
これは比叡山の場合でたぶん富士山はどこから見てもあのかっこよい姿だと思います.
たぶんと書いたのは富士山を見たのは
南西の静岡、南の伊豆、東の東京、北西の車山高原
だからです.北から見たこともあるような気がしますが 今は思い出せません
と言うわけで 富士山は北以外からは 見ましたが
どこから見てもほぼ同じ富士山の形でした.
同じ山でも 比叡山のように見る場所で形が異なるタイプと
富士山のようにどこから見てもほぼ同じ形のタイプがあるようです
たぶん人に当てはめても同じようなことが言えるかもしれませんが
人の場合には 見る人が知人友人か家族か同僚か上司かによって評価が異なるのが普通でしょう
例えば,誰からも好かれる好人物と言われる人が居たとしましょう
知人友人・家族・同僚・上司の全員が「あいつはいいやつだ!」と言うのです.
私の長い(長いのです!)人生経験は「それは実にアヤシイ」と私に訴えるでしょう
その長い人生経験は私に 人間には良い面もあれば悪い面もある と教えてくれます
100%良い人もいないし100%悪い人もいないのです.
また、なにが良くてなにが悪いかの判断は人によって異なります
ある人から見ると良い性格も他の人から見ると悪い性格になるのです.
積極的に行動する人は厚かましい人
おとなしい人は消極的な人
となります
というわけで周りのすべての人に好まれようとするのは虚しい努力です
自分らしく生きるのが一番良いと思います
あれれ!今日は説教調になりました ご容赦ください
京都は盆地 なだらかな低い山に囲まれている地形
そこにただひとつツンと澄まして主人公張ってるのが比叡山です。
どこからでも見え、自分の立ち位置確認できる山
季節に日々の生活に並走者みたいな存在です。
京都・比叡山 ひとつの山と共に生きていくというのも
なかなか味のあるよいものだなあと思っています。
富士の山と共に…これまたまた特別感あって良さそうだなあ。
この人生期間では叶わなかったけど
鹿児島・桜島と共に生きるのも良いだろうなあ。
海から生まれてきたような、海と一つになっての山姿・桜島
なんと煙まで吐いての舐めたらいかんの貫禄付き
鹿児島の方たち 日々桜島眺め・感じて暮らしてらっしゃるのでしょうね。
羨ましいというのではないのですが・・・んんん良いなああ
比叡山と共に生きた人
富士山と共に生きた人
桜島と共に生きた人
どうなんだろう 山によってそこに住む人の個性?心情?変える力?
あったりなんかして・・・
何処ぞにあると聞く阿多多羅山
その山の上に広がる空 それが自分の空なのだと恋焦がれ
駄々をこねた方がいたようです。
智恵子さん 阿多多羅山と共に生きた方なのでしょうね。
エール送りたい気持ちです。
写真No.130:12/29:もみじ落ち葉道
紅葉したもみじの落ち葉でいっぱいの細い道です.
もみじは木にあるときも 落ちてからも人の目を楽しませてくれます
春、5月には新しい葉っぱがニョキニョキと成長してきます
新緑のもみじ林は明るい感じで気分も明るくなります
5月の晴れた日に真如堂の裏の階段を上ってゆくと 新緑のもみじ林が見れます
思わずドーパミンが奔出するほどの明るい緑です.
もみじは6月から10月まで半年の間 炭酸同化作用で酸素を生み出してくれます
秋になって寒くなってくると もみじの葉っぱは赤茶色に変化します
もみじですから真っ赤になることもあります
今度は紅葉で人の目を楽しませてくれるわけです
運良く深紅のもみじに囲まれるような状況になれば最高です.ドーパミンものです.
そして最後は写真のように落ち葉となって道にあふれます
落ち葉でいっぱいの道をシャワシャワと歩くのも晩秋の風物詩の一つです.
ビューティフル・ガールズと言う映画でまだ子供のナタリーポートマンが
積もった雪の上をジャンプして「快感!」と言うシーンがあるのですが
あれも雪がシャワシャワと音をたてるのが嬉しかったのではないかと思います.
映画ではシャワシャワを喜ぶのは子供っぽいと思わせたたかったのでしょうが
そしてその通りだと思うのですが
それでも私どもは 秋の落ち葉シャワシャワの快感は止められないのです.
健康のため歩き回らねばなりません どうせ歩くのなら楽しく歩くのが良いです.
落ち葉シャワシャワがドーパミンを出してくれるなら万々歳です.
もみじは各季節で 私どもを楽しませてくれるのです.
道 歩いてきた道 歩かなかった道 分かれ道
そこに選択の瞬間 あったのでしょうか あったのでしょうね。
あの時その時の自分 思い起こす時
胸いっぱいの恥ずかしさ愚かしさ穴があったら...
でもね不思議なんです
その続きにある今 現実に何の不満もないのです。 何故なんだろう。
現実肯定主義者なのかなあ まあ 今に満足 今がハッピーなのだから
今に続いているはずのあの時その時があってこその今なのだから
理屈では んんんすべて正解であったのであろう・・・なんちゃって。
ああ この理屈で言えば いつか今・この時を思い起こす時
胸いっぱいの恥・・・・っと穴探すのでしょうよね。
重ね重ねて歩く道 いいものです。
ここは紅葉の季節にやってくる道です。 まだかまだか
頭上をながめ 周りをながめ 足元・道をながめます。秋の小径です。
ここだけで 秋 満足 しあわせの小径です。
両手に杖の後期高齢生存者 いつも下を見ながら歩くことになります。
秋 落ち葉 時期少しずつずらしながら 色模様つくっていくのです。
こんな形 こんな色 楽しい発見。 今は紅葉が圧倒して全てを覆っています。
お調子にのってはいけません。 石を窪みを小枝を隠した紅葉・落ち葉なのです。
デーン ひっくり返った・・・ わたくしめ なのでありました。
みなさん 老いも若きもですよ お気を付けくださいませ。
写真No.129:12/22:フー
フーの木です.
数年前の台風で壊滅的な影響を受けたのですが ようやくほぼ回復しました.
この威厳がありそうに見える大木が紅葉する風景は珍しいのでちょっと嬉しいです
だいぶ昔ですがニューイングランドに住んでいたとき秋にアーモストに行ったことがあります
アーモストは町中が楓と思われる大木に囲まれていてそれが紅葉していて圧倒されました
ニューイングランドやカナダの圧巻の紅葉や黄葉はyoutubeでも見れます
フーと言えばだいたいの人は英語のwhoを思い浮かべるのではないかと思います.
英語でフーと言えば「誰?」ですが 我が家ではよく「ユーフー」と言います.
英語でyou who?です.これは訳せば 「あんただーれ?」 となると思います.
ユーフーと言うのは 何を隠そうMary Tylor Moore Showで始めて聞いて
その後 不定期な「ご挨拶」のことばとして 我が家で活用されているものです.
元気がない時とかに「ユーフー」と言うと元気な声で「ユーフー」と返ってきます
これは悪くないですよ まあ だまされたと思ってやってみてください
簡単ですが日々をhappyに暮らすための知恵の一つです.
Mary Tylor Moore Showは昔アメリカですごく人気があったコメディー番組です.
日本では放映されませんでしたが これもyoutubeで見ることができます
主人公は30歳くらいでおとなしいですがとてもチャーミングな女性Maryです
第1シーズンでとてもういういしかったMaryも第7シーズンでは
オトナのキャリアウーマンとなっておられました
youtubeでは英語ですが 会話が分からなくても 感じのよい主人公や
ドラマの明るい雰囲気を楽しめますので よかったら見てください
お勧めは第1シーズンの第14話です.
クリスマスイブの夜に宿直当番となって心細がるMaryのところに
上司や同僚がやってきてビックリさせると言うようなお話です.
アメリカのドラマではサプライズパーティがよくあるようですが
日本人としてはそんなサプライズは是非止めて欲しいです
台風でダメッジを受けたフーが元気になったのもサプライズですが
これは嬉しいサプライズです.
サプライズ 好みません
毎日の生活の中サプライズ ノーサンキュー
例外として ドラマ・ストーリーのサプライズは まあ許してあげましょうかね。
それも どうぞ ほどほどに。。。お願いしたく思います。
エイプリルフール? 許してください 心臓に悪い 思っただけで心不全
という とんでもないほどわれわれは憶病者です。
世にサプライズはついてくるものですよね。
脅かしあい 面白いのかもしれませんよね。 必要悪なのかも。
そこで 我が家では ショックを避けるべく 穏やかにその必要悪解消させるべく
エイプリルフールにちなんで 月初め限定で嘘・脅し 堂々と言うことにしています。
。。。 なんだか おなかがいたい。。。
後期高齢生存者が言ったら 相棒としてはギョッとなりませんか? なるのです。
必要悪の解消・消費が目的ですから ショックを与えるのが目的ではありませんから
言い方に気をつけたり 月末からの予告編あったりします。
なんだか明日おなかが痛くなりそうな気がするの
というわけで?
お正月元旦 特別の月一のお腹痛いの日 さぞさぞ 痛いことでありましょう。
えっ ほんとにお腹痛くなったらどうするの?
お答えいたします。
なりません! お腹痛くなったりいたしません! お腹痛いって何?
健康オタクは刻一刻を頑張るのであります。
来年も頑張るぞ!!!!!
写真No.128:12/15:銀杏
銀杏(いちょう)です.
銀杏としては巨木です ほぼまっ黄色に「こうよう」しています
紅葉と書くのに抵抗があったのでググると「黄葉」と書くようです.
いちょうと言えばすぐに胃腸を思い浮かべます
大学生の時代には神経が細くて直ぐに「おなかをこわして」いました。
例えば神戸まで運転するとその後で下痢をしていました
運転中はらはらし通しだったためでした
ヨーロッパはベルギーで変わったものを食べて胃炎かなんかになっていました
アメリカで生牡蠣を食べると必ず下痢をしました.滅菌処理をしていなかったのです.
若き頃は胃腸が弱かったのだと思います.
その後の身体的変化と言うか経年良化で簡単には下痢を含め病気とかしなくなりました
我が配偶者さんにも若い頃に比べて丈夫になったと褒めて?もらっていました
たぶん神経の繊細さがなくなっただけだと思いますが...。
それでもこの経年良化のおかげでいろんなことを経験できました.
例えば京都から11日かけて車で東北を旅行しました(勇気がありました)
一日平均約300kmで全走行距離3500kmです(体力がありました)
泊まったのは上越、秋田、青森、久慈、気仙沼、山形、郡山、喜多方、小諸、高山などです.
下北半島の北端にも行きました 津軽半島の龍飛崎では足を滑らせてひっくり返りました
このときの車は初代の赤いRAV4でした 当時のSUVとしては珍しい100馬力を超えた車でした
が アクセルを目一杯踏み続けても130km程度しか出ませんでした
この最高速度の実験を高速でしていると横にパトカーが来て
「スピードメータを見て運転してください」と言われてしまいました
RAV4は2代目にも乗っていたのですが 去年暮れまで乗っていた車も実はRAV4でした
このRAV4はハイブリッドでしたが200馬力を超えていました
初代に比べると2倍近くパワーアップしていたわけです
始めて運転したのはパブリカと言う車で空冷エンジンでした
なんと60年昔のことです.
自動ブレーキとかデジタルミラーとか車も随分進歩しました.
生活環境もとても便利になりました
冬でも今は部屋全体が暖かく快適です 子供の頃は火鉢の炭火に手をかざす程度でした
日本も随分変わったのです 経年良化です
直近の20年、30年を見てもインターネットとかスマホとか 経年良化は凄いです.
写真の銀杏は巨木で100年以上たっていると思われますので
炭火の火鉢の時代からインターネット・スマホの時代まで見てきたのですが
これからの100年も見守ることが出来るでしょうか?
人間はパワフルにおろかなので100年後も元気かどうかはちょっと...。
金色のちひさき鳥の形して銀杏ちるなり夕日の岡に
与謝野晶子さんです
素直な懐かしい情景…のように思えるのですがいかがですか。
秋と言えば紅葉黄葉 豪華なひととき
晩秋落葉枯れ葉といえば哀愁のひととき
うかれるにせよ情に溺れるにせよ ひとつの季節
大切に過ごしたくなる季節ですね。
タクシーの運転手さん 紅葉の道走りながら
木の葉が紅葉していく過程話してくれるのでした。
葉緑素 栄養 葉緑素退出 葉が赤や黄色に そして落葉
新しく知った神秘の事実・・・知るは喜びの語り口
なんと私も知ったばかりの知識でしたので おお 同志よ
ニコニコしちゃいました。
みなさん 秋に紅葉していく木々のドラマご存じですか
おもしろいですよ 凄いですよ ぜひぜひ調べてみてください。
運転手さんの語らなかったこと
秋の紅葉の神秘プロセスの最終章は残酷風味です。
役割終わった葉 枝との境にコルク層というものができて
木本体からの繋がり断絶 水分断たれてしまうのです。 兵糧攻め最終章
赤・黄の色素は 葉にわずかに残った栄養・水分で健気に頑張るのです。
力尽き・・・枯れ葉落下落ち葉朽ち葉
秋の紅葉とは木々の葉の最後断末魔・あえぎの輝きとも言えるのです。
これはつらい語り口ですね。
一枚の葉落ちるとき その跡にはもうしっかりと新しい芽用意されているのです。
葉は 落ちるべき時を知っているのかもしれませんね。
風に吹き寄せられた落ち葉
シャカシャカ音たてて蹴とばして歩くのは無上の喜びです。
シャカシャカ シャカシャカ
秋の最後の楽しみタイムです。
シャカシャカ シャカシャカ シャカシャカシャカ
写真No.127:12/8:紅葉と池
旬の紅葉が池に映った写真です.
それほどキレイに写っているわけではありませんが珍しいので挙げておきます
気候的にはいつの間にか晩秋という雰囲気で寒いようような寒くないような毎日です.
車を手放して1年たちましたが寒い日にはまだ車がイイナーとなります。
車無し生活で起こった変化の一つがモスバーガーです.
駐車場がないので車があったときには行けなかったのです.
最近はモスバーガーでパンを残すようにしています ダイエットではありません
翌週の宝ヶ池公園の散歩の途中でカモさんや鯉さんに投げてあげるためです.
このパン投げは最近では我が家のメジャーイベントとなっています。
と言うのも パンは漫然と投るのではなく
どのカモさん どの鯉さんにあげるかを決め そこに投げるからです.
誰がパンを得るかの基準は
意地悪なやつには食べさせない
遠慮して群れから離れているのに投げる
となっています
投げ損ねて遠慮鴨を目指したパンが意地悪鴨の前に行くこともありますが
だいたいは この基準が実行されます
すると我らは世の不正(この場合にはイジメ)を正した神様のような気分になって
その後は気分良く散歩できるのです.
あ〜。なんたる小物。
しかし 神様モードは気分が良いのですから 止められません。
このパンやりは昔は植物園の池の四阿でも行えたのですが数年前に禁止されました。
全部アオサギが悪いのです.
池の近くの枝に止まってパンを待つために枝が枯れてしまったのす。
ちょっと残念なのです。
おかげで池の鯉たちは人から餌をもらえなくなってたぶん困っていると思います
昔を忘れられないのか 四阿に人が行くと 鯉さんたちもまだ集まってきます
鯉さん!頑張って自然の餌を見つけてください.
何を食べるのか 知らんけど。
鯉にパン投げるようになったのいつ頃からかなあ
コロナで振り回された時期
ヨーロッパのどこぞの国でたくさんの野鳥たち死んでいったそうです。
鳥たちにパン与えていた老人たちが家に閉じこもってしまった。
食べ物不足・・・だからなのだそうですよ。
すごい! 侮ることなかれの老人パワー! 地球温暖化叫ぶより
なんだか凄い話だとわたしには思われるのですが。
私たちの場合は そのコロナ期に始めたように思います。
人の集まらないところへ散歩するしかないではありませんか。
人気のない公園へ何度も何度も リピーター
ゆったりと池覗き込む・・・鯉きれいだな なんたる大口であることよ
物欲しそうだな パン投げていた人たち見かけないよね
ならば天下の暇人 我々の出番・・・そんなとこかな
これが楽しい。 鯉も色模様個体識別でのおなじみさん
とろい亀も果敢に参戦 鴨の季節は大合戦 すずめ・鳩の飛び入り参加
贔屓してもらえない恨めし気なカラスも隠密参加
暴力狼藉者のトンビに袋ごともってかれたああ。
いやはやもう大変なのです。
いそいそとモスバーガーに通うのであります。
我々の寵愛一身に集めたのは 亀さんです。むちゃくちゃ可愛い
むちゃくちゃどんくさい むちゃくちゃ律儀 もう無茶苦茶!
神は正義平等博愛そっちのけ 死に物狂いでのえこひいきに大ハッスル
肩・背中・全身筋肉痛
高齢者向き なるほど
ヨーロッパのどこぞの国の高齢者のみなさん
今はもう復帰してらっしゃることでしょう。
鳥たちも健やかに・・・めでたしめでたしなのだと思います。
さあ モスバーガーへ いざ行かん!
ものごとには順序がありますからね。
写真No.126:12/1:南京ハゼ
南京ハゼの紅葉がなかなか良いです。日本人好みの微妙な色合いです.
気がつくと我が家の庭の片隅にこんな宝物のようなものが育っていたとは...。
我家の裏は田圃ですがその向こうはバス通りなのです。
このバス通りには片側に歩道があってそれに沿って街路樹が植わっています。
そこで我家の居間から裏側を見ると格好良い並木道が見えるのです。
居間から見えるのは数本程度ですが、 この木たちが南京ハゼなのであります。
何故裏の並木道の木と我が家の前庭で紅葉している幼木が同じ種類なのか?
そうです。我が配偶者殿の仕業であります。
並木道に落ちていた種を前庭の植木鉢などに蒔いたと申しておりました。
裏のバス通りの木の種を庭に蒔いて育てて紅葉させるなど
ガードニングの喜びの 極み ではありませんか
さぞかし鼻が高くなっていることでしょう!
ちなみに この写真 一条の光が流星のように差し込んでいて
なんか良いことが起こる しるし なのでしょうか?
と書いたところで 私どもにとって なんか良いこと とはいったいなになんでしょう?
最近の我らの望みは
毎日つつがなく散歩できる とか
散歩中に石を踏んで捻挫したりしないように とかの程度で
その他の大それた野望はないのです。困りましたね。
せっかく一条の光の流星が流れて幸運の到来を予兆しているのに もったいないなー。
せめて この南京ハゼ並木道を通るバスの便数が増えるように 期待することにします
!
なお現在の便数は1年に1本です!!!
何気なく放り込んでみたナンキンハゼの実 発芽率すごい
5,6本も元気な芽 困ってしまいました。
御庭番なんて言ってるけど 花苗メチャクチャにかき集めいい気になって遊んだだけ。
木は見てるだけ それでいいのよね 木は立派な大人 私が出る幕では無いのだから。
二十年たち衰え顕著なユスラウメ 寂しく見ていたら一斉に庭あちこちに芽を出してきたのです。
鳥が風が運んできたのでしょうかモミジの芽、山椒の芽 ばらまいちゃったナンキンハゼの芽
手をだすべきではないのです。 今の季節だけ、まぐれでまたの季節あればもうけものとして
少しの花を楽しむだけにしましょうね。
花じまい庭じまい そんなお年頃
頭と心 そうそう一緒にコントロールは出来ないようです。
片付けと称して余った植木鉢をながめ 車のなくなった日光いっぱいの庭最適地をながめ
足腰ビクビク者のくせに 苗屋さんは遠く両手に杖でどうして苗運べるというのでしょう。
否 否 否
気づいたら手元に残してた種ばら撒くは
日向で最後に咲かせてやりたいと日陰から宿根草植え替えるは
リュックで球根なら運べるなあとか
苦し紛れの考え
植木鉢の空いてる場所ふさぎに幼い苗木 根元周りに花咲かせるのどうだろう。
運命が許せばユスラウメの花咲くかも モミジ、ナンキンハゼの季節の葉色楽しめるかも。
だめでも いっときの・一年草扱いとしてのお付き合いと割り切って考えれば・・・
ナンキンハゼ 街路樹にも採用される大木になる木です。
一年であっという間に発芽から紅葉姿の苗になりました。
足元にはハナニラ、エリゲロン 通年楽しめる予定でのスタート。
いやあ木が大きくなりすぎて小ぶりの植木鉢バランス取れてません。
さてさてさて
身体はいざ知らず 頭はボケてられないぞ
嬉しがって鼻高くしたり鼻ヒコヒコさせたりしてる場合ではないのであります。
どうしたものかのお。。。一条の光は。。。何処!?
写真No.125:11/25:柳
今日は風に枝をなびかせている柳です。
細い枝が風になびいて斜めになっていてちょっと良い構図です.
以前に比べると葉っぱがだいぶ減ってスケスケなので斜め感がハッキリしています
柳も秋の深化と共に落葉しているようです
秋の深化と書きましたが今年は晩夏から冬に一気に飛んでしまいそうな感じです.
京都の秋は紅葉で輝くはずですが私どもがうろつく範囲では紅葉はまだまだです.
数年前までは紅葉は11月中旬が真盛りでしたが
昨年とかは12月初旬〜中旬に移りました もしかすると
今年は秋はほぼ消滅して紅葉もほとんど見られないのではないかと心配しています
紅葉が見られない京都の秋なんてイヤですよね
ずーと昔は多くの神社仏閣では紅葉シーズンでも人も多くなく無料で見れたのですが
人出が増えるとともに周りを囲んで入場料を取るようになってしまいました
今は紅葉のきれいなところは人でいっぱいのようです.
ゆたかになるにつれて働く時間が減って暇な人が増えたのでしょう。
静かな雰囲気を好む私どもには災難ですが.
暇になった皆さんはそれでhappyなのでしょうから寿いであげることにしましょう
あんなに多くの人に囲まれ列をなして紅葉を楽しめるのかいな とは思いますが
だいぶ昔ですが モネ美術館にほぼ一日居たことがあるのです
ほとんどの時間帯で誰もいなくて睡蓮の絵をゆっくり堪能できました
が ときどき 嵐のように団体の群衆がやってきてみんなで忙しく見て回って
あっという間に消えてゆきました その当時は マジに見てるのかいな と思いましたが
パパッといろいろ見るのも 時間のない人生の一つの過ごし方なのでしょう
私どもはたまたま自由時間がいっぱいある人生でラッキーでした
だがしかし最近の京都のように嵐的群衆が途切れることなくやってくるようになると
やっぱりかなわんな〜
いつも風の中にいる
柳 まだ小寒い風の中に煙る春色柳色
どこまでも垂れてサラサラカーテンは柳色
葉色落としながら流れに放たれるように…枝だけとなっても
寒風受け流し揺れ続けるのですね。
風がお似合いです。どの季節の風とも良いお付き合い。
何時も揺れているのですね。
早春の風 夕涼みの風 細葉ひらり旅立ちの風
冬の風にはちょっぴり寂しげ、恨めしげ。。。かな?
まあそれも良い風情ですよ。
誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない
けれど木の葉を震わせながら 風は通り過ぎていく。。。
こんな童謡歌ってました
見てきましたよ 柳を見てきました 風を見てきました
柳 いつも風の中にいる
なに 無風ですと・・・!!!
そこのぼーっと立ってる方 だれ?
・
ここは最近撮った写真などを公開するペイジです。
興味が湧いたらご覧ください。
写真No.124:11/17:ダリヤ
ダリヤも華麗な花です.
あまり華麗で我が家には似合わないと 神様が思うのか
我が家の庭ではうまく育たなかったような気がするのです
この写真も植物園です.
キレイな花の割に散歩街であまり見ないのは やはり気難しいからかもしれません
花にもいろいろあるようで ほっといても育って立派な花を咲かせるのもあれば
栄養をやり水をやっても だんだん元気がなくなるのもあります。
気難しいのは花だけではありません。人間にも気難しい人がいます。
人間で気難しいのは自分の価値観がしっかりしていて妥協しないタイプです.
植物でも人間でも気難しいのは適応力が乏しくて花を咲かせるのは難しいのです.
最近このサイトで写真を載せた日々草やワレモコウもダリヤ同様に気難しいですが
どれもうまく咲いてくれたときの花の魅力でそれなりに人気があり続けています
また気難しい花でも土質と気候がばっちり合えばちゃんと咲いてくれます
気難しい人でも社会と言うか周りの人々と価値観が合えば活躍してくれます
ある人を気難しいと思うのは その人と価値観が異なるに過ぎないのかもしれません
花ではパンジーとかビオラとかチューリップなんかは気難しくないように思います.
どんな環境でも頑張ってキレイに咲いてくれます。初心者向きです.
人間はどんな人でも価値観と言うか好き嫌いはあると思いますので
ほぼすべての人は気難しくなる可能性はありますが
恵まれた境遇の人は他人に寛大になったり親切になったりできますのでいい人と思われます
恵まれない境遇の人は他人に厳しかったり攻撃的になったりして気難しい人と思われます
たぶん人が「気難しい」のは「私はhappyではない」と言うメッセージなのでしょう。
自分が気難しいタイプかどうかを心配する必要はないと思います.
誰でもドーパミンが不足すれば機嫌が悪くなって気難しくなりますが
ドーパミンがいっぱいになれば機嫌が良くなって明るくてイイ人になります
要するに公園でも散歩するか庭いじりでもしてドーパミンを出せばよいだけです.
そう言えば明朝は5℃になるとか。青年の木を家に取り入れねば!
小学生 庭にダリアのかたまり 無造作に選び新聞紙に包んで教室へ
教壇や柱の花筒飾ったものでした。
綺麗な元気な花が…品種改良…こんな豪華・華麗な花になったのですね。
植物園です。皆をあっと言わせる花必要ですよね。 大成功のダリアです。
みまわすとどの花も品種改良:より大きく華やかに 色七変化 多花性に花期長く
楽しさ驚きの発見 この花もあの花もここにもそこにもあそこにも
植物園ならではの醍醐味がいっぱい。
感激いっぱいは良いのだけれど
自分の庭 あなたの庭 多分小さな庭
華やかすぎませんか? 他の花たちと両立できますか?
花期長すぎて続く季節の花 地団太踏んで待たせてるのですか?
品種改良 夢の実現
そうなのに確かにそうなのに 最近困っているのです。
夢の改良種咲かせたいのか 懐かしい花もう一度咲かせて
思い出・記憶の優しい確認をしたいのか。
もう後のないかもしれないひとつひとつの季節
私にまだチャレンジ精神あるのだろうか。
とりあえずなさそうなんだけど…野心も捨てがたしなんだけど
来春用にと密かに用意したのは レンゲソウ、ヤグルマソウの苗
あははのは 物欲しそうな懐古調丸出しですね。
いつかどこかで出会ったかもしれない風景に恋焦がれているらしい。
自己分析すると こうなるなあ。
まあそこは温故知新とかいうことにしておこうっと。
写真No.123:11/10:コスモス
コスモスはバラやダリアに比較すると一個一個の花は小さくて豪華さに欠けるかもしれませんが
写真のように群生させることが多いので華やかさでも負けてはイマセン
ところで、我が家の住人はみんな(2人だけですが...)群がるのは嫌いのようで
人が多くいるところはなるべく行かないようにしています。
その代わりyoutubeで東京やロンドン、ストックホルムなどの人でいっぱいの
繁華街を散歩する動画を見ています
なぜ こんなに群がるのを嫌がるようになったかと考えると車の存在があったように思われます
どこに行くのも車でしたのでバスや地下鉄を使いませんでしたし人が多い駅にも行きませんでした
その上コロナのせいで いっそう人混みには行かなくなりました
でも車の存在は隔離する方法であって隔離する理由ではありません
たぶん2人とも とても臆病で自分のテリトリーに他人が侵入してくると不安になるからでしょう
ところが、人間はドーパミンを出して幸せと感じたがる性行があります
一人で読書したりyoutubeを見ていてもドーパミンはなかなかでませんが
散歩したりガードニングしたりして外で体を動かすとドーパミンがどばーっと出るのです
最も簡単なドーパミン対策は友人と一緒に運動することでしょう
みんなとサッカーやバレーや野球などをしたりするわけです
年を取るとどんな運動も体力的に問題がありますので口の運動することになります
群がっておしゃべりするのです.しゃべることでドーパミンがでますので
年寄群では皆がいっせいにしゃべる傾向があります
そうすると聞く人が足りないのですが どうせたいしたお話ではありませんので
誰も気にすることなく おしゃべりに華が咲きーパミンがいっぱい出て
みんなが幸せになります。よかった!メデタイ!
ただし,既述のように我が家ではこれはやりません
テリトリーを守って安心しながら 散歩とガードニングでドーパミンを追求します.
今秋の我が家の庭にはコスモスはありませんが
ちょっと群生している日々草とジニアが未だに花盛りで捨てたものではありません
が そろそろ球根を植えねば...。
そろそろ球根を植えねば...
これはまあいいのです。春に咲く球根:球根の内にしっかり花を咲かせる運命・さだめ
用意されていますからね(多分)。 12月の植え込みでも大丈夫。
もんだいは今を盛りと咲いている日日草、ジニア
おおい いつまで咲くつもりですかあ?
あのお その場所そろそろ開けていただければ…いただかなくては…春の準備が…
お庭番はおろおろウロウロ
秋のガードニングはいつも苦しい。
秋の花・盛りのままでの引導渡し。 片付け作戦。 春への仕込み作戦。
行き場、遊び場、食事場を奪われる 蝶、昆虫、カエル、鳥。
加齢とともに加速度的に気弱に・・・ごめん!すまん!
目と心閉ざしてがむしゃらに進むしかないのです。 悪魔になった気分。
日日草12月まで咲くでしょう。
ジニアは満開のままドライフラワーとなって霜・雪の庭美しいコーナーとなるでしょう。
見届けてあげられぬこと許してください。
一番良いスポットで咲きましたね。その場所新しい花に譲ってもらうことになるようです。
種から育ってきたちいさな芽 植え込まなければならない時期迫ってきたようです。
秋の日差しにお庭番 何を眺めるお庭番 何思うかお庭番
蛮勇のボタン未だ起動せず。
写真No.122:11/3:シュウメイギク
この写真を見た人は夢中でシュウメイギクの蜜を吸っている蜂?に気がついたと思います.
蜂にしては小さすぎるかもしれませんが 私にはチュウチュウと吸っていてhappyそうに見えます
虫と花は持ちつ持たれつの関係で 虫も花も嬉しいのでしょうね give and takeの関係です.
花は 蜜をあげるから受粉に協力してね
虫は 受粉に協力するから蜜を吸わせてね
果物でも同じです。家の近くに柿の木があるのですが 何年か前に
この柿の木の実を食べに熊さんが表れたらしいです.
果物と熊さんの関係もgive and takeです.熊さんは甘い柿を食べるし
柿の木からすると種をあっちこっちにばらまいてもらって子孫を増やせるわけです.
これらの共生関係は自然(と言うか神様)が作ったものですが
自然では違った形態もあります
蚊は人間にチクッとして後は叩かれて潰される前に飛んで逃げるという関係です.
take and runかtake and fly です.
猫と人の関係もややこしいです.
我が家の猫は住み始めた頃はgive(食事) and take(愛想)の関係が存在して
配偶者にも私にも愛想を振りまいてくれて膝に乗ったり抱っこされたりしていましたが
猫的に「もう大丈夫。たらし込んだ」と思ったころからは
愛想してくれるのは空腹時のみとなりました
そのうち空腹になると上を向いてミャーミャーと鳴いて
「腹が減ったのに何をしているのだ!」と要求するようになりました。
これはもうtake and takeと言うかgive and giveと言う関係でありました。
まあ社会と言うものはいろいろ複雑な関係から成り立っているようです.
現在は猫も犬も飼っていませんので 夕散歩中に猫や犬を探して見つかったときには
手を振ったりして一生懸命愛想を振りまきます。猫も犬も
「なにをしているの?」
と言うような顔で見るだけで反応はありませんが一応見てもらえるのです.
それだけで十分にhappyになります
「なにをしているの?」
と書いてある顔は猫でも犬でも そして人でも とてもカワイイからです.
散歩小径の前方 藪の中からひょいと現れた鹿
お互いの存在に立ちすくみ・目を合わせたまま動けない・時間の停止
ひょいと藪からこぼれるように小鹿現れて・・・どおしたの?
しばらく見つめあった後 静かに鹿親子道横切って行ったのでした。
雪の原 大きなクルミの木見上げていたら 真っ逆さまに降りてきて
なにをしているの? 覗きに来たリスがいました。
尾膨らませてタントン揺らせたのはご挨拶?
ポケットにクルミ、どんぐり入れて、ご挨拶に通うことになりました。
急ぎ足で通る道。横の水無しの溝を急ぎ足ですれ違った者がいました。
ふっと立ち止まり振り返ったら 同じように振り返っていたイタチ。
そんなに急いで何処行くの? 仕事です。郵便局へ行くのです。
何処行くの? 子供に何か食べ物を、ネズミなんか探します。
会話のあった出合いでした。
鹿に餌与えないでください。
リス?あんなのネズミと一緒よお!
あの イタチ野郎め!
野良猫に餌をやるのは 京都府?京都市?条例違反です。
みなさん この地球はね
人間様の天下なのですよ。お気をつけください。
ご用心、賢く、注意深く、愛らしく、したたかに生きてくださいね。
どおちたの? なあに?
どこいくの? なにをちているの?
赤ずきんちゃん気を付けて!!!
写真No.121:10/27:ワレモコウ
ワレモコウの花です.この写真を見ると
目立ちそうに思われる方もおられるかもしれませんが地味な花なのです.
が 我が家では ワレモコウは昔から偏愛されていています
花は小さいうえに数も多くなく 色も地味で赤暗いため
遠くから見ると枯れた葉っぱに見えてしまったりしますが
見つけると喜んで「ワレモコウ!」「ワレモコウ!」と叫びます
それでも やはり地味でオトナシそうで目立ちませんので
誰かが「将来はワレモコウのようになりたい」と言うとちょっとびびります
そこで「ワレモコウと俳句」でググってみると良い俳句がありました
高浜虚子『五百五十句』にある
「吾も亦紅なりとつひと出て」(われもまた くれないなりと ついとでて)
ワレモコウさんは 無視されたときにはツツッと前に出て「私が!」と言うのです.
この オトナしいけれども負けず嫌い という矛盾した性向を有する人は
外から見ていると面白いというか魅力的に見えると思いますが
本人は自己矛盾に悩んでいるかもしれませんね
温和しいので じっとしていたいけれども
負けず嫌いなので 前に出て「私が!」と言いたい
が心の中で争うのです。
ここから自意識というか自我というか が発達するはずです.
ワレモコウさんはたぶん自意識過剰な人なのです.
心当たりのある人いますか?
ちなみに私は違います。
私は 「吾も亦紅なりと横を向き」 のタイプです.
今年の夏 もうがむしゃらに突破してきました。
ここにきてやっと 空気に触れて空気の中歩いて・ああそれだけで心地よい
秋がやってきたらしいのです。 すこしポカーンとして過ごしています。
植物園 それにふさわしい場所に吾亦紅(われもこう)見つけたのでした。
吾木香(われもこう)すすきかるかや秋の草 さびしききはみ君におくらむ
若山牧水さんの歌です。牧水さんらしい感傷的叙情的な歌だなあ。
でもでも本日は ほっといてくれ!と申し上げたい。
愛らしいわれもこう 秋のひざしの中あどけない紅色で笑っていました。
見つけて嬉しい! 会えて嬉しい! われもこう!
地味な花 目立たない花 そうなのかもしれません。
個性的な花なのかな。そう自意識過剰なのかも。咲く場所・自分の場所選ぶ花なのです。
そんな世界でしか輝きたくない花なんじゃあないかなあ。わがままな花なのかも。
庭中満艦飾に花咲かせていた頃 われもこうの苗見つけ小躍りして咲かせたことがあります。
もう笑っちゃうほどちんぷんかん・ちぐはぐ 花の庭と調和・協調してくれないのでした。
われもこう庭に咲かせるのなら [われもこうの庭]にするしかないのだなあ。
しかたありません 周りの花・庭・無視してわれもこうだけを見る!ことにしました。
あざみもそうでしたが われもこうも 野に置け 野に咲けよの花なのだと思いました。
最近の我々ならば[われもこうの庭]仕様で良くなったのかもしれません。
あっ でもないな
日日草 チューリップ チロリアンデージー … … …
むむ捨てがたし!
写真No.120:10/20:パンパスグラス
パンパスグラスと青空の写真です.
この3日ほど秋晴れが続いて青空が凄かったのです。
「天高く馬肥ゆる秋」
とか言いますが秋になっても天というか宇宙は高くはなりません。
秋は空気がきれいなので遠く高くまで見えると言う意味でしょう。
秋には食欲も出て食べ過ぎて体重が増えるのが普通らしいですが
我が家では体重は厳しくコントロールされていて上限を超えたりすると
食べる量が減ってしまいます。
昔は歳を取っても体重は20代と同じが良いと言ってましたが
最近ではちょっと太めの方が良いと言われるようになってきました。
どうすれば健康に良いのかの基準もどんどん変化します
どれが本当に健康に良いのかを判断するのは難しいですが
最近の傾向としは
@良い食事 A適度な運動 B適度のストレス
の3っつが主流のようです。
その内容ですが これもいろいろあって意見の乱れるところですが
@ではお魚 Aでは8000歩がよく推薦されます.問題はBです.
ここでは社会的繋がりを持つ が良いとされることが多いですが これにはリスクがあります
例えばテニススクールに参加してもコーチが早口で何を言っているのか分からなくて
やむなく無視しているとコーチはますますキンキン声でワーワー言うようになると
これは過度のストレスです.
植物園にボロンティアで草むしりに参加しても
同じグループに一日中 聞いているだけで不快になるテーマで 大声でしゃべり続ける
人が良さそうなメンバーがいると(いそうでしょう?)超過度のストレスです.
要するに社会的繋がりでストレスレヴェルをコントロールするのは難しいのです.
ストレスがイヤで会社を早期退職した人には社会的繋がりナシでストレスなしが
最適だと思われます。問題はストレスなしが続くと人間はだんだん元気がなくなります。
ストレスの原因と戦うために元気だった人は それがなくなると元気もなくなってゆくのです.
では どうすれば良いか?
これは難しい問題で場所も取りそうですので 別の機会に書きたいと思います
ご期待ください.
と うまく逃げたのです.
ひと昔 ふた昔。。。健康ちこっと躓きました。
目から心からウロコがとれた瞬間。 不思議な解放感包まれた瞬間。
失ったもの多いのでしょうが、いらないもの去っていったとも言えるのです。
心地よい仕切り直し
思ってもいなかった健康オタクの誕生・登場となりました。
なになに 魚が良いんだと、そうか肉もうやめたあ。
なになに 一日8000歩だと、やろうじゃあないか。
なになに 適宜なストレス好ましいだと、週一のチンチロリン
写真撮らねば、さて頭の中ひっくり返して話くっつけなくては…
他に何があるのかな
サプリ飲んでるぞ。これはどんな効用あるんだったっけ
草むしり好きな人 長生きなんだそうだぞ!
素人筋トレは害もありそうだからストレッチでいこう。
ココア、トマト、納豆,ヨーグルト 飲むぞ・食べるぞ。
冷酷・過酷なドラマは途中放棄、穏やかな楽しいアニメでいきましょう。
えっと えっと それから それから あれも これも
この十年 二十年 不思議なまでに元気です。
ギリギリしのいでいるのかもですが。 嬉しや楽しやの毎日です。
あっ 歯・目・足腰・耳 衰え度盛大なり。 とほほではあるのです。
なあ何事も・・・まあこんなところで・・・まあ上出来 としています。
パンパスグラス、広がる秋の空 良い一日でした。
手をたたいて 感謝 パンパンパン
写真No.119:10/13:サンパラソル
現在京都植物園で一番目だっている花です.
名前が分からないのでグーグルの映像検索で調べました。
名前から言えば太陽の光を遮る大きな花をイメージしてしまいますがそれは違います。
つる性の茎にちょっと小さめ花がたくさん咲きますので
名前からイメージするものとは差があります。
この花は夏から秋まで咲くようで花期も長いです
花の名前ですがサンパラソルだそうです
何でそんな変な名前になったのかと考えて思いついたのが 夏の西日避け です.
写真からも分かるようにつる性で背が高く横にも広がるので
西日の当たる窓の外に植えれば夏には西日避けなると思われます
きれいな花は咲くし西日避けにはなるし花期は長いし言うこと無しです.
この花を作った人はサンパラソルと言う名前を付けてブームを起こして
一儲けしようと思ったのかな?
西日と言えば住居を探している方に重要かつ余計なアドバイスです.
西日の当たる住居は止めた方がいいです。
中学生のときに西日の当たる家に住んでいましたが 夏は暑くて大変でした
特に小さな家とか一部屋のアパートでは逃げ場がありませんので西日地獄です.
西日はダメ!ダメ!
西日地獄の家では暑いので夕方から夜の間は誰も家には寄りつかなくなります
つまり子供は遅くまで外で遊んで不良になり大人は繁華街で無駄遣いして貧乏になります
西日地獄の家を英語で表せば doomed! です.
このアドバイスは経験を積んで得た人生の知恵です.
すでに西日地獄の家に住んでいる方はどうすれば?
大丈夫です.ご安心ください.
西日の当たる窓の外にサンパラソルを2,3本植えて毎日水をやってください.
これで子供は家で宿題をするようになって成績は上がるし
大人は外出で無駄遣いをしなくなってお金持ちになるでしょう
万々歳です.
サンパラソル…パラソル…そして
テロリストのパラソル:藤原伊織さんの小説へ
懐かしく思い起こすことあって そこへ話もっていこうかな。
とりあえずと読み返してみたら あれっこんな話だったとは
語るには私には荷が重すぎました。
時を経て読み返す いろいろありますねえ。
ひとつ 私は本読むの超早いです。 ほとんどの本一日で読了。
面白ければ面白いほどウワーっと超加速。 直ちに二度読み三度読み。
勝手に妄想絡めて読むので何度読んでも読後感変わらず 理解せず。
ウワーウワーで終わってしまうようです。
人と本について語ると 赤っ恥間違いないことは経験済みです。
ひとつ 読書の楽しみ ウワーウワーにつきるのです。
自分の中にウワーを起こさせる何かがこの本にあるのだなあなどと
言い訳のしほうだい。
テロリストのパラソル 今回もウワー状態で読み返したのですが
懐かしいウワーと少し違ったような・・・硬い 堅い かたい。
まあハードボイルド小説と言われてはいるのですがね。
懐かしいウワー どう処理いたしましょうか 少し気がかりです。
彼のほかの作品少し読み返してみようかな。
サンパラソルのくるくるまわし 遊んでみようかな
読書の秋 なんちゃって
あっ 最期のひとつ 正直にここで告白しておきます。
いつもですがウワーの正体そのものは 知りたくないらしいのです。
これは一体どういうことなのでありましょうか。
写真No.118:10/06:ジニア
写真のジニアは現在我が家の前庭に咲いています。何とも言いがたい落ち着いた花です.
見ていると心も落ち着いてきます。
ジニアと言えばシニアと連想してしまいましたので 今回はシニアがテーマです..
会社で「シニアなんとか」と言えば「偉い」と言う意味になるようですが
世間一般では高齢と言う意味になるようです。
世間一般の意味では我々はシニアのようです。
「です」ではなく「のようです」と書いたのは勿論ごまかすためです。
どこかのおっちょこちょいが「シニアではないのかもしれない」と思うことを期待しているわけです。
さてシニアと言えば心身ともにオトナのはずですが、これがそうでもないのです。
身の方は年々順調に経年劣化を進めているようですが
心の方は年々順調に経年進歩を進めてはいないようです。
ハイター様(「葬送のフリーレン」より)と同じで心は子供のままではないかと思われます
実は 我が配偶者殿も心は子供のままではないかと疑われますので
我が家にはオトナといえるようなしっかりした人物は存在しない可能性が高いのです
そこで、何か変化が起こると 2人とも どうしていいのか分からなくなって
我が家では「心配!心配!心配!」が連発されるのです。
その良い例が 猫 の無断外泊です.
昔ですが猫を飼っていたのですが その猫が無断外泊したのです。
猫というものは ときどき出奔する動物のようですが 我が家の猫にかぎってそれはない!
ということは なにかのトラブルに巻き込まれたに違いないと心配して
一日中「心配!心配!心配!」と言いながら 家の周辺を探して回ったわけです。
猫は 夕方になると空腹になって帰ってきました
落ち着いた顔で夕食を要求していましたので 猫ちゃんだけは オトナだったのかも?
我らもそのうち(あまり時間はありませんが)大人の落ち着きが身につきますように!
今週はこれでいこう・・・ジニアが選ばれました。
私はびっくりやら・おかしいやら
よくあることなのです。
夏中咲いていたのですよ 輝いていたのですよ
今日の今日まで気づきも見もしなかったのでしょう。
日日草のかたまり ジニアのかたまり 並んで咲いていたのです。
好きな花 日日草さえあればそれだけに愛と興味の集中豪雨現象
あとは見えない…ほんとに見てない という現象
おちょくることも出来るのですが
ひとつのことに集中 そこから引き出してなにかを作り出す?力
畏敬の念感じてしまう特性をお持ちの我が配偶者さんなのですからねえ。
とりあえずジニアさん気づいてもらえて よかった よかった。
ジニアを見て落ち着いた花 見てると心が落ち着く…
あっと驚きました。 新鮮!!!
派手な百日草の仲間*ホソバヒャクニチソウ(ジニア)思い込んでました。
気づかされました。思っていたより地味なジニアなのですね。心落ち着く花なのですね。
そして気づきました。
日日草は可愛いとのみ思っていたけど驚くほど派手な花でもあるのだなあ。
思い込むのはそれなりの歴史・理由付けあるのでしょうね。
時々ひっくり返すことがあるとまた何か思うことが…繰り返し…繰り返し…今があるのだな。
十月の庭 日日草とジニア 右と左並んで元気 楽し気に咲き続けています。
めでたし めでたし
写真No.116:9/29:日々草
久しぶりの日々草です.まだまだ元気にいっぱい花を咲かせています。
7月にも載せましたから花期がとても長いです.しかもずっと花をいっぱい咲かせています。
これまでの日々草ではありえないことです.
以前にもほのめかしましたがこれは品種改良されていますね。
日本のどっかで誰かが
どんな土地・気候でもたくさんの花をいつまでも咲かし続ける日々草!
を作り出したに違いありません。
技術進歩というものは凄いです。おかげで世の中すっかり変わりました。
世の中すっかり変ったと言えば
子供の頃の日本は未舗装の道に馬糞が落ちていたものです。
テレビも自家用車もスマホやパソコンもなかったのです。
TVも見ずドライブもせずインターネットもせず
いったい皆さんなにをして時間をつぶしていたのでしょう?
それはたぶん掃除と洗濯と仕事です.
電気掃除機も電気洗濯機もなかったので掃除洗濯には時間が掛かりました。
パソコンやインターネットがなかったので仕事も時間がかかりました。
今では主婦はすることがないのでパートとか言って働いています。
会社員は在宅勤務でのんびりしています
まあ こう言うのが 日本的な ゆたか になったあかしなのでしょう
技術進歩で人生が楽ちんになったわけです。
とは言うものの これでHappyになったかは あやしいです.
と言うのも 多くの人は何もすることがない時間をunhappyと感じるからです.
いったい どうしたいんですか?
難儀なことです.
昭和の時代に生まれました。
昭和の子供 昭和の少女 昭和の青春。。。生きてきましたよ。
子供の頃道に馬糞、牛糞落ちていました。
すみやかに処分されていました。庭、野菜畑の大切な肥料だったのです。
畑の横、あぜ道の横には 肥えたんご と呼ばれるすごいものがあったのですよ。
先日 泊まり先の家でのバスタオルの有り様に人間の生活としてあり得ん!!
と憤慨してる方の投書を読みました。洗濯機が登場するまでバスタオルあり得ませんでした。
絞り機能付きの洗濯機登場してからの贅沢品。全自動乾燥洗濯機登場してから当たり前の
快楽アイテムになったのかな。
昭和の方ではないのでしょうね。実際に昭和の時代を生きていない方ならば
バスタオルは快楽ですらない必需品、備品なのかもしれませんね。
タオル一枚からバスタオルへ。
利用価値のあった馬糞からマナーとしてのお持ち帰りの愛犬の糞へ。
変わってきたということです。
昭和の時代を生きる。とても良い時代でしたよ。
明日を信じることから出来あがってきた時代。ひとつずつ手に入れてきた時代。
現状の問題は明日きっと解決されるのだという常識感共有してきた時代。
個々の挫折も全体としては乗り越える勢いがあった時代と言えるような。
今 夢のような快楽に包まれています。ここまでやってきたということです。
もうこれ以上の快楽受け入れるエネルギーありません。少し怖くもあります。
失っていくこと・・・後戻りしていくこと
昭和の時代には戻りたくないということなのでしょうね。
昭和の次のそしてまた次の時代に生まれて生きている人達
自分たちの時代を知り思い起こす日・・・それぞれ得てきたもの失ってきたもの
優しく思いめぐらす時 きっとやって来るのでしょうね。
まったくもって今日は真面目なりすぎて恥ずかしい限り
日日草さん にっこりアハハ・ムードへの巻き戻し よろしく ちょんちょん
**********
三人姉妹 昭和の時代にスタートを切ってそれぞれの道歩いてきたようです。
何時も先導、トーチを掲げてくれていた姉の
二冊目の雑感文集: 大空にあこがれて が届きました。
彼女の掲げる 掲げ続けてきたトーチがそこにありました。
今回のチンチロリン 真面目風にならざるを得ないではありませんか
姉よ!!!!
写真No.116:9/22:柳
柳です.ちょっと経年劣化しているかもしれませんが
この写真を撮っている人もだいぶ経年劣化していますのでお似合いでしょう。
ちなみに若々しい柳を見たい人は桶で有名な料理屋さんがある岡崎の疎水の端にあるのを見てください.
私が見たときには まだ枝が長くて疎水まで垂れていました。
この柳を見るたびに 柳とはかっこいい木だなー と感心したものです.
と書いていると 階段の下から 大谷さんが51号を打ったと 声がかかりました。
今日だけで3本のホームランを打ったようです。しかも6打数6安打です.これは赤飯ものです.
興奮してちょっと脱線しました。テーマは柳でした。
京都で柳と言えば 出町柳 という街を思い浮かべます。
実際に柳もあるのですが それよりも鴨川と高野川の合流地点として有名です.
ここは桜もキレイですし夏には禁止されているはずですが花火も上がります。
ズーと昔ですが ここで夏に飲み会をしていると花火が上がり始め
いろんなグループが次々と現れては花火を打ち上げるのです。
端から見ていてもやり過ぎではないかと思いましたが
直ぐ横にある交番からもおまわりさんは現れず
その代わり消防車が来て近くの橋の上でズーと見守っていました。
現在の日本は安心安全と口うるさくなったのでたぶんおまわりさんがきて
あんな狭い箇所での即席花火大会は直ぐにやめさせると思います.
安心安全で周囲をかためてある現在の社会は 子供や高齢者には住みやすいですが
みなさんは ちょっと危ない昔風と安心安全な今風とどっちが お好みですか?
舞妓さんと柳と東山
経年劣化嫌だあ 頭の劣化遅らせるのに効果ありと聞いた歌詞丸暗記法
律儀にお風呂タイム捧げた時期がありました。
月は朧に東山 霞む夜ごとのかがり火に 夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に 祇園恋しやだらりの帯よ
祇園小唄です。
舞妓さん 今は観光客見世物みたいでお気の毒ですが 以前は東山界隈に溶け込んだ
何かしら美しい文化の具現化・・・そっと受け入れられていたと思うのですよ。
舞妓さん だらりの帯揺れながら歩いていきます。
わたしには 柳が揺れるイメージと重なっています。
舞妓さんの文化は芸者さんの文化とつながっています。
独特すぎてきっとすたれていく文化なのかなあ
日本舞踊・日本音楽の担い手でもあるのだと思うのですけどね。
以前職場で外国からの大切なお客様 その接待費請求書が回ってきたことがありました。
お料理よりもお飲み物よりも大きな数字の〔お花代〕 私は大感激。
なんて素敵な 思い切っておしゃれなおもてなし もうお部屋中花で飾って
歓迎の気持ち表されたのだなあ。 喜ばれただろうなあ。
まわり大爆笑・・・お花代・・・学びました。
皆さま 特に地方出身者の皆様 京都東山界隈でのお座敷遊び
夢お考えなさいませんように!
京都東山界隈 どこもかしこも美しい京都だああの魅力詰まっています。
よそ者感 京都下宿人感 暮らしてる身としては 散策楽しいエリアです。
柳、流れに沿って歩いてみたら…舞妓さんの住む町・したたかに京都
見えてくるようでしたよ。もう今は昔・夢のような散歩思い出の巻ですけどね。
鴨の河原の水やせて むせぶ瀬音に鐘の声 枯れた柳に吹く風が
泣くよ今宵も夜もすがら 祇園恋しや だらりの帯よ
祇園小唄続いていくのですよ。 なんとなく ため息
写真No.115:9/15:緑蔭の小径
この小径は大文字送り火の一文字『法』のある山に繋がっています。
法の字のある場所の裏側と言えます。この小径には毎週のようにやって来ます。
法の山頂はちょっと?無理なので 九合目まで登ります。凄いでしょう?
とは言え一合目を九合目と言い換えていますのでほんとは1合目までなのです。
何故言い換えるか?勿論 気分を盛り上げるためです.
一合目ではドーパミンも出てきませんが
九合目到着!九合目到着!と2人で騒げばドーパミンもだまされて出てくるのです。
ちょっとした人生のテクニックです.ご参考までに。
この短い小径にも途中で分かれ道が2カ所あります.
1個目の分かれ道は登山行程の始めの方にある橋で これをたどると桜の園に出ます。
桜の園と名前はりっぱですが桜の木が数本あるだけでのであまり期待しないほうが良いです。
何度も桜の木を植えて増やそうとしているようですが 土が合わないのか
低い山に囲まれた気候風土が合わないのか それとも鹿ちゃんが食べちゃうのか
いっこうに育たないようです。
2個目の分かれ道は行程終了間際のコンクリートの道です.
これがどこに通じるか知りません。と言うか 忘れたと言うべきか。
昔は この法の山にもよく登りました。
山と言いましても麓から歩いて20分もかかりませんので どっちかと言えば丘です
.
峰を端から端まで歩いたのですが それも20分もかかりませんでした。
今は地下鉄の階段を登る5分が限界です.それも手すりにかじり付いて登ってます。
やっぱり
出来るときに出来ることをするのが人生を楽しむ秘訣のようです.
そう思って毎日を楽しんでいます。
たくさんのたくさんの思い出の道・路・径 全てが喜びの源
どうもわが胸のど真ん中近くに詰め込まれているらしい。
道はどこかに続いているのですよね 思い出の道は一部分・切り取られた部分ですからね。
今回不用意にあれこれ楽しく思い出の道辿ろうとしたら とてもやばかった。
それぞれの道 胸のど真ん中近くにあるものだから辿ればすぐに我が胸の中心へ
行ってはならない 見てはならない 考えてもいけない パンドラの箱へ
すっとんで引き返してまいりました。
ともあれ
この道は思い出入りではない現役の道です。
この道歩くために生きてる(オーバーな!)ようなものです。
大変ですのよ 決死のまなざしで(オーバーな!)やってまいります。
九合目到着 喜びの深呼吸
一日も長く元気にこの道歩きづづけられますように
その為にはなんだってするぞ なんだって
かくして健康オタクの出来上がりです。
この道 ながーーーーいおつきあいの道です。
これからもながーーーーいおつきあいよろしくの道なのです。
素敵な道でしょ? ちょっと自慢たらたらの散歩道なのです。
では明日の小径散歩のため・・・お昼寝タイムです。
写真No.114:9/8:ひまわり群
またまたひまわりですが、今回は一列に並んだひまわりです.
一輪一輪でも迫力がありますが、横一列に並ぶのも豪華で目を引きますね。
家の前を散歩している人たちも思わず立ち止まって見てくれるほどです.
人間でも複数の人が群がって行動すれば迫力が出ることがあります。
歌やダンダンスのパーフォーマンスでもそうですし、政治目的のデモ行進でもそうです。
ちなみに私どもは名代のへそ曲がり?でしたので群がるのは好きではありませんでした。
へそ曲がりであったということは自己主張が強く角が立ったといことなんですが
これは単に好き嫌いがはっきりしていたということでもあったと思います.
数人集まれば必ず人生観か感性が合わない人物がいるもので これが我慢できないわけです.
例えば思っていることと反対の主張をされると不快な気分になって集団にいたくなくなるのです
これは誰でもそうなんですが ここで集団から出る人と我慢する人に別れます
へそ曲がりは 集団の縁にいますので簡単に外に出て行くことになります
一人では何もできませんので 群がらないへそ曲がり は何もしない人となってしまいます..。
上の「へそ曲がり」の文章が過去形になっているのに気がついていただけましたでしょうか?
そうです。過去形です.若かったのです。
そう言えば 最近は 荒井由実さんの いちご白書をもう一度 をよく歌っています。
歌うのは精神衛生上良い(酔い?)と言うことですので
ときどき大声で歌ってるのですが やっぱり大学時代は特別ですね
思いっきり へそ曲がり を実行しても 別になんの問題も生じませんでしたからね
社会にでればそうは行きません。
へそ曲がり を実行すると 人生が生きにくくなります。
それもあって 人は年とともにまるくなって 行くのでしょう。
我らもだいぶ丸くなっちゃったかな?
いちご白書をもう一度:学生たちが社会の真ん中で何かを求めて頑張ってしまった。
ゲバ棒かざし機動隊と相まみえる結果にしかならなかった…のかな?…ひとつの時代
荒井由実さんは歌っています。
世の中あちきには関わりのないことでございます。そんな私なのに意外にも
その時代の流れのすぐそばにいたようです。新聞にぎわせていた時計台立てこもり
機動隊との攻防 道一つ隔てたキャンパスに職場があったのでした。
教室親しく出入りしていた学生バリケードの後ろに。教員、研究者暗い血走った目で
それぞれの会合へ。研究しか似合わないと見受けられる教授が学部長に、連日連夜
学生達との談合。学生が何を言いたいのか知りたかった。学生も一生懸命説明してくれた。
まったくわからんかった。わからんものはわからんと言うしかないしなあ。
徹夜の談合それはかまわんのだがね。
女子学生さんがひとりいて ばーか ばーか お経のように言い続けてねえ
それが始まるともう何も考えられなくなってひたすら苦しくてねえ
発狂しそうなの耐えるだけになってねえ。。。速やかに胃潰瘍入院手術。
我ら職員は仕事もなくお給料付きの自由時間たっぷり
仕事仲間 こんな事情でできた時間 ならば普通では出来ないなにかに使おうか。
彼女は彼女の私は私のプラン 不思議な充実したハッピーな時過ごしたのでした。
ある日 キャンパスでバリケードの向こうへ行ったとの学生に呼び止められました。
隔月に開かれていた研究会 まとめの冊子最近のでいいので揃えてもらえないだろうか。
なんという喜び いっぺんに理解しました。
なにあれ ああ 学生は勉強を、研究者は実験を、教員は授業を、職員は仕事を
それがやりたいことなのだよなあ・・・難しいこんがらがったこと溶けていくのを感じました。
きっと大丈夫 今はきっと明日の何か良いことへとつながっていくのだろう。。。
あっ 授業前演説させろとやってきた学生に
今からは自分の時間、自分の講義を聴きに来た学生さん達の時間なのだからダメ
そうですね では授業十五分早く切り上げてあげましょう。その頃に来なさい。
学生もそろっているしあなたの話を聞きたい人がいれば残って聞いてくれるでしょう。
。。。と言って ぶん殴られて鼓膜破られた講師さんがいました。
わが配偶者さんです。
意気揚々と帰ってきて 殴られるとわかったから高価なメガネ壊されたらかなわんと
外して机に置いた。 見よ我が冷静な判断を! だそうでした。
われわれ いちご白書をもう一度 歌って良いと思うのですよ。。。ねっ?
写真No.113:9/1:飛行機雲
ここは花・草・庭に関連するサイトですのでアップする写真もその関連のはずなのですが
今回は飛行機雲です.
見上げるとちょうど飛行機雲が伸びているところでしたので撮ってしまいました。
北に向かって伸びていましたので東京行きか札幌行きか それとも北米行きでしょうか?
昔はよく飛行機にも乗っていましたよ。
飛行機で降り立った都会で思い浮かぶのは
サンフランシスコ、デトロイト、LA、ボストン、ロンドン、ベルリン、ブリュッセル、NY、パリ、
ローマ、モントリオール、シドニー、ホノルル.
昔は行動的だったのであっちこっち動いたのです。
海外でも だいたいのところは英語が通じたので言語は不自由しませんでした(たぶん?)
最初に海外で住んだのはデトロイトの近くのAnn Arborと言う田舎町(ミシガン大学有)でした
40〜50年前はまだグローバリゼーションが進んでいませんでしたので
この街で日本人に会うことは滅多にありませんでしたし、
スーパーにある日本食はキーコーマンの醤油程度でした。
Ann Arborではアパート近くの韓国食品店で沢庵を売っていましたので毎週のようにいただきました。
海外で暮らした最後の年はもう20年ほど前になりますがパロスペルデスに住みました。
パロスペルデスはLAから車で1時間ほど南にある丘の上にある街です
しかもパロスペルデスの東端は太平洋の海岸沿いにありました。
我らが選んだアパートも太平洋を一望できる丘の上に建っていました。
毎日太平洋の水平線を見ながらエンジェルヘア(超細い)スパゲッティを食べていました。
アパートの近くには whale-watching spot があり毎日のように行ったものでした。
この年は車を持っていましたが、車種はなんと あのカローラでした。
アメリカまできてカローラかい?
と思われるかもしれませんが やっぱり故障がいやでしたので。
このカローラでフリーウエーをがんがん飛ばしたものでした。
ちょっとカッコよかったですね。若かったということです。
飛行機雲は夢を広げてくれます。
見ていると遠くに飛んで行きたくなるような。
今日はちょっと 近くて遠い昔に行ってみました。
荒井由実さん
あの子の命はひこうき雲。。。歌っています。
死にゆくあの子は空を見つめ空に憧れ、思いっきりよく舞い上がり
ひこうき雲となって飛行機雲を残して・・・
飛行機雲は残せなくても空に向かって死んで行けたら
多くの人の心にある想いでは?
歌を聞くたびに私はアンデルセンの童話へ帰っていきます。
窓の向こう空を見つめている病床の少年がいます。少年は死ぬことを知っています。
それは 大きな楽しみ・待ち望む喜び。 それは 迎えに来てくださる天使さまに抱かれて
天にいらっしゃる、僕を待ってくださってる優しい神様のところへ行くことなのだから。
少年は天使に抱かれ懐かしく親しい町を、楽しく遊んだ野原を巡ります。
神様への贈り物にと野原で一番美しい花々を摘み花束にすると ハイもうこれていいです。
天使さま 天にいらっしゃる神様のところへさあつれてってください。
小学生
神様を信じることができたら
ああ 死ぬことはなんにも怖いことではないのだなと学びました。
自分を待っててくださる神様の存在を信じることができるのだろうか
信じるかどうかより真っ先に 悪に染まった悪のかたまり…の哀しい自覚。
うなだれました。神様がいらっしゃるにせよなんにせよ
自分はアンデルセンの少年の道 永遠に辿ることはないのだな。
どうしよう
小学生 つらき心の旅路の始まり始まり…続く…続く・・・のでありました。
ひこうき雲 生きる人の心の想い乗せて
一直線 空へ
写真No.112:8/25:ひまわり
この写真を見ても このひまわりの大きさは分かりませんよね。
30cmの大きいひまわりかもしれませんし10cmほどのかわいいひまわりかもしれませんね
しかし推測することはできますよ
第一に花びらの相対的な大きさに特徴があります。
この写真では中心の種ができる丸い部分に比較して 花びらがとても大きいです.
これは このひまわりが全体として小さいことを示しています。たぶん10cm程度に。
第二に季節です.ひまわりの季節はもう終わりです.
7月初旬から8月の始め頃が「ひまわりの季節」ですので 8月末のひまわりは大きく
なれません。
ただし「ひまわりの季節」でももともとが小さいひまわりもありますので季節だけでは
推測困難です.
第三に写真の角度が問題です.この写真ではアップでほぼ正面から撮っていますが
花が大きいひまわりは背も高く2メートルはありますのでアップの写真は撮れません。
以上の分析から この写真のひまわりの花はカワイイことが推測できます。
閑話休題
「ひまわりの季節!」とは暑い季節です.熱中症の季節です.
TVは見ませんが たぶん この季節には外出するなと言っていると思います
ところが、他の番組では 毎日8000歩程度は歩けとも言っています。
狭い家の中で一日8000歩は歩けませんので 外出するほかないのですが
よく行く宝ヶ池公園でも植物園でも ほとんど人は見かけません。特に高齢者は。
外は暑いですもんね。
でも ずーっと家に閉じこもってTVばかり見ているとアホ鬱になりますよ。
私どもは夏でも歩きますが それには日陰をおおいに活用しています
宝ヶ池公園でも植物園でも茂った木がいっぱいありますので日陰もいっぱいです
バスや地下鉄でわざわざ出かけますが 歩き始めるときには痛かった膝や腰が
帰りのバスの中ではほとんど感じなくなっていることが多いです。
緑陰散歩はドーパミンをいっぱい出してくれるためだと思っています
このドーパミンのおかげか帰宅したときには気分も明るくなっていて いいですよ
アホ鬱を キレイに払う ドーパミン!
「ひまわりの季節」はもう終わりです
いっしょに猛暑も連れて行って!と願う日々であります
九月の庭 密かに狙い定めていたのです。
何気なく思いついた初夏の庭 ムシトリナデシコ種バラまいただけの庭
ひとりうぬぼれ大満足 ひとりうれし涙の三歩手前。
もう大がかりな庭づくり出来ません。夏の庭は日日草に頑張ってもらいました。
九月ねらいに中高性、矮性のひまわり、鶏頭、トレニア 種ばらまいてみました。
高さにひまわり、つなぎに鶏頭、矮性ヒマワリ、続いて株元にトレニア。
順調なり 順調なり・・・おっとっ とっ とっ あれええ
トレニア順調すぎて日日草襲わんばかり、矮性ひまわり飲み込まれちっちっちっ
鶏頭はひまわりと同じくらいの高さ いいんだけど倒れ咲き開始
主人公のひまわりさんなんとか蕾までこぎつけた…開花とともに倒れてきた
支柱つきたてる腕力無し。どうか さっさと咲いてね!
うまくいけば うまくいけば・・・輝け ああ我が九月の庭よ。
あのおお 台風が・・・ あああ・・・ わたし見てるだけ
九月の庭 もう狙ったりしません。あるがまま 皆のがんばり見届けることにします。
それにね 庭の花が倒れ伏し一斉に花もたげて咲いてる姿けっこう好きなのです。
それも庭の姿 花の姿 共感してくださる方いるのかなあ
九月の庭 さあスタートです。
季節ごとの庭 あなたのプランはどんなんかな? 楽しいプランでしょうね。
今年の九月の庭は 夏の庭と秋の庭いっしょくたに楽しみたい それが目論みでした。
わたしには秋の庭はもうありません。 九月の庭楽しみつつ極力体力温存につとめ
十月十一月、庭の片づけへのエネルギー消費にあてねばなりませんからね。
そして 来春のプランへ。これで精一杯。顎が出ないようにせねばなりませんからね。
本来の秋の庭はよそ様、植物園様の庭のぞかせていただくだけ・・・それで精一杯
あなたの秋の庭 じーっ覗き込んでる後期高齢生存者いたら・・・わたし達かもよ。
やさしく 許されたし!
写真No.112:8/18:
2週間前と4週間前にも載せましたが だんだんと凄くなるので またまた日々草です.
ここまで豪華に咲き誇れば これは爛熟と言えるのでないかと思います。
人間の年齢で言えば30歳代から40歳代でしょうか?体力も精神力もある時代です.
私?何をしていた? テニスです.
30代の後半にロスアンジェルスはWest Woodにあるアパートに住んでいたのですが
それに隣接して公園があり その中に公共の無料テニスコートがあったのです。
そこで,暇さえ有ればテニスをしていました。相手は勿論我が配偶者さんです.
その当時のテニス界のスターと言えばビヨンボルグさんで彼はトップスピンで有名でした。
と言うか テニス界にトップスピンを持ち込んだのがボルグさんだったと思います.
ボルグさんは卓球からトップスピンに入ったそうですが
我々も卓球はやったことがありましたので トップスピンでラリーを楽しみました。
約10年間テニスを楽しみましたが40歳代半ばで 2人とも体力と上達の限界になりました。
テニスの試合であればポンポコテニスでもできたのですが
私どもは勝ち負けを争うのは好きではありませんでしたのでキッパリやめたのです。
テニスを止めるとほどなく車であっちこっちを走るようになりました。
何事に付け目標を立てて それに向かって努力するタイプですので
なんとニッポン国中、沖縄から北海道北端までを車で走るという目標を立ててしまったのです。
それから10年間暇さえあれば車で走っていました。
ニッポン国中ドライブの詳しいことについてはまたの機会にいたします。
お散歩お散歩嬉しいな もう馬鹿みたいに暇さえあれば歩いて来ました。
・・・いつも同じことすると思ったら大間違い・・・
バッティングセンター、公園ピン球野球、卓球、テニス,もぐら叩き
テニスは十年近く没頭してたようです。
こう書くとスポーツマンみたいですね。 れっきとした嘘です。
まったくの自分勝手な楽しみ方、その追求あるのみ それが楽しかったのです。
もう絵に描いたような不器用者、非力特に腕力絶望的。
ただね 忍耐の塊となって待ってくれる人がいるとなると
そうですねえ 努力の人の可能性、独自の成果たどり着く可能性は持っているのかも
最初から最期まで忍耐つつみこんだ楽しげな熱血指導 待っててくれました。
応えなくてはなりませんからね。 人生の華 テニスライフでしたよ。
卓球もラリー少しは…思っていました。テニスライフ終了後 卓球しょうと思ったら
なんとラケットに球あたりません。全くあたりません。かすりもしないのです。
あきれてしまいました。
テニスボールとラケット必死で合わせることに成功。 その引き換えに
ピン球とラケット合わせる能力失ったということのようです。
もちろん 球とバットもあっちとこっち スカー スカー。
きっともぐらさんもあっかんべーして笑うのだとおもいます。
我が不器用さ思い知らされて頭抱えて恥じ入った。。。もうむかし話です。
全ての時楽しかった。バラ色に輝き続けた日々 スポーツの巻でした。
まだ最後の砦 お散歩お散歩嬉しいな
両手に杖 頑張っています。
もう大変アハハ状態 炎天下今日も出かけるのですよ。
後は 居眠り・うたた寝・昼寝三昧 膝が…腰が… いざ生きめやも
日日草さん 笑いながら見ててくれてます。。。よね?